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社工(しゃこう)

筑波大学の社会工学」についての書き散らしです. 公式サイトには載らないような内容の充実を目指して2015年ごろから書き始めましたが,一向に進みません. 公式サイト,Annual Report,その他公刊された出版物をはじめとした信頼性のある資料を事実関係の典拠として用いていますが,複数の文献間でしばしば生じる齟齬や不正確な記述,また黒田の誤認によって,不本意ながらも虚偽の内容が混入している可能性があることにご注意ください. 主観的で偏った記述も含みます.

概要

社工―筑波大学の社会工学―は,「社会工学類(理工学群)」・「社会工学専攻(大学院システム情報工学研究科)」,および対応する教員組織「社会工学域(システム情報系)」から成ります. 一定程度認知・使用されている「社工」以外の略称としては SK(ShaKo), PPS (Policy and Planning Sciences), POPS (POlicy and Planning Sciences), しゃえ(「社」音読み+「工」仮名)などがあります.

社工の誕生は1975年の社会工学系設立まで遡り,1977年に社会工学類の第一期生が入学して本格的な教育活動がはじまりました. その後幾つかの改編や改組を経て,学類は「理工学群社会工学類」として,大学院は「システム情報工学研究科社会工学専攻」として運営されています.

社工は3つの分野,すなわち社会経済システム(社経),経営工学(経工),都市計画(都市)の3つの専攻に分けられており,単位取得や研究室配属などの場面で専攻による制約が生じます.

「社会工学」とは

詳細は以下の文献を参照されたい.

東京工業大学の社会工学専攻・社会工学科は 「社会工学とは何か」 で “社会工学” を説明しています.

工学を単純に社会に適用した考え方、科学技術をセキュリティーや安全、安心の向上に利用したもの、あるいは土木や建築を足して2で割ったもの(中略)では全く有りません。
(中略)
社会工学は社会の問題を人類の知の集大成された哲学を基本として多様な側面から深く考え、最も適切な方法で解決する学問です。したがって哲学なき社会技術とは根本的に異なります。

その他,様々な定義や説明がなされてきました.

社会工学は,複雑に絡みあう社会現象を様々な視点からとらえ,工学的・実践的・戦略的に解決するためのシステムをデザインすることを目指す学問
- 腰塚武志による序文 『社会工学が面白い―学祭学問への招待』 筑波大学社会工学類編,開成出版,iii,2008.
現代社会の多様な問題を客観的・数理的アプローチで分析し、解決することを目指す挑戦的な学際分野
- 社会工学専攻 「教員代表挨拶」
さまざまな社会現象を,社会という一つの有機的なシステムの中で相互に関連し合っているものとして,その因果関係をシステム工学的に追求していこうとするものである(244頁)
- 林雄二郎 「終章 社会工学―これからの課題」 『社会工学―社会システムの理論と応用』 筑摩書房,243-250,1971.
社会工学は,社会システムを工学的に体系づけようとする学問,あるいは,社会システムをシステム工学的に体系づけようとする学問である
(中略)
社会工学は,まずシステムとは何かを明らかにし,ここから社会システムとは何かを解明し,その社会システムの研究,設計,運用にシステム工学的手法の適用がどのように可能であるかを検討し,これら一連の考察を体系づけることである(38頁)
- 片方善治 「第一章 社会システム」 『社会工学―社会システムの理論と応用』 筑摩書房,37-72,1971.
Social Engineering is an academic field of study to construct a theory to resolve various social problems by means of physical, social and institutional approach with special emphasis on step by step or piecemeal (after K. Popper) improvements based upon the two directional planning and designing experiences of the reality.
- 肥田野登 「社会工学とは?」 1996.
社会工学は従来タテ割りであった社会科学の諸領域(法学,政治学,社会学,経済学,経営学)とは対立し,行動科学,文化人類学,情報科学,科学技術政策,等を含むより広い研究領域を対象とし,これに学際的ないし超学際的手法で問題解決型の接近を行う新しいタイプの学問領域で,すでにカール・ポッパーやロスコー・パウンドの提唱から半世紀の歴史が流れている.(13頁)
- 宍戸駿太郎 「序論 二十一世紀への社会工学―いくつかの問題提起」,『社会工学概論・上』 学陽書房,3-17,1987.
(社会工学の特色の)第一は学際性であり,社会科学の諸領域とその隣接領域をも加えた広領域の科学であって,社会システムに関する基礎的分析や行動科学的分析が共通の基盤を形成することにある. 第二は政策指向性であって,旧来のたて割型の経済政策,行・財政政策,社会政策等と異なり,むしろこれらを包括した「政策科学」ないしは「計画の科学」としての斉合性を持った政策体系が中心となり,この枠の中で目標と手段の関連についての分析が行われることにある.(87-88頁)
- 細野昭雄 「11 国際開発への社会工学的接近」,『社会工学概論・下』 学陽書房,85-97,1987.
社会問題の解決努力という文脈においてみるならば,社会工学は,現代社会に広範に見られる「社会計画的な志向」の中で,一つの特殊な位置を占めている. 広義の社会計画的な志向とは,さまざまな社会問題を,社会システムの構造と作動原理についての科学的知識になんらかの程度において依拠しつつ,社会システムの制禦という志向をもって,解決したり未然に防止しようとする努力の総体として特徴づけられよう. 社会工学とは,広義の社会計画的志向の中でも,社会問題の解決を,工学的問題解決と同型的な領域仮説 (domain assumption) に基づいて行おうという立場である.(40頁)
- 舩橋晴俊 「社会工学の領域仮説と限界問題」,『社会労働研究』,27 (2),39-61,1981.

日本において“社会工学”を冠する組織は東京工業大学の理工学研究科社会工学専攻(1966年 - )を嚆矢として幾つか設置されましたが,日本社会はもとより学術界においても十分には認知されておらず,挙句日本における社会工学の第一号である東工大の社工は2015年度をもって….

来歴

詳細は以下の文献を参照されたい.

発足

1973年10月,のちのつくば市となる茨城県新治郡桜村に筑波大学が開学します. 70年代の大学紛争から生み出された“新構想大学”「筑波大学」は,その特色として (1) 学群・学系制度の導入,(2) 新しい大学自治,(3) 開かれた大学 を掲げていました. 遅くとも同年9月に示された「筑波新大学創設準備会」の報告(通称「青表紙」)では,筑波大学全26学系の一つとして社会工学系が定められ,学際性と政策指向性を大きな二つの特色とされていました.

1975年には教員の研究組織である社会工学系(当時の英称は Institute of Socio-Economic Planning)が設立されます. 第一陣で着任したのは,宍戸駿太郎,福地崇生,目良浩一,渡辺浩,大西治男,和合肇の計6名の先生方でした. 宍戸先生は筑波大学社会科学系から,福地先生は国際基督教大学から,目良先生は(財)国際開発センターから,渡辺先生は東北大学から,大西先生は京都大学から,そして和合先生は日本経済調査協議会からの異動です. 初代学系長を務められたのは宍戸先生でした. 当時は第三学群の学舎がなかったため,体育芸術学群棟が拠点だったそうです. 6月には7人目の教員となる丹羽冨士雄先生が西ドイツ原子力研究所(西ドイツ・カールスルーエ原子力研究所?)から異動してこられます. 七人の侍の略歴を示します. 宍戸先生が島田勘兵衛ということになるのでしょう.

  1. 宍戸駿太郎 - 東京帝大(旧制)を1947年に卒業. 行政管理庁,通産省,Harvard Economic Research Project (HERP),経済企画庁などで活動し,1974年に筑波大学着任,翌95年より教授として社工へ. Hollis B. Chenery らとの共著で Econometrica 30(1):98-139, 1962 に業績を持つ. その後,筑波大学副学長,国際大学学長,筑波大学名誉教授,国際大学名誉教授となる.
  2. 福地崇生 - 日本語版Wikipedia「福地崇生」を参照. 経済企画庁時代の上司が宍戸先生だったらしく,その後宍戸先生の説得により教授職で社工に着任.
  3. 目良浩一 - 戦時中に韓国で生まれる. 東京大学では建築家・丹下健三先生のもとで学び,修士課程を終えた年の夏にフルブライト留学生として渡米しプリンストン大学で過ごす. その後ハーバード大学に移籍したが,当時在籍していた研究科の研究科長は William Alonso,目良先生の論文指導教員は John R. Meyer であったという. 1965年に学位を取得し(参照:Dissertation: Harvard U., 1965),ハーバード大学講師・助教授,世界銀行,国際開発センター主任研究員などを歴任. その後,教授職で社工に着任. 現在では歴史問題に関する活動も行う(参照:産経ニュース 「目良浩一さん「米国に蔓延する『慰安婦=性奴隷』説は大きな障害」」 2015年8月4日).
  4. 渡辺浩 - 東京大学を1952年に卒業し,東京工業大学,東北大学,統計数理研究所などを渡り歩く. 教授ポストで着任. 筑波大学の生命環境系にいらっしゃった「渡邊浩」先生(1989年に名誉教授)とは別人. 社工の渡辺浩先生は1992年に筑波大学名誉教授.
  5. 大西治男 - 1965年に京都大学を卒業し,フルブライト・プログラムによりイリノイ大学に留学して1973年に農業経済学でPh.D.を取得する. 京都大学に奉職したのち,助教授として社工に着任.
  6. 和合肇 - 早稲田大学大学院を卒業. 講師として社工に着任. その後,富山大学,新潟大学,名古屋大学,京都産業大学で教授職を歴任.
  7. 丹羽冨士雄 - 1942年,中国北部に生まれる. 1966年に東京大学を卒業,1970年に西ドイツに渡独. 助教授として社工に着任. 以前から宍戸先生と面識があったらしく,宍戸先生が引き抜いた模様. その後,政策研究大学院大学などで教鞭をとる.

宍戸先生に関する以下のような言及も確認できます.

そして,この研究部局は,元経済企画庁のテクノクラートであったところの宍戸駿太郎学系長によってリードされる. 宍戸教授(理論経済学,経済政策,計量経済学,社会工学)は,昭和四九年四月に筑波大学教官に就任するまでは,経企庁審議官というエリート官僚であった.
(中略)
大学中枢部の信任があつく,いまや筑波大学の “目玉” ともいうべき「社会工学」という耳新しい研究・教育部門の設営は,彼の力によるところが大きい.
(中略)
筑波大学には,国際問題関係の第四学群の設置の構想もあるが,それは,宍戸ラインによって進められて居るときく.(186-188頁)
- 長須祥行 「第5章 首領とその教官たち」 『筑波大学―新構想は何をもたらしたか』 現代評論社,1980.

初年度の主な研究活動は,1974年度の社会科学系共同プロジェクトから引き継がれた「プロジェクト研究―公害制御についてのマクロ分析」や,2010年代現在も続く「各種の社会・経済統計のデータバンクの作成」などでした. 同年7月に第一回目となる社会工学系研究会が開かれ,福地先生が発表されました. 12月には Institute of Socio-Economic Planning Discussion Paper Series No. 1 が発刊されます. 記念すべき第一号は,宍戸先生と経済企画庁の星野進保先生による "Economic Planning Techniques in Japan" と題する55ページにわたる論文でした. ちなみに No. 2 も宍戸先生の共著論文です.

社会工学系の設立と同時に,大学院博士課程社会科学研究科に計量計画学専攻(Quantitative Policy Analysis)が発足します. 計量計画学専攻の編入学試験が4月に行われ,翌5月には大学院の入学式が挙行され,授業が開始されました(入学定員6名). 当初の計画によれば「社会工学研究科」として発足する予定だったそうですが,なぜか「社会科学研究科」を構成する下位組織として設置されました(Annual Report によれば「時期的な配慮から」だそうです).

1976年,おそらくは7月前後と思われますが,年次報告書に相当する "Annual Report 1975-1976 No. 1" が発刊されます. 当時は現在と異なり,研究の具体的な内容や学会発表時の討論内容,さらには着任した教員の自己紹介までが含まれていました.

1976年,修士課程である大学院経営・政策科学研究科経営政策科学専攻が筑波キャンパスに発足します(定員20名).

同じく1976年,第三学群設置のための準備委員会が作られ,内部からは宍戸先生などが参加しておられました. 社会工学類設立のための準備委員会には,大阪大学の筑井甚吉先生や,地域計画連合(民間コンサル)の小島重次先生などがおられました. 小島先生が委員となられたのは社工に着任する前で,外部識者としての参画だったようです.

1977年,第三学群(別名「経営・工学群」)の創設とともに社会工学類が設置され,4月19日に第一期生116名が入学しました(定員120名). この時点での教員(国立大学の法人化前なので正確には「教官」)は23名です. 教員のほとんどは東京教育大学以外の教員で,多くは学士の入学と同時に着任したのだそうです. 初代学類長の倉谷好郎先生は新入生のオリエンテーションで以下のように語ったそうです.

第三学群は,その教育理念と,新設学群としての革新的気概において筑波大学の目玉であり,社会工学類は,第三学群の目玉であるので,社会工学類は,筑波大学の大目玉である.(172頁)
- 倉谷好郎 「社会工学類の発足」,『筑波大学十年史〈回顧篇〉』,172-173,1984.

当時は校舎の建設中だったらしく,第二学群棟の仮学舎を使用していました. 現在の主専攻に相当するものとして「一般社会工学」,「経営工学」,「都市工学」の三つが存在しました. 倉谷先生は社会工学類の特徴を以下のように語っています.

社会工学が,政策指向型の総合社会科学であると,その本質を規定して,教育理念として,高度の理論に裏打ちされた実証主義 (Empiricism) を掲げ,社会経済データバンクの整備,学類専用大型計算機,社会行動実験室その他の実験設備の充実をはかり,我が国は勿論欧米先進国を通じて,極めてユニークな教育プログラムの開設を目指して努力を行ってきたのである.(172頁)
- 倉谷好郎 「社会工学類の発足」,『筑波大学十年史〈回顧篇〉』,172-173,1984.

ちなみに「学群」という名称をはじめて使用したのは筑波大です(出典:日経「大学で増殖する造語、「学群」「学域」「学環」って?」2015年5月6日).

1977年の第三学群創設時は,社会工学類のほかに情報学類と基礎工学類(のちに工学基礎学類を経て現・応用理工学類となる)をあわせた計3学類で発足しました. 1983年には国際関係学類(現・国際総合学類の前身),1991年には工学システム学類が開設されます. 正確にはもう少し複雑なため,理工学群の公式サイト「学群の歴史」をご覧ください. 社工の関係組織である環境科学研究科(修士課程)が発足したのも1977年4月でした(内部からは社工のほかに自然,農林,生物学類の進学先の一つだった).

1977年11月,学内連絡バスの運行が始まります. 当初は8:30-17:15に15分間隔で運行しており,区間は大学本部棟前から大学附属病院までとなっていました(一の矢までは行かずに,現在の「第二エリア前」を経由するルート). なお2005年8月からは新学内交通システムの運用が開始され(TXの開業と同日),関東鉄道バスの路線バスを使用することとなります. この検討プロジェクトチームの主査を務めたのは,社工の石田東生教授でした. 詳細はWikipedia「筑波大学キャンパス交通システム」をご参照ください.

1978年,社会工学研究科(Doctoral Program in Policy and Planning Sciences)が開設され,すでに発足していた計量計画学専攻(社会科学研究科・博士課程)を傘下にし,これに加えて都市・地域計画学専攻(博士課程)が新たに設置されました.

1978年度初めには第三学群棟や工学系学系棟の工事が終わり始め(完成は1979年3月),教官室,教室などが移転してきます. 年度末には第三学群B棟も完成します. また,同じく1978年8月には,新制度である帰国子女の入学選考が行われ,2名の学生が社会工学類に入学しました. この制度は現在でも続いています.

1979年,社会工学研究科に経営工学専攻(博士課程)が加わります.

遅くとも1980年頃から,東京工業大学の社会工学科や東京大学の都市工学科と比較して教官積算校費単価が軽実験扱いのために低く,これを重実験化するべしとの意見が継続的に出ていました. 東工大・東大では実験講座単価となっていたため,軽実験扱いの筑波は相対的に低額だったようです.

1980年には統一教会に傾倒していた福田信之先生が学長に就任し, 1983年に発足した国際関係学類(現・国際総合学類)でも統一教会系の人物や核武装論者などが教員に就任するなど筑波大学は大いに騒がしかったようですが(出典:朝日新聞「筑波大の国際関係学類 どこか偏った感じの教授陣(真相・深層)」1984年9月1日3頁),社工周辺ではそのような物騒な話もなかったようです. 社工発足当初に名を連ねた経済学者の先生方も,近代経済学の方ばかりでした.

一方で,学問の計量化によって “学問の右傾化” を進行させているとして,社工や情報学類が槍玉に挙げられたこともあります. 筑波大学で教員を務めていたことのある経済学者の降旗節雄先生は

文部省=大学の姿勢が,従来の人文・社会科学を可能な限り縮小して,社会工学系の飛躍的拡大を狙っていることがうかがえよう. では社会工学・情報学類とは何か. 学生へのガイダンス資料によると「社会工学類は狭義の社会工学(公共セクターを対象)に経営工学(民間セクター)を加え,いずれかの部門の計画企画調査部門で計画業務に従事する有能な人材を養成することを目的と」するとされ,その内部は社会・経済計画,経営工学,都市計画の各専攻に分かれる.
(中略:情報学類の説明)
要するにコンピュータを使い,国家や企業の経営政策にそうプランやモデルや統計づくりに習熟した技術者の養成機関ということになろう. かつて大学は,真理を追及する学問の研究と伝達の場であるとされ,その成果の企業や国家での利用が産学また政学協同として可否を議論された. しかし現在は全く違う. 学問そのものが最初から国家ないし企業によってしか利用できない「論理―セオリー」と技術の集積にすぎず,学生はテキストによって専門用語と分析手法を習得し,コンピューターで練習問題を解くことによって「計画業務に従事する有能な人材」として仕上げられるのである.
(中略:新設される国際関係学類について)
計量分析・社会工学の全面支配をめざして,学部・学科のスクラップアンドビルドが強行されているのである.(90-91頁)
- 降旗節雄 「I 筑波大学とはなにか,4. 右傾化の構造と論理」 『筑波大学―開かれた大学の実態』,三一書房,1983.
「社会科学の一分野に,標準教科書なるものが存在し,〈訓練〉によって一人前の社会科学者が〈養成〉され,しかも養成された専門家たちが巨大な職業集団を構成する」という「一昔前の日本では想像もつかないこと」(佐和氏)が一九五〇年代のアメリカで進行し,一九六〇年代から日本に輸入されるようになった. 文部省の肝いりで,それを組織的に実現しようとしたのが,筑波大の社会工学類・情報学類であり,これをモデルにして経済学の制度化は現在多くの国立大の経済学部に拡大しつつあり,(後略)(93頁, Ibid.)
[引用者注:佐和氏とは経済学者の佐和隆光先生を指す]

と述べています.

1984年6月,社会工学類としてはじめてやどかり祭に参加し,模擬店を出店したようです. 期間は不明なものの,この頃には社会工学類として学園祭(第一回は「紫桐祭」として1975年に開催.翌年からは「雙峰祭」として開催)にも参加し,各クラスで模擬店を出店したり,学術企画として実習作品の展示や社会工学に関連した研究発表なども企画されていました. ちなみに1979年の筑波大学は,学生が無許可集会を繰り返し行う,学園祭実行委員の主張(主に,企画内容審査拒否と顧問教官制廃止)が大学側に受け入れられず,学長への直接交渉を求めて学生が本部等に座り込む,学生呼び出し等への抗議として当時の基礎工学類長を深夜2時まで拘束する,これに関連した無期停学を含む学生処分と,その告示を持ち去ろうとした学生の現行犯逮捕,等々,大変に物騒でした. そのために1980年は学園祭が中止となり,自主学園祭(幻の学園祭)が開催された,という歴史があります. 翌1981年には再開しますが,1984年は再び中止され,翌1985年からは現在に至るまで毎年開催されています.

1985年2月,『社会工学類誌』 Vol. 0 が発行されます. 同年7月,学類誌の正式名称が決まり "SOCIO-TECH" として Vol. 1 が発行されます(実質的には第2号). Vol. 1 最初の記事は社工の新入生に向けたPC入門者向けの記事「やさしい(?!)コンピューター講座」,2つ目の「平砂悲惨物語」は天久保にある平砂学生宿舎の不快さを余すことなく伝える記事となっています. 以後,多い時では月1-2回ほどのペースで発行されました. 主な内容は,社工に纏わる時事ネタ,社工教員へのインタビュー,「学園祭問題を考える」(連載),「東京人による私の東京マップ」(連載),「私のいばらき」(連載)などの正統的な内容でしたが,中には「ためになるアイドル教室」と題する日本の女性アイドルを取り上げた連載記事も掲載されていました. また,このページにタイトルを記載することすらためらうような内容の記事も含まれていました. この当時は,大学の大半の学類が学類誌を発行してたようです. 2010年代にも残っている歴史ある学類誌は,情報科学類誌 『WORD』 (1979年創刊)と社会学類誌 『そおしあ~る』 (1981年創刊)くらいです. 近年では,知識情報・図書館学類誌 『MILK』 が2011年に発刊し,情報メディア創成学類誌 『MAST』 は2015年よりWeb形式に移行しました.

『筑波大学30年史年表』によれば1978年5月に社会工学類誌 『海嘯』 (おそらく「かいしょう」と読みます)が創刊されたことが記されているのですが(p. 106),詳細は不明です. また1980年には社会工学類ミニコミ誌 『快翔』 が発行されていたという情報もありますが(Ibid., p. 120),こちらも詳細は不明です.

10周年を迎え,安定期へ

1985年6月,3F棟に飛び降り防止の網が設置されます. 理由はお察しください.

1985年12月,設立10周年を記念して筑波大学で記念シンポジウムが開催されました. シンポジウムは,第1部会「国際社会と日本―21世紀への国際政治・経済課題」(司会:宍戸先生,加藤先生),第2部会「21世紀の日本的経営システム」(司会:高柳先生),第3部会「21世紀の都市・地域政策」(司会:坂下先生),第4部会「新しい総合社会システム論」(司会:山田先生)の4領域に分けられ,発表と討論が行われました. 1987年には参加者による論説20本が収録された 『社会工学概論―21世紀への問題提起』 が出版されましたが,この時すでに社工を離れていた倉谷先生はこの書について「社会工学研究者の恐らく世界でも最大の集団である筑波大学社会工学系の教官を主体とする今回の労作」としながらも,

社会工学的視点はその参加者によって認識されているものの,その総合的学問の特性である学際的研究の成果がここに提示されているとは思い難い点もある. たとえば先述の20編の力作がことごとく単著で,社会工学を志す研究者の研究報告としては若干奇異な感じもする. 社会工学の研究成果として収録するとすれば,各々その学問的背景を異にする集団が1つのcoherentな集団として具体的事例を中心に共著による正に学際的な研究成果を披露すべきではなかったろうか.
(中略)
社会工学はモザイク的な社会科学の集合ではなく,その方法論としては社会システム論があり,しなやかなシステム論があるとすれば,その構築されるべき全理論体系をあらためて明示し,これを強く主張すべきであろう. 今回シンポジウムとそれをベースにした本書はあるいはその方向への努力の成果を示す1つのマイルストーンをめざしたものと言えるかもしれない.
- 倉谷好郎による書評(NAID:110001187524).『オペレーションズ・リサーチ―経営の科学』 32(7):495,1987.

と評されています.

1988年,筑波大学で初となる寄付講座「山一證券ファイナンス講座」が開設されます. メインは経営・政策科学研究科(修士)だったものの,学類でも授業が開講されました. 寄付金は5年間で1億2500万円. 先方の意向は「金は出すが口は出さない,ただし超一流の人事をしてもらいたい」というものだったそうです(柴川先生談.SOCIO-TECH Vol. 18 参照).

同じく1988年,やどかり祭のための神輿を作る「社会工学類神輿を作る会」(企画委員会に相当)が発足しました. かつて存在した "Socio-Tech-Omaturi-Project" (参照元の原文ママ)を源流とするそうです.

1989年4月,夜間修士課程となる経営・政策科学研究科経営システム科学専攻が文京区の大塚キャンパスで発足します. 翌1990年には同じく大塚キャンパスに企業法学専攻が設置され,これに伴って筑波キャンパスの研究科は経営・政策科学専攻となり,経政(科)が経政(専攻)・経シス・企業法学の3専攻を擁する形式となります. 1996年には夜間博士課程となる経営・政策科学研究科企業科学専攻が発足します. 学位として,修士(経済学),および修士(経営科学)を取得することができました. 一方でこれら課程のための新規教員採用は少なく,大半は「筑波キャンパスから振替/協力」という形であったため,東京教育大学(筑波大の前身)の跡地への移転計画においては「多大な苦労と犠牲を払って東京から筑波に移転したのに,なぜ東京に新教育組織を作るのか,なぜ筑波地区の教育組織が犠牲を払って東京に作らねばならないのか」という疑問も呈されたとのことです(『筑波大学30年史稿』 p. 58).

この頃の社経は研究面でとりわけすぐれた業績をあげていたようです. 朝日新聞社の「大学ランキング」によれば,筑波大学所属者の1989年と1992年における一流経済学雑誌への論文掲載数が東大,阪大に次いで3位になっていたのだそうです(過去の学類公式パンフレットより).

1992年4月,関連組織となる国際政治経済学研究科(博士課程)も発足します. 1992年度,初となる工業高等専門学校(高専)卒業生を対象とする編入学試験が実施されました. この制度も,現在でも続いていますね.

1995年12月,社会工学類に対して外部評価が実施されました. 委員長を務められたのは東京大学名誉教授の近藤次郎先生です.

1996年には,経営・政策科学研究科(経営システム科学専攻)の修士課程修了生が「自分のアイデアの論文なのに筆頭の著者名をすり替えられ、名誉を棄損された」として同研究科の教員らを相手取って訴訟を起こしました. 同年7月に東京地方裁判所は原告の主張を認める判決を下しています(出典:朝日新聞 「論文著者順位、『変更は不法』 東京地裁判決」 1996年7月31日朝刊 p. 26; 「論文差し替え裁判 筑波大学に賠償金支払い命令」『筑波大学新聞』第136号、1997年4月10日; 日本ユニ著作権センター 「学会誌著者順序入れ替え事件」).

1997年4月,社会工学研究科に博士課程として計量ファイナンス・マネジメント専攻が加わります. さらに,従来の3専攻(計量計画学,経営工学,都市・地域計画学)は社会経済システム専攻システム情報数理専攻(SIM),都市・環境システム専攻にそれぞれ名称を変更しました.

大学院重点化による研究科の部局化と学系の幕切れ

2000年4月,理工系大学院の改変に伴って社会工学研究科は新設されたシステム情報工学研究科に再編されました. 再編により,農学/生物科学/地球科学/数学/物理学/化学/工学/社会工学の8つの研究科から,生命環境科学研究科,数理物質科学研究科,システム情報工学研究科の3組織となりました.

2004年4月,筑波大学が国立大学法人になってシステム情報工学研究科は部局化し,社会工学系は組織評価・企画提言を行う組織へと変更されます. これにともない,社会工学系に所属していた教員の多くが社会システム・マネジメント専攻の所属となりはじめます. ただしこの時点で「学系」自体はまだ廃止されていません. この年のAnnual Reportでは歴代の学系長がこの改編について所管を述べる節が設けられました. 2003年8月にこの世を去った坂下先生を除いた歴代系長が社工に対するそれぞれの想いを寄稿されているのに対して,越塚先生だけは,越塚系長時代に雷が鳴っているとかの理由で会議を休んだ先生の思い出話に終始するという誰にも真似できない自由さを見せつけておられました. 越塚先生の寄稿は「季節はずれの激しい雷雨があった10月のことであった.」で始まり,「後になって,その人は雷が激しくなったので帰ったのだという.よほど雷に恐怖をお持ちだったのだろうか.」で終わったのです. 何とも豪傑な方だったようです.

2006年に社会工学類30周年記念式典が行われ,初代学類長の倉谷先生より社会工学類の教育の発展を願った寄付によって基金が設立され,ここから倉谷賞が授与されることとなりました. 2006年度が第一回目で,社会経済システム1名,経営工学2名,都市計画1名の計4名に賞が贈られました. その後は各主専攻一名ずつになっています.

2006年,明治大学情報コミュニケーション学部元助教授F先生の論文に対して盗用が指摘され,翌2007年1月には盗用が認められて懲戒免職処分と相成りました(出典:朝日新聞 「明大元助教授の論文「全体の96%が盗用」大学が会見」 2007年1月30日朝刊 p.33). なぜこのニュースが社工に関係するかと申しますと,このF先生は2000年から2004年3月まで社工に在籍した人物で,論文盗用と同時に問題視された国費の不正受給は社工在籍中である2004年3月上旬にフランスから無断帰国したことが関係しています.

2007年4月,筑波大学が数字で分類する学群制(ナンバー学群,英訳は cluster of colleges)を改め,第三学群社会工学類から「理工学群社会工学類」になります.

2008年3月,開成出版より社会工学類編 『社会工学が面白い―学祭学問への招待』 が出版されます. この本はオムニバス形式で構成され,社工の教員26名それぞれが自身の研究対象における代表的なトピックのうちの一つを社会工学的側面から簡潔かつ平易にまとめたものです. そのため,社会工学とは何ぞやという問いに対する答えが明示的に示されているわけではなく,学部の一年生が授業の最初に聞くであろうお決まりのネタが一揃い集められた本,というイメージです. 表紙には「自由に社会好学してみよう」という文字がポップなフォントで配置されていますが,この語呂合わせが本体で触れられることは一切ありません. 執筆者を主専攻ごとに掲載順に敬称略で列挙します. 社工から離籍された方についてはカッコ書きで転出先等を記します(2015年時点). 半数以上の方はもう社工にはいらっしゃらないのですね.

  • 社会経済システムの先生方(10名) - 江口匡太(→ 中央大学),石川竜一郎,石井健一,秋山英三,藤井英次(→ 関西学院大学),原田信行,焼田党(→ 名古屋市立大学),橋本昭洋(→ 定年退職),中村豊,浅野皙(→ 定年退職,東京理科大学)
  • 経営工学(9名) - 三橋平(→ 慶應義塾大学),松田紀之(→ 定年退職),住田潮(→ 定年退職,慶應義塾大学),佐藤亮(→ 横浜国立大学),岡田幸彦,吉瀬章子,鈴木秀男(→ 慶應義塾大学),岸本一男,繁野麻衣子
  • 都市計画(7名) - 谷口綾子,吉田謙太郎(→ 長崎大学),小場瀬令二(→ 定年退職,練馬まちづくりセンター),吉田友彦(→ 立命館大学),斎尾直子(→ 東京工業大学),梅本通孝,村尾修(→ 東北大学)

2011年度(頃)の入学者から,社工での体育科目(必修・実技)に関する卒業のための履修要件が4単位から3単位に減りました. さらに,1980年度(1981年3月)から続いた筑波大学英語検定試験(いわゆる「筑波英検」)が廃止されます. ちなみに合格点は「TOEFL相当で約410点」(外国語センターの人文社会系・磐崎弘貞教授談)だったそうです. さらに余談ですが,当初はA-Dで評価されており(Dは不合格),初回の受験者数は1,600人,Aは46人,Dは約150人だったそうです. Aの42%が医学専門学群と生物学類であったたのに対して,芸術専門学群の学生はCとDのみで,基礎工学類と体育専門学群では20%程がD,という学類間格差もあったようです(『筑波大学新聞で読む筑波大学の40年』 p.47).

2011年10月,(学系を経て2004年ごろから)研究科に所属していた教員が,「系」に所属することとなります(全学レベル). 社シマ所属の先生方が所属する教員組織として,システム情報系社会工学域が発足します. 開学から続いた学系は,2012年3月末をもって廃止されました.

2011年12月,経営・政策科学専攻(現・社会工学専攻)の特定課題研究報告書(修士論文のようなもので,個人ではなくグループで執筆)に不正(無断引用)が発覚し,一名の学生について学位取消しになっています(参考:修士の学位及び課程修了の取消しについて, 2011-12-16).

2013年3月,長らく社工で教鞭をとってこられたゲーム論の金子守先生が定年退職し,最終講義が開かれました. 社工の先生方が退職される際の最終講義は毎年決まって3A棟の204教室(300人以上を収容する大教室)で開催されていましたが,金子先生の最終講義は筑波大学の大学会館が選ばれました. さすがに大物のためか前座の紹介から来賓挨拶まで,他の先生方の最終講義とは違った様相を呈していました.

2013年頃から「つくばの社工」と銘打ってブランディングを行いはじめたようでして,2013年5月頃からはtwitter,翌年4月からはfacebookの公式アカウントの運用が開始されました.

改組―経政からサービス工学へ

2014年4月には改組により社会システム工学専攻(修士)と社会システム・マネジメント専攻(博士)が社会工学専攻として新たな門出を迎え,さらに経営・政策科学専攻は廃止されて社会工学専攻のサービス工学学位プログラムとなりました. ただし 経政 → サービス工学 については単なる改名ではなく,カリキュラムを一新する大々的な改組だったようです. 従来の社会システム工学専攻に対応するカリキュラムは社会工学専攻社会工学学位プログラムに引き継がれます. この大規模な改組により,博士の学位として「博士(社会工学)」しかとれなくなってしまいました.日本語ですら意味不明な学位名なのに,海外ではどのように見られるのでしょうか.英語では「Ph.D. in Policy and Planning Sciences」だそうです. ちなみに改組以前(社シマ)は社会工学(Doctor of Philosophy in Policy and Planning Sciences),社会経済(Economics),マネジメント(Management),工学(Engineering)の4つから適切な学位を選択することができました.

改組によって,2013年後半ごろより,それまで社工一族が拠点としていた工学系3C・3E・3F棟に加えて,経政の根城8A(文科系修士棟)も含んだ広範囲にわたって,事務室・研究室の引っ越しが数多く行われました. 研究棟については,リスク工学の先生方がいらっしゃる総合研究棟Bのみ美しく,3C/E/F/8Aは相対的に劣ります.

2015年1月,「サービス開発・改善のためのビッグデータ利活用」(Center of Excellence in Big Data & Analytics for Service Engineering、サービス工学ビッグデータCoE)を設立しました. これに関連して日本IBMからソフトウェア提供などの支援を受けるようです.

2015年2月,つくば国際会議場で 「(第1回)筑波大学サービス工学シンポジウム」 が開催されました. これ以降毎年2月にシンポジウムが開催されていますが,シンポジウムの後半(第2部)はサービス工学学位プログラムの修士論文計画発表が行われています.

2015年9月にはトヨタ自動車との共同研究開始を記念した「トヨタ・社工共同研究キックオフシンポジウム」が開催されました. シンポジウムの総括をした石田東生先生は「いい意味で噛み合っていなかった」と講評するなど,石田節が炸裂していました. トヨタ自動車とは,筑波大学だけでも数理物質科学研究科や生命環境科学研究科などとも共同研究等で連携・協同しているようです.

2016年4月,社会工学コモンズ・センターが開室します. 告知によれば「社会工学関係者が共通して使用する社会工学コモンズ(社会工学実験室、サービス工学ビッグデータCOE、都市計画アーカイブ等)の中心としての役割を担う場所」となるのだそうです.

組織

社会工学類の入試偏差値は,代ゼミ 60,河合塾 57.5,駿台 52 (出典:大学受験プラス,2015年度)程度との由. 社会工学類は社会経済システム主専攻,経営工学主専攻,都市計画主専攻から成り,学生は二年次進級時に一つの主専攻を選択します. 主専攻とは「卒業してから,何を中心に勉強したかを明確に主張できる分野」を意味しています(『筑波大学十年―その成果と課題』 p. 10). かつては各種専攻ごとに50名程度の定員が設けられていたため,志望者が50名を超えた場合は(当時は3年次から主専攻に分かれていたため)1-2年次の成績上位者が選ばれる制度もあったようです(出典:SOCIO-TECH Vol. 9, p. 12). 一時期「仮進級」という制度もあったようですが,1987年頃から廃止されています. 主専攻の他に副専攻を選択することもできますが,この major minor 制度を利用するのは例年数えるほどしかいません. 2009年度入学(33期生)では学類全体で2名が選択しており,一人は主・経工(副・社経),もう一人は主・都市(副・経工)でした. 大学院からは専攻の垣根が取り払われていることになっていますが,建前と実運用に差があるのはいかなる組織にも共通することでして…. かつて(1980年代)は都市計が一番人気だったようですが,その後都市計の人気は下がり,現在(2010年代)まで経工が人気ナンバーワンになっているようです.

以下,SOCIO-TECHを典拠として過去の社工の専攻ごとの特徴を振り返ります. 1986年の社会工学類座長を務めたある学生(当時B2)は「体力の都市計・数学の経工・ノミよりひまな社経」と表現しています(前後の文脈を読めば冗談めかして書かれていることが分かりますので,念のためその旨追記しておきます). 社経(当時の正式名称は「社会経済計画」)主専攻については「学生の色としては,経工ほどドライでなく,都市計ほどパワーはなく,要領のいいタイプの人間が集まっている」「イージーな人間でも生きていける」のだそうです. 経営工学主専攻については「マイペースな人が多い」とのこと. 都市計画主専攻については「なんたって知力がない代わりに体力がある!」「実習のために生きている」「徹夜を苦にしない」「グループワークが多いことから集団で学び,集団で遊ぶ」のだそうです. SOCIO-TECH(No. 13, 1987年)に掲載された特集「専攻紹介」によれば,以下のような特徴が挙げられていますが,あくまでも当時の実態であって,2010年代は必ずしも当てはまらない部分もあります.

  • 社経 気力,要領いい,割といいかげん(悪く言うと,いくらでも手を抜ける)
  • 経工 知力,ドライ,地味で存在感ない(悪く言うと,他とつながりがない)
  • 都市 体力,パワー,人数勝負(悪く言うと,頭脳がいらない)
  • 授業の困難度(出席やレポートを含む)
    • 経工(4) > 社経(2) > 都市(1)
  • 試験の難易度
    • 社経(4) > 経工(3) > 都市(0)
  • 実習の苦しさ
    • 都市(6) > 経工(3) > 社経(2)
  • 暇具合(社経は真面目にやる人を除いた数値.経工は理数系科目の履修が多い人は2,文科系が多い人は4)
    • 社経(5) > 経工(3) > 都市(2)

以上にない項目を中心に2010年代の社工を振り返ってみると,以下のようなイメージです.

  • 卒論の分量 ... 都市 > 経工 > 社経
  • 大学院進学率 ... 都市 > 経工 ≫ 社経
  • 内輪の絆 ... 都市 ≫ 経工 ≫ 社経
  • 徹夜礼賛度(≒実習やグループワークの量) ... 都市 > 経工 ≫ 社経
  • 要求される数学力/プログラミング力 ... 経工 > 社経 > 都市

学類の一年生は,確認できる範囲では遅くとも1980年代からは,必修科目としてプログラミングを学んでいました. 当初はPascal(Turbo Pascalを使用),2000年代にはJava,その語はJavaに加えてPython,という変遷を辿っているようです. 必修であるかは不明ですが,CやFortranなども授業で扱われていたようです.

第二外国語(いわゆる「二外」)は,いつのまにか必修ではなくなりました. なぜなのでしょうかね. 過去には,以下に示すカリキュラムのように社工にも二外はあったようなのですが.

1987年度1学期(当時はまだ三学期制)の一年次時間割 (出典:SOCIO-TECH Vol. 9, p. 13)
1限総合科目第2外国語体育社会システム論I(総合科目)
2限総合科目第2外国語社工概論情報論理学数学概論II第1外国語
3限社工実習数学概論I第1外国語経済学原論
4限フレッシュマンセミナー第2外国語
5限第1外国語行動科学概論

多くの学生は入学と同時に学生宿舎に入居しますが,二年次ではほとんどの学生が抽選に漏れて民間のアパートに引っ越していきます. ところが1986年頃の記録によれば,社工の学生のうち抽選のくじ引き(1年生 → 2年生)での当選率は60%ほどで,2人部屋に移る学生も含めれば,定員120名のうち100人ほどは宿舎に残っていたようです(出典:SOCIO-TECH Vol. 8, p. 18).

SOCIO-TECH(Vol. 13, p. 32, 1987年)に掲載された「社工度チェック」を転載します. 当てはまる項目数が 11-19 の学生が「標準的社工生」とのこと.

  1. 自分が理系なのか文系なのかわかっていない.
  2. 文学より経済が好き.
  3. やっぱり筑波大学といえば社工だと思っている.
  4. 標準語がパスカルである.
  5. 端末室で朝を迎えたことがある.
  6. 学類長の名前を知っている.
  7. 笹井琢氏を知っている. (引用者注:のちに山口県光市の市議会議員になられた方で,座長を務めるなど社工の有名人だったようです)
  8. 座長の顔と名前がわかる. (引用者注:座長とはクラ代会の座長を指します)
  9. 授業には真面目に出席する.
  10. クラスメイトの学籍番号と筆跡を5つ以上知っている.
  11. テストの時には朝8時に家(宿舎)を出る.
  12. 平日の昼間にバイトをしたことがある.
  13. 団体行動が好き.
  14. ブランド品を着こなせない.
  15. スポーツデーの全種目にエントリーする.
  16. ラッキー定食をしたことがある.
  17. 自動車を持っている.
  18. 日光に行ったことがある.
  19. 週に一度は宮ランチを食べに行く.
  20. 助手席に女の子を乗せて事故ったことがある.
  21. 酒(コンパ)が好きである.
  22. 東工大を受けようと思った.
  23. 就職について考えたことが無い.
  24. 社学に対抗意識をもている.
  25. "SOCIO-TECH" を知っている.

社会工学類には同窓会 「筑波社工会」があります. 卒業時のクラス代表が幹事となり,年に一度(7月頃) 倉谷賞 受賞者の発表会と懇親会が開催されています. 出席される教員はほとんどが経営工学の方で,都市計画からはかろうじて役職者(≒専攻長)のみ参加,社経の先生はほぼ出席されません.都市計画同窓会 がある都市計画の先生方はともかくとして,社経の先生方が来られないあたりに溝(文化の違い)を感じます. 2014年には同年3月に亡くなった倉谷先生偲ぶ会も同時に行われました(写真:専攻公式FB 2014年7月17日).

歴代の社会工学類長は以下のとおりです.

  1. 1977年4月- 倉谷好郎(経工)
  2. 1981年4月- 渡邉浩(経工)
  3. 1982年4月- 坂下昇(都市)
  4. 1983年4月- 川手昭二(都市)
  5. 1985年4月- 高栁暁
  6. 1987年4月- 市川洋
  7. 1989年4月- 谷村秀彦(都市)
  8. 1993年4月- 楠本捷一朗
  9. 1995年4月- 腰塚武志(都市)
  10. 1997年4月- 穂鷹良介(経工)
  11. 1999年4月- 黒田誼(社経)
  12. 2001年4月- 石田東生(都市)
  13. 2003年4月- 佐藤亮(経工)
  14. 2005年4月- 吉田雅敏(社経)
  15. 2007年4月- 小場瀬令二(都市)
  16. 2010年4月- 金澤雄一郎(経工)
  17. 2012年4月- 中村豊(社経)
  18. 2014年4月- 張勇兵(経工)

社会工学専攻は社会工学学位プログラム(博士前期+博士後期),サービス工学学位プログラム(博士前期)から構成されます. 2014年4月以前の入学者は社会システム工学専攻/社会システム・マネジメント専攻に属し,2015年4月時点ではこれら旧専攻の在籍者が在学しているため,旧専攻も正式に存在しています.

推薦入試による選考については,出願の主な要件は「総取得単位のうち A+ または A の割合が概ね 70% 以上」で,A+ 導入前(A-Dの4段階評価の時代)は「A 70% 以上」となっていました. ただし指導教員によってこの要件の捉え方が異なり,あくまでも目安と考える先生もいれば,わずかでも基準を下回っている場合は推薦入試を認めない先生までいらっしゃるようです.

経営・政策科学研究科長(敬称略)

  1. 1977年4月- 福地崇生
  2. 1979年4月- 市川洋
  3. 1981年4月- 山田圭一(社経)
  4. 1983年4月- 柴川林也(経工)
  5. 1985年4月- 渡辺浩(経工)
  6. 1987年4月- 高橋磐郎
  7. 1989年4月- 門田安弘(経工)
  8. 1991年4月- 太田誠
  9. 1995年4月- 山本芳嗣(経工)
  10. 1997年4月- 大西治男

社会工学研究科長(敬称略)

  1. 1978年4月- 厚見博(社経)
  2. 1979年4月- 目良浩一
  3. 1982年4月- 厚見博(社経)
  4. 1985年4月- 坂下昇(都市)
  5. 1989年4月- 大谷順彦(社経)
  6. 1991年4月- 藤重悟
  7. 1993年4月- 池田三郎(都市)
  8. 1995年4月- 楠本捷一朗
  9. 1997年4月- 高木英明(経工)

国際政治経済学研究科長(敬称略)

  1. 1992年4月- 佐藤英夫
  2. 1996年4月- 蒲島郁夫
  3. 1997年4月- 細野昭雄

社会工学域は1975年の社会工学系発足に端を発し,2011年にシステム情報系社会工学域となって現在に至ります. 学系は公的には「専門分野別の研究組織」とされていますが,実質的には「専門分野別の教員組織」でした(『筑波大学30年史稿』 p. 44). 教育組織である学群・学類や大学院の博士課程とは別に研究組織が設置されていたことになり,筑波大学全体で「研究と教育の分離」がなされていました. 筑波大学の開学当時は「全学の教員は必ず専攻分野に応じたいずれかの学系に所属する」ことになっていました(『筑波大学30年史稿』 p. 61). 1980年時点で社会工学系の研究分野は「公共政策科学,経営政策科学,都市・地域政策科学」でしたが,2003年時点では「社会経済,公共政策,計量ファイナンス,数理工学,情報システム,経営学,都市・地域計画,環境システム,国際関係論」と細分化された分野が示されていました. 学問領域の広さは,一般的な学部より狭く,学科より広かったようです. 系の発足当時から,他の系に比べて人事異動の激しさは突出して多く,初期には毎年10人近い転出と転入があったようです. 専門の多様性も特徴の一つで,1990年ごろの資料によれば教員の所属する学会は重複を除いて100を超えていたようです. 歴代の社会工学系長,および社会工学域長は以下のとおりです. いつからか,博士課程(社シマや社工後期)の専攻長を兼務されています.

  1. 1975/77年4月- 宍戸駿太郎(社経) 【系長】
  2. 1982年4月- 渡辺浩(経工)
  3. 1984年4月- 山田圭一(社経)
  4. 1986年4月- 川手昭二(都市)
  5. 1988年4月- 柴川林也(経工)
  6. 1990年4月- 厚見博(社経)
  7. 1992年4月- 坂下昇(都市)
  8. 1994年4月- 門田安弘(経工)
  9. 1996年4月- 大谷順彦(社経)
  10. 1998年4月- 谷村秀彦(都市)
  11. 1999年4月- 腰塚武志(都市)
  12. 2000年4月- 高木英明(経工)
  13. 2002年4月- 橋本昭洋(社経)
  14. 2004年4月- 熊谷良雄(都市)
  15. 2005年4月- 石田東生(都市)
  16. 2007年4月- 香田正人(経工)
  17. 2009年4月- 橋本昭洋(社経)
  18. 2011年4月-2011年9月 大澤義明(都市)
  1. 2011年10月- 大澤義明(都市) 【域長】
  2. 2015年4月- 谷口守(都市)

ここ数年の転出者を列挙します.

  • 敬称略.「econ」は社経の先生,または経済学者(経工の金融工学・ファイナンス専門の方は含みません)を表します.プロジェクト雇用(Non-tenure Track Position)の先生は含みません.
  • 2015年3月 浅野晳econ(定年退職:→ 東京理科大学),橋本昭洋econ(定年退職),藤原良叔(定年退職),住田潮(定年退職:→ 慶應義塾大学),永易淳econ(→ 東北大学),桃田朗econ(→ 立命館大学)
  • 2013年3月 金子守econ(定年退職:→ 早稲田大学),江口匡太econ(→ 中央大学),村尾修(→ 東北大学),高安雄一econ(→ 大東文化大学),大貫裕二econ(詳細不明),辻爾志(→ 中央大学)
  • 2012年3月 吉田あつしecon(3月19日に逝去),大村謙二郎(定年退職),小場瀬令二(定年退職:→ 練馬まちづくりセンター),吉田雅敏econ(→ 龍谷大学.社工OB),桑原史郎econ(→ 兵庫県立大学)
  • 2011年3月 松田紀之(定年退職),香田正人(定年退職),斎尾直子(→ 東京工業大学),佐藤弘史(詳細不明),根立俊恵(詳細不明)
  • 2010年3月 藤井英次econ(→ 関西学院大学),佐藤亮(→ 横浜国立大学),土井正幸(→ 群馬大学)
  • 2009年3月 焼田党econ(→ 名古屋市立大学),吉田謙太郎(→ 長崎大学),藪友良econ(→ 慶應義塾大学)
  • 2008年3月 三橋平(→ 慶應義塾大学),鈴木秀男(→ 慶應義塾大学),吉田友彦(→ 立命館大学),水野誠(→ 明治大学)

転入者は以下のとおりです.

  • 2015年4月 川島宏一(← (株)公共イノベーション),鬼頭朋見(← 英・University of Oxford),小林佑輔(← 東京大学),三崎広海(← 東京大学),五十嵐岳econ(← 北海道大学大学院博士課程)
  • 2014年4月 高橋義明econ(← 国際協力機構),佐野幸恵econ(← 日本大学),安東弘泰(← 理化学研究所)
  • 2014年3月 雨宮護(← 東京大学.社工OB),栗野盛光econ(← 独・ベルリン社会科学研究所)
  • 2013年4月 牛島光一econ(← 東京大学.社工OB)
  • 2012年9月 川村大伸(← 東京理科大学)
  • 2012年8月 山本幸子(← 山口大学)
  • 2011年4月 生稲史彦(← 文京学院大学),甲斐田直子(← 名古屋大学),竹原浩太(← 東京大学大学院博士課程)
  • 2010年9月 倉田久(← 国際大学)
  • 2010年8月 大貫裕二econ(← 総務省統計局)
  • 2010年4月 松原康介(← 東京外国語大学)

研究

社会システム・マネジメント専攻(現:社会工学専攻)の Discussion Paper Series : SSM - Discussion Papers

学位論文

リサーチ・ユニット (筑波大学リサーチユニット, “つくばの社工”の戦略アライアンス) 代表者が社工教員(敬称略)のもの

  1. 価値創造 (繁野麻衣子,経工)
  2. 空間情報科学 (鈴木勉,都市)
  3. 経済実験・社会シミュレーション (秋山英三,社経)
  4. コンパクトシティ (谷口守,都市)
  5. サービス資源の最適配分 (吉瀬章子,経工)
  6. 生態系サービス研究 (吉野邦彦,都市)
  7. 都市・地域の経営とデザイン (有田智一,都市)
  8. 都市のOR (大澤義明,都市)
  9. 東アジアの伝統的民家・集落と環境 (藤川昌樹,都市)
  10. マネジメント・サイエンス、経済学、心理学にわたる共同学際研究 (金澤雄一郎,経工)
  11. 医療サービス科学 (高木英明,経工) - 2014年にはメンバーらによる著作 『サービスサイエンスことはじめ―数理モデルとデータ分析によるイノベーション』 (筑波大学出版会)が発行

科研費 - [1] 代表者が社工教員(敬称略),[2] 基盤研究(A)以上の研究種目の課題,[3] 近年(2009年度以降)の採択分のみ. 基盤(A)が獲得できることは,“お金のかかる” 研究を提案したこと以上の意味を持ちません.基盤(B)より価値ある研究とも限りません.ただし審査が厳しい分,社会的意義のある研究である可能性は(基盤(B)・基盤(C)に比べて)相対的に高くなっていると思われます.

  1. 2009年度– 地理情報科学と都市工学を融合した空間解析手法の新展開 (鈴木 勉,都市計画) 基盤研究(A):社会システム工学・安全システム
  2. 2009年度– 帰納的ゲーム論:信念・知識の起源と進化、その限定性と意志決定・行動との相互関連 (金子 守,社会経済システム) 基盤研究(A):理論経済学
  3. 2011年度– 患者の満足とスタッフの適正労働を実現する地域基幹病院の医療サービス科学 (高木 英明,経営工学) 基盤研究(A):社会システム工学・安全システム
  4. 2012年度– 高齢者医療システムの計量分析:証拠に基づいた政策評価と制度設計 (吉田 あつし [故],都市計画) 基盤研究(A):経済統計学
  5. 2012年度– 地理情報科学と都市工学の空間情報解析融合技術の戦略的活用 (鈴木 勉,都市計画) 基盤研究(A):社会システム工学・安全システム
  6. 2013年度– 老朽化する都市インフラの選択集中整備に関する理論・実証研究 (大澤 義明,都市計画) 基盤研究(A):社会システム工学・安全システム
  7. 2014年度– 健康に配慮した交通行動誘発のための学際的研究 (谷口 綾子,都市計画) 基盤研究(A):土木計画学・交通工学

著名な関連人物

教員

  • お名前(在任期間 / Wikipedia等) - 〇〇学者.学会長,学長,名誉教授,その他際立った受賞や業績など
  • 宍戸駿太郎(1975年 - 1987年 / KAKEN) - 経済学者.初代社会工学系長,筑波大学副学長,国際大学学長,筑波大学名誉教授,国際大学名誉教授
  • 福地崇生(1975年 - 1988年 / Wikipedia) - 経済学者.京都大学名誉教授,筑波大学名誉教授
  • 倉谷好朗(1976年 - 1981年) - 経済学者,経営工学者.筑波大学名誉教授
    • 1919年ごろに生まれる. 1942年,大阪商科大学卒業. 1950年に第1次ガリオア留学生として渡米し,ウィスコンシン大学で修士号,カリフォルニア大学でPh.D.を取得する(UCLA, 1961). カリフォルニア大学,ケース工科大学,フルブライト交換教授(一橋大学),統計数理研究所などを渡り歩いた後に,社会工学類の初代学類長に就任. 社工を離れた後は東京国際大学で教鞭をとる. 1982年11月に開催された「OA日米フォーラム」(主催=国際科学振興財団,電気通信総合研究所,筑波大学社会工学系)で企画実行委員長を務める. 2014年3月10日に逝去.
      (『意思決定支援システムDSS』東洋経済新報社,1986.訳者紹介等より)
  • 小島重次(1976年 - 1982年 / Wikipedia) - 都市計画家
  • 若林時郎(1976年 - 1986年 / Wikipedia) - 都市計画家
  • 細野昭雄(1976年 - 2001年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 宮川公男(1977年 / Wikipedia) - 経営学者.一橋大学名誉教授.麗澤大学名誉教授
  • 岡部篤行(1977年 - 1981年 / Wikipedia) - 都市工学者.東京大学名誉教授.青山学院大学教授
  • 松原望(1977年 - 1986年 / Wikipedia) - 統計学者.東京大学名誉教授
  • 安田八十五(1977年 - 2002年 / Wikipedia) - 都市工学者
  • 金子守(1977年 - 2013年 / Wikipedia) - 経済学者.Econometric Societyフェロー.筑波大学大学院人間総合科学研究科の金子守先生とは別人
  • 星野克美(1978年 - 1989年 / Wikipedia) - 多摩大学名誉教授
  • 黒川洸(1978年 - 1996年 / Wikipedia) - 都市工学者.東京工業大学名誉教授,筑波大学名誉教授
  • 加藤栄一(1978年 - 1997年 / Wikipedia) - 行政学者.筑波大学名誉教授
  • 腰塚武志(1978年 - 2009年 / KAKEN) - 都市工学者.日本オペレーションズ・リサーチ学会会長(2012年 - )
  • 柴川林也(1979年 - 1991年 / Wikipedia) - 経営学者.一橋大学名誉教授
  • 坂下昇(1979年 - 1996年 / Wikipedia) - 経済学者.筑波大学名誉教授.流通経済大学学長(第3代:2001-2002年).応用地域科学研究会(現・応用地域学会)会長(初代:1987-1990年)
  • 田渕隆俊(1979年 - 1991年 / KAKEN) - 経済学者.応用地域学会会長(第12代:2009-2011年)
  • 小口登良(1979年 - 1993年) - 経済学者
    • 1943年3月,長野県生まれ. 1999年,共著書『年金改革論―積立方式へ移行せよ』によって日経・経済図書文化賞を受賞 2010年2月に満66歳で逝去.
  • 金本良嗣(1980年 - 1989年 / Wikipedia) - 経済学者.東京大学名誉教授.応用地域学会会長(第8代:2001-2003年)
  • 浅子和美(1980年 - 1981年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 大橋勇雄(1980年 - 1981年 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学名誉教授
  • 蒲島郁夫(1980年 - 1995年 / Wikipedia) - 政治家,政治学者.熊本県知事(17-18代:2008年 - )
  • 佐藤英夫(1982年 - 不明 / Wikipedia) - 政治学者
  • 林文夫(1982年 - 不明 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学教授.Econometric Societyフェロー.日本学士院恩賜賞(2001年)
  • 岩崎駿介(1982年 - 1998年 / Wikipedia) - 建築家
  • 二階堂副包(1983年 - 1987年 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学名誉教授,東京国際大学名誉教授.日本経済学会会長(第10代:1978-1979年)
  • 川手昭二(1978年 - 1984年,1985年 - 1990年 / Wikipedia) - 建築家,建築研究者.筑波大学名誉教授
  • 翁邦雄(1985年 - 不明 / Wikipedia) - 経済学者
  • 井尻秀憲(1985年 - 1988年,準研究員・助手として / Wikipedia) - 国際政治学者
  • 北畠能房(1986年 - 1992年 / Wikipedia) - 環境学者.京都大学名誉教授
  • 神保雅一(1987年 - 1989年 / Wikipedia) - 数学者
  • 小場瀬令二(1987年 - 2012年 / KAKEN) - 都市計画家
  • 西條辰義(1988年 - 1996年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 松島斉(1988年 - 1994年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 山本拓(1988年 - 1991年 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学名誉教授.日本統計学会会長(2005-2007年)
  • 山田直志(1988年 - 2003年 / NBER / KAKEN) - 経済学者.Marquis Who's Who in the World に economist, educator として掲載された
  • 木島正明(1989年 - 1997年 / Wikipedia) - 金融工学者
  • 斯波恒正(1990年 - 2001年 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学名誉教授
  • 大野健一(1991年 - 1997年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 戸田裕之(1991年 - 1994年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 大澤義明(1991年 - 現在 / Wikipedia) - 都市工学者
  • 谷口守(1991年 - 1995年,2009年 - 現在 / KAKEN) - 都市工学者
  • 鹿野嘉昭(1992年 - 1994年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 赤根谷達雄(1992年 - 2001年 / Wikipedia) - 政治学者
  • 山田真裕(1993年 - 1996年 / Wikipedia) - 政治学者
  • 松井彰彦(1994年 - 2001年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 大村謙二郎(1994年 - 2012年 / Wikipedia) - 都市工学者.筑波大学名誉教授
  • 古川俊一(1994年 - 不明 / Wikipedia) - 法学者,政治学者
  • Henrich R. Greve(1995年 - 2002年 / English Wikipedia) - 組織論学者
  • 梶井厚志(1996年 - 2002年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 宇井貴志(1999年 - 2002年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 吉田あつし(2001年 - 2012年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 白波瀬佐和子(2002年 - 2006年 / Wikipedia) - 社会学者
  • 焼田党(2003年 - 2009年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 川口大司(2003年 - 2005年 / Wikipedia) - 経済学者
  • 藪友良(2007年 - 2009年 / Wikipedia) - 経済学者

卒業生(掲載基準は上記「教員」と異なります)

  • 竹原均 (学類-博士-助教授 まで社工) - 経済学者.早稲田大学教授,日本ファイナンス学会会長(2010年6月-)
  • 岩井克行(社会工学類卒業 / Wikipedia) - アナウンサー
  • 細野助博(1981年,社会工学研究科(博士課程)単位取得満期退学 / Wikipedia) - 経済学者
  • 大澤義明(1982年,社会工学類卒業.1987年、社会工学研究科(博士課程)修了,学術博士 / Wikipedia) - 都市工学者.筑波大学教授
  • 栗田治(1983年,社会工学類卒業.1989年、社会工学研究科(博士課程)修了,学術博士 / Wikipedia) - 都市工学者.慶應義塾大学教授
  • 青木玲子(1983年,経営・政策科学研究科(修士課程)修了.1983年,社会工学研究科(博士課程)中途退学 / Wikipedia
  • 土岐大介(1984年,社会工学類卒業) - ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社 元・副会長(2011年),筑波大学客員教授 など
  • 中村良平(1984年,社会工学研究科修了.同年,学術博士) - 経済学者.岡山大学教授.修士は筑波大の環境科学研究科で,博士号の取得は社会工学研究科第1号との由
  • 山田奨治(1986年,社会工学類卒業 / Wikipedia) - 情報学者
  • 高橋伸夫(1984年,社会工学研究科退学.1987年,学術博士 / Wikipedia) - 経営学者.東京大学教授
  • 水野誠(1985年,経営・政策科学研究科(修士課程)修了) - 商学者.明治大学教授.2003-2008年に教員としても社工に在籍
  • 岩城秀樹(1989年,社会工学研究科(修士課程)修了.1991年,社会工学研究科(博士課程)単位取得退学.1996年,博士(経営工学) / Wikipedia) - 経済学者.京都産業大学教授
  • 中妻照雄(1991年,第三学群社会工学類卒業.1994年,社会工学研究科(修士課程)修了 / Wikipedia) - 経済学者.慶應義塾大学教授.日本金融・証券計量・工学学会副会長(? - 現在)
  • 伊東暁人(1991年,経営・政策科学研究科修了 / Wikipedia
  • 井口典夫(経営・政策科学研究科(修士課程)修了 / Wikipedia) - 官僚,経済学者
  • 白田佳子(経営・政策科学研究科(修士課程,博士課程)修了.1999年,博士(経営学) / Wikipedia) - 会計学者
  • 瀬尾佳美(社会工学研究科(博士後期課程)修了.2000年、博士(都市・地域計画) / Wikipedia) - 経済学者
  • 葉聰明(経営・政策科学研究科(修士課程)修了.社会工学研究科(博士課程)修了.2002年,博士(経営学) / Wikipedia) - 経営学者.2006年より社工の非常勤講師も務める

報道

経政やサービス工学などにおける耳目を集めやすい話題が多く報道されていることが窺えます.

筑波大学の会計手続き

筑波大学では,出張・物品購入とそれに係る予算管理を「財務会計システムFAIR」によって行っています. FAIR(フェアー)のアカウントを割り当てられるのは教員とJSPS特別研究員ですが,会計処理に係る重要な連絡事項が掲示される研究科の掲示板には教員しかログインできないという欠陥が存在します(DC/PDいじめ).

手続きについて幾つかの注意点を簡単にご紹介します(あくまで黒田のケースということで). 第一に,DC/PDの採用初年度は4月1日から予算が使えるわけではありません. 出張のため飛行機の予約等をする場合には要注意です. そもそも,FAIRのアカウント情報が専攻事務から通知されるのは採用初年度の5月末頃です.

  • 出張: 通常学生は「出張依頼兼承諾書」が必要ですが,DCの学生が当該予算で出張する際には不要です. 支払先(学生自身)の所属は系(教員の所属組織)ではなく研究科です(申請者部門は自動的に系で入力されてしまうので,それはしょうがない). 海外出張の際は,出張届を提出する前に「安全保障輸出管理手続」を済ませる(書類を提出する)必要があります. 学生はこれに加えて(講義・現地調査・研究発表・留学での海外渡航にあたって厳守すべき事項に関する)「誓約書」の提出,および「海外渡航届」のオンライン提出(2015年11月より)が求められています. 海外渡航届はmanabaから「海外渡航届 Overseas Travel Notification」コースに入り「アンケート」フォームから提出するようです. 海外出張の際は日程表も事前に提出する必要があります. 購入依頼や経費申請も同様ですが,FAIRに入力しただけではダメで,その登録内容を「確定」させ,当該書類(出張届等)を印刷して専攻事務に提出する必要があります. 旅費の計算は複雑なため,大学から東京区部への日帰り出張(日当込みで一律 3,400 円)以外はどうしても概算になってしまいます. 年度末は避けましょう.
  • 物品購入(購入依頼): 書籍やPCを取引業者さんから購入する場合等が該当します. 見積書・納品書・請求書(いわゆる三点セット)が必要で,前払いはできません. どうも民間と大学(+官公庁)との違いらしく,大学は信用力があるので後払いでもよいのだとか. 特別研究員の科研費による購入の場合,依頼先は契約課ではなく,系の支援室(システム情報系支援室など)です. PCやデジタルカメラを購入した場合は,金額に関わらずシリアルナンバーを備考欄に書く必要があります. 予算の組み替えによる見積書の再発行により見積書の日付が納品日よりも後になってはなりませんので,その点要注意です. 納品場所が大学以外(自宅など)の場合は理由書が求められるそうですので,この点も要注意です. 年度末に締める際はお世話になるでしょう(それ以外には,一部持ち出しで打ち切り額を設定するくらいしか方法がないのではないだろうか).
  • 物品購入(経費申請): 立て替え払いで学会参加費を払ったとか,クレジットカード(学生は法人カードを持てないので,この場合は学生私物クレカ)を使ってAmazonで書籍や備品を購入した場合などが該当します. 取引業者さんが大学に納品する際は納品手続きを経て納品書に納品印が押されていますが(大学の契約課で処理される),立て替え払い等による経費申請の場合は専攻事務に納品書を持参し,納品印を押してもらう必要があります.

ポイント: 第一に,分からないことは専攻事務に問い合わせること. 第二に,FAIRログイン後にトップ画面からDLできる操作マニュアルを熟読すること. 第三に,研究室専属の秘書さんがいる場合は,秘書さんから手続きの手順やコツを教えてもらうこと.

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