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【スポーツ】<首都スポ>大学アイスホッケー 日体大、歴史変えるインカレ準V2016年1月20日 紙面から
日体大が、大学アイスホッケーの歴史を変えた。9日まで栃木県日光市で行われた第88回日本学生氷上競技選手権(インカレ)準決勝で、2014年度に3冠(関東大学選手権、関東大学リーグ1部Aグループ、インカレ)を達成した明大を倒し、1979年の創部以来初の決勝進出を果たし準優勝した。明大、早大、法大、東洋大、中大の5大学以外の大学がインカレ決勝に進出したのは42大会ぶりの快挙だった。(藤本敏和) 14年度の3冠王者明大と対戦したインカレ準決勝。GWS(ゲームウイニングショット)で勝利が決まった瞬間、ベンチから日体大の選手たちが飛び出した。リンクで折り重なって喜びを爆発させると同時に、スタンドで応援していた部員たちも絶叫しながらリンクサイドへ駆け降りる。 まるで優勝したような騒ぎ。それも当然だ。日体大は、40年以上続いてきた5校によるインカレ決勝の独占を打ち破ったのだ。 「入学したときには、4年後にインカレ決勝の舞台に立つなんていうことは、全く思えませんでした。今年もまずベスト4を目標として掲げていたので、準決勝を勝ったときは信じられない気持ちでした」と、主将のDF須藤雅史(4年・釧路北陽)は振り返る。わずか4年前、日体大にとってインカレ決勝は夢物語だった。 大学アイスホッケーの歴史は古い。第1回インカレが行われたのは1925(大正14)年。その歴史はそのまま名門校の歴史でもあった。第47回大会以降、インカレの決勝に進出したのは明大、東洋大、法大、早大、中大の5大学のみ。5大学以外の優勝に至っては第32回の立大が最後だ。 アイスホッケー部のある大学は多く、関東大学リーグは46大学が参加する。そんな中、ここまでの寡占状態が起きた理由のひとつは裾野の狭さ。リンクが必須なだけに、中高のアイスホッケーが盛んな地域は数えるほど。北海道の釧路、苫小牧に、十勝地方が続き、本州では栃木の日光、青森の八戸などに限られ、経験者の絶対数が少ない。 一方で、こうした「ホッケータウン」ではアイスホッケーが屈指の人気スポーツなため、子供のころから切磋琢磨(せっさたくま)し、選手のレベルが上がっている。大学から始めた選手が4年間で彼らに追いつくのはまず不可能。そのため、ホッケーどころに太いパイプがあり、有望な高校生を集めることができる名門校と他校との差が開いていた。 この状況に、真っ向から立ち向かったのが日体大だった。「どんな小さな大会にも顔を出して、高校の先生方に顔をつないでいきました。名門校が刈り取った後の畑を歩くんですから、厳しいものがあります。それでも丁寧に丁寧に見て回って、網から漏れた選手に声をかけていきました。その結果、ここ数年やっと手応えを感じられるようになりました」と石井和利監督は語る。 企業チームが日本製紙と王子製紙のみとなり、卒業後の進路を真剣に考える選手が増えたことも、教職課程や地方公務員に強い日体大にとってはプラスだった。準決勝のGWSで2本を決め、中大との決勝戦でも1ゴールしたFW松野祐太(2年・武修館)も「教員になりたいので日体大を選びました」と話す。 もうひとつのカギが、日体大ならではのトレーニングの充実だ。トレーナーを目指す学生たちが在学中から本格的な手法を学ぶ「トレーナー研究会」と密接に連係。学生トレーナー2人の派遣を受け、選手たちのフィジカルを鍛えあげてきた。今回のインカレも、最もコンディションがよかったのは日体大だった。 石井監督が就任した08年度から寮生活に切り替えていったことも、栄養や体調管理の一元化という意味で強化に大きな役割を果たした。リクルーティングとトレーニングが両輪となって創立以来初の決勝進出が実現したのだ。 決勝は、この大会で3冠を決めた中大に2−8で完敗した。ただ、最後まで足を動かし続け、運動量では負けなかったのは日体大らしさだ。 決勝進出に中心的な役割を果たしたのは1年生GK高橋勇海(白樺学園)、2年生FW松野、阿部俊介(釧路工)ら下級生たち。松野は「決勝進出で自信がついて、来季は春からいい状態でプレーできると思います」と目を細めた。日体大が、名門校をすべて倒して頂点に立つ日は必ず来るはずだ。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」面がトーチュウに誕生。連日、最終面で展開中 PR情報
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