英国イングランド北部に位置する町ヨークは、かつてローマ帝国が辺境に建設した主要な植民地の一つだった。この地にあるローマ時代の墓地から出た人骨を分析した結果、当時のヨークでは地元出身者だけでなく、はるか遠方からの移住者も行き交っていたことが分かった。(参考記事:「イングランド、地中に眠る騎士の財宝」)
研究成果は、1月19日付の科学誌「ネイチャー・コミュニケーションズ」に掲載された。アイルランドにあるダブリン大学トリニティ・カレッジの遺伝学者ダン・ブラッドリー氏らの研究チームは、墓地から見つかった7つの頭骨にある、内耳を収める高密度の骨からDNAを採取して分析。その結果、6人には現在のウェールズに住む人々と一致するDNAがみられた。だが残る1人の出身地は、研究者たちにとって予想外だった。ずっと遠い、ローマ帝国の反対側だったのだ。
「遺伝的に最も近いのはパレスチナかサウジアラビア出身の人々です」とブラッドリー氏は話す。「ヨーロッパ人でないことは間違いありません」
DNA分析の裏付けを取るため、英レディング大学のグンドゥラ・ミュルドナー氏は、人骨の歯に残った化学的痕跡を詳しく調べた。すると、ウェールズ人に近い6人と、残りの1人は明らかに異なっていた。
「この『中東から来た男』の違いは際立っています。この人物は暑く乾燥したどこかの地からここへ移ってきました」とミュルドナー氏は話す。「最も考えられるのはナイル川周辺か、それに近い環境の場所でしょう。正確に特定することはできませんが、中東のどこかです」
碑銘や文献史料、その他の証拠から、ローマ帝国では上流階級の人々がしばしば帝国内を移り住んでいたことが分かっている。ヨークには、象牙の腕輪を付けたローマ時代のアフリカ系女性も葬られているほどだ。(参考記事:「古代ローマ、女剣闘士は実在した?」)
ヨークの人骨はこれまでにも注目を集めていたが、ブラッドリー氏らの研究はその理解をさらに進めた。今回分析されたものを含め、多くの人骨が2004年に出土。彼らが埋葬されていた墓地は、かつてエボラクムと呼ばれた都市の外れに当たる。ローマ軍の要塞を備えたエボラクムは、1800年前のローマ属州ブリタニアでは屈指の植民地だった。「ヨークは大きな街でした。ローマ帝国の皇帝がブリタニアを訪れたときの滞在地だったのです」と語るのは、レディング大学の考古学者ヘラ・エックハート氏だ。ローマ時代の英国が専門で、今回の研究には関わっていない。「大規模な兵力も置かれていました」(参考記事:「ローマ帝国 栄華と国境」)
この墓地で発見された計80体の男性たちにとっても、暴力は身近なものだった。人骨の多くには傷が治癒した跡があり、ライオンかクマとみられる大型の捕食動物に咬まれた者さえいる。何より奇妙なのは、彼らのうち約半数が首をはねられて死んだか、死の直後に首を切断され、首とともに葬られているという点だ。
人骨の特徴から、全員が45歳未満と判別できた。いずれも平均より身長が高く、筋肉質だ。「一つの説明は、剣闘士かローマ帝国の兵士たちだというものです」とブラッドリー氏。(参考記事:「古代ローマ兵士の靴60足、英国で発見」)
以前の分析では、この墓地から出た他の人骨に残る化学的痕跡から、一部の男性はドイツまたはさらに東のヨーロッパ内陸部といった寒冷な地域で育ったことが分かっていた。検出された化学物質からは、彼らの一部が幼少時にキビを食べていたことも明らかになった。ブリタニアでは入手できない穀物だ。
今回の研究成果について、専門家らは「ローマ帝国の国際性をDNAの面から初めて裏付けたものかもしれない」と評価する。さらに研究が進めば、帝国の富裕層以外の人々の居住や移動の様子も解明できる可能性がある。
「この研究結果は、都市と軍事の面でのローマ帝国の流動性を示しています」とエックハート氏は語る。「さらに多くのサンプルを取ってDNAを分析すれば、この墓地の人骨がどこから来たのか判明するでしょう」(参考記事:「ヨーロッパ諸語のルーツは東欧。DNA分析で判明」)