30年前とどう変わった!?今と昔の竹下通りの変化を大調査!
今日(15日)、国内最大の面積を誇っていたマクドナルド原宿表参道店が閉店。
オープンからわずか3年でした。
流行の発信地・原宿は、ショップの入れ替わりが早い激戦区。
日々、目まぐるしく変化しているのです。
原宿をこよなく愛するきゃりーぱみゅぱみゅさんは…、高校生の頃に原宿系ファッションに出会って以来、今でも買い物に来ているといいます。
原宿は、今も昔も変わらずに、さまざまな流行を生み出してきました。
70年代後半には、派手な衣装で踊る『竹の子族』が流行。
スイーツでは、『クレープ店』に行列ができました。
80年代後半に入ると、芸能人のアンテナショップが軒をつらねて大行列に!
10代、20代のみなさん、知っていましたか~?
今回のココ調は、そんな流行の発信地・原宿の竹下通りが、30年前からどう変わったのかを調べます!
「それでは、こちらの資料を基に竹下通りを歩いてみたいと思います!行ってきます!」
竹下通りは、原宿駅前から明治通りまで続く、全長およそ380m。
その商店街で借りたマップと写真を見ながら、原宿の変化を見ていきます。
はたして何が、どう変わっているのでしょうか?
歩いていくと…、
まず、見えてきたのは『WEGO』。
こちらは、10代の男女から熱い支持を集める店で、流行のファッションアイテムを取り揃えています。
すると、こんな発見が。
「あれ、この写真と目の前の建物、手すりの感じは同じですが、当時はこの位置にマクドナルドは無かったようです」
その手すりがこちら。
およそ35年前の写真には、確かにマクドナルドが写っていません。
しかし、別の位置から撮ったもう一枚の写真には…。
今ある建物の横に、マクドナルドがありました。
そう、別の位置から撮った写真を見ると、マクドナルドが、今の位置から、隣の場所にずれています。
いったい、なぜなのでしょうか?
原宿で、47年間働く男性に聞いてみると…。
「原宿駅がこっちですから、(移動した先は)駅からも近い」
竹下通りは、原宿駅に近い方が、人の流れが多く、よい立地とされています。
そのため一店舗分移動したのでは、ということ。
さらに藤原リポーター。
またまた何かに気付いた様子。
「今ちょうどこの位置、当時の地図にはトコロズ・ファクトリーと書いてあります。たぶん、所ジョージさんのお店が以前はあったのではないかなと思いますね」
そう、80年代後半、竹下通りとその周辺には、芸能人のアンテナショップがたくさんあり、お店の周りは訪れた人で大混雑!
タレントショップといえば、当時アイドルだった森口博子さんや、お笑いタレント山田邦子さんのお店などのほか、人気アイドル歌手だった西田ひかるさんは、お店でお客さんをお出迎えしていたことも。
実は、当時、芸能人にとって、竹下通りに店を出すことは、一種のステータスで、行列は人気のバロメーターでした。
最盛期、タレントショップの数は、何と44。
ちなみに、大人気ショップだった所ジョージさんのお店は…。
現在は、タピオカドリンクの専門店になっていました。
そして、大人気の綿菓子専門店『TOTTI CANDY FACTRY(トッティキャンディファクトリー)』が入っているビルは…。
およそ35年前の写真を見てみると、当時流行っていた毛皮と皮の店が入っていました。
そこで、こんな検証を。
フジテレビの倉庫に眠っていた31年前の竹下通りのテープ。
そこには、当時の原宿の様子がしっかりと写っていました。
その映像とまったく同じカメラワークで撮影すると、どれだけ通りに変化があるのか調べます。
映像に残されていたのは、竹下通りのこの40mのブロック。
スタート地点は、当時、三角屋根のブティックがあり、現在は、マツモトキヨシが入っているこの建物の前。
では、スタート!
すると見えたのは…。
特徴的な手すり。
どうやら形は変わっていないようですが、色はシルバーからゴールドに代わっていました。
そして31年前は、肩パットが入った原色のスーツが飾られていましたが、現在はロリータファッションなどの店になっていました。
さらに進むと…。
洋服店があった場所には、揚げたてのポテトチップスが食べられるカルビーのお店が。
そして…。
当時、古本屋さんの看板があった場所には、『バーレスク』という店の看板が。
この店は、10代の女性に人気のショップ。
このように、資料映像にあったおよそ40メートルの区間だけでも、さまざまな変化がありました。
さらに、映像に写っていたこちらのクレープ店、ここは31年後の今もしっかりと残っていました。
1977年にオープンしたクレープ店で、いつも、このように混みあっています。
当時のことをオーナーさんに聞くと…。
「まったく人気がないというか、ぜんぜんお客が来てくれませんでした」
今では当たり前の生クリームやアイスのトッピングは、実はこのお店が“元祖”。
しかし当初は、斬新すぎてまったく売れなかったといいます。
そこでオーナーさんが目をつけたのが、メディアでした。
新聞・テレビ・雑誌にクレープを配り歩いて売り込み、ついに雑誌に載ったのです。
これが、一番初めに掲載された記事。
女性誌『anan』の小さな記事ですが、これが大反響に。
「(取材後に)お店に50~60人の行列が毎日できるようになり、それからいっぱいクレープ店が竹下通りに出来るようになりました」
さらに調査を進めていくと…。
「昔はこの建物の地下に『占い館』というものがあったそうです」
今は洋服屋さんが入っています。
この場所の地下にあった占いの館には、たくさんの若い女の子が相談に来ていたようですね。
実はこのお店、現在はこの場所にはありませんが、表通りから少し奥まった所で今もやっています。
こちらが、その占いの館「塔里木(タリム)」。
昔と変わらず、常に複数の占い師が在籍していて、好きな方に占ってもらうことができます。
オーナーの岸さんは父親の後を継いだ2代目。
小学生の頃に起きた占いブームは、どのようにうつっていたのでしょうか?
「(朝に)お店のシャッターを開けると、約50人の方が並んでいて、早い方は前日から並んでいて、順番を取る方もいました」
当時は、一つの建物に色んな占い師がいることが珍しく、週刊誌で取り上げられて人気になったようです。
目まぐるしく変わる原宿の竹下通り。
現在、大型の複合施設が工事中で、2017年に完成予定。
まだまだ大きく変わりそうです。
取材にご協力いただいたみなさん、本当にありがとうございました。