特集:アーティストが耽る美の世界
自分の身を削って 痛みも苦しみもさらけ出す
圧倒的なパフォーマンスで、日本のみならず、世界を魅了するDIR EN GREY。そのフロントマンを務める京は、20世紀のカルト映像作家たちへのリスペクトを公言している。彼を形成する美の源泉をたどろう。
─京さんにとっての美、すごく気になります。美を意識するときは?
単にキレイなだけのものにはあまり興味がなくて。汚いとキレイが混ざって、絶妙なバランスで立っているようなものにはすごく興味があります。
─それは小さい頃から?
僕はあまり正義の味方が好きじゃなくて。なぜいつも悪者側が負けるんだろうと思って観ていました。ハカイダーは好きだったな。まるまる脳みそが見えている悪役ですが。そんな弱点さらしていいのかなと(笑)。ヤツは、ただ悪いだけじゃなくてどこか寂しいものも持っている。どこか屈折した人間のほうが好きでしたね、昔から。
─今回、影響を受けたアーティストとしてヤン・シュヴァンクマイエルとアレハンドロ・ホドロフスキーを挙げていただいていますが、ホドロフスキーは、本誌の企画で以前、対談していただきました。どんな方でした?
90近いお年だったと思うんですが、すごいパワーを持った方でした。『まだやりたいことがありすぎて止まらないんだよ』と。あの年で断言できるのは、すごいことだなと。パワーをもらえた感じです。ただ、ずっと一緒にいたら、こちらもパワーを奪われそうな感じ(笑)
─代表作『エル・トポ』はアンディ・ウォーホルやジョン・レノン、日本では寺山修司が絶賛していますが、京さんはホドロフスキーの世界をどのように捉えていますか?
言葉で表せられないようなことを映像で、感覚的に表現している部分が多いと思うんですね。そこがすごく面白い。台詞がないところにも意味があるのかな、とか。観ているこちらがいろんな解釈をできる。普通、モラル的にしないよなってことを、平気でどんどんやってきたりもする。そこをうまく自分色にちゃんと変えて見せているから面白いのかな。自分の追求する理想像が明確に見えているんだと思います。そこに惹かれるし、美意識を感じますね。
『エル・ポト』 アレハンドロ・ホドロフスキー チリ生まれの映画監督にして、カルト映画の巨匠。神秘主義や無常観を描いた『エル・トポ』(1970年)、『ホーリーマウンテン』(1974年)が代表作。不条理で前衛的な表現が、今でも世界で支持されている。『エル・トポ HDリマスター版』DVD&Blu-ray:各3,800円 発売・販売元:ハピネット © 2007 ABKCO films
─やはり、ホドロフスキーの映画は何度もご覧に?
好きで何度も観ているんですが、観ると、めちゃくちゃ疲れるんですよ。だいぶ余裕があるときでないと観ないです(笑)。
『ホーリー・マウンテン』
─それはシュヴァンクマイエルも一緒ですよね。シュヴァンクマイエルはどの作品に影響を受けました?
いちばん好きなのは『ルナシー』。もうすごすぎて、絶望しましたね。
─絶望?
勝てる気がしないというか。ーすごく複雑な気持ちになりました。パワーをもらうと同時に、すべてやる気がなくなるというか(笑)。なんだこれって。
─印象に残ったシーンを挙げるなら?
肉がペタペタ歩いているシーンとか。これは自由な表現なんかなあ、と思ったり、結局意味がないような気もしたり。めっちゃ引き込まれるんですよ。映画自体が「自由」や「狂気」を表現してるんやと思うんですが。例えば、相反する自由と制度を両方描くわけですが、どっちが正義でどっちが悪なのか、わからなくなる。いろんな見方ができるんですよ。エログロのシーンもあるけど、画角的にキレイだったり不思議な絵だったり。ボーっと観てられるというか。もちろんパワーは奪われるんですけど(笑)。面白いし、不思議な、独自の世界観があると思います。
─何でしょうね、あの独自性って。
普通、『痛さ』を伝えるとしたら、血やキズを見せると思うんですけど、それを全然違うことで表現するのが面白いのかな。自分の中にいろんなコンプレックスや好きなものがあって、そういうものを作品にどんどん詰めていく感じがする。ただ、どうしてそんなところに執着するの、って。
─食べるシーンが多いじゃないですか。シュヴァンクマイエルは、幼少期、食べるのが苦痛だったらしいんですね。そのトラウマもあって、『ルナシー』にも食べ物がいっぱい出てくるんだけど、まったく美味しくなさそう、みたいな(笑)。でも、奇妙な美しさがありますよね。
自分のトラウマ的なものとか、気にしていること、自分が嫌なものとか、そういうものをめっちゃ色を濃くして足している気がします。普通に面白い映画や好きな映画はほかにもありますけど、それは映画として面白いのであって、監督自身の核となるものが出てないように思うんですよね。自分の身を切って出しました、みたいなものじゃない。だけど、このふたりは、身を最大限削いで、作品を生み出す印象がある。
─そうすると、美しいものは、ある意味ドロドロしたものというか、人間の生の部分を表出させた。叫びに近いのかな。
そう、だからパンク精神を感じるんですよね。生きている感じがすごくする。
─ディルも表現するとき、自分自身を削って出しているわけですよね。そこが独自の美へと通じている?
僕、すごく変わるんです。表現しようと思っているものが、どんどん変わっていく。作っては壊し、作っては壊しという作業がすごく多いんですよ。だから普通、「美」ってキレイに細かく作っていくイメージで、もちろんそうやって作っていくんですけど、壊すときがいちばん面白いんです。そのときのワクワク感と台無し感、そして次どうするんだろうみたいな。自分の中で、そこは挑戦というか、そういう感覚を常に持っているかもしれないですね。壊すことが好き。
─それが、京さんにとっての美であり、美学?
変わらないこと、ブレないことが格好いい、ってあるじゃないですか。もちろんそれはわかるんですけど、でも、守りに入っている感じもする。それ、怖いだけなんじゃないの、とか。自分は、もっと核となる部分を持ちつつ、いろんなことをやって、自分というものを出せたらいちばんいいなと思っています。そうするにはもう壊すしかないんです。
─エネルギーが要りますね、ものすごく。
要りますけど、あまり苦と思わない。一回のツアーでも、やりたいことがどんどん変わってしまうんです(笑)。僕、いま坊主でピアスをいっぱい開けています。でもこれ、この間のツアー中にやったんです。ライヴ30分ぐらい前に坊主にして、自分でピアスを開けた。昔から、ツアー中に頭の色や衣装を変えたりとかよくします。自分の中に生まれたものをそのまま外に出していきたいんです。そうじゃないと自分じゃない気がして。抑える意味がわからない。
─なるほど。だから、ホドロフスキーやシュヴァンクマイエルと通じるわけですね。
それでも、ホドロフスキーにはパワーで圧倒されます、、。
─普通、年を取るとパワーが落ちるものなんですが、あの“妖怪たち”は別なんでしょう。年を取ることは、どう思います?
見た目だけで言ったら、カラダはただの容れもの。老けるのは仕方ないですよね。だからそこは別にどうでもいい。自分が小学生のとき、30代の人なんてオッサンだし、話絶対合わない、って思っていたけど、自分がこの年になって振り返ると、中身はあんま変わらんなあ、って思いますね。で、パワーがある人って、やっぱりどこか子どもっぽい。純粋なところとか。大人になることって、見た目のことなのか、それとも純粋さや子どもっぽさがなくなっていくことなのか。自分を押し殺して何も言わないとか、空気を読むとか、それが大人なのかな。どっちかよくわからない。
─『ルナシー』の話に戻ると、登場人物の侯爵は、自由の象徴ですよね。狂っていて怖いんですけど、ふと美しく見えることがある。ルールや制度を超えた自由人って狂人扱いされるけど、そこが人間の行き着くピュアネスかもしれないと思いました。
自由って難しい。自由すぎてもダメだと思うし。でも世の中、知らぬ間にルールってできてるじゃないですか。そのルールによって、美しさとか表現とかも抑えられているのかな。ルールの中から抜け出すのって怖いじゃないですか、『これやったら変って思われるかな』とか。いろんな人に理解されない部分に飛び出すことって怖い。でも、そこを平気でできるかできないか。自分の作った美しいものを壊したり、一生懸命描いた絵を消したりすることを、平気でやる強さと勢いにすごいパワーを感じます。勇気も必要だし、挑戦もしている。僕もそういう人間でありたいと思います。
KYO 個展「我装」 自分というものを出せたらいちばんいい 今年の夏に個展「我装」を開催。さまざまな感覚で楽しめるよう、視覚や聴覚のみならず、嗅覚や触覚にも訴える、イラストやインスタレーション展示を行った。演劇実験室◎万有引力ともコラボレーションを果たした。
KYO
京 ◯ 京都府出身。DIR EN GREYボーカル。sukekiyoでも活動中。日本をはじめ、海外でも人気。人間の「痛み」に向き合った、魂のライヴパフォーマンスは、ミュージシャン仲間からも、絶大な支持を得る。DIR EN GREY日本武道館2DAYS公演「ARCHE」2016年2月5、6日(金・土)。