徹子の部屋 倉本聰 2016.01.19


観測史上最も遅い初雪となりました。
近畿地方はこれから更に冷え込み、あすにかけ山沿いや日本海側を中心に積雪や路面の凍結で交通機関が乱れる恐れがあります。
今後の情報に注意してください。
(黒柳)この可愛い美少年が今日のお客様です。
大ヒットドラマ『北の国から』をはじめ数々の名作をお作り出しになる脚本家シナリオライターの倉本聰さんでいらっしゃいます。
どうもよくいらしてくださいました。
もう富良野に移住して何年?ほぼ40年ですね。
ほぼ40年。
今日も富良野からいらっしゃいました。
本当よくいらしてくださいました。
倉本聰さんです。
(拍手)脚本家って言ったほうがいいの?シナリオライター?どっちでもいいです。
そういうので…私もドラマに出ておりました時『6羽のかもめ』というのをお書きになってあれはすごく評判になってギャラクシー賞っていうのを受賞した…。
『6羽のかもめ』っていうのはすごく懐かしい…私も。
あれは『北の国から』の前に…。
そうですね。
それにしても私富良野っていえば夜倉本さんが運転してくだすって「暗いところを見せてやる」とか言って…。
真っ暗ね。
面白かったね。
「キャッ!」って言ったのは…。
そう…。
それで前をねキタキツネかなんかがピュッて通ったりするんだけどそのうちに全部電気も車消しちゃうから…あんなに暗いんですかね?暗いですよ。
本当にここの手が見えないですからね。
そう。
要するにどこでも…いくら暗いっていってもどこかの光が入ってきたりとかねネオンサインが入ってるんだけど…。
次の日もう一回通ってくだすったらそこ役場もあれば小学校もあるのね。
いっぱい色んなものあるのに夜見たら真っ暗。
真っ暗ね。
今でも私ね…アフリカでもねアフリカはやっぱり広々した砂漠があって砂漠がちょっとこう白いところがね…。
星がいっぱい出てるでしょ。
だからねアフリカのほうがまだ明るいと思いましたね。
そんなことないでしょ。
アフリカ…ほどじゃないですよ。
えーそう?でもまあアフリカも暗い。
でも富良野は暗い。
まあ暗いけどね。
あの…倉本さんが最初に『徹子の部屋』にお出になった時のVTRをちょっと見せていただこうかなと思ってるんですが…。
これはね『北の国から』の最初の放送の時の直後の…。
そうですか。
1982年っていって…。
ちょっと見てみます。
よろしいですか?「この『北の国から』という…『北の国から』というので正しいんですよね?」「このドラマを…脚本を本になさったのがこんなにたくさん売れるって…シナリオがこんな一般に読まれるっていうことはめったにないことですって?」「そうですね」「ねえ。
ご自分のシナリオを皆さんご覧になるっていうのはどういうものですか?」「ありがたいですよそりゃあ」「だって僕ら本当に…スタジオの中にね結局あと台本放られてるのをいつも見て嫌な感じしてたから」「テレビなんかの場合書いてないと食えないっていう状態だったでしょ」「ええそう」「前の年に『北の国から』と『駅』っていうのを書くために8カ月休んだんですよ」「その間はもう何にも収入ないわけでしょ」「本当は8カ月って休めないんですよ」「なんか他のものを書かなくちゃね」「ええ。
だからなぜそれ休めたかっていうとトマトジュースに…コマーシャルやって」「それでやっとその間だからそっち…何にも…要するに仕事してないでもって準備に掛かれたっていう…」「だから本当言って『北の国から』と『駅』っていうのはトマトジュースのおかげなんですよね」「でも確かにそういう充電の時間ものを観察する時間そして本当に書くまでのその時間っていうのは必要なわけでしょ?」「追われて追われて書いたんじゃやっぱり…」「無理ですよね」「ねえ」「だからね東京に行った時によく書けたなっていう感じが今思うとしますよね」「いらした時にね次々とね」すごいハンサム。
いや…。
あれのねトマトジュースのコマーシャルに出ろって言われた…。
高倉健さんに…要するに稼ぎがないっていう話をしたらコマーシャルに出て時間を作りなさいって…それで金を稼いでおいて。
「でもそんなコマーシャルなんか来るのかな?」って言ったらなんかたまたまトマトジュースが来てくれて。
それで時間が取れたんですよね。
高倉健さんのおかげ…?そうなんです。
でもびっくりしたんですけど『駅』っていうのね…『駅』高倉健さんの。
あれそんな前だったんですね。
そうです。
あれは『北の国から』を富良野で撮っててちょうど同時期に増毛っていうところで『駅』を撮ってて。
だから邦さん…田中邦さんなんか両方出てたから僕夜中に…『北の国から』の撮影が終わると邦さん車に乗っけて増毛まで走って…。
すごいですね。
それでまた翌日連れて帰るみたいなそんなことをやってましたよ。
えー。
でも若いですね僕ね。
よくこれ俳優になりませんかって勧められたでしょ?冗談じゃない。
本当そう思う。
だってすごくいいもんね。
これはもう勝新太郎さんとも違うし誰とも違うけどもとってもいいっていう感じしますけどね。
ああいう方が脚本を書いていらしたんだって本当にびっくりしたんだけども。
でもまあ富良野塾というものをお作りになってそれでそこで色々環境のこととか随分なさいましたよね長いこと。
そうですね。
富良野塾をやって…26年やってそれを終えて…終えてっていうか終わらせてそれから自然塾っていうのを作ったんですね。
やっぱり人間育てるとやっぱり色々しんどいし裏切られるし色んなことあるから植物を植えてたほうが裏切られねえやと思って…。
本当に?人から森にシフトしましたね。
倉本さんみたいな人を裏切る人もいるの?裏切るっていうんじゃないけど効果が出ないっていうことですよね。
がっかりするようなことですかね?私話全然違うんだけど何回思い出してもおかしかったのは倉本さんが富良野がどのぐらい寒いかって…。
お風呂おけの中に水をいっぱい入れてみてどのぐらい凍るかって思ったら全部凍っちゃったら…そのねお風呂おけから氷が出せないっていうのね。
どんなことがあっても出せないって…。
あれは困りましたよね。
最初の年ですけどね。
つるはしでコツコツコツコツやって本当に3つぐらいの大きな塊にガバッて割れてやっと取り出したっていう…。
それだってすぐにはできないのよね。
半日掛かりましたよね。
お湯掛けたり色んなことをしても駄目で。
でも私ねそんな寒いところにいるんだって思って。
寒かったですよ最初の年は。
ねえ。
マイナス35度までいきましたからね。
あれ忘れられない。
寒いんだと思ってね。
寒いですよそりゃ。
だけどおたくも滝川に…お母さん滝川の出でしょ?そうそうそうそう。
あれは私の祖父が無医村の医者になりたくて。
そうですか。
それで仙台の大学出てから北海道が一番いいと思ったらしくて。
それで北海道を探して滝川が一番いいと自分で思ったんでしょうその祖父がね。
病院を建ててそれで…私も一緒に行ったことありますけど牧場のほうやなんかに行って…無医村の医者になるっていうのが望みでしたから。
母はそこで生まれたんで。
そう。
でもチャックは戦時中向こうに行ったとか…。
私は疎開した時青森に…。
青森?なんで青森なの?知らない人のところに行ったの。
行くところがないから。
その話すると長くなっちゃうからあれだけど色んなところを探したのね。
だけどどうしてもなくて仙台に初め行ったんだけど母がねここはね空襲が来るって。
それから飯坂温泉とかいうところ行ったんだけどそこにいた時父に出征…召集令状が来たんで東京にまた戻ったりなんかして最終的に汽車の中で知り合ったおじさんのところ…。
まあ富良野の自然の中に今いらっしゃるんですけどもなんか300キロぐらいの岩を持ち上げようと思ったら…?300キロを持ち上げようとしたんじゃなくてね300トンのね…。
300トン!?300トンの岩をね自然塾っていうのを作るんで一個一個拾って組み立ててたんですよずっと。
それ2〜3カ月掛かったんですけどね。
それで腰痛くしちゃって。
そうなの?それから腰が駄目になって杖突くように…。
まとまってあったわけじゃないのね。
300キロは持てないですよそんな。
それを何人かで持とうとしたのかなと思って。
そうじゃなくてね少しずつ少しずつこう…。
でも今そういう道を歩いたり色々自然を見たりしていらして今絵を描いていらっしゃるんですね。
そうですね暇だと。
ちょっと見せていただいていいですか?なんか点描的なんですって?もう本当にペンの点だけで描く絵なんですけどね。
こういう…。
あら本当だ。
これでいいですか?ひたすら点を打ってます。
これは点…点で描くんですか?ずっとそこのところで見てて。
デッサンして…絵ってこういう影のグラデーションがあるでしょ。
それを点で出せないかなと思って…太いペンと細いペンと。
すごい。
密度と色んなものを細工してやったら面白くなっちゃって。
すごいねすごく…。
これ…こういうのずっとそういうところに座ってて見てるの?見てて描く?そうですね。
スケッチだけしてくるんですよね。
そうなの?あっ本当だ。
そんなような木…。
これお家の中からですか?これ家の中ですね。
でもこういうのを…上手ね。
前から絵お好きだったの?いやそんなこともないんですよ。
前から絵が下手くそでコンプレックスがあったんですけどコンテ画を描いてるうちにね…。
これなんか本当に雪がねそういうふうに…。
本当にバーッて…さっきお家の中の写真がありましたけどああいうところからご覧になってるとねこういう…。
ありがとうございました。
はいはい。
こういうのが…。
これですねこんなふうに。
ふーん…。
でもあれですね7回出ていただいてるんですけど…。
そんなに出てますかね?そうなの。
担当の者が調べたら。
僕3回か4回ぐらいかなと思ってたんだけど。
7回。
そうですか。
今回でね7回目なんですけど。
今までちょっと伺ってなかったんですけど子供時代のこととかを…。
これご家族ですよね?はい。
とてもいい家の坊ちゃん。
真ん中にいらっしゃる方おばあ様ですか?そうですね。
これ江戸時代の方ですね。
「方で」って…慶応ですね生まれが。
慶応時代?えー!じいさんが万延かなんかもう少し前ですね。
すごいのね。
だから考えてみるとね本当江戸時代の人と一緒に住んでたんだなと思って。
びっくりします。
一番右端が今日のお客様ですよね。
後ろのお奇麗な方がお母様?はい。
へえー。
子供123…。
5人いるんです。
5人兄弟。
一番左側がおじい様ですか?おやじです。
お父様ですか。
えー。
そう。
このお父様がとてもね私ユニークな方だなって…。
ユニークでしたね。
ユニークな方だと思います。
クリスチャンだったんですよねおふくろも。
僕ね全然知らなかったらね一昨年かな?去年?去年か。
終戦記念日の寸前に新聞社から電話があって「お父さんが戦時中に教会の週報に“戦争は罪悪だ”って書いちゃって引っ張られたって話ご存じですか?」って言われて全然僕知らなくて。
「戦争は罪悪だ」?うん。
そしたらそれ送ってくれたんですよね。
それ読んだら本当に書いてて。
それで誰も知らなくて妹だけがねおふくろからこっそり聞いてたらしいのね。
「そうなんだ」って。
それで…「だけど言っちゃ駄目よって言われて」…。
特高に引っ張られちゃって何日かブタ箱に入れられちゃったらしい…。
でも相当勇気のある方ですよね戦争中に。
そうですね。
そこのところが今の若い人わからないと思うんですけども。
今度の『昭和からの遺言』…。
遺言でいいんですよね?遺言です。
お書きになった本の中にも出てるんだけど今の若い人たちってみんな戦争の時ね特攻隊で行ったとか色んなこと言ったら「嫌だって言えばいいのに」ってさ若い人言うじゃない。
そうそうそうそうそう。
この本にも書いてあるけどあの時代に嫌だなんて…。
言えないですよね。
言ったら殺されるもんね。
だからね『屋根』っていう芝居を今作ってるんですけども戦争中の青年がいっぱい出てくるんですよ。
戦争に召集されたりして。
そうするとねみんなね若い人たちっていうのはねどこかでベースが反戦思想になっちゃってるわけですよ。
今の若い人はね。
今のね。
そうじゃなくてもう勇んで行ったっていう時代があったでしょ。
あとであれは何だったんだって思うんだけどその当時はそういう疑問を持てないですよね。
そう。
今もう誰でも「戦争は嫌だ」って平気で言えるんだけどそういう思想を全然持ってなくて言われたとおりにしなきゃいけないって思って国が「行け」って言えば行って「死ね」って言えば死ぬっていう時代があったっていうことを今の若い人は知らない…。
知らないですね。
でねそれをねよく考えてたらねどうもね歌であるような気がしてきたの。
あの当時の歌があるでしょ。
軍国歌謡っていうか…。
僕もかみさんもね実にあの頃の歌を知ってるんですよ。
たぶんチャックも全部知ってると思うけど。
私はねちょっと悪いんですけどねここがトットちゃんの学校の特別なところで先生が軍歌を教えなかった…。
軍歌じゃないよ。
んっ?戦争歌謡?戦争歌謡っていうかあの当時にはやった歌。
うん。
ちょっと私ねそういうのをね…私のトットちゃんの学校では先生が教えなかった。
そう。
外国の歌なんか教わってたからね。
よく捕まらなかったなと思いますけどね。
でもみんな子供たちは歌ってましたよね。
歌ってましたね。
もう行けよっていうような感じの歌はありましたよねいっぱい。
行けよって言うしなんか時代をこう…自然になんか入っちゃってるのねだから。
そうそうそうそう。
あっそうそう。
なんか落下傘の歌もありましたね。
「見よ落下傘」っていうやつでしょ?「落下傘空を征く」…。
そうそうそうそうそう。
その手が多いですよね。
そうですよね。
自然にねなんか耳から入っちゃってるから。
そういうのもあの頃の子供たちが…。
さっき一番最初に拝見した写真ですけども本当に可愛い美少年なんですけど…。
まあこれですね。
いいところの坊ちゃんっていうね…。
お父様は随分出版社を経営していらして…。
そうですね。
でもこんな…写真見てちょっと笑うなんていう子珍しいわね。
えっ?こういうふうにちょっと笑ってる写真珍しい。
あっ僕が?うん珍しい。
考えられない。
ちょっと写真見て笑うなんて。
写真を見て笑う?写真機っていうかカメラを見てね。
あっこれは…。
可愛い。
うん可愛いわね。
僕だって年中怒ってるわけじゃないんですから。
たまには笑うこともある?フフフ…。
お父様は非常に子煩悩な方で…お父様子煩悩な方で?ええ。
だけど何かの時には…私びっくりしたんですけど一回万引きしたことがあるんですって?そうなんですよ。
「そうなんですよ」って…。
当時ね英字ビスケットっていうのがあったんですね。
英語のAって…?アルファベットの。
友達の家でおやつに出されて欲しくて欲しくてね。
でも家でそんな何が欲しいなんて言えないからおふくろと一緒にね西荻窪だったんだけど駅前のお菓子屋へ行ってなんかおふくろが奥にいる時こう見たらガラスのケースの中にその英字ビスケットがいっぱいあったんですよ。
それでおふくろ後ろにいるしチャンスは生かさなくちゃいけないでしょ。
だからスッと手を出してこうポケットに入れたのね。
ところが帰りのバスの中でおふくろにこう…「何してるの?」って言われて手を引っ張り出されてこう握ってるのを指をこじあけられたらAとOっていうのがあったわけよ。
そう。
AとOだったの?そう。
そしたらおふくろが仰天してもう一度握り直させてポケットに突っ込まれて。
それで…口利いてくれないからえらいことになったなと思って警察に言うのかななんて変に心配して。
それで家帰っても口利いてくれないんですよ。
そしたらおやじが帰ってきておふくろと話してて…。
どうなんだろうと思ったらおやじが来ていつもと全然変わらないで「ちょっと行こうか。
散歩しよう」なんて言うんで駅までバスに乗って行って…。
そしたらやっぱりお菓子屋に行くわけですよ。
それでそのお菓子屋のケースの前に立って「これか?」って言うから「はい」って言ったら「うん」って言って考えてお菓子屋さんの店員さんを呼んで「全部ください」って言って全部買っちゃったのね。
お父様が?おやじが。
全部買えばほら…万引きした分も含まれるという思想だったのか…よくわかんないんだけどね…。
怖かったでしょ?その有り様を見てた時怖かったでしょ?それは怖いですよ。
どうなることか…。
今度そのでかいのを背負って家まで今度はバスにも乗らずにこう…歩いて。
僕もしょうがないからこう支えて…ちょっと横から手を…。
そして家まで帰って。
それを納戸に放り込んでねおとがめなしなんですよね。
うん。
全く。
おふくろももうそのことに触れないの。
だけど机の引き出しに食うに食えないAとOっていうのがあるわけ。
消しゴムの消しカスなんかに交じってね。
それでね…だからずっと記憶に残ってるし嫌だななんて思ってたんだけど1年ぐらい経ってね食糧難の時代が来るでしょ。
食糧難。
それでねおやつにねその英字ビスケットがねもうカビてねしっけてるんだけどそれがちょこっとずつ出始めたの。
それでそれが1年半ぐらい続いたんですよ毎日。
だから…何ていうかな?執行猶予が1年のあとに刑期が…実刑が1年半来たっていう感じでね。
あとで考えるとうまい刑罰だなと思って感心しましたけどね。
こっちはやっぱり罪の意識があるからずっとそれ残りましたよね。
あの手のね粋な刑罰っていうのはしてみたいと思うけど。
お父様何だか1人500万円…何?それ何?あのね変なおやじでね田舎に帰った時ね…。
岡山?岡山のね…本家の主人に宴会してもらって「お前東京に行って少し蓄財ができたか?」って言われて「はい。
500万円ほど貯めました」って言ったんで本家が驚いちゃって…。
当時500万円って…。
当時の500万円ですからすごい…。
すごい。
うん。
5億ぐらいの価値したんじゃないでしょうかね。
仰天して「そんなに貯めたのか?」って言ったら「はい。
子供を5人つくりましたので1人の価値が大体100万円でそれで500万円」って言ったらぶん殴られてぶっ飛んじゃって。
おふくろがもう「どうしようかと思った」って言ってましたけどね。
まあでもお父様冗談もあるけどやっぱり子供が5人いるっていうこともやっぱり誇らしかったんでしょ?そうでしょうね。
ええ。
これあの…倉本さんが最近お書きになった本ですけども『昭和からの遺言』という本ですけどこの中に…。
もう時間がちょっとないので要するに「コンピューター…ITがどんなに進んでもね食い物は作れない」と。
「いかに金融で金をもうけても金は食い物は作れない」と。
「ただ買うことはできる」と。
「食べ物を作れるのは太陽と水と土そして人間の懸命な労働」「それを成し得たのは農村だけだからあの頃農家が一番偉かった」って。
やっぱりねとても私ね…自分も疎開してたこともあるんでねよくわかりますよね。
そういうことをお書きになった…。
そうですね。
今度農村の…富良野の農村の大正からのをずっと…一家の平成までのストーリーを。
『屋根』?舞台。
ええ。
『屋根』っていう舞台でやるんですけど。
今ね富良野でやってらっしゃるんですよ。
それで今度この『屋根』という芝居が全国ツアーなんだけども2月9日…。
違う。
ごめんなさい。
2月5日に新国立劇場の中劇場でなさるんですけど。
これは『北の国から』じゃないんだけどもやっぱり自然のすごいところとか…。
これの前に私この前拝見したの『明日、悲別で』でしたっけね。
あの時に私たちが言わなきゃいけないけどどうしても言えないことを全部芝居の中でみんなが言ってくれるっていうことでものすごい感動を受けたんですよね。
ありがとうございます。
それと同じでこの『屋根』もきっと心が洗われるようなそういう世の中に流されないそういう人たちのことをお書きになって人間はこうあるべきだっていうことだろうと思うんですけどたぶんね。
『屋根』という芝居です。
ぜひ新国立中劇場で2月5日からですのでぜひ。
ぜひいらしてください。
ご覧になってください。
いやーでもあれですよね富良野にいらっしゃってそんな歩いたりなんか色んな写生したりなんかしながらも随分色んなことをやっていらっしゃいますよね。
いや何もしてないですけどね。
この頃はもうぶらぶら森を歩くのと寝るのと絵を描くのとほとんど徘徊老人の一歩手前ですよ。
いやいやいや。
でも演出をなさるのはこれで最後だとかっていうのはそう?もうやっぱりね体力が持たないですね。
そう?そんなお元気なのに?いやいや元気じゃないです。
そう?でも喋るのはお元気ね。
それはチャックと同じですよ。
フフフ…。
言えるかもしれない。
でもさっき仰ったように戦争中ねみんな子供たちが特攻隊でも何でも行ったのは歌…歌に…。
…に押されたっていう気がする。
押されたってね。
それでその言ってる言葉ぐらいはわかったからみんなそういうふうに思って軍国少年やなんかはねそれでできたんだとは思いますよねどうしたってね。
でも本当にあの…『北の国から』にしても何にしても倉本さんのお書きになるものは本当に素晴らしい。
でもまあとにかくこの『屋根』という芝居をですねぜひ皆様に見ていただきたいと思ってます。
ありがとうございました。
2016/01/19(火) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 倉本聰[字]

〜ユニークな父のしつけに〜倉本聰さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
『北の国から』など国民的なドラマを数々生み出してきた脚本家・倉本聰さんがゲスト。
◇番組内容
出版社を営む両親の間に5人兄弟の3番目として生まれた倉本さん。子煩悩な父は家庭でのしつけもユニークで、ビスケットを万引きしてしまった倉本少年に忘れられないお仕置きをしたという。そのお仕置きとは!?ほか、スタジオでは『北の国から』最初の放送直後に出演した回の映像を紹介。脚本準備のため他の作品を書く時間が取れず、無収入になってしまった倉本さんのピンチを救ってくれたのは高倉健さんのアドバイスだったと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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