arashi closet --嵐エピソード集--

だいたい1999-2011くらいの嵐のオモシロ系エピ集です。ボリュームはけっこうあるので腰をすえて?お読みください。


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(^▽^;) ※自分や友人のコンレポや切り抜きをまとめたものです。備忘録みたいなもの。私の独断と偏見が大量にはいっているので、そういう不正確なものと思ってごらんください。時々修正してます。


  こんなふうに仲良しになりました…的歴史です。


仲良しが売りの嵐ですが、最初から今のように仲良かったわけではないです。いや仲が悪かったわけでもないですが。2011年現在のようになるまでには、ひと山越えなくちゃって感じデス。
 なお、嵐デビュー前の話はこちら嵐・苦いデビュー、そして今

1999年のデビュー時は、大野智(以下リーダー)・櫻井翔(以下翔さん)の年長さん達は、金髪ロン毛にピアスの怖い先輩で、密かなあだ名が元ヤンキーと三秒でキレル男、言葉使いはどっちもガラ悪い高校生風、いや本物の高校生でした。当時の翔さんの口ぐせ「おまえウゼーよ!」リーダーは外見は金のネックレスとピアスがこわかったが、中身は今と同じフワフワキャラでした。 ---Ep157
 今の、菩薩のようなマイナスイオンリーダーと、思いっきりヘタレキャラのニュースキャスターからは、まったく想像できません。




二宮和也(以下ニノちゃん)は「嵐の悪役は俺がやる」の言葉どおりの暴れん坊さんみたいでした。ツッコミは吐き捨て風、口ぐせは「バッカじゃねーの」、コンサートのMCで年上の翔くんに「何度もうるせーんだよ!」....
 今の、多くの名監督や先輩俳優・共演者からの信頼が厚く、インタビューでは常にメンバーをたてる、あの好青年ニノからは、これまた想像できません。



松本潤(潤くん)だけは、今よりずっとソフト。いつも笑顔、人なつこい、好感度バツグンな人でした....(ただし最初の1年くらいだけ)



相葉雅紀(相葉さん)は今とほとんど変わりません。かなりチャラく、男の子口調で、でも控えめ、元気な、とってもいい人でした。ジュニア時代は、嵐メンバー中では人気No.1でした。

 相葉さんはよく「嵐でよかった」って言いますが、相葉さんでよかった!!相葉さんじゃなかったら。別の人だったら、今ごろ嵐は5人ではなかったと私は思う。



初期の嵐、コンサートのMCやMステ、うたばんなどの生放送はかなり....コワかったようです......そりゃそうだ高校生の集まりだもん。それでも次の末っ子大暴れ時代よりはましだった?らしい。


2000年7月ごろ、生放送の歌番組にて松本くん「嵐は特になかよくないです」他の4人ちょっと凍る。
この放送は前兆といえば前兆だったのかも。この頃の松本くんはいわゆるヘタレ時代。運動ものは短距離走にマラソンに床運動にビーチバレーに...何をやってもたいてい嵐ではビリだったといいます。


大阪城→4月横浜アリーナのファーストコンサートツアー。このころの松本くんのあだなが亀で、MCが亀関係で松潤いじり。何かこれが関係してるらしいんだけど。話を聴くだけではよくわからん。 …フルテキストをみたところ、まだ10代の松潤は自分がいじめられていると感じたかもしれないなと思った。今ならいじられてるだけとわかるのだろうが...



ある事件をきっかけに、嵐に激震が……。2002年最初?ごろ。ファンには有名な、潤くんトゲキャラへの変身、いやキャラ変え事件です。反抗期事件ともいうのかな。いや、今のクール松潤になったのなら、ぜんぜん問題なかったのですが。そうではない。


 この話をメンバーがするようになったのは、2009年です。とても話せる問題でなかった......みたいです。彼らが活字に残る媒体(日経トレンディ。ドル誌ではムリ)でこの話をしたということは、今はもう、乗り越えられたからデスね



潤くんはどうなったかというと。

 ・笑顔をみせない。気にくわない人をにらみつける。あのすごい目力でにらまれるとw…数年をへてなおトラウマ…。

 ・周囲を、どなりつけることが増える

 ・基本、あやまらない。人の話は、基本批判的にとらえる(自分で言ってた)。

 ・「嵐って別に仲良くない」「ほとんどいっしょにいなかったし。この人好きじゃない。」大野さんのこと。(TVの歌番組,2002年)。

 ・「踊りがへた。何で(同じMAINの生田斗真でなく)嵐になったのかわからない。」相葉さんのこと。(雑誌インタビュー?)。

  本人&周囲によると反抗期なのだそうですが……現実はそんな軽いものではなかった。マジ、アイドルの危機デス.....



このへんのコンサートやファンイベント、あたりはずれが大きい。潤くんのご機嫌次第。今のVSみたいなものかな(^^;)。いえ、、、番長のご機嫌さえよければ、全然問題ないですけど。


潤くんの保護者みたいだった翔さんは当惑したと思いますが....翔さんに落ち込んでるヒマなどなかった

嵐全員なんですが、特に翔さんは、嵐のコンサートMCやスタッフ・ファン、共演者、ジュニアと、松本潤とのやりとりのすべてで、フォローしまくっていました。主に、潤くんのイライラから生じた険悪な空気をなごますことなんですが....。すいません、本当は(潤くんは)こんなヤツじゃないんです!」雑誌(日経エンタともう1誌)に掲載されたこの台詞はかなり痛い。



そしておい、悪役が2人になってどーすんだよ」と思ったであろうニノちゃん。見てないようで嵐全体を見てる人。あるコンサートから、ニノちゃんのメンバーへの言葉づかいが敬語になったそうです。

「松本」ではなく「潤くん」。吐き捨てるように言ってたツッコミを、笑顔でその人の方に体をむけて言うようになりました。

ニノちゃんは後半戦、この問題の対応に大活躍。ニノらしい方法で→みんなの反撃

まだ人気も実績もなかった嵐……2人とも、全力でささえてくれました。


リーダー、陰では苦労されていたと思います。何かあって上から呼び出されて怒られるのはリーダーだと思うので。険悪になりかけた時に、なごやかにするのはとっても上手で、「この人がリーダーでなかったら解散していた」(番長談)

そして、被害が一番いった感じの相葉さんの人間的器の大きさで、ずっと5人で嵐、でいられました。相葉さんて、本当に…強い人です。そして、心広すぎです。



某コンサートMCでの名セリフ。ニノ「松本さん、最近性格がとがってますから、犬でもかったらどうですか?


元々ニノちゃん、嵐のワンコですから。抱きついてきたり、手をつないできたり、リーダーと翔くんはさぞかわいかったことでしょう
 ただ、「いざッ Now」コンサートのビデオの舞台裏をとったおまけ映像に、ホントにお手手つないで会場入りしてる翔ちゃん&ニノが映ってて、「日常的にこれかよ!」とファンがドン引きしたとか…一部、かえって喜んだとか…



2001-2004年くらいまで、嵐ちゃんTVのレギュラー1本だけで、主な仕事はコンサートしかありませんでした。歌、ダンス、作詞と作曲、コンサートの演出、コントも。5人とも全力でやってました。「5×10」の歌詞にあるように、この売れなかった時代の試行錯誤が今の土台になっているんでしょうね。いわゆる売れない時代の話は長いのでw、こちら嵐・苦いデビュー、そして今


2001年10月嵐の命運を変えたバラエティ「真夜中の嵐」がスタート
 Cの嵐、Dの嵐、とづつき、メンバー同士ランダムな組み合わせで、市役所に手伝いにいくわ、怪しい実験をやらされるわ、心霊スポットで真夜中に取材させられるわ、コスプレはほぼ毎回だし、、。


 2010年の人気絶頂時にもまだやってた嵐の宿題くん 今でもこれが一番好きな嵐の番組という人も多い。あらゆるジャンルのゲストとトークし、奇奇怪怪なものを試食し……相葉さんが司会をやった相葉ランドは一番人気だったと思います。またいつか、相葉MCが見たいなあ。

 これって、嵐にとって、SMAPの「夢はモリモリ」(出世のきっかけとなった深夜バラエティ)なんですよね。メンバーが強制的に仲良くなったし、全員もれなくお笑いが上手に。


小倉さんの名セリフ 「ねえ、嵐全員、松本くんに気を使ってない?」



このころ、2004年までは大学の講義に出ながら嵐やってた翔さん、人生で一番たいへんだったそうです。4年間無遅刻で出てたって...ただの大学生でもそれはかなり難しい。

 櫻井さん、この大学生活はきついけど楽しかったみたいですね。ほぼラップのみの曲「ペンの指す方向」Chapter1は学生最後の夜の話で「人生で一番短い夜」「あとちょっとだけバカやっていたいんだ」とつづられてます。


2004年。嵐が24時間テレビのパーソナリティを担当。

前日コンサート、翌々日もコンサート、その間に24時間とゆーおそろしいスケジュールでしたが、やってくれてよかった。

相葉さんの個々のメンバーへの手紙ですよ、圧巻は。有名な、潤くんへのやつ。「振りをまちがえてごめんなさい....やっと嵐のメンバーになれました」....泣きました、嵐全員。事情を知るテレビの前のファンも泣きました。



24時間TVの相葉ちゃんの手紙、もう1通。上記のほどは有名ではない翔さんへの分。「翔ちゃん、こんなバラバラの嵐をまとめてくれてありがとう。

 泣いたよ、全国の翔ファンが。バラバラの嵐……あの頃、ドS番長にどんだけ苦労してたか。ありがとう、嵐の太陽・相葉さん!!


2005年くらい、番長&ニノちゃん、お互いの舞台を見に行ったことなどから、仲良しに。ニノちゃんは、潤くんの本質に気がついたらしい。 翔さんが防弾ガラスだとすると、潤くんは押すと砕け散ってしまいそうな繊細なガラス」(雑誌インタビューより)。「え?松潤って俺様キャラじゃないの?」と思ったことでしょう(いや、そうなんだけど)


 ニノちゃんは、昔も今もべつに番長をヨイショしているのではない。潤くんの薄いガラスを守ってるんですよね。ただその~薄い硝子が、ファンを含む周囲を傷つけまくってるってのがこの頃の問題だったわけで。しかし、がつんと注意するとガラス割れちゃうみたいだから。


 結局解決したのは、周囲が取り扱いに慣れてきたころ?時間みたいなんだけど。本人たちも大変かもしれんが、この間ファンもたいへんだったんだよ。たとえ相手が潤くんでも、やはり担当がひどい目にあったりすると、ファンは傷つくのだ....あーやれやれ、今(2011)の嵐ちゃんたちの仲良しっぷりは、本当~に、うれしい!!


2005年相葉ちゃんが、ゴールデン「天才、志村どうぶつ園」にレギュラー出演することになりました。しかも、最初は普通のレギュラーだったのに、途中からは司会者として、志村けんさんの横で番組を運営することになりました。すごいデス。雅紀ドットコム、最高デス。2011年の現在も、志村どうぶつ園は視聴率15%前後。嵐出演バラエティではもちろんトップの成績です。



2006年。嵐の節目イヤー。VS嵐の前身「まごまご嵐」スタートです。いや、というより……井上真央主演(松本潤共演)の「花より男子」、TV局が予想しなかった高視聴率をあげ、2007年冬放送の続編の「花より男子2」は、前作以上の大ヒット


 これがきっかけとなって、嵐結成7年目にしてやっと、少しブレイク!潤くんや小栗旬さんもよかったですが、すばらしかったのは主演の井上真央ちゃん。好演でした。小栗旬さんはこれでブレイク、類の人気は道明寺より高く出番も予定より増やされました。 

 この時、嵐のCDやDVDが、初めて売れるようになったそうです。いや、嵐の切り札ってコンサートですからねえ。DVDはぜひ見てもらわんと!今の国民的アイドル?嵐になるきっかけを、花男と花男2が作ってくれました。


 そして嵐にとって、売れるより何よりよかったのは、花男の仕事で、潤くんがあのトゲトゲモードを修正しはじめたということです。しかし、やっとですかい、先生!


  「少しブレイク」っていうのは。嵐のブレイクは全員が大活躍した2008-2009年だそうです。数字上。



2006年といえば。「硫黄島からの手紙」が公開された年。ニノちゃん、ハリウッド進出。ニノとくいのドッキリじゃないよ。


 生き残った上等兵役のニノちゃんはアカデミー賞ノミネートもささやかれる名演で、世界から絶賛されました。なんたってクリント・イーストウッドがべたほめだもん。ニノの「情熱大陸」見ましたか?アイドルなんか見向きもしなかったハイレベル層が嵐に目を向けることになりました。蜷川幸雄が、倉本創が、絶賛する天才役者二宮和也が、嵐とは違う檜舞台に、やっと、でてきたのかなって思いました。



2006年は、また、櫻井さんが、ジャニーズ史上初のニュースキャスターに就任した年。月曜だけですが、ワイドショーとかじゃない、キー局の報道番組、もちろん生放送ですから。すごいですよ。

 当時は、まーーあちこちから色々言われてましたが、もう4年半。だれも何も言わなくなりました。時間がたったからじゃなくて、ニュース報道に対する姿勢じゃないかと思うんですが。常に弱い方の視線で、共感をもってニュースを伝えてくれます。多くの現場でのロケ、オリンピックのキャスターや歌番組の司会ほか多くの生放送のMCをこなし、、、翔さんは、時間をかけて、少しづつ丁寧に、「嵐」の地位をひっぱりあげてくれました


 ほとんど笑顔を見せないNews zeroの翔ちゃん。その覚悟はファンにも伝わってきます。感じてしまいますよ、いつか、この人は嵐よりも報道の世界を選ぶのではないかと。

 2011年の今は、それはないだろうって思ってますけどねw。ほらほらリーダーも言ってるでしょ。Q「嵐のみんなに臨むことは?」大ちゃん「いなくならないこと」。



さて2006年冒頭、嵐的には、リーダー&翔さんの、たぶん最初で最後のソロコンサー全国ツアー開催。ライブハウスの嵐なんてもう今後見られないでしょうね。
 これは歌やダンスのふりつけ、構成、演出も全部本人1人で行うもので、リーダー&翔ちゃんの年長組でも、そうとうなプレッシャーだったようです。(ソロコン開催をきかされたのは開催1カ月前。それも「まごまご嵐」ボート部のレース開催の日だったそうです) 
映像みると必死さが伝わってきます(笑)。


 この時、泣きそーな?2人が合作した「俺たちのSONG」の歌詞にその心境が現れていててカワイイです。「2人で渡れば怖くない~」....

 あーのー、年下のニノちゃんは、1人で海を渡ってハリウッドいってるんですがあ~?



潤くんは、この頃(2005-6)、初の司会番組・爆笑HOTHIT100~ウタワラを1年半ほどもってました。共演がなんと和田アキ子さん。後KAT-TUNも重要パートで共演。

 最初はファンも見てられないくらいヨロヨロだったようデスが、最期の方は司会できてましたよね。(笑いがとれたかは別として)鉄腕ダッシュ!のあとの枠に移動してしばらくして終了しました。


 ウタワラ、嵐ゲストの回の翔ちゃんのコメント「松潤がニコニコ笑ってて司会しててびっくりしたー。俺たちにはめちゃくちゃ厳しいのに!」会場爆笑。事情を知ってるTVの前のファンはハハハ~(^▽^;)。


嵐ちゃんの個人仕事ふえた2006年、いちばんスゴイ仕事はリーダーの舞台、風シリーズ3作目の「テンセイクンプー」な気がします。いやほんとすごいから!DVD見てみてー。


★2006年秋ぐらい。ある時期、たぶん二週間くらいだけど、嵐の皆さんの見た目が、いまだかつてないくらい面白いことに。リーダー:眉毛が描かれ髪が真上に立つパンクロッカー、櫻井さん:くしゃくしゃロン毛にヒゲ面ほとんどホームレス、相葉:金髪のスポーツ刈り、二宮:坊主からちょっとのびた中田英寿風、松本:2色カラーの道明寺。この時のVTRとかあったら写るだけで爆笑だと思う。  ---Ep158


コンサートは毎年夏コン、冬コンやってましたが2006年は、嵐ちゃんたち、初の海外ツアーArashi Around Asiaを行った年です。6月にはアジア歌謡フェスティバル(だっけ?)にも参加しました。全員「どうなるか想像もつかなかった」海外ツアー。これ、昔は嵐って、コンサートは夏と冬やってて、そのあいまって感じだった。いてらー、おかえりー、っていう。でも。


   嵐コンサート史上、この海外遠征はすっごく重要だったのかもしれない


●2007年。「Time」 の年 Timeツアー。嵐ライブの全てが違った海外のツアーの前と後で、これほどちがうものなのか。

 いつものようにガシガシ踊ってる嵐ちゃん。ダンスはむしろ新曲が無かった2006のがそろってる。でも表情が、ステップが、歌い方が、散会してまた集合するときの5人の姿が、自信と、余裕と、観客への暖かいアピールにあふれていた。この頃からが「今の嵐」っぽい。


今でもファンに人気No.1のアルバム「Time」。Timeツアーでは全国のドーム他大型会場を回り、セットのご予算もどかんと豪華に。おかげで、いろいろな伝説を生んじゃったツアーとして知られておりますTime伝説、Mステや深夜生番で当時も、本人たちにより(^▽^;)語られてましたが…。久しぶりに番長大暴れ~ははは。あ、でもね、昔みたいに深刻じゃないからw。また、既に当選者が決まっていたアリーナをキャンセルして、東京ドームを追加したり...。ほんとTImeはいろいろあったなあ。ツアー自体は大成功だったと思います。



●10月に終わったTimeツアーの半年後、2008年5月Dream A Liveツアーが始り、それが終わって2カ月してAAA2008ツアーが始まった、いやせわしい。


 ドリアラは、ディズニーのパレードみたいな山車と、女性ダンサーとからんで踊る、新演出。が新演出のほとんどが既存ファンに不評で、次のツアーArashi Around Asia2008(9月国立から)には、全演出が元にもどっていたのでした(^▽^;)。Timeっぽく。ドリアラコンはDVD出てないし、まぼろし~?ひときわ変わったコンだから今DVD出せば面白いと思うんだけど。 


2007,2008頃のコンサートDVD、当時は松本くん大人気で、メンバーが単独で写ってる時間とか…けっこうな差が……「松本潤とその他4名」的な状態(^▽^;)。2011年現在では5人の人気はほぼ等しくなりましたから(担当の比率 )、これから出るDVDはたぶん大丈夫。

 この頃の松本くんは嵐の中でも俺は俺、慣れ合いはきらいだとかインタビューでばんばん言うし、今からすると考えられないくらい俺様全開でありました(^▽^;)。ハハハーこれが番長のキャラではあるのですけど。


2008年…は、いきなり嵐の冠バラエティが2本始まり、リーダーの「魔王」、国立競技場に驚き、ぎゃあ!感が多い年だったが。花男ブームでも感じなかったこの感じ…そうか、これがブレイクっていうのか


2009年に「日経エンタテイメント」が、嵐・人気の理由とは?みたいな記事を掲載しました。これは貴重品というか、アイドル誌では載せられない部分も、いっぱいしゃべってましたから嵐ちゃんたち。


 その日経エンタテイメントがパワーランキングのリサーチ会社会社アーキテクトの協力を得て年1回だしてるタレントパワーランキング。

2008年は、みんな順位急上昇とはいえ、相葉さん1人しか50位以内にはいってなかったと思います。

2009年は、50位以内に、櫻井さん、相葉さん、二宮さんの3名がのってました。

2010年にようやく全員がパワーランキング50位以内に入りました。


 ※グループ誕生の時の話と、ここにのってない嵐・苦いデビュー、そして今



2011今の嵐
 日本一忙しいアイドルでしょうね。冠番組だけでもゴールデンとプライムに週3本あるし。翔さんと相葉さんはさらにもう1本あるし。ドラマに映画に舞台にラジオに...

 しかし、嵐の本業、歌って踊ることーコンサートーと彼らは思っているようです。職業アイドルだから。

 多忙を極めるあの子たちが、4時間をかけて、50曲をほぼノンストップで歌い、踊る。ライブの間、メンバーは可能な限りの人と目をあわせるといいます。単独アーティストのツアーコンサートとしては、日本のポップス史上最も長く、最も曲数の多いコンサートのはずデス。初めて見た時、なぜここまでやるのかと思いました。


 雑誌の記事によると、忙しい時期は平均睡眠時間3~4時間とか。今年は2010年よりはましなんじゃないかな。でも。ほんと売れっ子になっちゃった嵐ちゃんたち。仕事は1つ1つ丁寧にこなす、要求される以上のものを返す、という嵐のポリシー、バラエティでみせる笑顔は昔と同じですね。あの爆笑のワクワク学校で久しぶりに生見たけど、MCうまくなった以外、昔のままでしたね。一歩前に…ぷぷぷ、出そうもないやーー!!また今年も、うだうだと楽しませてくれそうです。





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