GO!「下町ボブスレー」
1月21日 19時32分
厳しい寒波が日本列島を襲うなか、“アツい”話題がお茶の間を駆け巡りました。東京・大田区の町工場のグループが開発した競技用のそり「下町ボブスレー」が、映画のモデルにもなった南国ジャマイカの代表チームに採用され、ともに再来年の冬のオリンピックを目指すことになったという知らせです。
プロジェクト開始から5年。町工場の面々は苦難を乗り越え、ようやく夢の舞台を目指すスタートラインに立つことに成功したのです。
採用の決め手は何だったのか。取材の舞台裏を経済部の峯田知幸記者が報告します。
悲願のオリンピックそりに採用
「やったー!やったよな」
今月16日、採用の決定後、私が向けたマイクに、プロジェクトの責任者・細貝淳一さんが発した第一声です。細貝さんがバンザイしながら喜ぶ姿から、曲折を経て勝ち取った「採用」の2文字への強い思いを知ることができました。僅か2か月前に日本代表チームから不採用を告げられ、「目の前が真っ暗になった」と話した細貝さんの喜びが爆発した瞬間でした。
ジャマイカ代表の女子選手、ジャズミン・フェンレイターさんも最高の賛辞を送りました。「『下町ボブスレー』は、最高に優れた未来型のそり。この技術と私たちのスキルをもってすれば、必ず次の韓国・ピョンチャンオリンピックで勝利できる」
夢の舞台へ苦難の連続
「下町ボブスレー」のプロジェクトがスタートしたのは、5年前の平成23年です。
高い技術で日本のものづくりを支えてきた東京・大田区では、不況や少子高齢化による後継者不足などで、ピーク時、9000社を数えた町工場が今では半分以下に減っています。この苦境を打開し、世界に「大田区」の技術を発信したいと町工場の社長たちが目指したのが、スポーツの祭典、オリンピック。目指すは、そり開発で熟練の技術を生かせる“氷上のF1”とも言われるボブスレーでした。
しかし、道のりは険しいものでした。実戦と改良を積み重ね、日本代表がソチオリンピックで使うそりの採用テストにこぎ着けましたが、大会直前に27の改良項目を求められ、結果は不採用。町工場の社長たちは再起をかけて、改良箇所をすべて解消。カーブをよりスムーズに曲がれる工夫なども追加して、次のオリンピックに向けた採用テストを受けましたが、去年11月、またしても不採用となりました。
プロジェクトのあるメンバーは、「技術には自信があり、2度も不採用になるのは理解できない。しかし日本代表との間で何らかのボタンの掛け違いがあったのかもしれない。それが何だったのかも今では分からない」と首をかしげます。
プロジェクトチームは他国のチームへのそりの提供にかじを切りました。働きかけたのがジャマイカ代表チームでした。雪のないカリブ海の国のチームで大きな話題となり、映画「クールランニング」のモデルにもなった人気チームです。
そのジャマイカ代表チームが来日し、長野市にあるコースで滑走テストを行う運びとなったのです。
採用の裏に最高の“イエスマン”
町工場のグループに舞い込んだチャンスを聞きつけた私は現地に向かいました。長野駅から車で30分。長野オリンピックで使われたそり競技の会場です。至る所に「五輪」のマークが掲げられ、今もオリンピックの雰囲気を感じさせてくれます。
山頂にあるスタート地点に到着すると、大柄で屈強なジャマイカの選手たちが、そりに乗ってテストしているところでした。
「ゴーッ」という迫力のあるそりの滑走音。コース脇には、採否を決めるジャマイカボブスレー連盟のクリス・ストークス会長が仁王立ちしていました。
『会長の目には下町ボブスレーがどう映っているのだろうか』
話を聞こうとしましたが、あまりに真剣な表情で、ことばをかけることすらできませんでした。
町工場の関係者に取材すると、「選手は最高だと言ってくれている。ただ、会長の心の内はわからない。技術で勝負するしかない」と話していました。
その直後でした。今思い起こすと採用の決め手となる重要な場面に出くわしていました。そりの調整現場です。当初、滑走テストはタイムが肝心だと思っていました。しかしそれ以上に代表チームが重視していたことが、そりの調整力でした。
滑走後に選手が感じた違和感を、どれだけ速やかに調整できるのか。私が見たのは、滑走を終えた選手が『振動をもっと抑えられないのか』といった要求を町工場側にぶつける場面です。町工場の技術者は嫌な顔ひとつせず、その場でそりの一部を直ちに分解し、選手の要求に応えて見せたのです。熟練の技を持ち、大手メーカーの下請けとして難しい部品に挑んできた町工場の技術者たちにとっては、当たり前のことだったのかもしれません。
調整後、選手たちから笑顔が広がったのは言うまでもありません。資金不足もあって調整が万全でないことが多かったジャマイカの代表チームにとって、きめ細かな調整は何よりもうれしい対応だったのです。
選手たちは「高い要求にも決して『ノー』と言わない」「何でも『イエス』といって最高の調整をしてくれる。こんなに心強いものはない」と口をそろえていました。
「採用は近い」。私自身強く感じました。
採用決定の知らせを聞いた私は、ストークス会長にインタビューを試みました。「下町の最高の技術力とものづくりに対する真摯(しんし)な取り組みに感銘を受けた。今後は世界大会でそりを使いながら改良を加え、最終的にはピョンチャンオリンピックで使いたいと思っている」。
町工場のグループの夢が一歩前進したのです。
大田区の夢を乗せて
「世界へ羽ばたけボブスレー」「すばらしい技術を世界に発信して」「ほこらしく思います」
これらは18日の記者会見場に飾られていた、大田区の小学生たちの町工場のグループに宛てたメッセージです。
将来、大田区のものづくりを支えるであろう子どもたちに、町工場のグループの思いが確実に伝わり始めていることを示すものでした。
ただ、このプロジェクトの最大の正念場はこれからです。
会見中、選手から、下町ボブスレーの技術が流出しないよう「具体的な改良ポイントなどは言わないでほしい」と要望が出る一幕もありました。
それだけシビアな世界に足を踏み入れることを象徴するシーンだったように思います。
オリンピックまで残り2年。両者は今後、下町ボブスレーを使って大会に出場しながら改良を重ね、最終的には3台の新型のそりを作り上げる計画です。資金をどう工面するかも大きな課題になってくるはずです。立ちはだかる壁は幾度となく出てくるでしょう。しかし苦難を乗り越えてきた町工場魂で、必ずや多くの人の夢を最高の形で実現してくれるはずです。
「GO! 下町ボブスレー!」