どうせ、お前ら差別するんだろなどと被差別者が主張すれば、「個人の好き嫌いの問題だ」とか「それが現実的だ」などと救いのない話をする。
そして、持てる者に媚を売る。
下手したら、持てる者が「持てていてもそうでもない」などと話し、皆その通りだなどと同調する。
結局、彼らは差別をしているのだ。
被差別者というのはだって本当は自分だって差別したいと思っている。
本当は自分が差別される場所が嫌いで、同じような被差別者が嫌いで、持てる者が好きなのだ。
しかし、どう足掻いても持てない者というのは、どうすればよいのだろうか。
そのような人たちには救いがあるのだろうか。
追記
容姿のことだ。
自分は酷い肌、顔、髪で生きているけれども、いつも実質的な勝者であるものに対して、媚るやら肯定やらを思いっきりする。
持病の治療でこうなった面がある大きく、主治医に整形は勧められないし、肌の改善にも具体的な言葉がない。
容姿が悪いというのは個人の好き嫌いにされ、妊娠もやら子育てやらの差別は問題にされる。
酷い話である。
洗脳でもして心の底から差別しないような世界に変えていきたいね
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