21/49
【3】
風を切り裂き、一行は空を行く。
ベイルリヒトを飛び立って数時間。休憩をはさみながら移動を続け、日が暮れる前にメルト山脈を越えることに成功していた。
越えたと言っても実際は迂回しているので、まっすぐ進んだ時よりも時間はかかっている。ドラゴンたちが完全な成体でないことと、メルト山脈の主であるミストガルーダが空も飛べることから刺激しないようにした結果、一足飛びとはいかなかったのだ。
ビジーの連れてきたエルダードラゴンたちは、体が完全に成長しきっていない。本来なら完全な状態のエルダードラゴンを連れてくるつもりだったようだが、ちょうど繁殖期に入っていたためラシュガムから離れられなかったらしい。そのため、まだ若く繁殖に向かない個体を連れてきたようだ。
体の大きさ以外は成体と変わらない。ただ、体格に劣る分どうしても飛行能力も成体より低くなる。そのため、速度が出ず高度も稼げないのだ。下手に低高度でメルト山脈を越えようとすると、ミストガルーダに攻撃される恐れがあった。
戦隊もののようなカラーバリエーションなのは、体格の問題で飛行速度がそれほど変わらないことと、速度に秀でたグリーンが全員分いなかったからだ。くわえていうなら、様々な種類がいた方が何かあった時に選択肢が増えるだろうという考えもあったらしい。
「今夜はここで野営だな」
「念のため防壁と障壁を張っておきます」
「おう、こっちはテントを出しとく」
シンはアイテムボックスからキャンプ用のテントを取出し、実体化させる。個人用ではなくパーティ用なのでかなり大きめだ。完成した状態で出てくるおかげで一々組み立てる必要もない。ゲーム時はあえて分解して雰囲気を楽しむ者もいた。
パーティ上限である6人で雑魚寝できるだけの広さがあるが、一応男女で一つずつだ。
中には簡易ではあるが寝具も用意されており、内部も適温に保たれているというファンタジー仕様。魔術さまさまである。
「……べレットからか」
野営の準備を進めるシンに、べレットからメッセージが届く。黄金商会に教会についての情報収集を頼んでおいたのだ。
シンはすぐに内容を確認する。
黄金商会は教会本部のある都市『ジグルス』にも支店を持っているらしく、配下に教会の動きを探らせたようだ。現状では目立った動きは見られないらしい。
教会は『栄華の落日』以降、様々な形で各地の復興を支援したことで認知度を広めた組織だ。エルトニア大陸には他にも土着の神や英雄を崇める宗教もあるらしいが、教会の信者が圧倒的に多い。
トップは教皇で、その下に枢機卿や司祭がいてエルトニア大陸全土の国や集落に派遣されている。人が増えて組織が大きくなったことで、ジグルス自体が一つの国家のような状態になっていた。
当然、それを面白くないと思う国もある。そのため常備軍というわけではないが、教会所属の騎士たちがいて他国の干渉に対する対応や周辺のモンスターの排除を行っている。
また、選定者のみで構成された特殊部隊もあるという話だ。
個人で選定者を囲っている場合もあるらしい。ブルクはそのタイプだろう。エイラインが組織人として動けるとは、シンには思えなかった。
「やつらはもうとっくについてるはずだ。いったい何をしてる」
ミリーの誘拐がブルクの暴走なのか教会の総意なのか、シンにはまだ判断がつかない。
個人的な予想としては前者だが、ミリーの力のことを考えれば教会の威信を高めるために上層部が関与している可能性もある。
べレットには特殊なスキルを持った子供が教会の司祭にさらわれたとだけ伝えてあるが、内部情報が入るのはまだ時間がかかるだろう。さすがに同じ教会所属というだけで、無関係な者まで巻き込む気はない。ブルクだけなのか、他にもいるのか。それをはっきりさせる必要があった。
とはいっても、ブルクだけだろうが上層部ごとだろうが関与しているのなら潰す、ということには変わりないので、結局は被害がどこまで及ぶかという違いしかないのだが。
「現状ではミリーがどういう状況なのかも、教会がどこまで関与しているのかも判断がつきませんね」
「教会内部はそこらの城よりも警備が厳重って話だからな。それに、この大陸で一番選定者を戦力として確保してるのは教会だ。いくら黄金商会の子飼いでも、簡単にはいかねぇだろうよ」
所属している数でいうならば最大勢力は冒険者ギルドだが、自由に動かせる選定者の数という意味では教会が最大勢力だという。
選定者だけの部隊というのは非常に強力で、全貌こそ謎だが周辺国家を軽く制圧できるだけの戦力を有しているといわれている。
「教会全部がグルだったらそいつらともやりあう必要があるのか。……めんどうだな、潰すか?」
「数はそう多くないはずですし。その方が動きやすいかもしれませんね。」
シンがボソッとつぶやいた言葉に、料理をしていたシュニーが反応する。
あくまで教会全体もしくは上層部がグルだった場合のことなのだが、そうなった場合もはや教会は終わりだろう。
もちろん、実行するかどうかはまた別の話だ。
「いやいやいや、ちょっとまって! シンも師匠も物騒な方に話が進んでる!」
すかさずティエラがツッコミを入れた。ティエラとて、ミリーがさらわれたことに怒りを感じていないわけではないだろう。しかし、いきなり教会との全面戦争をにおわせるようなことがシンとシュニーの口から出たことで、さすがにまずいと思ったようだ。
もちろん、シンとシュニーもいきなり攻撃するつもりはない。ただ、周囲にとって冗談に聞こえなかっただけで。
「まあ、お前らなら余裕で制圧できるだろうな」
ティエラと違ってヴィルヘルムは若干の呆れを含んだ言葉を投げる。怒りはくすぶっているようだが、時間経過で多少は頭が冷えたようだ。出発前と比べて、感情をコントロールしているように感じられた。
「ヴィルヘルムさんも変なことを言わないでくださいよ……」
「そう言うな、嬢ちゃん。どっちにしろ、ミリーを奪還する邪魔をするならやることは同じだ」
ジグルスがある方向を睨みながらヴィルヘルムは言う。
それについてはシンも同意見だった。
相手についてはわかるのは司祭であるブルクと、子飼いと思われるエイラインのみ。彼らの戦力、ミリーを狙う理由、なぜイクスヴェインを持っていたのか。どれもシンたちにはわからない。
唯一つはっきりしているのは、シンたちの目的だ。
ミリーの奪還。その一択につきる。
敵対するのが教会そのものか、一部かは大した違いではないのだ。
やり切る意志と力はすでに揃っている。
「それはまあ、そうなんですけど」
「……っ。ま、今ここでどうするか決めなきゃならないわけでもない。とりあえず飯にしよう。悪いティエラ、変なことを言った」
体の中の熱を吐き出すように、溜め息一つついてシンは肩の力を抜いた。
冷静さを失ってはいないつもりだが、好戦的にはなっているのを自覚する。
心配そうなティエラに謝り、気分を一新させるために食事に意識を向けた。
「シンや師匠が言うと、冗談ではすまないんだもの。というかいつの間にか食事ができてるし。師匠いつの間に」
話をしながらもシュニーは手を止めていなかったようだ。
ティエラの声にシンが視線を動かすと、用意しておいたテーブルにはすでに湯気を立てる料理が並んでいた。
「このくらい、たいしたことではありません。ビジー! 食事の用意ができましたよ」
シュニーは離れたところでエルダードラゴンたちの面倒を見ていたビジーを呼ぶ。
5色のエルダードラゴンの食事に関してはビジーが餌を用意しているらしく、シンたちが準備する必要はないとのことだった。
シンがビジーの方へ視線を向ければ、それぞれが牛一頭分はあるだろう肉塊に噛り付いている。
「お待たせしました~。おー、豪勢ですね~。野営とは思えないですよ~」
シンたちのいる方へとやってきたビジーは、テーブルの上の料理を見て笑みを深めた。
「シュニーも張り切ってますね~。シン様が戻ってきたときのために練習しておいたかいがあるじゃないですか~」
どうやらシュニーが料理スキルを上げていたことを知っているようだ。
「ビジーはシュニーとよく会ってたのか?」
「はい~。一緒に料理したり~編み物したりしてました~。そういえば~、もうもらいましたか~?」
「もらう? 何をだ?」
「なにってむぅ」
唐突にビジーの言葉が途切れる。
最後まで言う前に、シュニーの手が伸びてビジーの口をふさいだのだ。
ビジーは突然口をふさがれて驚いたのか、拘束から逃れようと手足をばたつかせる。ビジーとて六天であるカシミアの配下、そこらの上級選定者よりも強い。
しかし、生粋の戦闘職として育てられたシュニーの圧倒的なステータスの前には、ビジーの抵抗は全くの無意味だった。
「むむー! む~! む……」とだんだん抵抗が弱まっていく。明らかに呼吸できていないのが見て取れた。
「あー……シュニー?」
「なんですか?」
「いや、ビジーが言おうとしたことが聞かれたくなかったのはわかるけど、そろそろ放してやったらどうだ? ちょっとぐったりしはじめてるぞ」
ちょっとどころか、かなりぐったりしているビジー。シュニーが手を離すと「ぶはっ!」と息を吐き出し必死に呼吸していた。
「ひー、ふー、シュニーったらひどいですよ~」
「余計なことは言わなくていいのです」
「そうですか~? せっかく――――わかりました~。もう何も言いません~」
ゆらりと、笑顔で右手を上げるシュニーにビジーは両手を上げて降参の意を示した。シュニーの顔は笑顔なのに、笑っているように見えない。
「よくわからんが、飯食おうぜ」
緊張感の抜けるやりとりに、怒りよりも呆れが先行した。
ビジーにはすでに状況は説明してあるので、彼女なりに雰囲気を緩和させようとした……の、かもしれない。
食事を終えた一行は移動に備えてすぐに床についた。障壁と防壁がはってある上、面子が面子なので見張りはいない。
移動速度を考えれば、シュバイドを回収してすぐに移動すれば明日にはジグルスに着くだろう。
すでにべレットには連絡をしてあり、ジグルスの黄金商会の支店で情報をもらう手筈になっている。一晩で新しい情報が早々に手に入るとは思っていないが、調査は続行するとのことだった。
◇
一晩明けて。一行はキルモントヘと向かっていた。
早朝から移動を開始したため、平原の先にはキルモントの王都らしき影が見え始めている。
「(王都が見えてきた。もう少ししたら近くに降りられる。そっちはどうだ?)」
「(こちらはすでに準備はできている。すぐに王都を出よう。場所を聞かせてもらいたい)」
シンは心話でシュバイドに連絡を取り、合流の手筈を整える。キルモントによるのはミリーを奪い返してからだ。
キルモントから数ケメル離れた場所にエルダードラゴンたちが降り立つ。キルモントのほうへ視線を向けると、シンたちのほうへ向かってくる影があった。
「何か近づいてくる?」
ティエラも気づいたらしく、目を細めて詳細を確かめようとしている。
「シュバイドだ。さきに心話で連絡しておいた」
心配はないと伝えて、その場で待つ。
5分もしないうちに、影の正体が見えてきた。
大地を蹴り砕いて進むのは、漆黒の鱗を持つハイドラグニルにしてシンのサポートキャラクターNo.4、シュバイド・エトラック。
荷物はアイテムボックスに入れてあるのだろう。シンやシュニーほどではないが、それでも上級選定者以上の速度で走ってくる。
本来の装備である全身鎧ではなく、手や足、腰回りといった体の一部を保護する鎧を着けていた。
「遅れたか?」
「いや、こっちは空を飛んできたんだ。到着時間がずれても仕方ない。急かしたみたいで悪いな」
「謝罪は不要だ。我としても、聖職につきながら幼子をかどわかすような輩を放っておくことなどできん」
気炎を吐きながらシュバイドは言う。ビジー同様、シュバイドにも事情は説明してあったが、こちらはビジーと違って強い嫌悪感を示していた。
聖騎士という、ある意味似た職についているのも関係しているのかもしれない。元来の性格も相まって、シンたちよりも気合が入っているように見える。
「合流もすんだことですし~。さっそく出発しましょうか~。あ、シュバイドさんは重たいので~、シュニーがシンさんと一緒に乗って~、シュバイドさんはシュニーの乗ってたドラゴンに乗ってくださいね~」
なぜか親指を立てながら指示を出すビジー。
「承知した。すまんなシュニー」
「……いえ、問題ありません」
「まあ、いいが」
ここで異議を唱える気はないのでシンも了承する。
シュバイドが重いことも、そのために乗り手を変えるのも正しいことだ。ただ、組み合わせならシュニーとティエラという一番軽い者同士を一緒に乗せたほうがいいんじゃないかとも思わなくもない。
「……失礼します」
「ああ、大丈夫だとは思うがしっかりつかまってくれ」
シュニーはシンの腰に手をまわし、しっかりと密着する。それを確認したシンは、エルダードラゴンに指示を出した。
何もなければシュニーとの2人乗りを楽しみたいところだ。だが、今はそんな余裕はない。
再び大空へ舞い上がる5匹のエルダードラゴン。
シンたちは、一路ジグルスへと進路を向けた。
◇
自分達に世界有数の実力者たちが向かっていることなど露知らず。教会へと戻ったブルクは、ミリーを連れてある場所へと向かっていた。
ブルクの後ろをミリーを担いだエイラインが歩いている。2人が歩いているのは、一般には公開されていない区画だ。教会でも枢機卿か、それに近い権力なり影響力なりを持っている人物しかその存在を知らない。
彼らは知らないことだが、そこはパルミラックの居住および実験室として作られた区画に該当する場所だった。
強固でありながらどこか温かみを感じさせる壁や床。
近づいただけで開く扉。
魔力を使った多種にわたる個人認証。
『栄華の落日』以降、もはや現在の技術では再現不可能といわれている技術が惜しみなく使われたそこは、幹部クラスの聖職者たちの執務室や寝室として使われていた。
そう、ホーリーは知らなかったことだが、パルミラックはその設備の一部が生きていたのだ。それも、一般人が使用可能な状態で。
ブルクたちが歩いているのは、部屋の規模や内装でさらに細かく区分けされている中でも複数のパスを突破しなければ立ち入ることのできない場所だった。
複数の部屋が収まっている区画とは違い、そこは一区画を一つの部屋として使用している。その入り口、一際華美な装飾のされた一室の前でブルクは足を止める。
そこは教会内でも特別な存在である『聖女』の部屋だった。
「失礼いたします」
ブルクはノックもなしに扉を開く。
部屋の中は、個人の部屋としては余計なものがほとんどない。人が見れば、祭壇のような印象を受ける部屋だった。
広さは奥行が25メル、横に40メル、高さが10メルとかなり広い。
中央の奥が床よりも数段高くなっているところが、祭壇としての印象を強くしている。
高くなった場所には寝台が設置されていた。それを囲むように、薄い布が垂れ下がっている。
その奥には小柄な人影があった。
「おや、起きておいででしたか。聖女様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「……白々しい物言いはおやめなさい。不愉快です」
恭しく頭を垂れるブルクに、聖女と呼ばれた女性は不快感を滲ませた声を返した。
多くの人が聞き惚れるだろう澄んだ声も、今はその響きを濁らせている。
「いやはや、嫌われたものですな。1人ではお辛かろうと、せっかくあなたの同胞を連れてきたというのに」
「同胞? ……っ! まさか」
ブルクのセリフに聖女は息を詰まらせる。
ブルクの言う同胞とは種族のことではないと、聖女にはすぐにわかった。
聖職者でありながらその道を大きく踏み外したブルクが、わざわざ種族が同じというだけで聖女の部屋に部外者を連れてくることはないからだ。
「ええ、そのまさかです」
同胞とは、彼女が持つ特殊な称号に関係している人物以外にないだろうと聖女は考えた。
その言葉を肯定するブルクに、聖女は垂れ幕の内側で表情を歪める。
「エイライン」
「はい」
ブルクの呼びかけにエイラインが答える。
エイラインは気負った様子もなく聖女のいる垂れ幕の前まで移動すると、肩に担いだままだったミリーを床に横たえた。
「この子を、一体どこから連れてきたのです」
「とある教会で保護されていたので、連れてきたのですよ。その子の力を知っていたようで、出し渋っていましたがね」
事実と異なることを、ブルクはまるで真実のように話す。
ただ、それが真実ではないことなど、聖女は見抜いていたが。
「同じ境遇にいる者同士、仲良くしてあげてください。力が制御できなければ、悪夢を見ることになるのはご存知でしょう? それに、うまくいけばあなたの身代わりにできるかもしれませんよ?」
「あなたと、いう人は!」
身代わりという言葉に聖女は語気を強めた。
今の自身の境遇をどうにかしたいと考えている聖女だが、だからといって自分の身可愛さに幼い少女を身代りにするなどできるはずもない。
「何もしないのなら、私たちがその子の教育をすることになります。どうなっても知りませんよ?」
「……っ、いいでしょう。この子は、わたくしが預かります」
飛び出しそうになる罵詈雑言を飲み込んで、聖女はブルクの申し出を受けた。
「ありがとうございます。では、私はこれで。なるべく早く、使えるようにしてください」
形ばかりの礼を述べて、ブルクは聖女の部屋から退出した。ブルクに続いてエイラインも退出し、部屋の中に残るのは聖女とミリーだけになる。
「なにが、使えるようにしろですか!」
道具の手入れでも頼むようなブルクの物言いに、聖女は拳を握りしめて身を焦がす怒りに耐えた。
座っていたベッドから降り、垂れ幕をくぐっていまだ意識のないミリーのそばへと移動する。
垂れ幕から出たことで、聖女の姿が室内を照らす光源のもとにさらされた。
それは聖女という名に恥じぬ、美しい少女だった。
白磁のような肌、シルクのようなきめ細やかな白髪、透き通るような青い瞳。ミリーを見つめる表情は精巧に作られた人形のような美しさを持ちながら、決して人形にはもちえない温かみを感じさせた。
だからだろう。その首にまかれた、黒い首輪が聖女の持つ雰囲気から浮いていた。
年の頃は16といったところ。
大人の女性と呼ぶには早く、かといって少女と呼ぶほどの幼さはない。
そんな彼女が眠ったままのミリーをそっと抱く。人の体温を感じたからか、ミリーが目を覚ました。
「ん……?」
「目が覚めましたか?」
声をかけられて初めて、ミリーは誰かに抱かれていることに気づいた。
ビーストの本能か、咄嗟に体をひねって聖女の膝の上から離れる。そして、周囲を見渡して自分のいる場所が教会ではないことに気づいた。
「ここ、どこ?」
「城塞都市ジグルスの教会の中です。その中でも、ここは聖女や聖人といわれる者たちしか使用できない部屋」
「ここも教会? せいじょ?」
「そう、聖女。教会に認められた、奇跡の担い手。といっても、今の私は名ばかりの聖女だけれど」
キョロキョロしながら逃げ道を探しているミリーに、聖女は落ち着いた様子で答える。その穏やかな雰囲気に感化されたのか、ミリーも一旦敵意をひっこめた。
「私の名前はハーミィ・シュルツ。あなたのお名前は?」
「……ミリー」
「ミリーちゃんというのね。体は痛まない? 無理やり連れてこられたようだけど」
「っ!? シアねぇ……どうしよう! シアねぇがしんじゃう!」
ハーミィの言葉で自分がどんな状況で連れ去られたか思い出すミリー。最後に見たのは、血だまりの中でもがくラシアの姿だ。
「落ち着いて、ここで騒いでも何にもならないわ」
「でも、でも……あの人たち、ミリーをさがしてた。ミ、ミリーがいたから、シアねぇが……」
ブルクたちの会話を聞いていたミリーには、ラシアが傷ついた原因が自分にあると理解できてしまっていた。
身寄りのない自分を温かく包んでくれていた人。笑いかけてくれた人。
その顔が痛みにゆがみ、血だまりに沈むのがミリーの目に焼き付いていた。
「その人は、あなたの大切な人?」
「……うん」
「なら、その人のことを強く思って」
そう言って、ハーミィはミリーに近づき、そっと抱きしめる。その温かさにミリーはほんの一時、恐怖を忘れた。
ギュッと目を閉じて初めに浮かんだのは、微笑みながら頭をなでてくれたラシアの姿だった。
「……うん、大丈夫。あなたの大切な人は無事よ」
「えっ?」
ハーミィはミリーを安心させるように頭をなでる。
顔を上げたミリーには、そんなハーミィとラシアの笑顔が重なって見えていた。
「信じられないかもしれないけど、あなたの大切な人は助かったわ。とても……そう、とても強い力を持った人たちが助けに来てくれたの」
「……ヴィルにぃとシンにぃだ」
ハーミィの言葉を聞いて、ミリーは真っ先にヴィルヘルムとシンの姿を思い浮かべた。
安堵する気持ちがミリーの胸の内に広がる。
あの2人ならきっとラシアを助けてくれると、ミリーは素直に信じることができた。
「ミリーちゃん? ……その人たちを、信頼してるのね」
安心して気が緩んだのか再び眠ってしまったミリーをベッドに運び、ハーミィは視線を壁のある一点に向けた。
偶然か、必然か。その先はシンたちのいる方角だった。
ミリーをなでながら、ハーミィは静かに息を吐く。
その瞳に揺れるのは、恐れだ。
「この子が信頼を寄せている。なら、悪い人ではないはず」
ラシアの無事を知ることができたのは、ハーミィのもつ『星詠み』の称号に起因している。本来わずかな未来を予知する力を保持者にもたらすだけの称号だが、ハーミィは訓練によってある程度見えるものを限定することができた。
そして見えたのが、女性が治療してもらっている場面だった。ミリーの感覚とハーミィ自身の感覚をリンクさせることで、ハーミィはその女性がラシアだとわかる。
ハーミィの見えた場面には他に2人の男性の姿があった。ヴィルヘルムとシンだ。
ハーミィにはミリーがどちらにも全幅の信頼を寄せていることが理解できた。
ただ、ミリーと違い、ハーミィは2人に対して抱いたのは恐怖。その理由はヴィルヘルムとシンのどちらもが、その体に複数の種族の力を宿しているのがわかったからだ。常人とは異なる、特異な力。幼いころから力に飲み込まれた人の行く末を見てきたハーミィは、どうしてもすぐ信用することはできなかった。
そんな2人だが、とくに恐ろしいのがシンだ。
「あれは、本当に人なの?」
独白は誰に聞かれることもなく、部屋の壁に吸い込まれていった。
そんな言葉を口にしてしまうほど、ハーミィがシンから感じた力は凄まじかった。場面の中のシンに視線を向けただけで、ハーミィの意識は一瞬途切れかけたほどだ。
上級選定者の中でも上位に喰い込む力を持つエイラインを見ていたからか、その力の強大さが多少なりとも理解できてしまったのだ。
「彼らなら、もしかすると……」
恐ろしい。だが、同時に何かが変わるのではないかという思いもあった。
彼らは間違いなく、ミリーを取り戻しにくる。
その時、何かが変わる。ハーミィはそんな気がしていた。
称号による予感ではない。勘という不確かなものだ。だが、予知した時よりも強い確信があった。
自身の首を覆う輪に爪を立てながら、ハーミィはただ祈った。
◇
「ついたな」
数時間の飛行を経て大地に降り立ったシン一行。
その視線の先には、城砦都市ジグルスが見えていた。シンたちの能力なら一時間とかからずにジグルスに入ることができるだろう。
「私は待機していたほうがいいですか~?」
「どうするか。教会のことを調べて、ミリーを探すとなるとどのくらい時間がかかるかわからないしな」
マップが初期化されているせいで、パルミラックの内部がどうなっているのか全く分からないのだ。選択肢は多いほうがいいが、ずっと待たせるのもどうかと思う。
ビジーは確かに六天のメンバーであるカシミアの配下だが、だからといってシンに従わなければならないというわけではないのだ。シュニーやシュバイドと違い、その忠義には明確な違いがある。
「ここでけりをつけるつもりだが、場合によっては力を借りることになるかもしれない。時間をかける気はないが、どのくらいかかるかわからないぞ?」
「大丈夫ですよ~。ラシュガムでやることもそんなにないですからね~。それに、私も今回のことは放っておけませんから~」
主は違えど、ビジーも根は善良だ。だからこそ、ブルクの所業に思うところがあるのだろう。
ラシュガムに急いで戻らなければならない理由もないので、ビジーはここで待機することを選んだようだ。実際問題として、エイラインの転移で跳べる場所が教会だけとは限らない。もしもの時の移動手段は確保しておいた方がいいだろう。
「そうか。なら悪いがしばらくここで待っててくれ」
ドラゴンたちの世話をするビジーを残し、シンたちはジグルスに向かって進む。
馬車をカゲロウにひかせる形で荒野を突き進み、途中で速度を落とし同じようにジグルスに向かう馬車にまぎれて都市内部へと入った。
巨大な城壁に囲まれたジグルスは、総本山であるパルミラックを中心に街が形成されている。地面の隆起によって周囲よりも高い位置にあるパルミラックは街の至る所から見ることができ、都市の象徴とされているようだ。
「街の中は、結構活気があるな」
「教会のひざ元でバカやるやつはほとんどいねぇからな。治安の良さは大陸の中じゃトップクラスだ」
「地理的にもエストの中心に近いですから、様々な方面から人が集まります。物資の流通の要でありながら犯罪が少ないとくれば、活気が出るのもうなずけますね」
簡単に説明してくれるヴィルヘルムとシュニーの言葉に耳を傾けながら、シンは顔を隠すためにかぶったマントのフードの下からパルミラックに視線を向けた。
シンの策敵範囲に入っているパルミラックだが、その内部までは見えない。ゲーム時代ならそうでもないのだが、マップが初期化されている状況ではパルミラックの内部を外から確認することはできないようだ。
くわえるなら、もともと六天のギルドハウスはどれも内部をスキャンするようなスキルに対する妨害機構を備えているので、マップ機能が生きていてもこの世界では見えなかった可能性もある。
「とりあえず、黄金商会の支店に向かおう。昨日の今日だが、何か新しい情報が入ってるかもしれない」
「うむ、どう動くにしろ情報は必要だな」
途中で道を聞きながら黄金商会へ向かう。やはりというべきか、ジグルスでも有名らしく以前バルメルで見た金色の看板が見えてくるのは時間の問題だった。
店員を呼び、べレットからのメッセージカードに同封されていた書類を見せると、店の裏へと案内された。そこに馬車を置き、一行は建物の中へと入る。
支店長の部屋へと案内されると、そこには1人のエルフの青年が待っていた。
「お待ちしておりました」
丁寧なしぐさで頭を下げる青年は名をエルトル・マイックといい。べレットの直属の部下ということだった。
金髪碧眼で美形という、エルフらしい風貌の青年だ。
「べレット様から話は伺っております。教会について情報がほしいということで」
「はい、依頼してから時間もそうたっていないので、わかる範囲で構いません」
「では、報告させていただきます」
シンがハイヒューマンだということは知らされていないようだ。
エルトルの話によると、教会では今『予言の聖女』と呼ばれる女性が病でふせっているらしい。そのせいかはわからないが、上層部がいろいろと動いているという。
また、内部には幹部クラスの人間しか入れない区画というものがあるようだ。警備が厳重で内部構造を調べるまでには至っていないが、何かあるとしたらここだろう。
「教会に関しては不確定な情報が錯綜しております。教会を嗅ぎまわる者は多いので、おそらくはそういった工作をする部隊がいるのでしょう。我々も長くここに店を構えていますが、教会については謎が多く……」
教会に関するきな臭い情報は、辿っていくと大抵酔っ払いの虚言や勘違いといったとるに足らない話に行き当たることが多いらしい。
「ベイルリヒトの教会相続については、何か?」
「いえ、そういった情報は入っておりません。申し訳ありませんが、現状ではここが限界です」
教会に常駐している上級選定者の数は10や20ではきかない。教会内部に忍び込もうにも、様々な場所を上級選定者が警備しているのでどうしても慎重にならざるを得ないという。
『金の商人』たるレードの作った黄金商会といえど、全員が上級選定者クラスの能力を持っているわけではない。そこは数と質、どちらをとったかという話だ。
とはいえ、さすがに総本山。一筋縄ではいかないようだ。
(ここからは、自分たちで行くしかないか)
上級選定者同士となると、隠密行動にも限界がある。
だが、シンたちに限ってはそれは当てはまらない。とくにシンとシュニーが本気で隠密行動をすれば、この世界でそれを捕捉できるものなど皆無といっていい。
「わかりました。ここからは自分たちで動くことにします」
「お力になれず、申し訳ありません」
「いえ、話を聞いた限りじゃ時間をかけても難しそうですし。上級選定者が警護についているとあっちゃ、おいそれと忍び込めないでしょう」
こればかりはエルトルを責めても意味がないので、多少なりとも情報が得られただけよしとする。他にも教会について一般に知られていることを聞いておいた。
黄金商会には引き続き協力してもらうことにして、シンたちは宿をとることにした。
馬車のとめられる宿を探して街を回り、20分ほどでよさそうな宿を発見する。
「いらっしゃいませ! 銀砂亭にようこそ!」
威勢のいい声に迎えられて宿に入る。ジグルスは様々な商人や旅人が出たり入ったりを繰り返すので、1階は食堂、2階が宿泊用の部屋というタイプの宿が多い。
シンたちが入った宿も同じタイプで、テーブルの間をフリルの多い衣装を着たウェイトレスたちが行ったり来たりしていた。
複数いるウェイトレスの中から、セミロングのウェイトレスが1人シンたちの前にやって来る。
「いらっしゃいませ。お食事でしょうか、ご宿泊でしょうか」
「宿泊のほうで。表に馬車をとめてあるんだが」
「そちらには係りの者を向かわせます。何名様でしょうか」
「5名で。契約獣もいるんですが、大丈夫ですか?」
「当店では契約獣を連れた冒険者様もご利用いただけるようになっております。そちらは別料金となりますが、よろしいでしょうか?」
了承して一行は部屋へと向かう。パーティ用の大部屋が空いているとのことだったので、そこを借りることにした。
部屋で軽く打ち合わせをして、すぐに店を出る。
「じゃあ打ち合わせ通り、日が暮れたらまたここに集合な。何かあったらメッセージカードを飛ばしてくれ」
シンの言葉にうなずいて、各自が別行動をとる。
シン、シュニー、ユズハは教会へ様子見に、ティエラ、カゲロウ、シュバイドは教会周辺の情報収集。そして、ヴィルヘルムは個人的な伝手をたよる。
「行くぞ、シュニー」
「はい」
言うが早いか、シン、シュニー、ユズハの姿が人ごみに消える。
「では、ティエラ殿、我らも行くとしよう」
「わ、わかりました」
シンたちとは逆に、シュバイドは堂々と表通りを歩き始めた。もちろん、シュバイドもその容姿は広く知られているので、鱗を赤くし、額に角を生やすという変装をしている。
若干緊張気味のティエラは、そんなシュバイドの後ろをおっかなびっくりといった様子でついていった。カゲロウはいつも通り、ティエラの影の中だ。
「さて、俺も行くか」
4人を最後まで見送ることなく、ヴィルヘルムも行動を開始する。早足にならないように注意しながら、裏路地へと入って行った。
◇
シンとシュニーは、まず正面から行くことにした。
パルミラックは神殿をイメージして造られたギルドハウスで、様々な修行を行うこともできる。
現在もその設備は生きているようで、老若男女問わず、多くの人々が鍛錬を行っているという。旅人や商人が話のタネにやってくることも多いようで、修行場は広くあけ放たれていた。
「見た感じ、表層はとくに変わってないな」
「そのようです」
人の多い少ないはあれど、シンの知る光景と目の前に広がる光景は同じものだった。違う点があるとすれば、修行場を使う料金としてお布施を渡す受付があるくらいだ。
「だけど、マップは復活せずか」
「内部を知るには、やはり忍び込むしかないようですね」
直接パルミラックに来れば、何か変化があるかと思っていたシンだが、予想に反してマップは沈黙したままだ。一応マッピングはできるので、足を使って埋めることは可能ではある。
一気に忍び込みたいところではあるが、パルミラックは六天のギルドハウスだ。どの程度機能が生きているかわからない状況で、真昼間から忍び込むのは上策とは言えない。いくら同じ六天のギルドハウスといえど、そのすべての機能を知っているわけではないからだ。
加えてここパルミラックは、建築家という建物関係に様々なボーナスの付く職についていたカインの根城である。6つあるギルドハウスの中で最も危険だと言われていたことを考えれば、さすがのシンも慎重にならざるを得ない。
施設を見学するふりをしながら、2人と1匹はマップを埋めつつあやしいところや忍び込みやすそうな所に目星をつけていった。
「ん?」
「どうかしましたか?」
「やけにレベルの高いやつがいる。高位の神官か?」
他の見学者にまぎれていたシンたちの前方から、他の神官とは明らかに雰囲気の違う神官が近付いてきていた。
薄い緑色の髪と茶色の瞳を持つ女性だ。長髪の間から見える尖った耳と、その美しさからしてエルフだろう。足運びには隙がなく、レベルも206と受付にいる神官たちとは段違いだ。
「こんにちは」
「あ、はい。こんにちは」
てっきり他の神官同様、軽く会釈してすれ違うだけだろと思っていたシンだったが、予想に反してエルフの神官はシンに話しかけてきた。
「見学ですか?」
「はい。ジグルスに来たのは初めてなので、よっておこうという話になりまして」
「それはけっこう。私はリリシラと申します。もし興味がおありでしたら、私や他の神官に気軽にお声掛けください」
「私はシン。こっちは連れのユキとユズハです。お心遣いありがとうございます。ですが、なぜ私たちに声をかけてくださったのですか? 他にも見学者はいたと思いますが」
「それは、あなたのお連れ様がハイエルフだからです」
リリシラと名乗った女性の言葉に、シンは驚く。エルフとハイエルフを外見だけで見分けられるような、身体的特徴はない。だが、リリシラはシュニーをハイエルフだと断言していた。
「驚かせてしまったなら申し訳ありません。私はエルフとハイエルフが見分けられるんです。感覚的なものなので、説明するのは難しいのですが」
「そうなんですか。私にはわからないので、何か見分けるコツでもあるのかと思いました」
どうやらただの勘らしい。ある意味すごい能力だ。
心話でシュニーに聞いてみるが、シュニーも見ただけで判断するのは難しいという。ステータスやレベル、雰囲気で判断することもできなくはないが、確実とは言い切れないようだ
「今のところ、同じようなことができる方に会ったことはありませんね」
エルフは感受性が強いというが、微妙に違った方向に作用しているのかもしれない。
「まだご覧になっていないところがあれば、ご案内しますよ」
「いいのですか? お仕事の邪魔になるのでは?」
「多くの人々に教会を知っていただくのも、立派な仕事です。それに元々こうして教会を訪れた方々と話をするのが好きなんです」
シンとしてはもう少し自由に見て回りたかったが、神官と話をすれば何か情報が得られるかもしれないと考えをあらためた。
教会の歴史や教えを聞きながら、気になったことを問う。
「つかぬことをお聞きしますが、リリシラ様は何か武道を嗜んでらっしゃいますか?」
「はい、いざというときに民を守るのも、我々の役目ですから。とはいえ、今では神官騎士の方がいますけどね。なぜ、私が戦うすべを持っていると?」
「私も多少腕に覚えがありまして。リリシラ様の動きには隙がなかったものですから」
「なるほど、さすがはバルメル防衛戦で活躍したお方ですね」
「……私たちのことを、知っていらしたのですか」
バルメルで目立ったのは仕方がないことだったとはいえ、まさか知られているとは思わなかったシンは一瞬動きが止まった。
「申し訳ありません。実を言うとあなた方だったからこそ、お声がけしたのです」
頭を下げるリリシラ。その態度からは、敵意は感じない。
「情報が伝わるのが、ずいぶん早いんですね」
「選定者の方なら、心話を使えば距離は関係なくなるとご存じでしょう。バルメルは聖地を囲む重要な都市の1つ。我々も情報を得るための伝手を持っているのです。それに、リオン王女とともにバルメル防衛に貢献した冒険者としても、シン様の名前は徐々に広まっていますから。心話がなくとも、いずれ私の耳にも届いていたでしょう」
大陸一の信徒数を誇っているだけあって、独自の情報網を持っているようだ。
そして、シンが思っていたよりバルメルの出来事は広まりを見せているらしい。
小さくうんうんとうなずいているシュニーは、どこか誇らしげだ。
一応ジグルスに入る際は顔を隠していたのだが、とくに隠蔽などを使っていたわけでもないのでどこかで見られたのだろう。教会にとってジグルスはお膝元、何かしらの情報網があるのだろう。
「なるほど。ではそれを知っていて声をかけたあなたの目的はなんです? 教会に所属しないかという勧誘なら、申し訳ありませんがお断りさせていただきます」
なんとなく違うだろうなとは思いながらも、一応先制しておく。
「こちらにそのような意図はありません。もちろん、あなた方が教会に所属してくださると心強いですが、今回は別件です。ここではなんですので、私の私室にいらしてください」
「……わかりました」
リリシラの目的ははっきりしないが、ここで断るよりもついていった方が情報が得られそうだとシンは判断した。何かあっても大抵のことはどうとでもできるという、反則級のステータスとスキルがあればこそだ。暴れてもいいという条件が加わると、パルミラックもただ頑丈なだけの建物である。
シュニーもとくに反論せず、シンの後ろをついてくる。
リリシラの後を追う形でいくつかの扉を抜け階段を下りると、ドアの並ぶ通路に出た。
「(居住区か)」
「(神官たちの私室として使われているようですね)」
照明などの機能が生きていることを確認しながら、シンたちは歩く。
リリシラは等間隔で並ぶドアの1つを開け、2人を部屋に招き入れた。
部屋の中は個室としては広い。間取りで言えば2DKほどか。キッチンにトイレ、小部屋が2つとシンの知る間取りと一致している。
椅子に座って待つように言われ、シンたちは席に着く。リリシラはお茶の用意をしていたようだ。
「どうぞ」
「どうも」
礼を言って一口。
ハーブティーだろうか。気分が落ち着く香りと味だ。
「それで、お話というのは?」
「実は、教会に所属する、ある司祭についてなのです。バルメルで『氾濫』が起こった際に、教会所属の選定者が持ち場を離れていたことはご存知かと思います」
リリシラの言葉に、シンはリオンが話していたことを思い出す。
「たしか、誰かの護衛で離れたとか。教会に抗議が殺到しているとも聞きましたね」
「その通りです。本来ならそんなことがあってはならないのですが。我々としても、まさかあのような蛮行に出るとは思わず」
どうやらバルメルの件は、リリシラや他の教会関係者にとっても予想外だったらしい。
「首謀者はわかっているのですか?」
「はい。他の神官に罪をなすりつけていますが、私たちは黒幕を知ることができました。首謀者はブルク・エルバッハ。教会所属の司祭です」
シュニーの質問にリリシラが答える。ブルクが直接指示したというわけではないらしい。表には出ず、身代わりを用意していたようだ。
「司祭……話の途中すいません。もしかして、その司祭はベイルリヒトの教会相続に関わっていませんか?」
教会所属の司祭という部分にもしやという考えが浮かび、シンは質問する。
「確かにブルク司祭はベイルリヒトの教会、それも貴族ではなく平民層の教会の相続に口をだしています。何かご存知なのですか?」
「少し確かめたかったもので、それについては後でお話します。今はそちらの話を進めてください」
「そうですね、わかりました。では続けます。私がシン様、ユキ様に依頼したいのは、彼を拘束する手助けをしていただきたいのです。報酬は、私の支払えるものならいかようにも」
「リリシラ様個人の依頼なのですか?」
リリシラの話からして教会からの依頼かと思っていたシンだが、違うようだ。個室に案内したのは、それも理由なのかもしれない。
「本来なら教会からの依頼としたいところなのですが、そうできない理由がありまして」
「まあ、当然相応の事情があるのでしょうね。ですが、ここで私たちが断ったらどうするのですか? 私たちが情報を漏らす可能性もありますよ」
「その時は、しばらくここに留まっていただくことになります」
リリシラがそう言うと、シンたちの背後に鎧を装備した騎士が姿を現す。数は3人。すでに抜剣しており、いつでも斬りかかれる体勢だ。
いることはわかっていたが、やはりこういう目的のためだったらしい。
「物騒ですね」
「申し訳ありません。ですが、汚名を着てでもなさねばならないのです」
どうやら教会内でも何かあったようだ。シンはリリシラの表情から、並々ならぬ決意を感じた。
「では、こちらも先ほどの続きを話しましょう。ブルク司祭がベイルリヒトの教会の相続について口をだしている件です」
「……聞きましょう」
ブルクに関連したこととあって、リリシラも気になっていたようだ。
「話としては単純です。ブルク司祭がその教会に保護されていた孤児を連れ去ったんですよ。それも、止めようとしたシスターに重傷を負わせて。治療が間に合わなければ、命はなかったでしょう」
「っ!?」
リリシラもそこまでは掴んでいなかったようで、驚愕の表情を浮かべた。
背後の騎士たちも動揺しているのが伝わってくる。
「知らなかったようですね。攫われてからさほど時間はたっていませんが、すでにこちらに来ているはずです。――――この際はっきり言いましょう。俺たちはさらわれた子を助けに来たんです。もし疑うなら、確かめていただいてけっこう」
「まさか、そんな……っ、一つ確認したいことがあります」
「なんですか?」
「そのさらわれた孤児というのは、特殊な称号を持っていませんか?」
「なぜ、そう思うんですか?」
ミリーの『星詠み』はほとんど知られていないはずだ。だというのに、リリシラはミリーがなにがしかの称号を持っていることを確信しているようだった。
「我々が彼を捕まえたいと思っているのは、ある方を助けるためなのです。その方も特殊な称号を持っていますので」
「リリシラ様! それ以上は!」
リリシラの独白を聞いた騎士たちが、やめさせようと声を上げた。
動揺している様子から、本来ならシンたちに聞かせられる話ではないのだろう。
「ご心配なく、俺たちもあなた方と事を構える気はありません。お互い、その司祭に用があるのは同じようですからね」
「そうですね。我々としてもそうしていただけると助かります。皆さんも、剣をおさめてください」
リリシラの言葉を聞いて、騎士たちは剣を鞘に収めた。全員が納得した顔をしているわけではないが、シンたちの話を聞いて知らぬと切り捨てることはできないようだ。
「それにしても、いくら俺たちに実績があるとはいえやり方が性急すぎませんか? 事情があるのは理解していますが」
「それは重々承知しています。しかし、もう時間がないのです。我々が助けたいと考えている方の、命にかかわることですから」
「命に?」
ブルクのしたことを考えれば否定はできない。リリシラの話を聞く限り、助けたい人物はなにかしらの拘束を受けているのだろう。時間がない理由はわからないが、教会内部に協力者ができるのはシンたちにとっても悪い話ではない。
「知っている者はほとんどいませんが、彼はシテン教の信徒でもあるのです。いえ、そちらが本命というべきでしょうね。教会の司祭の地位につきながら、それを利用して裏で暗躍していたのです。そして、ある儀式で、私たちの守りたいお方が生け贄にされるという情報をつかみました。ゆえに、強引な方法とは分かっていましたが、あなた方に声をかけたのです」
巨大な組織を隠れ蓑に、邪なことをしていたということらしい。
現実世界でも悪魔崇拝のようなものは存在していたので、シンとしてはそこまで驚きはしない。ただ、生け贄という単語には眉をひそめる。
「生け贄なんて穏やかじゃないですね。そのシテン教というのは何なのですか?」
聞き覚えのない単語にシンはリリシラへ問いかける。響きから、何か嫌な感じがした。
「シテン教とは、かつてこの大陸に名を馳せたハイヒューマンを信奉する者たちの集まりです」
「ハイヒューマンを、ですか?」
シテン教のシテンとは至天と書くらしい。
「シテン教自体は悪いものではないのです。それぞれ信奉するハイヒューマンごとに6つの派閥に分かれ、日夜鍛錬をしているだけですし、再現に成功した技術を公開してもいます」
リリシラの話によると、6人のハイヒューマンの二つ名の色にちなみ黒、白、赤、青、金、銀と6つの派閥が存在し、それぞれが得意とした分野の研究や鍛錬をしているという。
例を上げるなら、『黒の鍛冶師』を信奉している黒の派閥なら鍛冶や刀術を、『赤の錬金術師』を信奉している赤の派閥なら錬金術や魔術をといった具合だ。鍛錬の果てに失われたスキルを復活させたこともあり、こと専門分野なら大陸でもトップクラスの技術力を誇るらしい。
「問題となっているのは、100年ほど前に誕生した7つ目の派閥なのです。彼らはハイヒューマンのごとき高みへと至るには、より多くの血を流し力を得ることが必要だと考えています。おそらく、ハイヒューマンの闘いの記録を見てそう判断したのでしょう。そのため、各地で暴動を起こしたり、無差別攻撃をしたりしているのです」
7つ目の派閥は自分達のことを頂の派閥と称しているようだ。
文字通り、自分達が頂点にふさわしいという考えなのだろう。やっていることは完璧にテロだ。
自分たちを信奉している奴らがいるというだけでもシンは辟易してしまうというのに、そんな物騒な奴らがいるとわかって余計に頭を抱えたくなった。
「他の派閥は頂の派閥との関連をすべて否定し、彼らがシテン教を名乗ることすら認めていません。ただ、派閥ができた当初はシテン教の信徒が活動の中心になっていたので、世間ではシテン教の一派と捉えられています」
一度定着してしまったイメージは払拭するのが難しいらしく、ある程度改善された今でも混同する者は多いようだ。
「なるほど、理解しました。それで、先ほどの話に出た生け贄というのはどういうことなんですか?」
「詳細まではわかりませんが、頂の派閥では特殊な力を持つ者たちを生け贄にして儀式を行うことがあるようなのです。その力が特殊であればあるほど派閥内での地位が上がるようで」
「派閥内での地位ですか。それは教会での地位を捨てるほどのメリットがあるのですか?」
教会という組織は大陸でも随一の権力と力を保持している。今回の件で、ブルクはその地位を追われるだろう。わざわざ司祭にまでなったにもかかわらず、それを捨てようとするには相応のメリットがあるはずだった。
「我々もそこまでは掴んでいません。しかし、詳細を待って手遅れになっては意味がないのです」
「それもそうですね。ではその話は置いておきましょう。俺たちもブルク司祭がどうなろうと知ったことではありませんし」
儀式のメリットなどシンたちにとっては無関係もいいところだ。重要なのは助けださねばならない対象が増えたことだろう。
ブルクが関わっている時点で、リリシラが助けたい相手と一緒にミリーまで生け贄にされる可能性がある。当然、それをさせるシンたちではない。
「では改めて救出について話をしましょう。俺たちとしてはこの施設、パルミラックの機能がどの程度生きているのかが知りたいのですが」
「機能ですか。本来なら部外者に教えるわけにはいかないのですが、今回は仕方ありません。お話しましょう。とはいっても、本来の機能はほとんど使えないのですが」
「そうなんですか?」
「ある程度のアイテム生成機能や5級相当の解毒や回復などがよくつかわれています。主要な機能としては周囲を覆うモンスターよけの防壁もですね」
リリシラの言った内容に、シンたちが危惧していたものは含まれていなかった。現在ではそれだけでもかなりの施設だというのもあるのだろう。重要な場所はある程度セキュリティが生きているらしいが、完璧というわけではなく警備については上級選定者が行っているらしい。
「なるほど。参考になります。確認しておきたいのですが、高位の神官しか知らないような機能もあるんじゃないですか?」
「私はこれでも枢機卿の地位をいただいています。私の上は教皇様のみですから、ほぼないと言っていいでしょう」
高位の神官だとは思っていたが、枢機卿だったようだ。事前に得た情報では、あまり数も多くない高位の地位だったはずだ。
「思ったのですが、枢機卿という地位があるなら、司祭などどうとでもできたのでは?」
「そうもいかないわけがあるのです。ブルク司祭は相手を強制的に従わせるアイテムを所持していまして、それを我々が守りたいお方、聖女様に取り付けたのです」
それを聞いてシンは眉根を寄せた。ファンタジーによくある奴隷の首輪のようなアイテムなど、ゲームにはなかったはずだ。
「リリシラ様、それをこの者たちに言ってしまってよろしいのですか?」
「話しておかねば、この方たちが危険です。シン様たちもくれぐれも気をつけてください。そのアイテムは黒い首輪で、表面に金色の文字が刻まれています。一度取り付けられると、本人の意思を無視して命令を聞かせることができるようになるのです。それが、たとえ装着者を死に至らしめるものであってもです」
伺いを立てる騎士にうなずいて、リリシラはアイテムの詳細を告げる。
相手を強制的に従わせるアイテム。話を聞きながらもゲーム時の知識を掘り返していたシンは、あるイベントを思い出していた。
「そうか……嘆きの人形」
「シン様? どうかしたのですか?」
シンが思い出したのは第5次アップデート『嘆きの人形』で発生したイベントだ。その中にNPCが強制的に敵になるというイベントがあった。そのときにNPCがつけていたのが、黒い首輪だったのだ。
イベント自体もプレイヤーからはあまり評判が良くなかった。なにせ、その首輪をつけられるとサポートキャラクターまで敵に回るという仕様だったのだ。シンも何人か敵に回して苦戦した記憶がある。
「なるほどな。あの時のアイテムがどっかに残ってたのか。ふざけたもの使いやがって」
NPCを隷属状態から元に戻すには、特殊なアイテムが必要となる。イベント限定アイテムなので、シンのアイテムボックスにも在庫はなかった。
(ついにあの称号が役に立つ時が来たってわけか)
オリジンを倒した際に得た称号『解放者』。
どうやら、しっかりと意味があったようである。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。