知覧研修の経緯
- 時代背景とはじまり
平成4年の国連カンボディア暫定機構(UNTAC)、平成5年の国連モザンビーク活動(ONUMOZ)、平成6年ルワンダ難民救援活動等国際平和協力活動への恒常的な部隊派遣、平成7年の阪神・淡路大震災及び地下鉄サリン事件における災害派遣等において、自衛隊の活動が国内外から評価されるようになってきたが、こうした自衛隊の任務遂行上、隊員の生命が危険に晒される度合いと頻度が格段に高まり、幹部自衛官の使命感や死生観を初級幹部の段階で、それも、努めて早期に確立する必要性が高まった。こうした時代のニーズに幹部候補生学校が早急に対応する必要性から松園学校長(第24代)の指針のもと、平成8年11月にB・U・MDに対し知覧研修が初めて導入された。しかし、本研修は業務計画事業であったため費用60万円の支出が、結果的に4/四予算の逼迫を招き、他の教育訓練に支障を来したため次年度以降平成14年度まで中断された。
- 松園学校長(第24代)の指針
手記「幹部候補生学校長時代の思い出」より抜粋
私の思い入れの深いものに戦史教育では度々使われる“死生観”をどう体得(認識)させるかがありました。
−その立場の人に感情移入して、自分なりに切羽詰まり、何を拠り所に死に直面するのか−という場面を作為してはじめて認識できるのではないか?これは志願兵で編成された特攻基地を研修するのが良かろう。
余暇を利用して妻と愛犬を共にして数候補地を確認した結果、特攻隊員の組成や年齢が候補生に近似し、市民の参拝者と共に、時には涙し嗚咽をこらえるような雰囲気の中でU・B・MD候補生が毅然とした制服姿を注視されつつ研修できる環境を有する知覧特攻基地が良いと判断したのです。
所見は、下記を求めた。
◎ 志願した特攻隊員の心情について
◎ 特攻作戦起案者大西中将の立場について
隊員が出撃前夜を過ごした三角兵舎、そこでしたためた家族や国を愛する心が溢れる遺書、添えられた若々しい遺影、終戦時、中将が隊員と苦悩を同じくするため介錯を禁じ割腹する直前にしたためた“特攻隊員への謝辞と生きて祖国の再建の礎となれの檄文は、死の意味を若い候補生の心に何かを訴え感得させたはずである。
当然その夜は、合同生活担当区隊長の指導の下*「酒の飲み方」の教育があった事は言うまでもありません。 (言外の意に注意)
- 復 活
平成13年9月11日の米国同時多発テロを契機に、同年10月7日米英軍がアフガニスタン攻撃を開始し、平成15年3月20日には対イラク軍事行動へと発展していった。この間、自衛隊は、国連引き離し監視隊(UNDOF)や国連東ティモール支援団(UNMISET)に部隊を派遣しながらも、テロ対策特別措置法等に基づき、米英軍の後方支援やイラク難民救援等危険度のより高い国際的紛争地域での活動を、短期ローテーションにより通年を通して実施することを求められ、業務の数的・量的ニーズを満たすために、BOC卒業直後の初級幹部を数多く派遣せざるを得ない状況になった。
「行動して評価される」時代にあって、第一線部隊の骨幹たる初級幹部の旺盛な使命感とこれを支える死生観の確立の有無が、任務達成度合いを大きく左右することが改めて浮き彫りにされた。しかも、第一線部隊に配属されるや即戦力として期待される初級幹部のこうした資質の涵養は、部下隊員の命を預かる職責の重大さを鑑みると、待った無しで早急に進められなくてはならず、その主要な役割を幹部候補生学校が担うことを強く期待されたのである。そうした、必要性から、資質教育の見直しの過程において、知覧研修の重要性が再認識されて復活し、精神教育の一環として正式に位置づけされたのである。
- 知覧の研修価値
鉄砲伝来の地たる鹿児島県は、地政学的見地から、昔より軍事的に重要な役割を果たしてきた。日米開戦の火蓋を切った真珠湾攻撃が、錦江湾を訓練地としたのに始まり、中国、台湾及びフィリピン等南方地域への作戦遂行上、本土最前線の後方基地としてパイロット及び整備員の養成が行われていた。
開戦後、戦線拡大に伴うパイロットの消耗により人員不足が表面化しだし、パイロット養成が急務となってきたが、陸軍航空総監部は、航空教育体制の整備拡充方針に沿って昭和14年度飛行部隊増員計画を策定し、これに基づき、昭和15年9月、大刀洗陸軍飛行学校が編成された。大刀洗陸軍飛行学校は、西日本や外地に点在する18カ所の教育隊を傘下に置く本校としての役割を担っていたが、その教育隊の一つが知覧にも開設されたのである。昭和16年12月24日、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所として命名、田口長蔵中尉が初代所長に任命され、以後解隊までの3年間に約600名のパイロットを養成した。
しかし、ミッドウエー海戦の大敗を境に米軍反攻が本格化し始め、各地での戦線収縮・後退につれて本土最南端という地理的重要性が更に高まり、沖縄防衛戦及び連合軍本土進行に備え、鹿児島県内各地に陸海軍特攻基地を含む様々な施設が作られた。知覧においても、昭和19年3月18日、グラマン編隊による初空襲を受け大損害を被るが、次第に強化される米軍空襲を前に教育を行う余裕すらなくなり、昭和19年7月、知覧教育隊は解隊され、その後、知覧には特別攻撃を主体とする実戦部隊が配置されるや、日本最大の特攻基地として変貌を遂げていった。
元来、海軍が太平洋正面の作戦重視思想から、大隅半島に鹿屋、串良、都城等海軍航空基地を設置したのに対し、陸軍は中国大陸での作戦重視思想から、薩摩半島に知覧及び万世等陸軍航空基地を設置した。
なかでも、知覧は薩摩半島最南端に位置し、航空機の航続距離及び燃料節用という視点から利便性に優れていたため、台湾及び九州南部に位置する全22コの陸海軍特攻基地の中でも、出撃機数・人員数とも格段に多い。特攻出撃機数は、全868機中その半数に当たる432機、人員数は、全1,036人中、402人に当たり、一撃必沈の体当たり戦法は、米軍を心から震撼せしめた。このため、米軍はこれを阻止すべく度重なる知覧空襲・空爆を行ったが、知覧基地守備隊は、これに対する対空戦、施設分散、掩体・地下壕の構築等を実施して防戦する等、数ある特攻基地の中でも最も激しい死闘が繰り広げられた地である。
戦後、この激戦の地に、陸軍4式戦闘機「疾風」、陸軍3式戦闘機「飛燕」及び海軍零式艦上戦闘機の実物と共に、多くの貴重な遺品、遺影及び遺書等約7,500点が寄贈または収集され、保管・展示されている。
従って、知覧は、平和学習の場として、全国の小・中・高校等が、毎年約460校訪れているが、自衛隊にとっても、資質・戦史等教育の場としての価値が非常に高い。
ゆかり
九州に林立した特攻基地の気風が、九州振武の地たる久留米に宿っている。知覧飛行場は、大刀洗陸軍飛行学校知覧分校として開設されたわけであるが、その総本山足るべき西日本最大の飛行学校が高良大社から北方に望む福岡県三井郡大刀洗町に設立されていたのである。
正に、幹部候補生学校は、この大刀洗陸軍飛行学校と同じく、背振・耳納・筑紫山系を拝する筑紫平野に位置し、直距離にして約10qと隣接しているため、特攻基地の気風が、幹部候補生学校の「質実剛健にして清廉高潔」たる校風に色濃く反映され、今も脈々と息づいているのは当然の成り行きであろう。また、こうした特攻隊員の育成と出陣を見守ってきた高良大社は武神を祀っており、これを守護神としていただく幹部候補生学校が、凛とした美しさを誇り、有為な人材を輩出し続けることができるのも、神仏や戦没された英霊の御加護の賜であろう。このように筑紫と薩南の歴史的繋がりを紐解いてゆくと、やがて知覧の地に辿り着くのである。正に、知覧は、校風に脈打つ神髄が何たるかを静かに語りかけてくれる精神的故郷とも呼ぶべき「ゆかりの地」なのである。
知覧研修の狙い
- 特攻隊員の遺書・遺影等から自衛官という職業の本質を肌で感じさせ、服務の宣誓、自衛官の心構え及び誇り高き自衛官の心得の本旨を会得させるとともに、使命感、死生観及び愛国心の涵養に資する。
- 特攻隊員の自己犠牲を伴う献身の精神は、「質実剛健にして清廉高潔」たる校風に酷似した気風で涵養されたであろう事に鑑み、幹部候補生学校の校風が効果的な武人育成に理のあることを認識させる。
- 感謝の念を持って英霊を慰め、世界の恒久平和を祈念し、これが実現のため誠実に職務を遂行する事を誓わせる。
- 自衛官という職業を選択する意義と誇りを堅持させ、不動の決意を固めさせる。
知覧研修実施に当たっての基本的な考え方
- 校風との関連性:校風へ英霊の息吹を吹き込む
幹部候補生学校職員の勤務年限が比較的短く、頻繁に人が入れ替わる特性から、校風とその伝統的精神が、次第に風化し、その真意が正しく継承されず、昨今、頓にその弊害が顕在化しているが、形骸化しつつある校風とその伝統的精神に、知覧研修を通じて、散華された特攻勇士の魂魄の息吹を吹き込んで甦らせ、校風の神髄を再び顕現せしめることができる。
また、有事の際、危険を顧みず任務を遂行することが武人の本懐であるが、そうした大悟徹底たる境地に至るためには、平時においては常日頃から「質実剛健にして、清廉高潔」たる気風を有する環境下で、武人としてのたしなみ(資質:特に使命感及び死生観)を育むことが如何に重要であるかを知覧特攻平和会館の遺言等は教示してくれるのである。
* 若鷲は君が御楯と潔し 散りて美し大和魂
第75振武隊 小野田 努 少尉
* 御両親様
今は出撃2時間前です。我々一行皆朗らかです。私もニッコリ笑って行きます。今はもう総ての俗念も去って清々しい気持ちです。数時間後にはこの世を去るとは思へない程...では、行ってきます。
皆様 お元気で さようなら 第105戦隊 溝川 慶三 少尉
「このような特攻作戦は、国家危急存亡の危機に瀕する特殊な状況下にあって、『窮鼠猫を噛む』が如き無謀な戦法であり、現代戦には参考にならないし、また、特攻隊員の心境を綴った遺書や資料等は、人命軽視の誤ったメッセージを伝えかねない。」との穿った見解も散見されるが、時代が変わろうが、戦い方が変わろうが、命を賭けて戦場に赴く人の心に何の大差があろうか。自衛官が、ここから学び得るものは、現代においても有り余るほどである。
特に、知覧特攻基地の教官、助教、整備兵や挺身婦女子等軍属の一体となった誠実で献身的な仕事振り及び富家食堂等地元住民の家族的な愛情が相乗して、質素で、清らかで、粘り強くて、真摯な訓練・生活環境を創造し、これらが相俟って隊員達をして厳しい訓練を克服させ、大儀に殉ずる潔さと強さと勇気を陶冶し、度重なる米軍空襲との死闘を潜り抜けながらも、432機を出撃させて米軍を震撼せしめたことは、史実がよく物語るところである。
平成16年に国際平和協力活動の本来任務への格上げが閣議決定され、また、日本の国連常任理事国入りが現実味を帯びる中、日本国内は平和とはいえ、我々職員及び候補生には、イラク復興支援活動等危険な海外任務が待ち受けており、否応なく、非日常的で、非現実的な戦時に近い環境下で勤務しなければならない。このため、知覧研修を通じて、校風に脈打つ真骨頂を悟り、死生一如たる緊張感を保持した環境下で、候補生教育に当たる意義と効果を学び得るのである。
- 研修姿勢と心構え
◎ 清廉高潔な精神の極められた姿をともに仰ぐ
私欲や汚れがなく、清らかで気高いもの(祖国防衛という大義に殉じられた特攻隊員の生き様と精神)を、教官自ら仰ぎ見る姿勢にこそ、使命感、死生観及び愛国心の涵養に必要な候補生の共感を引き出せる。
戦後の平和な時代に生まれ育った現役幹部自衛官は、実戦経験がないため自衛官という職業の本質(武人、戦士)を曖昧に認識しがちである。
このため、教官が、候補生に対して、戦場や危険な地域に赴く者やその家族の悲哀、願い及び覚悟といった心情を本気で語ることは難しいが、知覧研修によりこうした心情を把握させることができる。また、自衛官という職業の本質を直接的に突き付けてくる英霊のメッセージは、極めて衝撃的であり、教官や候補生に武人としての覚悟を否応なく迫り、服務の宣誓のベースをなす使命感及び死生観を真剣に考えざるを得なくなるため、自衛官の中核的な資質の陶冶上、絶好の機会といえる。
なお、軍事という特殊な専門職は、アウトソーシングに頼れず、先輩が後輩を教えざるを得ないが、先輩を超える後輩を育てることは至難の業であるという自衛隊の教育訓練が本質的に抱える問題点がある。
こうした問題点に対し、崇高なもの、至誠至純なもの、美しく気高いものを、教える側が、教えられる側とともに仰ぎ見ながら成長するという教育コンセプトとカリキュラムは、これを打開し得る唯一有効な手段と言えるのではないだろうか。
◎ 英霊への深い感謝と誓い
現在の日本の平和と繁栄が、戦争で散華された方々の尊い犠牲の上に成り立っていることへの深い感謝の念を持たなければならない。また、後に残った者を信じて二度と帰らぬ壮途に羽ばたかれた特攻隊員の方々の遺志と願いを、我々はしっかりと受け止めて継承させ、戦争のない平和な国際社会の創造を祈り、これが実現に勇往邁進することを誓わなければならない。
- 知覧研修の教育者に求められる条件とあるべき姿
◎ 力強いが、正しく、清らかで、恩情に厚いこと
知覧研修は、「こころの姿勢」や「こころの置き所」とでも呼ぶべき言葉にならない世界である。言葉にすると逆にしらけてしまうような難しさがあるため、現地研修の主体は、語り部の方々の支援を受けるにしても、基本的には、言葉に表せない「暗黙知」や「鏡花水月法」という手法、つまり、「心から心に伝える」という最も高度な教授要領を取らざるを得ない。従って、本研修の神髄を伝えるには、何よりも、研修を担当する教官自身が、信義と忠孝を重んじ、くもりのない真っ直ぐな生き方をしていることが強く求められるのである。
祖国愛及び民族愛は、健全なる家族愛、とりわけ、親に対する恩義、夫婦愛、子女愛に根ざしているため、知覧研修の教育に当たる者は、自衛官としての資質だけではなく、私生活面においても、立派な社会人としての、一家の大黒柱等としての資質を兼ね備えていなければならない。特に、親に孝を尽くし、妻を愛して裏切らず、次の世代を担う子女教育に熱心であることが重要である。
◎ 正しい歴史認識をもつこと
現在の学校の歴史教育は、史実、特に大東亜戦争に至った経緯や戦後の占領政策等を故意に削除するか、正しく伝えていない面が多く、隣国に過度に配慮した自虐的史観に覆われているため、多くの若者達が日本民族の伝統や文化に誇りを持ち難い状況を呈している。従って、日本人の伝統的美徳や倫理観が継承されずに腐朽し、愛国心すら希薄になってきているが、そうした影響を受けた若者達が、幹部候補生学校に入校していることは現実として認識しなければならない。残念なことであるが、義務教育等では、平和教育という名のもとで、或いは一部のメディアや評論家達が、沖縄戦等での特攻作戦、散華された英霊や生き残った特攻隊員を誹謗中傷する言動や報道がいまだになされ、こうした影響を受け疑問を抱く候補生が少なからずいることを承知しておかなければならないし、また、本研修間にそうした質問が投げ掛けられることを予期しなければならない。この種質問に対して、論理的で公正な説明がなされなくてはならないが、そのためには、知覧研修担当者は、当時の世界情勢及び知覧を含む特攻作戦に関する文献・資料を熟読して正しい歴史認識を持つ必要がある。また、回答に当たっては、憂国の至情に燃えて散華された特攻勇士が、平和な日本再建への先駆けとなったという事実は強調されるべきであり、彼等は、同じ武人として我々の大先輩に当たるとの矜持を候補生に扶植する着意が重要である。
◎ 服装・挙措容儀が端正で英霊に接する礼儀作法をわきまえていること
知覧特攻平和観音堂等慰霊碑にて、慰霊式或いは鎮魂式という形で、碑の清掃や英霊の供養を実施する場合が考えられるが、神道に則った正しい参拝・式典要領を心得ていなければならないし、追悼の辞や献花、線香、蝋燭、御神酒及び清掃道具等を含めて研修先の現地職員と具体的に調整の上、周到に準備しなければならない。
◎ その他
知覧研修の教育者のあるべき姿に関し、幹部候補生学校一教官の思いを参考として付する
知覧研修の変遷
- 平成18年まで
第1項経緯にもあるように、平成15年度知覧研修が精神教育として正式に位置付けされ、U課程において研修を再開した。また、知覧特攻平和会館の参事であり、自衛隊OBでもある川床剛(かわとこ たけし)氏から講和をいただき、研修効果の増大を図った。その後、平成16年度にB課程、平成17年度にMD課程で研修が再開され、平成18年度にはN課程において開始された。
- 平成19年度
I課程において初めて知覧研修が開始された。
- 平成20年度
MD課程及びN課程において、短い教育期間の中で、使命感を涵養する機会を増加させるため、知覧研修に併せて海自鹿屋基地史料館研修を開始した。
この際、時間の節約のため、往復の移動を学校から鹿児島市にある谷山ヘリポートまでヘリコプターによる移動とした。
- 平成21年度
SLC課程において初めて知覧研修が開始された。
- 平成25年度以降
MD課程及びN課程において、ヘリコプターの移動が天候の影響を受けやすく、計画の変更に伴い鹿屋基地史料館を研修できなかった課程があったこと及びヘリコプターの支援受けに関する調整が難航したことからPOIの見直しが行われた。
その結果、鹿屋基地史料館研修を取り止め、代わりに航空機患者後送器材の取り扱いに関する教育を西部方面衛生隊及び西部方面航空隊の支援を受けて、高遊原分屯地において実施したる後に、往復のみ高遊原分屯地から谷山ヘリポートの間をヘリコプターにより移動し知覧研修を実施することとなった。
また、移動時間を活用してバス内において区隊長等の機会教育及び第4教育科が担当する知覧研修事前教育を実施し、研修効果の増大を図った。
「一教官の思い」
武人の道に悔いなし
仕事の意義や報酬(価値観)とは、山を登るにつれて、眺望が開けるのと同様に、愚直な程に真摯な職務姿勢を貫き通した人は、「私」から「公」へとその重心がシフトしてゆくものである。最初は、生活の糧(パン)を得るための給料を仕事の報酬と考えがちであるが、次第に腕を磨くことが面白くなってゆく。そして、企画力、創造力や応用力が充実し、地位の向上とともに権限が増大してくると、更に難しい仕事にチャレンジしてみたくなるのであるが、これが「仕事の報酬は仕事」という境地である。また、仕事を通じて自己を成長させていることに充実感と生きる喜びを感じ得るのもこの段階である。そして、遂には、「他に尽くすこと(献身)に対する喜び(喜捨)」を仕事の報酬と確信するのである。こうした境地に到達した人間は、「ノブリス・オブリージュ」の精神から醸し出される「義務を覚悟する人の高貴さ」、「自己を犠牲にして他に献身する人の高潔さ」とでも呼ぶべき芳醇な香りを漂わせ、周囲の人間を自然に感化善導すると言われている。こうした好例が、幕末〜明治維新にかけて活躍した吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作等勤王の志士であり、大東亜戦争末期の特攻隊員達である。
特に、出撃を前に犬と戯れる若者達の遺影からは、煩悩が消え、笑みがこぼれるているが、彼らは、若くとも、滅私奉公、至誠無私という最高の境地に至っているからであろう。悠久の大義に殉ずることに喜びを感じているのである。
志願制のもとで、自衛隊を職業として選択した若者達は、幹部候補生学校に入校したものの、幹部自衛官として自己の人生を掛けることに対する不安や迷いを多くの者が抱えているが、この知覧研修を通じて、自衛隊という職業の本質とともに、到達し得る最高の境地が如何に崇高であるかを、如何に人間を成長させてくれるものであるかを示唆・感得せしめ、この道に進むことの素晴らしさに関して確かな手応えを掴ませることができるのである。
これまでの候補生の知覧研修所見を読むと、知覧特攻平和会館でのたたずまい、陶板壁画「知覧鎮魂の賦」、銅像「とこしえに」と「やすらかに」、遺書及び遺影等が彼等の心の琴線を大きく鳴り響かせ、どの候補生も例外なく純粋に感動しているのがひしひしと伝わってくるし、多くの者が涙したであろうことが容易に推測できるのである。
候補生達は、知覧特攻勇士の英霊が発するメッセージを現役幹部自衛官たる教官がどのように咀嚼し、自己の人生観や職業観に反映させているのかを、その本音を心から聞きたがっているのでないかと確信したのである。
従って、こうした境地に候補生とともに純粋に共鳴し、武人としてのあるべき姿を真摯に語り継ぐためには、教育者たるべき者は、常日頃から、武人の本質を見つめ、常在戦場たる緊張感を保持し、真摯に職務を遂行してしていなければならない。知覧研修は、「人間の生や死とは何か?」を朴直に問いかけてくるため、非常に重く、極めて難しい教育である。恐らく、こうした疑問に答えるためには、哲学的思想と経験に基づく理念と持論を有する必要性があるし、こうした理念等を実行に移す知行合一的態度とプラグマティズム的実践力が必要不可欠である。また、幹部たる者、教官たる者はそうあらねばならないと思料する。
しかしながら、「本質を無視した日和見主義と前例踏襲主義を排し、星雲の如き志と問題意識を持って、より良い方向に常に改善させてゆく、より良い教育を常に追求し続ける」というチャレンジ精神と情熱を堅持している教官であれば、いずれ仕事の最高の報酬たる「献身と喜捨」の境地に至るであろうから、たとえ未熟であっても、たとえ知覧研修を引き合いに訓導できずとも大丈夫であろう。
何故なら、候補生達は、教官の生きる姿勢が発する言外の意と英霊が語るメッセージをだぶらせることができるからである。教官が言葉にできなくても、また言葉にしなくても、その意図するところが以心伝心のうちに伝わり、候補生達は、その答えが何なのかを暗黙の内に憧れを伴って知るのである。
「あァ〜、この教官と特攻勇士達の義に生きる肚決めと清廉高潔さはよく似ているなァ...教官のような幹部自衛官を目指して、この道で頑張れば、自分自身をもっともっと人間的に成長させ、あのような境地になれるのではないだろうか。よし、この道に、自分の生き甲斐と人生を賭けてみよう!」と。
義に生きんと決すれば 煩悩脱して山紫水明の如し
弱き心に不動の剛勇生じしや ありがたき
元のページに戻る。