前回、僕は高級飲食店があと十数年で根絶すると書いた。
その理由は、端的に言えば飲食業界は極めてマニュアル化しやすく、高級食材を使ってレシピを再現するだけならばロボットで十分置換可能だからである。
家電業界をみればわかるように、人は人情よりも安さと便利さを尊重する。街の電気屋はヨドバシ・ビッグ・ヤマダといった大型量販店に根絶させられ、そして既存の市場を破壊した大型量販店ですら、今ではアマゾンや価格コムに大打撃を与えられている。
今現在は調理技術と人情で何とかなっている高級飲食店だけど、ロボットの利用で安さと便利さが提供される事になった時、高級飲食店が今のような形で生き残る可能性は極めて低いだろう事は想像に難しくない。
では料理人はオワコンなんだろうか?いやいやいや。そんな事はない。今日は今後の美食業界が走る未来について大々的に予測を打ち立てる事にする。テーマは次世代の調理についてだ。
ロボットはミスをしない事にかけては超一流だが、新しい可能性を開拓する事はほぼ不可能である。
詳細は人工知能は人間を超えるかに詳しいが、ロボットにはできる事とできない事がある。
例えば将棋。ニコニコ電王戦をみればわかるが、現在のコンピューター棋士はその辺のプロ棋士よりも遥かに強い。なんでそんな事が起きるかというと、コンピューターは与えられた局面においてミスをする可能性が極端に低いからだ。
実はプロ棋士といえでも対局中にミスをする事は多々ある。ゆえに最初から最後までほぼミス無しに最善手を指され続けたら、人間側が勝つことはかなり難しい。
しかしコンピューター棋士にはできない事がある。それは新しい戦法や新しい指し方を創造する事だ。
コンピューターはミスはしないけど、それは予め決められた選択肢の中から最善手を選択するからであり、それまで存在しなかった最善手を生み出して指す事はできない。
これがコンピューター棋士の限界であり、将棋のプロが現在でも存在し続ける意味でもある。
恐らくだけど料理人も同じような経過をたどるだろう。次世代型AIを搭載した調理ロボットは、全くミスのない料理を作り出す事にかけては人間を遥かに凌ぐ。
だがしかし、既存の概念を超えた新しい料理を作り出すことは困難である。
次世代の料理人が活路を見出せるのはここだ。ようは新しい概念を打ち立ててしまえばいいのである。
簡単に。フランス料理の歴史。
ここで簡単に美食世界で頂点として扱われているフランス料理の歴史を概説する。フランス料理は非常に簡単に言えばこのような流れをたどっている。
地方で作られる郷土料理
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宮廷で贅を尽くされた高級料理
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バターやコンソメといった濃い目の旨味成分を存分に利用したクラシック調理
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食材の旨みを最大限に引き出したヌーベル・キュイジーヌ
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食材をバラバラにする等の素材自体を脱構築し、液体窒素やエスプーマ等を用いて作られる分子ガストロノミー(厳密にいえばこれはスペイン発祥)
現在、美食業界で躍起になっているのが分子ガストロノミーのその先の展望である。
美食業界の連中は正直な事を言えば、単に旨いだけのメシには既に飽きているのが現状だ。先の料理史の内容を端的に言えば
高級食材のオンパレード(宮廷料理)
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食材の旨みを凝集したソースの開発(クラシック調理)
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素材自体の自体の味を引き出して味わう作業(ヌーベル・キュイジーヌ)
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食材自体を脱構築してシャーベット状にする等の、味覚以外の五感を刺激するスタイル(分子ガストロノミー。ちなみに本家であるエルブジでは、料理にiPodを添えて聴覚を楽しむ皿なんてのもあった)
という流れをたどっている。つまり売れない単体AV女優がどんどん過激なプレイに突っ走るがごとく、美食家は常に新しい刺激に飢えているのが現状なのだ。
恐らく超美味い料理を主戦場とした美食市場では、失敗が極めて少ない次世代型AIを搭載した調理ロボットの独壇場となるだろう。
だけど所詮コンピューターにできるのはレシピの再現だけだ。人間は新しい価値観を想像できるからこその人間なのである。
では分子ガストロノミーの次はなんだろう?大胆にも予測を打ち立てるが、僕はアディクション(中毒)がくるんじゃないかと思ってる。そしてそれは、旨みという呪縛からの脱却によりもたらされる。以下にその詳細を記述する。
ココイチの不思議
カレーハウスCoCo壱番屋は極めて不思議な成功を収めている企業だ。カレー業界のシェア8割を占める同企業だが、そこで提供される料理は既存の飲食店の成功ルートの真逆を行く。
ココイチのおかしい点その1。まず値段が高い。普通のカレーで600円位するのだけど、これにトッピングを選択すると軽々しく800-1000円位は行ってしまう。チェーン店でこの価格設定は普通に考えてありえない。
ココイチのおかしい点その2。そして味はおいしくないのである。というか普通に考えるとココイチよりも美味しいカレーはたくさんある。学食のカレーの方がヘタすれば美味しいぐらいだ。
この2点からみれば、ココイチが業界No1の理由はどこにも見当たらない。高くておいしくない料理を出す店に、誰が好き好んで通うだろうか。しかしココイチは業界シェアNo1なのである。そして筆者も時々ココイチが無性に食べたくなる。
これって何かに似てないだろうか?そうタバコである。なんていう事だろう。ココイチは合法的に中毒性物質を創造する事に成功しているのだ。
これはとんでもないことではないだろうか。
恐らく次世代の美食は日本発祥のアディクション(中毒)料理である。
実は似たようなものは日本中そこらにある。
例えばラーメン二郎。これはおいしさという観点でみれば、せいぜい50点もつけば良いほうだ。上に載った野菜は茹でただけのものだし、スープは化学調味料がエッジをきかせ、麺はただの太い麺。チャーシューは出汁を取ったあとのパサパサな肉(それゆえに豚という蔑称を与えられているほどだ)
これらを単体で食した際に美味いと思える要素は皆無だ。しかし人は二郎にハマる。何故か?それは二郎が中毒性を持っているからに他ならない(著者も美味には人数倍うるさいが、一ヶ月に一度は二郎を食べるジロリアンだ)
例えば横浜家系ラーメン。無茶苦茶に豚骨を炊いて作られたスープにチー油を垂らして作られるスープ。そこに載せられた茹でただけのほうれん草。そして独特の麺。どれを取ってしても単体では旨さなどどこにもない。しかしこれを白飯と一緒に食うと不思議な中毒性があるのである。
これらを単体で食した際に美味しいと思える要素は皆無だ。フランス料理のシェフがこれを食べたら一言「ブタの食い物ですね」で終わる。
しかし人は家系ラーメンにハマる。何故か?それは家系ラーメンのどこかに麻薬性が潜んでいるのだ(著者も一ヶ月に一度は白飯と一緒に家系ラーメンを食べる家系愛好者だ)
たまたまラーメンが連続してしまったが、このように世の中にはどう考えても美味しくないのに人を病みつきにさせる不思議な料理が多数存在している。
おそらくそれらの多くは偶然によってこの世に生をうけたものが大多数だろう(ココイチの創業者は生活保護出身の喫茶店経営者だ。とても狙ってあの味を作ったとは思えない)
しかしそれであるが故に僕はガチの美食エリートである一流料理人が、これらを徹底的に研究した際、誰もが見たことのない中毒性がある料理が作られるのではないかと確信している。
アディクション(中毒)料理の可能性は無限大
分子ガストロノミーは美味しさを脇において、その他の五感で人を楽しませる事に重点を置いた。結果料理の世界に新しいスタイルをはびこらせる事に成功した。
残念な事に、分子ガストロノミーにより味覚以外の五感を充足させる事は終わってしまった。ゆえに次世代の料理は五感以外の要素で人を魅了しなくてはいけない。僕はここにくるのが中毒性・麻薬性であると確信している。
ココイチにしろ二郎にしろ横浜家系にしろ、どう考えても偶然の産物だとしかいいようがないシロモノだ。しかしその共通点として、どれもこれもが今まで存在しなかった革新的な料理であるという点があげらえる。
そしてこれら中毒料理はどれもこれもコンピューターには想像しえない産物である。そして食材の質に左右されないので、競合性もほぼ皆無だ(ココイチも二郎も家系も、メインとなる使用食材はほとんど被らない)
美食業界の未来は恐らく明るい。僕はその新しい可能性が実現する世界の訪れを、一メシ狂いとして心待ちにしている。