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情報の海の漂流者

web上をさまよいつつ気になったことをつぶやいています。

魔女の宅急便のニシンのパイが不評な理由を想像する

再現料理では好評なのに、劇中では不評なニシン料理と聞いて、ニシンが大嫌いだった祖母の話を思い出した。
祖母が若いころ、祖母の住んでいた地域には、新鮮なニシンは流通しておらず、ニシンといえば、カチカチに乾燥した乾燥ニシンを何日もかけて水で戻したもので大変美味しく無かったそうだ。

お正月になるたびに、若いころ、正月になると保存食の身欠きニシンが食卓に出てくるのが辛くてたまらなかったと聞かされた記憶がある。

水揚げされた鰊は、生の状態では、日持ちがしない。冷蔵技術が発達していない時代は、内臓や頭を取り除いて乾燥させるのが一番合理的な保存法だった。大量の鰊を日本各地に流通させるため、干物に加工したものが身欠き鰊である。すでに享保2年(1717年)の『松前蝦夷記』に、ニシンの加工品として「丸干鯡」(ニシンを内臓も取らずそのまま干し上げたもの)、「数の子」、「白子」などと共に「鯡身欠」が記載されている。
身欠きニシン - Wikipedia


昔読んだ本によれば確か、ヨーロッパでもニシンは乾燥保存していたはずだと思い、検索をかけてみると、それらしき情報がヒットした。

www.anlyznews.com

ニシンとタラが中世では主要な魚類であった。冷蔵技術の無い時代なので、保存加工が重要になってくる。ニシンとタラは保存する事ができた。ニシンの加工技術が優れていたハンザ同盟やオランダが商業的に成功し、力を持つ一因となった。また、保存の効く食料は長期の公海を可能にする。ニシンとタラがヴァイキングの域外進出や、大航海時代を可能にした。また、タラの魚場があったことが、ヨーロッパ人の米国大陸殖民に役立ったそうだ。奴隷の食事として重宝された、黒い歴史もある。

ジブリ系の書籍を読んでいると、魔女の宅急便は行動成長期の集団就職で都会に出てきた若者をターゲットにした作品という話が時々出てくる。
その世代の「地方の若者」にとって生の魚というのはどういう扱いだったんだろうか?

食べ物の質を持って時代の変化を表現する、というのは個人的には好きなタイプの描写だ。
おばあちゃんにとっては懐かしい味の乾燥ニシンでも、生の魚が容易に食べられる若い世代にとってはまったくもって不評、という想像があたっていてくれればいいなと思う。

その方がタダの好き嫌いよりもなんか納得できるのだ。