すしざんまい社長・木村清氏の心意気「ニッポンのマグロは私たちが守る!!」

’01年に第1号店を東京・築地場外市場に「すしざんまい 本店」をオープン。現在では北海道から九州まで、51店舗を展開。その多くが年中無休24時間営業で、本格的な寿司を手ごろな価格で楽しむことができるという、それまでの寿司屋の常識を覆したのが、株式会社喜代村の木村清社長だ。

木村清社長 日本の正月の新たな風物詩ともなった、「すしざんまいの社長」による、築地初セリでの、クロマグロの競り落し合戦。14年には1億5540万円での落札となり、単なる「話題」を超え、喧々囂々の議論の種にさえなった。名物社長の、マグロと商売にかける思いとは。

35坪で年間10億を売り上げる驚異的な寿司屋


――市場といえば「朝」のイメージですが、今の築地場外市場は、平日の昼過ぎや週末でも人通りが絶えませんね。特に最近では外国人観光客の人数もぐんと増えた印象を受けます。

木村:そう。ものすごい人でしょ。でもほんの10数年前は、業務筋の買い出しが終わる昼前にはもう人通りが絶えていました。まるでシャッター通りです。見かねた私の知人が、場外市場に人を集めてほしい、ちょうど空き店舗があるから何かやってもらえないかという話を持ち込んできました。それが「すしざんまい」のきっかけだったんです。「あんなところで今さら寿司屋をやっても」という人もいましたが、私には勝算がありました。実際、35坪、40数席の店で、年間売り上げは10億円、1日の客回転率が23.5という、驚異的な店ができたわけです。うちの店を目当てに人が集まるようになり、市場らしい賑わいも戻ってきました。気がつけば「築地で買い物をして寿司を食べる」というのが東京観光の定番コースになっていたというわけです。

――勝算とは?

木村:築地といえばやっぱり、新鮮な魚でしょ。場外市場にはいろんなものを売っていますが、一般の人が期待するのはやっぱり魚だし、寿司なんです。ところが、いざ足を運んでも、昼近くになればほとんどの店は閉まっていて、「なんだ、築地に行けばうまそうなものがあるかと思ったが、何もない」と思われてしまう。これじゃあ廃れても当然ですよね。だから私は、年中無休24時間営業で寿司屋をやろうと思ったんです。いつ行っても、うまい寿司が手ごろな価格で食べられる。しかもそれが築地にあるとなれば、絶対にお客が集まってくるはずだと考えたわけです。築地の場外にどういう店があったらお客が喜んでくれるかを考えて「すしざんまい」をつくったのです。

築地市場の初競り

北海道から九州まで51店舗を展開する「すしざんまい」。築地市場の初競りで報じられる木村社長の姿はお正月の風物詩。

日本のマグロ漁と中国のマグロ漁は違う!


――最近、中国のマグロの漁獲量が増えています。「日本の食文化を守る」とおっしゃっている木村社長としては、「すしざんまい」を訪れた中国人がマグロの美味しさを知って、中国でのマグロ人気がさらに高まってしまうと、忸怩たる思いもあるのでは?

木村:その認識が間違っているんです。中国人がいくらマグロを好きになるといっても、毎日寿司を食べるわけじゃないでしょ。刺身としてマグロを食べる量なんて、たかが知れているんです。どんどん食べてもらえばいいじゃないですか。問題なのは、生食用のマグロじゃないんです。ツナ缶用のマグロなんです。彼らが獲っているマグロの9割はツナ缶用にまわされています。しかもそのマグロは、「幼魚」と言ってもいい、まだ小さいサイズのマグロ。ツナ缶で油漬けにしてしまうなら、マグロの大きさなんか関係ないですからね。だから、小さいマグロまでどんどん獲ってしまうんですよ。あと3年泳がせておけば10倍の大きさに育つのに、それを待たずにどんどん獲ってしまう。そういうところをちゃんと見ないで、マグロ資源の保護だとか、漁獲量の制限なんてことをやっていると、おかしなことになるんじゃないですか。

――確かにクロマグロは一時減少しましたが、ICCAT(大西洋まぐろ類保存国際委員会)の漁獲規制などで資源量が回復し、今では漁獲規制が緩和されていますね。

木村:そう。でも、だからといってまだ小さいマグロまで獲っていいのでしょうか。私たちは、クロマグロの備蓄システムを開発・確立し、15年掛けて、現在、北大西洋では一日で一年分の二万数千トン獲れるようにしました。漁獲規制で「とにかくクロマグロを獲るな」というだけでは、何の解決にもならないと思います。

――まるで木村社長が日本の水産行政を担っているようです。

国別マグロ類の漁獲量

国別マグロ類の漁獲量

木村:好きでやっているんじゃないですよ。水産資源のことをもっと皆が時間をかけてちゃんと勉強し、とことん議論を尽してないから、一部の狂信的な自然保護団体の理不尽なクレームに右往左往してしまうのではないでしょうか。彼らの言っていることが、本当の自然保護につながっているのでしょうか? 私はちゃんと調べて、筋の通ったことを言っているつもりです。だから私が言っていることも、彼らは納得してくれています。

 インタビュー中の木村社長の話し方は、ひと言ひと言が力強く、圧倒的な説得力を持ち、熱い思いがヒシヒシと伝わってくる。しかし、決して「乱暴」な話し方ではない。自分の言いたいことや思いが次から次へとあふれてくるのだ。このパワーが、好調に出店を続ける「すしざんまい」の原動力となっているのだろう。

波瀾万丈!木村清氏の来歴


1952年:千葉県東葛飾郡関宿町木間ヶ瀬(現 野田市)に生まれる。4歳のとき、父親が他界する。

1968年:中学校を卒業。F104のパイロットをめざして航空自衛隊第4術科学校生徒隊に入隊するも、通信兵を養成するための学校だったことを知る。失望するも、厳しい訓練の毎日に耐える。

1970年:大検に合格したことで、航空操縦学生になる資格を取得。

1972年:中央大学法学部(通信制)入学。司法試験合格を目指し、通信教育で学ぶ。

1973年:事故で目を患い、パイロットを断念。同年、航空自衛隊退官。

1974年:中央大学入学後、2年で司法試験の択一式試験に合格するも、学費を捻出するため、百科事典の訪問販売など、数々のアルバイトに精を出す。その後、大洋漁業(現・マルハニチロ)の子会社で、冷凍食品などを扱う新洋商事に入社。3か月間のアルバイトの予定だったが、水産や食材に深い興味を持ち、正社員に。

1979年:それまでの経験と知識を活かし独立、木村商店を創業。お弁当・寿司ネタなどの開発・製造・販売、世界各国の海産物の輸入・販売ガリの製造から本マグロの漁獲販売までを手がけるほか、カラオケボックスレンタルビデオ店、コンビニなども経営。手がけた業種業態は90に及ぶ。同年、中央大学卒業。

1985年:株式会社喜代村を設立。それまで多角化してきた事業を「水産食品」「弁当」「寿司」「商品開発」の4部門に絞って経営。順調に事業を拡大するも、バブル崩壊でメインバンクの裏切に合い、止むなく、事業を縮小。最後に手元に残っていた資金300万円で、築地に「喜よ寿司」を開業。

2001年:日本で初めての年中無休、24時間営業のすし店「すしざんまい本店」を開業。またたく間に店舗数を増やす。

2006年:寿司職人の養成学校「喜代村塾」開校。

2013年:初競りで、大間産の本マグロを1億5540万円で落札し話題に。アフリカ・ソマリア沖の海賊問題解決と、同海域でのマグロ漁場開拓のため、ソマリアの新政府に、民間による漁業支援を申し出る。

2014年:築地市場が豊洲に移転するのに合わせ、同地に新たな「場外観光拠点」として、応募した「千客万来施設」が採用される。

2015年:「千客万来施設」建設・運営の辞退を発表。

― すしざんまい木村清社長「ニッポンのマグロは私たちが守る!!」 ―


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