先人たちの底力 知恵泉 売れっ子の極意 教えます!▽幕末の風雲児 岩崎彌太郎 2016.01.19


きれいな線を描こうと思えばいいんですね。
最初はそこからですね。
「我が社には君が必要だ」。
今日は売れっ子になる秘訣をご紹介します。
こんばんは〜!やってるかな。
あれ?店長店長!あれ?有野さんいらっしゃい。
あ〜ビックリした。
どうした?いやちょっと今日激しく落ち込んじゃって。
落ち込んでるんですか?どうしたんですか?昨日ね商店街の若手が集まる会合があったんですよ。
未来の商店街を考えるって言って。
呼ばれなかったんですよ。
店長みんな集まってるのに?そう。
忘れてたんじゃない?じゃあ。
忘れられてたんですかね?切ないな〜。
隅っこの方にあるからさここ。
いやそうなんですけど。
忘れられてたのか…。
こんばんは。
こんばんは。
こんばんはどうも。
先生久しぶりですね。
店長がちょっと大変なんですよ。
泣いてますね。
泣いてるんですよ。
先生僕もねみんなから「店長の力が必要だ。
君が欠かせない」って言われたいんですよ。
「君の力が必要」と。
全然響かない!バカにしてるでしょう。
そういう知恵持ってる歴史上の人物いないですかね?幕末からですね明治にかけてそういう激動の時代にですね「この人しかいない!」「この人がどうしても必要だ」という人物いるんですね。
必要とされてた人。
そうです。
これ岩崎彌太郎ですね。
岩崎彌太郎。
幕末高知・土佐から出て歴史を大きく変えた人物といえばなんといっても坂本龍馬。
その龍馬が「コイツがいなきゃ困る!」と頼りにした男がいます。
それが今宵の主人公…彌太郎は土佐藩の武士の中で最下層の家柄にもかかわらずお上にも平気で盾つく頑固者。
更に預かった藩のお金で大失敗する事も。
そんな扱いづらい性格なのになぜか大人気。
藩のみんなから頼りにされスピード出世していきます。
明治の世でも名経営者として人々を引き付け巨大財閥の礎を築いていきました。
幕末の風雲児岩崎彌太郎。
その売れっ子の極意に迫ります。
そうなんですね先生。
…って事は龍馬の団体みんなが頼りにしてるって事でしょ?これは土佐藩がつくった商社なんですけどもそれが龍馬のつくった海援隊を丸抱えしてるんですね。
つまり海援隊の同士たちの給料ですとかねあるいは武器弾薬を買うとかそういうもの全て土佐商会の方で面倒見てるんですね。
経理みたいなもんですか?そうなんです。
いいんじゃないの。
そう簡単に「いいんじゃないの」って。
彌太郎さんになればいいんじゃないの?どうやったらなれますか?そうかどうやったらか。
でも組織の中で何とかするってあるじゃないですか。
有野さんも私もどっちかって言うと個人事業主的なところがあるので何でしょう…組織に詳しい方がいらっしゃるとありがたいんですけどね。
そこでもう前に進んでるわけですもんね。
いらっしゃい!こんばんは〜。
瀬戸さんちょうどいいところに。
そうですか?大手物流会社の前会長瀬戸薫さん。
こんばんは。
よろしくお願いします。
今や町なかで見かけない日はないこの車。
運ぶ荷物はなんと年間16億個。
電話一本で取りに来てくれ日本中どこでも運んでくれる革新的なサービスはこの会社から始まりました。
宅配便事業の立ち上げから関わりリーダーとしてけん引してきたのが…瀬戸さんが入社した1970年会社はトラックの長距離輸送が本業でした。
しかしオイルショックなどで経営が低迷。
当時の社長小倉昌男さんが一般家庭を対象にした宅配便サービスに事業を転換。
若き瀬戸さんはその開発スタッフとして抜擢されました。
まず取り組んだのは宅配をスムーズに行うための…運転席から直接荷物室に行き来できるようにするなど改良を重ね荷物を効率よく積み降ろしできる体制を整えました。
更にそれまで難しいと言われていた生鮮食品の保冷輸送にも着手。
宅配便サービスの多様化を実現してきました。
その実績が評価され瀬戸さんは…ライバル企業としのぎを削る中コンビニや大手デパートと積極的に連携。
新事業立ち上げの原動力として活躍してきた瀬戸さん。
幕末の土佐藩でみんなから頼りにされた岩崎彌太郎の知恵をどう読み解くのか?すごいですね16億個ですか。
16個やったら想像つくんですけどね。
全体の何割ぐらいになるんですか?今はね…大体全体が36億個ぐらいって言われてますね。
車すごいですね。
ベニヤ板で最初作ったんですか?そうなんです。
ベニヤで走ってたって事ですか?違います違います。
あんな感じのを作ってくれって事ですか?という事でちゃんと作ろうじゃないかと。
それを小倉に見せたんですよね。
こういうのちゃうねんなって言われなかったですか?結構言われましたけどね。
だから小倉が車にのぼって1時間ぐらいは降りてこなかった。
ああだこうだハンドルはどうだ椅子はどうだ。
それから荷台も動かせるようにした方がいいんじゃないかと意見までもらって。
非常に興味を高めましたね。
それから冷凍輸送もあれも中心になって手がけられてあれは相当いろいろと試行錯誤を繰り返されたそうですね。
あれはちょっと苦労しましたね。
車には電源ないですから。
今は少しありますけれども当時は全然ないですからそれを電源なしでどうやってその温度を実現するのかっていうところは非常に苦労したんですよね。
一番最後に行き着いたのがですね氷なんですよやっぱり。
氷っていうのは0度で凍って0度でとけるんですけれどもじゃマイナス25度で凍って25度でとける物質を作ったら冷凍体できるよねっていう発想になってきて。
それで「あこれでクール宅急便は世に出せられる」というふうな事が分かったんですね。
そういうのを積み重ねて積み重ねてあの黒猫マークの会社に欠かせない存在になった瀬戸さんをですねお迎えして今宵のテーマはですねこちらです。
「組織に欠かせない人物になるには」。
後に土佐藩に欠かせない人物になる岩崎彌太郎。
その人となりからまずはひもといていこうと思います。
彌太郎が生まれたのは高知県安芸市。
城下から遠く離れた農村地帯でした。
今も残っている生家はかやぶき屋根の質素なものです。
岩崎家は下級武士の家柄でしたが酒好きの曽祖父が生活に困って武士の身分を売却。
地下浪人という身分となり半ば農民のような暮らしをしていました。
彌太郎の父彌次郎も酒好きで一家の暮らしは更に苦しくなっていきます。
将来に期待の持てない厳しい家庭環境。
しかし彌太郎の性格は超前向き。
ある時友達から字が下手だとからかわれると…。
「別にいいじゃないか。
将来出世したら秘書を雇うつもりだから字なんて下手でいいんだ」と豪語。
成功を信じて疑わない楽天家でした。
更に墓場に鬼火が出るという奇怪な事件が発生。
村じゅうが大パニックになります。
実はこれカボチャにロウソクを仕込んだ彌太郎のいたずら。
人を驚かす事が好きなお騒がせ少年でした。
しかしこんな意外な一面も。
14歳の時村に視察に来た藩主にささげたのは…。
「梅は香りを放ち喜び笑うがごとく鶯のつたない歌声はようやく上達し春らしい光景となる」。
大人顔負けの流麗な漢詩を披露して驚かせます。
その一方父親が役人に理不尽な仕打ちをうけると…。
役所の壁に抗議文を堂々と落書き。
止められても繰り返しついに牢に入れられてしまいます。
間違っていると思ったらお上にも反抗。
身分にとらわれない大胆さを持っていました。
このエネルギーの塊のような少年がやがて土佐藩を支えていく事になるのです。
という子供時代でしたがいかがでしたでしょうか?前向きですね。
そうですよね。
字が汚かったら秘書を雇えばいいというのはね。
うちの相方の濱口君もそろばん習ってて途中でやめるんですけど「絶対電卓がはやるはずだ」と言って。
通じてますね。
通じますね。
「地下浪人」って結構インパクトのある名前ですよね。
地べたっていう事はやっぱり一番ほんとに下の層というか。
そうですね。
ほんとに下というか武士身分ではあるわけですよ。
でも…。
武士身分の中では下の方。
一番下っていう事ですね。
耕作なんかもやりますから存在としては…上士とはすごく身分差があるので上士に無礼な事を働いたら切捨御免にされるとかですね上士に会った時には草履を脱いでですね土下座して挨拶しなきゃいけないとかそういう厳しいしきたりがあるんですね土佐藩の場合は。
身分差がはっきりしてたわけなんですね。
彌太郎のスタートラインですけれども瀬戸さんのスタートラインというのはどういう状況だった…。
学生時代会社に入る時というのは。
私はですね学生時代にアルバイトをしました。
百貨店の配達のアルバイトって年に夏と冬と2回あるんですね。
配達持っていくとみんな喜ぶわけですよ。
それは当然ですよね何かもらえるんですから。
でも喜ばれる商売ってあんまりないのにこれって喜ばれるなというふうに思ったのが一つですよね。
もともとはバイトからという…。
そうなんですね。
へ〜アルバイトから?そうです。
彌太郎はじゃあどうやってステップアップしていったのか。
最初の知恵をですね味わって頂きましょう。
厳しい身分制度に縛られていた土佐藩。
地下浪人の彌太郎が出世する道はほぼ閉ざされていました。
しかし一つだけ突破口がありました。
それは塾に入る事。
幕末の塾は師匠に才能があると認められれば身分に関係なく入る事ができました。
塾では家柄ではなくもっぱら教養が高いか低いかが重視されました。
才能があれば下士であっても上士を超える事もできたのです。
彌太郎15歳の時親戚の推薦で城下の塾に入門します。
ここで彌太郎は得意の漢詩などを猛勉強。
塾でトップクラスの評価を獲得します。
しかし頑張るだけなら他の者にもできる。
彌太郎が際立っていたのはその成績を武器に自分を売り込んでいった事でした。
彌太郎が21歳の時一つの知らせが舞い込みます。
土佐藩上士奥宮慥斎が江戸詰めになるというのです。
彌太郎はこの話を聞くやいなやすかさず奥宮のもとへと駆けつけます。
…と嘆願しました。
当時末端の地下浪人が江戸遊学に行くなどありえない状況。
しかし彌太郎にはある勝算がありました。
奥宮は塾の師匠の友人。
自分がトップクラスの成績である事を知っているに違いないと考えたのです。
実際彌太郎の事を高く評価していた奥宮。
何かの役に立つかもしれないと同行を特別に許可します。
江戸への道中でも彌太郎は得意の漢詩を披露したりとアピールを欠かしませんでした。
才能を見込んだ奥宮は江戸に着くと高杉晋作など各藩のエリートが集まる名門塾に推薦してくれたのです。
ここが頑張りどころと彌太郎は寝る間も惜しんで勉強。
その結果秀才ぞろいの塾生たちから「いずれは国を治める人物になるに違いない」と言われるまでになりました。
高知に戻った彌太郎はこの名声を背景に藩のエリートたちが集まる名門吉田東洋の塾に入る事を許されました。
ここで彌太郎はその後の運命を変える人物と出会います。
上級武士の嫡男だった後藤象二郎。
後の討幕運動で土佐藩の中心として活躍する人物です。
上士と下士かけ離れた身分の2人でしたが後藤は自分よりも学問で優れている彌太郎を高く評価全幅の信頼を寄せる同志となりました。
慶応3年藩の中枢にいた後藤は長崎で土佐藩が経営していた貿易会社の主任に彌太郎を抜擢。
彌太郎は地下浪人の身分から異例の大出世を遂げました。
成績を上げていくだけではなく積極的に売り込んでいく。
そんな日本人離れしたアピール術で彌太郎は立身出世の第一歩を踏み出したのです。
どうです有野さんこのグイグイいく彌太郎。
どんどん売り込むっていうのが。
相手に気付いてもらうというんじゃなくて「俺できますよ」っていうのがすごいですね。
なかなか日本人ってPR下手なところが多いですもんね。
有野さんも先輩の芸人さんにアピールする場ですとか…。
全然できてないです。
ネタを見せるとかそういう…。
もう全然できなかったですね。
東京から大阪に東京の大きいテレビ局のスタッフがネタ見せに来てくれるという会があったんですけどネタ見せをするんですけどすげぇ声ちっちゃかったんですよ。
東京のスタッフが「本番でもそういう声の大きさなのかな」と言われたら僕らが「本番もうちょっと大きい声でやりますよ」みたいなのを「本番はやります」みたいなアピールして。
東京のスタッフは東京からわざわざ3時間かけて来てんのにこいつらは何だ?って…。
間違ったアピールです。
でも彌太郎もねそういう失敗もあるんですよね。
長崎の貿易の状況を見るために使わされるわけです抜擢されて。
そこできちんとやればいいのに藩のお金をたくさん預かってるものですから遊郭なんかに行ってドンチャン騒ぎをしてそのお金全部使っちゃうんですよね。
「お前何やってんだ。
藩に帰ってこい」って言われてとりあえずやめさせられるとかですね。
そういう事もあるんですね。
お前は向いてないと。
そういう事をやるのは見どころがあると思われたのかまた登用されるって事になるんですね。
でもそこの人らは楽しかったから「またあいつ呼んでくれよ」ってなったのかもしれないですよね。
有野さんのように声の小さなタイプっていうのはどうですか?組織の中にもいらっしゃると思うんですけど。
常にウロチョロしてるんですか?そうですね。
直接トップと話せないあるいは地方のトップとも話せない人っていっぱいいるわけですよ。
ですから我々は地方に行って地方のドライバーなりあるいはパートのおばさんなりから…そうすると「おっこれすごいじゃないか」と。
それをピュッと引き上げていくとトントントンと出世するっていうかね。
そうすると有野さんのようなタイプもぐっと引き上げられるチャンスが…。
でも江戸時代だとね自分でアピールするしかないわけですよね。
できるんだっていうのを誰も言わないからね。
言うって事はこいつすごいのかなって思ったという事ですよね。
そこにたけていたわけなんですね。
抜擢されて長崎に向かいましたけれども実はそこでもとんでもない状況が彌太郎を待ち受けていたんです。
そこをどんな知恵で乗り切ったのか?続いて味わってもらいましょう。
慶応3年意気揚々と長崎に赴任した彌太郎。
開国後長崎には欧米の商人たちが来日しており各藩と活発に取り引きを行っていました。
土佐藩も船舶や武器弾薬の購入を進めており彌太郎は取り引きの拠点としてつくられた土佐商会の経営を任されました。
早速経理の確認を始めますが驚がくの事実が…。
なんと会社は18万両現在の金額で180億円という巨額の負債を抱えていたのです。
後藤は優秀な政治家でしたが金銭のやりくりが苦手。
外国商人から軍艦や武器弾薬をどんどん購入しましたがその資金繰りがうまくいかず藩の負債は膨れ上がっていたのです。
後藤象二郎というのは何せ家柄がいいもんだから経済観念がないという事で。
土佐藩としては長崎の土佐商会がとにかくもう収拾つかないと。
という事で何とかしてこれをきちっとフォローできる人間を送り込みたいという気持ちがあった。
その後藤は京都で仕事があるとすぐにいなくなってしまいます。
彌太郎は行き詰まった案件の尻拭いを押しつけられたのです。
更にのしかかったのが長崎にいた坂本龍馬と海援隊の存在。
彼らの給料や経費は土佐商会が引き受ける事になっており龍馬たちが持ち込む船や武器の購入で借金はかさんでいきました。
当時の彌太郎の日記が残っています。
度々登場する「心不安」の文字。
眠れなくなり体調もすぐれない。
このままでは会社は立ち行かなくなり責任問題となってしまう。
彌太郎は追い詰められていきます。
困り果てた彌太郎。
ある時一人の商人に相談したところこんなアドバイスをもらいました。
当時の長崎には裕福な外国商人が多くいました。
通常外国人は船や物資を購入する相手。
代金の支払いが滞っているのにそれ以上金を貸してくれるはずもありません。
しかし当たって砕けろ。
彌太郎は通訳を連れしらみつぶしに外国人商人を訪問し始めます。
彼の当時の日記を見ると外国人を訪ねても会えなかったという記述が目につきます。
それでもめげずに訪問を重ねていくと…。
やがて一人のイギリス商人と親しくなります。
このオールトという商人について一つの逸話が残っています。
ある時2人が散歩していると外国人居留地の外に出てしまいました。
…と役人が捕らえようとすると彌太郎は一喝。
それを見たオールトは……と彌太郎を評価したとか。
不慣れな日本で何かと便宜を図ってくれる彌太郎はオールトにとって役に立つ存在でもありました。
彌太郎への信頼は次第に厚くなりオールトは1万4千両なんと14億円ものお金を貸してくれるようになったのです。
その後外国人の知り合いは広がり融資を頼める相手も増えていきました。
彼らはこう言ったといいます。
無駄をいとわずまずは知人づくりから始めろ。
地道な人脈づくりで資金繰りを成功させた事で評価は上がり彌太郎は藩に欠かせない人材となっていったのです。
とにかく足を使って飛び込んでいくっていう。
すごいですね。
でもそんだけの借金を見た時にでもこれは俺のせいじゃないしと思わないのがすごいですね。
任されてしまったもんですからしょうがないわけですね。
尻拭いしないと。
でもどうしていいか分からないというのでいろんな人を訪ねて特に外国人ですよね。
外国人と仲良くなると。
できる事はできるできない事はできないとはっきりさせるというような事でだんだん信用を得てですねそういう借金もできるようになってくるわけですね。
あの彌太郎がですね…それが今で言う「おもてなし」でございます。
料理で接待をしたんですよ。
長崎で聞きませんか?卓袱料理という宴会料理です。
これがまた豪勢なんです。
今日ご用意させて頂きました。
パンついてる。
そうなんですよ。
今有野さんがおっしゃったパンはこれは…こちらは「お鰭」という魚のお吸い物ですね。
昔は魚の鰭を入れて魚まるまる一匹使って熱烈歓迎を示していたというお吸い物なんです。
どうぞ召し上がって下さい。
あっおいしい。
おいしいですか?おいしいですね。
よかった。
あっおいしい!甘めだ。
これで彌太郎は外国人の胃袋をまずつかんで。
彌太郎もね接待とか遊郭とか好きですからね。
そういうとこに連れていってドンチャン騒いでね知り合いをどんどん増やしていったわけですよね。
あいつおいしいとこ知ってるなと外国の人は思いますもんね。
彌太郎の知恵として紹介しました「歩いて歩いてもうとにかく知人をつくる」という知恵についてはどのようにご覧になりました?それはね絶対それだと思います。
絶対それ。
私も九州に行った時にですね九州っていうのはまだ宅急便を扱える都市が少なかったんですよね。
そこが梨の産地だったら自分で梨の農家に行って敷物の上に一緒に座りながらいろんな事を話して「宅急便っていうのはこんなにすごいんですよ」って事を直接伝えていくわけですね。
「試しに1回出して下さい」って言って出してもらうと「あっ翌日着くじゃないか」って。
そうすると自分の梨がすごく売れるっていうのが分かるわけですね。
そういう事をやってあげるとお客さんも信頼して…出してくれるわけですね。
そういうのをずっと九州時代やってましたよ。
例えば団地の宅配が大変で結構ご苦労をしたという話を伺ったんですけれども。
留守の時が多いもんね。
団地は大変でした。
私がちょうど大阪に支店長で行った時なんですけど3万人住んでいるどでかい団地があるんですよ。
そこの営業所の連中は私が行った途端にみんなこぼすわけですよ。
「支店長助けて下さい」と。
分かったと。
そうすると朝7時ごろにはサラリーマンとか大学生ぐらいが出てきてそのうち9時過ぎてくると主婦がドーッと出てくるわけですよ。
そうするとそうか!主婦が出てきたあとは誰もいませんから。
もう配達したってみんな不在で空振りするわけですね。
そうすると主婦が出てくる時間が9時ごろだから9時までの時間帯に配達を仕切っちゃえばいいと。
それをやったんですよ。
それはもう一気に改善しましたね。
それも全部言ってみれば現場の肌感覚から生まれたアイデアだったんですね。
銀座にいて考えてたら無理でしたね。
そうか。
その町行ってからって事ですね。
足を運ぶ大切さなんですねぇ。
彌太郎ですけれども彌太郎の地元土佐高知県には彌太郎が立身出世のパワーをもらった縁起のいい場所がですねいろいろあるんですよ。
それをうちの「知恵泉」の高知の特命店員がですね調べてきてくれました。
おっ見たい。
主人公ゆかりの地から取って置きのネタをお届けする…こんにちは。
今回の主人公こちら。
威風堂々岩崎彌太郎です。
右手をグッと開いてこちらまでパワーをもらえそうですね。
今回はこの彌太郎さんのパワーの源を訪ねていきます!
(神戸)
まず訪ねたのは彌太郎の生家です
こんにちは。
こんにちは。
今日はよろしくお願いします。
お願いします。
案内してくれるのは…
彌太郎が青年時代まで暮らしたというこの家の片隅に出世のパワーを得た場所があるそうです
(神戸)かなり狭いところに…。
(門田)そうですね。
ちょっと入りにくいですけどちょっとここからのぞいて頂けたら。
ここからのぞく?頭入れていいですか?はい。
(門田)どうでしょうか?何かの形に見えないでしょうか?
(神戸)えっ石がですか?
(門田)そうですね。
(神戸)いや何とも言えない。
えっ何かの形?この全体がですか?あ〜あれが北海道!
(門田)手前が四国ですね。
(神戸)四国大きい!
(門田)そうですね大きいですね。
そうなんですか。
実はこの日本列島彌太郎少年が自ら石を運んで作ったと言われています。
ここで思い描いたのは?
日本列島を作る事によって自分は…そういう夢を石で表したというふうに言われてます。
少年彌太郎君が…。
四国だけではなくて日本多分世界まで。
世界まではちょっと私の想像ですけれども。
視野に入れて活躍するんだというそういう気概っていうかね。
彌太郎ゆかりの地がもう一つありましてあちらの山になります。
あちらの山?
あの山に第2のパワーを得た場所が?
門田さん結構高い所まで来ましたけど。
そうですね。
麓から1時間ほど。
妙見山は彌太郎が毎日のように遊んだ場所です
ちょっと見えてきましたね。
鳥居が!
江戸遊学を許された時彌太郎はこの神社にある誓いを立てました
自分の希望が達するまではこの山に二度と登らないという誓いを立ててですね江戸へ行ったというふうな事が伝わってる神社です。
見事彌太郎の夢をかなえたこの神社。
知る人ぞ知る彌太郎ゆかりの地です
最後はこちらの資料館。
彌太郎が生涯にわたってパワーをもらった人物にまつわるものがあるそうです。
それがこのつぼ。
実はこれ彌太郎の母美和が持っていたもの。
美和は家族の万が一の時に備えてひそかにお金をためていたのです。
発見された時つぼの中には200枚ほどの銭が残されていました
当時の価値…なかなか難しいかもしれませんが額としてはどう…。
額としてはね何十万もするような金額ではないみたいです。
でも金額ではなくてコツコツとためて何かの時にっていうこのお母さんのしっかりぶりが分かる貴重な資料だと思いますね。
じゃあ彌太郎さんの活躍には欠かせないというか…。
ふるさとでさまざまなパワーを得て立身出世を果たした彌太郎。
そんな彌太郎にあやかり成功を目指す若者たちがいます
こんにちは。
こんにちは。
皆さんが商品開発を?はい。
今日はよろしくお願いします。
(一同)よろしくお願いします。
2008年から高知県安芸市では第2の彌太郎を生み出すべく起業家育成の取り組みが始まっています。
その名も…
去年優秀賞にあたる岩崎彌太郎賞を受賞したのが山田高校商業科の皆さんです
じゃあ皆さんにも岩崎彌太郎の精神が受け継がれているんですか?「はい」って言ってますよ。
審査員の高い評価を受けたスイーツがこちら
(生徒)ビスケットの間に生姜のチョコレートをサンドした商品になっています。
ああほのかに生姜のような香りがしますね。
いただきます。
うんうんうん。
生姜がね後から結構きますね。
すっごい生姜の!
彌太郎を思わせるパンチのきいた味
皆さんが一生懸命作ったこの開発した商品これからどんなふうに皆さんに楽しんでもらいたいですか?お土産物として全国の方に知ってもらいほんとに有名な銘菓と言われるお菓子にしていきたいと思います。
岩崎彌太郎賞を取る人は夢が大きいですよ。
はぁ〜すごい。
僕も頑張ります。
クッキーだけじゃないです。
おまんじゅうがあるので。
実は特命店員がですねお土産を送ってくれました。
彼ら山田高校の生徒さんが作ったおまんじゅうです。
どうぞ召し上がって下さい。
不思議な色してますね。
そうなんですよ。
皮に竹炭を入れてるそうなんですよね。
体にいいと言われてます。
あっうまい!生姜ですか?これも。
そうです。
これも…おいしいじゃないですか。
パワースポットいかがでしたか?いろいろと。
すごいですねお母さんすごいですね。
あのつぼにお金をためていた。
コツコツコツコツ大きな金じゃないけどももし彌太郎が何かあった時のためにってためてたんでしょう?それを知らずに彌太郎はドンチャン騒ぎでしょう?立身出世のためのドンチャン騒ぎだと思います。
出世のためですけどね。
出世のためですけれども。
土佐って龍馬がいて後藤象二郎がいてその中でも彌太郎ってあの高校生じゃないですけども慕われてるというか愛されてるんですね。
なかなかそういう……というふうな考えでやったんでしょうね。
だからどうしても組織の中では会計係って不可欠ですからね。
そういう意味では非常に大きな役割を果たしたと思います。
瀬戸さんに伺いたいんですけども今夜のテーマですよね。
「組織に欠かせない人物になるには」。
瀬戸さんなりの極意を教えて頂けませんか?まずね私ね特技が必要だと思いますね。
それから実績。
この2つがあればね皆さん認めてくれるんじゃないのかなと思うんですよね。
特技ってやっぱりいろんな人の性格によって違いますからマネージメントが得意の人もいるだろうし生産性やらせたらバッチリだっていう人もいるし。
少なくとも一つは持ってないと大事な時に呼ばれないなという感じはしますね。
それからもう一つ実績ですよね。
実績はねもうけるっていう事じゃなくてやっぱりまず…その方向に持っていけるかどうか。
組織運営がうまくできるような仕組みをつくって実践したとか。
そういった事があるとこれはねみんなから呼ばれるんじゃないかなというふうに思います。
点の実績ではなくて継続する実績を築き上げると。
有野さん今夜はいかがでしたでしょうか?彌太郎さんのすごさが存分に分かったので店長が彌太郎さんを目指すのは無理やと思います。
そんな事言わないで下さいよ。
最下級って意味ではまだ一緒ですから。
そっからどうステップアップしていくかというのは…。
彌太郎さんを見つけないとあかんね。
ドンチャン騒ぎしてくれる人を。
そうですね。
ここでこのお店で。
確かにお金落としてくれる人を。
まずそこは営業かけないといけないですね。
2016/01/19(火) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉 売れっ子の極意 教えます!▽幕末の風雲児 岩崎彌太郎[解][字]

幕末、龍馬たちと活躍し、のちに財閥・三菱の礎を築いた岩崎彌太郎を特集。低い身分でありながら「彌太郎がいないと困る」といわれるほど売れっ子になった出世の極意とは?

詳細情報
番組内容
幕末、坂本龍馬たちと活躍し、のちに財閥・三菱の礎を築いた岩崎彌太郎を二週連続で特集。身分制度の厳しい土佐藩にあって、岩崎家は借金のため郷士の身分も売り払った農民に近い地下浪人。しかし彌太郎は幕末動乱の中なぜか頼りにされ「彌太郎がいないと困る」と言われる売れっ子となり出世していく。「平等に戦える場でコネをつくれ」「歩いて歩いて金の流れに強くなれ」など組織に欠かせない人材になる極意を探る。
出演者
【ゲスト】東京大学史料編纂所教授…山本博文,ヤマトホールディングス株式会社代表…瀬戸薫,有野晋哉,【司会】近田雄一

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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