海を望む美しい町並みを高台から眺める松居さん。鞆の浦は意見の対立を抱えながら、風景と共存する道を模索している＝広島県福山市鞆地区
風景か、開発か。どちらを選ぶかで地元が二つに割れた町がある。広島県福山市鞆（とも）地区。宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」のモデルとなった瀬戸内の美しい港町「鞆の浦」だ。
論争の火だねは、幅の狭い道路による交通混雑解消などを目的に、港の一部を埋め立てて橋を架ける県道バイパス（全長６８０メートル）の整備計画。県と福山市が３０年前に策定した。「去年、県がついに計画を撤回したんだけど…」。反対運動を率いる松居秀子さん（６２）は厳しい表情で話した。
県は山にトンネルを掘る代替案を示した。しかし、市や推進派は「利便性が確保できない」と譲らず、事業は宙に浮いたまま。人口５千人に満たない地区で対立が続く。
それでも松居さんの確信は揺るがない。「風景には利便性以上の価値があるんです」
■ ■ ■
鞆の浦には常夜灯など江戸期の港の設備が今に残り、商家跡が並ぶ市街地の町並みは歴史風情が漂う。海を望む港町の風景は私たちの誇り。壊してはならない―。
２００９年、広島地裁は松居さんら原告団の主張を認め、計画差し止めの判決を下した。県側は控訴した。だが、その直後に初当選した湯崎英彦知事は昨年６月、計画撤回を表明した。
「景観や文化財の価値はこの３０年で大きく見直された」と、県の担当者は方針転換した知事の考えを代弁する。
世界遺産候補地を審査する国際記念物遺跡会議（イコモス）は０５、０８年の総会で、計画中止勧告を異例の２回連続で採択した経緯もある。「世界的に評価される遺産は、鞆の浦の町づくりや観光振興に今や不可欠の資源。ゼロベースで再評価した結果、計画中止はプラスになると決断した」
一方、一貫して計画推進を求めてきた福山市は「狭い道路は歩行者の危険性が高い。渋滞で救急車両の到着が遅れる心配もある。３０年の議論を白紙に戻すなんておかしい」と譲らない。推進派代表の大浜憲司さん（６５）も「町から離れたトンネルでは不便。県の撤回は裏切り行為だ」と憤る。
■ ■ ■
「おしゃれな町。次はデートで来たいな」。鞆の浦の古民家カフェ「田渕屋」で、広島市から来た２０代の女性３人は口をそろえた。「ポニョ」の影響もあり観光客は増加、県によると年間１７０万人に達する。
田渕屋など、松居さんらの町づくりＮＰＯがよみがえらせた空き家は誘客の原動力の一つ。「トラックが往復するようなバイパスが通れば町の魅力は台無しになる」。漁業の衰退を見据え、今後の町づくりの核は観光業と位置づける。再生した空き家は３３軒を数えた。
「観光客の駐車場を離れた場所に設けるなど、工夫すれば不便さを乗り越えられる。少しの我慢は風景を失うことに比べれば痛くもない」と松居さんは言う。「風景を守っても、人が住めないなら意味がない。逆に、利便性のため誇りまで失っては鞆が鞆でなくなる。私たちが目指すのは風景と共存し、暮らしも豊かにする両立の道なんです」
■環境記者室 福井の豊かな暮らしとは
取材を通し、架橋推進派も鞆の浦を愛する気持ちは一緒だと気付いた。
「小さいころは海で遊んだ。できることならこの風景を未来の子どもたちに残してやりたいが…」。町内会連絡協議会長を務め、伝統民謡の保存会長も担う大浜さん。「それでも『暮らし』を優先する」と話す、苦渋の表情が印象的だった。
翻り、敦賀市の中池見湿地も１９９０年代、開発か保全かで行政と市民が対立した。埋もれた価値が反対運動で浮かび上がり、昨年にラムサール条約に登録。多くの人が「正しい選択だった」と顧みるのではないか。
里山の開発をめぐり今後、議論は各地で起こるはずだ。鞆の浦は福井の“明日”の姿ともいえる。不便さを工夫で乗り越え、多少の我慢をしてでも風景と共存し、未来を切り開く―。福井の豊かな暮らしとは何かを見極める上で、広島県の決断は重い問いを投げ掛けている。