「筑波大学の社会工学」についての書き散らしです. 公式サイトには載らないような内容の充実を目指して2015年ごろから書き始めましたが,一向に進みません. 公式サイト,Annual Report,その他公刊された出版物をはじめとした信頼性のある資料を事実関係の典拠として用いていますが,複数の文献間でしばしば生じる齟齬や不正確な記述,また黒田の誤認によって,不本意ながらも虚偽の内容が混入している可能性があることにご注意ください. 主観的で偏った記述も含みます. 概要社工―筑波大学の社会工学―は,「社会工学類(理工学群)」・「社会工学専攻(大学院システム情報工学研究科)」,および対応する教員組織「社会工学域(システム情報系)」から成ります. 一定程度認知・使用されている「社工」以外の略称としては SK(ShaKo), PPS (Policy and Planning Sciences), POPS (POlicy and Planning Sciences), しゃえ(「社」音読み+「工」仮名)などがあります. 社工の誕生は1975年の社会工学系設立まで遡り,1977年に社会工学類の第一期生が入学して本格的な教育活動がはじまりました. その後幾つかの改編や改組を経て,学類は「理工学群社会工学類」として,大学院は「システム情報工学研究科社会工学専攻」として運営されています. 社工は3つの分野,すなわち社会経済システム(社経),経営工学(経工),都市計画(都市)の3つの専攻に分けられており,単位取得や研究室配属などの場面で専攻による制約が生じます. 「社会工学」とは詳細は以下の文献を参照されたい.
東京工業大学の社会工学専攻・社会工学科は 「社会工学とは何か」 で “社会工学” を説明しています. 工学を単純に社会に適用した考え方、科学技術をセキュリティーや安全、安心の向上に利用したもの、あるいは土木や建築を足して2で割ったもの(中略)では全く有りません。 その他,様々な定義や説明がなされてきました. 社会工学は,複雑に絡みあう社会現象を様々な視点からとらえ,工学的・実践的・戦略的に解決するためのシステムをデザインすることを目指す学問 現代社会の多様な問題を客観的・数理的アプローチで分析し、解決することを目指す挑戦的な学際分野 さまざまな社会現象を,社会という一つの有機的なシステムの中で相互に関連し合っているものとして,その因果関係をシステム工学的に追求していこうとするものである(244頁) 社会工学は,社会システムを工学的に体系づけようとする学問,あるいは,社会システムをシステム工学的に体系づけようとする学問である Social Engineering is an academic field of study to construct a theory to resolve various social problems by means of physical, social and institutional approach with special emphasis on step by step or piecemeal (after K. Popper) improvements based upon the two directional planning and designing experiences of the reality. 社会工学は従来タテ割りであった社会科学の諸領域(法学,政治学,社会学,経済学,経営学)とは対立し,行動科学,文化人類学,情報科学,科学技術政策,等を含むより広い研究領域を対象とし,これに学際的ないし超学際的手法で問題解決型の接近を行う新しいタイプの学問領域で,すでにカール・ポッパーやロスコー・パウンドの提唱から半世紀の歴史が流れている.(13頁) (社会工学の特色の)第一は学際性であり,社会科学の諸領域とその隣接領域をも加えた広領域の科学であって,社会システムに関する基礎的分析や行動科学的分析が共通の基盤を形成することにある. 第二は政策指向性であって,旧来のたて割型の経済政策,行・財政政策,社会政策等と異なり,むしろこれらを包括した「政策科学」ないしは「計画の科学」としての斉合性を持った政策体系が中心となり,この枠の中で目標と手段の関連についての分析が行われることにある.(87-88頁) 社会問題の解決努力という文脈においてみるならば,社会工学は,現代社会に広範に見られる「社会計画的な志向」の中で,一つの特殊な位置を占めている. 広義の社会計画的な志向とは,さまざまな社会問題を,社会システムの構造と作動原理についての科学的知識になんらかの程度において依拠しつつ,社会システムの制禦という志向をもって,解決したり未然に防止しようとする努力の総体として特徴づけられよう. 社会工学とは,広義の社会計画的志向の中でも,社会問題の解決を,工学的問題解決と同型的な領域仮説 (domain assumption) に基づいて行おうという立場である.(40頁) 日本において“社会工学”を冠する組織は東京工業大学の理工学研究科社会工学専攻(1966年 - )を嚆矢として幾つか設置されましたが,日本社会はもとより学術界においても十分には認知されておらず,挙句日本における社会工学の第一号である東工大の社工は2015年度をもって…. 来歴詳細は以下の文献を参照されたい.
発足1973年10月,のちのつくば市となる茨城県新治郡桜村に筑波大学が開学します. 70年代の大学紛争から生み出された“新構想大学”「筑波大学」は,その特色として (1) 学群・学系制度の導入,(2) 新しい大学自治,(3) 開かれた大学 を掲げていました. 遅くとも同年9月に示された「筑波新大学創設準備会」の報告(通称「青表紙」)では,筑波大学全26学系の一つとして社会工学系が定められ,学際性と政策指向性を大きな二つの特色とされていました. 1975年には教員の研究組織である社会工学系(当時の英称は Institute of Socio-Economic Planning)が設立されます. 第一陣で着任したのは,宍戸駿太郎,福地崇生,目良浩一,渡辺浩,大西治男,和合肇の計6名の先生方でした. 宍戸先生は筑波大学社会科学系から,福地先生は国際基督教大学から,目良先生は(財)国際開発センターから,渡辺先生は東北大学から,大西先生は京都大学から,そして和合先生は日本経済調査協議会からの異動です. 初代学系長を務められたのは宍戸先生でした. 当時は第三学群の学舎がなかったため,体育芸術学群棟が拠点だったそうです. 6月には7人目の教員となる丹羽冨士雄先生が西ドイツ原子力研究所(西ドイツ・カールスルーエ原子力研究所?)から異動してこられます. 七人の侍の略歴を示します. 宍戸先生が島田勘兵衛ということになるのでしょう.
宍戸先生に関する以下のような言及も確認できます. そして,この研究部局は,元経済企画庁のテクノクラートであったところの宍戸駿太郎学系長によってリードされる. 宍戸教授(理論経済学,経済政策,計量経済学,社会工学)は,昭和四九年四月に筑波大学教官に就任するまでは,経企庁審議官というエリート官僚であった. 初年度の主な研究活動は,1974年度の社会科学系共同プロジェクトから引き継がれた「プロジェクト研究―公害制御についてのマクロ分析」や,2010年代現在も続く「各種の社会・経済統計のデータバンクの作成」などでした. 同年7月に第一回目となる社会工学系研究会が開かれ,福地先生が発表されました. 12月には Institute of Socio-Economic Planning Discussion Paper Series No. 1 が発刊されます. 記念すべき第一号は,宍戸先生と経済企画庁の星野進保先生による "Economic Planning Techniques in Japan" と題する55ページにわたる論文でした. ちなみに No. 2 も宍戸先生の共著論文です. 社会工学系の設立と同時に,大学院博士課程社会科学研究科に計量計画学専攻(Quantitative Policy Analysis)が発足します. 計量計画学専攻の編入学試験が4月に行われ,翌5月には大学院の入学式が挙行され,授業が開始されました(入学定員6名). 当初の計画によれば「社会工学研究科」として発足する予定だったそうですが,なぜか「社会科学研究科」を構成する下位組織として設置されました(Annual Report によれば「時期的な配慮から」だそうです). 1976年,おそらくは7月前後と思われますが,年次報告書に相当する "Annual Report 1975-1976 No. 1" が発刊されます. 当時は現在と異なり,研究の具体的な内容や学会発表時の討論内容,さらには着任した教員の自己紹介までが含まれていました. 1976年,修士課程である大学院経営・政策科学研究科経営政策科学専攻が筑波キャンパスに発足します(定員20名). 同じく1976年,第三学群設置のための準備委員会が作られ,内部からは宍戸先生などが参加しておられました. 社会工学類設立のための準備委員会には,大阪大学の筑井甚吉先生や,地域計画連合(民間コンサル)の小島重次先生などがおられました. 小島先生が委員となられたのは社工に着任する前で,外部識者としての参画だったようです. 1977年,第三学群(別名「経営・工学群」)の創設とともに社会工学類が設置され,4月19日に第一期生116名が入学しました(定員120名). この時点での教員(国立大学の法人化前なので正確には「教官」)は23名です. 教員のほとんどは東京教育大学以外の教員で,多くは学士の入学と同時に着任したのだそうです. 初代学類長の倉谷好郎先生は新入生のオリエンテーションで以下のように語ったそうです. 第三学群は,その教育理念と,新設学群としての革新的気概において筑波大学の目玉であり,社会工学類は,第三学群の目玉であるので,社会工学類は,筑波大学の大目玉である.(172頁) 当時は校舎の建設中だったらしく,第二学群棟の仮学舎を使用していました. 現在の主専攻に相当するものとして「一般社会工学」,「経営工学」,「都市工学」の三つが存在しました. 倉谷先生は社会工学類の特徴を以下のように語っています. 社会工学が,政策指向型の総合社会科学であると,その本質を規定して,教育理念として,高度の理論に裏打ちされた実証主義 (Empiricism) を掲げ,社会経済データバンクの整備,学類専用大型計算機,社会行動実験室その他の実験設備の充実をはかり,我が国は勿論欧米先進国を通じて,極めてユニークな教育プログラムの開設を目指して努力を行ってきたのである.(172頁) ちなみに「学群」という名称をはじめて使用したのは筑波大です(出典:日経「大学で増殖する造語、「学群」「学域」「学環」って?」2015年5月6日). 1977年の第三学群創設時は,社会工学類のほかに情報学類と基礎工学類(のちに工学基礎学類を経て現・応用理工学類となる)をあわせた計3学類で発足しました. 1983年には国際関係学類(現・国際総合学類の前身),1991年には工学システム学類が開設されます. 正確にはもう少し複雑なため,理工学群の公式サイト「学群の歴史」をご覧ください. 社工の関係組織である環境科学研究科(修士課程)が発足したのも1977年4月でした(内部からは社工のほかに自然,農林,生物学類の進学先の一つだった). 1977年11月,学内連絡バスの運行が始まります. 当初は8:30-17:15に15分間隔で運行しており,区間は大学本部棟前から大学附属病院までとなっていました(一の矢までは行かずに,現在の「第二エリア前」を経由するルート). なお2005年8月からは新学内交通システムの運用が開始され(TXの開業と同日),関東鉄道バスの路線バスを使用することとなります. この検討プロジェクトチームの主査を務めたのは,社工の石田東生教授でした. 詳細はWikipedia「筑波大学キャンパス交通システム」をご参照ください. 1978年,社会工学研究科(Doctoral Program in Policy and Planning Sciences)が開設され,すでに発足していた計量計画学専攻(社会科学研究科・博士課程)を傘下にし,これに加えて都市・地域計画学専攻(博士課程)が新たに設置されました. 1978年度初めには第三学群棟や工学系学系棟の工事が終わり始め(完成は1979年3月),教官室,教室などが移転してきます. 年度末には第三学群B棟も完成します. また,同じく1978年8月には,新制度である帰国子女の入学選考が行われ,2名の学生が社会工学類に入学しました. この制度は現在でも続いています. 1979年,社会工学研究科に経営工学専攻(博士課程)が加わります. 遅くとも1980年頃から,東京工業大学の社会工学科や東京大学の都市工学科と比較して教官積算校費単価が軽実験扱いのために低く,これを重実験化するべしとの意見が継続的に出ていました. 東工大・東大では実験講座単価となっていたため,軽実験扱いの筑波は相対的に低額だったようです. 1980年には統一教会に傾倒していた福田信之先生が学長に就任し, 1983年に発足した国際関係学類(現・国際総合学類)でも統一教会系の人物や核武装論者などが教員に就任するなど筑波大学は大いに騒がしかったようですが(出典:朝日新聞「筑波大の国際関係学類 どこか偏った感じの教授陣(真相・深層)」1984年9月1日3頁),社工周辺ではそのような物騒な話もなかったようです. 社工発足当初に名を連ねた経済学者の先生方も,近代経済学の方ばかりでした. 一方で,学問の計量化によって “学問の右傾化” を進行させているとして,社工や情報学類が槍玉に挙げられたこともあります. 筑波大学で教員を務めていたことのある経済学者の降旗節雄先生は 文部省=大学の姿勢が,従来の人文・社会科学を可能な限り縮小して,社会工学系の飛躍的拡大を狙っていることがうかがえよう. では社会工学・情報学類とは何か. 学生へのガイダンス資料によると「社会工学類は狭義の社会工学(公共セクターを対象)に経営工学(民間セクター)を加え,いずれかの部門の計画企画調査部門で計画業務に従事する有能な人材を養成することを目的と」するとされ,その内部は社会・経済計画,経営工学,都市計画の各専攻に分かれる. 「社会科学の一分野に,標準教科書なるものが存在し,〈訓練〉によって一人前の社会科学者が〈養成〉され,しかも養成された専門家たちが巨大な職業集団を構成する」という「一昔前の日本では想像もつかないこと」(佐和氏)が一九五〇年代のアメリカで進行し,一九六〇年代から日本に輸入されるようになった. 文部省の肝いりで,それを組織的に実現しようとしたのが,筑波大の社会工学類・情報学類であり,これをモデルにして経済学の制度化は現在多くの国立大の経済学部に拡大しつつあり,(後略)(93頁, Ibid.) と述べています. 1984年6月,社会工学類としてはじめてやどかり祭に参加し,模擬店を出店したようです. 期間は不明なものの,この頃には社会工学類として学園祭(第一回は「紫桐祭」として1975年に開催.翌年からは「雙峰祭」として開催)にも参加し,各クラスで模擬店を出店したり,学術企画として実習作品の展示や社会工学に関連した研究発表なども企画されていました. ちなみに1979年の筑波大学は,学生が無許可集会を繰り返し行う,学園祭実行委員の主張(主に,企画内容審査拒否と顧問教官制廃止)が大学側に受け入れられず,学長への直接交渉を求めて学生が本部等に座り込む,学生呼び出し等への抗議として当時の基礎工学類長を深夜2時まで拘束する,これに関連した無期停学を含む学生処分と,その告示を持ち去ろうとした学生の現行犯逮捕,等々,大変に物騒でした. そのために1980年は学園祭が中止となり,自主学園祭(幻の学園祭)が開催された,という歴史があります. 翌1981年には再開しますが,1984年は再び中止され,翌1985年からは現在に至るまで毎年開催されています. 1985年2月,『社会工学類誌』 Vol. 0 が発行されます. 同年7月,学類誌の正式名称が決まり "SOCIO-TECH" として Vol. 1 が発行されます(実質的には第2号). Vol. 1 最初の記事は社工の新入生に向けたPC入門者向けの記事「やさしい(?!)コンピューター講座」,2つ目の「平砂悲惨物語」は天久保にある平砂学生宿舎の不快さを余すことなく伝える記事となっています. 以後,多い時では月1-2回ほどのペースで発行されました. 主な内容は,社工に纏わる時事ネタ,社工教員へのインタビュー,「学園祭問題を考える」(連載),「東京人による私の東京マップ」(連載),「私のいばらき」(連載)などの正統的な内容でしたが,中には「ためになるアイドル教室」と題する日本の女性アイドルを取り上げた連載記事も掲載されていました. また,このページにタイトルを記載することすらためらうような内容の記事も含まれていました. この当時は,大学の大半の学類が学類誌を発行してたようです. 2010年代にも残っている歴史ある学類誌は,情報科学類誌 『WORD』 (1979年創刊)と社会学類誌 『そおしあ~る』 (1981年創刊)くらいです. 近年では,知識情報・図書館学類誌 『MILK』 が2011年に発刊し,情報メディア創成学類誌 『MAST』 は2015年よりWeb形式に移行しました. 『筑波大学30年史年表』によれば1978年5月に社会工学類誌 『海嘯』 (おそらく「かいしょう」と読みます)が創刊されたことが記されているのですが(p. 106),詳細は不明です. また1980年には社会工学類ミニコミ誌 『快翔』 が発行されていたという情報もありますが(Ibid., p. 120),こちらも詳細は不明です. 10周年を迎え,安定期へ1985年6月,3F棟に飛び降り防止の網が設置されます. 理由はお察しください. 1985年12月,設立10周年を記念して筑波大学で記念シンポジウムが開催されました. シンポジウムは,第1部会「国際社会と日本―21世紀への国際政治・経済課題」(司会:宍戸先生,加藤先生),第2部会「21世紀の日本的経営システム」(司会:高柳先生),第3部会「21世紀の都市・地域政策」(司会:坂下先生),第4部会「新しい総合社会システム論」(司会:山田先生)の4領域に分けられ,発表と討論が行われました. 1987年には参加者による論説20本が収録された 『社会工学概論―21世紀への問題提起』 が出版されましたが,この時すでに社工を離れていた倉谷先生はこの書について「社会工学研究者の恐らく世界でも最大の集団である筑波大学社会工学系の教官を主体とする今回の労作」としながらも, 社会工学的視点はその参加者によって認識されているものの,その総合的学問の特性である学際的研究の成果がここに提示されているとは思い難い点もある. たとえば先述の20編の力作がことごとく単著で,社会工学を志す研究者の研究報告としては若干奇異な感じもする. 社会工学の研究成果として収録するとすれば,各々その学問的背景を異にする集団が1つのcoherentな集団として具体的事例を中心に共著による正に学際的な研究成果を披露すべきではなかったろうか. と評されています. 1988年,筑波大学で初となる寄付講座「山一證券ファイナンス講座」が開設されます. メインは経営・政策科学研究科(修士)だったものの,学類でも授業が開講されました. 寄付金は5年間で1億2500万円. 先方の意向は「金は出すが口は出さない,ただし超一流の人事をしてもらいたい」というものだったそうです(柴川先生談.SOCIO-TECH Vol. 18 参照). 同じく1988年,やどかり祭のための神輿を作る「社会工学類神輿を作る会」(企画委員会に相当)が発足しました. かつて存在した "Socio-Tech-Omaturi-Project" (参照元の原文ママ)を源流とするそうです. 1989年4月,夜間修士課程となる経営・政策科学研究科経営システム科学専攻が文京区の大塚キャンパスで発足します. 翌1990年には同じく大塚キャンパスに企業法学専攻が設置され,これに伴って筑波キャンパスの研究科は経営・政策科学専攻となり,経政(科)が経政(専攻)・経シス・企業法学の3専攻を擁する形式となります. 1996年には夜間博士課程となる経営・政策科学研究科企業科学専攻が発足します. 学位として,修士(経済学),および修士(経営科学)を取得することができました. 一方でこれら課程のための新規教員採用は少なく,大半は「筑波キャンパスから振替/協力」という形であったため,東京教育大学(筑波大の前身)の跡地への移転計画においては「多大な苦労と犠牲を払って東京から筑波に移転したのに,なぜ東京に新教育組織を作るのか,なぜ筑波地区の教育組織が犠牲を払って東京に作らねばならないのか」という疑問も呈されたとのことです(『筑波大学30年史稿』 p. 58). この頃の社経は研究面でとりわけすぐれた業績をあげていたようです. 朝日新聞社の「大学ランキング」によれば,筑波大学所属者の1989年と1992年における一流経済学雑誌への論文掲載数が東大,阪大に次いで3位になっていたのだそうです(過去の学類公式パンフレットより). 1992年4月,関連組織となる国際政治経済学研究科(博士課程)も発足します. 1992年度,初となる工業高等専門学校(高専)卒業生を対象とする編入学試験が実施されました. この制度も,現在でも続いていますね. 1995年12月,社会工学類に対して外部評価が実施されました. 委員長を務められたのは東京大学名誉教授の近藤次郎先生です. 1996年には,経営・政策科学研究科(経営システム科学専攻)の修士課程修了生が「自分のアイデアの論文なのに筆頭の著者名をすり替えられ、名誉を棄損された」として同研究科の教員らを相手取って訴訟を起こしました. 同年7月に東京地方裁判所は原告の主張を認める判決を下しています(出典:朝日新聞 「論文著者順位、『変更は不法』 東京地裁判決」 1996年7月31日朝刊 p. 26; 「論文差し替え裁判 筑波大学に賠償金支払い命令」『筑波大学新聞』第136号、1997年4月10日; 日本ユニ著作権センター 「学会誌著者順序入れ替え事件」). 1997年4月,社会工学研究科に博士課程として計量ファイナンス・マネジメント専攻が加わります. さらに,従来の3専攻(計量計画学,経営工学,都市・地域計画学)は社会経済システム専攻,システム情報数理専攻(SIM),都市・環境システム専攻にそれぞれ名称を変更しました. 大学院重点化による研究科の部局化と学系の幕切れ2000年4月,理工系大学院の改変に伴って社会工学研究科は新設されたシステム情報工学研究科に再編されました. 再編により,農学/生物科学/地球科学/数学/物理学/化学/工学/社会工学の8つの研究科から,生命環境科学研究科,数理物質科学研究科,システム情報工学研究科の3組織となりました. 2004年4月,筑波大学が国立大学法人になってシステム情報工学研究科は部局化し,社会工学系は組織評価・企画提言を行う組織へと変更されます. これにともない,社会工学系に所属していた教員の多くが社会システム・マネジメント専攻の所属となりはじめます. ただしこの時点で「学系」自体はまだ廃止されていません. この年のAnnual Reportでは歴代の学系長がこの改編について所管を述べる節が設けられました. 2003年8月にこの世を去った坂下先生を除いた歴代系長が社工に対するそれぞれの想いを寄稿されているのに対して,越塚先生だけは,越塚系長時代に雷が鳴っているとかの理由で会議を休んだ先生の思い出話に終始するという誰にも真似できない自由さを見せつけておられました. 越塚先生の寄稿は「季節はずれの激しい雷雨があった10月のことであった.」で始まり,「後になって,その人は雷が激しくなったので帰ったのだという.よほど雷に恐怖をお持ちだったのだろうか.」で終わったのです. 何とも豪傑な方だったようです. 2006年に社会工学類30周年記念式典が行われ,初代学類長の倉谷先生より社会工学類の教育の発展を願った寄付によって基金が設立され,ここから倉谷賞が授与されることとなりました. 2006年度が第一回目で,社会経済システム1名,経営工学2名,都市計画1名の計4名に賞が贈られました. その後は各主専攻一名ずつになっています. 2006年,明治大学情報コミュニケーション学部元助教授F先生の論文に対して盗用が指摘され,翌2007年1月には盗用が認められて懲戒免職処分と相成りました(出典:朝日新聞 「明大元助教授の論文「全体の96%が盗用」大学が会見」 2007年1月30日朝刊 p.33). なぜこのニュースが社工に関係するかと申しますと,このF先生は2000年から2004年3月まで社工に在籍した人物で,論文盗用と同時に問題視された国費の不正受給は社工在籍中である2004年3月上旬にフランスから無断帰国したことが関係しています. 2007年4月,筑波大学が数字で分類する学群制(ナンバー学群,英訳は cluster of colleges)を改め,第三学群社会工学類から「理工学群社会工学類」になります. 2008年3月,開成出版より社会工学類編 『社会工学が面白い―学祭学問への招待』 が出版されます. この本はオムニバス形式で構成され,社工の教員26名それぞれが自身の研究対象における代表的なトピックのうちの一つを社会工学的側面から簡潔かつ平易にまとめたものです. そのため,社会工学とは何ぞやという問いに対する答えが明示的に示されているわけではなく,学部の一年生が授業の最初に聞くであろうお決まりのネタが一揃い集められた本,というイメージです. 表紙には「自由に社会好学してみよう」という文字がポップなフォントで配置されていますが,この語呂合わせが本体で触れられることは一切ありません. 執筆者を主専攻ごとに掲載順に敬称略で列挙します. 社工から離籍された方についてはカッコ書きで転出先等を記します(2015年時点). 半数以上の方はもう社工にはいらっしゃらないのですね.
2011年度(頃)の入学者から,社工での体育科目(必修・実技)に関する卒業のための履修要件が4単位から3単位に減りました. さらに,1980年度(1981年3月)から続いた筑波大学英語検定試験(いわゆる「筑波英検」)が廃止されます. ちなみに合格点は「TOEFL相当で約410点」(外国語センターの人文社会系・磐崎弘貞教授談)だったそうです. さらに余談ですが,当初はA-Dで評価されており(Dは不合格),初回の受験者数は1,600人,Aは46人,Dは約150人だったそうです. Aの42%が医学専門学群と生物学類であったたのに対して,芸術専門学群の学生はCとDのみで,基礎工学類と体育専門学群では20%程がD,という学類間格差もあったようです(『筑波大学新聞で読む筑波大学の40年』 p.47). 2011年10月,(学系を経て2004年ごろから)研究科に所属していた教員が,「系」に所属することとなります(全学レベル). 社シマ所属の先生方が所属する教員組織として,システム情報系社会工学域が発足します. 開学から続いた学系は,2012年3月末をもって廃止されました. 2011年12月,経営・政策科学専攻(現・社会工学専攻)の特定課題研究報告書(修士論文のようなもので,個人ではなくグループで執筆)に不正(無断引用)が発覚し,一名の学生について学位取消しになっています(参考:修士の学位及び課程修了の取消しについて, 2011-12-16). 2013年3月,長らく社工で教鞭をとってこられたゲーム論の金子守先生が定年退職し,最終講義が開かれました. 社工の先生方が退職される際の最終講義は毎年決まって3A棟の204教室(300人以上を収容する大教室)で開催されていましたが,金子先生の最終講義は筑波大学の大学会館が選ばれました. さすがに大物のためか前座の紹介から来賓挨拶まで,他の先生方の最終講義とは違った様相を呈していました. 2013年頃から「つくばの社工」と銘打ってブランディングを行いはじめたようでして,2013年5月頃からはtwitter,翌年4月からはfacebookの公式アカウントの運用が開始されました. 改組―経政からサービス工学へ2014年4月には改組により社会システム工学専攻(修士)と社会システム・マネジメント専攻(博士)が社会工学専攻として新たな門出を迎え,さらに経営・政策科学専攻は廃止されて社会工学専攻のサービス工学学位プログラムとなりました. ただし 経政 → サービス工学 については単なる改名ではなく,カリキュラムを一新する大々的な改組だったようです. 従来の社会システム工学専攻に対応するカリキュラムは社会工学専攻社会工学学位プログラムに引き継がれます. この大規模な改組により,博士の学位として「博士(社会工学)」しかとれなくなってしまいました.日本語ですら意味不明な学位名なのに,海外ではどのように見られるのでしょうか.英語では「Ph.D. in Policy and Planning Sciences」だそうです. ちなみに改組以前(社シマ)は社会工学(Doctor of Philosophy in Policy and Planning Sciences),社会経済(Economics),マネジメント(Management),工学(Engineering)の4つから適切な学位を選択することができました. 改組によって,2013年後半ごろより,それまで社工一族が拠点としていた工学系3C・3E・3F棟に加えて,経政の根城8A(文科系修士棟)も含んだ広範囲にわたって,事務室・研究室の引っ越しが数多く行われました. 研究棟については,リスク工学の先生方がいらっしゃる総合研究棟Bのみ美しく,3C/E/F/8Aは相対的に劣ります. 2015年1月,「サービス開発・改善のためのビッグデータ利活用」(Center of Excellence in Big Data & Analytics for Service Engineering、サービス工学ビッグデータCoE)を設立しました. これに関連して日本IBMからソフトウェア提供などの支援を受けるようです. 2015年2月,つくば国際会議場で 「(第1回)筑波大学サービス工学シンポジウム」 が開催されました. これ以降毎年2月にシンポジウムが開催されていますが,シンポジウムの後半(第2部)はサービス工学学位プログラムの修士論文計画発表が行われています. 2015年9月にはトヨタ自動車との共同研究開始を記念した「トヨタ・社工共同研究キックオフシンポジウム」が開催されました. シンポジウムの総括をした石田東生先生は「いい意味で噛み合っていなかった」と講評するなど,石田節が炸裂していました. トヨタ自動車とは,筑波大学だけでも数理物質科学研究科や生命環境科学研究科などとも共同研究等で連携・協同しているようです. 2016年4月,社会工学コモンズ・センターが開室します. 告知によれば「社会工学関係者が共通して使用する社会工学コモンズ(社会工学実験室、サービス工学ビッグデータCOE、都市計画アーカイブ等)の中心としての役割を担う場所」となるのだそうです. 組織社会工学類の入試偏差値は,代ゼミ 60,河合塾 57.5,駿台 52 (出典:大学受験プラス,2015年度)程度との由. 社会工学類は社会経済システム主専攻,経営工学主専攻,都市計画主専攻から成り,学生は二年次進級時に一つの主専攻を選択します. 主専攻とは「卒業してから,何を中心に勉強したかを明確に主張できる分野」を意味しています(『筑波大学十年―その成果と課題』 p. 10). かつては各種専攻ごとに50名程度の定員が設けられていたため,志望者が50名を超えた場合は(当時は3年次から主専攻に分かれていたため)1-2年次の成績上位者が選ばれる制度もあったようです(出典:SOCIO-TECH Vol. 9, p. 12). 一時期「仮進級」という制度もあったようですが,1987年頃から廃止されています. 主専攻の他に副専攻を選択することもできますが,この major minor 制度を利用するのは例年数えるほどしかいません. 2009年度入学(33期生)では学類全体で2名が選択しており,一人は主・経工(副・社経),もう一人は主・都市(副・経工)でした. 大学院からは専攻の垣根が取り払われていることになっていますが,建前と実運用に差があるのはいかなる組織にも共通することでして…. かつて(1980年代)は都市計が一番人気だったようですが,その後都市計の人気は下がり,現在(2010年代)まで経工が人気ナンバーワンになっているようです. 以下,SOCIO-TECHを典拠として過去の社工の専攻ごとの特徴を振り返ります. 1986年の社会工学類座長を務めたある学生(当時B2)は「体力の都市計・数学の経工・ノミよりひまな社経」と表現しています(前後の文脈を読めば冗談めかして書かれていることが分かりますので,念のためその旨追記しておきます). 社経(当時の正式名称は「社会経済計画」)主専攻については「学生の色としては,経工ほどドライでなく,都市計ほどパワーはなく,要領のいいタイプの人間が集まっている」「イージーな人間でも生きていける」のだそうです. 経営工学主専攻については「マイペースな人が多い」とのこと. 都市計画主専攻については「なんたって知力がない代わりに体力がある!」「実習のために生きている」「徹夜を苦にしない」「グループワークが多いことから集団で学び,集団で遊ぶ」のだそうです. SOCIO-TECH(No. 13, 1987年)に掲載された特集「専攻紹介」によれば,以下のような特徴が挙げられていますが,あくまでも当時の実態であって,2010年代は必ずしも当てはまらない部分もあります.
以上にない項目を中心に2010年代の社工を振り返ってみると,以下のようなイメージです.
学類の一年生は,確認できる範囲では遅くとも1980年代からは,必修科目としてプログラミングを学んでいました. 当初はPascal(Turbo Pascalを使用),2000年代にはJava,その語はJavaに加えてPython,という変遷を辿っているようです. 必修であるかは不明ですが,CやFortranなども授業で扱われていたようです. 第二外国語(いわゆる「二外」)は,いつのまにか必修ではなくなりました. なぜなのでしょうかね. 過去には,以下に示すカリキュラムのように社工にも二外はあったようなのですが.
多くの学生は入学と同時に学生宿舎に入居しますが,二年次ではほとんどの学生が抽選に漏れて民間のアパートに引っ越していきます. ところが1986年頃の記録によれば,社工の学生のうち抽選のくじ引き(1年生 → 2年生)での当選率は60%ほどで,2人部屋に移る学生も含めれば,定員120名のうち100人ほどは宿舎に残っていたようです(出典:SOCIO-TECH Vol. 8, p. 18). SOCIO-TECH(Vol. 13, p. 32, 1987年)に掲載された「社工度チェック」を転載します. 当てはまる項目数が 11-19 の学生が「標準的社工生」とのこと.
社会工学類には同窓会 「筑波社工会」があります. 卒業時のクラス代表が幹事となり,年に一度(7月頃) 倉谷賞 受賞者の発表会と懇親会が開催されています. 出席される教員はほとんどが経営工学の方で,都市計画からはかろうじて役職者(≒専攻長)のみ参加,社経の先生はほぼ出席されません.都市計画同窓会 がある都市計画の先生方はともかくとして,社経の先生方が来られないあたりに溝(文化の違い)を感じます. 2014年には同年3月に亡くなった倉谷先生偲ぶ会も同時に行われました(写真:専攻公式FB 2014年7月17日). 歴代の社会工学類長は以下のとおりです.
社会工学専攻は社会工学学位プログラム(博士前期+博士後期),サービス工学学位プログラム(博士前期)から構成されます. 2014年4月以前の入学者は社会システム工学専攻/社会システム・マネジメント専攻に属し,2015年4月時点ではこれら旧専攻の在籍者が在学しているため,旧専攻も正式に存在しています. 推薦入試による選考については,出願の主な要件は「総取得単位のうち A+ または A の割合が概ね 70% 以上」で,A+ 導入前(A-Dの4段階評価の時代)は「A 70% 以上」となっていました. ただし指導教員によってこの要件の捉え方が異なり,あくまでも目安と考える先生もいれば,わずかでも基準を下回っている場合は推薦入試を認めない先生までいらっしゃるようです. 経営・政策科学研究科長(敬称略)
社会工学研究科長(敬称略)
国際政治経済学研究科長(敬称略)
社会工学域は1975年の社会工学系発足に端を発し,2011年にシステム情報系社会工学域となって現在に至ります. 学系は公的には「専門分野別の研究組織」とされていますが,実質的には「専門分野別の教員組織」でした(『筑波大学30年史稿』 p. 44). 教育組織である学群・学類や大学院の博士課程とは別に研究組織が設置されていたことになり,筑波大学全体で「研究と教育の分離」がなされていました. 筑波大学の開学当時は「全学の教員は必ず専攻分野に応じたいずれかの学系に所属する」ことになっていました(『筑波大学30年史稿』 p. 61). 1980年時点で社会工学系の研究分野は「公共政策科学,経営政策科学,都市・地域政策科学」でしたが,2003年時点では「社会経済,公共政策,計量ファイナンス,数理工学,情報システム,経営学,都市・地域計画,環境システム,国際関係論」と細分化された分野が示されていました. 学問領域の広さは,一般的な学部より狭く,学科より広かったようです. 系の発足当時から,他の系に比べて人事異動の激しさは突出して多く,初期には毎年10人近い転出と転入があったようです. 専門の多様性も特徴の一つで,1990年ごろの資料によれば教員の所属する学会は重複を除いて100を超えていたようです. 歴代の社会工学系長,および社会工学域長は以下のとおりです. いつからか,博士課程(社シマや社工後期)の専攻長を兼務されています.
ここ数年の転出者を列挙します.
転入者は以下のとおりです.
研究社会システム・マネジメント専攻(現:社会工学専攻)の Discussion Paper Series : SSM - Discussion Papers 学位論文
リサーチ・ユニット (筑波大学リサーチユニット, “つくばの社工”の戦略アライアンス) 代表者が社工教員(敬称略)のもの
科研費 - [1] 代表者が社工教員(敬称略),[2] 基盤研究(A)以上の研究種目の課題,[3] 近年(2009年度以降)の採択分のみ. 基盤(A)が獲得できることは,“お金のかかる” 研究を提案したこと以上の意味を持ちません.基盤(B)より価値ある研究とも限りません.ただし審査が厳しい分,社会的意義のある研究である可能性は(基盤(B)・基盤(C)に比べて)相対的に高くなっていると思われます.
著名な関連人物教員
卒業生(掲載基準は上記「教員」と異なります)
報道経政やサービス工学などにおける耳目を集めやすい話題が多く報道されていることが窺えます.
筑波大学の会計手続き筑波大学では,出張・物品購入とそれに係る予算管理を「財務会計システムFAIR」によって行っています. FAIR(フェアー)のアカウントを割り当てられるのは教員とJSPS特別研究員ですが,会計処理に係る重要な連絡事項が掲示される研究科の掲示板には教員しかログインできないという欠陥が存在します(DC/PDいじめ). 手続きについて幾つかの注意点を簡単にご紹介します(あくまで黒田のケースということで). 第一に,DC/PDの採用初年度は4月1日から予算が使えるわけではありません. 出張のため飛行機の予約等をする場合には要注意です. そもそも,FAIRのアカウント情報が専攻事務から通知されるのは採用初年度の5月末頃です.
ポイント: 第一に,分からないことは専攻事務に問い合わせること. 第二に,FAIRログイン後にトップ画面からDLできる操作マニュアルを熟読すること. 第三に,研究室専属の秘書さんがいる場合は,秘書さんから手続きの手順やコツを教えてもらうこと. リンク集関連リンク (外部向け)
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