歴史秘話ヒストリア▽新常識!歴史NEWS〜目からウロコの大発見2015−16 2016.01.20


これまでの歴史の常識を揺るがす大変な発見がこの1年全国各地で相次いでいます。
九州の沖合海底で見つかったのは730年前に沈んだ木造船。
この船に当時日本を滅亡寸前へと追いやったある大事件の真相が隠されていました。
京都のマンション建設現場からは大量の金の瓦が!そこはなんと豊臣秀吉が晩年に築いた城の跡でした。
絢爛豪華なその「幻の城」とは?そして兵庫県淡路島で大量に掘り出された…その調査から謎に包まれていた古代日本の姿がついに明らかにされようとしています。
更に昭和を代表する作家の手紙や太平洋戦争終結にまつわる秘蔵資料など次々新発見が!それらから今まで知られる事のなかった物語が浮かび上がりました。
今回の「歴史秘話ヒストリア」は過去1年間に伝えられたニュースを大特集。
歴史の最先端へご案内します。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今宵は「新常識!歴史NEWS」。
日本の歴史について新たに発見された事からえりすぐりの情報をお伝えします。
今回番組では独自のニュースランキングを作りました。
まず去年報道された歴史に関するニュースから50項目を選び出しこれらについて全国の専門家にアンケート調査を行いました。
50項目のニュースの中で歴史的な重要性が高く注目すべきものはどれか?3つを選んでもらい1位から3位まで点数化して集計します。
更に番組ホームページでも視聴者の皆様からの投票を募集。
1位から10位まで点数をつけ専門家アンケートと合わせて総合順位が決定しました。
一体どんな結果になったのでしょう?そのランキングのトップ10を10位から順番に発表してまいります。
では早速第10位!国宝級かもしれない大発見です!去年1月。
宮崎県えびの市郊外の田んぼから驚くべきものが見つかりました。
それは地面にぽっかりとあいた深さ2メートルほどの穴。
実はこれ1,500年以上昔の豪族の墓だったんです。
穴の奥には畳4畳分ほどの空間があり豪族はここに埋葬されていました。
たて穴を地中で横に堀り広げたこのような墓は「地下式横穴墓」といいこの地域で過去にもいくつか見つかっています。
しかし今回の墓にはこれまでにはない大きな特徴がありました。
なんと…その多くが武器でした。
床一面に敷き詰められた300本もの矢。
これだけたくさんの矢が一度に見つかるのは極めて珍しい事です。
他にも刀や甲冑などが良い保存状態で発見されました。
特に専門家から注目を集めたのがこちらのよろい。
全く同じ形のものが遠く離れた奈良県でも発見されていたからです。
当時大きな勢力を誇っていた近畿地方の豪族が九州の豪族にこのよろいを与えたのではないかと考えられています。
古代の日本は各地の権力者たちによってどのように統治されていたのか。
この発見が謎を解く手がかりとなるかもしれません。
続いて第9位。
城造りに秘められていた戦略とは?去年2月愛知県の小高い山に大勢の人々が集まりました。
一体何があったというのでしょう?発掘調査を行った結果ここに3段の石垣があった事が去年初めて分かりました。
え?「お城に石垣なんて当たり前」ですって?それは違います!実は戦国時代の城はほとんどが「山城」。
自然の山を利用して土塁や堀をめぐらしただけの簡単な造りでした。
敵と戦うにはこれで十分だと考えられ石垣までは築かないのが普通だったのです。
これまで本格的な石垣を備えた城は信長が琵琶湖のほとりに建てた安土城が最初だと言われてきました。
しかし信長はそれより13年も前の小牧山城で既に石垣を築いていました。
そこにはどんな意図があったのでしょう?当時信長は隣国美濃に戦いを挑み小牧山はその国境にありました。
そこに…。
誰も見た事のない巨大な石の要塞が出現!敵はきっと驚いたにちがいありません。
記録ではちょうどこのころ美濃の武将が次々と信長に寝返っています。
堅固な石垣を持つ城を見せる事で信長は敵の戦意をくじいたと考えられるのです。
ある意味お城が戦闘施設そのものであるのに加えて見せるという事によって…敵を圧倒し戦わずして勝つ。
信長独自の戦略がその城造りから解き明かされようとしています。
さあ第8位。
大坂の陣の実態が明らかに!戦国最後の戦い大坂の陣。
徳川家康率いる20万の大軍が豊臣秀頼の大坂城に攻め寄せました。
徳川軍の前に立ちはだかったのが「日本一の兵」と言われた豊臣方の名将真田幸村こと信繁です。
信繁は大きさが200メートル四方に及ぶ要塞真田丸を築き迎え撃ちます。
この真田丸これまでは攻めてくる敵をひたすら防ぐ防御専用の施設だと考えられてきました。
ところが…。
撃て〜!
(銃声)今までの定説を覆す新たな事実が去年明らかになったのです。
その根拠がこちらの地図。
これまでの調査をもとに当時の大坂城周辺の地形を再現したものです。
大坂城は三方を川に囲まれていますが南は地続き。
そこで敵に攻め入られないよう南西に空堀を設けます。
そして出入り口としてそのまま残された南東を守るために真田丸が築かれた。
これが真田丸を防御施設だとする従来の説です。
しかし再現された当時の等高線を見ると大坂城南東には深い谷が200メートルにわたって続いていました。
つまり大坂城は真田丸が出来る前から自然の地形と堀で四方をしっかりと守られていたのです。
信繁は鉄壁の守りを持つ大坂城からあえて飛び出し谷の外側に敵に挑むような砦を築きました。
真田丸の目的は敵を積極的に攻撃する事だったのです。
撃て〜!家康をあと一歩というところまで追い詰めた真田軍。
その戦いぶりは想像以上に勇猛果敢だったのかもしれません。
織田信長に真田信繁。
とても有名で研究され尽くしたかのような戦国の名将でもまだまだ分かっていない事がたくさんあるんですねえ。
さて次のニュースはよろいに続いてまた九州での大発見です。
福岡県春日市の遺跡から出土したのは5センチほどの石のかけら。
実はこの石古代の鏡青銅鏡の「鋳型」の破片でした。
国内で発見された鏡の鋳型としては最も古いと考えられています。
という事でランキングの第7位はこちら。
日本最古の「鏡の鋳型」。
この鋳型が使われていたのは今から2,100年ほど昔の弥生時代。
この発見によって…さて発見は陸の上ばかりではありません。
水の中からも見つかっています。
去年6月長崎県鷹島の沖合。
水深15メートルの海底で発見されたものとは朽ち果てた木造船。
全長は20メートルほどと推測されます。
これこそ鎌倉時代に日本を襲ったモンゴルの軍船でした。
今からおよそ730年前二度にわたって日本が危機に直面した蒙古襲来。
2回目の襲来ではモンゴル軍は4,000艘を超える大船団で九州北部に押し寄せました。
しかし…。
(雷鳴)発見された船はこの時の沈没船だと見られています。
モンゴル船は5年前にもこの近くの海底で発見されており今回が2例目です。
これらの船を調べる事で蒙古襲来の知られざる実態が分かるのではないかと期待されています。
さあ歴史の新事実が次々と出てくる「歴史NEWS」ランキング。
いよいよトップ5…なんですがその前にちょっとこちらをご覧下さい。
新人作家の登竜門として知られる芥川賞の受賞式。
去年お笑い芸人として初めて受賞し話題となったのが又吉直樹さんです。
記者会見ではこんな発言が飛び出しました。
今月はもう2回か3回ぐらい行ったんですけど。
昭和に活躍し今も多くの読者を魅了し続けている小説家…そんな太宰と芥川賞を結び付ける新たな史料が見つかりました!「歴史NEWS」第5位。
「芥川賞が欲しい!太宰治手紙で涙の直訴」。
芥川賞が設けられたのは今から81年前の昭和10年。
その第1回受賞者の候補となった作家の一人が当時26歳だった太宰治です。
才能ある若手として注目を集めますが…。
この時実際に受賞したのは別の作家。
太宰は惜しくも落選してしまいます。
その翌年2回目の芥川賞選考を前に書いたと見られる太宰の手紙が去年発見されました。
それがこちら。
巻紙に筆で書かれたものですが長さはなんと4メートルもあります。
こんな手紙が届いたらびっくりしますよねえ。
宛先は芥川賞の選考委員を務めていた文壇の重鎮佐藤春夫。
その佐藤に太宰は「芥川賞が欲しい!」と強く訴えていました。
「今度の芥川賞も私の前を素通りするようでございましたなら私は再び五里霧中にさまよわなければなりません」。
「私を助けて下さい佐藤さん。
私を見殺しにしないで下さい。
今はいのちをおまかせ申しあげます」。
プライドをかなぐり捨てなりふりかまわずつづった文章。
その背景にはせっぱ詰まった状況がありました。
このころの太宰は作家としてまだ半人前。
それなのに文豪気取りで芸者遊びに手を出しその一人と同棲を始めました。
ところがこれが実家に知られる事に。
太宰治本名・津島修治は戸籍から抹消。
勘当されてしまったのです。
仕送りに頼っていた太宰は途方に暮れます。
やけになって女性と心中未遂まで起こす始末。
みるみるうちに人生のどん底へと落ちてゆきました。
心の声どうすればこの泥沼から抜け出す事ができるんだ…。
心の声そうだ芥川賞を取ろう!一人前の作家として世間に認めてもらえばきっと人生を立て直せるにちがいない!そうして書いたのが今回発見された手紙でした。
感情のままに筆を走らせているように見えますが実はこの手紙には誤字や脱字が全くありません。
かなり推敲を重ねたと考えられます。
4メートルに及ぶ長さも相手にインパクトを与えるための作戦だったようです。
しかしそうした奮闘のかいもなく結局この年も太宰は芥川賞を取れませんでした。
芥川賞を逃した太宰は一念発起して小説を書き始めます。
そして「走れメロス」をはじめ今も読み継がれる多くの作品が生み出されたのです。
もし太宰が芥川賞を取っていたらこれらの名作は今頃書店に並んではいなかったかもしれません。
太宰もまさか亡くなったずっと後でこんな手紙が世間に知られるなんて思ってもいなかったでしょうねえ。
それはわしかて同じや!あらどなた?大阪出身の与謝蕪村ちゅうもんや。
しがない俳句詠みやけどな。
あぁ存じ上げてますよ。
江戸時代を代表する俳人のお一人で絵も得意だった有名な方ですよねえ。
今で言えば「マルチアーティスト」。
「しがない」だなんてご謙遜を。
アッハッハッハそこまで言われたらてれるがな。
ところであゆみはんわしの手紙も最近見つかったらしいやおまへんか。
気になって見に来たんや。
そうなんです。
という事で第4位はこちら。
見つかった手紙は奈良大学が古書店から購入したもの。
詳しく調査した結果与謝蕪村が知人に宛てて書いた直筆の手紙だと認められました。
その内容で注目されたのが次の一文です。
「河州」とは「河内」とも言い現在の大阪府東部の地域を指します。
この記述から河内が蕪村の妻の出身地であるらしい事が初めて分かったのです。
蕪村さんって作品が有名な割には私生活が謎だらけだそうですねえ。
この奥さんの話はほんとですか?芸術家っちゅうのは作品が全てやからなあ。
ご想像にお任せするわ。
けど作者の私生活が分かればその作品の解釈が変わる事もあるんやで。
えっ?どういう事でしょうか?わしの俳句には「河内」に関係したもんがいくつかある。
その一つがこれや。
どれどれ…。
はぁ…これがどう変わったと?
(蕪村)河内っちゅうところは有名な木綿の産地や。
そこでこれまでの解釈では「河内女」とは「機織りの女性」やと考えられてきた。
すると句の意味は…。
「機織りをする女性がいないから静かできじの声がよく聞こえる」。
(きじの鳴き声)
(蕪村)日常の何気ない場面やな。
でも河内出身のわしのかみさんやとすると…。
「妻がいないからきじの声も寂しく聞こえる」。
(キジの鳴き声)
(蕪村)どうや?全然違うやろ。
なんとも妻思いの句になりましたね。
せっかく蕪村さんがいらっしゃるので伺うんですが結局どちらが正しいんですか?ハッハッハッ!せやからそれはご想像にお任せする言うたやないか。
おぉもうそろそろ行かんと。
ほなさいなら!あらら行っちゃいましたね。
しかたがないです。
今後の研究で真相が明らかになるのを待ちましょう。
さあランキングはいよいよベスト3の発表です!第3位は…。
これまで全く手がかりのなかった謎の城がついに見つかりました。
難攻不落と言われた大坂城。
優美な姿で人々を魅了した京都の聚楽第。
各地にこれらの名城を築いた「城造りの名人」が天下人豊臣秀吉です。
その秀吉が死の6年前余生を過ごすために造った城がありました。
京都郊外の伏見に建てられたと伝わる指月伏見城です。
非常に重要なポイントやと思ってますね。
しかしこの城は完成する直前大地震に見舞われます。
莫大な費用と労力が投じられた指月伏見城はあえなく倒壊。
500人以上の犠牲者を出し見るも無残に崩れ去った。
そう伝えられてきました。
残された記録があまりにも少ない事からやがて指月伏見城は「幻の城」と呼ばれるようになります。
研究者の間ではその存在自体を疑う声もあがっていました。
ところが去年6月。
京都市伏見区のマンション建設現場で城の石垣と堀の跡が発見されます。
石垣は大小さまざまな自然の石を積んだ「野面積み」。
秀吉の城でよく見られる工法です。
こうした特徴からこれこそ指月伏見城に間違いないとされました。
更にこの城跡からは「天下人」を象徴する特別なものが見つかります。
金箔で飾られたたくさんの瓦です。
金色に輝く文様は豊臣家を表す桐の紋や皇室とのつながりを示す菊の紋。
中にはこんな何の模様もない無地の瓦もありました。
実はこの瓦…。
全体が金箔で覆い尽くされていたのです。
こんな贅沢な瓦は他の城では全く見つかっていません。
天下を統一し権力の頂点を極めた秀吉の城とは一体どのようなものだったのか。
本格的な調査はこれからです。
そして第2位。
「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」。
この日ラジオから流れた昭和天皇の肉声が国民に終戦を告げました。
いわゆる「玉音放送」。
音声は放送の前日に録音されました。
その時声を収録したのがこのレコードです。
宮内庁の倉庫で保管されていましたが戦後70年を迎えた去年初めて公開されました。
内容は4分30秒。
当時は録音できる時間が短いため2枚組となっています。
私たちが今まで耳にしてきたのはこの原盤を更に複製したレコードの音声です。
どれほど違うのか聞き比べてみましょう。
「堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かんと欲す」。
「堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かんと欲す」。
雑音が混じっていますが複製よりも原盤の方がはっきりと聞き取れます。
この原盤の音声には昭和天皇の微妙な感情の起伏も表れていました。
「堪ヘ難キヲ」でまたここで一旦切れて「堪ヘ」という事で非常にですね発声も詰まってしまっている。
かなり感極まっていらっしゃったという事がここから推測できます。
昭和天皇はどんな思いでマイクに向かったのか。
当時録音に携わった技師玉虫一雄さん。
4年前に亡くなりましたが生前こう語っています。
緊張しながらも玉虫さんたちはどうにか無事に録音を完了。
この時天皇に尋ねられます。
声が低かったようだがどうだったか。
そこで侍従を介して「数か所お言葉に不明瞭なところがありました」と答えました。
すると天皇は自らこう提案したといいます。
知ってもらう事自体がとても意味がある事だと思います。
去年公開された玉音放送の原盤の音声は宮内庁のホームページから聞く事ができます。
さあ「新常識!歴史NEWS」いよいよ第1位の発表です。
専門家アンケートで最高点を獲得したのは…この話題でした!大発見があったのは瀬戸内海の淡路島。
ある建設会社の資材置き場です。
それは砂利を運ぶ作業中に見つかりました。
砂の中から見つかったのは30センチほどの金属製のもの7点。
2,000年余り前に作られた青銅器銅鐸です。
銅鐸といえば教科書で見た事があるという方も多いのでは?しかしここに古代史の謎を解く重要なカギが隠されていたのです。
「新常識!歴史NEWS」第1位!銅鐸は近畿地方を中心に全国でこれまで500個以上が発見されています。
作られていたのは弥生時代およそ2,200年前から1,800年前までの400年間です。
長い年月を経て今ではすっかり青くさび付いていますがもともとは…こんなに輝いていました。
原材料は当時とても貴重だった銅とスズ。
ところで皆さんこれ何に使っていたかご存じですか?偉い人が下の人を呼ぶ時に。
呼び鈴。
これと天秤で重さを量ってこれが釣り合う重さやったらこんぐらいの価値があるものやという…。
さて正解は…実は長い間分かっていませんでした。
というのもこの銅鐸弥生時代の後半にパッタリと作られなくなりそれまであったものもなぜか全部土の中に埋められてしまったからです。
文献によると銅鐸が再び姿を現すのは500年以上後の奈良時代。
奈良県の長岡という所で掘り出され人々は初めて目にするその奇妙な形に驚いたといいます。
江戸時代になっても銅鐸は何に使われたものか分かりません。
逆さにしてこれは花を生ける器だと言う人まで出てきました。
斬新なアイデアですねえ。
そして昭和に入ってもみを脱穀する様子が描かれている銅鐸が見つかった事などから五穀豊穣を祈る「祭りの道具」だと考えられるようになりました。
しかし具体的にどう使ったのかについては今日に至るまでずっと分からないままだったのです。
ところが今回出土した銅鐸から長年の謎を解く手がかりがついに見つかりました。
その一つはこちらについていたもの。
何だか糸くずみたいですが…。
拡大してみると古代人が植物の繊維を編んで作った太さ5ミリほどのひもだと分かりました。
更に銅鐸の内部を調べると青銅製の細長い棒を発見。
この棒は「舌」と呼ばれるもので銅鐸の中から見つかるのはこれが初めてです。
舌は7つの銅鐸全てにありそこにもひもの切れ端が付いていました。
これらの事実から判明した銅鐸の使用方法とは…。
銅鐸の内部にひもで舌をつるし取っ手にもひもを付けます。
そして木などにぶら下げ音を鳴らしていたのです。
古代の日本人を感動させた銅鐸の音とはどんなものだったのでしょうか?実際に鳴らしてみましょう。
(銅鐸の音)はるか昔の弥生時代。
人々は銅鐸のもとに集まり音を打ち鳴らしながら神に祈りをささげたと考えられています。
そういう事を通じて…銅鐸を詳しく調べれば私たち日本人の文化のルーツが見えてくるかもしれません。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後はご覧頂いたトップ10の他に視聴者の皆さんからリクエストの多かったニュースをご紹介しながらお別れです。
ご協力ありがとうございました。
その巨大さと強力な武装から「不沈鑑」とうたわれた武蔵。
しかし昭和19年。
フィリピン沖でアメリカ軍の攻撃を受けて沈没しました。
その残骸が発見された2か月後。
武蔵の主砲の射撃訓練を撮影したと見られる珍しい写真が元乗組員の遺品から見つかります。
(砲声)40キロ先まで届くと言われた当時世界最大級の主砲。
その砲撃が期待された戦果をあげる事はありませんでした。
明治維新の立て役者坂本龍馬にも新発見のニュースがありました。
見つかったのは龍馬の遺品の目録です。
そこには当時多くの剣豪を生み出した流派北辰一刀流の免許皆伝書があったと記されています。
ふだんから刀ではなくピストルを持ち歩いていた龍馬はその剣術の腕前について実は専門家の間でもこれまで意見が分かれていました。
しかし今回の発見で剣術の免許皆伝を受けていた事が初めて確認されます。
幕末のヒーローはやはり剣の達人でした。
最後は奈良県の明日香村。
ここで去年1月これまで見た事もない遺跡が発掘されました。
40センチほどの石が敷き詰められた堀の跡。
造られたのは1,300年ほど前です。
墓は四角形で一辺の長さは50メートル以上。
この時代では他に例を見ないとても巨大なものです。
全体像は?そして葬られているのは誰か。
全てはこれからです。
発見から一つの事実が明らかになる度にすぐまた次の謎が生まれる歴史の最前線。
今年はどんなニュースが私たちを驚かせてくれるのでしょう。
2016/01/20(水) 22:00〜22:43
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア▽新常識!歴史NEWS〜目からウロコの大発見2015−16[解][字]

昨年一年間にあった日本史の新発見をランキング形式で紹介する。古代史上の大発見や、あの文豪の知られざる手紙など、新たな発見で歴史の教科書が書き換わる…かも!

詳細情報
番組内容
「歴史は今も変わり続けている」。研究の進展で新事実が明らかとなるのは、科学や先端技術の世界だけではない。“過去のもの”ととらえられがちな歴史研究でも、新たな史料や遺跡の発見で定説が覆るケースが相次いでいる。淡路島での銅鐸発見や太宰治の新発見の手紙など、2015年の新発見にスポットをあて、番組ホームページで実施した視聴者投票、および研究者アンケートの結果を元にカウントダウン形式で紹介する。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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