久々の更新になります。今回は、萌えキャラの公認が取り消されたり、電車で見かけた女の子をモデルにした絵のツイートが削除されたり、学者の高史明氏がプチ炎上したりと、「オタクVSフェミニスト」案件が続いたので、反ネトフェミを掲げる僕がそのことについて書きたいと思います。
まあ、フェミニスト達のやり口が何故気に入らないかは「良い子ちゃんについて」で書いてはあるんですけども、今回の事例に沿って再度書くことにします。
メインに取り上げるのは学者の高史明氏がプチ炎上した案件です。ただ、はじめに一応断っておくと、高氏は『レイシズムを解剖する』という本を出していることからもリベラル側の立ち位置であることが分かりますが、フェミニストではありません。今回たまたまtwitter友達のフェミニスト的ツイートに同調してしまっただけですが、そのせいで結構痛い目を見たようなのです。
その原因となったのが、映画化した『バクマン』の原作にあるこちらのページ。
この台詞をフェミニズム的に批判したツイートをしたところ、なんかタコ殴りにあったみたいなんですよね。暫くクソリプの爆撃を受けていることが推し量れる不快感をあらわにするツイートを投下した後に、あらかじめ貼っておいた予防線と対応するリプライを引用リツイートし、事実上負けを認めた形で話を強引に終わらせていました。
では、今回の騒動では何がオタクの逆鱗に触れてしまったのでしょうか?
それは、フェミニストの「独善性」です。
この台詞を言ってる「シュージン」というキャラクターは『バクマン』の主人公のひとり。斜に構えたひねくれ者で、相棒の「サイコー」と共に、邪道な王道漫画で目標とする天才漫画家と張り合っていくストーリーが軸になっています。この理屈っぽく捻くれて所謂「中二病」を思わせる台詞には、「シュージン」のキャラクターが如実に現われているわけです。
今回フェミニストはこの台詞に噛み付き、高氏はそこに同調しました。
これがもう、独善的なんですね。
まず、大前提としてこれは作者が作品を通して表明したい主張ではないということです。高氏の指摘どおりシュージンがこの認識のせいで痛い目を見るようなエピソードはないものの、後のヒロインの役回りを見れば作者の主張を代弁しているわけではないことが分かります。
つまるところ、この台詞は「シュージン」という斜に構えた偏屈のキャラクターを読者に印象付けるためのものなのです。フリーザが残忍で恐ろしいキャラクター性を印象付ける為にナメック星人達を涼しい顔で殺していくのと同じです。
漫画的に見れば、このシーンに噛み付くことは「悪役の悪行が許せない」という次元と同じです。漫画読みから見ると、そういうことになります。
しかしフェミニストはこれが許せない。自らの正義、信望している主義主張に反する。それを以って、漫画そのものの事情を考慮せず、読み込むこともせず、一方的に悪と断じ独善的に否定してしまう。
そしてネットやSNSではそれを簡単に拡散できてしまう。特にツイッターはリツイートがあるから広まりやすい。ここで対立が生まれます。どちらが悪いのかは一目瞭然でしょう。
ではどうすればいいのか、それはきちんと住み分けをすることです。それができないから、オタクの中に反フェミニストを掲げる層ができあがるのです。
そもそもオタクとは、クラスで立場が弱かった者が辛い現実を何とか乗り切るために、仮想世界に救いを求めるのが本来的の正当なる生まれ方です。近頃は自らオタクを選択し、人生もオタクも楽しんでまーすといったようなフザけた紛い物が増えていますが、本来のオタク文化は集団からはじき出された日陰の民が集まって作った安息の地だったのです。
社会や異性交友の場から排斥された者たちが、自分たちが自分たちの仲間内だけで楽しめるようにやっていたものがオタク文化だというのに、そこに身勝手な正義を振りかざしたフェミニストが「お前たちは悪だ!私たちの主張こそ正義!正義を受け入れよ!」と攻め込んできては、怒るのも当然です。
フェミニストは漫画を読むな、アニメを見るな、ゲームをやるな、住み分けをしろ。
これが僕の主張であり、この問題の最も平和的で負担の少ない解決策です。所謂「嫌なら見るな」の問題。こちらの文化に目を向けなければ不快になることもないし、内輪で楽しんでいる我々がフェミニストに害をなす行動をとることもありません。
(まあ、図に乗っている前述の"オタクの紛い物"がオタク文化を必要以上にプッシュする場合はありますが)
そして、何も全く触れるなとは言いません。『進撃の巨人』とかが見たいのであれば、不快にならない範囲でフェミニストも見ればいいと思います。ただし、不快であったなら文句をつけずにそっと手を引き、仲間内だけの外に出ない場で文句を言うこと。マンガを読むフェミニストには、我々の文化を尊重し主張を押し付けないことが求められます。
それをせずに正義面して独善的な干渉をしてくるから、(弱者としての)オタクはフェミニストを嫌います。それは最早我々の安息の地に対する侵略に等しいからです。
自治体が公認した萌えキャラが問題になった件については、冒頭の画像のようなクソキチPTAみたいなババアはともかく、モチーフとなった文化を守り受け継いできた当の本人たちが嫌がっているなら公認は取り消したほうがいいんじゃないかという立場です。
なので、実際に公認が取り消されようが憤りを覚えることはありません。
しかし、以前「擬人化というといつも若い女性になる」と怒っていたツイッターのババアアカウントのような一方的な言いがかり、オタクに対する侵略は許しません。嫌なら見るな。関わるな。俺たちはひっそりと暮らしたいんだ。
電車で見かけた女の子の絵を批判したコラムニスト?についても同じです。
描かれた本人が自分だと分かる、通っている学校や使っている駅が特定できる、といったものであれば他人に迷惑がかかっているので上記の理屈は通じませんが、十分にデフォルメされてその問題がクリアされているならば、オタクが勝手に内輪で楽しんでいるだけで、文句を言われる筋合いはありません。
僕は絵が描けないし、萌え絵を眺める趣味もありませんが、学校の集団や異性交遊の場から排斥されてオタクになった身として、自分達で生み出しておいて正義を気取って悪者にするんじゃねえ!!という激しい怒りを覚えます。
そしてこの、「電車の女子高生イラスト」を批判したコラムニストの一件からわかることがあります。オタクとフェミニストの戦いの中には、本来ありえないはずの大きな大きな矛盾があるのです。
コラムニストは、記事の冒頭から自身の男性嫌悪を全開にしていました。絵に描かれた女子高生の気持ちなど本心ではどうでも良く、男性への恨みだけでオタク(記事では成人男性)を攻撃しているように感じました。
そう、フェミニストは男性が嫌いで、本心では男性を叩きたいだけなんでしょう。
本来フェミニストは、男性が社会的に強いからこそ、女性を優遇し、権利を勝ち取り、男女平等の社会を実現しようという理想を掲げる存在であるはずです。しかしながら、ネットで見かけるフェミ連中は社会的に強い男性とはあまり戦おうとしていないように思えます。せいぜい恋愛工学の下っ端の揚げ足取りをする程度。
そのくせ連中はオタクには強気です。『バクマン』を叩き、擬人化を叩き、自治体のキャラクターを非公式にさせ、絵をアップしている人をボロクソに攻撃して絵を削除させた。オタクに対しては強気に出ます。
前述のとおり、元々オタクは社会から排斥された人が集まってコミュニティを作ったのが始まりです。そのような人達は特別運が良くない限り(運のいい奴は死ね!)、恋愛至上主義社会で幸福にはなれません。尊厳も取り戻せません。完全なる弱者です。
そして、「男根主義」などという言葉を作り出して使用しているようなフェミニストが、恋愛至上主義を、そしてその弱者たるオタクを、把握していないなどということはあり得ないはずです。
つまり、男性が嫌いだけど社会的強者の男性にいつまでたっても敵わないネットのフェミニストは、とりあえず男性を叩くという欲求を満足させるため、一応男性ではある弱者のオタクを、弱者と認識しているが故に叩きに来ているわけです。
「叩きやすいから叩く」「叩きたいから叩く」。これら悪の行動原理を覆い隠す為にフェミニスト的な主張が使われ、自分たちの生存を脅かさない本来住み分けるべき異文化に対して侵略行為を働いているのでしょう。
つまり、フェミニストは悪。
やっていることはDQNと変わりません。だから、迫害経験があったり恋愛至上主義化で尊厳を蹂躙されたタイプのオタク達の中から、自らの存亡をかけてフェミニストを抹殺しようと立ち上がる者が現われるのです。
高史明氏は以前に、「自分はフェミニストとは距離を置いているが、実際のところフェミニストと呼ばれる人達は世間一般より弱者男性のことを気にかけている。それなのに、何故か美人をよこせとか言い出すから話がおかしくなる。」というようなツイートをしていましたが、ここまでくればこれが誤りだということもわかるでしょう。
フェミニストが弱者男性に気を向けるのは、上から目線で叩けるからです。気にかけてもハナから救うつもりはなく、男性相手に溜飲を下げる為のスケープゴートとしか見ていません。
叩かれる側はそれを感じ取っているから、「自分たちに関わるな。救う気もないくせに。偉そうに文句をつけてくるなら俺たちを救え。その気がないのなら関わろうとするな。」という意味をこめて「だったら美人をよこせ」と言うわけです。
以上より、悪いのは独善的に正義を振りかざし弱者に干渉していくフェミニストだということが分かってもらえたと思います。
フェミニストには本来の強者男性との戦いに集中し、オタク文化に触れることもせず、上から目線で恋愛弱者男性の言動を批判することもせずに、女性の権利を勝ち取ってもらいたいものです。