永田大
2016年1月21日17時11分
横浜駅西口の川のほとりに軒を連ねる12のおでん屋台は、ちょっとしたハマの名物だ。昭和30年代から、サラリーマンたちの憩いの場になってきた。その灯が今月、消えていく。
高島屋などに近く、大型ファッションビル「ビブレ」を見上げる幸川沿いは、「リバーサイド通り」とも呼ばれる。平日の昼過ぎ、おでん屋を営む女性(83)が仕込みを始めていた。「うちのだしはね、昔から日高昆布なんだよ」。そう言って鍋に大根、卵、はんぺんなどを丁寧に並べていく。
広さは3畳ほど。鍋を囲むコの字のカウンター。寒い夜には、客が日本酒片手に肩を寄せ合う。営業は半世紀以上になるといい、真っ白なヒノキだったという屋根は、すすけて黒い。
駅周辺の開発に伴い、屋台が集まってきたのが昭和30年代とされる。「当時はジャリ山だったよ」とこの女性。屋台は近くの空き地から毎日引いてきたが、いつしか動かさなくなったという。足元をのぞき込むと、さび付いた車輪が回らないようにひもでくくられている。入り口は引き戸になっており、小屋風のたたずまいだ。
だがこの通りは、市道。60年ほど無許可で占有し、使用を続けてきた。1988年には、翌年に横浜博覧会を控え、市は警察と強制撤去の方針を打ち出した。
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朝日新聞社会部
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