四谷三丁目
「高品質珈琲と名曲 私の隠れ家」は地下鉄丸の内線、四谷三丁目駅の近くの小路を
入った所にあります。
場所は新宿区荒木町6で、2階にあります。

10席ほどとカウンター4席の小さなお店で、全席禁煙、隅にはレコード盤が積み上がり、
蓄音機や古いカメラも置いてあります。


壁にはあちこちの喫茶店のマッチが並んでいて、私の行きつけのお店のもありました。
昔からのお店のような雰囲気ですが、居酒屋だったお店を居抜きで、5年前に
オープンしたそうです。
BGMはポピュラーやウインナワルツなどいろいろ混じっていました。

ランチの「お皿のごはん」、1000円にはドリンクとハーフサイズのケーキが付きます。
野菜の料理で、いかにも手作りの惣菜といった感じです。
お粥かご飯を選ぶので、お粥にしました。
スープはそぼろと白菜です。


この日のデザートはチーズケーキかパンナコッタを選ぶので、チーズケーキにしました。

柚子のジャムが載っています。
コーヒーにはかりんとうが添えられています。
注文の都度、挽いてプレスで淹れるコーヒーはしっかりとした味で美味しいです。
常連のお客さんの多いお店ですが、会話も和やかで、居心地の良い、
隠れ家らしいお店です。
こちらでは2月27日(土)まで、ブログ「海老で鯛を釣る」を書かれている、
「えび新聞」さんのイラストレーションが展示されています。
ポストカードになっていて、ニットを題材にしたレトロ感のある作品で
、お店の雰囲気とも合っています。



「えび新聞」さんのブログです。
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「高品質珈琲と名曲 私の隠れ家」は地下鉄丸の内線、四谷三丁目駅の近くの小路を
入った所にあります。
場所は新宿区荒木町6で、2階にあります。
10席ほどとカウンター4席の小さなお店で、全席禁煙、隅にはレコード盤が積み上がり、
蓄音機や古いカメラも置いてあります。
壁にはあちこちの喫茶店のマッチが並んでいて、私の行きつけのお店のもありました。
昔からのお店のような雰囲気ですが、居酒屋だったお店を居抜きで、5年前に
オープンしたそうです。
BGMはポピュラーやウインナワルツなどいろいろ混じっていました。
ランチの「お皿のごはん」、1000円にはドリンクとハーフサイズのケーキが付きます。
野菜の料理で、いかにも手作りの惣菜といった感じです。
お粥かご飯を選ぶので、お粥にしました。
スープはそぼろと白菜です。
この日のデザートはチーズケーキかパンナコッタを選ぶので、チーズケーキにしました。
柚子のジャムが載っています。
コーヒーにはかりんとうが添えられています。
注文の都度、挽いてプレスで淹れるコーヒーはしっかりとした味で美味しいです。
常連のお客さんの多いお店ですが、会話も和やかで、居心地の良い、
隠れ家らしいお店です。
こちらでは2月27日(土)まで、ブログ「海老で鯛を釣る」を書かれている、
「えび新聞」さんのイラストレーションが展示されています。
ポストカードになっていて、ニットを題材にしたレトロ感のある作品で
、お店の雰囲気とも合っています。
「えび新聞」さんのブログです。
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上野
上野の東京都美術館では日伊国交樹立150周年記念、「ボッティチェリ展」が開かれています。
会期は4月3日(日)までです。

「ヴィーナスの誕生」や「春(プリマヴェーラ)」で有名なルネッサンスの画家、
サンドロ・ボッティチェリの作品を中心にした展示です。
ボッティチェリの師だったフィリッポ・リッピと、フィリッポの子でボッティチェリの弟子だった
フィリッピーノ・リッピの作品も多く展示されています。
第1章 ボッティチェリ時代のフィレンツェ
サンドロ・ボッティチェリ(1445?-1510)はフィレンツェで生まれ、活躍しています。
当時のフィレンツェにゆかりの品とともに、フィレンツェの画家、彫刻家の
アントニオ・デル・ポッライオーロや、アントニオ・デル・ヴェロッキオの作品が
展示されています。
第2章 フィリッポ・リッピ、ボッティチェリの師
ボッティチェリは15歳の頃にフィリッポ・リッピ(1406-1469)の工房に入門し
、3年ほど修業しています。
フィリッポ・リッピの作品は約10点が展示されています。
「聖母子」 フィリッポ・リッピ
1436年頃 テンペラ ヴィツェンツァ市民銀行

貝殻のような装飾の付いた壁龕を背景にして、荘厳さを表しています。
第3章 サンドロ・ボッティチェリ、人そして芸術家
「バラ園の聖母」 サンドロ・ボッティチェリ
1468-69年頃 テンペラ ウフィツィ美術館

アーチの中に座る聖母マリアの手にしているのはザクロで、復活を象徴しています。
ボッティチェリはヴェロッキオの工房にも参加していて、初期の作品にはフィリッポ・リッピや
ヴェロッキオの影響が感じられます。
「ラーマ家の東方三博士の礼拝」 サンドロ・ボッティチェリ
1475-76年頃 テンペラ ウフィツィ美術館



大きな作品で、マリアを頂点にした三角形の奥行きのある構図です。
幼子イエスを礼拝している人物が、メディチ家のフィレンツェ支配を確立した
コジモ・デ・メディチで、画面にはメディチ家の人物が何人も描き込まれています。
右端に描かれているのはボッティチェリの若い自画像で、自信ありげな顔をしています。
若さと勢いの感じられる作品です。
ラーマ家はフィレンツェの支配者、メディチ家と関係の深かった家です。
「書斎の聖アウグスティヌス(聖アウグスティヌスに訪れた幻視」
サンドロ・ボッティチェリ 1480年頃 フレスコ フィレンツェ、オニサンティ聖堂

縦2mほどの大きな作品で、フレスコ画らしい乾いた色調です。
著作を執筆中の神学者、聖アウグスティヌス(354-430)が聖ヒエロニムス(340-420)に
手紙を書いていたところ、聖ヒエロニムスの声が聞こえたという逸話を描いています。
聖ヒエロニムスは神学者でラテン語訳聖書(ヴルガータ聖書)を完成させたとされています。
下から見上げることを意識した、堂々とした画面です。
本に書かれているのは古代ギリシャの数学者、ユークリッドの著作で、その中に当時の
イタリア語で書かれた、修道士が逃げ出したという文も混じり込んでいるそうです。
ヴァザーリの「芸術家列伝」によれば、ボッティチェリはかなり悪戯好きな人物だったようです。
ボッティチェリはこのオニサンティ聖堂に葬られています。
「若い男の肖像」
サンドロ・ボッティチェリ 1482-85年頃 テンペラ ワシントン・ナショナルギャラリー

2月25日までの展示です。
顔を傾け、やや憂いのある表情を見せている、ボッティチェリらしい描き方の肖像です。
「美しきシモネッタの肖像」 サンドロ・ボッティチェリ
1480-85年頃 テンペラ 丸紅株式会社

日本に1点だけある、ボッティチェリの作品です。
フィレンツェ一の美女と謳われ、若くに亡くなった、シモネッタ・ヴェスプッチ
(1453-1476)の肖像で、彼女は「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスのモデルにも
なっています。
ルネッサンスの肖像画の一つの典型の真横からの像で、窓枠で背景を区切り、
顔を際立たせています。
くっきりした線描を用い、金色に波打つ髪の表現は装飾的です。
「聖母子(書物の聖母)」 サンドロ・ボッティチェリ
1482-83年頃 テンペラ ミラノ、ポルディ・ペッツォーリ美術館

とてもていねいに描かれた作品で、幼子イエスを見る聖母マリアの表情は優しく
、聖母子の肌はつややかに耀き、マリアの外衣の青色は深く澄んでいます。
本の開かれたページに書かれているのは、旧約聖書のイザヤ書の一節です。
後ろの陶器はマヨルカ焼で、盛ってあるのはサクランボ、プラム、イチジクです。
金箔やラピスラズリなど高価な材料を使っていることから、特別な注文によるものと
考えられます。
この展覧会の中でも随一の作品だと思います。
「パリスの審判」 サンドロ・ボッティチェリと工房
1485-88年頃 テンペラ ヴェネツィア、チーニ邸美術館

ギリシャ神話のパリスの審判を海辺の景色の中で描いています。
パリスや三美神は風景の中に貼り付けたような感じです。
イタリアは1494年にフランス軍に侵攻され、フランス軍を簡単にフィレンツェ市内に
入れてしまったメディチ家は市民の怒りを買って、フィレンツェを追放されます。
替わって、修道士ジローラモ・サヴォナローラ(1452-98)による神権政治が
始まりますが、ボッティチェリはこのサヴォナローラに帰依して、画風も
変わってしまいます。
「アペレスの誹謗(カルンニア)」 サンドロ・ボッティチェリ
1494-96年頃 テンペラ ウフィツィ美術館


古代ギリシャの画家、アペレスの描いたとされる「誹謗」を再現した作品です。
黑い服の「憎悪」の擬人像に手を引かれた「誹謗」が「不正」の前に「無実」を
引きずり出しています。
回りには「欺瞞」や「無知」などが取り付き、裸体の「真実」が嘆き、「悔悟」が
それを見ています。
画面は明るく、きちりとした描き方なのですが、それまでの作品と違って、
冷え冷えとした感情に覆われ、ボッティチェリの持ち味だった甘い華やぎは
消えてしまっています。
「ラーマ家の東方三博士の礼拝」のような祝祭的な高揚はもう見られません。
誹謗とは、サヴォナローラへの、そしてサヴォナローラに帰依している
ボッティチェリ自身への誹謗を指すのではないかと考えられています。
サヴォナローラはあまりにも厳格な政治を嫌われ、1498年に反対派によって
火刑にされています。
「オリーブ園の祈り」 サンドロ・ボッティチェリ
1495-1500年頃 テンペラ グラナダ、王室礼拝堂

最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山のゲッセマネの園で神に祈り、十字架の苦難を
表す杯を天使から受け取っています。
弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネは眠り込んでしまっています。
象徴的に描かれた園が柵で仕切られているのは、神の領域を表しているのでしょうか。
1495年に印刷されたサヴォナローラの説教集の挿絵木版画の忠実な引用とのことです。
「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」 サンドロ・ボッティチェリ
1505年頃 油彩 パラティーナ美術館

聖母マリアから幼子イエスをヨハネが受け取ろうとしていますが、マリアもイエスも
目をつむって憂いを含み、イエスの十字架降下やピエタを暗示しています。
この作品は2015年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれた、「ボッティチェリとルネサンス
フィレンツェの富と美」展にも展示されていました。
第4章 フィリッピーノ・リッピ、ボッティチェリの弟子からライバルへ
フィリッピーノ・リッピ(1457-1504)はフィリッポ・リッピの息子で、1472年頃には
ボッティチェリの工房に入門しています。
フィリッピーノ・リッピの作品は15点が展示されています。
「幼児キリストを礼拝する聖母子」 フィリッピーノ・リッピ
1478年頃 テンペラ ウフィツィ美術館

ボッティチェリの工房に入った数年後の作品で、ボッティチェリの聖母子像と
よく似ています。
背景が綿密に描かれていて、北方フランドル絵画の影響があるとのことです。
多くのボッティチェリの作品が集まり、その画風の変化も確認出来る展覧会です。
2015年の「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展の記事です。
展覧会のHPです。
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上野の東京都美術館では日伊国交樹立150周年記念、「ボッティチェリ展」が開かれています。
会期は4月3日(日)までです。
「ヴィーナスの誕生」や「春(プリマヴェーラ)」で有名なルネッサンスの画家、
サンドロ・ボッティチェリの作品を中心にした展示です。
ボッティチェリの師だったフィリッポ・リッピと、フィリッポの子でボッティチェリの弟子だった
フィリッピーノ・リッピの作品も多く展示されています。
第1章 ボッティチェリ時代のフィレンツェ
サンドロ・ボッティチェリ(1445?-1510)はフィレンツェで生まれ、活躍しています。
当時のフィレンツェにゆかりの品とともに、フィレンツェの画家、彫刻家の
アントニオ・デル・ポッライオーロや、アントニオ・デル・ヴェロッキオの作品が
展示されています。
第2章 フィリッポ・リッピ、ボッティチェリの師
ボッティチェリは15歳の頃にフィリッポ・リッピ(1406-1469)の工房に入門し
、3年ほど修業しています。
フィリッポ・リッピの作品は約10点が展示されています。
「聖母子」 フィリッポ・リッピ
1436年頃 テンペラ ヴィツェンツァ市民銀行
貝殻のような装飾の付いた壁龕を背景にして、荘厳さを表しています。
第3章 サンドロ・ボッティチェリ、人そして芸術家
「バラ園の聖母」 サンドロ・ボッティチェリ
1468-69年頃 テンペラ ウフィツィ美術館
アーチの中に座る聖母マリアの手にしているのはザクロで、復活を象徴しています。
ボッティチェリはヴェロッキオの工房にも参加していて、初期の作品にはフィリッポ・リッピや
ヴェロッキオの影響が感じられます。
「ラーマ家の東方三博士の礼拝」 サンドロ・ボッティチェリ
1475-76年頃 テンペラ ウフィツィ美術館
大きな作品で、マリアを頂点にした三角形の奥行きのある構図です。
幼子イエスを礼拝している人物が、メディチ家のフィレンツェ支配を確立した
コジモ・デ・メディチで、画面にはメディチ家の人物が何人も描き込まれています。
右端に描かれているのはボッティチェリの若い自画像で、自信ありげな顔をしています。
若さと勢いの感じられる作品です。
ラーマ家はフィレンツェの支配者、メディチ家と関係の深かった家です。
「書斎の聖アウグスティヌス(聖アウグスティヌスに訪れた幻視」
サンドロ・ボッティチェリ 1480年頃 フレスコ フィレンツェ、オニサンティ聖堂
縦2mほどの大きな作品で、フレスコ画らしい乾いた色調です。
著作を執筆中の神学者、聖アウグスティヌス(354-430)が聖ヒエロニムス(340-420)に
手紙を書いていたところ、聖ヒエロニムスの声が聞こえたという逸話を描いています。
聖ヒエロニムスは神学者でラテン語訳聖書(ヴルガータ聖書)を完成させたとされています。
下から見上げることを意識した、堂々とした画面です。
本に書かれているのは古代ギリシャの数学者、ユークリッドの著作で、その中に当時の
イタリア語で書かれた、修道士が逃げ出したという文も混じり込んでいるそうです。
ヴァザーリの「芸術家列伝」によれば、ボッティチェリはかなり悪戯好きな人物だったようです。
ボッティチェリはこのオニサンティ聖堂に葬られています。
「若い男の肖像」
サンドロ・ボッティチェリ 1482-85年頃 テンペラ ワシントン・ナショナルギャラリー
2月25日までの展示です。
顔を傾け、やや憂いのある表情を見せている、ボッティチェリらしい描き方の肖像です。
「美しきシモネッタの肖像」 サンドロ・ボッティチェリ
1480-85年頃 テンペラ 丸紅株式会社
日本に1点だけある、ボッティチェリの作品です。
フィレンツェ一の美女と謳われ、若くに亡くなった、シモネッタ・ヴェスプッチ
(1453-1476)の肖像で、彼女は「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスのモデルにも
なっています。
ルネッサンスの肖像画の一つの典型の真横からの像で、窓枠で背景を区切り、
顔を際立たせています。
くっきりした線描を用い、金色に波打つ髪の表現は装飾的です。
「聖母子(書物の聖母)」 サンドロ・ボッティチェリ
1482-83年頃 テンペラ ミラノ、ポルディ・ペッツォーリ美術館
とてもていねいに描かれた作品で、幼子イエスを見る聖母マリアの表情は優しく
、聖母子の肌はつややかに耀き、マリアの外衣の青色は深く澄んでいます。
本の開かれたページに書かれているのは、旧約聖書のイザヤ書の一節です。
後ろの陶器はマヨルカ焼で、盛ってあるのはサクランボ、プラム、イチジクです。
金箔やラピスラズリなど高価な材料を使っていることから、特別な注文によるものと
考えられます。
この展覧会の中でも随一の作品だと思います。
「パリスの審判」 サンドロ・ボッティチェリと工房
1485-88年頃 テンペラ ヴェネツィア、チーニ邸美術館
ギリシャ神話のパリスの審判を海辺の景色の中で描いています。
パリスや三美神は風景の中に貼り付けたような感じです。
イタリアは1494年にフランス軍に侵攻され、フランス軍を簡単にフィレンツェ市内に
入れてしまったメディチ家は市民の怒りを買って、フィレンツェを追放されます。
替わって、修道士ジローラモ・サヴォナローラ(1452-98)による神権政治が
始まりますが、ボッティチェリはこのサヴォナローラに帰依して、画風も
変わってしまいます。
「アペレスの誹謗(カルンニア)」 サンドロ・ボッティチェリ
1494-96年頃 テンペラ ウフィツィ美術館
古代ギリシャの画家、アペレスの描いたとされる「誹謗」を再現した作品です。
黑い服の「憎悪」の擬人像に手を引かれた「誹謗」が「不正」の前に「無実」を
引きずり出しています。
回りには「欺瞞」や「無知」などが取り付き、裸体の「真実」が嘆き、「悔悟」が
それを見ています。
画面は明るく、きちりとした描き方なのですが、それまでの作品と違って、
冷え冷えとした感情に覆われ、ボッティチェリの持ち味だった甘い華やぎは
消えてしまっています。
「ラーマ家の東方三博士の礼拝」のような祝祭的な高揚はもう見られません。
誹謗とは、サヴォナローラへの、そしてサヴォナローラに帰依している
ボッティチェリ自身への誹謗を指すのではないかと考えられています。
サヴォナローラはあまりにも厳格な政治を嫌われ、1498年に反対派によって
火刑にされています。
「オリーブ園の祈り」 サンドロ・ボッティチェリ
1495-1500年頃 テンペラ グラナダ、王室礼拝堂
最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山のゲッセマネの園で神に祈り、十字架の苦難を
表す杯を天使から受け取っています。
弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネは眠り込んでしまっています。
象徴的に描かれた園が柵で仕切られているのは、神の領域を表しているのでしょうか。
1495年に印刷されたサヴォナローラの説教集の挿絵木版画の忠実な引用とのことです。
「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」 サンドロ・ボッティチェリ
1505年頃 油彩 パラティーナ美術館
聖母マリアから幼子イエスをヨハネが受け取ろうとしていますが、マリアもイエスも
目をつむって憂いを含み、イエスの十字架降下やピエタを暗示しています。
この作品は2015年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれた、「ボッティチェリとルネサンス
フィレンツェの富と美」展にも展示されていました。
第4章 フィリッピーノ・リッピ、ボッティチェリの弟子からライバルへ
フィリッピーノ・リッピ(1457-1504)はフィリッポ・リッピの息子で、1472年頃には
ボッティチェリの工房に入門しています。
フィリッピーノ・リッピの作品は15点が展示されています。
「幼児キリストを礼拝する聖母子」 フィリッピーノ・リッピ
1478年頃 テンペラ ウフィツィ美術館
ボッティチェリの工房に入った数年後の作品で、ボッティチェリの聖母子像と
よく似ています。
背景が綿密に描かれていて、北方フランドル絵画の影響があるとのことです。
多くのボッティチェリの作品が集まり、その画風の変化も確認出来る展覧会です。
2015年の「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展の記事です。
展覧会のHPです。
秋葉原
「ブリオッシュ ドーレ ヨドバシAKIBA店 (Brioche Dore)」は秋葉原駅横の
ヨドバシAkibaの1階にあります。
場所は千代田区神田花岡町1-1です。

元はフランスのベーカリーカフェで、2015年11月にオープンしたばかりです。
東京には他に大手町店があります。
半円形のイートインは広場に面していて、17席あり、全席禁煙です。

バゲットサンドのクラシックアメリカン540円、キッシュロレーヌ380円、
コーヒー350円、紅茶340円です。

クラシックアメリカンは長いので、半分に切って2つの皿に載せてあります。
時節柄か、パンが乾燥して、少し硬くなっていました。
ヨドバシのビルの中ということもあって、お客さんの出入りも多く、
活気のあるお店です。
chariot
「ブリオッシュ ドーレ ヨドバシAKIBA店 (Brioche Dore)」は秋葉原駅横の
ヨドバシAkibaの1階にあります。
場所は千代田区神田花岡町1-1です。
元はフランスのベーカリーカフェで、2015年11月にオープンしたばかりです。
東京には他に大手町店があります。
半円形のイートインは広場に面していて、17席あり、全席禁煙です。
バゲットサンドのクラシックアメリカン540円、キッシュロレーヌ380円、
コーヒー350円、紅茶340円です。
クラシックアメリカンは長いので、半分に切って2つの皿に載せてあります。
時節柄か、パンが乾燥して、少し硬くなっていました。
ヨドバシのビルの中ということもあって、お客さんの出入りも多く、
活気のあるお店です。
根津・東大前
文京区の弥生美術館では「上村一夫×美女解体新書展」が開かれています。
会期は3月27日(日)までです。

上村一夫(1940-1986)は「同棲時代」や「修羅雪姫」などの漫画で知られる漫画家、
イラストレーターです。
画集、「美女解体新書」の発刊を記念しての展覧会で、「同棲時代」「離婚倶楽部」
「関東平野」「菊坂ホテル」などの原画や資料、約500点が展示されています。
「菊坂ホテル」は竹下夢二を題材にしており、「離婚倶楽部」では戯画化した上村自身を
登場させています。
「関東平野」は上村一夫の疎開先だった千葉県匝瑳郡の風景が基になった作品で、
上村の最高傑作とも言われています。
上村一夫自身、人に大きな影響を与えるのは原体験ではなく、原風景である、
と述べています。
また、風景を描きたいから漫画家になったとも言っています。
上村一夫の評価は最近、海外でも高まっているとのことで、特にフランスでの人気は高く、
「関東平野」はブックフェアで受賞もしています。
「同棲時代」は最初、10話程度で終える予定だったのが、人気が高まり、
長いシリーズになったそうです。
切れの良い画面と、そこからにじみ出る、どこか哀切な雰囲気が印象的な物語です。
「素肌美人」 資生堂広告ポスター 1980年

上村一夫は葛飾北斎、小村雪岱(こむらせったい)、竹久夢二を好んでいたそうですが、
作風は確かに小村雪岱に通じるものがあります。
小村雪岱(1887-1940)は東京美術学校で日本画を学び、大正3年(1914)に
出版された泉鏡花の「日本橋」の装幀を行なって以来、装幀家、挿絵画家として
多くの作品を手がけています
粋で切れの良い女性像が特徴です。
2012年にニューオータニ美術館で開かれた、「小村雪岱展」の記事です。
上村一夫は咽頭がんのため、45歳で亡くなっています。
45歳といえば、手塚治虫が「ブラックジャック」の連載を始め、水木しげるがやっと
人気作家になった年齢ですから、その早過ぎる死が惜しまれます。
上村一夫公式サイトです。
展覧会のHPです。
併設された竹久夢二美術館では、「夢二をめぐる人々 ―家族・友人・恋人
…大正浪漫交遊録―」展が開かれています。
会期は3月27日(日)までです。

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文京区の弥生美術館では「上村一夫×美女解体新書展」が開かれています。
会期は3月27日(日)までです。
上村一夫(1940-1986)は「同棲時代」や「修羅雪姫」などの漫画で知られる漫画家、
イラストレーターです。
画集、「美女解体新書」の発刊を記念しての展覧会で、「同棲時代」「離婚倶楽部」
「関東平野」「菊坂ホテル」などの原画や資料、約500点が展示されています。
「菊坂ホテル」は竹下夢二を題材にしており、「離婚倶楽部」では戯画化した上村自身を
登場させています。
「関東平野」は上村一夫の疎開先だった千葉県匝瑳郡の風景が基になった作品で、
上村の最高傑作とも言われています。
上村一夫自身、人に大きな影響を与えるのは原体験ではなく、原風景である、
と述べています。
また、風景を描きたいから漫画家になったとも言っています。
上村一夫の評価は最近、海外でも高まっているとのことで、特にフランスでの人気は高く、
「関東平野」はブックフェアで受賞もしています。
「同棲時代」は最初、10話程度で終える予定だったのが、人気が高まり、
長いシリーズになったそうです。
切れの良い画面と、そこからにじみ出る、どこか哀切な雰囲気が印象的な物語です。
「素肌美人」 資生堂広告ポスター 1980年
上村一夫は葛飾北斎、小村雪岱(こむらせったい)、竹久夢二を好んでいたそうですが、
作風は確かに小村雪岱に通じるものがあります。
小村雪岱(1887-1940)は東京美術学校で日本画を学び、大正3年(1914)に
出版された泉鏡花の「日本橋」の装幀を行なって以来、装幀家、挿絵画家として
多くの作品を手がけています
粋で切れの良い女性像が特徴です。
2012年にニューオータニ美術館で開かれた、「小村雪岱展」の記事です。
上村一夫は咽頭がんのため、45歳で亡くなっています。
45歳といえば、手塚治虫が「ブラックジャック」の連載を始め、水木しげるがやっと
人気作家になった年齢ですから、その早過ぎる死が惜しまれます。
上村一夫公式サイトです。
展覧会のHPです。
併設された竹久夢二美術館では、「夢二をめぐる人々 ―家族・友人・恋人
…大正浪漫交遊録―」展が開かれています。
会期は3月27日(日)までです。
日比谷・有楽町
日比谷の出光美術館では、文字の力・書のチカラIII、「書の流儀展」が開かれています。
会期は2月14日(日)までです。

書体や書風、書式、書き手の個性など、さまざまな視点から「書」を捉えた展覧会です。
Ⅰ.「 書」の世界は、多彩
経典や明恵上人の消息などです。
「日課念佛」 徳川家康 慶長17年(1612)
小さな字でびっしりと「南無阿弥陀佛」と6段にわたって書き連ね、最後に「家康」と
書いてあります。
徳川家康の宗旨は浄土宗ですが、織田信長や豊臣秀吉ならやりそうにないお勤めです。
書かれたのは大坂の陣の少し前の時期で、どんな胸中だったのでしょうか。
Ⅱ. 文人の流儀–面影をうつし、語らう
文人の個性的な書体、書風が受け継がれるうちに、徐々に変化していく
様子が分かります。
「笠置山詩」 頼山陽 江戸時代
頼山陽(1781-1832)は歴史家、文人で、「日本外史」で有名です。
縦180㎝ほどの大きな書で、丸みを持った右肩上がりの書風です。
「七言律詩」 山内容堂 明治3年(1870)
土佐の藩主だった山内容堂の書で、頼山陽の書風に似ています。
「鳳輩道上詩」 木戸孝允 明治元年(1868)
木戸孝允も頼山陽の影響を受けていますが、個性も出ています。
Ⅲ. 墨跡の流儀–墨戯・遊芸
禅僧の書です。
一行書「賓中主々中賓」 江月宗玩

江月宗玩(1574-1643)は茶人の津田宗及の子で、臨済宗の僧です。
この一行書は「主」の字が「・」と「王」、々の字も「・」になっているので、
上からも下からも同じ字が並んでいるように見えます。
Ⅳ. 古筆の流儀–日本美の原点から
和歌や漢詩を書いた、平安時代の書などの展示です。
「石山切 伊勢集」 伝藤原公任 平安時代
雅な切継の料紙に書かれていて、王朝美を極めています。
「石山切」は白河天皇の六十の賀を祝って制作された、「西本願寺本三十六人家集」の
うち、「貫之集下」と「伊勢集」のことです。
西本願寺の所蔵でしたが、昭和4年(1929)に2つの集が分割され、断簡になった時に
付けられた名です。
昔は本願寺が石山(後の大阪城)にあったことにちなんでいます。
Ⅴ. 宮廷の流儀–雅びの象徴と伝播
平安時代の書を基に和洋の書の流儀が確立し、継承されていきます。
「高野切第一種」 伝紀貫之 平安時代 重要美術品

「高野切」は現存する古今和歌集最古の歌集で、一部が高野山に伝来したので、
この名が付いています。
寛平のおほんときのきさいのみやの
うたあわせのうた
よみひとしらす
うめかかをそてにうつしてととめては
はるはすくともかたみならまし
そせい
ちるとみてあるへきものをむめのはな
うたてにほひのそてにとまれる
たいしらす よみひとしらす
ちりぬともかをたにのこせむめのはな
こひしきときのおもひいてにせむ
ひとのいへにうゑたり
けるさくらのはなさき
はしめたるをよめる
つらゆき
ことしよりはるしりそむるさくらはな
ちるてふことはならはさらなむ
寛平御時后宮歌合は寛平年間(889~893)に宇多天皇の母后班子の催した
歌合せです。
Ⅵ. 流転する流儀
桃山時代に新しい書風を興した本阿弥光悦や松花堂昭乗などの書です。
平安時代以来の書の多様性を楽しめる展覧会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は、生誕290年記念、「勝川春章と肉筆美人画-〈みやびの〉の女性像」展です。
会期は2月20日(土)から3月27日(日)です。

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日比谷の出光美術館では、文字の力・書のチカラIII、「書の流儀展」が開かれています。
会期は2月14日(日)までです。
書体や書風、書式、書き手の個性など、さまざまな視点から「書」を捉えた展覧会です。
Ⅰ.「 書」の世界は、多彩
経典や明恵上人の消息などです。
「日課念佛」 徳川家康 慶長17年(1612)
小さな字でびっしりと「南無阿弥陀佛」と6段にわたって書き連ね、最後に「家康」と
書いてあります。
徳川家康の宗旨は浄土宗ですが、織田信長や豊臣秀吉ならやりそうにないお勤めです。
書かれたのは大坂の陣の少し前の時期で、どんな胸中だったのでしょうか。
Ⅱ. 文人の流儀–面影をうつし、語らう
文人の個性的な書体、書風が受け継がれるうちに、徐々に変化していく
様子が分かります。
「笠置山詩」 頼山陽 江戸時代
頼山陽(1781-1832)は歴史家、文人で、「日本外史」で有名です。
縦180㎝ほどの大きな書で、丸みを持った右肩上がりの書風です。
「七言律詩」 山内容堂 明治3年(1870)
土佐の藩主だった山内容堂の書で、頼山陽の書風に似ています。
「鳳輩道上詩」 木戸孝允 明治元年(1868)
木戸孝允も頼山陽の影響を受けていますが、個性も出ています。
Ⅲ. 墨跡の流儀–墨戯・遊芸
禅僧の書です。
一行書「賓中主々中賓」 江月宗玩
江月宗玩(1574-1643)は茶人の津田宗及の子で、臨済宗の僧です。
この一行書は「主」の字が「・」と「王」、々の字も「・」になっているので、
上からも下からも同じ字が並んでいるように見えます。
Ⅳ. 古筆の流儀–日本美の原点から
和歌や漢詩を書いた、平安時代の書などの展示です。
「石山切 伊勢集」 伝藤原公任 平安時代
雅な切継の料紙に書かれていて、王朝美を極めています。
「石山切」は白河天皇の六十の賀を祝って制作された、「西本願寺本三十六人家集」の
うち、「貫之集下」と「伊勢集」のことです。
西本願寺の所蔵でしたが、昭和4年(1929)に2つの集が分割され、断簡になった時に
付けられた名です。
昔は本願寺が石山(後の大阪城)にあったことにちなんでいます。
Ⅴ. 宮廷の流儀–雅びの象徴と伝播
平安時代の書を基に和洋の書の流儀が確立し、継承されていきます。
「高野切第一種」 伝紀貫之 平安時代 重要美術品
「高野切」は現存する古今和歌集最古の歌集で、一部が高野山に伝来したので、
この名が付いています。
寛平のおほんときのきさいのみやの
うたあわせのうた
よみひとしらす
うめかかをそてにうつしてととめては
はるはすくともかたみならまし
そせい
ちるとみてあるへきものをむめのはな
うたてにほひのそてにとまれる
たいしらす よみひとしらす
ちりぬともかをたにのこせむめのはな
こひしきときのおもひいてにせむ
ひとのいへにうゑたり
けるさくらのはなさき
はしめたるをよめる
つらゆき
ことしよりはるしりそむるさくらはな
ちるてふことはならはさらなむ
寛平御時后宮歌合は寛平年間(889~893)に宇多天皇の母后班子の催した
歌合せです。
Ⅵ. 流転する流儀
桃山時代に新しい書風を興した本阿弥光悦や松花堂昭乗などの書です。
平安時代以来の書の多様性を楽しめる展覧会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は、生誕290年記念、「勝川春章と肉筆美人画-〈みやびの〉の女性像」展です。
会期は2月20日(土)から3月27日(日)です。