SMAPがこれまで経験した危機 そのたびに乗り越えたメンバーたち

2016年1月23日 00時53分
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今年の年明けから続きたSMAP解散騒動。様々な批判の声はあるものの、メンバーが『SMAP×SMAP』内で謝罪したことにより、一応の幕引きとなった。
しかし、過去にSMAPは何度も解散の危機に直面していたのだ。

森且行のSMAP脱退


6人でデビューした当初のSMAPは人気がなく、CDなどの売り上げも低かった。しかし今回の騒動の中心でもある飯島マネージャーの力もあり、次第に人気を上げていく。
1994年には『Hey Hey おおきに毎度あり』で自身初のオリコン1位を獲得、1996年4月には現在まで続く『SMAP×SMAP』が開始。国民的アイドルといっても過言ではない人気を得ていた。

しかしそんな矢先、メンバーの一員だった森且行が1996年5月に脱退する。理由は自身の長年の夢だったオートレーサーの道に進むためだった。

昨年に中居正広は、森の脱退がSMAP最大の解散危機だったと告白している。また中居は、『SMAP×SMAP』の人気コーナーである「ビストロSMAP」は「森くんが料理がうまかったから始まった」と話した。

キムタク独立騒動


1996年から1998年ごろまで続いた騒動。先述の森が脱退した後もSMAPの人気は上がり続けるばかり。特に木村拓哉は『ロングバケーション』に出演するなど国民的人気を得ていた。
しかしキムタクは自身の世間的人気と比べ、ジャニーズ事務所からの報酬の少なさにかなり不満を抱いていたそう。
当時の週刊誌報道を見てみると、バーニング系事務所に移籍を打診かと騒がれていた。

この騒ぎを収めるため、ジャニーズ事務所はキムタクへの報酬を上げ、ジャニーズ事務所がまったく関与しないという超異例の形で写真集『木村拓哉』(1996年12月発売)の出版を認めた。それほどまでにジャニーズ事務所はキムタクを手放したくなかったのである。

しかし、キムタク独立騒動は写真集発売の後も続き、翌年の1997年の秋に独立するのではと再び騒動に。
というもの、キムタクの父親が「ファミリー」という個人事務所を設立し、億ションを会社名義で購入するなど、独立の準備をするような素振りをみせたのだ。

騒動は翌年も続いたため、1998年9月、東京ドーム公演初日に5人全員で会見し、キムタク独立の事実を否定した。
この会見で中居は「力尽きるまでやっていきたいと思ってます。5人が同じメンバーでいられることに、神様に感謝したい。これからも一緒にできることを幸せに思います」と述べた。

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