NHKスペシャル▽震度7 何が生死を分けたのか〜埋もれたデータ 21年目の真実 2016.01.17


21年前の、きょう。
女性は、この場所の光景を今も鮮明に覚えています。
あの日の夜、撮影された映像です。
路上に並んだ布団。
地震で亡くなった人たちが安置されていました。
女性の両親も、ここにいました。
とめどもなく涙が出てきたのを覚えてます。
阪神・淡路大震災。
6434人の命が奪われました。
しかし、一人一人がどのように亡くなったのか。
その詳細はこれまで分かっていませんでした。
実は、地震直後に作成されていた記録がありました。
亡くなった人たちの検案書です。
死因、亡くなった場所そして、死亡時刻を医師が詳細に記していました。
私たちはこの検案書をもとに作られた地震発生当日に亡くなった5036人のリストを入手しました。
21年目に初めて明らかになりました。
死亡時刻を見ると直後の死を免れ、生きていた人が数多くいたことが分かりました。
助けを待っていたはずの人たち。
救うことはできなかったのか最新の技術で検証しました。
当日、亡くなった5036人。
生存していた人たちが地震発生とともに次々と命を奪われていきます。
実は、1時間後900人以上の人が生きていました。
この人たちを原因不明の火災が襲います。
5時間後なお、500人近くが助けを待っていました。
全国から駆けつけた救助隊を阻んだのが意外な要因が引き起こした大渋滞でした。
浮かび上がった命を守るための課題。
取材を進めると首都直下地震など次の大地震に向けた対策が見えてきました。
失われた多くの命。
私たちに残してくれたのは命を守るためのメッセージでした。
今、できることは何か。
埋もれていた記録から明らかにします。
150万人が暮らす港町・神戸。
人々は今も震災の記憶とともに生きています。
午前5時46分。
まだ多くの人が眠っている時間でした。
震度7の激しい揺れで10万棟あまりの建物が全壊。
6434人が亡くなりました。
私たちが入手した亡くなった人たちの検案書のリスト。
地震発生当日に亡くなった5036人の記録です。
個人の特定につながる名前などは省かれています。
死亡した原因。
そして、死亡時刻。
この記録から救える命はなかったのか手がかりを探ることにしました。
リストをもとに作成した一人一人が亡くなった場所を示す地図です。
震源は淡路島付近。
犠牲者は赤で示します。
神戸市と、その周辺を見ます。
大規模な火災に見舞われた神戸市長田区。
家屋の全壊の割合が最も高かった東灘区。
震度7を記録した場所に犠牲者が集中しています。
今回、リストの死亡時刻から時間の経過に合わせた分析が初めて可能になりました。
生存者は青で示します。
命が次々と奪われていったことが分かります。
私たちは、さらに当時の記録を集めました。
救助に当たった消防の活動記録建物の被害調査。
そして、震災当日に撮影された被災地の航空写真などです。
これらのデータを検案書の記録と組み合わせて分析。
最新の技術で可視化しました。
地震発生当日に亡くなった5036人、一人一人の記録。
そこに、44万棟の建物被害のデータを重ねます。
さらに、当日発生した205件の火災の記録。
そして、道路のデータと消防の救助隊の動き。
これら膨大なデータを重ねました。
時間を追ってみていくと必要な対策をとっていれば救えたはずの命があることが分かってきました。
5人が生き埋めで、3人死亡2人救出という情報が入りました。
地震発生後NHKのカメラが捉えた最初の映像です。
すいませんここの家の方、大丈夫ですか。
分からないのよ。
いらっしゃるかもしれない。
まだ暗い中がれきの下に人がいないか捜す姿が記録されていました。
発生からの1時間この時間帯に亡くなったのは3842人。
当日、亡くなった人のうちおよそ75%の人たちでした。
建物の被害を表すデータと重ね合わせます。
多くの人が赤で示した全壊の建物で亡くなっていました。
その死因を分析すると意外な事実が分かってきました。
最も多い死因は建物の下敷きになった、圧迫死。
ところが、この圧迫死を検案書の記録から詳しく見ると即死を意味する圧死は8%。
一方、61%、2116人と最も多かったのが窒息死。
地震から、ある程度の間は生きていた可能性があったのです。
窒息で亡くなった人が最も多かったのが古くからの住宅街神戸市東灘区でした。
遺族の一人が取材に応じてくれました。
東灘区に住む野原久美子さんです。
近くに住んでいた父の幸助さんと母の範子さんを亡くしました。
今後の教訓にしてほしいとつらい記憶を語ってくれました。
死因は、ともに窒息死。
自宅が倒壊し下敷きとなりました。
両親が住んでいたのは築50年の木造住宅。
駆けつけたとき両親の最期の様子を近所の人から聞きました。
しばらくの間母・範子さんの声が聞こえていたというのです。
地震による窒息死はなぜ起こるのか。
当時、亡くなった200人の死因を調べた医師を訪ねました。
徳島大学医学部の西村明儒教授です。
窒息で亡くなった人にはある特徴がありました。
窒息で亡くなった人の大半は体の一部が白く変色していました。
何かに押された跡です。
口や鼻が塞がれた跡はありませんでした。
通常、呼吸は横隔膜や胸が動くことで行われます。
しかし、柱や、はりが腹にのると横隔膜の動きが止められ呼吸ができなくなります。
外傷性窒息と呼ばれています。
胸の上にのればろっ骨が折れない程度の重さでも呼吸ができなくなります。
足に当たればけがで済むような場合でも腹や胸が圧迫されれば窒息死が起こるおそれがあるのです。
検案書のデータは窒息死が誰にでも起こりうることを示しています。
高齢者が多い一方体力のある20代も160人が亡くなっています。
地図で見ると、神戸市の東部大学が多い地域に集中しています。
地震発生当日の航空写真。
屋根が崩れ建物が倒壊した場所が目立ちます。
耐震性の低い、古い木造の建物が多く倒壊していました。
この地域で亡くなった一人。
森渉さんです。
当時、大学4年生で一人暮らしをしていました。
2階だけが残ったアパート。
渉さんは、押し潰された1階で見つかりました。
母の尚江さんです。
今も消えない思いがあります。
尚江さんは、渉さんと一緒に部屋探しをしました。
渉さんは親に負担をかけたくないと家賃の安い木造アパートを借りました。
あのとき丈夫な建物を選んでいれば…。
渉…。
建物の倒壊による窒息死。
渉さんの周りでも多くの20代の若者が亡くなりました。
窒息死を防ぐ方法、それは建物の耐震化しかありません。
震度6強の揺れで倒壊のおそれがある危険な住宅は今も全国に900万棟。
一刻も早い耐震化が求められています。
地震発生から1時間。
当日、亡くなった人のうち900人以上の人が助けを待っていました。
この人たちを襲ったのが地震から時間を置いて発生した火災でした。
地震当日に起きた火災。
消防の記録では205件に上りました。
火災を時間ごとに分析すると意外な傾向が見えてきました。
地震直後の火災は113件。
ところが1時間後以降にも92件発生。
命を奪っていたのです。
その現場の一つを見ます。
神戸市長田区の大正筋商店街の映像。
地震から4時間後に突然、出火したという証言が残されていました。
この火災に巻き込まれた藪下朝子さんです。
一人暮らしをしていたアパートが倒壊。
その下に閉じ込められました。
隣に住んでいた女性は助けを求める声を聞いていました。
火災は地震から4時間後に発生。
藪下さんのアパートにも燃え広がりました。
藪下さんの妹・西山博子さんです。
焼け跡に駆けつけた西山さん。
見つけたのは変わり果てた姉の姿でした。
地震直後ではなく1時間後以降に発生した火災。
亡くなった人は85人に上りました。
なぜ、火災は時間を置いて発生したのか。
手がかりが消防の記録に残されていました。
大正筋商店街の火災の目撃証言。
「停電後一時通電されその直後に煙が出始めた」と記されていました。
当時、ある原因が疑われました。
地震後、電気が復旧したあと電気器具などから出火する通電火災と呼ばれる現象です。
しかし、消防は大正筋商店街のような大規模な火災の多くを原因不明としました。
すべてが燃えてしまい火元の特定ができなかったためです。
取材を進めると鍵となるデータを持つ研究者がいることが分かりました。
山梨大学の秦康範准教授です。
防災が専門の秦さんはライフラインの調査を通じて被災地の電気が復旧した時間を入手していました。
私たちは秦さんが持つデータをもとに火災との関係を可視化することにしました。
ほぼ全域で停電していた被災地。
通電を開始した地域を黄色で表示します。
時間がたつにつれ東から西の地域へ電気が復旧していきます。
電柱の倒壊などで電気が通らない場所もありますが昼過ぎまでに多くの地域で復旧しました。
このデータと火災の出火時間を一つの画面に重ね合わせることで通電と火災との関係が分析できます。
通電と火災の関係を可視化する初めての試み。
火災が専門の関澤愛教授にも検証を依頼しました。
2人は、通電から2時間以内に起きた火災は通電火災の疑いが強いとしています。
画面をもとに検証を始めます。
地震から1時間後まず、東の地域で通電が始まります。
すると10分の間に次々と火災が発生。
9件に上ります。
さらに神戸の中心部でも通電後、すぐに出火。
その後、西側の地域では6件の火災が相次いで発生しました。
大正筋商店街の火災。
ここも通電後に出火していました。
今回の分析で通電火災の疑いが強まったのは39件。
地震から1時間後以降に起きた火災の40%あまりに上りました。
時間を置いて起きる通電火災の実態が初めて明らかになったのです。
通電火災はどのようにして発生するのか。
地震が起きたあとの部屋を想定した実験です。
一般的な電気ストーブには転倒するとスイッチが切れる安全装置がついています。
地震で机などの家具に押し込まれ働かないケースを想定しました。
通電すると電気ストーブの電源が入り、発熱。
6分後上を覆っている服から出火。
12分後には火は天井まで達しました。
地震のあとには通電火災によって命が危険にさらされるリスクが高まるのです。
対策として最も有効なのは感震ブレーカー。
地震の強い揺れで、自動的にブレーカーが落ちる仕組みです。
電気をもとから断ち通電火災を防ぎます。
3000円程度で購入できるものもあります。
購入に補助金を出す自治体もありますが、ごく僅か。
普及率は、国の調査で6%にとどまっています。
専門家が今のままでは大きな被害が出ると危惧するのが首都直下地震です。
最悪の場合、火災で1万6000人の死者が出ると想定されています。
対策をすれば、救えるはずの命。
しかし、その危険性は放置されたままです。
地震から5時間後。
被災地は新たな局面を迎えていました。
このとき当日、亡くなった人のうち500人近くが生存していました。
おーい、大丈夫か?田中さん。
その一方で、救助の手は圧倒的に不足していました。
兵庫県は午前10時全国の消防に応援を要請。
当日、180の消防隊が被災地に向かいましたがある問題が立ちはだかりました。
実は小さな異変から起きた深刻な渋滞が救助を阻んでいたことが分かってきたのです。
三重県から救助に向かった人がいます。
東庸介さんです。
行き先は、最も多くの犠牲者が出ることになる東灘区でした。
東さんは午後3時過ぎに大阪の中心部を通過します。
高速道路が倒壊したため神戸に向かう幹線道路国道2号線に向かいました。
通常なら神戸まで1時間。
しかし、全く動かなくなりました。
渋滞の原因はなんだったのか。
国土地理院が当日、午後3時ごろに撮影した航空写真です。
170枚を最新の技術でつなぎ合わせました。
東さんが進もうとした国道2号線です。
午後3時、多くの人が生きて救助を待っていました。
目的地の東灘区だけでその数は150人。
渋滞を東さんがいた大阪側から見ていきます。
神戸に向かう片側2車線の道路が車で埋まっています。
先頭までの距離は18km。
渋滞の先頭です。
ここで一体、何が起きていたのか。
その現場を撮影した写真。
実は橋桁がずれ30cmほどの段差ができていたのです。
2号線は大渋滞しています。
夜7時ごろの映像です。
車は段差の小さい歩道へ、う回。
しかし、渋滞は一向に解消されませんでした。
人々の行動も渋滞を悪化させていました。
航空写真を見ると車の多くが一般の乗用車でした。
当日、なぜ車を使ったのかアンケートが残されていました。
最も多かったのが家族や友人の安否確認。
救助隊の行く手を阻む原因の一つになっていました。
応援が来ない中、地元の消防は限られた人数と機材で救助に当たっていました。
東灘消防署の花山昇さんです。
当時、記したメモです。
救助できた人には「○」助けられなかった人には「×」が記されています。
住民に助けを求められても応えきれなかった無念の思いを今も抱えています。
町の中、渋滞してる中を消防車や救急車が走っていってます。
渋滞が続く国道2号線では苦肉の対応が始まっていました。
警察が先導し消防車は反対車線を走行。
東さんたちは午後8時半ようやく東灘区に着きました。
大阪から神戸まで通常の5倍以上の時間がかかっていました。
東さんが渋滞にぶつかった午後3時過ぎ生きて助けを待っていた多くの人たち。
しかし、渋滞で動けない中命が次々と奪われます。
午後8時半にはほとんどの人たちが亡くなりました。
この日東灘区に到着した消防隊は11。
東さんのようにすべて、夜になってからでした。
救助を阻んだ渋滞への対策はさまざまな形で進められてきました。
国土交通省は道路に被害が生じてもいち早く簡単に復旧させる訓練を重ねています。
また、警察も災害発生時の緊急道路を指定し一般車両の通行規制を行うことにしています。
しかし、大地震で渋滞が起きるリスクは変わっていないと指摘する専門家がいます。
名古屋大学の廣井悠准教授です。
注目するのは東日本大震災で発生した渋滞。
調査の結果安否確認のための車の利用が依然として最も多かったのです。
さらに帰宅困難者が車道にあふれ渋滞を悪化させていました。
首都圏を大地震が襲ったらどうなるのか。
通行規制が働かない最悪の場合をシミュレーションしました。
白い点は時速10km以上赤はそれ以下、渋滞を表します。
地震から30分。
安否確認の車などで渋滞が発生します。
1時間後多くの幹線道路が渋滞し身動きが取れなくなります。
災害時に、どう行動するのか私たち自身が問われています。
阪神・淡路大震災から21年。
震災の犠牲者を悼む場所慰霊と復興のモニュメントです。
藪下朝子ね。
ここにね…藪下朝子。
地震から4時間後に起きた火災に巻き込まれた藪下朝子さん。
妹の西山博子さんです。
姉の朝子さんの近くに住み毎晩のように食事をともにしていました。
あの日、その日常は突然、絶たれました。
今回、入手した一人一人の死の記録。
浮き彫りにしたのは備えがあれば救えた命はあったという重い現実でした。
窒息死を防ぐ、住宅の耐震化。
命を奪う、通電火災への備え。
救助を阻む、渋滞への対策。
いずれも、その重要性が一度は指摘されました。
しかし、震災の記憶は薄れ対策は不十分なままです。
あの日の悲しみを繰り返さないために。
大切な人を失わないように。
一人一人から託されたメッセージを胸に私たちは命を守るための一歩を踏み出さなければならないのです。
2016/01/17(日) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル▽震度7 何が生死を分けたのか〜埋もれたデータ 21年目の真実[字]

6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災。「生と死」に関する膨大なデータを分析すると、何が命を奪ったのか、その真の姿が明らかに。大地震からどう命を守るか考える。

詳細情報
番組内容
21年前、被災直後に集められた「生と死」に関するデータ。死の原因、家屋の倒壊状況、火災の広がり方、救助の動き…。数十万件におよぶデータはさまざまな教訓を導き出した一方で、必ずしも十分な分析を受けないまま残されてきた。これらを最新の「データビジュアライゼーション技術」で、時間経過も組み合わせて分析すると、都市直下地震がどのように命を奪うのか、その知られざる姿、そして残されたままの課題が見えてきた。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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