
★2002/06/03(月)★
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〜最後の宣教師『東洋vs.西洋』〜
みなさん、おはようございます。ノビタです。
2回に渡って、「東洋思想と西洋思想の対決と受容」をお話しました。
⇒『西洋思想と東洋思想vol.1 〜宣教師ザビエルvs.禅僧〜』
⇒『西洋思想と東洋思想vol.2 〜ドイツ哲学者vs.日本の弓術〜』
今回は最終回。私自身の思想体験をお話ししようと思います。
今回の話は、今までほとんど誰にも語ったことのない、私の秘密の話です。
長文ですし、重いテーマなので、お暇な時にどうぞ。
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みなさんの中で、キリスト教の本質を理解している方はいらっしゃるだろうか?
恐らく、ほとんどいらっしゃらないと思う。
私はというと、多少なりともキリスト教の本質を理解しているつもりだ。
何故なら、私は母親の影響で、10歳までキリスト教徒だったからである。
幼稚園は教会の付属幼稚園に通ったし、毎週日曜日は教会で祈りを捧げた。
当然ながらクリスマスは、パーティーなどせず、教会で静かに過ごした。
しかし、それは私の本意ではなかったのである。
幼い私に判断力はない。つまり、私は何の選択もなしに、母親の都合でキリスト
教を受け入れなければならなかったのである。そして、時間は流れた・・・
私は10歳の時、ある書物を読んだ。その書物は私に衝撃を投げかけた。
私の世界観は変わり、その時、私は自分の意志で、キリスト教を捨てた。
そして、それ以来、無宗教で通している。
私に衝撃を与えたその書物の名は「西洋紀聞」。
江戸時代を通じて最高の学者といわれる、新井白石の著作である。
今回は私が衝撃を受けた「西洋紀聞」のエピソードをお話ししよう。
(注:当然ながら、10歳の私に原典が読めるわけはなく、解説書を読んだ)
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〜新井白石とシドッチ〜
1708年、屋久島にジョバンニ・シドッチというイタリア人宣教師がやってきた。
ローマ法王が日本に派遣していた宣教師は英才中の英才ばかりであり、しかも、
彼が日本の前に立ち寄ったマニラでの異常なまでの名声を考えると、極めて優秀
な人間だったことが分かる。
しかし、日本に来た時代が悪かった。
1708年という年は、江戸時代のバブル期である「元禄時代」もとっくに終わって
おり、キリシタン一揆「島原の乱」が終結してからも、70年が経過していた。
もはや鎖国されて久しく、日本でキリスト教が禁じられていることはローマ法王
庁でも十分に知られおり、当然ながら日本には一人も宣教師がいなかった。
そんな中、シドッチは死を覚悟して、日本に乗り込んだのである。彼は刀を持ち
チョンマゲを結っていたが、あまりにも怪しすぎるため、上陸後、すぐに捕らえ
られた。
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シドッチを捕らえてみたものの、当時の幕府の役人たちは当惑した。
もう、日本には「隠れキリシタン」を除いて、キリスト教徒はいないのである。
どのように対応すれば良いのか?
以前であればキリシタン信者は、拷問を受け、処刑されるところであるが、当時
の学識者である新井白石がそれをやめさせた。
シドッチは拷問も処刑もされず、キリシタン屋敷に閉じ込められたというものの
布教をしないという条件で、彼自身が神に祈ることすら許されたのである。
当時の状況を考えると、これは非常に寛大な処置だったといえよう。
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新井白石はシドッチに興味を持ち、彼に会うことにした。
ここに東洋と西洋双方の、超一流知識人による会談が実現したのである。
以下、新井白石の著作「西洋紀聞」からの抜粋意訳。
□新井白石vs.シドッチ
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その日、シドッチは冬にも関わらず、夏服を着ていた。新井白石は憐れに思い、
冬服を与えようとするが、シドッチは断固として受け取らない。
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「私はキリスト教徒以外から、モノをもらいません。食事は仕方がないとは
いえ、それ以外のモノをいただくわけにはいきません。」
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さらにシドッチは言う。
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「私が日本に来たのは、キリスト教を布教し、世を救おうと思ったからです。
しかし、私が日本に来てからというものの、多くの人々に迷惑をかけており、
私は大変、心苦しく思っております。」
「年末に近づき、どんどん寒くなっています。雪も降っています。
その中で、多くの人々が私を警護しているのが、誠に申し訳ないと思います。
みなさんも命令を受けて警護している以上、力を抜くわけにはいかないで
しょうが、昼はともかく、夜は私を鎖で縛り、安心してお休みください。」
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その場に居合わせた奉行や侍たちは、この言葉を聞いて、感動した。
(注:新井白石は素直に感動しなかったようだが、そのエピソードは省略する)
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シドッチは宣教師だったが、一方、優れた学者でもあった。
新井白石は、シドッチが語る西洋科学に感銘を受け、聞くべきことは聞き、採る
べきものは採用した。一方、シドッチも「新井白石は500年に一度しか現れない
人物だ」と絶賛している。新井白石とシドッチはお互い尊敬していたようだ。
しかし、新井白石は、科学者としてのシドッチには尊敬をしていたが、宣教師と
してのシドッチには全く興味を示さなかった。
シドッチからキリスト教の話を聞き、新井白石はこう感想を述べている。
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「キリスト教では、神が宇宙を創造したというが、その神はどうやって生まれた
のか? もし、神が自力で生まれたとするならば、宇宙が自力で生まれないと
いう理由が見つからない。非常に説得力に欠ける。」
「しかも、神は人間を憐れに思い、イエスを地上に遣わし、イエスが人々に代わ
って罪をつぐなったというが、まるで幼児のたわ言ではないか。愚かな話だ。
私には全く理解ができない。」
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このくだりを読んだ時、私は「ハッ!」とさせられた。
今から300年前の日本人が、キリスト教に異議をとなえている。
その異議が正しいかどうかは、問題ではない。
私自身が、何の疑いもなしに、ただ惰性でキリスト教徒となっているという事実
に衝撃を受けたのだった。
実は、当時の私は知らなかったのだが、キリスト教に対する日本人のこのような
疑問は、フランシスコ・ザビエルの頃からあった。
ザビエルは1552年1月29日付けの手紙でこう書いている。
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「日本人は、論理的思考を好みます。故に私が地球が丸いことや、雨の原因につ
いて説明すると、彼らは夢中になるのでした。」
「しかし、私が”全能である神が、悪魔を含む全宇宙を創造した”と話しても、
彼らは納得しないのです。なぜ、善である神が、悪魔を創造したのか?
全能である神が、人間をこれほど弱く、罪を犯しやすいように造ったのか?
このように質問してくるのです。」
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さて、先ほども述べたが、シドッチはキリスト教を布教しないという約束で、
キリシタン屋敷で暮らすことを許された。しかし、彼は布教するために、命を
かけてやってきたのだ。布教をしないで死ぬことはできなかったのだろう。
とうとう、彼はその禁を破った。
そして「長助&おはる事件」が起こるのである。
この事件こそが、私にさらなる衝撃を与え、キリスト教を捨てることを決意させ
た事件であった。再度、「西洋紀聞」から抜粋意訳をしよう。
□「長助&おはる事件」
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長助とおはるは夫婦であった。
そして、二人ともシドッチの身の回りの世話をしていた。
しかし、ある日突然、二人が幕府の役人に自首したのである。
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「私たちは、キリスト教が禁じられていることを知りませんでした。
私たちはシドッチに仕えてから、彼の立派さに心を打たれて、キリスト教徒に
なってしまいました。でも、禁じられているのであれば、私たちはどんな罰を
も、お受けいたします。」
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国禁を破り、重罪を犯したのである。長助とおはるは別々の牢に入れられ、その
後、約束を破って布教したシドッチも牢に入れられた。
シドッチはこの時初めて、その真情をあらわし、こう叫んだ。
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「長助! おはる! 信仰を捨てるな! 死をかけても志を変えるな!!!」
(其信を固くして、死に至て志を変ずまじき)
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彼の叫び声は昼夜を問わず、響いたという。
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私はこのくだりを読んだ時、かつてないほどキリスト教に幻滅を感じた。
何故、シドッチは二人に「生きろ!」と言わなかったのか?
確かに、命よりも大事なものはある。(人によってだが)
シドッチが自分の信仰のために、命を捨てるのは、何の問題もない。
しかし、なぜ、それを二人に強要するのか?
信仰とは心の奥底の問題である。
生きるために、表面上、信仰を捨てたと見せかけても良いではないか。
貴方にとって、信仰とは、長助とおはるの命よりも重いものなのか?
私は貴方に、こう言ってもらいたかった。
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「長助、おはる、信仰を心の底で守りながら、生き抜くのだ。
そして、この教えをいつの日か、必ず誰かに伝えよ。」
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私はその夜、新約聖書を捨てた。
そして、二度と教会には通っていない。
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〜最後に〜
みなさん、いかがだっただろうか?
かなり強烈なメッセージだったかもしれない。
ただ念を押しておきたいのは、これは私個人の思想変遷であり、宗教の優劣を
語るものではない。というわけで、変なメールを送ってこないように(笑)
私自身、キリスト教には感謝をしている。私は幼い頃、キリスト教に触れた事
によって、道徳を身に付け、西洋的思考法を手に入れた。
私が師事した方は、非常に高潔な方だった。金を貯め、女を抱き、葬式の仕事
ばかりしている腐れ坊主どもに爪のアカを煎じて飲ましてやりたいくらいだ。
彼は私に、時には厳しく、そして時には優しくキリスト教的「愛」を注いだ。
彼のことは今でも尊敬している。
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最後にシドッチの死を書いて、筆を置こうと思う。
西洋紀聞によると、「長助&おはる事件」の翌年に長助は病死。シドッチは、
その二週間後に病死した。長助は55歳、シドッチは47歳だったという。
しかし、当時の様子を描くその他の資料によると、「固く縛られて憤死した」
「穴の中に閉じ込められて窒息死した」「狭い壁の中に入れられて餓死した」
とある。「病死」であって欲しいと願うのは、私だけではあるまい。
布教のため命をかけて、日本にやってきたイタリア人宣教師、シドッチ。
彼は命の代償として、二人の信者を獲得し、そして、その二人の命をも奪った。
彼は幸せだったのだろうか?
シドッチの死後、明治に入るまで日本には宣教師がこなかった。
