2016年01月20日 (水)
連合総研のDIO最新号、私もいただきまして、拝読しました。いつもありがとうございます。さて、2016年1月号(311号)をめぐっては、濱口先生が「労働組合は成長を拒否できるのか?」という刺激的なエントリを書いて、私もfacebookとtwitterで拡散しました。もちろん、この企画は早川さんだろうなと思って、ともだちの早川さんのいるfacebookにも紹介しているんだから、人が悪いといわれれば、あえて否定はしません。そこに早川さんがコメントを書かれ、それを濱口先生のところにもコメントとしてかかれ、コメント欄がもり上がったという経緯です。私はこの件についてはリプライしていません。
濱口先生についてはもちろん、みなさん、ご存じでご紹介の必要もありませんが、早川さんのことはご存じない方もいらっしゃると思います。早川さんは今は連合総研に席を置いていらっしゃいますが、本拠はJAMという産別です。JAMをご存じない方もいらっしゃると思いますが、製造業系の産業別組合で、連合の構成団体の中でも5番目の大きさです。その多くは中小企業です。ぜひ、紹介ページをご覧下さい。なんで、JAMの話を書いたかと言えば、早川さんのところはもっともしっかりした労働運動を実践している組合だということをまず、大前提として確認しておく必要があったからです。
というのは、濱口先生の主張をつづめて言うと、どういう社会であるべきかなんてことを頭でっかちに議論している場合なのか。もっと、ストレートに議論しなければならない労働問題があるだろうということです。濱口先生としては数少ない、他の組織の原則論によって批判をするというタイプの言い方をされています。
ここでの濱口先生の立場と早川さんの立場は、ソーシャル・ユニオニズムか、ビジネス・ユニオニズムかという点では明確にソーシャル・ユニオニズムで、まったく異なるところがありません。お二人とまったく違う立場はコメント欄に書かれている組合は組合員の利益のための組織とする方で、これは通常、ビジネス・ユニオニズムと呼ばれます。濱口先生のこの一文は核心を突いた言葉で、私は重要な問題提起だと受け取りました。私が濱口先生の言葉にインスパイアされて感じたのは、組織化の数字目標だけを掲げてもなんの意味もなく、なぜ組織化しなければならないのか、労働運動の原則に基づいて議論する必要があるだろう、ということです。ここで、先ほど、大前提として確認しておいたことが重要なポイントになってきます。そう、そんなことは言われるまでもなく、JAMはやっているんですね。
ここからは私自身の考えです。早川さんが安倍政権に対する対抗軸を作ることを第一の課題として設定していることについてです。といって、私は別に安倍政権を支持しているわけでも、自民党を支持しているわけでもありません。ただ、2014年の春から春闘が復活した功績はアベノミクスに帰せられるであって、その一点については否定することは出来ないと考えています。そうであるならば、まず見据えるべきなのは、早川さんが敵としている安倍内閣の政策によって、春闘が再活性化した、という事実でしょう。私はこの点について2014年の春闘の時から繰り返し、書いてきました。
これは組織化されていない労働者以前の話です。組織化されている労働組合でさえ、賃金交渉どころか、賃金要求も分からないところがあるという現状を、是としてよいのか。そういう立場もあるでしょう(もちろん、早川さんはそうではないでしょう)。もし、そうでないならば、まず問うべきなのは、なぜかつては主軸であった賃金交渉への熱意も技術も労働組合は失いかけていたのか、そこには労働運動に内在する要因があったのではないか、という自己批判ではないかと思います。もちろん、そこから、労働運動に今、一番重要なことはそこではない、という結論になることもあるでしょう。しかし、一番大事なことは、そういう根本を問い直すという行為そのものではないでしょうか。
いや、そうではない。まず、政治的な対抗軸を作るのが先だ、というのも一つの立場でしょう。それは私の言うところのポリティカル・ユニオニズムであり、私とは相容れるものではありません。
濱口先生についてはもちろん、みなさん、ご存じでご紹介の必要もありませんが、早川さんのことはご存じない方もいらっしゃると思います。早川さんは今は連合総研に席を置いていらっしゃいますが、本拠はJAMという産別です。JAMをご存じない方もいらっしゃると思いますが、製造業系の産業別組合で、連合の構成団体の中でも5番目の大きさです。その多くは中小企業です。ぜひ、紹介ページをご覧下さい。なんで、JAMの話を書いたかと言えば、早川さんのところはもっともしっかりした労働運動を実践している組合だということをまず、大前提として確認しておく必要があったからです。
というのは、濱口先生の主張をつづめて言うと、どういう社会であるべきかなんてことを頭でっかちに議論している場合なのか。もっと、ストレートに議論しなければならない労働問題があるだろうということです。濱口先生としては数少ない、他の組織の原則論によって批判をするというタイプの言い方をされています。
本当に今の日本の労働者、とりわけ労働組合に組織されることもなく使用者の私的権力にさらされて、低い労働条件を何とかしたいと思っている労働者に呼びかける言葉が、「希望としての定常型社会」なんですか。
ここでの濱口先生の立場と早川さんの立場は、ソーシャル・ユニオニズムか、ビジネス・ユニオニズムかという点では明確にソーシャル・ユニオニズムで、まったく異なるところがありません。お二人とまったく違う立場はコメント欄に書かれている組合は組合員の利益のための組織とする方で、これは通常、ビジネス・ユニオニズムと呼ばれます。濱口先生のこの一文は核心を突いた言葉で、私は重要な問題提起だと受け取りました。私が濱口先生の言葉にインスパイアされて感じたのは、組織化の数字目標だけを掲げてもなんの意味もなく、なぜ組織化しなければならないのか、労働運動の原則に基づいて議論する必要があるだろう、ということです。ここで、先ほど、大前提として確認しておいたことが重要なポイントになってきます。そう、そんなことは言われるまでもなく、JAMはやっているんですね。
ここからは私自身の考えです。早川さんが安倍政権に対する対抗軸を作ることを第一の課題として設定していることについてです。といって、私は別に安倍政権を支持しているわけでも、自民党を支持しているわけでもありません。ただ、2014年の春から春闘が復活した功績はアベノミクスに帰せられるであって、その一点については否定することは出来ないと考えています。そうであるならば、まず見据えるべきなのは、早川さんが敵としている安倍内閣の政策によって、春闘が再活性化した、という事実でしょう。私はこの点について2014年の春闘の時から繰り返し、書いてきました。
これは組織化されていない労働者以前の話です。組織化されている労働組合でさえ、賃金交渉どころか、賃金要求も分からないところがあるという現状を、是としてよいのか。そういう立場もあるでしょう(もちろん、早川さんはそうではないでしょう)。もし、そうでないならば、まず問うべきなのは、なぜかつては主軸であった賃金交渉への熱意も技術も労働組合は失いかけていたのか、そこには労働運動に内在する要因があったのではないか、という自己批判ではないかと思います。もちろん、そこから、労働運動に今、一番重要なことはそこではない、という結論になることもあるでしょう。しかし、一番大事なことは、そういう根本を問い直すという行為そのものではないでしょうか。
いや、そうではない。まず、政治的な対抗軸を作るのが先だ、というのも一つの立場でしょう。それは私の言うところのポリティカル・ユニオニズムであり、私とは相容れるものではありません。
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