じっくり煮た大根の滑らかな口当たりも魅力です。
人類が後世に語り継ぐべき貴重な宝世界遺産。
日本では現在19か所が世界遺産に登録されています。
豊かな自然や文化そして歴史を物語る貴重な証言者たち。
その建造物や風景を旅してみると日本の歴史を読み解く事ができます。
世界遺産は日本史のタイムカプセル。
世界遺産を巡る旅は日本の歴史の再発見の旅。
さあ出かけましょう!今回は戦争と平和にまつわる世界遺産を旅します。
訪れるのは沖縄琉球王国の城グスクです。
戦争によって破壊され王のグスク首里城は戦後市民の声によってよみがえりました。
かつての繁栄を今に伝えています。
一方破壊されたままの姿をとどめる広島原爆ドーム。
一人の被爆した少女の願いが現在の形での保存のきっかけでした。
広島と沖縄の世界遺産に託された未来へのメッセージを読み解きます。
世界遺産検定マイスターの本村健太郎です。
よろしくお願いします。
さあトラベラーいよいよ第8回まできましたよ。
今日訪れる世界遺産2つあります。
一つは広島の原爆ドームです。
でもう一つ沖縄です。
琉球王国のグスクです。
(高橋)いや〜…。
すごい!さすが詳しい!「○○グスク村」とかいっぱい町がありますよね。
そうなんですよね。
沖縄にはいろんなグスク…城があるんですね。
有名なのはやはり首里城ですね。
あれも沖縄の言葉では「スイグスク」と言うんですよね。
ふ〜ん。
ではまずは沖縄琉球王国のグスクへ参りましょう。
サンゴ礁に囲まれた島沖縄。
小高い丘に点在する石造りの建造物が沖縄の城グスクです。
島内には12世紀から15世紀に築かれたグスクが200か所以上残りそのうち…こちらは13世紀につくられたという…自然石を積み上げた「野面積み」という手法でつくられた城壁。
沖縄で最も頑丈なグスクだったと言われています。
こちらは14世紀から15世紀にかけて築かれた…石を加工して組み合わせる「布積み」「相方積み」など3種類の石積みを見る事ができます。
幕末黒船でやって来たペリー提督もここを訪れ400年以上の風雨に耐えた精巧な城壁に大変驚いたといいます。
沖縄は長きにわたり各地の豪族たちが覇権を争う戦乱の時代がありました。
巨大なグスクは豪族たちの軍事拠点。
堅固な城壁は戦いの時代を示すものでした。
しかし15世紀この地は一つの国に統一されました。
玉座に座った国王の一族その名は…尚氏は450年にわたって琉球を統治しました。
その王宮が置かれたのが首里城でした。
こちらは王が政治や儀式を行った建物…そこにあるのは…龍龍龍。
龍は中国の皇帝の象徴。
琉球と中国の結び付きの強さを示しています。
琉球王国は明王朝と朝貢関係を結び周辺諸国もつなぐ中継ぎ貿易の拠点として発展。
平和で豊かな国づくりを目指したのです。
首里城の正殿前には琉球王国の気概を刻んだ一つの鐘が掛けられていました。
「琉球は船をもって橋とし万国の懸け橋となる」。
琉球王国のグスクは平和への道のりと繁栄を今に伝えています。
あの石すごいですね。
野面積みの。
圧巻ですしそれでいて精巧な技術。
海外の方も驚かれるほどっていう事ですから。
首里城行ってきましたけどね…広いんですよね〜。
全部回っていくのには半日ぐらいかかったりとかしてね。
でねそんな当時の琉球王国を描いた絵があるんですね。
へえ〜!「琉球八景」という浮世絵です。
琉球の8つの風景を描いたものなんですね。
これはその一枚です。
でこれ見て下さい。
これグスクなんですね。
グスクが描かれてるんですね。
こうやって見ると龍のようですね。
おっまさにね。
龍のようにも見えますね。
でもう一枚お見せしましょう。
これも「琉球八景」のもう一枚なんですね。
これは何かといいますと「長虹堤」っていう名前の海上道路なんですね。
だから今でいうとレインボーブリッジみたいなもんですよね。
ただレインボーブリッジは長さが800mぐらいですからこっちの方が長いぐらい。
かなり巨大ですよね。
大変!どうやってつくったんでしょう。
当時の石積みの技術は優れていたわけですよね。
では問題です。
ええ〜?浮世絵でしょ?ヒントじゃあいきますか。
この後ろの方に小さく見えてますけどねこれ何でしょう?もしかして以前やった…。
どうぞ。
富士山?想像で描いたの?じゃあ。
この部分は想像かもしれないね。
広重とか?広重…。
ん?惜しい!歌川広重ではなく…?飾北斎?正解です!そうなんだ。
北斎?だって沖縄行ってないんじゃないの?当時はまず行けなかったと思いますよ。
北斎は実際に沖縄…琉球王国には行っていません。
じゃあこれはどうやって?当時…え〜!?どういう事ですか?それ。
徳川の将軍に琉球王国が使節を送って挨拶にいくという事が度々あったんですね。
毎年11月那覇市内で開かれる首里城祭。
琉球王国時代のきらびやかな風俗が再現されます。
江戸の人々もこの美しい衣装や踊りに魅了され当時一大琉球ブームが巻き起こっていました。
ところが使節一行をよく見ると…。
行列の先頭には薩摩藩士の姿が。
実は江戸時代に入ると王国の豊かさに注目した薩摩藩が侵攻し琉球は薩摩の支配下に置かれていたのです。
しかし琉球は国の独立を保つため巧みな外交を展開します。
首里城の中には琉球の外交の在り方をよく示す場所があります。
正殿に向かって左側にあるのが中国の使者を迎えるために使われた北殿です。
朱塗りでまるい柱を用いた中国風の造りになっています。
一方右側の南殿は白木造りに四角い柱。
和風の建物です。
薩摩藩との外交行事に使われました。
訪れる人々を手厚くもてなそうと歌や踊りなどの芸能も育まれました。
日本と中国2つの国と渡り合い平和外交で独立を保ち続けたのです。
しかし琉球にも明治維新の波が押し寄せます。
1879年琉球王国は沖縄県となり国王は首里城を退去。
450年に及ぶ琉球王国は幕を閉じました。
昭和20年太平洋戦争の末期日本の最後の防衛拠点となった沖縄は激しい地上戦で多くの命が失われます。
首里城やグスクもそのほとんどが破壊されました。
しかし戦後もグスクを訪れる人々の姿が絶える事はありませんでした。
実はグスクは地元の人にとって大切な「御嶽」と呼ばれる祈りの場でもありました。
人々の心のよりどころとしてグスクはなくてはならない存在だったのです。
そして1972年沖縄の本土復帰を機に人々は琉球の歴史と文化の象徴である首里城の復元を強く要望します。
1992年首里城がついに復元されました。
その姿には沖縄の人々の誇りが刻まれています。
戦争で破壊されてしまったグスク。
それを世界遺産に導いたのは人々の祈りだったというわけなんですね。
琉球王国の外交のしかたもとても珍しくて面白かったなと思いますしそしてそのあとの悲しい戦争という歴史を経てでも人々の気持ちでもう一度復元して今があるんだと思うとそういう背景を見て是非行きたいなと思いました。
ユカイさんどうですか?戦争の一番…。
ある意味で戦争の被害を一番受けてるっていうかいまだに沖縄という場所がそういった中心みたいなところなんですけどやっぱ首里城…これを残すって事はものすごくよかったと思います。
これを見て考えなきゃいけないね。
ですね。
まず世界遺産という事業なんですけれどもそれが誕生した背景には実は戦争があったんですね。
第2次世界大戦の反省にたってユネスコという機関が作られているんですけれども。
ユネスコの理念を提唱した文章というようなものがありまして……というふうに言っているわけです。
つまり…へえ〜!今回初めて世界遺産の成り立ちを…。
あっここまでやってきて?はい。
実は今すごく残念な事に…ですから今実は世界遺産ってすごく大きな課題に直面しているんですけれども…戦争の傷痕のようなものが世界遺産になっているしまた一旦世界遺産になった立派な建造物なんかがまた最近の戦争によって壊されてしまう事もあるっていう事ですよね。
そうなんですよね。
戦争がもたらしたもう一つの世界遺産広島の原爆ドーム。
こちらの方にいってみたいと思います。
実はこの原爆ドームが今の形で保存されたのはある一人の少女の願いがきっかけだったんです。
広島市の中心部。
元安川のほとりに立つ…足元に散らばるレンガ。
壊れた壁。
むき出しとなった鉄骨。
この建物はかつて広島の繁栄の象徴でした。
大正4年チェコ出身の建築家によって建てられた…ドーム形の屋根が特徴のモダンな建物でした。
産業奨励館では地元の特産品の展示会や美術展がしばしば開かれていました。
広島の産業と文化を担う建物は市民の誇りでした。
午前8時15分。
原子爆弾が投下され広島の町は一変します。
原爆によって地上温度は3,000℃を超えあらゆるものが焼き尽くされ犠牲者はおよそ14万人に上りました。
産業奨励館も全焼。
しかし爆風が上からほぼ垂直に働いたため奇跡的に全壊を免れます。
かろうじて中心部が残った建物は戦後「原爆ドーム」の名で呼ばれるようになりました。
町が復興していく中原爆ドームは放置されたまま。
被爆から10年たった頃には崩壊の危機に瀕します。
原爆の辛い記憶を思い出すため撤去してほしいという声が多く上がりました。
そんな時ある少女の日記が一石を投じます。
1歳で被爆し16歳で白血病で亡くなった…原爆の悲劇が過去のものとなりつつある世相を憂いてこんな思いをつづっていました。
「もものところにだんだん花のように点々が紫色をして自分に死が来るような気がした」。
「あの痛々しい産業奨励館だけがいつまでも恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろうか」。
楮山さんの死後日記を読んだ地元の子どもたちがいち早く原爆ドームの保存に向けた募金を始めます。
それは市民運動に広がり広島市も保存の方向に傾いていきました。
被爆から21年ついに原爆ドームの永久保存が正式に決定します。
広島では今も原爆ドームを守る努力が続けられています。
そこには「原爆の悲劇を風化させてはならない」という強い思いが込められています。
最後新聞で「満場一致で決議」って書いてあったので多くの方の思いがああいう形になったのかなというのとあと若くして亡くなられたヒロ子さんの日記をもし目にする事がなかったらもしかしたらまた違う展開になっていたのかなと思うとほんとに少しの歯車が狂うといろいろな事が変わってきてしまうんだなと。
原爆ドームっていうのはやっぱり悲しい記憶をとどめたものを目にするってすごく辛いっていう事で撤去してほしいという人もいたわけです。
そこで私たちが思い出す事ができるのが東日本大震災。
まあちょっと原爆のケースとはもしかしたら一緒にできないかもしれないですけれどもやっぱり…戦争はなくならないですよね。
でやっぱり負のものかもしれないけどそれを残す事によってこれをもっと…そのとおりですね。
とても悲しい歴史という背景のある世界遺産なんですけれどもネガティブなふうに捉える事なく逆にこれを過去からのメッセージで「こういうことを二度と繰り返さないように」という意味として受け取って見にいくべきだなっていうふうに思いました。
そうですね。
原爆ドームの保存とともにこの一帯は平和記念公園として整備され平和を祈る場所となりました。
千羽の鶴を折りながらいつかは治る事を夢みて亡くなった少女佐々木禎子さんの碑。
「ちちをかえせははをかえせにんげんをかえせ」と病床から平和を訴えた詩人峠三吉の碑。
傷ついた生徒を懸命に助け自らも倒れた国民学校の教師をしのんだ碑。
こうした命の碑をたどる事で原爆ドームは更に深く心の平和を培う場所となっています。
日本にある世界遺産でもこれは日本のものではないんですね。
人類共通の財産なんですね。
だからそれを守るためにはどうしても世界の協力が必要です。
だから世界遺産を守る事は世界平和につながるんです。
これから私たちはそれをどうやって受け継いで未来の人に伝えていくのか。
それが今問われていると思います。
2016/01/19(火) 21:30〜21:55
NHKEテレ1大阪
趣味どきっ! 開け!世界遺産 第8回「原爆ドームと琉球王国のグスク」[解][字]
世界遺産から日本史の物語を読み解くシリーズ第8回は「平和を願う未来への遺産」。広島の原爆ドームと琉球王国のグスク、二つの世界遺産が伝える未来へのメッセージとは?
詳細情報
番組内容
1945年8月6日、広島に投下された原爆により破壊された「原爆ドーム」。戦争の悲劇を二度と繰り返さず、永久的な世界平和を訴える建物として保存されている。一方沖縄各地に残るグスク(城)は、12世紀ごろから豪族たちの軍事拠点として建てられた。琉球王国最大のグスク首里城は、沖縄戦でほとんど破壊されたが、地元の人々の強い願いから復元。第二次世界大戦の反省から生まれたユネスコの理念、世界遺産を守る意味を学ぶ
出演者
【出演】本村健太郎,高橋真麻,ダイアモンド☆ユカイ,世界遺産アカデミー研究員…本田陽子,【語り】河野多紀
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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日本語
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2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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