こんにちは。
本日のブログは昨日の続き。
80年代の後半にデビューしてから数年後、
SMAPはファンの支持を飛び越えて
ファンだけのためのアイドルではなく
老若男女誰でも知っている「国民的なアイドル」に
なりました。そのきっかけになったのは
96年から放映されているSMAP×SMAPでしょう。
まぁまぁおもしろいコントに
それなりにおいしそうな料理対決、
ゲストを交えての歌。
どれも「そこそこ」楽しめるコーナーを
揃えたこの番組は現在も続いています。
積極的に観たいというもんでもないけどテレビが
お茶の間で流れていないのも味気ない。
そういう視聴者によってこの番組は
20年続いてきました。現在もこの番組構成は
殆ど変わっていない。偉大なるマンネリです。
このスマスマという番組を通じて
おじいちゃんとおばあちゃん、お父さんとお母さん
子どもたちはSMAPという存在を共有し合った結果
SMAPは「いつになっても変わる事のない存在」と
なっていったように思えます。
別に大ファンではないけど
日常生活の中にあるおなじみの存在と
いった具合に。
いつになっても変わることのない存在。
これは言い換えれば、変わることが許されない存在です。
年をとらず、成長もせず同じ箱庭みたいな環境の中で
いつまでも同じであり続ける。そんな彼らに
僕は時間軸や成長に絡む物語性が省かれた
常に1話完結のギャグマンガに出てくる人物のような
悲哀を感じるのです。変わる事が許されないからこそ
彼らは今日に至るまで解散ができなかった。
なにも今回の件だけじゃありません。SMAPって
森君の脱退や吾郎ちゃんの交通事故及び公務執行妨害、
草彅 剛の全裸逮捕など、客観的に見て
「それは解散に繋がってもおかしくないよ」という
トラブルに、常に見舞われていたグループでもあった。
普通に考えて5人のうち2人。ぶっちゃけ4割が
警察のお世話になっているアイドルっていう事になります。
ありえねぇだろ、普通!
それでも彼らはアイドルであり続けられた。
これはファンや事務所の意向だけでなく、
メディアを通じて常に目にしていたSMAPという
アイドルグループが変貌したり消えたりするのを
どこかで嫌っていたからではないだろうか?
自分らの「変わらない日常を補うためのツール」として
僕らはどこかでSMAPを必要としていたんではないのか?
だからこそSMAPは「勢い」や「若さ」が衰えても
彼らはアイドルでいられたのだろうと
思うのです。
いつになっても変わらないアイドル。
実際はそんな存在などいないと誰もがわかっているけど
多くの人はその役割をSMAPに担わせていたのでは
ないでしょうか?他の若手グループが台頭しており
年齢的にも40代になったSMAPは、どちらにせよ
下り坂にいることは間違いありません。
(あくまでアイドルとして)そんなグループの
解散にここまで大騒ぎになるという事象を見て
もうそろそろ、SMAPを箱庭から解放
してあげたら?と
思ったりしています。
今、SMAPに必要な事は事務所の移籍でも、
活動の継続でもありません。
今回の騒ぎをきっかけに解散してアイドルを脱却したあと、
個人個人が「スター」としての成熟を目指す事なんじゃないかと
僕は思うのです。
Smap Vest [ SMAP ] |
※心あるファンだったらジャニーズ脱退を後押しして
個人の活動を応援!だと思うな。