じわじわと感じる「老人を嫌がる風潮」 五木×古市対談【第1回】

100歳以上の高齢者数、6万人。2050年には68万人に達するとも。急速に進む超高齢化社会に不安や違和感を持つ人も増えています。作家・五木寛之氏はそんな違和感を「嫌老感」と表現。『嫌老社会を超えて』を上梓しました。最終章では若手代表として社会学者・古市氏と対談。世代間の軋轢は階級闘争に発展? 共存できる道は? 題して「戦後70年、老人と若者はわかりあえるのか?」 52歳差の論客が語り合う衝撃の社会論!

「老人駆除」に見る近未来

五木寛之(以下、五木) 初めて対談させていただくので、いろんな著書を片端から読んで、「古市学」をにわか勉強しました。話題になった『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)は前に読んでいたんですが、『誰も戦争を教えられない』(講談社)とか、どれも刺激的でおもしろかったです。

古市憲寿(以下、古市) 本当ですか。ありがとうございます。僕も五木さんの本をできるだけ読ませていただこうとしたのですが、あまりにもキャリアが長すぎて無理でした(苦笑)。もはや古典ともいえる『青春の門』や『青年は荒野をめざす』は五〇年近く前の作品です。その五木さんがいまだに現役というのは、本当にびっくりしてしまいます。

五木 いやいや、今の時代に一番邪魔なおじいさんですよ(笑)。古市さんが最近出された『保育園義務教育化』(小学館)を読んで思ったのだけれど、あなたと僕は、日本社会が今直面している「少子高齢化」という問題に関して、ある意味で正反対のところからアプローチしようとしているんですね。古市さんは少子化、僕は高齢化に軸足をおいて。以前から僕は、この二つは一緒くたにしないで、分けて考えないといけない、と言ってきたんです。

古市 確かに「少子化」と「高齢化」は厳密には違う問題ですね。

五木 古市さんが目指すのは「増子化」。他方、高齢者対策としては、従来の老人のあり方を変えるという意味で、「少老化」「減老化」が必要かもしれません。ところが、先日、物理的にそれをやるというマンガを見せてもらって、驚いたんです。官邸に「ドローン」を飛ばした人がいたでしょう。彼がネット上で高齢化社会をテーマにしたマンガを公開していて、これがなかなか面白いんです。ご存知でしたか?

古市 いえ、初耳でした。五木さんのほうが、僕よりもネット社会に精通しているのかもしれませんね。どんな内容なんですか?

五木 失業中の若者が、ハローワークで非正規の仕事を見つけたら、そこは政府直轄の「老人駆除隊」という謎の組織だった、というような設定なんです。清掃局が害虫を駆除するように、高齢者を見つけたら「駆除」していくわけ(笑)。

古市 「老人駆除」ですか(苦笑)。笑ってはいけないですが、強烈なテーマですね。

五木 そのうちにジャンヌ・ダルクよろしく「怪傑老人」が現れて、老人駆除隊に対抗していく、というストーリーです。絵もそこそこですし、なかなか「読ませる」作品でした。

古市 「駆除」というアイデアは、どう感じました?

五木 最初にその言葉を目にした時には、それはドキリとしましたね。そこまで言われるとなあ、と。ただ、読み終わった後には、別の「ドキリ」にとらわれていました。 
 サブカルチャー的なものに、時代の精神とか思想とかが萌芽として現れるのは、珍しいことではありませんよね。世の中の風向きが変わる時、その底流には、同じ時代を生きる人々が共有しながら、まだ無意識の領域に眠っている、肉体的感覚みたいなものがあるように思うのです。誰かがそれを指摘すると、「ええっ?」「そんなこと考えてもみなかったけれど……」と、みんなが覚醒させられるような。

古市 優れた小説や評論って、僕たちの常識や価値観を揺さぶることがありますが、その感覚に近いのでしょうか。確かにドキリとしますね。

五木 あの作品は今の時代の「隠された意識」を、どこかで反映しているのではないだろうか、と感じました。人より先に有害なガスの存在を察知する、「炭鉱のカナリア」みたいに。これはもう、一老人の被害妄想かもしれないのだけれど、生産年齢人口がどんどん減っていく一方で、「元気な」年金生活者が増えていくわけです。「自分たちは、身を粉にして働いた中から、高齢者のために多大な負担をしている」「しかも、その年金を、将来、自分たちはまともにもらえないかもしれない」—。下の世代のそんな不満が、「高齢者を何とかしろ!」というふうにエスカレートしても、おかしくはないと感じるのです。

古市 その行き着く先が「駆除」かもしれないということですね。

五木 そういう、いわば「嫌老社会」の入口に、今我々は立っているのではないか、というのが僕の問題提起なんですが……。これまでの時代にはなかった「嫌老感」が、じわじわ日本社会の中に広がり始めている。そんな気がしてならないんです。考え過ぎかな(笑)。


嫌老社会を超えて(中央公論新社)

「嫌老」ではない? 若者たち

古市 確かに若い世代でも、〝老人バッシング〟を口にする人はいます。かつて『「若者奴隷」時代』という本が出版されたこともありました。でも、若者全体としてみたら、過激な高齢者批判をする人間って、それほどいないように感じます。マスコミも、確かに年金や社会保障における「世代間格差」を煽るけれども、そもそも「世代間格差」という言葉自体聞いたこともないという若者が、大多数なのではないでしょうか。高齢者に対してすごい嫌悪の念を抱いている若者というのは、多数派とは言えないと思います。

五木 そういう話を聞くと、少しホッとするんですが。ただ、「格差」があるのは厳然たる事実ですからね。「二階建て」「三階建て」の年金に、プラスいろんな恩給も付いて、現役時代と遜色ないような収入のお年寄りが、けっこういるような気がする。

古市 五木さんも、最近の本の中で「高齢者は社会のお荷物」といったことを何度か書かれていますよね。ご自身のことを「お荷物」だと考えているのですか?

五木 やっぱり……なんとなくの後ろめたさはありますね。

古市 五木さんでもそうなんですね。

五木 かなりの収入や資産のある人は、年金を辞退してもいいと思うのです。でも、先のことは分からないけれど、他の世代の負担に依存している階層の一員であることは、間違いないんですからね。
 まあ、古市さんが言われるような「すごい嫌悪」でなくても、「老人を嫌がる風潮」というのは、目に見えないところで確実に広がっていると思うんですよ。例えば、目抜き通りにあるちょっとしゃれたカフェかなにかに入るでしょう。すると高齢者は、決まって奥の静かなほうに通されるんです。で、窓際のいい席には、若くて見栄えのいいカップルなんかが案内される(笑)。ああいうのは、「年寄りはこんなところにまで出てきて、目立つなよ」という、無意識の嫌老感だと思うな。それに対して「そうでした、すみません」という感じが、僕の中にもあるわけです。

古市 本当は五木寛之が窓際にいたほうが、そのカフェも権威が出ると思いますけどね(笑)。でも、五木さんでさえ、そんな感情を持つことに驚いています。

五木 それに、あえて言うと、高齢者自身も嫌老意識を持っているのです。喫茶店に後から入ってきた老人を一瞥して、「こんなところに来て、目立つなよ」と心の中で毒づいたり(笑)。近親憎悪じゃないけれども、下の世代に先行して、嫌老感に取りつかれているところも、あるように感じますね。

古市 なるほど。では逆に、そんな社会に対する憤りは、ないんですか? 最近、村上龍さんが、後期高齢者が国中でテロを起こすという『オールド・テロリスト』(文藝春秋)という本を出版しました。戦争体験があって、地位もお金もある人間たちが、自分たちの人脈もフルに使って、日本をもう一度、戦後の焼け野原のようにしよう、という小説なんです。そういう「リセット願望」を五木さんはどうご覧になりますか。

五木 僕も昔、立ち上がった「暴走老人」を主人公に、『夜のドンキホーテ』(角川文庫)という小説を書いたことがあります。ただ、現実の問題として、自らの身体、精神の「衰え」はいかんともし難いですからね。衰えるのは肉体だけではなくて、精神的にも「来ます」から。何かの行動を起こそう、なんていう元気は、今はちょっとないですね。これは、この年齢になってみないと分からない感覚だと思います。

古市 五木さんは、同世代の中でも、格段に元気で活躍なさっている方の一人ですよね。それでもやはり、衰えの感覚は禁じえない、ということですか。

五木 文字通り、老軀ろうくに鞭打って、という感じ(笑)。さっき世代間格差の話をしましたけど、実は高齢者同士の格差も深刻で、高齢者が増えるにつれて、ますます拡大していくのではないかと思う。「三階建て」の年金で悠々自適の老後を送る人がいれば、僅かな国民年金で、爪に火を灯すような暮らしを強いられている高齢者も実際に、数多くいるのです。 また、「健康格差」もあります。一〇〇歳でマラソンをするような「スーパー老人」がいる一方で、もう七〇歳くらいで急速に衰えて、寝たきりに近くなってしまう人もいるわけですから。

古市 同じ高齢者内で、経済格差だけでなく、健康格差もあるんですね。

五木 六〇歳の子が九〇歳、一〇〇歳の親を看るような「老老介護」は珍しくなくなりました。面倒をみてくれる人がいればまだましで、「おひとりさま」の老人も、これから増えてくる。ネガティブに考え始めると際限がないけれど、それも高齢化社会の現実なんですね。そこにいよいよ団塊の世代七百万人が雪崩をうって加わってくるわけですから。

老人だらけのスターバックス

古市 五木さんは、歳をとってよかったな、と思うことはありますか?

五木 よかったこと……う~ん、そうだね。ほとんど意識したことがないんだけれど、生きていること自体は、悪いことではないと思います。僕らは戦争世代ですからね。戦争中は、「一〇代で死ぬ」って決めてました。戦後も、「四〇まで生きられればいいかな」という感じだったのに、いつの間にか八〇歳を超えてしまった。そう、いいとか悪いとかの前に、「こんなにも生きてしまった」という感覚でしょうか。

古市 日本人の生存率を調べると、九〇歳の時点で、男性は二三%。四人に一人は生きています。女性に至っては、二人に一人です。こういう数字を見ると、あらためてすごい時代なんだなあと感じます。五木さんは八二歳ですよね。

五木 そうです。今年(二〇一五年)の秋で八三です。

古市 八三歳の男性生存率は五四%ですね。

五木 確かにすごいんだけど、このまま時代が一〇年、二〇年と進んで行ったら、どうなるのだろう、とやっぱり考えてしまう。スターバックスに入ったら、客も店員も老人だらけ(笑)。身寄りのない高齢者が、シェアハウスで肩寄せあって暮らすことになるかもしれない。そんなことを想像すると、なんとなく気が重くなるんですよね、正直言って。それに、いま古市さんがおっしゃったのは、あくまでも「とりあえず生きています」っていう数字でしょう。さっきも言ったように、この年齢になると、いろんな衰えを認めざるをえない。みんなが特に恐れるのは、体もさることながら、やはり早期痴呆やアルツハイマー病ですね。歳を取って頑固になるのは、それの前兆現象だっていう説もある。僕自身、固有名詞がすぐには出にくくなって、「あれが」「これが」というのが、ずいぶん多くなりました。高齢になると、心も体も錆びついてくるのが当たり前ですから。

古市 認知能力が低下するのは、仕方がない。ただ誤解を恐れずに言うと、認知能力がすごく下がった方が自動車を運転するのって、若者が危険ドラッグを吸ってハンドルを握るのと、同じようなものですよね。

五木 そう思います。だから、私は六〇歳を超えたあたりで、クルマの運転からは卒業しました。クルマ大好き人間だったので、自分の人生が半分終わったような感じがしましたけれど(笑)。よく、九〇歳でポルシェを転がしてます、なんていう老人がテレビに出たりするでしょう。迷惑だよねえ(笑)。僕は、絶対やめるべきだと思う。

古市 せめて自動運転が普及するまでは我慢してほしいですね。


ふるいち のりとし
1985年東京都生まれ。若者の生態を的確に描き出し、クールに擁護した著書『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)で注目される。朝日新聞信頼回復と再生のための委員会外部委員などを歴任。日本学術振興会育志賞受賞。近著に『保育園義務教育化』(小学館)。

歳をとることが忌避される時代だからこそ、この一冊!

嫌老社会を超えて

五木 寛之
中央公論新社
2015-09-19

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コメント

elm200 これちょっと面白い。私もこの歳になって、老人といっても実にさまざまな人たちと境遇があることがわかってきた。本当に悲惨なのは、老人間の経済・健康的な格差なのかもしれない。 7分前 replyretweetfavorite

consaba 「老人駆除」に見る近未来 「戦後70年、老人と若者はわかりあえるのか?」  約2時間前 replyretweetfavorite