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公平な見解を

 投稿者:草創期の者  投稿日:2016年 1月24日(日)19時08分17秒
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  先生の指導に反対の人の意見でもその人の人権として、また組織内で意見の違う声をあげる自由を死守しようとしているこの板の皆様だと思いますので少し皆様の感覚と違う事を書かせてもらいました。
もう亡くなった方もかなりいらっしゃいますが、私と同意見の方も少なからずいらっしゃるはずですので代弁させていただきます。

読んでいただけるとうれしいです。

正直に言わせてもらえば、信心を60年もしてきたものとして、ほとんどの先生の対談や書き物が先生がかかれたものではないというのを今まで隠されていたのははっきり言って私は納得できません。
友人や家族などに半世紀以上も嘘をついてきた事になります。
いくら宗教の世界でも仏法は社会生活の一部であるとは私達が日頃から言っていることです。

もし先生が時間がなくて書けなく、しかし学会の見解がはっきりしているなら、正直にそれなりにいろいろな部門からの発行として出せばいい事です。
例えば御書講義なら教学室から、又、世界の要人との対談なら、あんなに見事に対談できる人達が他にいるなら、どうしてそういう人達のすばらしさを名前を表に出して誇りにしないのでしょうか。
こういう必要のない事をやる裏にはそこになんらかの組織としての利があるからという事でしょう。


<池田大作という名前を使ってドンドン書きなさい!と>

これは社会では通用しないでしょう。
こういう行為は人を騙す事につながっていきます。
例えばその書いているものに相手があり、しかもその対話が日常の浅い対話を超えて生命や世界の価値観などの深い対話になっている場合、相手はこちらの人格や個人的歴史なども鑑みて
対話の仕方も考慮している訳ですから、もしそれが本人でなければほとんど裏切りに近いものになります。

又、人は書いてあるものを読んで人生が善悪に左右される事も多いにあり、又、自分が書いた物によって他人の人生にもいくらか影響を与えます。
身口意の三業で言えば、書くという事は口の業に値します。
物を書くという事は私達が思っている以上に責任のある事です。


<仕事で社長名で弔電を打ちました
社長名ですが、
社長はいつ?誰に?どんな弔電を打っているのか?
全く知らないです
自分は上司に言われ、部下に打って貰っていました>

この様な社交辞令の単発的な言葉と先生の書き物の質とその書かれていた期間や量とは比較できるものではありません。
少し意見しますが、当然会社の規模にもよりますが、私は最低でも社長名で書いたものには責任をもって、社長に報告します。
社長も周りの状況を知っているにこしたことはありません。
社長だってどんどん自分の名前を使って書いていいとは言わないでしょう。
そんな事をすれば、会社は成り立ちません。

ちなみにsokanetの会員サポートの「池田名誉会長関連データ」はどう説明するのでしょうか。

 
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