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池田大作全集81巻より
青年部幹部会、学生部・未来部総会 (1992年9月12日)
■平気で「ウソ」をつく天才
スターリンが競争相手を失脚させる常套手段は、″ウソ″を言いふらすことであった。
たくみにウソをつき、「あいつは反レーニン主義者だ」などとレッテルを張り付け、攻撃したのである。また、自分を守り、飾り立てるためにも、多くのウソを作り出した。
師ともいうべき立場のレーニンが死んだ時のことである。彼は、″スターリンは後継者として、ふさわしくない″としたレーニンの遺言を、にぎりつぶした。
その一方、レーニンと自分が仲良く並んで座っている写真を、目につくさまざまな場所に掲げさせた。
自分こそがレーニンの″正統の後継ぎ″であると思わせるためであった。その写真は、合成や修正を加えて作った偽物であったという。
自分の欲望のために、″師匠″をも利用したのである。多くの人が「おかしい」と思ったが、全部、封殺されてしまった。
──皆は知らないだろう、とウソをつく。事実をねじまげ、さも本当らしく、言いつくろう。だが、その場は、うまくごまかしたつもりでいても、真実は隠せない。隠せたところで、ウソはウソである。なかんずく仏法の世界においては、ウソは必ず、いつか自分への刃となって返ってくる。
スターリンは、民衆に対して、レーニンの死を深く悲しんでいるかのように見せかけた。しかし、実際は狂喜していた。「彼の執務室に勤めていた職員は、レーニンの死後の数日ほど、彼が幸せそうに見えたことはなかったと、のちに語っている」(アルバート・マリン『スターリン 冷酷無残、その独裁政治』駐文館訳・刊)
彼は、権力の「座」にのぼりつめても、ウソをつき続けた。「スターリンはレーニンの仕事の立派な後継者」「スターリンは今日のレーニンである」(コククェスト、前掲書)とみずから宣伝した。自分に都合のいいように、歴史さえも改竄していった。
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