一度、転部願を取り下げた。
明日には再提出するつもりだ。なぜ、そのようなことをしたのかというとカリキュラを見て、転部に成功すると卒業が非常に大変だということが発覚したからだった。
時間のゆとりがなくなるし、卒業ができなくなるかもしれないし、他キャンパスも結局容姿が良い人間が楽しむだけの場所で、編入というものを視野に入れた時に勉強時間がないのではないかと感じたから取り下げた。
しかし、万が一転部に成功したら今のアホ大学で毎日編入の対策をやってくれるようなものだから、再提出をして、父親の通っていた神戸大学やらの編入への希望を持つしかないと感じた。
自分が、受験に上手くいかなかった理由に結局のところ容姿があった。
勉強以外のところで、自分はあまりにも精神的リソースを使わなければいけなかったのだ。
肌が物凄く気持ち悪いから、キモがられて、そんなに能力がないから何時だって虐げられていたのだ。
結局、自分はアホ大学に入って編入やらと叶いそうもない褒められない夢を追いかけなければいけなくなっている。
美男美女を批判すると自分は容姿が悪いから嫌われ、結局何もしなくてもひどい扱いをされる。
容姿格差というのを話すと、「美男美女が良いという価値観に染まっているから苦しむのだ」とかいう意見を目にする。
そしてそのようなことを言う人間は容姿が良い人間を肯定、賞賛している。
容姿が醜い人間は、容姿という価値を無理にも忘れて、同じような容姿の醜い人間と妥協していなければいけないのだ。
本当は自分だって、容姿よく生まれて、容姿差別をしたかった。当たり前だ。
容姿が悪い人間が容姿の平等を求めているかといえばそうではないのも当たり前だ。
持病の主治医は整形について、やらないほうが良いのではないかと言った。
方がいいということは、出来なくもないのだろう。
汚い肌が良くなるのか、悪い顔がよくなるのか分からないが、金を貯めるしかない。
神戸大学よりは今の大学のほうが良いと思うけど。
大学変えたところで。世間様の大学の評価と、その大学の中での自分の立ち位置は全く関係ないんで、ほどなく今の状況と大差なくなる気がするんだよね。 たとえ環境が変わったところ...