徹子の部屋 佐藤B作&銀平親子 2016.01.20


3月の日付が書かれた卒業証書が手渡されました。
この高校ではほとんどの卒業生が大学進学を希望していて、卒業生は受験先に応じた補習授業や個別指導を受けるためあす以降も登校する予定です。
(黒柳)皆様この写真ご覧ください。
これお父様は佐藤B作さんだとおわかりですよね。
そこにすがり付いてる坊ちゃん。
この方は銀平さんと仰る息子さんなんですけど今日は親子で出ていただくことになりましたが今まで一度もこういう…一緒に出ない。
息子だとも言いたくない。
ハハハ…。
離ればなれに芝居したいっていう親子だったんですけど…。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
今日はお二人がそろって出ていただけるっていうことで色々お話…。
お父様は佐藤B作さんです。
息子さんは佐藤銀平さんと仰います。
よろしくお願いします。
はじめまして。
それでお父様はご活躍皆さんご存じですけど銀平さんのほうは新劇って昔は言ったんですけど劇団…演劇集団円にこの間まで?この間まで。
すいません…。
岸田今日子さんだとかそういう方たち…橋爪さんも今でもいらっしゃる。
ああいう新劇の舞台にいらっしゃったんですけどこの間までいらしておやめになった。
それで親子で…。
初めて聞いたんです。
やめたって僕も。
そうなの?びっくりしまして。
何にも言わないんですよ。
いやいやいやまあね…。
そう…。
息子さん悪いけど銀平さんって今いくつぐらいなの?僕38です。
随分若く見えるね全然。
本当にそうなんです。
もう40手前なんですけど。
うちの家系は若く見えるんですかね。
本当そう思いますよね。
お父様おいくつになったの?もう67ですよ。
わあーすごい!じゃあもうじき70?はい。
もうじき70。
いやーお若いですよね。
いやいやいや…。
ちょっとびっくりしちゃう。
えー!そうですか?銀平さんそう思わない?お父さん若い…。
若いですね。
好きなことだけやってるんで…。
お前ね。
本当に年を取らない…。
痛い。
痛いです。
でもあれなんですって?今までは本当に親子だっていうことも誰にも公に仰ったりテレビでも一緒に出るっていうことはなかったんですって?こいつは「言うな言うな」って言うんですよ。
「俺は俺の人生だから」って。
そんなこと言ってないですよ。
言ったじゃん。
「人生だから」とか…。
ちっちゃい時にもう本当に言われてたんで。
小学校の時とかにもうすごい有名になって…。
欽ちゃんバンドとかねなんか出た…。
すごい言われてそれが本当に嫌だったんですよね。
それでなんか「欽ちゃんのサインもらって」とか…。
「おやじのサインもらってこい」みたいなこと結構言われたんです。
その思い出があるんで…。
そういうのがもう…嫌だなっていう感じで?嫌だなってもう…。
じゃあもうああいう人とは離れていようって?ハハハ…。
そんなことないですけど。
ハハッ。
でも同じ家では暮らしてたの?そうですね。
僕が小学校6年生まで?そうかね?ぐらいまで一緒に暮らしました。
それでどうしたの?あなた6年生からは。
僕はおふくろと2人で住んでて。
僕が軽く家出をなさった…。
軽く家出をなさいまして。
お父さんいなくなると…家出したら驚いたでしょ?驚きましたね。
家族会議みたいなのをして話したりはしましたけども。
どうしても家出したいって言うの?「どうしても家出したい」…。
「どうしても俺は家出したい」と。
駄目なおやじですね。
ハハハ…。
それだけ有名でそれだけ子供たちに人気のある…。
すごい有名でしたね。
すごい有名なお父さんが「家出したい」って言って…。
あなたとお母様とは…。
あっこれはね幸せな時だったんですよね。
これすごいですよ。
これ萩本さんにハワイに連れていっていただきまして。
萩本さんのハワイの家?はい。
別荘ですね萩本さんの。
そこに招かれて家族で。
B作さんが一番右で。
はい。
それで今日いらしたちっちゃい坊ちゃんね。
赤いシャツの坊ちゃんが…。
これが銀平です。
本当だ。
萩本さんも若いですね。
そうね。
欽ちゃんも若いけど欽ちゃんは欽ちゃんの顔をしてる。
欽ちゃんの左側に写ってらした方が…。
幸子といって銀平の…。
お母さん。
僕のお母さんですね。
それはね「私の妻です」…。
この時は妻だったの?私の妻です。
「私の妻です」とあまり仰らないのにはね色んなわけがあってですね「銀平の母です」って言うのが一番いい。
だからすごい…。
もう一回映しておいていただいて。
本当に一番銀平さんにとっては幸せな時の写真?幸せでしたね。
今でも幸せですけどもまあ幸せでしたね。
今も幸せだけど…。
この時は一番…お母様も一緒だったし。
お母様ってあれなんですねびっくりした。
心療内科の?そうなんです。
お医者さんで。
お医者様だったんですよね。
開業医だったんでね。
開業医がそういう…。
お母様と一緒の写真?これ。
そうですねこれ。
可愛いね。
この時銀平さんやっぱりお父さんに似てるこの時はね。
そうですかね?まあ…はい。
だけどその心療内科のそういうお医者様だったお母様が亡くなった?亡くなったんですね沖縄の海で。
なんかちょっと胸が悪くて沖縄のほうの離島のほうに犬を2匹連れてよく…そこ行くと胸が楽になるというので行ってたんですけども。
そこでなんかその仲間たちと一緒にダイビングに行ったらしいんですがダイビングの人たちが戻った時にはもう船の上に犬しかいなかったっていうか…幸子が行方不明になって。
その時あなた一緒に行かなかったの?僕行かなかったですね。
僕大学生でしたけど。
そう…。
それで2人ですぐ沖縄に飛んで。
その時B作さん行ってらっしゃらなかったのねそこに。
幸子一人で行ってたんです。
それで急にね沖縄2人で行って。
びっくりしましたね。
すごいサンゴ礁が奇麗なスキューバダイビングの…。
本人は別にダイビングやらないんですよ。
一緒に遊びに行った仲間…。
で遊んでたら…その近くの安室島に流されてたんですね。
そう…。
じゃあ息子さんにとってはそこはものすごくなんかやっぱり悲劇的な悲しい…。
びっくりしましたね。
高校生ですって?その時…。
僕大学生です。
僕がちょうど二十歳ぐらいの時です。
二十歳ぐらいの時?そうですか。
はい。
随分奥様はあなたのためにお尽くしになった方なんですってね。
「芝居で声が潰れた」って言やもう知り合いの先生のところ連れていってくれたし。
何せもう芝居やる時最初チケットなんか売れないじゃないですか。
一人で100枚も200枚も売る人だったんですよ。
すごい応援してくださって…。
患者さんも多いだろうしね。
でも随分健康そうな奥様に見えますけどね。
そうなんですけどね。
ごめんなさい。
幸子さんは最初の奥様?いや2番目ですね。
ごめんなさい。
聞くつもりじゃなかったんだけど一応なんか聞いちゃったんでそういうことになって…。
でも2番目なんだけどその2番目のお子さんが銀平さん。
銀平ですね。
ちょっと銀平さんにお父様の最初の…今のあなたとほとんど歳変わらない時お父様出ていただいた『徹子の部屋』ちょっと見ていただいていいですか?「芸能界に入ろうっていうお気持ちはなかったの?小ちゃい時」「全然ないです」「本当に商社マンになりたいし外交官とかね外国部みたいなのに憧れてましたよね」「それで一人下宿で夕方テレビのね『若者たち』っていうやつの再放送を見てたんですよ」「再放送?」「再放送ですよ再放送」「時代が新しいですね。
それの再放送?」「ええ。
大学の1年の時に」「そして見たらえらく感動しましてね」「やっぱりぶらぶら遊んでちゃいけないと思って」「自分もなんか熱くなるようなものをねやらなきゃいかんと」「それで演劇の道を選んだんですね」「なるほどね」本当に今伺ってると確かにあれですよね外交官かさ…なんかになろうっていう人が一生懸命やろうと思ってたのが突然そうだ俳優になろうってさ…。
そこすごいですよ。
でもやっぱりみんなを喜ばせてるところがうれしかった?そうですね。
なんか笑ってくださったり楽しんで「面白かったよ」って言ってくれるのがすごいうれしいですね。
それであなたは…似てるところはねこちら早稲田…?早稲田の商学部ですね。
そう。
だけど…。
3年で中退…。
それで俳優になっちゃったから…。
はい。
でもちゃんと…おふくろがねやめる時たまってた授業料をちゃんと払ってやめなさいってお金渡してくださったんです。
だから本当に僕は正式な中退。
そうなんですって。
私知らなかったんですけど普通やめちゃったらもうそれで中退かと思ったらそうじゃなくて…ちゃんと月謝をそこまで分払って…。
授業料を払わなきゃ…。
ちゃんと中退ということで…だから名簿には中退として残ってるけどお金払わないといたかいないかわかんない状態になっちゃうの?抹席になっちゃうんです。
抹席?抹席。
大学にはいなかったことになっちゃって…。
あなたは学習院にいらしたのね?僕学習院ですね。
学習院のどこまでいらしたの?僕大学の一応4年…まあでも単位全然取れてないですけど4年までは在籍…。
それで卒業できなかったんですよ。
できなかったの?できなくて突然俳優になりたいって言い出したんです。
そこが同じだねちょっとね。
そうなんですよ。
それで俳優になるのに大学4年も5年もいる必要ないということで。
でやっぱりお前…授業料たまってる分俺が払って正式な中退学習院を。
お父さんの…笑うのはあなた2歳ぐらいから?えっ?2歳ぐらい見てらしたでしょ?覚えてないですけど2歳ぐらいからは見てたって。
お父様の見てらしてね欽ちゃんたちのすごい人気でワーワー言うのは散々見ていらしたんだけど。
そういう道ではなく…さっきちょっと申し上げたように新劇っていうような…。
そうですね。
経験が全然なかったんで養成所っていうところに行ったほうがいいんじゃないかって父親がそういうふうに…。
そこは…そうB作さん仰った?僕はもうおやじの舞台以外は見たことなかったんで。
そうか。
それでまあじゃあそういう養成所っていうところに行ってみようと思ったのが本当に大学やめてすぐの時です。
「円か文学座どっちかに行きなさい」と僕は…。
受験が円のほうが先だったんですよね。
そうなの?もう親バカで根回ししましてね。
そうか。
なんでそういうこと言うかな。
根回ししたの?円の社長にお願いして「養成所は…残れるかどうかわかんないけどじゃあ入れてあげるよ」って…。
そんなこと言っていいの?ねえ?文学座のほうは角野卓造さんにねお友達ですからお願いしてね…。
角野さんにまずいでしょ?だって。
「B作わかった」…。
でも文学座の研究所は受けてないんでしょ?受けてないです。
円の発表が先だった…。
本当生意気なんですよ。
何?「円のほう受かったからもう文学座受けなくていい」って言い出した…。
そんなことないですけど。
せっかくのね友達の角野さんが色々根回ししてくださってくれたのに…。
俺の立つ瀬がないですよ。
本当ねまあね。
いやいや受けましたよ1次は。
1次は受けて…でも円が入れてもらえるっていうことで僕は本当にやったことなかったんで。
円も文学座もねちょっと区別…。
ほら杉村春子と…なんだっけ?岸田今日子の違いやなんかよくわかんないからさ。
そうですね。
元々は同じ…同じ劇団ですよね。
自分で劇団をお作りになったんでしょ?そうですね。
やめるっていうか同時に円にいた時に仲間と作って。
円の養成所の仲間たちと。
そう。
男4人で…。
そうなの?そうやって作ったんですけど。
じゃあちょっとそこ…芝居のちょっとVTRがねちょっとご覧に…銀平さんですよこれは。
「ああ!罰当たりのおせん!」「
(雷鳴)」「さっきまであんなに晴れていたのに雲行きが怪しくなってきた」「いや!これは近頃さいなまれている白昼夢が…」「追っ手が…ああ!追っ手が追ってくる!」うまい。
ええ。
あれご覧になって感想…。
まあそれまでの演技からなんかちょっとひと皮むけたかなっていう感じを受けましたね。
なんかこう…人前に立つ度胸ができたみたいなね。
びっくりしました。
私もちょっと…。
さっきの家出の話なんですけどお父さん「家出したい」って言い出したの?したいっていうか…どこまでこれはあれなんですか?ちゃんと真実を言いなさい。
ちゃんと真実を言うと父親があんまり帰ってこないことで…。
家にあんまり帰ってこない時期っていうか期間がありまして。
好きな女性ができちゃったんですね。
それで家が結構そのことでめちゃくちゃになってしまうのでちょっとこれはちゃんとしないと…。
こいつが僕に意見を言い出した…。
意見というかまあ…。
ある日酔っ払って帰ってきましたら…夜遅い時間に。
「おやじねそんなねおふくろより好きな女性が外にいるならそっちに帰りゃいいじゃないか」みたいなことを…。
そんな言い方してないですよ。
急に高校生の分際で…。
でもお父さんはねそう感じたのよ。
あなたが…。
高校生じゃない。
小学校6年生。
小学校6年生かあれ。
小学校6年生の時にもう僕が夜中目を覚ますとものすごい物音で親がケンカしてるからこれはもうちょっといつまでもこれを続けてても何にもいいことないっていうことに気付きまして。
小学校6年生だったの?小学校6年生。
大人だったね。
大人だよ。
ならざるを得ない。
それで家族会議をしようっていうことで好きな人がいるならその人のところに行ったほうがいいし…。
お母様は…その時の奥さんっていうのはさっきの…。
幸子さんです。
幸子さんでいいんですね?でそういう話をして「じゃあわかった。
じゃあ私は」…。
「そうだな。
お前の言うとおりだな」と言って俺が家を出たんです。
すごいね。
すごいわね。
相当すごいわよね。
はいそうですね。
その時お母様どんなふうでした?いやあまあ寂しかった気持ちももちろんあったと思うんですけど今のまま続けてても確かにケンカばかりだったんだっていう両方あったと思いますね気持ちは…おふくろは。
幸子さんのことが好きじゃなくなったとかいうよりも新しい人ができちゃったっていうことのほうが問題だよね。
そうなんですね。
そうそうそうそう。
たぶんねそうだろうと思う。
そうです。
本当そうですね。
だから…。
グサッ!新しい人がいなきゃ幸子さんと楽しく3人で暮らせてね。
でもね幸子は偉いかみさんでしたね。
僕が家を出ても月に1回ぐらいは色んなことで戻ってお会いするわけですよ。
その時にね怒るんじゃないんですよ。
「あんた何やってんのもう」って怒るんじゃなくて「もうお父さんそろそろ戻ってきたらどう?」って優しく言われるんですよ。
うわー…。
優しく言われるとねつらいですね。
「もういいんじゃない?そろそろ帰れば?」ってね…。
できた方でしたね。
できた方ですね本当に。
若い頃気付かなかった…わかってたんですけども。
でも今になってみるともっとね…女の人としてそれはなかなか言いにくい難しいことですけどそういうふうに仰ってくださったのにまだ家出は続けてたの?そうなんです。
そこがちょっとどうかって思うわ。
銀平さん…。
結局帰ってないですからね。
どう思いますか?そこのところ。
いやまあでもまあ…どうなんですかね?そういうところもしょうがないかなとも思ってましたけど。
ただおふくろはつらかったでしょうね。
僕は男だからいないぐらいのほうが自由にさせてもらえたので。
そうか。
あとでちょっと余計な口出ししたのかなって僕はちょっと思ったりもしたんですけど…。
どんな例えば口出し?つまりあのまんまケンカして一緒に暮らしててもよかったのかなっていうふうにあとで寂しそうなおふくろを見る時にはちょっと思ったりしたんですけど僕はもうそれを見てるのが嫌だったんで。
だったら家出したきゃすればっていうことね。
そうですねはっきりさせたかったっていうのはあった…。
そんなこと言っちゃ悪いけどあなたも離婚なさって…。
ハハハ…!ほらきた!いやあそうですね。
ほらきたきたきたきた!僕も離婚してますねはい。
もうおやじと同じわだちは踏まないように踏まないようにと思って気を付けてたんですけど気付いたら同じところを…。
お子さんは?2人いますね。
そう…。
でそれはどこに?もう元奥様のところに…。
たまには会う?たまに…はい。
たまに会わせてもらって出掛けたりしますけども。
可愛い?可愛いですね。
なんで別れたんだって思うでしょ?思いますね。
もう本当に子供はまあ…。
2カ月か3カ月に1回会ってるの?そうですね。
その時一緒に会ったりもするんですけども。
そうなの?可愛い?可愛いですね。
可愛い…。
男の子?女の子?上が男で下が女の子で。
ただその「じゃあここでさようならね」って別れる時がね…。
つらい?つらいですね。
だからお父さんがつらいんだからあなたもっと…本人はもっとつらいよね。
そうですね。
まあそれしょうがないね。
その時になんでお父さんと同じことになっちゃったんだろうって思った?思いますね。
なんでこんなことになっちゃったんだって思うんですけどまあ…。
あなたは家出したわけじゃないんでしょ?別段。
でも僕もまあ同じような理由で好きな女性ができてっていうことだったんで…。
同じようなっていうか全く同じ…。
同じですよね。
全然同じですよね。
全然同じですね。
ほら同じ血が流れてる…。
うるさいんだよ。
触るんじゃ…うれしそうにするんじゃねえ。
いやもう本当に…もうこれ何なんですかね?どうすればいいですかね?同じだもんね。
ハハハ…!小さいの?まだ子供は。
小学校1年生と下はもうちょいちっちゃいですね。
一番可愛い時だね。
しょうがないね。
やっぱりでもうんと大きくなった時にあなた方のことを…今この状態を思い出せばさいつかこういうふうに話す時が来るんだと思えば…。
まあそうですね。
そう思えば確かに…。
ねえ。
まあ色んな人生あると思うけどさ…。
ねえ。
でも今の奥さんあめくみちこさん?はい。
女優さん。
「今の奥さん」…。
今の奥さんってあめくみちこさんでしょ?はいそうですね。
この方のところがよくて家出したんですか?そうじゃない?違う人?まあ近いような話ですね。
なんであいまいにするの?何なんだよ!もういいじゃん。
あめくさんじゃないんだ…。
えっ!違うの?いやそうでしょ?何をそんな…。
いいじゃない誰だって。
銀平君私わかった。
違うの?初め家出の原因はあの人じゃないみたい。
違うみたい。
俺それ知らなかったんだけど。
家出の原因はあめくさんじゃない…。
違うの?パパ!ハハハ…!知らなかったんだけど俺!いいじゃないか。
色々お父さんも忙しいんだよ。
やかましいわ本当に。
お父さんも…大変なんだよ。
いや俺…そう。
じゃああとでゆっくり聞きますすいません。
でもなんか今の感じではねなんかねちょっと言いよどんでてあめくさんじゃない人だったみたいよ初めの家出の…。
そうなんだ…。
左側あめくさんですけどね。
あなた…そうそう。
大変でしたこの時ね。
胃がんでね。
私胃がんのすぐあとにお会いしたの。
覚えてないかもしれないテレビで。
そうでしたか?「僕ね胃がんでした」って。
私あんなに「胃がんでした」って元気に言う人っていないと思って私。
もう治ったのかと思って…。
今の状態を見ると本当入院してすごかったのね。
入院してました。
大変でしたよ3分の2取りましたから。
取ったの?あっ銀平さんがあそこにいる子ね。
そうですね。
あめくさんは結構やっぱり動揺されてましたけど…。
そりゃそうですよね。
それでお取りになったの?3分の2取りました。
相当でしょ?3分の1しか今ないですけども…。
ご飯とかそういう食事は一度に大量には食べれないですけども…。
今でも?はい。
なんか…。
お酒は前より入るようになりました。
どうしてでしょうね?わからないですね。
入るところが違うんですかね?お酒前より入るようになった…?あれなんですか?あめくさんとあなたはうまくいってるの?僕はもう初めて会った時はまだあめくさん20代後半で…。
そんな若い?そうです。
僕がもう高校生…15とかで会った時が初めてですからもう本当に奇麗…今ももちろん奇麗ですけど。
すごい優しくてすごくお姉さんみたいにしていただいて…今でももう本当に…。
じゃあうまくいってお姉さん?そうですね。
何の恨みもない?何の恨みもないです。
何の恨みもない…。
僕は恨みは別にないですけど。
その家出した相手だと思ったでしょ?相手だと思ってましたね今ついさっきまで。
今さっきまで。
ついさっきまで。
それ本当にあめくさんには申し訳なかったですね。
あめくさんに悪いじゃないの。
悪いですよね。
あめくさんに言ってる?「君の前にいたんだよ」って。
言ってないですよ。
言ってないの?はっきり言っちゃまずいじゃないですか。
今のかみさんですからはい。
言ってないんですよね?ああ…。
ここで担当の者があめくさんにお二人に手紙を書いてってお願いして…。
テレビってそうなのよ。
嫌だと思うけど…。
いや大丈夫です。
でもあめくさんから…。
いいですか?はい。
「B作さん銀平へ」「『徹子の部屋』親子で初のご出演おめでとうございます」「今徹子さんの前に並んで座っている2人はどんな表情をしているのでしょうか?」「並んで歩く後ろ姿は少し外股でそう長くはない足の運びがそっくり」「初めて見た時はつい笑ってしまいました」「DNA半端なく濃いと」「大学時代は作家になりたいと言ってた銀平が卒業間際に突然役者になりたいと言い出した時は本当にびっくり」「B作さんも相当驚いていましたね」「そして何だかうれしそうでした」「“心配じゃないの?”と私が聞くと“あいつは2歳の頃から俺の芝居を見てるからな”とまんざらでもない様子で目尻を下げていたのでした」「ありがたいことに演劇集団円に入れていただきいよいよ役者の仕事を始めた頃銀平はよく言っていましたね」「“おやじトーク番組で俺の話はするな”」「B作の息子と見られることに抵抗を示したあの頃お父さんは寂しそうでしたが銀平が自分の力で必死で頑張っていることをひしひしと感じていたのでしょう」「言われたとおり銀平の話はしなくなりました」「あれから10年近く経ち銀平もたくさん芝居をしてお父さんと同じように仲間と劇団も作りお父さんと同じように結婚離婚も経験し人生経験を積んでとてもたくましい感じです」「2月の親子での初共演の舞台今から本当に楽しみです」「くれぐれも稽古中にケンカして公演中止だけはやめてくださいね」「この芝居を一番誰よりも楽しみにされている幸子さんががっかりなさいます」「素敵な舞台にしてください。
あめくより」あっそう。
いいお手紙ですね。
で何?共演なさるの?はい。
今度初めてね…。
舞台で?舞台で親子でやるんですよ。
何を?芝居…新作なんですけども福原充則さんという面白い作家の方がいて若手で。
その人が「親子でやりませんか?」と声掛けてくださったんで。
下北沢の駅前劇場。
2月3日から14日までなんですけど。
『あぶくしゃくりの』…。
『ブリガンテ』ですね。
『ブリガンテ』。
これが題名ですか?言う時大変でしょ?『あぶくしゃくりの』…。
(3人)『ブリガンテ』。
…という芝居です。
はい。
3人芝居なんですけど。
僕のお嫁さんに僕がお父さんと結婚しろって勧めるところから始まるっていうような…。
すごい芝居ですね。
ちょっといびつな親子関係を描いて…。
そのあとどうなるかちょっとまだわかんないんですけどそういうちょっと変わった親子関係…。
これは2月3日から。
そうですか。
はい。
えー。
楽しみですね。
いやあ…。
どんなお気持ち?息子さんと出るって。
ちょっと照れくさいっていうかちょっと恥ずかしい感じはありますね第三者にお伝えする時に何となく。
まあね今度息子とやるんですって…。
ええでも黒柳さんもねずっと舞台を…すごいですね。
いえいえ自分でもやってますけど見にも行きますのでね。
全国でまた…地方も行かれてますでしょ?でも3年前にやめましたよあんまり大変で。
だって旅行くの…あなたも旅やってらっしゃるでしょうけど。
全部回ると…『徹子の部屋』で帰ってきますから3カ月も4カ月も掛かるんですよ。
それで私だけ帰ってきてまた戻るでしょ。
九州はまた全部そうやって回るでしょ。
だから大変でしたから3年ぐらい前にもうね…。
取っ組み合いの大ゲンカだけはしないように。
してもいいけどね。
面白いかもしれないけど本当の親子だからね。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2016/01/20(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 佐藤B作&銀平親子[解][字]

〜大学中退そして離婚!似たもの親子の家族秘話〜佐藤B作さん&佐藤銀平さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
劇団東京ヴォードヴィルショー主宰の佐藤B作さんと俳優の長男・銀平さんがゲスト。
◇番組内容
B作さんは一度離婚し、2人目の妻・幸子さんとの間に生まれたのが銀平さん。幸子さんは芝居が好きで劇団を支えていたが51歳で亡くなったという。銀平さんが子供の頃、B作さんの女性問題で夫婦喧嘩が絶えなかったと語る。銀平さんも結婚し2児の父になったが、父と同じく女性問題で離婚…良くないことで似ている親子の胸の内を吐露する。現在、B作さんの3人目の妻は女優・あめくみちこさん。そのあめくさんからサプライズが…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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2/0モード(ステレオ)
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