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カードショップ店主が斬る! vol.4 『コミュニケーション能力』というバカ丸出しの概念を斬る
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起業においてコミュニケーション能力は必須であるというような
ご高説を私の前でする人がいるんですが、
ネットショップ始めて10年、そんなの必要性すら感じたことないですけどね。
お客は品物をクリックするだけ、
受注と発送の定型文が送られて取引終了。
問屋には仕入れたい品物をメールかFAXすればいいだけ。
コミュニケーションなんてどこにも出てきません。
つまり、お金を稼ぐビジネスモデルはあくまでサービスや商品の中にあって、
コミュニケーション自体はお金を生み出さないってことです。
じゃあコミュニケーションって何なの?って話ですが、
1つは、相手を気分良くさせたり、気分を悪くさせない、コツみたいなものですね。
もう1つが、物事に2人以上が関わる場合、
1人の時にはいらなかった情報の共有化の必要が出てくるということです。
報告・連絡・相談=ホウレンソウですね。
たしかにこれは重要です。
ただ、この重要の意味を履き違える人がいます。
効率の上昇というメリットを期待して複数人で物事に取り組むわけですが、
かわりに情報の共有化の必要が発生する部分は、
効率が悪くなり、ミスが発生する、デメリット・リスクの部分になります。
重要=気をつけようね、というのが正しい意味なはずです。
一方、重要の意味を履き違えて、『大切なこと』と解釈する人がいるわけです。
コミュニケーション→コミュニケーション能力という要素が神格化すらするわけです。
そして生まれるのが、
A:仕事においてコミュニケーションは重要なんだ!
(気を付けないと損失になるよ という意味で)
B:仕事においてコミュニケーションは重要なんだ!
(すべてのビジネスの中核なんだよ という意味で)
このBのバカさ加減、わかります?
で、日本の企業の就職の面接とかいうと、
Bのような解釈をするバカな面接官たちが、
コミュニケーション能力とかいうわけがわからん基準で合否を判断するわけです。
またこのコミュニケーション能力というのがバカげた単語で・・・
まあ仮にね、そういう能力が本当にあったとしましょう。
その能力値が高い人間はどういう人間か?と考えた場合、
金八先生、あの人みたいな人でしょうね。
内向的な生徒からでも、その子の言いたいことを引き出せるでしょう?
でも、金八先生みたいな人募集!
次の年も金八先生みたいな人募集!
おかしくないですか?
うちの社員は全員根暗な人見知りなので、
新入社員には金八先生を求む!ならまだわかりますよ。
すでに金八がいるのに金八募集してどうすんの?
つーかそれだと社員全員が金八ですよ。
金八はクラスに1人で十分でしょ!!
もちろん、会社が金八をそんなに募集するはずはないわけで、
じゃあ何を募集しているか?というと、
コミュニケーション能力なるものが高い人、ではなく、
既存の社員とコミュニケーションを取る権利を持つ人 を募集しているわけです。
で、最初の分析をこれに当てはめてみると・・・
「仕事において、コミュニケーションこそが事業の中核だと思っている人たちが、
相手を気分良くさせたり、気分を悪くさせないコツを持つ新入社員を採用している」
となるわけです。
中身スッカスカや!!!
バブル崩壊以降、こういうバカな人たちの台頭によって、
企業がただの仲良しクラブに成り下がったということです。
もしくは、自らの利権を守るためにバカなふりをしてきたか。
どちらにしろ、多くの企業の衰退の一因はあきらかにこれでしょうね。
というわけで、コミュニケーションについて整理しますと、
・ビジネスにおいてコミュニケーションは必須ではない
・コミュニケーションが必要なのは、単にそれが集団だからである
・コミュニケーションとは、決して効率・生産性のよいものではない
・コミュニケーションに偏重した企業(集団)は衰退する
・コミュニケーションは、家族、友人、恋人などと楽しく過ごすために使うものであり、
それ自体に意味があったり、ましてや高めたりする能力や技術のような性質のものではない
嫌いな人・合わない人とはそもそも付き合わなくていいのに、
コミュニケーション至上主義におちいると、
コミュニケーション能力を高めれば、
誰とでも付き合える的なファンタジーな思想になります。
でもいくらコミュニケーション能力なるものを高めようとも、
嫌いな人と楽しく付き合えたりするようにはならないわけで、
そうすると、コミュニケーション至上主義者は、
最初からコミュニティーに嫌いな人を入れずに排斥する、
コミュニティーに属する嫌いな人を攻撃する、という行動に出て、
理論の辻褄を合わせようとします。
これがいわゆるいじめのメカニズムで、
コミュニケーションを信奉する人たちこそが、
結果コミュニティーの衰退や分断を招き、
あげくに最近いじめが多いだの、人との絆が失われただのと口にするわけです。
そもそも能力って発想をすること自体、同時に序列の概念の発生が不可避なわけで、
コミュニケーション本来の楽しくその場をすごしたり、
人に不快な思いをさせないという意味と
かけ離れた矛盾したものになるのは当然の帰結です。
なんか自己啓発じみてきたので、
最後にビジネス視点での話に戻して締めましょう。
ビジネスにおいて、コミュニケーションの役割は大きく分けて3つあります。
1つ目は職場の人間が気分良く働けるということ。
・・・これいります?
仕事や買い物で、気分がよくなりたいか?と言われたら、
別にその必要はないですよね。
気分が良くなりたいのは、プライベートの付き合いや遊びで、です。
仕事でお金を得たり、買い物したりするのは、
気分が悪くならない範囲で、目的さえ果たせばいいわけです。
福利厚生的な役割とは言えますが、
ビジネスモデルに必要な人材を無視してまで重視する要素になるはずがありません。
2つ目は、報告・連絡・相談の必要性です。
これは会社の規模が大きくなるに比例して必要性が増すのですが、
いわば大規模化の弊害、ロスの部分です。
これをコミュニケーションでカバーするわけですが、
それでいくらロスカットをしても、0に近づくだけで、プラスにはなり得ません。
いくら投資しても、生産性には繋がらない要素なわけです。
また、コミュニケーションでカバーすることが自体が効率が悪いです。
そもそもコミュニケーションの必要性がないように
システム化で対処する方が、コストが減る上に圧倒的にミスも減ります。
例えば、口頭よりメール、メールよりパソコンでテンプレートにしてプログラム化、と
いう具合ですね。
3つ目は、売り上げの上昇です。
接客や商談でのコミュニケーションは、
相手を良い気分にさせれば売り上げの上昇が期待できます。
一方で、悪い気分にさせれば低下するリスクがあります。
ただそれはコミュニケーションの特性ではなく、広告と同じ要素です。
だったら人件費や接待費よりも、
現代ではネットを中心とした広告費の方がコストパフォーマンスはいいわけです。
さらに接客部分をシステム化すれば、
相手は気分が良くなることはないが、悪くなることもないという
悪くない条件で、人件費のみを圧縮できます。
これがネットショップを始めとした、
現代型のビジネスモデルの基礎になりつつある概念と言えます。
ただでさえ年々企業の規模が大きいことによる
スケールメリットの構築が難しくなっている中、
コミュニケーションなんて生産性がない分野への投資をいまだに重視しているようでは、
企業の衰退は加速するばかり、ということです。
つまり、コミュニケーション能力なんてバカ丸出しの概念ってわけです。
コミュニケーション能力なんて単語が相手の口から発せられた時点で
草生やしとけばいいのです。
ここまで長々と書きましたが、
最近の若者の行動見ると、若いのにおじさんなんかよりずっと
これら見抜いて行動しているフシがあるので、
この話題に関しては、世の中の今後の流れとしてあんまり心配はしてないですけどね。
起業するときには、コミュニケーションは必須ではなく、
その要素をできるかぎり減らしていくビジネスモデルが定石となりつつある、
という点を、改めて認識していただければと思います。
今年はこれが最後の投稿です。
来年もいろいろな話題をビジネス視点で考察したり、斬ったりしていきますので
よろしくどうぞ!
業務自体は引継ぎができるほどにシステム化されているためにビジネスモデルに必要な人材というのは、「その人しか持っていない特別な能力」では逆に困る。面接官が直属の上司になった場合において従順に動き、やがて新人をまとめ波風たてずにいつもの業務に差しさわりのない存在になりえるだけの力、それが企業の言う「コミュニケーション能力」だと。
だから「仲良しクラブ」という例えは正解だと思います。
一方で、近頃「会社の人間関係でウツ」になる人が増えている(とされている)事態を受け、企業の中でコミュニケーション能力の向上(ウツになる社員を出さない・増やさない)のを目的として盛んに研修なども行われています。
現実として、働いている人たち全員がその仕事をしたいわけではなく、会社に席をおいて(社会人という肩書きを維持し)お金がもらえれば、考えるということも、働くということもしたくないと思ってる、またもっと悪いことを考えている人もいるなかで(表向き・対外的には)問題がないようにするようにまとめる。その人たちが辞めないようにする。また、事故や問題が起こってもそれを隠蔽する能力も企業が必要とする「コミュニケーション能力」の1つだろうな、と。
だから、私が思うに企業は金八先生を求めているわけではなく、逆に問題のある生徒がいてもいないかのように隠蔽できる人材を欲しがっているのだと思いますよ。
たしかにこれでは衰退してもしかたがないように思えますね。
会社は誰が入っても一定の結果を出させるシステムがあるからこそ、
必要な人材・多様な人材を入れるべきだと思いますね。
人を良い気分にさせる人材・隠蔽に加担してくれる従順な人材だけを
入れていくと、そのシステムの方が劣化して
いずれ取り返しのつかない段階までいくわけです。
何故ウツ病になるのか?メカニズム、
自分の分析をかんたんに書いておきます。
矛盾をかかえる=非論理的な状況におちいると、
人はウツ病になると考えます。
組織というのはまったく別のベクトルを持つ人間の集合です。
利益が相反することさえあり得ます。
例えば、労働者は楽して給料ほしい、
経営者は安い給料で働いてほしい、とかですね。
利益が多いうちはなんとか回るのですが、
近年、不況や組織のスケールメリットが薄くなったことで、
労働者・中間管理職・経営者・出資者の間で分配できる
利益の絶対量が減ったわけです。
こうなるとその薄い利益の配分の取り合いになり、
ベクトルの違い=矛盾が顕在化します。
そうなると、ハラスメント→ウツ病の発生、となるわけです。
コミュニケーション自体は問題ではないので、
コミュニケーションを強化しても解決にならないわけです。
それどころか、本文にあるコミュニケーションを強化すると
コミュニティーから排斥しようと動くいじめのメカニズムが
発動してしまうので、ますますウツ病が増えるという
悪循環におちいるわけです。
これいずれ記事一本にできるネタになりそうですね。
営業職は「顧客の要望を理解し、分析し、その顧客に最適な商品・サービスを提案する」ことが重要。
また、さまざまな価値観・感性を持った人が協議し洗練してこそ、新しい技術や商品、サービスが生まれる。
当然、求められるのは>>3の人が語るような「相手の主張をしっかり理解して、自分の主張をしっかり伝える」コミュニケーション能力。
で、そういう成果を生み出すための下地として、「職場の人間が気分良く働く」だの「報告・連絡・相談」だの「相手を良い気分にさせる」だのが求められるわけ。
ちなみにこの程度のことは企業の新人研修で真っ先に教えられる。基礎中の基礎。
「コミュニケーションが何故求められるのか」を理解できない人間がコミュニケーション不要論を語ったところで、いったい何の意味があるんだろうか???
あっ察し
と、コミュニケーションの重要性を理解してる人は皆こう思うでしょうね。
>>3
の人が書いてる
>>「コミュニケーションが何故求められるのか」を理解できない人間がコミュニケーション不要論を語ったところで、い>>ったい何の意味があるんだろうか???
まさにこれです。
コミュニケーションを大して必要としない仕事を生業としている人がコミュニケーションがいかに不要であるか語っている
これはなんとも・・・
はっきりいって、コミュニケーション能力がない自分を慰めてるだけの文章にしか見えません。
上の方も述べられているように
できるからすごいんじゃないんです、優れてるんじゃないんです。
出来て当たり前なんです、そこから出発なんですよ。
>>採用基準にコミュニケーション能力の多寡を持ってくるのは頭悪いでしょ
そんな事実ありませんね。
存在しない事を前提に反論されたところで答えようがない。
できるから採用する、できないから採用しないという話ではなく、できて当たり前なんですよ。
そんな低い次元であぁだこうだ屁理屈こねて牛歩しちゃってる人間とはどの程度のものか。
お察しレベルですね。
>コミュニケーション至上主義におちいると、
>コミュニケーション能力を高めれば、
>誰とでも付き合える的なファンタジーな思想になります。
ゲーテ曰く
もし自分の生まれつきの(この場合気の合わない人と付き合いたくないという)傾向を克服しようと努めないのなら、教養などというものは、そもそもなんのためにあると言うのかね。
あなたの言う事は、おそらく論理的には正しい。
あなたの言う所のコミュニケーション至上主義者は、他人を自分に同調させようと望む点において、間違いなくコミュニケーションという物を履き違えているのでしょう。
だからと言って、その誤謬を指摘するのならばともかく、コミュニケーションそのものを否定してしまうのは、集団の中で異端を排斥する行為となんら変わらない。
またゲーテ曰く
性に合わない人たちとつきあってこそ、うまくやって行くために自制しなければならないし、それを通して、われわれの心の中にあるいろいろ違った側面が刺激されて、発展し完成するのであって、やがて誰とぶつかってもびくとしないようになるわけだ。
二百年の時を経て、いまだに教養の手本とされるゲーテは、あなたがファンタジーと切り捨てた事を実践していた様ですよ。
まぁ、それには素養が必要なようですけどね。
「うちは、コミニュケーション主義でやってるから気持ちよく仕事してる。問題がない」って反論したそうです。
結局その部署は問題解決できずに大きな損害出したため責任者が首になって解散となりました
残った社員はろくな能力も持ってなかったので新しい部署でコミニュケーションがうまく取れず苦労してます。
たしかに最低限のコミュ能力は必要ですが、コミュニケーションばかり重視してると効率が悪いです。
見に来てみれば案の定コメントでザックザクに斬られてるしw
大体企業の採用理由が「泥棒しなさそう」って絶対まともな所じゃないですよwスラム街ですかww
その辺は前提条件であって重視するとかじゃ無いんじゃないですかw
自分の狭い社会の中で必要ないからって、何も考えずに必要ないとか言うからコメントが煽り合い宇宙になるんですよ。
そういうのを防ぐのがコミュ力なんです。誰だって職場が煽り合いのギスギスじゃあ嫌でしょう?
まともな企業では最悪技術は入社してからシステムによって叩きこめばいいので、一朝一夕では身につかない人格面を重視するのは合理的な判断だと思いますけどねw
責任を取る必要がないシステムを組めば、責任感がなくても構わない
専門家を作る必要がないシステムを組めば、専門性がなくても構わない
ブログ主の職場は誠実さが大事という話だけど、これも泥棒しても仕事中に遊んでもそれが即発覚するシステムなら、どうでもいいわけっす・ω`・
なので後はシステムを円滑にまわせば事足りるので、コミュ力が重視されるわけ・ω`・
さらに新卒採用となると、企業が求めるのはスタッフじゃなくてエグゼクティブだからね・ω`・
ブログ主は採用=スタッフって考えてるけど、大きな企業にとってスタッフは高卒・専門卒・外注で採用するもので、新卒採用はそれらの管理をする人材なのよ・ω`・
なので、全員が金八でいいわけ・ω`・
ブログ主が2点あげて、なぜか放置しちゃった「相手を気分良くさせたり、気分を悪くさせない」こそが大事なわけ・ω`・
ほーれんそーとかできてあたりまえ、むしろそれすら出来ないスタッフを管理・指導することが求められるんだよ・ω`・
ただ極端すぎると申しますか、既に他の方がおっしゃられている通り世界が狭すぎるのではないでしょうか。
本当にご自身が正しいとお思いなら、皮肉でもなんでもなく純粋な気持ちとして「企業アドバイザーにでもなればいい」のではないでしょうか。
その上であなたが成そうとすることに障害が生じるのか否か?障害が生じるならそれは何なのか?
そこまで追及して始めてあなたの理屈が不変の真理であることが証明されるのではないですか?
この記事の存在理由が「コミュ力の不足した若者へ一つの選択肢を示すこと」であるならばともかく、「さもそれが不変の真理であるかのごとく説教をかます(ようにしか見えない)こと」であるならば、その証明としての根拠が不十分な時点で非難を受けるのは必至でありましょう。
記述内に的を射た発言もあるだけに、非常にもったいないと感じました。
>この記事はコメントに主が反論するような記事じゃないよ
うちの会社はコミュニケーション重視で採用して
うまく行ってるなあと感じるか、
失敗してるなあと感じるかの2択しかない感想の話だから
『世の中に対する何かを斬る』スタンスを取るのであれば当然「それで上手くいく業種or企業形態」と「それで失敗する業種or企業形態」の違いを明確にすべきであり、記事を読んだ個々人がそのどちらに当てはまっているなどといった感想でコメントを埋めることに意義があるようには思えません。
ただ記事に書かれていることに賛同する、反発するの二極化だけしてその先を見ないのではそれこそ何の生産性もないように思えてしまいます。
コミュニケーション能力がいらないのはあんたが個人でやってる小規模なビジネス枠の中だけの話だろ?
規模が大きくなれば当然人手がいるから円滑な情報交換、本文中で言うならホウレンソウがいる訳だ。これが的確に出来なければ気分云々以前に大損害だ。
そして末端の金八な。金八だらけでいいんだよあいつらにとっては。
何故なら末端の作業員程度「人員がいれば誰がやっても一緒」だから「自分が気分良い」以外の要素を必要としてないんだよ。
頂辺から足先まで高次に稼働させたらそれこそ莫大な時間=コストがかかってしまう。中間管理職を整備するより仲良しごっこのまま放っておく方が安上がり。それで利益が出るんだから何の問題もない。
コミュニケーション能力を使ってゴマすって給料出るシステムを勘違いしているのはお前の方だろう?
中小企業どころか個人経営の店主が言ったって説得力ないわーですよ。
そりゃしょぼいカードショップなら1000単位の社員運用しなくていいですからね
一回の仕事で何百万稼ぐ企業は信頼されてるからそういう「稼げる仕事」をまわしてもらえるんですよ?
100万円の時計を買うときに、大企業の傘下の店で保証とかバッチリ!と
胡散臭い露店だけど保証バッチリスルヨー!と
どっちから買いたい?ってこと
信用や信頼を勝ちとる手段としてコミュニケーションというものが使われるんですよ
まぁネットショップなら人と話すことないですからね、
そういうビジネスモデルってのは確かにありますけど
じゃあ全員が全員ネットショップ店員できるか?ってことですよ
自分がある程度の成功したら他は全員「バカ丸出しだぜウェヘヘー」って
まぁ狭い世界で生きてるんだろうなーって思われますよそりゃ
大体人の意思が介さない仕事なんて機械にでもできるんですから
あなたがやらなくても他の人がやるしそれで何の不都合もない、
あなたじゃなければ出来ないってことじゃないとそのうち埋もれていきますよ
・コミュニケーション能力を持つ人は重複しても良い
コミュニケーションは一人で行うものではないので、重複することに問題はありません。
できれば全員に持っているに越したことはないと思います。
・職場の人間は気分良く働ける方が良い。
いくら仕事といえど、それ以前に人間です。ストレスが溜まり過ぎると、仕事効率が落ち、退社してしまう可能性もあります。これは会社にとってマイナスなのではないでしょうか。
・ロスカットは必要
発電機に例えますと、「発電機の性能向上は、エネルギーのロスカットをしているだけでエネルギーが増えるわけではない。よって、発電機の性能向上はする必要がない。」というのと似ているのではないでしょうか。
しかし、性能向上しなければロスした分を他で補う必要があり、無駄が出ます。よって、私はロスカットこそが伝達におけるコミュニケーションの1番の目的であり、それで良いと思います。
・プログラムは万能ではない
プログラムというのは、プログラム作成段階で想定しできる範囲でしかカバーできません。
コミュニケーションが必要となる場面では様々な場合が想定されます。
しかし、ミスを減らすためのある程度のシステム化は様々な企業で取り組まれております。
・営業は1対多だけではない。
確かにネット広告は市場に対して的確に広告を設けることができて、とてもコストパフォーマンスが良いです。
しかし、これは一般ユーザに向けられる広告です。
接待費と記事に書かれているので、会社が会社に対して行う営業を指しているのではないでしょうか。それであれば一方的に情報を送り付けるネットの広告はほとんど無価値です。
買いに来る企業もありますが、売りに行く企業もあるのです。
長々と書きましたが、私も異常にコミュニケーション能力を重要視することには反対です。
人と接することが少し苦手だけれども、スキルをしっかりと持っている人。このような人もしっかりと評価できる社会であり続けたいですね。
そして、ニコ動運営はなんでこんなのを話題にしたがるんだろうか?そこが一番の謎
ぶっちゃけた話、不要言うなら、不要で済むやり方を「詳しく」のせてほしかったな、そしたら真似したくなるかもしれないし(コミュ「能力」低い人はね?)
まあ、作者の考えは伝わった?けど、正直、それが正解であるかは別って事だね、少なくともそういう事を決めるのは評価者こと「他人」だろうし(仙人生活してて評価者も「自分」でいれるなら別)
ま、上記コメがさんざん言ってきたことだし、言わんでもいいかって思わないでもない(私も言ったけど)
これは私の助言、精神科通ったら?きっと検査か何かで引っかかりそうだし?(と現在通院中の私が言ってみる)
起業や事業内容によってはコミュ力は必ずしも重要でない話をしているのか(←わかる)
新卒にコミュ力を求めることのおかしさを指摘したいのか(←技術、専門性、経験値を期待できない新卒に「既存の社員とコミュニケーションが取れる」ことを求めるのは間違いではないのでは)
事業でのコミュニケーション至上主義を否定したいのか(←言いたいことは分かるが敵がぼやけすぎてる)
コミュ力が無い人にネットビジネスでの魅力を説きたいのか(←新卒の話どこいった?)
コミュ力の無い奴をいじめやうつ病に追い込む危険性を指摘してるのか(←起業や新卒もう関係なくね)
どれにおいても曖昧でざっくり話されて、話題も飛び飛びだから結局何の話がしたいのかが分からん…
コメント欄でも、記事でも、「自分の思うコミュ力」基準で話してしまってかみ合ってない印象をもちました。
これはいじめ論でも同様で、曖昧で便利なくくりの概念ほど統一基準が生まれません。
なぜなら基準がないまま一つにくくってしまっていることに気づいていないから。
だから個々のケースに合わせて論じることができないのでは。
場面に応じたコミュ力が求められるわけで、
生きる上で絶対的に必要だ、とねじ込まれる風潮は間違っていますね。
ネットショップで品物を右から左へ動かす業態であれば、この記事は正しいです。
それぞれ立場が違うのに、同じ場所、同じ業態で動いていると決めつけて話してしまうのは、
世間が狭い、のではなく、むしろ世間が広いからでしょう。
だから自分は世間を熟知している、自分の認識が正しい、と信じ込んでしまうのではないかと。
この記事に対してやたら非難的な人は、「自分の周囲が世界のすべて」と思い込んでいませんか?
蛇足ですが
「コミュ力批判者はコミュ力が欠けている~」という意見・・・
さすがにこういう子供っぽい思考は中学生で卒業しましょう・・・
目の前で実際に人がいて喋ることなんて普通にある。そのときの会話は当然コミュニケーション能力がなきゃだめだろう。そこで気分を悪くするのはコミュニケーション能力が低いだけ。
報告・連絡・相談だって会社が大きくなればなるほど必須なスキル。生産性はなくても一人で100%会社を回せるわけがないのでなくなるはずがない。
職場の気分はまぁ悪態つく奴ばっかの職場よりはましにはなるから必要かなぁと。
ただ同時にコミュニケーションの神格化と排他的になるってのは多少同意。無駄に絡んでくるのをコミュニケーションと勘違いする奴がいるがそういう奴はうざいだけ。どんな人ともそつなく話せる程度の能力で十分。
それいったら虐めは戦争・・・はともかく
虐めだってなくした方がいいけど消えないじゃん。
諦めて媚びうるか、実力主義(それに近い)の商売を自分でやるしかない。
漫画家歌手芸能人が実力主義なのは、消費者だけで
面接官等が、漫画家などの顔や声が気に食わないだけで落とすし
逆に気に入れば多少つまらなくても仕事は貰える。
ゴミみたいな歌手が持ち上げられ、AKBみたいな女がアイドルになり、
ピクシブの素人よりつまらない漫画が連載している現実をみればそれは明らか。
大なり小なり世の中の根本は、枕営業ってこと
しかし私はこれでいいと思っている。(妥協)
プライドの為に実力をみないと聞くとウザいけど
仕事場でナメられたらそいつ個人の利益も減るからね。
それにここの店主なんて自分が得すれば他人なんてどうでもいいと思っているじゃん。
じゃあ自分の権力でおだてて貰ったりで気持ちよく(意味深)してもらって
センスないコンテンツを消費者に提供すればいいじゃん。
僕は仕方ないと思っているから、金の為でしか仕事したくないです。都合のいいロボットです。
実力やこだわりみせたいなら趣味で
「コミュニケーション不要論」には若干疑問
特に相手の抱えている問題や要望を正確に聞き出す能力としての
コミュニケーション能力というのは、営業・企画・ディレクションには不可欠
「顧客の要望は必ずしも顧客に必要なものと一致しない」という問題を
スムーズに解決する能力も、コミュニケーション能力に類する
全員に必要なわけじゃない
むしろ全員がコミュニケーションにコストを割くのは非効率ではある
しかし誰一人持っていないとそれはそれでまずい
PS:
クライアントのご機嫌取りをコミュニケーション能力と思ってる営業は氏ね
それを踏まえたうえで、いくつか引っかかった点が。
面接官がBタイプで、それを善しとしているから、Bタイプの新人を採用する。まあ分かります。しかし面接官が常にBタイブとは限らないわけで。Aタイプの人もいるとは思いますし。なのに「コミュニケーション」という言葉を出す面接官が皆Bであるかのような文章には首をかしげます。
「金八はクラスに1人でいい」ん?金八はあくまで例えですよね?金八タイプが複数いてはいけない理由は?よく分かりません。全員が金八なら収拾が付かないでしょうけど。
例えば、仕事が良く出来るけど取っつきにくい人と、仕事はそこそこだけど人あたりが良い人。後者のほうがものを頼みやすいですよね。しかし利益を考えると前者にやらせたほうがいい。主の「コミュニケーションとは決して効率・生産性のよいものではない」と合致します。
しかし、人は機械ではないので、後者に頼むことが多いのです。ああ前者タイプにコミュニケーション能力がもう少しあれば!となりませんか?
「ホウレンソウは大事」ならばAタイプならいいんですよね?私もそう思います。しかし記事の内容はBタイプ叩きにばかり終始して、繰り返しになりますが「コミュニケーション」そのものを全否定しているように読めるのです。
やはり所々、「一人で」「ネットで」仕事してる人の論点なんですよね。自分には無い視点なので興味深くはありましたし、仲良しごっこ否定にも同意しますけど。
企業業績が悪くなった一因になったというよりは、
業績が悪くなるほど、集団はコミュニケーションに
傾倒する傾向があるのかもしれない
これコミュニケーション能力が低い人が集まったため適切なコミュニケーションがとれずに案件が失敗した駄目な例をあげているようにしか見えない。
コミュニケーションで重要なのは相手と自分の脳内イメージの誤差が少ないこと(誤差が無いのが望ましい)とイメージを合わせる速度が早いこと。
システム開発案件で重要なことはお客と営業、営業と設計者、設計者と開発リーダ、開発リーダーと機能開発担当者、機能開発担当者と開発者のそれぞれで今やっている仕事のイメージが一致していること。
これが全部違う人だった場合のイメージ伝達作業でイメージがずれてしまうとバグができる。
バグができれば開発に時間かかったりシステム開発自体がとん挫して資源(時間や金)の赤字が発生する。
そのために伝達作業のイメージのずれをなくすためにコミュニケーションが重要って言われてる。
業績が悪いコミュニケーションはなにかというと、イメージが合ってないのに話し合い終了だったり、話し合いに時間を無駄に浪費する場合。
だからコミュニケーションは重要だって言われてる。
ちなみに大規模化はロスが発生する、コストカットをしても0にはならないの意見は賛同するけど、ロスを数百人月から数人月にするためにもコストカットは重要。
さらに、営業がお客にたいして、機能追加の話をする際に何故この機能が必要なのかの説明もスムーズにできる。
> コミュニケーションの要素を縮小することが
> 現代ではビジネスチャンスやコスト削減だと
> 捉えているわけだから、
> 実際それをやってる俺が言うべきでしょ
たまたま記事とコメントを見たので書きますが、貴方が別に語っても良いと思いますよ(一人前の社会人な訳ですし)。
それに不要なコミュニケーションを削減することは、確かにビジネスチャンスやコスト削減につながります。
ですが、「一般的なコミュニケーション」と「コミュニケーションではない不毛なやり取り」をきちんと区別されていますか?
その区別は会社や業界、歴史によって様々であり、ある側面から見れば無駄なことでも、その分野では重要な場合もあります。限られた側面しか知らない一般的な社会人には簡単に窺い知れることでは無いと思います。
「実際それをやってる俺が言うべきでしょ」からも、仕事において努力されていることは伝わりますが、であればこそ、理想と現状の社会に対して、自分はこういったことをしている話に、とどめておくべきだったのでは。
ビジネスという大きな枠組についてフラットな視点で、必要なことだけを明瞭に伝えているとは見えませんし、垣間見える煽り文章や、最後の若者~の下りを見るに、それなりに偏った意識で書かれた文章に感じられました。
データやソースで補足する前に、他の方もおっしゃっていますが、イメージや意識が少し先行したご自身の記事を見なおされてはいかがでしょうか。
コミュニケーション能力を神格化してるのがおかしい。って言ってるみたいだけど、人によっては伝わりにくそうには思ったかなあ;
全員が全員できるだなんて、社会主義的思想は夢物語ですし…
どんな企業でも言えることなんですが。確かに時代の変遷に応じて、対応は変えていくのは必要ですよね。
でも、企業は新しくその都度毎に編成はされません。時代が変わる前の状態を引き継いで、時代の変化にリフォームのごとく対応する… つまり、総入れ替えじゃなく、一部を変更して、対処する形になってます。
一部だけを変更するとどうなるか?一部の変更で全体の調子をよくしないといけなくなるので、いびつな動作をさせてしまうことになります。
長くなりましたが、まとめますと「コミュニケーション能力という絶対的な救いなんてない」ということですよね
最後に、思ったんですが、説明が説明じゃなくて腹の内をぶちまけてる状態になってるようには感じました;
コミュニケーション能力が仲良しクラブのためだと勘違いしている人が多い現状を嘆くのはそれほど不思議でないです。
よほど普段、自分の「仲良しクラブ」を作るのを邪魔する人間がいて鬱憤が溜まってるのかな。残念ながらその邪魔な人間がコミュ力が低いかは疑問ですが。
コミュニケーションスキルというのは、はじめはアメリカの真似事として始めたものです。(ちなみにアメリカは日本以上にコミュニケーションスキル重視です)
しかし、その元々のアメリカ人が言うコミュニケーションスキルはだいたいプレゼンやエッセイを書くのがうまいとかそういう話。
失敗の根源は、コミュ力という聞き慣れなくて、定義のよくわからない言葉を、「仲良しクラブ作成能力」だと履き違えてしまったことです。
ちなみに私はコミュニケーション能力はビジネスで最重要だと思います。もちろん元々の意味でのコミュニケーション能力の話ですが。
仲良し小好しの職場環境というのは、実際には、正しく論理的な情報伝達を行う障害になる場合が多いです。
なお悪いことに、本人たちは「コミュ力」があると思い込んでるので、ちゃんと情報伝達できてると勘違いするわけですが。
むしろ別に仲が悪くても、「元々の意味での」コミュニケーションスキルがあれば、論理的な伝達は可能です。
仲が悪いからと論理的な結論さえ否定するのであれば、それは伝達される側の人格の欠損が原因であって、コミュニケーションスキルの問題ではありません。
仲良しクラブの正体は、自分が気に入らないけど論理的に正しい物事・人を否定したい感情論に由来するものと言っていいでしょう。
理解できていない者ほど、コミュニケーション能力が大事だと「他人に言ってまわる」(←ここ大事)。他者に対して「俺はこんなに世の中の大事な事をわかってるんだぜwwww」とアピールしたいから、そうしているのだ。
なお、さもわかっているかのように書いている私は、立派なコミュ障。
コミュ力ガーなんて得意げに言ってる連中は、超能力者と同レベルに胡散臭いと思ってます。
少なくともこの場のコメントの流れ見ている限りでは「多数派であることで不利益を被ってない人」よりも「あなたの理屈がおかしいと思っている人」の方が圧倒的に多いように見受けられますがね。
>>150も本文の主張もほとんどがそうなんですけど一部の当てはまる事例を見て例外にほとんど目を向けようとしていませんよね?あなた。
例えば>>150に関して、「主はとてつもない阿呆である。そして阿呆であるが故に自己の愚かしさに気が付けず都合の悪い発言はスル―するか適当な言い逃れを行い認めようとしない」と言われたらいかがしますか?
実際は「主が阿呆」という前提が間違っている可能性もあるわけですが、それを無視して結論ありきで主張を行うことのなんと愚かなことでしょう。
まあ必要以上に攻撃的な方々もどうかと思いますがね、しかしそれがあなたの正しさの証明にはならないんですよ。
それと、コミュ力の定義やら言葉の意味について言及して擁護しようとする方がいらっしゃいますがね、この炎上はそんなものが原因ではございませんよ。
もちろん、読解に難のある方もいらっしゃるのだとは思いますがね、それは上記で示した通りあくまで一部の存在であって全部ではないんですよ。
それでは何が原因なのかと申しますと、例えば後半の
>ビジネスにおいて、コミュニケーションの役割は大きく分けて3つあります。~現代型のビジネスモデルの基礎になりつつある概念と言えます。
の部分で、今さら私から語る必要もないので詳細は省きますが、ある視点では正しいものの、ある視点では間違っているのが良くないのです。
つまり「コミュニケーション能力なんてバカ丸出しの概念」と断定するにあたって「その根拠として説明している内容」があまりにも稚拙だから反感を買うんです。
分かりますか?主にとってのコミュ力の定義とかそういうのはどうでもいいんです。社会批判じみたことをしておきながら言っていることがただただ稚拙だから反感を買うんです。
さらに言わせてもらうなら、この程度のことも読み取れずいつまでも狭い世界(価値観)に閉じこもっているからコミュ力がない等と言われるのであって、そのような目で見られれば当然「コミュ症の自己擁護、社会批判」などと取られるのも仕方のないことでしょう。
しかし、それは決して読者の性格が悪いために主張が正しく理解されないなどということではなく、むしろ主や擁護している方々が思っているよりもずっと多くの方が主の「正しい側面は」認めているはずです。
実際、そのような趣旨の発言をされている方がチラホラいらっしゃいますでしょう?その意味をよく考えてみてはいかがでしょうか。
>>224
コミュニケーション能力が高い人を求めるのは育てやすいからです。
新人に100伝えて100できるなんて思ってる上司がいたらブラックでしょう。
こちらが作業の100のうち1を伝えてわかりましたと新人が答えて作業を実際に行うと1になる人と-3になってしまう人とが実際に去年もいました。
この作業が終わったら次に進まずに報告するようにと伝えただけです。
作業終わったのに報告しない、勝手に先に行ってしまい、他の人の作業に影響がでる等が発生しました。
例年こういった新人によるロスが発生するので見越した範囲内だった為に影響はでませんが、-3になる人を育てるには手塩にかけて育てるので時間がかかります。
10言って10理解してくれる訳ではないので1言って1理解、最悪0.1ずつ10回教えて1になる場合もありました。
ホウレンソウのホウだけを求めても意味が通じていない、忘れる人と接点を持ってみることをおすすめします。
世間のしがらみの中で生きる為には意思の疎通が出来る程度にはコミュ力ってのは必要だと思うのよね
記事主のように自分一人の世界で完結してるのならコミュ力なんてあっても無駄にしかならんのだろうけどね
仲良しクラブだから衰退するってのも同意
多少殺伐とした関係の方がお互いに緊張感が生まれて仕事にメリハリついて仕事効率や能力アップに繋がるから仲良し過ぎるのもダメよね
ただ仲良しクラブの全てが全て悪い事じゃないってのもあるのよ
職場の雰囲気がずっと殺伐とした空間だったら息が詰まって苦しいし、ストレスにも繋がる訳だからね
このコミュ力至上主義が他を排除する動きってのはダメな仲良しクラブの例よね
俗に言う馴れ合いって関係になると思うが
コミュニケーションってのは相手を理解する事、自分の気持ちを伝える事であって
仲良しクラブ作って理解出来ない者を排除したりする事じゃないって事なんだよな
かく言う私もそうでした。これは迂闊と言わざるを得ません。
私の想定していたモノは、記事主が挙げている1つ目、2つ目の要素について「支障が出ないようにする」ために
対人関係における基礎的な素養ことです。礼儀や配慮と言った方が近いかもしれません。
近年、ニュース、書籍等で、「そういった能力に欠ける若者が多くなっている」という内容を目にすることがあります。
自身の職場でも、「同僚への接し方で不快感を与える」「対外接遇で危うい言動をする」「不明点があるときに確認せずに放置する」「自分の考えに固執する」といった人物に遭遇することもあります。(何故増えているか?、本当に増えているか?は置いておきます。)
「企業の採用担当がコミュニケーション能力を重視している」については、この「対人関係の能力に欠ける人ではないだろうか?」という部分を重視しているからでは、と考えます。(一人当たり数分、数十分でのことですから見抜くのも大変でしょうが)
「コミュニケーション能力が不要なビジネスモデル」については、職種によるだろうな、という印象です。その強みが思いも付かない世の中の流行になる可能性はあると思います。他方、人との折衝の無い仕事というのは、技術が進歩しても中々に稀だと思いますし、「人を不快にさせない」と言うのは当たり前の様で意外と難題です。
あと、起業者は事情が異なるかも知れませんが、「嫌いな人・合わない人とはそもそも付き合わなくていいのに」というのは社会人としてはチョット難しいかと。そういう人が上司、部下、同チーム、顧客、顧客の顧客等になることはザラです。意見としては、「嫌いな人・合わない人と『表面上』問題なく付き合う」のも、「コミュニケーション能力」なのだと思います。
長々と失礼しました。
>アマゾンで買い物することも、
「コミュニケーション」の1つであることは間違いありません。
「何を」「何個」ほしいかを相手に伝えてるわけですからね。
でも少なくとも「コミュニケーション能力」なるものは
どこにも出てきませんよね。
この発言だけでバカっぷりが既に発揮されてるのがお分かりか?わからないコメント人も気を付けてください。
買い手側だけではありません。売り手側が、品物は何があるのか、その品物に需要はあるのか、何個あるのか、どう言う状態か、発送はどうするか、買ってもらえるようにするにはどうするか、etc.こう言ったものを買い手側に伝える努力、試行錯誤をするのもコミュニケーション能力の一つです。
と言うか、企業、企業内のコミュニケーション能力の話のはずなのに、何故買い手側になったのかが甚だ疑問です。その的外れっぷりはどうかと想いますよ。
日本人って、何かとすぐ神格化したがるんだよなぁ、、、
学歴ガー
年収ガー
顔ガー
根性ガー
コミュニケーション能力ガー
原発ガー(太陽光ガー)
相対性理論ガー
ips細胞ガー
つって、神格化しだすと、それと同時に反対の物を徹底的に攻撃し始める。
コロコロと、その時代時代で、「それが悠久なる宇宙の絶対の真理ダカラ、俺ニシタガエー!」と叫びながら、発言の責任は有耶無耶にしながら、手の平を返しつつ下の人間を教育と称して徹底的に暴力で叩き込むのが、わが国日本において、美徳とされてきたモラルの正体。
んで、結局、大事なのは、「金」でも「顔」でも「コミュニケーション」でも無かったというオチで、不況の日本がどんどん迷走を極めていくのだった。
コミュ力あり→「報告遅らせて被害拡大になったや余計怒られるな・・・どうせ怒られるし早めに報告しとこ・・・」
コミュ力なし→「怒られるの怖いな・・・だいたいあんな指示の仕方するからいけないんだブツブツ・・・」
・先輩や上司に仕事を任されたが指示とは食い違った成果物が出来た。
コミュ力あり→「すいません、自分が勘違いしておりました。次回からそういう所も確認するようにしていきます・・・」
コミュ力なし→「いやこのほうが良いじゃないですか!!」or「そっちの説明不足じゃないですか!!」
・新人の部下に振った仕事が指示した時間より遅い。
コミュ力あり→「ちょっと遅くない?何してるの?あぁ、そこで躓いてるのね。こうすればいいよ。うん、そこは気にしなくて良いよ、先に言っておけば良かったね。悪い悪い、でも、わからない事あったら今度から都度聞いてね。」
コミュ力なし→「ちょっと遅くね。何やってんの。そんなのこうすりゃいいだろ。普通わかんだろ。んなところ気にしろなんて俺言ったか?ブツブツガミガミ(15分~30分ほど自分の仕事放置して叱責に時間割く」
などなど。
顧客とのやり取りは・・・まともな会社でコミュ力ない奴が他会社と打ち合わせで喋ってるの見た事無いので知らん。
出来るやつしか任されない役目だろうし。
まぁこれだけでもコミュ力無いやつよりコミュ力ある奴のほうが有能ってはっきりわかんだよね。
で、きっとこれ見た人は「あーうちの会社にもいるわ」って思ったと思うんだよね。ほ と ん ど の 人 が
それってつまり"普通の企業にこんなコミュ能力低い人がたくさんいる"所為でブラック企業になった会社もあるわけで。
皮肉な事にブラック企業を作ってるのはその会社の社長だけじゃなくて社員も手伝ってるんだよ。
人を鬱にさせてんのも全部こいつら。マジでコミュ症は会社にとって腐敗の種なんだよね。
だからコミュ力高いやつ求められて当然なわけよ。
コミュ症ってのは口数の少ないやつの事だけじゃないんだよ。
人を傷つけるような稚拙な話術しか出来ない奴も十分含まれるわけよ。
わけわかんねえwww
じゃあ、ネットショップの経営でパソコンが必要であるってことはデメリットになるわけだww
コミュニケーションの代替となるシステムがツールが使える仕事があるのは否定しないけど、そもそも自社の社員とのコミュニケーションが取れることなんて大前提で、会社の募集してるコミュニケーション能力のある人ってのは顧客や他社社員との意思疎通をきちんと行えるかどうか
そのためには自分の会社の仕事についてきちんと理解しそれを伝える能力がいる
あなたの仕事の仕方やあり方を否定はしないけど自分のほうがマイノリティだということを理解できてないあたり、あなたはコミュニケーション能力がないのでは
まず、しばしば感情的な人間を上手に説得できる人間にしか人はついてこないよ。
会社でも家庭でも友人同士でも他会社とのやり取りでもどこでもね。まぁカンペキにできる人間はいないが、少なくとも努力してるやつは努力値に比例して友人も多くて長々とモテてるし上司にも愛されて出世のチャンスばんばん振られる。
いつもしかめっつらで陰気で他人ばかり妬んで、自論に引きこもっているコミュ症は真逆の結末である。
そりゃ先ほども述べたとおり、コミュ力の高い=よく喋るではないからなぁ。セクハラと思われないような接し方だったんだろう。本人がどう紳士的に接したんであれ、結果的にその女性にはそう判断されただけの事だべな。
あと、バカなヤリチンはどうしたって会話に下心(女からしてみれば)見え見えなんだろう。そんな異性付き合ったって遊ばれて捨てられるだろうな。
>>273
まぁ、自虐なのは違いないなw
俺も元々は記事主みたいな事を考えていた時期はあったからな。そしてそういう時期はやはり一人で腐って自分で自分の首しめつけてたな。よく喧嘩もしてきたし、好きだった人を傷つけた事もあったし。
俺も自分の事はある種のコミュ症ではあると思うよ。
おかげで自分に同意してくれる人は少ないしモテた事もないけど、
まぁそれもこれも自分が未熟だった所為だと受け入れるように数年前にやっとなれたな。
「コミュニケーション能力低い事にずっと甘んじてるやつは、争いも多く、誰にも理解が得られず、優しくもされない。
すると当人は自分を不幸と思い始めるだろう。そうしていった挙句に自分一人で生き、自分の考えに固執し、自分だけが正しく、自分は傷つけられてきたのだから他人を傷つけたっていい。だから何言ったっていい。皆許されてるのに俺だけ許されないのはおかしい。という答えに行き着き、更に多く敵をつくり、更に理解者を減らし、更に傷つけられるだろう。
そうしていった挙句、会社に居づらくなる。退社する。家に引きこもる。さらに自分の思考の奥へ奥へと逃げていく。
自分自身に言い訳して肯定しながら、そして自分の世界を通してでしか世間を考えられなくなる。自分の基準で世の全てを決めるつける。
こんなのが何十年も続いてみるとどうなる?
きっとある日ニュースで「○十歳、無職のX田○男氏が○○を殺害する事件が発生。容疑者は意味不明な自論を述べており・・・」と流される事だろう。
会社の飲み会やイベント→少なくなる方向
必要事項の連絡 対面→電話→メール
今はコミュニケーションが減っている企業(大小問わず)が
効率がよく利益が出ているし、多数の客もそれを求めている
(もちろん、ホウレンソウはきちんと満たすことは大前提ね)
一方で、趣味に使うコミュニケーションは逆に増えてる
SNS、サークル、イベント、オフ会なんかは格段に増えてるし、
うちのTCGだってデジタルゲームが主流の中で
すたれない対面コミュニケーションゲームだしね
コミュニケーションは楽しみのために使うもの、
それ以外は最小限にすべきって流れを
実際のところ多くはちゃんと理解してるんじゃない?
社会におけるコミュニケーション能力なんて概念望んでるの、
ほんとうに多数派かどうかももはや怪しいものだよ
コストがかかろうが知らん、
それが本物のコミュニケーション能力なんだ、
自分を高め続けないとダメなんだ、では
職人気質としか言い表せないと思うよ
必須というか「ある人」と「ない人」のどちらかを選べという話なら、あるほうがいいでしょう?
実際に、新人には色々な仕事を振って能力を見る関係上、コミュニケーションが求められることが多いという事情もありますし。
面接官の人も判断基準の一つとして設定しているだけで、コミュ能力より見出すべき価値や実績があればコミュ能力がなくても採用に踏み切りますし。
たぶん、あなたの周りがコミュ能力を神格化してる人ばかりだから、そんな風に偏った認識を持っているのでしょうけど、もう少し広い範囲を視野に入れて見渡せば「あれ、思ってたのと違うなー・・・」と気が付けるんじゃないかと思います。
個人事業主ならいざしらず、会社の金で取引してる人間は、たまたま自分の前にいる末端への個人的感情でハンコついたりはできないからね。
仮に得意先の担当者と親友になれたとしても、舵取りしてる上位の人間が割に合わないと判断すれば切られるのが普通だし、これは出資者の金を預かって運営してる以上当然の義務で、泣き落しで覆る問題ではない。
何にしてもそうだけど、自分ごときの影響力をあまり過大に見積もらない方がいいよ。
あ、ちなみに社内的な云々で必要だとか抜かしてるんなら論外ね。
お友達としか会話できない人間なんて、そもそも社会人として失格だから。
その曰く「コミュニケーションを減らす為のシステム」を作るのに
コミュニケーションが必要なんですがそれは・・・
「顧客が本当に必要だったもの」の図を見た事が無いのでしょうか?
あの図、コミュニケーション不足や伝達不足により起こる悲劇を示した
典型的な1枚で結構有名なんですが・・・
ついでに色んな業務システムを組んできましたが、
定型化できる作業を定型化させてミスや作業量を減らす為にシステムは存在するのであって、
決してコミュニケーションを減らす為にシステムを作ってるわけではありませんし、
システムがあるからコミュニケーションが減ってるなんて正直ありえねぇですはい。
顔と顔を合わせて~であれば。まぁ減ってるだろうね。
その場合考えられるのは「仕事を受注した後に、送られたクライアントからの要件定義書が非常にわかりやすく、質問しなくても済むほど完璧に近い」とかだと思う。そこまでしっかりした会社なら利益をしっかり出せるだろうね。
というか、社外でコミュニケーションを取る機会って"仕事受注する際の要件定義の打ち合わせ""進捗度報告""不明点の確認""納品報告"基本的にこの4つぐらいしかないんじゃない?これより多いってのはそうそう無いべ。
あるとすれば進捗度報告だけど、頻度多すぎると怪しまれるからせいぜい1、2回だろう。場合によるが、基本的に。
不明点の確認の頻度が多いのも"送られた資料が汚くて分かりづらすぎる内容"って事だろうし。
"仕事の会話"に置いては必要最低限しかやり取りしないのが理想だよ。
コミュニケーション能力の高さを計るのは量ではなく質。その内容だよ。
量が多いってことはそれだけ説明下手か、語彙力が至っていないか。だから延々と長引く。
延々と長引けば人間イライラするし、それで話が余計な道へそれたり、だんだん話してる本人も自分が何言ってるかわけわかんなくなったり言いことない。
質が良ければ上記のような事が起こるリスクは少ない。
>・・・これいります?
「必要」と断言できます。
気分が良い方を人は好みます。
当然、優秀な人であっても全く同条件であれば気分が良い方を好みます。
気分が悪くはならないけど良くもならない、気分が悪くはならないけど良くなる。
優秀な人はどちらを選ぶでしょうか?
優秀な人を集めたいのであれば、とても大切なことです。
気分が良くなくても働く人がいるとすれば、仕方なくといった感じでしょう。
他所では雇ってもらえず、辞めたら路頭に迷うような。
そんな人が優秀であるはずがないでしょう。
他にも色々とツッコミたいところはありましたが、先に挙げた部分を何故ピックアップしたかというと
「コミュニケーション能力が欠如している自覚が無いために、対人関係を軽視しすぎているのではないか?」
これに尽きます。
だから会って話す
単に売り手と買い手で完結する世界では上記は必要無いのかもしれないけど
(普通は仕入れ先とのやり取りがあるけど、カードに限っては開封した中身を売る訳だけら単に自分が買い手側になるだけで良いのかな?)
組織同士の関わり合いでは必須だよ
お互いの顔も見ないような最初の内から仕事の受注と依頼のシステムが自然とできているわけじゃない
それが出来ているのは、組織同士の密接なコミュニケーションのお陰なんだ
コミュニケーションが必要無いと思っている人は
自信の否定するコミュニケーションによって出来上がったシステムを
当然のものとして依存し甘えているだけだよ
そのシステムにも期限やエラーだってあるという事も知らずにね
1つは、企業がこの15年、コミュ能力を採用基準として
もっとも優先しているのは統計からも明らかなのに、
サラリーマンの退職理由の上位に対人関係が来ること、
ハラスメント・うつ病が増えていること。
コミュ能力なるものを採り続けたなら起こるはずがないし、
あいつはコミュ能力が低かったから辞めていった、
若者全体の質が悪かったから厳選したが低い奴を取らざるえなかった、
という結論を出す企業は間違いというかクソだと思うから。
明らかに社会の損失になってる。
もう1つは、俺が10年以上前、
自分でビジネスモデルを練って起業しようとしたとき、
ネットでもリアルでも、どんな起業にもコミュ能力が必須だとか、
コネが必須だとか、大量の資金が必須だとか、
嘘ばっかり言われたから。
絶対そんなの必要じゃないことはわかってたが、
そろそろ証明も完了したと思って動き出した。
嘘がまかり通る社会を変えれば、日本のため。
コミュ力を高める事は大事だけど、そう思ってない人も世の中ごまんといるのもまた事実なので。
もちろんコミュ力低くても就職は出来る。面接だけ建前良くすれば入社出来るしね。入社しちゃえばよほどの事がない限りクビにはできないし、面接官も人の心を見抜くつったって本当に手に取るようにわかるわけじゃないからね(自信満々で「手に取るようにわかるからな」って言う人いるけどね。まぁあれも戦術の一つなのかもしれんけど。
いくら面接官でもコミュ力低い問題児を入れてしまう事は昔っから今までもあるし、これからも0には出来んだろうし。
「仕事においてコミュニケーションは重要なんだ!」って言ってる人は出来てたけど忘れてしまった人に今一度思い出してもらおうとか、今まで心がけてこなかった人に向けて言ってるんじゃないの。
そしてそう言ってる人もきっと「そういう人間を抱えてる企業に向けて言ってる」んであって、
どこぞのカードショップ店主の事まで含めて言ってないと思うぞw
>コネが必須だとか、大量の資金が必須だとか、
>嘘ばっかり言われたから。
主が上手く大事に出来なかっただけでウソと決め付けるのはだめでしょ。
それでもそこそこ食っていけてるんだとしてもあくまで一例だべ。
それはそう教えてくれた方々に対して感謝がないのでは?
結果的に主が企業するのに必要無かったとしてもウソつき呼ばわりは酷くないかね。
言われた事そのまんま、自分の解釈が間違ってないかどうかも気にせずにだま~って聞き入れてたら
そりゃ履き違えるよ?それを他人の所為にするのはイカンのでは?自分の至らなさでしょ?
で、あれば主自身も同じ否定のされ方をしていることが理解できてもよいはずでは?
確かにあなたの言うような企業形態が確立されつつあるのは事実ですがね、そもそもあなたがカードショップという仕事を選んだのは何故なのでしょうか?
あなたがそれらが好きかどうか、それが稼ぎ易いのかどうか、そういう話ではなく「あなたが求める企業形態は全ての職業に適応可能なのか」という話なんですよ。
あなたはさも「コミュニケーションの要素はロスとしてカットできる」かの如く宣ってますが、それができない企業、あるいは業種が全て衰退し滅びていくと本当にお考えなのでしょうか?
そもそも、あなたが嘘を吹き込んできたとおっしゃる方々もあくまで一般論を言っただけであなたのような例外の存在は既に認知していたのかもしれませんよ?
そりゃあるとないならあるに越したことはないのですから。
というか、これわざと炎上させているのでなければ主の広告能力も疑わざるを得ないんですがね。
流石に広告で炎上することはそうそうある話ではないですが、本来炎上せずに済む議題を炎上させる人が、広告なら人よりも良い成果を上げられるというのは信憑性に欠けます。
まあ、そもそも広告の仕方も内容も様々なので一概には言えませんし、例えばレイアウト等に関しては才能をお持ちなのかもしれませんがね、仮にそういった能力が同じ人間が二人いたとして、唯一他人との意志疎通に優劣があるとき広告能力に差が出るのか否か……?
それと、コメントをそれぞれ個人に宛てて別々に返せとまでは言いませんがね、はっきり申し上げて現状どのような批判に対してコメ返なさっているのか全く分からないです。
批判を全て同列に見て目を通してないというのは論外として、どの批判にどう返したいのかも分からないモノローグみたいなのをチマチマ流してればそりゃあ理解も得られませんて。
さらにコミュニケーションスキルとも違います。
単語でごちゃごちゃになるなら言葉を作って定義づけした方がまだわかりやすい。
会話力、会話継続能力は話の聞き方、話の盛り上げ方、相手への話方です。
鬱とか場の雰囲気を良くするには会話力が重要です。
ですが、これはコミュニケーション能力の一部というよりコミュニケーションスキルで更には重要な部分ではありません。
相手の気分をよくする、鼓舞するといったことが当てはまりますが、会話力ではイメージの共有をする必要がありません。
沢山話をしててもあっこいつわかってないなとか思う時は会話力は高いけどコミュニケーション能力は低いという判断になります。
その一因は、どんな問題も「報告・連絡・相談ができていなかったから」に帰結したい、上からのバイアス
「従業員が報告・連絡相・談がちゃんとできれば解決するんです
(うちの会社の体制とかに問題があるわけじゃありません)」
というお上都合の言い訳を、何か問題が起きた時に
顧客にする言い訳のテンプレになってる
そして人事がその言い訳を真に受けて、というか過剰に受け取って
「コミュニケーション能力さえあれば問題は起きないはずだ!」
という解釈に陥ってそういう求人を打つ
だけど多くの場合その問題は、コミュニケーション以前に
根本的に解決されねばならない問題をはらんでいたりする
そして誰が来ても解決しない、報告・連絡・相談をいくら密にとっても解決しない
それどころかいわゆるコミュニケーション能力の高い人間ほど
そういった根本的な問題を抱える職場にはさっさと見切りをつけていなくなっていく
そしていい人ほど定着しない、ノウハウが蓄積しない職場という新たな問題をさらに抱えることになる
多少話はズレたけど、これも間違ったコミュニケーション能力至上主義の問題の一端
???
別にコミュ障が稼げる社会で何か不都合があるわけでもなし、そういう人の働き口をわざわざ是正する必要なんかありませんよね?
端的に言うとどうでもよくないですか?それ。
ていうか、それを是正すべきだなんて誰も言ってないことが分かってるのに何故「少数派の意見を言っているから多数派からは批判を受ける」というあなたの言い訳が通用しなくなってることが分からないんですかね?
『発言がコミュ力の必要な職業のあるなしに終始しているってことは、当然コミュ力を神格化しているわけではない』と分かっても良いはずなんですが。
もし本気で『』内が理解できないなら煽りや冗談抜きで高校一年生、正確には数Aから勉強し直した方が良いですよ。少なくともロジックを語りたいならね。
それが社会に必要なんだとしたら、その能力に比例して
金に変えられる社会であるべきだと思うぞ
もしコミュニケーション能力なるものが
ない人間がより多くの金を得てるんであれば、
資本主義とはそういうものではあるけど、
それは是正した方がいいという圧力に関しては、
労働者側から本来働くはずだ
能力があり、社会の役に立っているのに、
認められていない人がいるわけだからね
だけど多くは、そういう仕事もある、ということを
結論付けるだけで、そういう仕事が存在するのはおかしい、
ということまで踏み込んでる奴がいない
多くがどうでもいいと思ってるってことだ
コミュニケーション能力がある俺がない奴より
給料や待遇で不当な扱いを受けるのはおかしい、みたいなことは
誰も思ってないということになる
そのへんがコミュニケーション能力は重要と言ってる奴が
怪しいと思うところ
で、訪ねたいんですが仕事する上で必要な能力、というか要素ってコミュニケーションだけなんですかね?
私はその仕事に関わる全ての要素を鑑みて、一番仕事能率の高くなる人材が評価されるべきだと思いますがね。
極端な話、スペックは高いがろくに意思疎通のできない人材と、誰とでも意志疎通を図れるが九九すらまともにできないような人材、仮に私が面接官ならどちらも不採用にして全て最低限こなせる人材を選びますよ。
まあ時と場合によっては尖った能力が必要になることもあるかもしれませんがね、どちらにしろそれで一番利益の見込める人材を選ぶのが肝要になるんですね。
要するに他人との意志疎通が必要な仕事ならそこは重要な評価項目にもなるし、その必要がない仕事ならそこは評価する必要はないということなんですよ。
社会にはどちらの仕事もある以上、社会全体で議論するのはやるだけ無駄でしょう。
つまり社会全体で考えるようなことはせず、社会の中の過剰にコミュ力を重視するような一部に対してのみ批判していれば叩かれることはなかったということなんですね。
私も含めてみんなずーっと同じこと言ってますけどね。
素晴らしい音楽を作るのに評価されない、絵は素晴らしいのに評価は低い等々は芸術史を見ても明白。
コミュニケーション能力がある人でも運が無ければ評価されない。
アップルのスティーブジョブス氏にしてもあのプレゼン能力があっても一度はアップルから追い出されている。
いいかい?コミュニケーション能力は伝える力であり理解する力だよ?
銃と同じで適した使い方をしない力は意味が無い。
コミュニケーション能力が必要な職もあれば必要ない職もある。
そして大人数を動かすマネージャーや部長にはコミュニケーション能力が高い人がつきやすい。
人を短時間でより正確に動かす力が必要だから。
それができない人は人を動かしてサービスを作る能力が無いので人を任せられない評価となる。
コミュニケーション能力が低い人が上にいた場合、その人を自分の作業から遠ざける方法を取りながら作業する。
ついでに能力には適材適所がある。鍛冶職人や旋盤職人にコミュニケーション能力は求めないだろう。
お客と職人の間を取り持つ営業の人にコミュニケーション能力を求めるのが普通。
といっても店主のように機械的に処理が行える作業にコミュニケーション能力は必要ない。
後、コミュニケーション能力という言葉は日本において当初専門的な言葉だったのが、就活記事やらで取り上げられ、意識高い系学生等をコミュニケーション能力がある典型的な例としてもちあげたりしているうちに正しい意味とは別の意味が付与して使われている言葉となっているが、情報系、特にマネージ系の勉強をしている人は後付けの意味で使いはしないよ。
それは次回の記事のテーマとして予定している
コメントみる限り、コミュニケーションの定義付けの話をした人は多いが、
どれも本文で書いた、職場の雰囲気・ホウレンソウ・広告効果の域を
出ない効果でしか語っていない
それらができる最低限の足切りをしている意味なら、
コミュニケーション「能力」という発想はおかしい
必ずしも必須ではなく、必要のある仕事ととない仕事がある、
とまで認めた人たちは、
ない仕事までコミュニケーション能力基準で採用している
現状の社会を仲良しクラブ化と思わないなら問題だな
最小限や一要素という発想ではないから、
当然、採用後の業務でもそれが重視されているわけで、
生産性を下げる要因になっている
これは実際にその事例を社内で目にした人はよくわかっていたがね
3つ目は、売り上げの上昇です。
接客や商談でのコミュニケーションは、
相手を良い気分にさせれば売り上げの上昇が期待できます。
一方で、悪い気分にさせれば低下するリスクがあります。
ただそれはコミュニケーションの特性ではなく、広告と同じ要素です。
だったら人件費や接待費よりも、
現代ではネットを中心とした広告費の方がコストパフォーマンスはいいわけです。
さらに接客部分をシステム化すれば、
相手は気分が良くなることはないが、悪くなることもないという
悪くない条件で、人件費のみを圧縮できます。
これがネットショップを始めとした、
現代型のビジネスモデルの基礎になりつつある概念と言えます。
ただでさえ年々企業の規模が大きいことによる
スケールメリットの構築が難しくなっている中、
コミュニケーションなんて生産性がない分野への投資をいまだに重視しているようでは、
企業の衰退は加速するばかり、ということです。
これが間違っているの。
ここに関して皆いっているのはわかっている?
起業においてコミュニケーション能力は必須であるというような
ご高説を私の前でする人がいるんですが、
ネットショップ始めて10年、そんなの必要性すら感じたことないですけどね。
お客は品物をクリックするだけ、
受注と発送の定型文が送られて取引終了。
問屋には仕入れたい品物をメールかFAXすればいいだけ。
コミュニケーションなんてどこにも出てきません。
つまり、お金を稼ぐビジネスモデルはあくまでサービスや商品の中にあって、
コミュニケーション自体はお金を生み出さないってことです。
コミュニケーション能力必要ない人がコミュニケーション必要なビジネスモデルの企業無視して話していない?ってところにいきつくのさ
10年以上1位の項目で、近年は9割近い
企業はコミュニケーション能力のある人材を求め、
学生もそう思って面接に望んでいる
経団連所属企業の大半は、
コミュニケーションが利益の根幹になるビジネスではないし、
この数字はあきらかに、マネージメントや顧客との折衝で
必要な人材を採るという範疇ではない
そして、コミュニケーション重視の採用を長年しておいて、
結果が出ない、すぐに辞める、うつ病になると、
「あいつはコミュニケーション能力がない人材だった」
それは重視してたのに採用を失敗したってこと?
若者全体のコミュニケーション能力が下がってるから
重視しても悪い人材を取らざる得なかった、という言い訳、
じゃあ年寄りは高いの?と聞くと、
年寄りもコミュニケーション能力が下がってるとか
無茶苦茶な言い訳に発展する奴もいる
コミュニケーション能力なんて実態のないものに
傾倒するとろくでもない結果しかならないという結果は出てるでしょ
企業に必要なのは利益を生むビジネスモデルの整備と
それに必要な人材の確保
コミュニケーションなんて必要最小限でいい項目
統計は見たことないけど、同じこと言ってる人を今までで3〜4回見たわ
「なんでもできてしまうとなんでも自分でやってしまって人が育たない」
「自分ができると自分の能力でできる範囲の仕事しか取らず、結果会社が時代の変化についていけなくなる」
「自分の能力による実務の管理が行き届く規模にしか会社を大きくしないようにしてしまって会社が成長しない」
だいたいそんな感じのロジック
ただ、例外を言えば、高い能力に加えて高い学習能力を備えている人は、かなり成功していると思う
それに人を使うにも育てるにも自身が一定の能力や知識が必要なので、能力が全く不要というわけでもない
特に初動段階では絶対に自身にも能力があったほうがいい、
要は、我を張りすぎずに引くべき時を見極めてうまくバトンを渡せるか
そのコミュ力はいわゆる空気読む能力とか
報告連絡相談をしっかりするとかじゃなくて
情報を引き出す、情報を整理する、情報を発信する能力のことだけど
ジョブスだったかが
「世の中に全く新しいものなんてない、既にあるものが組み合わさって新しいものができる」
みたいなことをいったような言葉にあるように、今繋がっていないものをつなぐだけで
新しいビジネスを生み出すってこともできる、まあ何をつなぐかのアイデアも重要だけども
本来の意味でのコミュ力はそれだけでもビジネスになるんだよね
日本流ハイコンテクストコミュニケーション能力空気術はビジネスにはならんね
接客業の従業員には必須スキルなんだろうけども
意外にハイコンテクストコミュニケーション能力が求めらるような職種が入ってたりする
昨今アップルが人間の表情を読み取る技術を持つ会社を買収したのにも見えるように
将来的に人の感情に応じた対応を機械ができるようになると予想されてるのも一因だろう
監視社会になりつつあるとか揶揄されることもあるけど
今は位置情報ぐらいだけど、これから名刺交換的なことから決済から何から
なんでもスマホだとかでやるようになれば
自発的に報告連絡相談とかをしなくても情報が共有されるようにもなるし
実際、コミュニケーション能力が命の営業職がそういう方向にながれてる
なくなりはしないがその業務の大半が人工知能に取って代わられるだろうとも言われてる
日本流コミュニケーションスキルの将来は暗い
「Aに越したことはない」
これは「それが『A』な前提で予定を組む」、とかそういう意味ではありませんよ。
せいぜい「どちらかというとAの方が良い」「少なくともAでない方が上ということはない(A≧B)」くらいの意味です。
例えば部屋探しで「風呂トイレが別に越したことはない」と言った場合、「絶対風呂トイレが同じ部屋は嫌だ!」と言ってるわけではないんですね。
求人の場合も同じ話で、一般的には新人にそこまで過剰な期待をして仕事割り振ったりしませんよ。
まあブラック企業なんかはそういうところもあるかもしれませんが、それはもはやコミュ力を重視するかどうかとかそういうレベルではなく根本的に企業経営が破綻してます。
と、いうかこの「能力が高いに越したことはない」こそ、主の言う「能力が必要ないシステムを組んだ上で、そこに能力を+αで乗せていく」大前提なのですよ。
主も重要と認める「ホウレンソウ」をしっかり行う上でも、客商売をする上でもこうした「言葉」の誤用などには気を付けたいものです。
主はちゃんと出来てないですね。
・情報を小出しにする
・無駄な言葉が多い
・言葉の意味を間違えて使う
報告を受ける側はこの例は全部結局何が言いたいんだ?
ってなると思いませんか?
コミュニケーション能力のある人のコツは
わかりやすい意味の
簡単な言葉で
かつ短く
人に誤解させない様に
理解させる人です。
専門性の高い職場でもない限り
小学生でも判るような言葉でなければ
どんなに説得力があろうと人を説得できないと思いますよ。
これは感想ですが
自分の言葉で一生懸命考えた物を
ここまで叩かれたら面白くないでしょうし
後には引けないのでしょうが
引いたら変わる世界があると思いませんか?
長くなりましたね。すいませんでした
「コミュニケーション能力なんて概念はこの世に存在しない」ということ
存在しないのだから、
世間が注力してやってることは馬鹿馬鹿しい茶番に過ぎないと思ってる
結局のところ、そのロジックで金を稼げるかどうかの話に過ぎないからこれは
金が思うように稼げんと思うなら、
俺のロジックに聞く耳を持ってみたらいかがか?ってこと
つまり、コミュニケーション能力重視という価値観で
現状で十分金を稼げてる人は、
お前のロジックは間違いだと批判しているということだろうね
俺はコミュニケーション能力なるもので組織を固めると
攻撃や排斥が起こるという論なんだから、
あるに越したことはない、じゃないだろ
俺は本文考えるのもコメントするのも
楽しみでやってるから純粋に面白いだけだよ?
掲示板やコメント欄は、
1つのテーマについて、一般人がどう考えているのかの情報が
一気に集まって便利だしな
こいつは馬鹿だなあと思ってるのはお互い様だろうしな
>金が思うように稼げんと思うなら、
俺のロジックに聞く耳を持ってみたらいかがか?ってこと
その考え方は正しいですね。ただ、
>つまり、コミュニケーション能力重視という価値観で
現状で十分金を稼げてる人は、
お前のロジックは間違いだと批判しているということだろうね
これ、少し違います。
この記事を批判している人の中にまっとうな理由で「コミュニケーション能力重視はしないけど批判している人」はあなたが思っているよりも多いです。
いいですか?「過剰に重視しないこと」と「必要ない、あるいは無駄と切り捨てること」は完全に別物なんです。
まずはその認識をなさってください。
では本題に移らせていただきます。
>コミュニケーション能力なんて概念はこの世に存在しない
存在はします。
そもそも能力と言うのは平易な言葉で表せば「上手い下手」を指します。
つまり「コミュニケーション能力」=「意志疎通を図るのが上手いか下手か」であり、その概念があるからこそ「コミュ障」などの言葉も生まれて来るわけで。
そもそも、明確な判断基準(例えば点数化できるかどうかなど)がないこととその概念自体が存在しないことは別物です。
というか概念とは本来抽象的なものなんですよね。
なので主の言い分を通すなら「美しさ」などの概念も存在しないことになります。
あるいは意地の悪いことを言えば主が〆に発した「馬鹿」という概念すらも存在しない、ということになるわけですね。
で、問題なのが既に指摘した通り主がその概念が存在しないと定めてしまったこと。
そしてその上で、主の独断で定義付けをしてしまったのが良くありません。
一度世の中に認められている概念を否定して、そこに新たに概念を構築してしまったら例え同じ言葉でも全く別の意味になってしまうことは必至です。
で、主とって「コミュ力」とはリスクにしかならない価値観だと定められていて、主はその定義に忠実に従って議論をしようとするから数々の批判を受け入れられないんですね。
実際、
>俺はコミュニケーション能力なるもので組織を固めると
攻撃や排斥が起こるという論なんだから、
あるに越したことはない、じゃないだろ
などとおっしゃっているわけですが、そもそも主のコミュ力に対する価値観に誰も賛同していない以上、その価値観が正しい前提で「あるに越したことはない、じゃない」などと言うのはおかしな話です。
なのでまず一番最初にはっきりさせなければならないのは「本来の意味のコミュ力は本当にリスクにしかならないのか?」という点なんですが、それに関してはコメントで散々否定されているんですよね。
例えるなら、ラブライバーっているじゃないですか。
あれ、端的に言えばラブライブにハマってる人たちですよね。
で、そのラブライバーの素行が悪いだとかいう批判が出ることもあるわけですが、そういう目立つ存在に注目して
「ラブライバー=素行の悪い奴ら、犯罪者予備軍」
みたいな定義付けをしてラブライバー全体を悪く言う人っていましたよね?
で、そういうこと言う本人の中の「ラブライバー」の意味と、一般的な「ラブライバー」の意味に齟齬が出るために、いくらそれが全てでないと説明しても分かってもらえない。
どころか、前者は主張の整合性を無理に合わせようと推測に妄想を重ねて好き勝手言ったり、本来関係ない上に根拠もない話まで持ち出してきたりするようになるわけですよね。
「今まで犯罪を行わなかっただけで将来犯罪に手を染めるに決まってる」だとか「そいつらはどうせ低年収の社会弱者ばかりだ」だとかね。
主がやってるのは割とそれに近いですよ。
ウィキには
「例として「犬」という概念を挙げる。概念としての犬は、個々の犬ではなく犬の集合に対して存在する。実際には白い犬もあれば黒い犬もあるが、それらの相違点を無視して同一であるかのように扱うので抽象的である。
また、例えば4本足であり、尻尾があり、哺乳類であるといった概念としての犬に当てはまることは個々の犬すべてに当てはまるという意味で普遍的である。」
と記載があるわけですが、言うなれば主のコミュ力への定義付けは「黒い犬も白い犬もいる」のに「黒い犬しか見ていない」状態にあります。
しかもそのくせ「4本足であり、尻尾があり、哺乳類であるものはみんな犬」といったような拡大解釈も見受けられます。
皆が指摘しているのはそこですのでお間違いのございませんように。
ソースは出すべきだとは思いますが、私の「まずは主張だけを明らかに」ってのに応えてくれただけだと思うので今回はは許してやってつかーさい。
まあこの後の応答次第ではそこ突っ込まれるのも仕方のないことでしょうけどね。
なんか主に主張をまとめてもらった割りには自身がやや冗長な気がしてきたので、改めて今一番大切だと感じていることを指摘していただきます。
主は「コミュ力は利益を生まない」「コミュ力の高い者を集めることで(いじめの発生などの)不利益を被る」→「百害あって一利なし」的なことを言っているわけですが、その評価は果たして現実に則しているのでしょうか?
主が「主を批判している人達はそれで成功している人達」と思っている=「それで利を生んでいるケースを認めている」ことになるわけで、その時点で「百害あって一理なし」という評価が現実に則していないということになります。
主は「こういう場は意見が集まって便利」とおっしゃっていますが、ここでこの言葉の意味が問われることになります。
これが「集まった意見を受けて価値観広げ、持論をさらに練り上げる」という意味なら素晴らしい心がけだと思います。
ですが、現状はどうにも「それはそれ、これはこれ」というように別物として扱っている印象があるのです。
最後に、あえて手短に反論しておきますが 、
「みんながみんな金八先生ならいじめはおきないし、むしろ内気な新人がはいってきたらむしろみんなが上手く気を配ってくれるでしょう」
いわゆる「人の良さ」とコミュ力は別物なわけで、そこを分かっていない馬鹿がコミュ力ばかりに気をとられて人の本質を見極めることを怠るから主が指摘するような問題が起きるんです。
何度言わせるんだよ
俺はコミュニケーション能力なんて概念存在しないって説だよ
俺の視点からすると、
コミュニケーション能力を評価して採用しています、って連中は、
(ないよりあった方がいい、とか言っちゃってる連中も含めてだぞ)
「単に好き嫌いで採ってるだけのことを、
能力とか言っちゃって馬鹿じゃねーの?」ってことなの
それがまるで理解できてないから、
コミュニケーション神格化教って言ってんの
「俺は過度に重視してないから」って言ってる奴も
過度とか能力値的な発想をしてる時点で
盲信してないってだけで信者ではあるのw
宗教に入ってるから、
コミュニケーションを能力という発想をしない人が理解できずに
俺が指摘しても何度も前提を無視した質問をぶつけてくるの
コミュニケーション能力が存在すると思うって言うなら、
俺はコミュニケーション能力で金を稼いでいる、
うちの組織はそれで結果を出している、って言って終わりじゃん
暇なら、能力を金に変える
具体的なノウハウやロジックを同時に紹介してやればいい
俺はコミュニケーションなど考えなくても金に変えられる
ノウハウやロジックはこの記事でも過去の記事でも紹介しているわけで、
これからもやる
それだけの話でしかないだろ
美しさ?
美人やイケメンじゃなければ金稼げないとか言ってる社会だったら
馬鹿じゃねえの?って記事書くわw
あと、コミュニケーション能力信者が
コミュニケーション能力って都合良く使い過ぎなのも反吐が出る
ミス、失敗、損失とか、病気や退職者みたいな
マイナスのことが起こると
あいつはコミュニケーション能力がなかったとか、
組織のコミュニケーション力が不足していた、とか
全部コミュニケーションのせいにして済ませるからな
単にビジネスモデルに欠陥があるんだよ!!!と言ってやりたい
言葉がおかしいので多分で書きますが
主は見えないものは存在しないと言いたいんですよね?
それは小学生がいう屁理屈とどう違うんですか?
私は小学生に判る文章を書いて下さいって書きましたが…
主に小学生になれとは一言も書いてないです。
頭の良い小学生の方がよっぽどまともな文章書くと思いますよ?
後、過去に自分が馬鹿にされた復讐を社会の所為にして
そこに攻撃しに行くのは筋が通ってないし相手が違いますよね?
主が本当に復讐したい(する必要無いと思いますが)+するべき相手は
現実に主を馬鹿にした人たちですよね?
人生は自由ですからこんな所で馬鹿にされるのを楽しむより
会いに行くと良いですよ。
その方がよっぽど健全な幸せを手に入れられます。
表現が悪いのは承知で書きますが
ここはどうせ場末の掃きだめですし
主で遊んで楽しんでるだけですから。
いや…まぁ…主がドMで叩かれるのが楽しい+気持ちイイ!!
っていうなら止めませんが…。
そうでもなさそうなので。
あのですね、あなたがどういう説を唱えているかってことと、現実がどうかってことは全く関係ないんです。
仮にあなたの説が正しいのであれば確かに「ある」と言っている人たちは愚かということになります。
ただ、その前提が既に間違いであるとする人たちの言うことを無視して妄想を振りまくようではとてもロジックなどとは呼べるものではございません。
例えば、y=axという式において、
「a=2,x=3のときy=6」というのは真ですが、
そもそもa=2,x=3が真なのかどうかもはっきりしないうちから「y=6」と答えるバカはいませんよね?
それともあなたはy=axという式を見ただけでいつも同じ答えを記入するんですか?
>それがまるで理解できてないから~俺が指摘しても何度も前提を無視した質問をぶつけてくるの
これ、そもそもあなたがコミュニケーション能力がないから存在を認識できないだけだとも言えることに気が付いていらっしゃいますか?
例えば色の認識において、赤や紫、ピンクや橙などがあるわけですが、同じ紫でも赤紫、青紫、ピンクにもダークピンクなど、いやそれよりもっとはるかに細分化された色の識別は存在しますよね。
そして、そうした識別の能力の低い人は極端な場合ですが赤紫と青紫の区別が付きません。
結果、本人にその自覚がない場合「赤紫も青紫もない(どちらも同じ紫だ)。」などと言ってそれらの識別が存在すると言う人を否定することは想像に難くないです。
まああなたほど攻撃的な方はそうそういないと思いたいですが、つまりはそういうことです。
次に、
>コミュニケーション能力が存在すると思うって言うなら、~それだけの話でしかないだろ
何度も指摘していますが、世の中には様々な仕事が存在するわけで、あなたがコミュニケーションを極力排したやり方で経営できていることが証明できるのは「コミュ力がないと就職口がないわけではない」という範囲までであって、「コミュ力など存在しない」ことの証明にはなりえません。
しかしあなたは「コミュ力など存在しない」と明言してしまっているわけで、それは「存在すると言う人もいる、存在しない人もいる、それだけの話」という主張との矛盾を生じます。
(ttp://manapedia.jp/text/2483
↑を見て私がどの言葉をどこの記号に当てはめようとしているか理解できますか?)
故に、コミュ力など存在しないと言うのであれば今まで散々あった指摘に対して「その仕事は実はコミュ力ではない何か別の要素によって成り立っている」の「何か」を具体的に説明する義務があるんです。
>美しさ?~ 馬鹿じゃねえの?って記事書くわw
「美しさの概念があるかどうか」の話をしているはずなのにどうして「美しさで金を稼げるかどうかが決まるか」の話にすり替えられているんですかね。
何でも相手が間違っている前提で話を聞くから(自覚のあるなしは知りませんが)そうやって間違った話の繋げ方をするんじゃないんですかね。
だってあなた、例えば「1」とか「2」とかの数字も概念なわけですが、その概念があることと金を稼げるかどうかって関係ないですよね?
それとも「数字の概念なんてあるかよwww周りがそんなこといってたらそんなものはないって記事書いてるわwww」とか言っちゃいますか?
>あと、コミュニケーション能力信者が~単にビジネスモデルに欠陥があるんだよ!!!と言ってやりたい
それ自体は正しいですね。
問題なのはそのコミュニケーション能力信者の定義があなたの場合おかしいってことなんですが。
でもそれ、既に私が補完してみせたとおり「コミュ力」とはなんなのかを分かってない馬鹿がコミュ力という判断基準の使い方を誤っている=コミュ力なる概念という道具が悪いのではなく、その使用者が悪いってのが真相ですよ。
だって金八先生だらけのところに内気な青年が入ってきたって金八先生がいじめをするなんて思わないでしょう?
金八先生を集めようとしてその結果いじめが起きたのだとしたら、それは集める人間が無能なために実際は金八先生の偽物を集めてしまったというだけの話であって金八先生が潜在悪というのはただの風評被害です。
ここまで反論あるなら聞きますよ。ただ
「それともあなたはy=axという式を見ただけでいつも同じ答えを記入するんですか?」
「↑を見て私がどの言葉をどこの記号に当てはめようとしているか理解できますか?」
「それとも「数字の概念なんてあるかよwww周りがそんなこといってたらそんなものはないって記事書いてるわwww」とか言っちゃいますか?」
「だって金八先生だらけのところに内気な青年が入ってきたって金八先生がいじめをするなんて思わないでしょう?」
この四つの質問にイエス、ノーで回答を願います。
例えば四つ目の質問にイエスと答えたうえで、その質問の答えと私の主張の整合性になんら関わりがないことをキチンと説明できるなら、とかならいくらでも聞きますとも。
さあ、どうぞ。
そこにコミュニケーション能力なんて存在しないという主張に対してだけど
(そう解釈したけどあってるかな?)
あるよ
主の言葉に寄せていうならば、
言葉で人の好き嫌いの感情をコントロールできる
という日本流ハイコンテクストコミュニケーションの
ハイエンドスキルを持った人間がいる
誰かが誰かをスケープゴートにしようとしたら
巧みにターゲットを実害のないものに移したり
能力によるヒエラルキーの形成も防いだりもする
それもかなり早い段階でそれを察知して布石を打つ
そうして仲良しコミュニティーをいい形に維持する
仲良しコミュニティーにもコミュ力あり
もちろん、一般的にイメージされてる「誰かと仲良くなる」的な意味だけで考えると全く関係のない能力にも思えますけど、そもそも他人と意思疎通を図る上で必要な要素として「相手に何かを伝える力)」「相手の意図や考えを汲み取る力)」がありますよね。
前者は宣伝をする際の発信の仕方に関わる要素ですし、後者に至っては顧客の需要を把握する上で必須な上に、発信の結果それを顧客がどう受け止めるかを推測するのにも大変役立ちます。
もちろん、今挙げた要素はあくまで全体の一部であって全部ではありませんし、「コミュ力が高く見える人」がそういったものが得意又は「コミュ力が低そうに見える人」がそういったものが苦手とは限らないんですけどね。
もっと言えば、その業界に一番乗りで名乗り上げるとかでない限り大抵はどこかしらに業界におけるテンプレは転がってますし、そうでなくとも上から指示する人間がそういうのを理解していれば下の人間はそれに従うだけで問題ないでしょう。
だからまあ、電話サービスなんかは大抵マニュアルが用意されてるはずですけど、それが主の言うシステム化なんだろうなってのは理解できます。
が、システム化すると言っても限度があるわけで、先に挙げた宣伝にしたってホームページのレイアウトなどのようにテンプレを利用できる部分は多分にあるものの、機械的なやり取りだろうがなんだろうが人と人で取引する以上絶対そういった能力は必要になるはずなんですね。
言ってしまえば、全てシステム化できたと思ってる人はそこで満足してるから見えてないだけのことなんですよ。
だって先に挙げた需要の把握にしたって、実際にそれがバカ売れしたと言う事実が明るみに出てからじゃ遅いわけですよね。
と、なるとどこからか需要が高まると言う情報を引っ張ってくるか、自分で先読みするしかないわけですが、
それはつまり、どちらにしろどこかに先読みができる人間が存在するということであり、それができる人間とできない人間がいる以上優劣が存在するということであり、優劣がある以上その能力が存在することになります。
まあこんな説明しなくとも自分が「欲しい」と思わなくても欲しがっている人間の心理は理解できる以上その存在がないわけないんですがね。
で、主は相互理解を深める能力がお世辞にも高いとは言い難い(じゃなければここまで荒れません)わけですが、主の営業成績は知りませんけどその能力を磨くことで少なくとも営業成績が上がることはあっても下がることはないと思うんですよね~。
正直凄くもったいないと思いますし、仮に主が現状に満足しているならそれ自体には文句は言えませんが営業成績を上げるチャンスを棒に振る人の言うことを一体誰が聞くのかな~と疑問に思うわけですよ。
ですねぇ。
ただ私が思うのは、仮に時代を遡ったとして、今ほど兵器が発達してなくても戦争は起こっていたように、今ほど陰湿さがなかったとしても昔からいじめは起こっているように、「意志疎通を図るのが上手いかどうか」という意味のコミュ力が下がればいじめが減るとはちょっと考えづらいんですよね。
そもそも能力って相対的なものですし。
まあ仮にですがね、「自分に都合のいいコミュニティを形成する能力」が高い人たちを集めときに「コミュニティを形成する」という目的を達成する手段の一つとしていじめが起きやすくなるってのはまだ分かるんですよ。
(まあそれってそもそもコミュニケーション能力と区別すべきだとは思うんですが)
でもそれって悪いのはあくまで「いじめ」という手段であって、コミュニティを形成すること、ましてや意志疎通を上手く取ること自体が悪いことにはならないはずなんですよね。
例えるなら「強盗」という手段は悪ですが、その目的の「お金」は悪として非難されるべきものかと問われたらほとんどの人がノーと答えるでしょう。
まあフィクションだと色々あって「お金は悪だ!」みたいなこと言うひねくれた登場人物も出たりしますが結局現実はお金を捨てられないわけで、だからこそそういうお金にまつわるトラブルをどうにかしようとみんなが模索するのですよね。
つまりいじめにしても、それはいじめという手段を取らせないように教育をすべきだという話なのであって、主もそこまで言ってはいないと思いたいですが「いじめが起きるからコミュニティを形成すべきではない」なんて言おうものならただのキチガイ認定されて終わりなことは明白なわけですね。
ブログという記事だが、コミュニケーション能力が高ければ論理的会話が成り立ち、相手を説得、納得、理解が得られるはずなのに、ここまで反論されても「私が正しい!」とは……
コミュニケーション能力が高い人の話を聴けばその人の話が正しいと思うものである。
何故ならソースがはっきりとし、理由もはっきりとし、あくまでその人の意見内で収まるからである。
それができて無いこのブログはコミュニケーション能力が低い人が書いた物であると帰結されてしまう。
コミュニケーション能力が無いという前提を置いた場合、ではなぜ、同じ商品でも気持ち良く買わせる人と説明を受けても買わない選択をする場合があるのかの説明ができない。矛盾が起こる。高校数学の範囲だが、前提を置いて矛盾が発生する場合、前提が間違っていることは証明方法の一つである。
心理学のフォールス・コンセンサス効果とかをうまく使えるかとかになったり、カウンセラーの上手い、下手といった話を説明するにはどうしても何かしらの能力の差があるとしか言いようがない。その能力がコミュニケーション能力と名付けられているのである。
主のような状況に適するのは老害、クソウトメ、意識高い系等々の相手の言い分を理解しない、新しい知識に拒絶反応を起こす、少数派意見をつぶすのか!とわめき叫ぶ多数決否定派によく見られる反応。適切な論理的対応を行わない人々の典型例。
まず現在の現実の原因は全て自分自身にあると考えなさい。相手を説得できない時に「相手が馬鹿である」と考えてはいけない。正直ここまで言って主に意見が通らないので俺自身は「俺の考え方を見直す」ことと「俺のプレゼン力が低い」と考えている。
ちなみにネットショップ系の所にコミュニケーション能力が必要かについては知らないから意見しない。
ここまでパッと見で、コミュニケーション能力っていう言葉の本当の意味を理解できている人がどれだけこの中にいるか分からん。
コミュニケーション能力って言う言葉に固執する人はコミュニケーション能力という言葉の意味を理解していない。
(それはコミュニケーション能力と言う言葉を叩く人にも過剰に持ち上げる人にも言える事だけれど)
コミュニケーション能力と言うのを「自分の考えを分かり易く相手に伝える能力」だと思っている人はここにいないか?
もしくは「相対する人(たち)と相互理解をする為の能力」だと思っている人は?
前者であれば0点だし、後者であってもその手法を正確に理解できているかは簡単には証明できない。
大体が、コミュニケーション能力を否定する人もそれに反論する人もコミュニケーション能力の意味を誤解しているからな。
ここまでざっくり読んで来たけれど、主自身がコミュニケーション能力の重要性を力説しているし、主を否定する側にコミュニケーションが取れていない人もいる。
滑稽なのは主自身がコミュニケーションに飢えているという厳然たる事実に対する指摘がない(もしくは少ない)って言う事なのだが。
あなたと同じで「コミュニケーション能力=意思疎通の上手下手」だと思います
だからなぜ店主がここまで「コミュニケーション能力なんて存在しない」論を力説するのかがさっぱり分からん
誰かさんが体現しているように、「意思疎通の上手下手は確実に存在する」からね
店主は「コミュニケーション能力=誰とでも出あった瞬間に仲良くなって円滑な関係を築く能力」みたいなオカルトなものを定義してない?
それこそ「(ごく一般的な高校生である)ラノベ主人公が誰にでもモテる」みたいな?
コミュニケーション能力をそう定義してるのなら「そんなもの存在しない」論に賛成だし、そんなものを重視してる奴は馬鹿丸出しだと思うよ
ただ、その定義付けには全く賛成できないし、そんなものを重視してる人がいるとは思わないけどw
主のいうような、仲良しコミュニティの形成に伴う虚像という意味も
コミュニケーション能力という言葉の中には確かに存在しているし
空気を読んでギスギス回避する能力としての意味も
情報を巧みに引き出したり、相手の心を操縦する能力としての意味も存在し
それぞれにそれぞれの意味で使う人、使う文脈がある
相対主義は好きじゃないけど、「言葉」については「意味とは使用」というのは正しい
もはや壁ドンが本来の意味をほとんど失ってしまったのと同じようなことはいくらでもある
そしてやがて辞書の方も浸透した誤用の方を記載するようになり、言葉はその意味で定着する
それが言葉というもの
特に場によって言葉の意味が変わる
ハイコンテクストコミュニケーション文化が
根付いた中においては頻繁にこういうことは起きる
短く纏めるとどうなるか?って言うと1点に集約されると考える。
この1点を説明しやすくする為に詳細を2点に分けて解説する。
1. 他者に自分の思想を理解させる・納得させる為のあらゆる言動はコミュニケーションの一環である。
「コミュニケーションは必要ない!その理由は○○だからだ。それを納得しなさいorそういう考え方が世の中にあると言う事を理解しなさい」
という意見が上がったとする。
この理論を納得させる為の言語的・体現的活動は全て相対する人間に向けて発せられるものであり、相手に対し自分の思想を理解せしめるためのあらゆる言動はコミュニケーションの一環である。
またそれに対し
「コミュニケーション能力が馬鹿丸出しとは何事だ。そんな考えは言語道断だ。その理由は○○で、あなたはこの点についての見識が足りない。だから本来は必要とされる能力であると言う事を理解するべきだ」
こういう言葉が返ってきたとする。
この反論には相手の思想に対し自分の思想をぶつける事で理解を迫るという主旨がある。
これもコミュニケーションの一環であると言って良いだろう。
つまりこのブログのコメントでやり取りされている内容は全てコミュニケーションの一環であり、これに参加して問答を繰り返している主自身もコミュニケーション(一環ではあるが)の渦に巻き込まれている状態であり、自らの行動自身が「自らのビジネススタイルを理解させる為にコミュニケーションが必要である」事を認めてしまっている状態にある事。
2.コミュニケーションの真髄は他者を受け容れる事にあり、相手に理解を要求する事ではない
ディベートをコミュニケーションと誤解している人も中には存在する。
確かに、両者ともに決着するまで向き合った相手との言語の交換を行うと言う共通点がある。
しかしながら、ディベートは相手を論破する事がゴールとなる一方で、コミュニケーションは他者理解がゴールとなる。
この点で、この二者には決定的な違いがある。
「コミュニケーション能力は仕事には不要だ!バカバカしい。○○について考えたことある?■■にコミュニケーションなんて要らないじゃん。むしろ△△という弊害しか生まない。だからぶった切ってやる」
「何を言っているんだ?そんな訳ないだろ、お前の考えこそバカらしい。○○についてはこうだろう?■■についてはこういう見方もあるだろう?だから△△というメリットがあるじゃないか。お前の考えは評価に値しない」
仮にこういう討論が行われていたとする。
これはディベート(正確には、に近いもの)である。
「コミュニケーション能力が仕事に必要な点は確かにある。これを持つ事で××という利点が生まれる事も否めない事実である。しかし一方で私はさほどに必要ではないのではと言う考えを持っている。理由は○○であり、その前提は■■である。また△△という背景も裏付けとして認めるべきではないか」
「コミュニケーションが仕事において必須とは言えない、という視点がある事は理解できた。確かに××という点については注目せざるをえないであろうし、そのような考えが生まれる事も強ち不自然とは言えない。ただし○○という場面で求められるのは■■であり、めぐりめぐって△△という価値を創造する事が出来るコミュニケーション能力は、やはり仕事に置いて最重要項目の一つであると言う認識についても理解を示すべきであると考える」
非常に雑に纏めた感があるが、これはコミュニケーションの類である。
(本来のコミュニケーションはもっと緻密に会話を交える事で相互理解を深めていく事に真髄がある)
つまり、コミュニケーションが上手く取り合えていれば、論争は起こりにくいし、炎上する前に相互理解で着地する場合がほとんどである。
コミュニケーションは異なる考え方を理解し、受け容れ合う事がゴールである。
結論
「みんなコミュニケーションをもっと大事にしよう」
主だけじゃなく、主を論破しようとして必死になってる人もそうだよ。
仕事にコミュニケーションなど必要ない!という人が自分の主張を展開したとする。
そういう考え方もあると言う事を、ゆっくりと会話を交えながら受け容れた上で、最終的に相手にコミュニケーション能力は必ずしも斬って捨てるべきものではない事を理解して貰えたらゴール。
私はかなり冒頭のコメントで「こんな雑魚相手にするまでも無いw」と書いた気がする。
それはこのような思想をブログに掲載する時点で主のコミュニケーション能力に致命的な欠点がある事を理解していた為、彼には自分の考えを理解させる事も相手の思想を受け容れる事も出来ない、そういうキャパシティを人類の平均値以上には持ち合わせていない事を理解した上で「相手をするだけ無駄だ」という意味で発言したものだ。
「誰しもが、己の持たざるものを否定したくなるものである」
彼は自らが決して持ちえない能力について否定する事で、自らの精神的衛生を満たそうとしたのだと推察する。
例えば棒高跳びのオリンピック代表を目指し、夢破れて引退した人が居たとする。
彼には目指したものがあり、自分なりに自分の人生を費やし、自分なりの夢と希望をかなえる努力をしたのだ。
しかしその努力は結果を結ばず、他者からはそのプロセスすら否定されて爪弾きになったのである。
「ブブカが何だ。高く飛べる事は人生において必要なものではない」
彼がこう言いたくなる気持ちを、察してあげられるかどうか。
彼を救ってあげられるかどうか。
このブログの読者は、「察してあげる気持ち」が足りなかったのではないか。
もしも今後、「こういう類のコンプレックスを持っている人」が「ネット上で饒舌に社会の常識に立ち向かう」現場を目撃する事があったら、まずは相手の惨めな気持ちを受け容れた上で、そのネガの感情を少しでもポジに持って行けるように、問答を繰り返しながらゴールに持っていってほしい。
これはもしかしたら、カウンセリングとも言うべきものかのかもしれない。
大変な労力と時間を要する事だが、徒に相手の思想の不備を指摘して論うよりも遥かに建設的である。
コンプレックスを抱く人間にコンプレックスを刺激する発言を以て反撃すれば、相手の心は頑なになるばかりで、これでは結果として諸兄が持つ思想を相手に理解させる事が出来ない。
ただのイジメに等しい。
コミュニケーションが大事だと言うのであれば、
それを主に伝えたいと言うのであれば、
この覚悟を以て臨んで欲しい。
そうでなければ主が可哀想ではないか。
>滑稽なのは主自身がコミュニケーションに飢えているという厳然たる事実に対する指摘がない(もしくは少ない)って言う事なのだが。
主を擁護するわけじゃないですけど、主はコミュニケーションは仕事上必要ない、プライベートで活用するものとおっしゃっていますから、このブログが趣味の領域を出ない以上その指摘と主の主張は矛盾しないと思いますよ。
それと、たぶんですけど今残ってる人達ってただ論破したいだけの人は逆に少ないんじゃないですかね。
少なくとも私はこのやり取りを通して意見に触れるのが目的であってやり取りそのものは手段だと弁えてますし、他の人も主の主張の正しい部分を受け入れた発言は充分ありますよ。
ソースを求める人とかそうですが、実際ソースが出せないから論破になってしまうだけでソースが出たら出たで構わないはずです。
あと、冷たく聞こえるかもしれませんが本件に関しては救うとか救わないとか興味ないです。
そもそも仕事そのものは彼の場合上手くいっていて、彼が好きで多数派と対立しようとしている以上こちらの理想の対人関係に誘導しようとすることは優しさとは言わないと考えます。
例えばヒーローが存在するとためには悪が存在する必要があるわけですが、じゃあヒーローに憧れる人は悪の登場を喜ぶのか?
これ、よくあるパラドックスですが、主の場合発言から「大衆と敵対すること」と「大衆に支持されること」を同時に満たすことを求めていることが推察されるわけで、
無理にその矛盾を捨てさせようとしても主が幸せになれるとはちょっと考え辛いです。
まあその事実を理解した上で「救う道の存在が見えてるならこれ以上口出しはしませんけど……。
主の伝えたい事は自分なりに理解しているつもりですよ。
ただし残念なことに彼は自分と異なる考えについて理解を示す容量を現時点では確保できていません。
この相手に対して社会の常識をぶつけても泣かす事しか出来ないと言う事です。
それが本分であれば話は別として、そうでなければ生温かく見守ってあげるか、存在しないものとして関知を拒否するスタイルの方が彼が救われるのではないかと思います。
人類の能力分布の表現手法としてピラミッドがよく使われますが、上が居るのは下が居て初めて成り立つ事で、自分が上に居続けたいのであれば、上の出来る事は下を叩く事ではなく、優しく尻に敷いてあげる事だと考えています。
まずコミュニケーション能力の定義論について
こちらの解釈や定義付けを示すためにコメント返してはいるけど、
そこは話しの本質ではないからね
本質は、お金を稼ぐのに必要な「能力」であるか否かだよ
比例して利益と生産性が上がる関係になっていないなら、
それは「仕事に必要な能力」とは言わない
その要素がなくても稼げる方法が存在してる以上、
それ本当に能力として存在するの?と疑問を持たれるのは自然なはず
ないよりあった方がいいという理屈を言ってる人間は
仲良しクラブの視点で仕事を捉えてると思えてならない
労働者の視点なら、なくてもできる仕事で収入が変わらんか、
逆に多くなるなら、ない方が簡単で効率良いからいいだろう
能力として存在するというのであれば、
きちんと利益のアドバンテージ+生産性と、
比例関係を示さないとだめだろう
(どうせ給料なんて変わらんから自分が楽しく・やりやすく仕事が
できる方がいいに決まってる、とか思ってるなら、
それを仲良しクラブというんだぞ)
比例関係を示すのは無理だろうがね
コミュニケーションという要素の生産性は、
本文にあげた最低限の3点以上にあるとは思えない
それ以外は、利益配分を巡る関係に過ぎないなら、
ただどう利益配分するかの綱引き(=コミュニケーション)だ
そんな時間最低限にして、サービスの根幹に注力して
生産性(=絶対値)の方上げた方が収入上がるわ、
ってことをいってるんだがねえ
>それ本当に能力として存在するの?と疑問を持たれるのは自然なはず
論理的にはおかしい
「コミュニケーション能力はある仕事に必要な能力ではない」が
「コミュニケーション能力は仕事に必要な能力ではない」に
なってしまっている、単純に早まった一般化でもあるし
それを除いても
「仕事に必要な能力は利益につながる能力である」
「コミュニケーション能力は仕事に必要な能力ではない」
「コミュニケーション能力は利益につながる能力ではない」
という前件否定の虚偽を含んでいる
あまりに世間にありふれているものだから
いちいち目くじら立てるもんでもないと
自分で言っておいてなんだけど、一応指摘しておくわ
店主も他の人ももうそれで良いじゃないですか。
大事なのはどうあっても分かり合えないけどどう付き合うか?ですよ。
正直店主の言い分が間違ってなくても他の人は羨ましい真似しようとは思わないし
他の人の言い分が間違ってなくても店主は羨ましい真似しようとは思わないですよね?
正直最近参加しておいてなんですが
店主も粘着してる人も同じくらいにに気持ち悪いです。
何ていうか…この惨状見てると参加した全員が全員知恵者ぶりたい馬鹿ですよね?
普通って書いて良いのか判りませんが普通はそういう意見もあるんだな程度で済みますし
これはおかしいぞってなっても自分で矛盾してる所を直して使えば良い話ですよね?
金儲けや人間関係の方法なんて飯の種なんだから普通の人は人に教える訳ないじゃないですか。
教える時は裏があると思いますよ。
なるほど、特に後記は一理ありますね。
ですが、あなたの理念に準ずるならわざわざ斬る捨てることはせずに黙ってフェードアウトすることが処置としては適切かと愚行致します。
また、あなたはおそらく主がコミュニケーションを求めている側面だけでなく主の正しい部分、つまりコミュ力の高いものが低いものを追い出す事例はご理解なさっているはずですよね。
ここで怖いのが確かにあなたの理念は合理的な反面、主が指摘した事例に陥りやすいという危うさがある点なんですね。
だからこそ私はあまり早期に切り捨てることはせずに徹底的に関わっていくように努めるとともに、こうして語ることで常に自身の論理を再構築し、そしてさらにそれを見た他の誰かが論理の再構築をするという連鎖を作ることが目的でもあるのです。
ですのでもしマンツーマンだったなら今頃ほっぽり出してる頃だと思われます。現状もこれ以上進展が無さそうなんでフェードアウトしそうですが。
まあそれはともかく、私の理念もやり方を誤ればただのいじめにしかならないという危うさは真実なのでしょうね。
おそらくどちらの理念が間違っているという話ではないのだと私は理解してますが、少なくともその理念に矛盾しないようにだけは努めたいものです。
仰りたい事は私なりに咀嚼しました。
一つだけ指摘する部分があるとすれば、コミュ力の高い人間は低い者を追い出す事はしないと言う事です。
存在を認知してあげて、自分なりの理解に努め、他者と区別を行うものの、その存在の否定はしない、と言うのが
"一方通行の会話で相手にコミュニケーションを要求する小児病的な人間に対する処方"
(一般的には「大人の対応」と言われるもの)
であると言うのが「優しさ」というものでありましょう。
主が苦しんでいるのは、自称コミュニケーション能力が高い連中(群れる事が上手いだけであり、これが彼らの人間的能力として優れているとは言い難い)に有形もしくは無形の排斥に遭った経験などがあり、自分の「個」の能力と比較して彼らの「個」を高等な人間だという考えを否定したいからではないかと推察します。
もしそうであるとするならば、コミュニケーションノーリョクと鳴く事が好きな九官鳥程度の下等生物に高い存在価値を見出す事は極めて困難である、という事実を考慮すれば、主の言いたい事に理があると言えましょう。
気になるのは、コミュニケーションと言う言葉に呪縛されているだけの無知蒙昧な連中が掲げているコミュニケーション(笑)と、本来あるべきコミュニケーションは大きく異なると言う事を、主含めどれだけ多くの人が理解できているのであろうか、という点です。
既にコミュニケーション能力という言葉は世界で広く認知され、多くの高名な学者がさまざまな視点から理論を打ち立てようとしています。
私は斎藤孝氏の考えを支持する者です。
氏は2004年、コミュニケーションとは感情の共有である、主張に立って「コミュニケーション力」という本を岩波新書から出版されています。
私は、お互い分かり合う、と言う意味ではこれは正しい理解だと認識しています。
簡単に例えるならば
「ニンジンが嫌い。食べたくない」
という子供が居たとします。
これに対して「ニンジンは栄養価が高くて体に良いから食べなさい」という主張はディベートになってしまいます。
こんな稚拙な説教では、子供は「嫌い!」「食べたくない!」「嫌だ!」と言う言葉に終始し、心を閉ざしてしまうかもしれません。
しかし「そうなのね、ニンジン食べたくないのね。どういう所が嫌いなの?」と尋ねてあげる事で「甘いから」「無理やり食べさせられたから」などと言った理由を聞きだす事が出来ます。
そこに「そうなんだね。ニンジンは甘いからね。甘いのが嫌いなんだね。それなのに無理やり食べさせられたら、余計嫌いになっちゃうよね。嫌な思いをしたんだね」と、子供の気持ちに立って共感してあげる事で「子供は甘いのが嫌い」「だからニンジンは敬遠していた」「にも拘らず無理やり食べさせられた」「だから余計に嫌いになった」という子供の心境の背景を聞きだす事が出来ます。
そしてその感情にキチンと子供目線で共感してあげる事が大切です。
これに依って、例えば細かく刻んでチャーハンに入れてあげて食べさせてあげたり、大好きなカレーにちょっとだけ入れてあげて慣れさせてあげたり、などなどの対策を取る事によって子供に栄養価の高いニンジンを摂取させる機会を獲得できる可能性が大きく膨らみます。
「君の気持はよくわかった。でも、ニンジンは栄養価が高くて体に良いから、出来るだけ甘さが口に残らないように頑張って工夫して料理してみるから、今度○○に入れてみるから、君も頑張って食べてみてくれる?それで食べにくいようなら、他に方法を考えるから、一緒に苦手を克服しようね」
こう伝えて、子供に「僕に体にいいものを食べさせてあげたいと言う愛情を持ってくれているんだ」親心を推察させた上で「分かった。今度○○を食べてみる」と言わしめてそこで初めて
「コミュニケーションを成立させた」
という成果が発生します。
子供は苦手な上に嫌な思い出のあるニンジンを食べたがらない。
親は子供の健やかな成長の為にニンジンを食べさせたい。
この両者が歩み寄るために感情の共有を行った結果ですよね。
他者を排斥する集団にはコミュニケーション能力が欠けています。
したがって誰かが爪弾きになったり誰かが孤独を感じるコミュニティと言うのは不完全です。
もしも主がこういう集団に対してネガティブな感情を持っているとするなら、頷けなくはないかなと思いますよ。
所詮、主が求めているのはあなた方との「議論」ではなくて、「主が正しい」と賞賛されることだけ。
しいて付け加えるなら、噛み付いてくるコメントを残らず否定しまくって、反論がなくなったところで「勝利宣言」でもして悦に浸ることくらいだろう。
だからあなた方の主張の正しさとか、論理的矛盾があるかどうかとかにはまったく興味が無くて、せいぜい「難癖つけやすいかどうか」ぐらいしか見ていない。
(まじめに議論しようとする意志があるのなら、コメントの頭に「ほんと馬鹿だねえ」なんてつけるわけないのは分かるよね?)
まじめに主の意見を求めてる人たちには残念だが、おそらく主が誠意ある対応をする日など永遠に来ない。
主そっちのけで他コメントと議論したいなら止めはしないが、議論の場としてふさわしいようには思えないし、
適当なところで見限ってしまったほうがいいと思う。
コミュ力の高い人が低い人を排斥することはあると考えます。
また、ここで言う高いは金八先生を指すのではなく、あくまで優劣による相対的な評価だということを述べておきます。
確かにコミュ力の高い人であれば低い人に気を配ることも可能でしょうが、どれだけ気を配れるかは個人の能力による差異が生じるわけであり、つまり個人毎の限度が存在します。
よって、「高い、低い」を「ある、ない」に変換するのはナンセンスであると言えるでしょう。
つまりどういうことかと言うと、主を諭すことができなければコミュ力など存在しないかのような悪魔の証明は不適切な考えであると言え、
また、そうして考えた時「分かり合える者同士」でのみの交流に絞る(=分かり合えない者は無視する)ということは本人が意図せずとも必然的にコミュ力の低い者を(相対的に)高い者がを爪弾きにする危険性があります。
これはまさしく主の指摘する形そのものであり、事実主は「少数派は理解されないから排斥される」という趣旨の発言を残しています。
特に主の場合は「発言」をする行為そのものに意味を見出している節があり、例え非難されても「少数派だから」という逃げ道があるだけ誰からも相手にされず真に孤立するよりは救われているのかもしれません。
まあこれはあくまで勝手な推察なのですが、場合によってはそうした側面もあるかもしれないということは抑えていただければ幸いです。
とはいえ仮にこの推察が当たっていたとして、純粋に害意を向けている方々が実は主思いの善人であるかのように主張するつもりはありませんけどね。
また、少なくとも今回の件はここまでで「論理が理解されない」ことが理由ではなく「論理が間違っている」ことが理由であると明らかになっているので仮に無視したとして問題は生じないでしょうね。
それでは今度こそ舞台から退きましょう。お目汚し失礼いたしました。
俺もそう思う、俺はそうは思わない、って
感想以上のことをしようと思ってる奴は一体何したいんだよw
俺は単に読者の感想や疑問点にコメント返してるだけだぞ
あと、定義関連の問題だけど、
俺自身が定義していることと、
俺が社会でこう使われているであろうと予想してる定義は
別だし、本文にも分けて書いている
解釈の問題だから、そこを必死に認識を改めさせようとしても
社会で変わらないから意味がないと思うぞ
社会のコミュニケーションの取り扱い方で
何の問題も起こってないと思うなら、それでいいかもしれんが
ホストの収入とコミュニケーション能力の比例関係か
客を煽って何百万も使わせるホストと、
客の売掛金立て替えて飛ぶホスト
コミュニケーション能力の問題かね?
水商売でもその指標じゃ計れんと思うわ
飯の種を可能なかぎり若者に教えようとしない
現代の風潮はクソだと思ってるので
次回の記事はそれをテーマにする予定
そもそも持論を書いておきながら社会を斬るとか言い方してる時点で意味が分からない。ただただ空振りをしてる
まず、ちょっと前の主のコメントに反論すると
企業の8割以上がコミュニケーション能力を重視している一方で
うつ病やハラスメントが増加しているからコミュニケーション能力が不要だと言っていますが
本当に因果関係があるのかどうかがまったく示されていない。
背後の社会情勢など全く考慮していない暴論でしかありません。
現にあなたは前にリーマンショック等の話を考慮もせず給料の変動の数値だけ示してドヤ顔してましたよね。
>その要素がなくても稼げる方法が存在してる以上、
>それ本当に能力として存在するの?と疑問を持たれるのは自然なはず
そもそもの話として、
ビジネスをやっていく中でコミュニケーション能力がなければいけないと言われていたのは
自身が直接様々な人間に会い商談をして会社を大きくするようなことを前提に議論されていたのであって
あなたのような転売ビジネスに焦点を当てたものではないでしょう。
コミュニケーションをとらなくてもよいビジネスがあるというだけの話。
>俺の視点からすると、
>コミュニケーション能力を評価して採用しています、って連中は、
>(ないよりあった方がいい、とか言っちゃってる連中も含めてだぞ)
>「単に好き嫌いで採ってるだけのことを、
>能力とか言っちゃって馬鹿じゃねーの?」ってことなの
論外ですね。
企業が評価している部分は、会話のキャッチボールができるがどうかという話で好き嫌いの問題ではありません。
近年では、最低限の受け答えもろくにできない若者が増えたため相対的に重視されるようになっただけです。
大多数の企業では、何らかの理由で様々な人に会って話をする機会がありますね。
そこでの礼儀、作法は教えるのは簡単ですが、会話のキャッチボールになると話は別です。
少なくとも、人と会う仕事をしているのに会話のキャッチボールができないことはとても致命的です。(人に会わない仕事をしている主は別ですね)
当然採用されるときに重視されて当然なのです。
>「仕事において、コミュニケーションこそが事業の中核だと思っている人たちが、
>相手を気分良くさせたり、気分を悪くさせないコツを持つ新入社員を採用している」
そもそもの話ですが、面接ではここまで判断できることはほとんどありません。
予測ができるのは、「職場の雰囲気を悪くする可能性が高い」ということと、「悪くはならないようにできるかなあ」
ぐらいのものです。雰囲気をよくするコツを持っている人間を採用しているとか妄想にもほどがありますね。
結局、面接官に「この人は職場の雰囲気を悪くする」と思われなければいいだけの話なのです。
職場内の雰囲気を悪くしないようにできることは重要です。
雰囲気が悪いと職場全体の能率が落ちていきますからね。
あなたは10年間も今の商売をされているようですので、現実が見えていないのではないのでしょうか。
生産性のない分野に投資・傾倒したから
結果が出ないだけなのに、
その言い訳として若者全体の質が悪いからと
結論付けているのがコミュニケーション至上主義の
悪質または馬鹿なところなんだよなあ
コミュニケーションなんて何の関係もなく
ビジネスモデル自体に欠陥があることに気付かないから
昨今大企業がどんどん崩壊してるんだけどな
業績が下がってきた→飲み会やって
社員同士のコミュニケーションを増やせば解決!とか
ガチで思ってる奴いそうだな
もし本当に若者のコミュニケーションの
質が悪くて業績に悪影響与えてるなら、
普通に考えて抜本的な対策するはずだろ
コミュニケーションがなくても運営できるシステムの開発とかな
どちらにしろコミュニケーション要素削った
企業の方が業績上がるじゃんw
俺のことをコミュ障だの病気だのとレッテルを貼るのは結構だが、
そういう人間が稼いでいる一方で、
不本意に非正規や薄給の正社員をして
将来設計ができない人が増えてる
能力がないわけじゃないのにな
そいつらにコミュニケーション能力はどこでも必要だ、
コミュ障だから稼げないんだとレッテル貼りや説教しかねないお前ら
コミュニケーション能力なんて嘘っぱち、
金儲けにそんな要素関係ないからw
むしろ今の時代そんな要素削った方が稼げるからwという俺
どちらが正常かな?