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【2】
シュニーが去って数分後、さすがにこのまま固まっているわけにもいかないのでシンは外に出て月の祠を収納した。
夜の風が、まだ少し残っていた熱を冷ましてくれる。
「……とりあえず、もどるか」
隠蔽をかけたまま城壁を登り、誰にも気づかれることなく城内へと戻った。まっすぐ宿へ向かうのもなんだったので露店を巡って軽くつまめるものを買い、空いていたベンチに腰かけて食べる。
『氾濫』の情報はもうだいぶ伝わったようで、準備と思しき作業をしている者たちがちらほら目につく。そこまで切羽詰まった表情をしていないのは、彼らが幾度か『氾濫』を経験しているからだろうか。
「さて、さすがにそろそろ宿に戻るか」
ギルドからの帰り道。偶然ホーリーとシャドゥに会ったシンは、ひびねこの店でカエデのことやデスゲーム時代のことを話した。
にゃんダーランドを出たシンは、今度はまっすぐに宿に向かう。
シャドゥたちと話をして多少気はまぎれているが、シュニーと面と向かって会ったらどうなるかはまだわからない。
どこかもやもやしたままレッドテイルの扉を開け、鍵を受け取って部屋へと向かう。途中誰に会うこともなく、部屋に着く。
しばらくすると部屋の扉がノックされた。女性から水の入った桶を受け取る。鍵を受け取る際に頼んでおいたのだ。それなりに大きいので重量があるはずだが、女性は軽々と運んでいた。
水を温める魔術を使ってからタオルを浸し、体をぬぐう。トイレは普及しつつあるが、風呂はまだ難しいようだ。技術的なことがわからないシンは、早く作ってくれと願うしかない。
「……寝よう」
とくにやることもなかったので、寝ることにした。シュニーとのことが尾を引いているのか、何かしようという気にはなれなかったのである。
布団にもぐりこむ。意外なほどすんなりと、シンの意識は眠りへと落ちていった。
明けて翌日。
シンが身支度を整えていると、扉がノックされた。外にいたのはティエラ、変装したシュニー、ユズハ、カゲロウの2人と2匹。朝食を一緒に取ろうということらしい。
ユズハを頭上に乗せてシンは階下に降りる。さりげなくシュニーの方を見るが、特に変わった様子は見られない。
「今日はどうするの?」
朝食をとりながら、ティエラが言う。
すでに『氾濫』が発生していることは広く告知されているようで、住民の避難も始まっているらしい。冒険者はそこまで準備することがないので手の足りないところに手伝い要員として駆り出されるのだが、都市内ではあまり仕事はないようだ。
「私は領主の城へ行きます。シンも連れて行くといってありますから、今日は一緒に来てください」
「あ、ああ、わかった」
昨日の一件で伝えるのを忘れていたらしい。シンも、今日の予定など考えてもいなかったので承諾する。態度の変わらないシュニーを見ていると、いろいろ気にしている自分がおかしいのかと思えてしまうシンだった。漫画でもこういう時は男の方が気にするんだったか? と、どうでもいいことを考えてしまう。
「じゃあ、私は訓練所に行ってますね。私じゃ前線には出れませんけど、何があるかわかりませんし」
「そうですね。それがいいでしょう。時間があれば、また組み手をしましょうか」
「……はい、宜しくお願いします」
ティエラの微妙に間のある返事を聞きながら、シンは心の中で南無と唱えた。
一緒に旅をしていた時も訓練しているのを見ていたのだが、シュニーの訓練しごきはシンから見てもなかなかにハードなものだった。シンの改造馬車&特製寝具がなければ、疲労がたまって動けなかったに違いないというレベルだ。素直に返事ができなかったのも仕方がないだろう。
カゲロウを従えているので出ようと思えば前線でも十分戦えるのだが、本人の戦闘力が上がるわけではないので訓練は意外と有効だ。レベルにばかり固執していては、本当に強くはなれない。
食事を終えると鍵を預けて城に向かう。シュニーとティエラが人の目を集めるのはいつものことだったが、『氾濫』でモンスターが迫っているとあってさすがに声をかけてくるような手合いはいなかった。
途中でギルドに向かうティエラ、カゲロウと別れ、シン、シュニー、ユズハの2人と1匹は城へ足を向ける。
「今日は何をするんだ?」
「派遣されている選定者の方たちとの顔合わせと、連携についての話し合いですね。実際にどの程度連携が取れるかも試します」
ひびねこたちとはもう顔合わせがすんでいるが、派遣組と呼ばれる者たちとシンはまだ会っていない。おそらく、リオンの紹介もあるのだろう。
いくら選定者が個々の能力に優れているとはいえ、ぶっつけ本番で連携をとれなどという無茶はないようだ。本来は都市の命運がかかっているのだから、当然といえば当然だろう。
「たしか、ガイルとリージュ、だっけ?」
「ご存知でしたか」
「ギルドで聞いた。ガイルの魔術スキルで攻撃するって言ってたから、そっちが魔導士か?」
「はい。フルネームはガイル・サージェット。炎術系の魔術を得意とする魔導士です。もう1人がリージュ・ラトライア。こちらはリオン様と同じ魔剣士ですね」
ガイルがロード、リージュがドラグニルらしい。シュニーはどちらとも何度か共闘する機会があったらしく、人柄についてもよく知っているようだった。
戦闘スタイルや能力について聞いているうちに、領主の城に着いた。
シュニーは直前で変装を解き、本来の姿で門へと歩いていく。突然の変化だが、魔術スキルによって誰も気づくことはなかった。
「シュニー・ライザー様! よくぞお越しくださいました!」
近づいてくるのが誰なのか気づいた門番が、完璧な敬礼を見せる。その視線はシュニーに釘付けで、シンがいることに気づいていない気配すらあった。
「身分証明とか、要りますか?」
「っ!! 失礼しました! 許可証の提示をお願いします!」
シンが声をかけると慌てたように門番が言った。どうやら本当に気付いていなかったようだ。
張り切りすぎている門番に、シュニーが許可証を渡す。事前にもらっていたらしい。
許可証を確認した門番が開いてくれた扉を通って、2人と1匹は城の中に入る。
門番の1人が案内役として嬉々とした表情で先導している。ただ、残って仕事を続ける門番たちの絶望したような顔を見るに、この役を巡って壮絶な戦いが繰り広げられたことは間違いない。
(めちゃくちゃ見られてるな)
城内を歩けば、必然的にある程度の人とすれ違う。そして、そのほとんどが足を止めてシュニーに見惚れるか、礼をしてくるのだ。時間がたつにつれて人数が増えているような気がするのは、シンの気のせいではないだろう。
「(シュニーにんき?)」
「(ああ、強くて美人で上位種族だ。そりゃ人気もでるわな)」
ユズハの念話に答えながら、シンは自分に向けられる視線に鬱陶しさを感じていた。すれ違う人は、大抵シュニーを見た後、シンとユズハに気づく。そして、およそ9割の人が「シュニー殿の隣を歩いているあいつは誰だ!?」という表情を浮かべるのだ。敵意を向けてくる手合いが少ないのが救いだが、面倒くささは変わらない。
時間をずらすべきだったと、シンはシュニーの人気を侮っていたことを後悔していた。
誰一人声をかけてこないのは、シュニーがここにきている理由を皆が理解しているからか。お連れはどなたかという話にならずに済むので、そこだけシンは安堵していた。
しばらくして、ある部屋の前で案内役の門番が立ち止まる。どうやらここが顔合わせの場所らしい。
「ライザー様。わざわざお越しいただき、感謝いたします」
「お気になさらず。遅れてしまいましたか?」
「いえ、まだ来ておられない方もいますので」
2人が部屋に入ると、テーブルについて話をしていた中からもっとも質の良い服を着た人物が立ち上がり、感謝の言葉を告げてきた。
タウロ・ヤクスフェル。
髪を短く刈り込んだ目力の強い人物で、歳は40代半ばといったところ。たるみのない体はその性格を反映しているように感じられる。
「シン殿はリオン様とともにわが都市の防衛に参加してくださるとか、実に心強く思っております」
「あ、いえ、お気になさらず」
シュニーと軽く挨拶をかわすと、タウロはすかさずシンにも声をかけてくる。言葉遣いは丁寧だが、シンという人物を見透かそうとするかのように鋭い視線を向けてくるあたり、さすがはバルメルの領主といったところか。
「話し合いを始めるまで、まだしばし時間があります。飲み物を用意させますので、どうぞおくつろぎください」
そう言って席を外すタウロ。派遣組とリオンはまだ来ていない。
先に来ていたひびねこたちに挨拶をしてしばらく待つと、タウロとリオンの他、男性2人と女性1人が入ってきた。
「では、皆さまの顔合わせも兼ねた会議を始めたいと思います。初対面の方もおりますので、軽く自己紹介とまいりましょう」
全員が着席したのを見計らってタウロが切り出した。
飛び入りであるシンとリオンから始まり、順に自己紹介が進む。
「俺はガイル・サージェット。魔導士だ。今回はライザー殿と共に初撃を担当することになる。よろしく頼む」
ガイルは魔導士ということだったが、どちらかと言えば戦士と言われた方が納得のいく外見の男だった。少し長めの茶髪に黒眼の爽やか系。身長はシンと同じくらいだが、筋肉の量はガイルの方が多いだろう。ロードらしいが、見た目はヒューマンと変わらない。
連携訓練もあるからか、杖とマントも持ってきていた。
「あたしはリージュ・ラトライア。魔剣士をやってる。今回はリオン様と一緒にこいつのお守だ。仲良くやろう」
リージュはウェーブのかかった燃えるような赤髪と深紅の瞳をもつ女性だった。戦士職ゆえか口調からはあまり女性らしさは感じないが、170はある身長と出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるプロポーションは十分魅力的だ。
目元にわずかな鱗模様が見える以外は、ドラグニルとしての特徴はない。シュバイドと違い、こちらは見た目が人に近いタイプのようだ。
「あれをこっちで着てるやつがいるとは」
「ん? どうかしたかい?」
シンがつぶやいたのが聞こえたらしく。リージュが聞いてくる。
「ああ、いや、リージュさんが着ているのは魔術鎧なのかな、と」
ガイルと同じく実戦用の装備を付けているリージュ。ただ、身につけているのが俗に言う、ビキニアーマーだった。一部のゲームで登場する、鎧としての機能が疑われる装備である。
シンは質問するように言ったが、当然それがどういう装備なのかは知っている。正式名称は『竜玉の魔術鎧』でドラゴン系のモンスターからとれる宝玉を使った伝説レジェンド級中位の鎧だ。色が赤いのはレッドドラゴンからとれる宝玉を使っているからだろう。
ダメージを受けた際に一定値までを無効化、それ以上はダメージを減少させる効果を持っていて、VITが500以上ないと装備できない。肌が露出している部分にもダメージ減少効果はあるので、ステータス次第ではむき出しの腕で刃物を受け止める、というようなこともできた。
ただ、性能は高いほうなのだが、ゲーム時代はあまり人気のなかった装備でもある。VRMMOとなり、自分の体を動かすようにプレイするのもあってか、女性であれを着ようと思う者はあまりいなかったのだ。
「おや、見惚れてたんじゃないのかい? 胸に視線を感じたんだけどねぇ」
「勘弁してください……」
そういってリージュは胸元を強調して見せる。シンがリージュの胸――正確には胸を覆う鎧――に視線を向けていたのは事実だが、邪な気持ちで見ていたわけではない。
からかわれてるなと思いながらも、こういう性格なら着れるか、ともシンは思った。
「リージュ、からかうのもそれくらいにしておけ。自己紹介を続けさせてもらうぞ。私はエルギン・スレフ。バルメル守護騎士団の団長をしている。今回、軍の指揮は私がとることになる。ライザー殿がいるからといって気を抜くつもりはない。宜しく頼む」
シンとリージュの話に割り込む形でエルギンが自己紹介をする。職業柄大声を出すことが多いのだろう。よく響く声だ。シンとしても対応に困っていたのでエルギンに感謝した。
エルギンは身長2メル近い大男だ。腕や足はシンの倍近い太さがあり、それを特注の鎧で包んだ姿は立っているだけで周囲を威圧する。選定者なのかは不明だが、レベルは212とそれなりに高い。
年齢は30後半から40前半くらいか。タウロとはまた違った意味で鋭い眼光をシンに向けている。
「では、自己紹介も終わったところで『氾濫』に関する話し合いとまいりましょう。すでに耳にしている方もおられるかもしれませんが、確認の意味もかねて話を聞いていただきたい」
全員の自己紹介が終わると、タウロがそう切り出した。
視線が自分に集まったことを感じたタウロは、テーブルの上に地図を広げた。カルキアからバルメルまでを示した大まかな地図のようだ。
「リオン様とシン殿からもたらされた情報を調べた結果、こちらへと向かっているモンスターの群れを確認しました。進行速度から予想すると、あと4日ほどでバルメルにやってくるでしょう。情報通りモンスターは人型、ゴブリンやオーク、オーガなどが主体となっています」
情報を口にしながら、タウロはモンスターの群れを模した駒を地図上に置く。さらにバルメルよりに2つの駒、その後ろに4つの大きな駒を置いた。
「こちらはシン殿、シャドゥ殿、ホーリー殿、猫又殿の第1班。シュニー様、リオン様、ガイル殿、リージュ殿の第2班を示しています。バルメルの前方5ケメルにて待機していただき、その後方に騎士団を展開させます。モンスターをある程度引きつけた後、シュニー様とガイル殿の広範囲魔術スキルで迎撃します。この際、第1班側にモンスターが多く残ることが予想されますので、第1班はこれを迎撃。数を減らしつつ、適度に後方へモンスターを通してください」
その後もタウロは駒と口頭で作戦を説明していく。レベルの高い個体は優先撃破、防衛が主であって訓練はおまけであることを最後に告げてタウロは説明を終えた。
「では第1班はパーティを組んで連携訓練だ。第2班はガイル殿の護衛が主任務なので、シュニー様が仮想敵として訓練してくださる」
「え゛」
「なんだって!?」
エルギンが言った内容にガイルが固まり、リージュが悲鳴に近い声を上げた。
「シュにゃーさんの訓練は厳しいことで有名でな」
2人の反応に怪訝な顔をしていたシンに、ひびねこが小声でそのわけを教えてくれた。どうやら、シュニーの訓練は身内でなくともハードモードが基本のようだ。
リオンだけは楽しみだというような顔をしているのは、訓練の厳しさを知らないからか、はたまた訓練を受けられるのを栄誉に感じているからか。
「生きろよ」
ボロボロになっても回復できるだけの時間はある。シュニーのことだ、そのぎりぎりを見極めてしごくに違いない。
そんなことを思いながら、シンはエールを送っておいた。
「では、吾輩たちも訓練に移るとしよう」
シュニーたち第2班に続いて、シンたちも移動を始める。シュニーが仮想敵を務める第2班と違い、シンたちが向かうのはバルメルの城壁の外だ。外にいるモンスターを相手に訓練をするのである。モンスターを相手にするといっても、能力差がありすぎて戦闘にならないのだが、あくまで連携の訓練なので問題はない。
「シンと組むのは久々だな」
「そうですね。というか、俺の場合パーティを組むこと自体久々ですけど」
これもまた、能力差がありすぎるがための弊害だ。シンが他のプレイヤーに合わせるよりも、ソロで挑んだ方が早く倒せる上に消耗も少ないというパーティシステムを否定するような状態だったのだ。
「こればかりはどうしようもない。他のプレイヤーを育てるにしても、時間がかかりすぎたからな」
「簡単に追いつかれると、それはそれで納得がいかないんですけどね」
シャドゥの言葉につい一言言ってしまうシン。他のプレイヤーが強くなってくれるのはいいことなのだが、いろいろと犠牲にしてきた身としては素直に喜べないのだ。
「おしゃべりはそのくらいにしておけ。格下とはいえ、モンスターを相手にするのだ。油断は禁物だぞ」
「……そうだな。すまない、少々浮かれていたようだ」
「すいません」
はっきり言ってしまえば、クリティカルヒットを顔面に受けたとしても無傷で済むようなモンスターしかいないのだが、パーティを組むことに浮かれていたシンとシャドゥは素直に謝った。
ひびねこもそこは理解しているので、気を悪くすることもない。ホーリーなど、子供を見るような目で苦笑している。
「ひびねこさんも同じくせに」
「自制するのが大人というものだ」
「いつもより尻尾が動いてますよ?」
「……バ、バランスを取っているだけだ!」
二足歩行している時点で尻尾のバランサーとしての役割はほとんどない。結局のところ、ひびねこも心況は同じなのだ。微笑ましいものを見る目で、ホーリーはひびねこを見ていた。
「それはそうと、そろそろモンスターが出る地域よね」
「吾輩は浮かれてなど……まあ、そうだな。このあたりならウルフ系のモンスターがよく出たはずだ」
ひびねこをからかっていたホーリーだったが、周囲の索敵は忘れていない。ふざけた会話をしているが全員選定者ということもあって移動速度は速く、すでにモンスターの出る地域に足を踏み入れていた。
しかし、周囲を見回してもモンスターの影はない。
「おかしいですね。感知できる範囲にモンスターが1体もいません」
「1体も、だと?」
シンの感知範囲は【索敵】や【気配察知】といった複数のスキルを使用することによって大幅に拡大している。なので、シャドゥやひびねこでは届かないところまで探ることができるのだが、それでもモンスターを発見することはできなかった。
感知範囲の広さを聞いていたシャドゥたちは、皆訝しげな表情を浮かべている。
「こういうことって、『氾濫』が起こってるときはよくあるんですか?」
「いや、吾輩はそれなりの回数『氾濫』を経験しているが、モンスターが少なくなることはあってもいなくなることはなかったな」
「少なくなることはあると?」
「『氾濫』で発生するモンスターはそれ以外のモンスターに無差別に襲いかかる。危険を察知したモンスターが縄張りを離れることは知られているのだ」
「なるほど。でも、今回は何か違うようだ、と」
「そうなる。そもそも、少なくなるといっても急激に減るわけでもない。今回の動きは明らかに異常だ」
ひびねこの一言にシンたちの表情が鋭くなる。『氾濫』だけなら問題ないだろうが、ここにきてモンスターの謎の失踪だ。楽観視するのは危険だと、言葉にせずとも全員の意見が一致する。
「悠長に訓練している場合ではないな。いったん戻ろう」
「そうね。原因はわからないけど、伝えておいた方がよさそうだし」
シャドゥの提案にホーリーが同意する。シンとひびねこも異存はなく、上級選定者の脚力を駆使してバルメルへと駆け戻った。途中、感知範囲にモンスターの反応がないか探ったが、やはり1つも反応はなかった。
「…………」
「シン? さっきから黙っているが、何か心当たりでもあるのか?」
「ええ、ちょっと」
シャドゥの疑問にシンは渋い顔で返す。シンの記憶に閃くものがあったのだ。
元はゲームのイベント戦。モンスターの群れが都市を襲うという、別段珍しくもないイベントだ。ただ、その数が問題だった。周辺のモンスターのポップが一時的に停止し、黒い波のような大群が一斉に都市に押し寄せたのだ。
プレイヤーはもちろん抵抗し、防衛は成功。大部分はシンのような上級プレイヤーの魔術スキルで吹き飛ばされた。しかし、地中から都市内に侵入したモンスターのせいで少なくない被害も出た。
このイベントが始まる前に、モンスターが姿を消していたのだ。もしこれが同じイベントの前兆なら、今回の『氾濫』と同じか上回る規模のモンスターの群れが押し寄せてくる。
「もしそのイベント戦と同じなら、伝えておかねばならんな」
「ええ、それはシュニーに頼もうと思ってます」
ひびねこの言葉に、シンはうなずきながらどう伝えるかを言う。
シュニーなら過去にこんなことがあったで説明がつくからだ。
「モンスターの反応がない、ですか」
領主の城へと戻った4人はすぐにタウロへと連絡をつけてもらい、モンスターについて報告した。応接室にはシュニー他、第2班の面々も来ている。
報告を聞いたタウロは少しの間記憶を探るように黙考する。しかし、思い当たることがなかったのか、小さくため息をついた。
同席することになったエルギンたちも首を横に振っている。
「私の知る限り、そんなことがあったという記録はないはずです。調査が必要ですね」
「危険を察知して逃げた、では説明がつかんしな」
2人の態度からはこの件にたいして警戒しているのが伝わってくる。
「皆様は何か心当たりはありませんか?」
タウロの言葉にシュニーを除いた全員が首を振る。
「シュニー様は、何か心当たりでも?」
「はい。以前、似たようなことがあったのを思い出しまして」
タウロの問いにシュニーはうなずく。シュニーには既に心話で連絡済みだ。
シンの記憶にあるのはあくまでゲームのころの話ではあるが、この世界なら起こってもおかしくはない。
「お聞かせ願えますか? 今は少しでも情報が必要なのです」
「もちろんです。かなり前のことになりますが――」
ところどころ内容をぼかしながら、シュニーは説明する。
「そんな……ことが……」
話を聞いた面々の表情は硬い。とくにイベント戦の方はモンスターのレベルも高かったという話を聞いたあたりから、タウロとエルギンの顔色がひどい。
今までの防衛は上級選定者という特化戦力と、相手が数は多くとも一般兵で倒せるモンスターだったからこそどうにかなっていたのだ。これが一般兵で手に負えないようなモンスターの群れとなれば、想定される被害は天井知らずになるだろう。
「あくまで状況が似ているだけですので、知ってる通りになるかはまだわかりませんが」
「いや、想定はしておいた方がいいでしょう。訓練など言ってられんな」
状況が似ているだけで、まだ確定しているわけではない。しかし、シュニーの発言にエルギンは真剣な表情で返す。当たっていた場合が危険すぎるのだ。
「今回は楽勝だと思ってたんだがな」
「まったくだよ。うまくいかないもんだねぇ」
やれやれと肩をすくめるのはガイルとリージュだ。態度こそ軽いが、やはりどちらも表情まで明るいとは言い難い。
「とはいえ、悲観することばかりでもないだろう。我々にはシュニー・ライザーがついている。加えて上級選定者が2人も援軍に来てくれているのだ。『氾濫』への対処を間違えなければ、いざという時もやりようはあるはずだ」
「ああ、敵は未知数だが今回は味方に恵まれている。もしかすると意外と楽に終わるかもしれないぞ」
敵にばかり意識の言っていたタウロたちに、ひびねことシャドゥが声をかける。気負ったところのない声は、沈みかけていた空気を軽くする。
その余裕は、シンとシュニーの存在あってのことだ。ある意味、危険度という点では迫りくるモンスターよりも、この2人の方がはるかに高い。
「もちろん、協力させていただきます」
「……そうですな。むしろ、この状況できてくれたことに感謝するべきでしょうか。作戦を変更しましょう。シュニー様、モンスターが攻めてくる方角はわかりますかな?」
「いえ、そこまでは」
さすがに攻めてくる方向まで同じと考えるのは危険なので、シュニーはわからないと答える。また、攻めてくる時期もはっきりしないので、偵察を密にする方向で話はまとまった。いつ来るかわからないものよりも、確実に来る方に備えることにしたのだ。
話し合いが終わると各部署に連絡が飛ぶ。もし先にイベント戦のモンスターがきてもすぐに展開できるだけの準備は、すでに整っているのだ。
「なあシュニー。確認しておきたいんだが俺がいなくなった後、対ギルド戦の大規模魔術を使ったことあるか?」
「いえ、それほどの大軍と戦ったことはありません。大抵は通常の広範囲魔術で対処できましから」
城を後にしたシンたちは、一旦別れた後再び合流していた。現在はティエラを迎えにギルドに向かっている。モンスター相手の戦闘はできなかったので、城の訓練場で仮想敵相手に連携は確かめてある。
今回はかなりの大軍を相手にするので、シュニーに対ギルド戦用の魔術スキルの威力を確認しておきたかったシン。しかし、シュニーも栄華の落日以降それほどの大軍と戦うことはなかったらしく、どれほどの威力があるのかは分からないようだった。
「そうなると、ホイホイ使うのはマズイか。先制攻撃のときに1発使ってみてくれるか?」
「はい、使えるとしたら、そのタイミングしかないでしょう」
相手と魔術の規模次第では、それだけでほぼ終わってしまう可能性もある。それはそれで悪いことではないので、ついでに威力の確認をさせてもらうことにした。
「シュニーちゃんの大規模魔術か~。私たちの出番って残るのかしら」
「被害が出ないなら、それに越したことはない」
「うむ」
ホーリーの言葉にシャドゥは肯定的な意見を述べる。ひびねこも同様だ。シンは楽観視はしないが、気負った様子もない。
「まあ、こればかりはその時になってみないとわかりませんけどね。念のため、俺も準備はしときますけど」
「何かするのですか?」
「数の多い奴らと戦うのにぴったりの装備があったろ? 今のうちにバージョンアップしとこうと思ってな。顔も隠せるから暴れても問題ないし」
シュニーの疑問にシンは少々黒い笑顔を浮かべながら答える。鍛冶師としての血が騒いでいるようだ。
「……同時に来ても問題なさそうだな」
「そうね」
シャドゥとホーリーは苦笑しながらシンとシュニーのやり取りを眺めていた。ひびねこも言葉にこそしないが、同意するようにうなずいている。
ギルドに着くと受付嬢に一言断りを入れて、一行は訓練場へと足を運んだ。訓練場は弓や投擲の練習の的が下がっているスペースや、教官に指導をしてもらうスペースなど様々な訓練ができるようになっていた。
シンもバルクスと戦った本来は入場できないエリアに入ったことがあるくらいで、実際にどうなっているのかを見るのは初めてだった。
訓練場内を見るのはそこそこに、シンはティエラを探す。
「お、いたいた」
多く冒険者たちが連携や個人練習などをしている広場の一角に、ティエラはいた。どうやら誰かと1対1で戦闘訓練をしているようだ。
「あれは、カエデちゃん?」
「そうみたいですね」
シンの言葉にシャドゥ達もティエラとカエデが打ち合っているのに気付く。どちらも武器は短剣。訓練場で貸し出される武器を使っているようだ。
カゲロウは近くの壁際でお座り状態で待機している。
「一方的だな」
「むしろ、ティエラがついていけていることをほめるべきでしょう」
シンの視線の先、カエデと打ち合っていると言ってもティエラは防戦一方だ。カエデとティエラのステータス差を考えるなら、シュニーの言うとおり防げているだけ称賛ものだろう。
カエデが本気を出していないというのもあるのだろうが、普通はすぐについていけなくなる。シュニーによる訓練は、しっかりとティエラの実力を伸ばしていたようだ。
「くっ!」
声をかける前にティエラの短剣が弾かれる。首筋につき付けられた短剣を見て、ティエラは動きを止めた。
「勝負あり、か」
「あ、シンさん。シュ、ユキさんも」
「シ、ン……?」
シンたちに気付いたカエデが声をあげる。ティエラもカエデの声でシンたちに気付いたが、息を切らしてすぐには動けないようだった。
ちなみにユキは変装中のシュニーの呼び名だ。カードの登録もユキでしてあるらしい。
「一緒に訓練していたのですか」
「はい、会ったのは偶然ですけど」
最初はステータス制限をして訓練していたらしい。最後にステータス差ありでやることにして、そこにシンたちが来たようだ。
「大丈夫か?」
「うん……だい、じょうぶ、よ」
シンはすっかり汗だくになっているティエラに、タオルを渡しつつ声をかける。ティエラの息が整うまで少し待ち、あらためて声をかけた。
「訓練の成果は出てたみたいだな」
「ええ、これで成果がなかったら泣くわよ」
「それもそうか。とりあえず、お疲れ」
カゲロウもよってきてティエラを労う。顔を舐めてくるカゲロウに、ティエラはくすぐったそうにしていた。
ティエラとカエデを連れて、シンたちはギルドを出る。
シャドゥたちはバルメルに住んでいる者たちには有名のようで、あちこちから声がかかっていた。
しばらく歩くとシンたちの泊まっている宿に着いたので、今日はここでおひらきとなった。
宿に入ると、ちょうど誰かが厨房から出てきた。
「おかえりなさいませ。お食事はご用意しますか?」
「少ししたらあらためて頼みます」
出てきたのは初日に会ったビーストの女性だ。名前はシズといい、この宿の女将だった。
シンたちは一旦部屋へ行き、ティエラを待つ。シンとシュニーは訓練の後に領主であるタウロの住んでいる屋敷の風呂を使わせてもらえたのでとくにすることはないが、ティエラは着替えたとはいえ汗だくだったのだ。身だしなみを整えるまで待つのは当然である。
「おなかすいた~」
「あれだけ動いてればな」
着替えを済ませ、ティエラたちと合流してからシンは階下に降りる。
疲れからか、ティエラはテーブルに突っ伏して脱力していた。
「特訓の成果が出ているようで、安心しました」
「あれだけやれば……」
「なにか?」
「いえ、なんでもありません!」
ティエラがボソッとつぶやいた言葉に反応するシュニー。小声で言ったので聞こえていないと思っていたのだろう。ガバッと体を起こし、ティエラは首を横に振る。
成果が出ていなかったらどうなっていたのか、気になったシンである。
「さて、行くか」
食事を終えると、シンは店を出て城壁へと向かって走り出す。
夜のうちにモンスターが攻めてくる可能性があるので、その備えをしてしまおうと考えていた。
城壁につくとシュニーと同じく隠蔽で姿を隠し、一気に跳躍して城壁の上に飛び乗る。城壁の外側は明かり一つなく、月が雲で隠れれば視界はゼロに等しい。暗視スキルを持つシンはモンスターの影でもないかと周囲を見渡すが、やはりそれらしきものは見えない。探知系スキルにも反応なしだ。
「ここまで何もいないと、やっぱり不気味だな」
ポツリとつぶやいて、スキルを発動する。
土術風術複合スキル【サイレント・ウィスパー】
一定範囲内にモンスターが侵入すると、それをプレイヤーに知らせるスキルだ。地上だけでなく地下からくるモンスターにも対応している。過去の戦いでは地下からくるモンスターに苦しめられたので、対策は怠らない。
「こんなもんか。モンスターを率いてるやつを見つけられれば話が早いんだけどな」
タウロたちにも伝えているが、かつてシンたちを苦しめたイベント戦の主犯ともいうべき相手は、『レイド・ヴァイズ』というモンスターだ。レイド・ヴァイズ自体はそれほど強くはない。ただ、他種族を従えて手足のように動かしてくるのが厄介極まる。
『~リーダー』とつくような種族ごとの指揮官的な存在まで支配下に置くので、軍隊のような指揮系統ができる上、支配下のモンスターは能力が底上げされるというおまけがつく。
レイド・ヴァイズを倒せば支配は解かれるので、本格的な戦いになる前に倒せれば襲撃を警戒しなくてよくなるのだが、さすがにおいそれと発見はできないようだ。
今回もレイド・ヴァイズが主犯と決まったわけではないが、もしその存在が発見できたならすぐ連絡するようにとも伝えてあった。
長居してもスキルの効果は変わらないので、シンはそのまま城外に出て前日に月の祠を出した林に向かう。月の祠を出したところでシュニーの唇の感触を思い出し、悶えそうになったがなんとか耐える。
気持ちを切り替えて武器の強化を行い、月の祠を収納して城内へ。宿につくと、シンはそのまま就寝した。
そして数日後、斥候に出ていた部隊からモンスターの群れを確認したという連絡が入る。
城門の前にはシンたち上級選定者パーティとバルメル守護騎士団第1、第2戦団が展開していた。
「結局、今日まで襲撃はなしか」
「後顧の憂いは断っておきたかったが、仕方あるまい。いざというときは私たち後方のパーティで対応する。安心して前に出ろ」
シンの独り言に答えながら、リオンが隣りに立つ。装備はとばされた時と同じで、背にムスペリムを背負っている。装備が変わっていないのは、それがリオンにとって現状最高の装備だからだろう。
「殲滅戦だからな。手は抜かない。ただ、たぶん来るぞ。なんでわかるのかって言われると困るが」
「シンもそう思うか。なんでかな。私もそんな気がするんだ」
聞けば、リージュやガイルも同じようなことを感じているらしい。大規模戦闘が近づいているせいで感覚が鋭敏になっているようだ。戦いに身を置いてきたもの特有の感覚というやつだろう。
「警戒は怠るなよ」
「言われるまでもない」
リオンにとってはかつての経験以上の戦いになるとわかっていても、その顔に気負った様子はない。
「じゃあ、後ろは任せた」
「ああ、行ってこい」
リオンの見送りの言葉を受けて、シンはひびねこたちの方へ向けて歩きだした。途中、シュニーとすれ違う際に小さくうなずき合う。
「(警戒網は設置してある。一応そっちでも警戒頼むな)」
「(承知しました)」
城内はベレットとその配下が目を光らせているので、そこまで心配する必要はないのかもしれない。
しかし、以前のスカルフェイスのようなモンスターがいる可能性もある。サイレント・ウィスパーに探知されずに潜入できるようなモンスターがそういるとも思えないが、念には念をだ。
シンがひびねこたちのいる場所に着くと、既に準備を整えた面々が集合していた。
「来たか。向こうの様子はどうだ?」
「とくに問題はなさそうです。ですが、どなたも何かあると感じてるみたいですよ」
「やはりか。その時はこちらは任せろ。例のイベント戦通りならシンがそっちに向かった方がいいだろう。例の装備を使うなら、なおさらな」
装備のことを聞いているひびねこは、口元を笑みの形にして言う。その手にはシンによって強化された装備が装着されている。
余裕があるのはモンスターが数以外に問題にならないということと、シンが抜けたとしてもその穴を埋めて余りある能力強化がなされているからだ。加えていうなら、ひびねことシャドゥ、ホーリーは3人でパーティを組むことが多く、コンビネーションに問題がないというのもある。
「その時は頼みます。あの装備は周りに人がいないときじゃないと使いづらいですし」
「強力なのはいいが、デメリットが大きいからな。今回のような相手なら、シンが使うと恐ろしく効果的だろうが」
「デメリットは俺の鍛冶能力で少しは軽減しましたから、前よりはましになりましたよ。まあ、気軽に使いやすくなったって意味じゃ危険度は上がってるかもしれませんけど」
シンたちの言う装備は、ゲームだったころはまともなプレイヤーなら装備しない類のものだ。弱い相手に1人無双したいのなら別だが、少なくともパーティを組んでいる状況では使いようがない装備である。
シンも神獣や強力なボスモンスターが相手だったらまず使わない。敵がシンにとって雑魚だからこそ効果的なのだ。
「とりあえず、最初はこいつで暴れますよ」
「禍紅羅か。王女様とカルキアから脱出するときに使ったらしいが、大丈夫か?」
「えっと、何がです?」
禍紅羅をカードから具現化したシンに、ひびねこが問いかける。疑問の意図がわからないシンは、首をかしげるばかりだ。
「その手の装備は今では非常に珍しい。王女に目をつけられたのではないかと思ってな」
「ああ、それならすでに遅しですよ。武器だけなら遺跡で見つけたで済むんですけど、それ以外にもなんだか興味を持たれてるみたいで」
「共に行動していたと聞いてもしやと思ったが、やはり目をつけられたか。元の世界に戻るための情報を集めるのにコネはいくつあってもいいだろうが、相手によっては利用される。気をつけることだ」
「わかってます。今はまだ、王族に助力を請おうとは思ってません。どんな見返りを要求されるかわかったもんじゃないですし」
リオンの件は別としても、すでに強力な戦力として目をつけられているのだ。借りなど作りたくはない。
「話の途中で悪いが、そろそろ時間だ」
時計を確認していたシャドゥが2人に戦いの始まりを教える。ちょうど、シンの感知範囲にモンスターの群れが侵入してくるところだった。
「ああ、すまない。では、行くとするか」
「そうですね。まずは目の前のことを片づけましょう」
すでに準備運動は済ませてある。シュニーとガイルの魔術スキルを合図に、突撃する手はずだ。
「来る」
遠視を使わずともその姿が確認できるくらいにモンスターが近づいてきたころ、シンは部隊の後方で魔力が高まるのを感じた。数は2つ。一際大きい方がシュニー、小さい方がガイルだろう。シュニーの反応が大きすぎてガイルが霞みそうだ。
少し間をおいて、高まった魔力が空中へと走る。ガイルの魔力はモンスターの群れの少し手前、シュニーの魔力は天高く昇っていく。
先に効果を現したのはガイルの魔術。モンスターの上空20メルほどの高さから、5メルくらいの火球が雨のように降り注いでいく。1発だけでも数体のゴブリンを押しつぶし、さらに火球が爆発することで周囲のモンスターにもダメージを与えていく。火球そのものの質量と、着弾時の爆発による二段攻撃が絶えまなく降り注ぐのだ。食らった方はたまったものではない。
ガイルが使ったのは炎術系魔術スキル【メテオ・フォール】。広範囲にダメージを与える、炎術系魔術の中では比較的ポピュラーかつ有用性の高い魔術だ。有名な分、対抗策も多くあるが低レベルモンスター相手なら問題にならない。
「で、本命か」
シンの呟きに答えるように、晴天だった空に黒々とした雲がかかる。録画した映像を早回しでもしたかのような異様な動きだ。
そして、雲が広がりきった次の瞬間、蒼い雷光が地面に突き刺さった。
「――――ッ!? ――――ッ――――――ッ!!」
メテオ・フォールの爆音をかき消すほどの轟音が周囲に響く。火球には多少反応できていたモンスターたちもこれには度肝を抜かれたらしく、あちこちで混乱が起こっているのが見て取れた。
しかし、悪夢はこれからだ。大規模魔術スキルがたった1発の攻撃で終わるはずもない。
蒼い雷が空中に残した残光が消えると同時に、何十という数の雷光がモンスターの群れへと突き刺さっていく。雷自体が10メルはある上、地面に当たった後四方に弾け、3メルほどの雷蛇となって周囲を食い荒らす。盾で防御できていた火球の爆発とは違い、こちらは簡素な防具による防御など不可能。群れていたせいで満足な回避もできないモンスターたちは、ただその身を焼かれるのを待つしかない。
「【ブルー・ジャッジ】か。にしても、これはまた……」
シュニーは扱い慣れている魔術スキルを選んだようだ。雷術系魔術スキル【ブルー・ジャッジ】は光術系の魔術スキルと並んでとにかくかわしにくい。おまけに金属製の防具を着ているとダメージが増加する効果まである。主にゴブリンやオークのような簡易な武装をしているモンスターがこの被害にあっていた。
威力と攻撃範囲を知っているシンたちはまだいい。しかし、シンたちの後ろでこの光景を見ている兵士たちが、顔を青くしているのをシンは見逃さなかった。
兵士たちは黒い波のようだったモンスターの群れを蒼い蛇が食い荒らしていくのを、黙って見つめている。あまりの光景に、驚きのメーターが振りきれてしまったのだろう。騎士団の先頭に立つエルギンですら、目を見開いていた。
『…………』
誰もが声一つもらさずに魔術が終わるのを待つ。スキル自体は長時間続くものではないので、それほど時間もかからず攻撃が止む。最後の雷光が地面に突き刺さり、その残光が消えると同時に空を覆っていた雲も晴れる。
そして、雲にさえぎられていた太陽光が最初に照らしたのは、大量の大小様々な規模のクレーターと黒焦げになったモンスターのなれの果てだった。
効果範囲内にはただ1匹の生き残りもいない。
蹂躙。
ただ、その一言に尽きる成果だ。
『…………』
魔術スキルが発動していた時とは違った沈黙が、兵士たちの間に充満する。
抱いているのは畏敬か、畏怖か。
シュニーがどれほどの魔力を込めて放ったのかは不明だが、対ギルド戦用の大規模魔術スキルはそうとう規模の大きな敵でもない限り、使わない方がよさそうだ。
シンがそう思ってしまうほどに、その威力は凄まじかった。
「すごいわね。同じハイエルフとは思えないわ」
「威力もそうですけど、迫力もすごいですね」
呆れたように言うホーリーに、シンも感想を口にする。
ただ、緊張感は維持されたままだ。
なぜなら。
「あれだけやられて、まだこれだけいるのか」
魔術スキルの効果範囲外、そこから消し炭になったモンスターを上回る数のモンスターがバルメルに向かってくるのが見えていたからだ。
第1波と距離が開いていたことを考えると、第2波といったところか。
シュニーの魔術スキルで倒した数は大小合わせて5000をゆうに超える。それだけ削られてまだ同等以上の数を残しているというのは、シンが見た資料でも1つしか当てはまらない。
「ひびねこさん、これって『大氾濫』じゃないですか?」
「そのようだな。100年に1度あるかないかという確率だと聞いていたが、どうやら当たりらしい」
バルメルの歴史上3度しかなかったといわれる『氾濫』の上位版。それが『大氾濫』だ。
モンスターの質こそ変わらないが、その数は10倍ではきかない数になるという。発生条件は不明だが、発生した当時は数日にわたって戦い続け、周辺国からの援軍を加えてどうにか凌いだらしい。
「(シュニー、もう1発いけるか?)」
「(いえ、どうやら連続使用はできないようです。魔術を発動しようとしても、手ごたえがありません)」
さすがに出し惜しみしている場合ではなさそうなのでもう一撃頼もうとしたシンだったが、シュニーの返答は不可だった。
ならば俺がと、シンが大規模魔術を発動させようとするが、魔力が流れ出るばかりで周囲には何の変化もない。
(なんだこれ。魔力は流れてるのに、魔術が発動しない?)
どういう理屈かはわからないが、ゲームの時と同様に再使用には時間がかかるようだ。
モンスターの大軍は消し炭になった元仲間を踏み潰しながら、先ほどの魔術など見えなかったかのように突き進んでくる。『氾濫』で発生したモンスターは通常のモンスターと違い、理性や感情がほとんどなく、ひたすら攻撃してくるだけだという。だからこそ、目の前で炸裂した魔術に対しても何の危機感も感じていないのだろう。
「あれを見ると、最後の1匹まで戦い続けるっていうのが納得です」
「奴らはどれだけ劣勢でも撤退しないからな。『氾濫』は基本的に殲滅戦だ」
最後の1匹まで殺しつくす。それが『氾濫』での戦いらしい。リオンの言っていたひたすら剣を振るっていたというのも、今なら納得できる。
「そろそろ出番か、あまり偏りがないな」
「偏りができるような威力じゃなかったですからね」
シャドゥの言うとおり、見えているモンスターに大きな偏りはない。そもそも、シュニーの放った魔術はモンスターの第1波をほぼ全滅させているので、偏り以前にモンスターがほとんど残っていないのが現状だ。第2波から見れば誤差にもならない数しか残っていないので、まとめて合流してもどこが一際多いとは言えない。
「予定とは少し違うけど、1番層の厚い騎士団正面にモンスターが来るように誘導しましょう。2人とも突出しすぎないように注意してね」
ホーリーの注意にシンとシャドゥがうなずく。ひびねこは言われるまでもないという風に、煮干しをくわえながら静かに顎を引いた。一応ステータス強化効果のあるアイテムなのだが、上級選定者でなければふざけているのかといわれそうな絵面だ。
「では、行きましょう」
シンの言葉が終わるや否や、4人は大地を蹴って移動を開始する。速度に劣るホーリーに合わせているが、装備の補助もあってその速度は馬に乗って駆けるよりもはるかに速い。
その速度ゆえに、モンスターの群れに見る見るうちに近づいていく。移動しながらもホーリーはパーティメンバー全員にバフをかける。
攻撃力、防御力はもとより、魔術防御力に魔術抵抗力といったものまで余すところなく強化を施していく。武器の強化による追加効果で強化率が上がり、ただでさえ決定的だった差がさらに広がっていた。
「最初からとばしていきます」
「無論だ」
「ふむ、血が滾るな」
前衛3人は誰もが口元に笑みを浮かべながらモンスターの群れに飛び込む。シンを中心に左にひびねこ、右にシャドゥ、後方にホーリーという布陣だ。
最初に動きを見せたのはもちろんシンだ。禍紅羅を担ぐように構え、地面を踏み砕く。瞬間的な加速で群れの先頭にいたモンスターの前に移動するやいなやスキルを発動する。
「挨拶代わりだっ!!」
加速の勢いをのせたまま、シンは禍紅羅を振り下ろす。最初の犠牲になったのはオークの集団だ。
スキルの発動によって高密度の風を纏った禍紅羅をシンは目の前にいたオークめがけて振り下ろす。ドムッという鈍い音とともに圧縮された風の助力によって、禍紅羅の一撃は眼前のオークどころか後ろに迫っていた集団もまとめて押しつぶす。禍紅羅を打ちつけられた地面は放射状のクレーターが出現し、衝撃波だけでゴブリンのような小型のモンスターが消し飛んだ。
鎚術風術複合スキル【琥浪打ち】
風術による打撃攻撃の範囲と威力を強化する効果があり、面制圧をするには効果的なスキルだ。
攻撃後のシンの前には放射状のクレーターから、さらに縦方向に50メルはある亀裂が形成されている。幅も10メルはあり、その効果範囲内にいたと思われるモンスターは総じて地面の染みになっていた。
シンは打ち付けた禍紅羅を持ち上げ、体の横に構える。禍紅羅を覆っていた風術はすでにない。なので次のスキルを発動させる。魔力の流れとともに、禍紅羅の表面を真紅の光が包み込む。そのまま地面と水平に振りぬけば、紅蓮の炎がモンスターに向かって打ち出される。
鎚術炎術複合スキル【朱鳳仙】
攻撃範囲の増加と炎属性の付与というオーソドックスな効果を持つスキルだ。くわえて、その効果の消失を代償にして1度限りの遠距離攻撃もできる。
スキルの残り時間が無くなってきてから使われることが多いのだが、残り時間が多いほうが効果が高いのでシンは即座に使った。
禍紅羅の振られた軌道をなぞるように、三日月形の炎が形成される。シンから離れるにつれて急激に体積を増した炎は、進路上にいるモンスターを残さず灰に変えて突き進んだ。シンの正面、幅30メルほどにいたモンスターをほぼ焼き尽くし、群れの切れ目に近付いたところで炎が一気に膨れ上がり、爆発。その熱と衝撃で近くにいた個体がはじけ飛び、それらが装備していた剣や鎧が初撃の爆音で集まりつつあったモンスターへと突き刺さっていく。
「お前らの相手はこっちだ!」
モンスターの意識が自分に集まっていくのを感じながら、シンはさらに
挑発スキル【修羅の狂奔】を発動する。モンスターの攻撃目標を使用者に集める挑発スキルの中でも、その効果範囲の広さで知られるスキルだ。
シンは禍紅羅を構え、向かってくるモンスターに鋭い視線を向ける。
少し耳を澄ませば、離れたところで同じような爆音が聞こえてきた。ひびねこ、シャドゥも戦闘を開始したようだ。
前方で行われている戦いを視界に納めながら、ホーリーはモンスターの動きを観察していた。
シンたちは互いを攻撃に巻き込まないように距離を置いて戦闘をしているが、モンスターの群れから見れば一か所に固まっているのとさほど違いはない。なので音と衝撃によって、段々と群れ全体がシンたちの方へ引き寄せられて始めていた。
「(前方右側の一団がこっちに流れ始めたわ。陽動はうまくいってるみたい)」
ホーリーからの心話に、3人は言葉少なに了承して殲滅速度を上げる。
別の襲撃が懸念されている以上、早く終わらせられるならそれにこしたことはない。
シンたちの方へ向かわずにそのまま直進しようとしていた集団には、シュニーとガイルによる遠距離魔術による攻撃が行われていた。対ギルド戦用の大規模魔術はまだ使えないが、通常の魔術スキルは問題なく使える。シュニーの得意とする雷術や水術、ガイルによる炎術によってシンたち以上に大量のモンスターをしとめていた。
「さ、私もきっちり仕事をしないとね」
そう言ってホーリーは空中に大量の炎弾を出現させる。
狙いはシンたちの後方。いくら3人が全方位攻撃や射程延長のスキルを使っていても、取りこぼしというものは出る。総勢数千にも上るモンスターの群れを、一部とはいえ一匹も漏らさずに戦い続けるなど現状では不可能だ。ゆえに、その取りこぼしをホーリーが潰していく。
「いってちょうだい」
ホーリーの号令を受けて、宙にとどまっていた炎弾が移動を開始する。シン、ひびねこ、シャドゥのいる方向に対して2:4:4の割合でばらけた炎弾は、攻撃の隙間を縫って移動していたモンスターの中でも比較的大きな集団に向かって飛び、その中心に着弾した。
爆音とともにモンスターの持っていた武器や、体の一部が四散する。
「次はこれね」
炎弾を放ち終わると、ホーリーは手に持つ杖を頭上に掲げた。
「落ちてきなさい」
その言葉とともに群れの上空に変化が現れる。
空の一部がガラスのレンズ越しにのぞいたように、歪む。そして、その範囲の中にいたモンスターが次々と地面に向けて落下して来た。
今回のモンスターの群れは人型モンスターが中心だ。しかし、当然それ以外のモンスターも多くいる。
ホーリーが狙ったのは、数いるモンスターの中でも数は少ないが放置すると厄介なことになる飛行タイプのモンスターだ。見えているのはワシをそのまま大きくしたような『エッドイーグル』と、プテラノドンのような皮膜タイプの翼を持つ小型の翼竜『エアノドン』だ。
どちらもレベルは180ほどで、体力こそ低いが急降下と急上昇のヒット&アウェイ戦法は魔術スキルが使えない騎士とは相性が悪い。騎士の中には槍を投擲して撃ち落としたり、急降下してきたところを返り討ちにしたりする者もいるが、それができるのはこの場では全体の半数ほどだ。
しかし、今回はホーリーが地面に叩き落としてくれるので騎士達はただ止めを刺すだけでいい。モンスターによっては、地面に落されてもさほど弱体化しないものもいる。ただ、それはレベルの高いモンスターの話だ。この場にいる飛行タイプのモンスターは、とにかく落としてしまえばあとは的というものたちなので、騎士達も余裕を持って対処していた。
「それにしても、やっぱり多いわね」
追加の炎弾を魔導士であるガイルが見たら固まるような速度で打ち出しながら、ホーリーはついぼやいてしまう。ホーリーとて『氾濫』に対処するのは初めてではない。ただ、『大氾濫』はそのホーリーでも嫌になるくらい、モンスターの数が多かった。おかげでシンによって強化された装備の補助を受けても、前衛3人の撃ち漏らしのすべてをカバーすることができない。
もちろん、ホーリーも単独で移動するモンスターのすべてに対処できるとは考えていない。シンたち前衛とホーリーの攻撃をくぐりぬけた個体には、戦闘開始とともに移動をしていたバルメル守護騎士団第1、第2戦団が対処していた。
モンスター戦の練度が低いとベレットは言っていたが、それはあくまでゲームの頃の、それも六天配下のという高水準をもとにしていえばの話だ。他の都市の兵士と比べれば、バルメルの騎士の技量はむしろ高い。兵士のレベルは平均150を越え、隊長クラスで180にもなる。騎士団長のエルギンクラスになればそのレベルは200を越えてくる。
それでも、選定者でない以上普通はレベル300に近いような変異種などを相手にするとそれなりに被害が出る。しかし、エルギン達はその技量と連携でもってほとんど犠牲者を出さずに倒しきってみせる。ゲームだったころなら、シンたちとは違った意味でチートと呼ばれる類の猛者たちなのだ。
「突出しないように周りに注意しろ! 息の根を止めるまで手は抜くな!」
指揮を執るエルギンの声が響く。それは爆音や怒号に消されることなく、騎士たちへと届いた。
たとえ相手がゴブリンのような低レベルモンスターでも手が抜かれることはない。後方にはシュニーたちがいるし、第3、第4戦団も待機している。防御には抜かりがない。
しかし、ここまでお膳立てをされて彼女らに負担をかけては騎士団の名折れと第1、第2戦団の騎士たちは一層奮起していた。個人の能力には劣るが、それをチームワークで補い素早く確実にモンスターの数を減らしていく。
モンスターの数が加速度的に減っていく中、シンたちの方では向かってくるモンスターの群れの変化を感じていた。
「ワーカーアントだらけだな。跳んでるのは、リトルホッパーか」
「メインは昆虫タイプか」
「ふむ、少々厄介だな」
離れているはずの3人のセリフは、まるで隣にいて会話をしているようだ。
シンは【遠視】で確認したモンスターの名を、シャドゥは全体を見てメインが人型から昆虫型へと変化したことを、ひびねこは昆虫タイプの死ににくさからくる戦場の変化への懸念をそれぞれ口にしていた。
ゴブリンやオークといった人型が主だった群れは、200メルほどの間を開けて昆虫型が主となる群れへと変化していた。先ほどシンが口にしたワーカーアントとリトルホッパーは、その名の通り蟻と飛蝗を1メルほどに巨大化させたモンスターだ。低レベルモンスターゆえに突出した能力があるわけではないが、元となった昆虫の特性は反映されている。ワーカーアントは顎の力が、リトルホッパーはそのジャンプ力が特徴だ。
全体的にワーカーアントの数が多く、わずかな隙間を縫うようにリトルホッパーや他の昆虫タイプのモンスターが飛び跳ねている。
「(シュニー、そっちから群れのモンスターは確認できるか?)」
「(いえ、まだ群れの奥は見えていません。何かありましたか?)」
「(モンスターの構成が変わった。ワーカーアントがメインで、他にも昆虫型のモンスターがこっちに向かってる)」
「(どうやら資料にあった通りのようですね。わかりました、後方の指揮を執っている方にはこちらで連絡しておきます)」
騎士団の総指揮を執っているエルギンはシンたちの方が近い。なので後方で待機中の第3、第4戦団の指揮を執っている副官に、モンスターの変化を伝えてもらうことにした。
「(ホーリーさん、エルギンさんに連絡取れますか?)」
「(ちょうど近くにいるわ。任せておいて)」
ホーリーにエルギンへの伝言を頼み、シンは再びモンスターの群れへと飛び込む。
シンのいる場所からワーカーアントたちの群れまでは直線距離にして300メルほど。100メルほどが前方の群れとの境でなにもいないので、残り200メルの間にいるモンスターを倒せば第3波とご対面だ。
打ちもらしが少なくなるように、武器の射程を伸ばすスキルを使いながらシンは禍紅羅を振るう。
禍紅羅の纏うオーラがその先端から伸び、今の射程は10メル近い。横薙ぎの一撃はゴブリンの集団をまとめて弾き飛ばし、返す刀でオークを鎧ごとミンチに変えた。
モンスターの中には、ギルドの資料にも記載されていた変異種のモンスター、オーガ・コマンダーも数体見られた。しかし、高レベルといっても所詮は群れの中でのこと。せいぜい300といったレベルでは、シンたちにとってゴブリンとなんら変わりはない。
進化時に獲得したであろう3メルはある巨剣を力任せに振り下ろすオーガ・コマンダー。味方ごとシンを両断しようと迫るそれに対し、シンは禍紅羅を一閃させ剣の側面に叩きつける。ギンッという鉄の塊同士がぶつかった音が響き、シンへと迫っていた巨剣の2/3が宙に飛んだ。
大きさは巨剣の方が上回っているが質量、等級は圧倒的に禍紅羅が上だ。剣の弱点でもある側面にシンの膂力で叩きつけられれば、曲がるどころか折れるのも必然といえる。
「Gi……?」
オーガ・コマンダーは半分以下になった剣を見て、間の抜けた声を出した。その脳裏にはシンが真っ二つになっている未来が見えていたのだろう。
オーガ・コマンダーが事実を認識できずに呆けていたわずかな隙。その間をシンが見逃すはずもなく、お返しとばかりにその頭部に禍紅羅を叩き込む。
スキルの効果で形成された赤黒いオーラの刀身が、オーガ・コマンダーの頭部から股下まで一気に通過する。
わずかな間をおいて、大量の血が周囲に降り注いだ。
「次は虫か」
人型モンスターの群れを掃討して、シンは向かってくる昆虫型に視線を向けた。離れたところにシャドゥたちの気配もある。どうやら、あちらも大部分は終わったようだ。シンたちの方へ来なかったモンスターは、すでにシュニーとガイルによって灰にされている。
「(皆聞いて、作戦は変更なし。一気に殲滅よ)」
『(了解!!)』
ホーリーの声にシンたちは同じタイミングで返した。
そこでふとシンはあることを思いつく。
「(シャドゥさん、ひびねこさん、ちょっといいですか?)」
「(何かあったか?)」
「(ちょうど全員緋爆掌が使えて、相手は大多数。ここは一つ、3人の協力攻撃で先手必勝といきませんか?)」
「(なるほど、あれか)」
シャドゥの質問にシンは、思いついた内容を話す。緋爆掌というスキル名、複数のプレイヤー、大多数のモンスターが相手という状況に、ひびねこは思い当たるものがあったようだ。
シャドゥもいくつか思い当たるものがあったようで、シンの回答を聞くと納得の声が返ってきた。
「(俺たち3人でやれば、そこらの広範囲スキルなんて目じゃないでしょう)」
「(おもしろい。吾輩はのったぞ)」
「(俺ものろう)」
そうと決まれば話は早いとばかりに、シャドゥとひびねこはシンのもとへとやってくる。モンスターの群れは、すでに50メルほどまで迫っていた。
『いくぞっ!!』
モンスターの群れの接近など、シンたちは気にしない。その程度でどうにかなりはしないし、それ以前にこれからその群れを蹴散らすのだから。
3人は拳を握り、その右手に力を込める。装備の強化補正によって、そのまま放っても大型のクレーターを作れるだけの力を纏った拳を、同じ構えで腰だめに構える。
合図は出さない。戦場で感覚が鋭くなっている3人だ。そんなものがなくてもタイミングを見誤ることはない。
『ッ!!』
群れとの距離が30メルを切った瞬間、何の前触れもなしに3人は拳を突き出した。
拳はシンを中心に一ヶ所に集まり、それぞれの拳にためられていた力が収束する。停滞は一瞬、一点に収束した力はその方向性と属性を付与され、迫りくる敵へと解き放たれた。
3人から離れたエネルギーの塊は、わずかに距離を置いて急激に膨れ上がる。付与された属性は炎。あまりの高温に透明度を増して燃え上がる炎の塊は、今まさに迫りつつあったモンスターの群れへと驀進した。
そこに広がるのは、モンスターの体が焼け爛れ、ついで灰になっていく光景。
おかしなところを上げるとすれば、体が焼けているにもかかわらず、炎が見えないところだろう。炎は高温になるほどに透明度を増すという。装備によるブーストを受けたことも加わり、熱による大気の揺らぎだけを残して見えざる炎が敵を焼いていた。
炎はシンたちの眼前にとどまらず、まるで地面に流れた水が広がるように群れの中へと浸透していく。その範囲は、すでにガイルの放った広範囲魔術の域を越えていた。
ワーカーアントが灰の山になり、リトルホッパーのように飛んでいたものは地に落ちる。オーガ・コマンダーのような上位個体もいたが、今回は接敵することすらなく灰へと姿を変えた。
協力専用スキル【灰燼掌】
無手炎術複合スキル【緋爆掌】を使用可能なプレイヤーが2人以上いるときに発動できるスキルで、人数が多いほど威力と効果範囲が増加する。威力にはプレイヤーのステータスや武具の補正値も関係しているため、シンたちの放つ【灰燼掌】は3人の予想していた威力をはるかに上回っていた。
「……威力は上がるだろうとは思っていたが、凄まじいな」
「吾輩もここまでとは思わなかった」
「あー……昆虫系って炎がよく効きますし、そのせいもあるんじゃないですかね」
あまりの威力に、放った張本人たちも驚いていた。
「この際だ。できるだけ掃討してしまおう」
「うむ、あとどのくらいモンスターがいるかもわからんからな。消耗を押さえておいて損はない」
「そうですね。わざわざ個別で倒す必要もないですし」
話が決まるとホーリーに騎士団へと連絡をつけてもらい、3人は騎士たちを巻き込まない範囲とタイミングで再び【灰燼掌】を放つ。追加の1発目で右翼の1/5が消え、続けざまの4発でさらに残りの大部分が消え去った。
大地を覆う黒波のようなモンスターの群れ、その半数近くがわずかな時間で駆逐された光景を見て一部の兵士が絶句する。だが、それが味方であることと、それによって被害が少なくなるという事実があったのであえて深く考えることはしなかった。
シャドゥやひびねこの強さは知られているのだが、そこから考えても威力が高すぎたのだ。
「次は動物タイプみたいですね」
兵士たちを驚かせていることなど露知らず、当の本人たちは油断なく敵を見据えていた。
シンの見つめる先、第3波の後方には狼、熊、猪といった動物タイプのモンスターがひしめいていた。
以前戦ったテトラグリズリーやフレイムボアも確認できる。
「第4波か」
「一体、何波まであるのやら」
シャドゥとひびねこもため息をつきながらモンスターを見ていた。『大氾濫』は通常より規模の大きい『氾濫』が複数回にわたって発生する現象だ。モンスターの変化から、すでに4回発生しているのだろう。
記録に残っている『大氾濫』は平均3回連続で『氾濫』が起こっている。現段階ですでに平均を超えているので、どこまで続くのかは予測できない。
「ちょっと跳べるだけ跳んで、後ろを見てみます」
そう言ってシンは全力で跳躍する。反動で地面を陥没させながら跳びあがり、さらに移動系武芸スキル『飛影』を使用して高度を稼ぐ。
第4波を見渡せるだけの高度に達すると、シンは『遠視』を使いながらその奥に視線を向けた。
「あれは、騎獣兵か」
動物タイプの群れの後方、300メルほどの間を開けて最後の群れが移動しているのが見えた。最後の群れは人型タイプと動物タイプの混成だ。数もこれまでの倍近い。ゴブリンやコボルトのような小型種が、四足獣タイプのモンスターに乗っているのも確認できた。
単体では弱いゴブリンやコボルトのようなモンスターは、他の動物タイプのモンスターを乗りこなすようになることがある。「~・ライダー」もしくは騎獣兵と呼ばれるようになるそれらは、単純に機動力が上がるだけでなく、戦闘能力も格段に上がることが知られている。
あまり頻繁に起こる現象ではないのだが、今回は違うようだ。今もかなりの速さで、第4波との距離を縮めている。
「第5波でうち止めです。ただ、最後の群れはほとんど騎獣兵の塊ですね。数も倍くらいいます」
着地したシンは見えた内容をシャドゥたちに伝える。戦力的には問題ないが、分散されるとその機動力は厄介だ。
平原であるということも、敵に味方している。森や入り組んだ地形ならともかく平原の騎兵、とくに今回のような騎獣兵相手では後方の一般兵は苦戦を強いられるだろう。槍衾を飛び越えるような跳躍が可能なモンスターもいるのだ。
バルメルの騎士団にも騎兵はいるが、いかに訓練された軍馬でもモンスターの俊敏な機動についていくのは難しい。いかに相手の機動力を封じるかが決め手になるだろう。
「変に分散さえしなければ対処は可能だ。念のためホーリーに精霊術の準備をするように伝えておく」
「ホーリーさんの? ああ、そういえばホーリーさんの精霊術はこういうときうってつけですね」
エルフ専用のスキル『精霊術』。プレイヤー、もしくはサポートキャラクター1人に付き1つの属性ではあるが、魔術スキルとは毛色の違う効果を及ぼす術が使用できる。
ホーリーの精霊術の属性は地。相手の動きを封じたり、障害物を設置したりと攻撃よりも妨害に向いている。騎獣兵の機動力を削ぐのに実に効果的だった。
「じゃあ、あらためて残りを――ッ!!」
と、残りのモンスターの掃討に向かおうと言いかけたシンの耳に、けたたましいアラーム音がとどく。シンだけに聞こえるそれは、バルメルの周辺に仕掛けておいたサイレント・ウィスパーに一定数以上の敵性反応が同時に感知された時の警告音だ。
「シン、どうかしたのか?」
「どうやら、ついに来たみたいです。サイレント・ウィスパーに反応がありました」
「このタイミングでくるか、方向はわかるか?」
「北門側です。第3戦団が近いですね」
言葉を途中で切ったシンに、シャドゥが問いかける。サイレント・ウィスパーからバルメルまでの距離はおよそ1ケメル。第3戦団はすでに動いている可能性がある。
シンたちに連絡がきていないのは発見が遅れたか、心話が使える者がいないがゆえの伝達の遅れか。恐らくは前者だろう。
そんな予想をたてていたシンの視界に、メッセージ着信の表示が出る。内容はモンスターの接近と、それに伴う第3戦団の動きについてだ。
「ティエラからもメッセージがきました。すでに第3戦団が迎撃に出てます。ただ、モンスターのレベルが高くて、正面からぶつかるのは避ける方向で動いてるみたいです」
『氾濫』のモンスターのレベルは平均100に満たない。しかし、今バルメルへと迫っているモンスターは200を超えるものがゴロゴロいるようだ。
これは一緒にいるらしいカエデが確認したと書かれていた。
「やはりそちらの方が危険だな。こちらは吾輩たちで受け持つ。シンは作戦通り、そちらに回ってくれ」
「了解です。こっちはお願いします」
その場をひびねこたちに任せ、シンは駆けだした。隠蔽で姿を消しながら、『制限リミット』を解き放つ。
ズドンという爆音を残し、大地を蹴り砕きながら加速。同時にこの時のために用意していた装備を装着する。
全身を覆うのは、どこか武者鎧を彷彿とさせる深紅の全身鎧フルプレート。
その手に持つのは、刃と柄の付け根に瞳のような模様の描かれた歪な大鎌デスサイズ。
先ほどまでとはまるで違う雰囲気を纏い、シンは疾走する。
出番が来たことを喜ぶように、担がれた大鎌がギシリと音をたてた。
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