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ポジ熊の人生記

ブログ継続の秘訣や記事作り・人生哲学・健康情報などを雑多に書くブログです。北海道民の知識を活かした地方情報も発信しております。

自分と似た仲間が集まる場所が好き。これがサードプレイスってやつ?

IT ツイキャス

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最近は良く耳にするサードプレイス。改めて調べてみると、現在、僕が良く出入りしているネット上のコミュニティに、もろに当てはまることが判明。

今回はサードプレイスについて調べるとともに、その場所に対する想いを語りたい。

サードプレイスとは

サード・プレイスとは、コミュニティにおいて、自宅や職場とは隔離された、心地のよい第3の居場所を指す。

オルデンバーグは、以下のような場所を真のサード・プレイスの特徴を備えているという。

無料あるいは安い 食事や飲料が提供されている

アクセスがしやすい、歩いていけるような場所

習慣的に集まってくる

フレンドリーで心地良い

古い友人も新しい友人も見つかるようなところ

サード・プレイス - Wikipedia

引用文内の赤く強調している部分は、僕が思う「ネット上におけるサードプレイス」の特徴です。食事や飲料、という記述はもともとリアルのコミュニティを指す言葉として定義されているのだと考えられます。欧米文化と日本文化の違いもあるのでしょう。日本ではネット上におけるこのような空間が、日々盛んに活動を行っているのではないかと思われます。当然、リアルでの交流場所も少なからずあるのでしょうけどね。

 

僕はブロガーに癒されてきた

去年、大きなアクシデントで失意の底に沈んだ僕を救ったのは、ほかでもない、「ブログ」でした。ただ書くことも気持ちの整理やデトックス効果があるのですが、何よりも救いになったのは「他者との交流」です。書いた記事に足跡を残していったり、定期購読者になってくれる人に、今までにない喜々とした感情を抱いたものです。おそらくこれは「ブロガー」としてカテゴライズされた仲間である、という認識があるからこそ、その親近感は大きく増幅されたのだと思いますね。自分と考え方や趣味などが違う人間とは、なかなか相いれないものです。ですが、ブログに足跡を付けていくというのは少なからず「ブログを書く・見ることが好き」という同じ趣向を示す証拠にもなる。これはコミュニケーションの連鎖を生むのだろうなぁと。

 

ツイキャスの功

ブロガー界隈で平成27年末から流行している「ツイキャス」

詳細な説明は省かせていただきますが、簡単に言えば「個人が手軽に映像や音声配信ができるツール」です。これを使って他のブロガーとより直接的な交流を図る方が圧倒的に増えました。

かくいう僕も毎日22時~23時に配信*1しています。そこでは毎晩、リスナーのみんなと楽しく交流していますよ。

ところで、ここにはどうやってリスナーが集まってくるか、わかりますか?

  • 事前告知により前もって知っている
  • 「サポーター」になってポップ通知を受ける
  • TwitterのTLで流れるメッセージを見る

大きく分けてこのようなパターンが考えれらます。これがどういった人間を集めるかおわかりですか?

 

似たような仲間が集まるのです。

 

誰が放送主かは一目でわかりますので、あまり好きじゃなければそもそもチャンネルに入ってこないだろうし、迷い込んでもすぐに出ればいいだけの話。そのチャンネルにとどまるということは、少なからず放送主に好意を抱いているか、そこがその参加者にとって居心地が良い場所だからだと考えられるのですね。これがツイキャスにハマる大きな要因であると僕は分析しています。

 

とある日のツイキャスにて

定期配信してて、僕はリスナーに自分の弱点を良く話す。この前も「雑踏や大きい音が苦手で消耗してしまう」旨を伝えたところ「わかる」「僕も人混みが嫌い」「消耗する」などなど、同じ思いをしている方の生の声が聴けたのです。

正直、とても嬉しかった。「こんな思いをしているのは、自分だけじゃなかったんだ」って。同時に、この自然発生的コミュニティがそのような場を生んだのかなとも考えました。ブロガー同士が集まっているので似たような部分が出てくるのは当然かとは思うのですが、こうまで似通った部分を共有できるということは偶然ではないんじゃないか?って。そう考えさせられたわけですよ。

 

傷の舐め合いを笑う人間の、かくも残酷なことよ

傷の舐め合いを良しとしない方もいらっしゃるでしょうし、その人たちにはそれぞれの理論があるのだと思います。でも、僕はちょっと理解できない。だって、それが生きていく上でどのような弊害をもたらすというのでしょうか。不幸になるような関係は良くありませんが、居心地が良くて、その場所で社会の荒波に耐えられるように充電できるのであれば素晴らしいことではありませんか。強い人間ばかりじゃない、いちど心を壊した人間というのは余計に対人関係などで摩耗しやすくなっています。繊細すぎる人もそう。マイノリティゆえに理解されない苦しみを抱いている。そんな趣向が似通った仲間が集まるサードプレイスにいることで、弱者は救済されるのです。心から笑うことができるのです。これは虚構ではありません。確実に、ひとつの立派なコミュニティだと思います。

 

僕らの居場所を大事にしたい(あとがき)

みんなの大切な場所だから、僕はここを壊すようなことはしたくない。何事にもルールがあるし、とある発言をした場合に、人それぞれで傷ついてしまうことだって考えられる。そういったところは配慮をしたいと考えている。もともと臆病者だから、余計にこう考えてしまうのかも。

「肩肘張らずに好きにやりなよ」って言ってくれる人もいるかもしれないけど、そうするとやはり傷つく人が出てくる。僕がこういったコミュニティにどれだけの価値をおいているかは前述のとおり。その気持ちが強いだけに、それを大切にしたい気持ちが大きい。すべての人を傷つけずに生きていくなんて無理だって理解はしている。けど、自分のできる範囲で考え、行動していきたいというのが正直な気持ちです。

未だかつて、これほどに自分の弱い部分を他人にさらしたことはないし、共感をえられたことはないのです。ずっと孤独感とともに生きてきました。表面では分かり合えた風でも、自分の弱点をさらしてまで深く付き合える人はいなかった。けど、今、僕は大きな喜びを感じています。強いところ、弱いところ、すべてを見てくれる仲間がいることに。

仲間がいれば恐れることはありません。決断するのは自分ですが、自分の背中は自分で押せないのです。そんな力強い味方を得た僕は、今後も生き辛き世の中を元気に生きていく覚悟を決めるのであります。

 

終わり

*1:平成28年3月までの期間限定ではありますが