感情吐き出して今すぐ素直になれ。
モーニング娘。の道重さゆみちゃんは名古屋にあるCBCラジオで「今夜もうさちゃんピース」というレギュラー番組をやっていて、数週間前までは私もそれを聴いていた。
今週は金曜日の深夜にこの番組の収録があったようなのだが、所属事務所の菊川氏が、その様子などをストリーミングで配信していたようなのだ。
そこで、最近気になるアイドルについて聞かれた道重さゆみちゃんは、名前を出しても良いかどうかを周りの人に確認した上で、指でローマ字のA、K、B、そして、数字の4と8を示し、さらにポニーテールを表すようなジェスチャーをしたのだという。
2007年8月にオーサカキングのラジオ公開録音に出演した際、翌週のゲストがAKB48だと発表されると、道重さゆみちゃんは、「いいなぁ」と呟いていた。私はこの場面を現地で直に目撃した。
最近の道重さゆみちゃんのブログにおいて、AKB48のシングルを連想させるポニーテールとシュシュを持ち出すと、一部の閉鎖的で余裕の無いハロプロヲタクさんは、ポニーテールもシュシュも女の子にとっては普通によく使う単語であり、AKB48のことなど意識しているはずがないと、必死に主張していた。
また、別の日のブログでは、その日に見たテレビ番組の名前を羅列していたが、一つだけ「アイドル番組」とボヤかしていた。曜日や時間帯から考えて、AKB48のレギュラー番組である「AKBINGO!」の可能性が考えられたのだが、ここでも一部の排他的で余裕の無いハロプロヲタクさんは、アイドリング!!に違いない、AKB48であるはずがない、と力の限りに叫んでいた。
つい先週は、道重さゆみちゃんが「めちゃイケ!」の「ブサイクコロシアム」のコーナーがとても面白かったと書いていたが、ゲストはAKB48のメンバー数名だった。さらに、同じ記事には、道重さゆみちゃんが田中れいなちゃんと一緒になって、AKB48の代表曲である「会いたかった」の振り付けに似たポーズをしている写真が添えられていた。記事のタイトルは、一見すると内容と無関係なようにも見える「向上心!↑」というものだった。
この週はAKB48の「ポニーテールとシュシュ」のシングルが発売され、50万枚出荷などと話題になっていた。最近のモーニング娘。のシングルの売上に対して、10倍以上である。CDのみならず、特典などが一切付かないiTunesのランキングでも上位をキープしていることからも、この曲が売れに売れたことは明白である。
このような現実から目を背け、所詮は一部の盲目的なヲタクが握手券や投票券目当てに大量買いしているに過ぎず、一般的には全然浸透していないことにしておきたい人達もいる。人の趣味嗜好は様々であり、現在のAKB48のキラキラ感やポップ感覚よりも、モーニング娘。のダンススキルだとかパフォーマンス力とやらが好きな人がいるのは尤もな話である。売れているから必ずしも優れている訳ではないし、逆に売れているから低俗で劣っている訳でもない。自分に合った、自分が好きだと思うものを聴いていればいいのだ。
現在のこのブログの読者の中にはご存知ない方も多数いらっしゃるかと思うのだが、実は、私はかつてはこのモーニング娘。の道重さゆみちゃんのファンであった。今でもたまにブログを読んだりしているのも、その頃の名残りである。
道重さゆみちゃんは本当に面白く、無限の可能性を秘めているようにも思えたので、応援しているのが楽しく、また、その度に成長する様を観察するのが生きがいに近いという時期もあった。
しかし、道重さゆみちゃんのファンの多くは、モーニング娘。やハロー!プロジェクトのファンでもあり、その中の一部狂信的な人達は、同業で最も市場からの支持を得ているAKB48やそのメンバーの名前を出すだけで不機嫌になったり激しく怒り出すような余裕の無さを見せていた。
また、卓越したダンススキルとパフォーマンス力を誇るというモーニング娘。の音楽は、私にとって、どんどん面白いと思えなくなり、その状況を打破する可能性も感じられないが、それをも盲目的に賛美していなければいけないような空気に違和感を覚えた。
道重さゆみちゃんは好きなのだが、一緒に映っっている一部モーニング娘。メンバーなどは、顔を見るだけで嫌気がさすようになってきた。そんな閉塞的な状況をを良しとする感じや、それらと積極的に馴れ合うことによって、私が自分勝手な妄想で勝手に期待した無限の可能性とやらを閉ざしていく道重さゆみちゃん自身にも、次第に魅力を感じなくなっていった。これ、もうファンでも何でもない。そうなったら、もう撤退するしかない。
ファンなんていうものは、所詮は自分がそうあって欲しいという理想を対象に投影しているに過ぎず、それが潰えた時点でお終いなのかもしれない。
私は、実は道重さゆみちゃんには、モーニング娘。現リーダー的なものを内心小馬鹿にしているぐらいでいてほしかったのだが、ブログでそのべったりぶりを目の当たりにし、また、同性愛妄想のようなもので気持悪く盛り上がる一部ファンと馴れ合っている様子を見て、正直幻滅したようなところがある。あれでかなり気持が冷めた。全く勝手なものである。
私はAKB48のグループとしての佇まいや楽曲が本当に大好きなので、この良さが分からない人は損をしているなと感じるのだが、私が現在の一部メンバーを除くモーニング娘。に対して薄ら寒さと寂寥感しか覚えないのと同様に、分からない人には永久に分からないのだろう。これはそれぞれの趣味嗜好であるから、刺激し合わない程度に上手くやれば良い。分かり合えないということを分かり合うのだ。
ゆえに、道重さゆみちゃんがAKB48に対して好意的であると事実上公言したことはひじょうに嬉しく、痛快ではあるのだが、過剰にネガティブになっているハロヲタ、モーヲタ属性が強いファンの気持ちも分からないでもない。
私としては、大好きなAKB48に好意的なタレントにはもれなく好意を抱くし、ゆえに道重さゆみちゃんと田中れいなちゃんはやはり好きだな。というか、趣味が合うな、というそんな感じである。
それにしても、道重さゆみちゃんがAKB48の名前を出す前に確認を取っていたということからすると、やはりハロー!プロジェクトのメンバーにとって、AKB48の名前を出すことははタブーみたいになっているのだろうか。同業で自社よりも売っている所があるならば、徹底的に研究して、学んだり差別化したりするならまだしも、名前を出すことも憚れる状況というのが、もう絶望的に古くて鈍い。これに疑問を呈すのが真っ当な神経だと思うのだが、空気を読んで大人しくしているのを良しとするお利口さんばかりが支持基盤なのかね。
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