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Think outside the box

Unus pro omnibus, omnes pro uno

クォータ制に関する記事のまとめ

上場企業は取締役の40%以上を女にしなければならない、というクォータ制が導入されたノルウェーの記事が掲載されています。 *1

同内容の過去記事があるので参考にどうぞ。


クォータ制の問題点は、保育士・幼稚園教諭や看護師の「40%以上を男にすることを義務付ける」や、建設作業員や自動車修理工の「40%以上を女にすることを義務付ける」とはされないことです。これらの職種に関しては男女比の偏りを認めるのに、取締役や政治家の男女比の偏りは認めない、というのはダブルスタンダードです。

アメリカのシリコンバレーでも、技術職が男/白人・アジア系に偏っていることが一部に問題視されています。

クォータ制支持者や、「白人・アジア系・男ばかり」を問題視する論者は、「人間には生まれつきの差は存在しない→フェアな競争をすれば、それぞれの職種は人口比を反映するはず→偏りがある現状はアンフェア」という信念を持っているようです。 


しかし、短距離走では西アフリカ系(ジャマイカなど)、長距離走では東アフリカ系(ケニアなど)が強いことは、世界各地の人間集団に生まれつきの差があることを示しています。「ジャマイカ人やケニア人の上位独占を認めるべきではない」という主張は聞かれません。

また、男女の選好・適性や能力分布にも違いがあることは明らかです。


朝日新聞の記事も、そのことを示唆しています。

偏りは大学時代からある。コンピューティング・リサーチ協会によると、北米にある大学のコンピューター系学部の卒業生は男性が87%。人種も白人とアジア系で8割を占めた。 

実際には、ノルウェーなど北欧諸国でも職種によって男女比には偏りがあります。その偏りが、良好なワーク・ライフ・バランスを実現させています。


どうしてもクォータ制を導入するのであれば、ヒエラルヒーの頂点(取締役や政治家)だけではなく、底辺にも適用するべきでしょう。たとえば「ブラック職種の40%以上は女にしなければならない」のようにです。レスキュー隊や潜水士、鳶職など危険な職種も同様です。さもなければ、論理が一貫しません。*2

差別のない「理想の社会」が実現するでしょう。

The Agile Gene: How Nature Turns on Nurture

The Agile Gene: How Nature Turns on Nurture

*1:記事中の「モラルハザード」は誤用です。

*2:頂点だけのクォータは、「利益は自分たちのもの、損失は国民負担」の米欧の投資銀行の論理と同じことです。