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“噴出する暴力を世界の理不尽の象徴とした時、それに抗う手段として理性という鎧を鍛え上げることそれ自体を人生の目的としたジェーン(ミア・ワシコウスカ)の寄る辺なさ”“ただ、そこにビルドゥングスロマンの彩りがないのは、ここで描かれるのは鎧に流れ落ちるか細い血が織りなすロマンスと呪いのタペストリーだから”“そこかしこにゴシック・ホラーとしての目配せもあったせいか、え〜、ここから「青ひげ」かよとワクワクしてみたりもして”と引用したのは、フクナガ版『ジェーン・エア』の時に記したワタシの感想で、デル・トロは『アリス・イン・ワンダーランド』の彼女にイーディスを見たようだけれども、ミア・ワシコウスカがこの映画で纏いつつもハマーやユニヴァーサルへの憧憬に溢れた絢爛たるコスチューム・プレイの中に埋もれてしまったのは、やはりジェーンのレジスタンスだったように思うのである。としてみれば、解放されるべき幽囚の美女はイーディスではなくトーマス・シャープ(トム・ヒドルストン)となるところが、そうした捻れをことさら弄ぶ人ではないデル・トロの無垢もあって、骨肉と血の相克を告げるにしては、特にアラデール・ホールに舞台を移して以降、何を読ませるかではなく何を見せるかに終始してしまった点で演出の体力不足を感じてしまったのを残念と言うよりはいささか危惧しないこともない。弱者の武器としての幻視といえばかつてのデル・トロに顕著だった徴であり、その点でこの映画がゴースト・ストーリーでないのは言うまでもないにしろ、それがどこかしら手癖に止まってしまっている(あそこで現れる顔面流血するトーマスの幽玄はまるで『デビルズ・バックボーン』のサンティである)ように感じてしまうのは、気晴らしとしての『パシフィック・リム』を除けばデル・トロのメインストリームにおいて2008年の『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』以来の演出であったことで、少し肩が軽すぎて投球に充分なウェイトが乗らなかったのだろうとできれば好意的に解釈したいところではあるし、馬車馬タイプのアルティザンではなく動機や情動を内部から精密に絞り出すギリアムやバートンのようなタイプの作家に顕著な、一度ずれたタイミングや歯車の修正に時間を費やすうちにいつしかスポイルされてしまう轍は踏んで欲しくないというのが正直なところではある。屋敷内のせっかく魅力的なエレベーターが例えば『サスペリア2』のようにホラー的な立体機能をしなかった点への肩すかしや、ついにはラストで『アッシャー家の崩壊』へのオマージュを捧げるためのクリムゾン・ピークなのだろうとばかり思っていたこともあって、ああ沈まないのだなあと淡々とではあるけれど拍子抜けしたこともついでに告白しておく。