大荒れの天気だと報じられていたが,これまで敦賀に雪が降ることはなかった。が,さすがに今朝はこの通り。雪よりも風と寒さがハンパじゃない。
実は,施設法話の代役を頼まれていて,今から長浜市(琵琶町)に向かわなければならない。湖北方面も雪が降っているようだ。この風雪では高速は危ないし,早い目に出かけなければならないな。
2016年01月20日
雪が降る
posted by ゴエンさん at 07:21| Comment(0)
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2016年01月18日
雪?
首都圏は雪で大騒ぎをしているらしい。北陸も雪が降るといわれているが,まるで雪の気配がない。敦賀は北陸ではないのか。でも隣の今庄では雪が降ってスキー場も活況を呈している。11月から冬タイヤを履いているがまるで用をなさない。雨ばかり。
電子ブックで仲野先生の『浄土真宗』を読み直している。文庫では既に読んでいるのに電子ブックだと初めて読むような感触。「浄土宗と真宗は違うんです。」と。
電子ブックで仲野先生の『浄土真宗』を読み直している。文庫では既に読んでいるのに電子ブックだと初めて読むような感触。「浄土宗と真宗は違うんです。」と。
posted by ゴエンさん at 10:07| Comment(0)
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2016年01月17日
スキヤキパーティ
昨日は友人たちとスキヤキパーティを。お肉がおいしいというより交わす会話が楽しかった。何を求めて生きるのかといったことを考えさせられた。
組の同朋大会が4月にあるが,その動員のためにキャッチコピーを作ったらとある会議で話題になった話を披露した。その一例として「聴聞すればいいところに行けます」とのアイデアがあったと紹介すると,「それはアカンやろ。」とすぐ反応があった。
私たちはどこに向かって行こうとしてるのか。
組の同朋大会が4月にあるが,その動員のためにキャッチコピーを作ったらとある会議で話題になった話を披露した。その一例として「聴聞すればいいところに行けます」とのアイデアがあったと紹介すると,「それはアカンやろ。」とすぐ反応があった。
私たちはどこに向かって行こうとしてるのか。
posted by ゴエンさん at 18:42| Comment(0)
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2016年01月15日
1帖初通
脈絡もなく御文の1帖初通をおもう。「われも信心決定せずして」「信心の一理をも聴聞せず」「われは一流の安心の次第もしらず」などの悲鳴が沸きあがる。
一体何をやっているんだと。「名利に人師をこのむなり」の事実だけが確かなのだ。
「仏法を聴聞したらエエとこに行ける。というような話をしてほしい。」といった正直な話をまた聞いてしまった。
一体何をやっているんだと。「名利に人師をこのむなり」の事実だけが確かなのだ。
「仏法を聴聞したらエエとこに行ける。というような話をしてほしい。」といった正直な話をまた聞いてしまった。
posted by ゴエンさん at 12:23| Comment(0)
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2016年01月14日
電子ブック
ミーハーな僕は,ついつい調子に乗ってしまう。Kindleのタブレットを持ち歩いている。同朋新聞の最終面にPRされているが,東本願寺出版も電子ブックを配信するようになって,そのほとんどをダウンロードし読んでしまった。うれしがりの僕は活字を追うことばかり夢中になってじっくり読み込むことが出来ていない。で,二度読みをすることに。
posted by ゴエンさん at 12:54| Comment(0)
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2016年01月13日
初の施設法話
今年初めての施設法話。特養施設なのだが熱心にお勤めをし,聴聞してくださった。このところはまっている『地獄と極楽』から「獄」の字は今とらわれて不自由な私のことなどとお話させていただいた。阿鼻地獄は「耳をふさぐ者」から,本当に極楽を願う生活になっているだろうかなどと語らせていただいた。
そして,その足で教務所へ。候補衆徒承認申請なるものを出してきた。
写真は昨晩の白子汁。
そして,その足で教務所へ。候補衆徒承認申請なるものを出してきた。
写真は昨晩の白子汁。
posted by ゴエンさん at 17:11| Comment(0)
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2016年01月12日
A3ノビ
法語など掲示板にA3ノビというサイズの紙を使っている。残部が少なくなってきたので電器店を回るが写真用などの高価なものはあるのだが,最大でA3までしか置いてない。これまでは入手に不都合を感じたことはなかったのだが,A3ノビというサイズは売れないのだろう。これまでは簡単に入手できたのに。
それで,いつも行く文房具屋に注文しなければならない羽目に。
宮城先生によれば,阿鼻地獄は謗法する者が堕ちると。そしてそれは「耳をふさぐ者」だと。今年は申年で賀状に三猿の図案も多かった。「キカザル」とは誰のことか。
それで,いつも行く文房具屋に注文しなければならない羽目に。
宮城先生によれば,阿鼻地獄は謗法する者が堕ちると。そしてそれは「耳をふさぐ者」だと。今年は申年で賀状に三猿の図案も多かった。「キカザル」とは誰のことか。
posted by ゴエンさん at 15:56| Comment(0)
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2016年01月11日
篠田桃紅さん
正月参りをすべて終えて,所在なさを感じていたが,そうだ篠田桃紅さんの著書を読もうと思い立つ。「一〇三歳になって わかったこと」をKindleでダウンロードする。
先日観ることもなく見ていた対談で102歳の日野原先生が「感謝」とか「夢」とおしゃるのに対して,篠田さんはそれにうなずくことなく「自然体」などと応じ,まるでかみ合わない対談だったが。そこで前衛書家の篠田さんが気になったのだ。
少し読んだだけで分かってしまった。僕たちの「与えられた自然」とはまるで異質なのだ。自分でかち得た心境なのだ。
先日観ることもなく見ていた対談で102歳の日野原先生が「感謝」とか「夢」とおしゃるのに対して,篠田さんはそれにうなずくことなく「自然体」などと応じ,まるでかみ合わない対談だったが。そこで前衛書家の篠田さんが気になったのだ。
少し読んだだけで分かってしまった。僕たちの「与えられた自然」とはまるで異質なのだ。自分でかち得た心境なのだ。
posted by ゴエンさん at 15:42| Comment(0)
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2016年01月10日
地獄
タラの白子が食べたくなる。味噌汁にすればよかったのだが,寄せ鍋のつゆがあったので,トリとタラを買って寄せ鍋に。白子の味はするが,シマッタ味噌味の方があうのだ。
宮城先生の『地獄と極楽』を読み直して,冒頭部分に地獄の説明に,当たり前のことなのだが目がうろこに。「獄」は拘束されていること,自由を奪われたことと。そうなると地獄は将来の話ではなくて,今,世間体や我執に囚われて不自由な生き方をしている今の私が地獄の住人なのだ。「地獄一定すみかぞかし」は,この意味だったのだ。
宮城先生の『地獄と極楽』を読み直して,冒頭部分に地獄の説明に,当たり前のことなのだが目がうろこに。「獄」は拘束されていること,自由を奪われたことと。そうなると地獄は将来の話ではなくて,今,世間体や我執に囚われて不自由な生き方をしている今の私が地獄の住人なのだ。「地獄一定すみかぞかし」は,この意味だったのだ。
posted by ゴエンさん at 08:35| Comment(0)
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2016年01月09日
極楽をねがう
このごろ「信心」つまり「他力の信」を考えさせられる文章によく出会うような気がする。一楽真『蓮如』では,「なにを一番大事なこととして生きるか」と。蓮如上人の「信心獲得」がついつい自力で信心を掴み取る雰囲気になってしまうからややこしい。
「常住の極楽をねがう」ことが与えられるってすごいことなのだ。しかもそれは地獄を見たときに極楽をおもうのだ。
新年とあってテレビでは盛んに「願いがかなう」ことばかり放映する。初詣のオミクジでは「凶」がないそうだ。そして「大大吉」なるものもあるそうだ。世間ではそれが宗教心と思われている。
「常住の極楽をねがう」ことが与えられるってすごいことなのだ。しかもそれは地獄を見たときに極楽をおもうのだ。
新年とあってテレビでは盛んに「願いがかなう」ことばかり放映する。初詣のオミクジでは「凶」がないそうだ。そして「大大吉」なるものもあるそうだ。世間ではそれが宗教心と思われている。
posted by ゴエンさん at 07:50| Comment(0)
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