ぼくいつも死にたくなるんですよ。もう2日に1回はそう思ってます。(もっとかな?)
これはなぜだか分かりません。
何かあった時もあれば、何も無くても突然そうなります。
よくメンヘラという言葉が昨今使われるようになりましたが、ぼくはメンヘラです。
メンヘラの意味とは?
これは、「精神が病んでいる人・行動が超ネガティブで異常な人」
という人を表す言葉です。
ネット用語の解説サイトに「精神障がい者」など書かれている場合がありますが、
実際には障がい者とまでいかずに、ちょっと精神が普通ではない人全般に使います。
例えば、「すぐ自殺したがる人」とか、「リストカットが癖」など、
「とても病んでいる人」と考えるといいでしょう。引用元:
ぼくは一般的に言えば精神を病んでいます。これが異常かというとぼくの中では通常なのです。
ただ、仲の良い友人によく言われることがあります。
「あなたはいつかいきなり死んでしまいそうで、時々、本当に心配になる」
「君は自殺と犯罪さえしなければ何をしててもいい。」
この言葉を見ても、完全にぼくの精神状態が他人から見たら特異なことを表しています。
死を感じることで生を実感できる
ぼくは死にたくなるのが当然だと思っていて、死を感じてないと生きてる気がしないのです。
人間いつ死んでもおかしくないと常々思ってます。
ぼくの場合は、死と向き合うことで自分が今生きてることが奇跡のようにも感じられてモリモリっと元気が湧いてくるのです。
多くの人は、死を怖がります。死を嫌悪します。
死ぬことに対してのネガティブなイメージが強いです。
確かに、ぼくも交通事故で死ぬとか一番嫌ですけどね。
この前の高速バスの事故は本当に心が痛くなりました。
ですが、死と向き合うことは大切なことなのです。
ぼくはよく心配されるけれど、本当に死ぬわけじゃありません。
リスカだってしてないし、自分の体を傷つけたり、誰かに対して感情を荒ぶることもしません。
むしろ、その点では極めて理性的です。
ただ、「自分がいつ死んでもおかしくない」という意識だけが常にあって、この思考はぼく以外の人たちもきっと持ってると思うんですよ。
それを押し隠してるだけか、さらけ出してるかの違いのように感じます。
昨今のSNSは、どんどんイイ話しか受け付けなくなってきていて、「死にたい」なんてつぶやきをすると、すぐに心配されます。
それもどうかなっておもうんですよ。
闇を抱えるから人間は魅力的である
人間の心は闇を抱えてるから面白いのです。
実際、ぼくの周囲はみなさん独特の闇を抱えてて、とても興味深い。
光しか感じない人間はぼくにとって眩しすぎるのかもしれない。
闇を帯びてる人間がぼくは好きなんです。
闇を抱えてる彼らはそれをエネルギーに変えて、社会に貢献しようとしています。
闇から光に転じようとする振り幅があるからこそ、その人の魅力になるように感じるのです。
「死にたい」と思ったり、つぶやくのは実は「生きたい」という生命力の表れなのかもしれません。
死の捉え方は人それぞれだけれど、死を身近に感じるかどうかの「距離感は近い方がいい」です。
死を近くに感じるからこそ、今しかない「今日」を大切に生きようと思えるんですよ。
周囲の人を大事にしようと思えるんですよ。
ネットやテレビでたくさんの事故、事件が毎日のように報道されます。
それらをぼくは他人のように思えません。自分もいつ衝動で加害者になるか分からないと自分に言い聞かせてます。
そう思えるのも死を身近に感じてるからです。
また、そんな危機感のある人は、犯罪も起こしにくいと思うんですよ。
交通事故を起こしやすい人は、「自分が交通事故なんて起こすわけない」と甘く見ている人たちです。
それと同じように自分が犯罪を起こさないと、タカをくくってる人ほど犯罪を起こす確率が上がるんです。
ぼくが常に死にたいと感じるのは、死にたくない、犯罪も犯したくないという危機感から来てるのだと思うんです。
それともう一つ、死を感じることで自分が「生きてる」という実感を味わいたいんです。
岡本太郎の死の言葉がグッときますよ。
僕は「幸福反対論者」だ。幸福というのは、自分につらいことや心配なことが何もなくて、ぬくぬくと、安全な状態をいうんだ。ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。僕は幸福という言葉は大嫌いだ。僕はその代わりに、「歓喜」という言葉を使う。危険なこと、つらいこと、つまり死と対決するとき、人間は燃え上がる。それは生きがいであり、そのとき湧き起こるのが幸せではなくて「歓喜」なんだ
幸福ではなく歓喜。とてもイイ表現ですね。
みなさんは死に対してどのように感じていますか。
ぜひあなたの死に対する考えをツイッターやフェイスブックで聞かせてください。
わっしょい!