少子化の原因が分かったと称する某記事について知人にコメントを求められたので、ついでに書くことにします。
団塊世代の人口が多いのは出生率上昇ではなく死亡率低下の結果ということですが、団塊世代の出生数は「産めよ増やせよ*1」の時期を大きく上回っています。団塊世代が多い主因は死亡率低下ではなく出生率上昇です。第二次大戦後の出生率の一時的上昇(ベビーブーム)は多くの国々で生じたことです。
日本のベビーブームは短期間で終わりましたが、その主因は1948年の人工妊娠中絶合法化にあります。出生と人工妊娠中絶の和「潜在的出生数」はベビーブーム後も高水準を維持し続け、急低下を始めるのは1970年代に入ってからです。
戦後の出生率急低下の背景には、国ぐるみで「人口抑制」が図られたことがあります。そもそも、国内の余剰人口の受け入れ(押し付け?)先が必要とされたことが戦前の大陸進出の一因だったわけですが、敗戦によって受け入れ先がなくなってしまったために、人口抑制が急務とされ、「子供は二人」が定着することになりました。*2
出生率抑制策と言えば中国の一人っ子政策が有名ですが、今では日本よりも低い出生率に悩むシンガポールも「子供は二人」への誘導策を打ち出していました。日本も同様のことを行っていたわけです。*3
某記事では死亡率低下が出生率低下の原因としていますが、死亡率低下が避妊の普及と相まって出生率低下を引き起こすことは「人口転換」としてよく知られています。出生率低下によって生まれる「人口ボーナス」が経済成長率を高めることもまた常識であり、何ら驚くことではありません。
第1段階…多産多死型
第2段階…多産少死型
第3段階…少産少死型
多産多死から少産少死が、死亡率低下によって引き起こされる「第一の人口転換」ですが、日本をはじめ、東アジア、東南アジア、ヨーロッパの多くの国が現在直面しているのは、合計出生率が人口置換水準を大きく下回る「第二の人口転換」です。
少産少死の第3段階では各夫婦から平均二人の子供が生まれます。第二の人口転換においては、夫婦(事実婚を含む)から平均二人の子供が生まれることは変わりませんが、結婚しない女・子供を産まない女が増えることで、社会全体の出生率が低下します。
日本でも、結婚した女の出生率はほぼ一定であり、1970年代からの未婚率の上昇が合計出生率の低下を引き起こしています。
未婚率上昇は乳児死亡率低下とは直接的には無関係であるため、第二の人口転換の原因は別に探さなければなりませんが、1960~70年代に進んだ「男女の社会的役割(地位)の変化」「個人主義化」というのが定説です。*4
- 作者: 桜井哲夫
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ウォーラーステインは、世界的な若者の反乱の年である1968年を世界革命だと位置づけています。現在主流となっている新しい社会運動(フェミニズム、同性愛解放運動、少数民族解放運動、環境保護運動など)は、60年代にルーツがあります。
原俊彦が言うところの「究極の個人主義」が蔓延した結果です(下のリンク先の資料はお勧め)。
とりわけ 1960 年代に本格化した高学歴化は、女性自身が自らのキャリアを自ら築く可能性を生み出し、同時に起きた女性解放運動は、従来の専業主婦モデルというライフスタイルが持つステレオタイプな価値観を問題化した。さらに問題化は女性のみに留まらず、一家の養い手としての父親という男性のライフスタイルにも及ぶこととなり、最終的には家族を形成し、子どもを持つこと自体が自明なことではなくなり、究極的な自己実現との関連において、改めて検討されるべき問題となった。
このような究極の個人主義ともいえる状況においてパートナー選択を行うには、他者とは異なる、自由で独立した、自己実現を求める個人同士のライフスタイルが、奇跡的に一致するのを待たねばならず、また、仮に、そのような奇跡が起きたとしても、それが安定的に推移するという保障はない。
女の男との同等化の結果、「結婚相手として満足できる男」が少なくなり、それが非婚化・無子化を引き起こしているわけです。「若者にカネを渡せば少子化問題は解決する」と思いたがる(→政府を悪者にしたがる)人が多いようですが、事はそう簡単ではありません。
Childless Germans under 50 said the most common reason they had not plumped for parenthood was that they had not found the right partner, …
… a quarter of German women born between 1964 and 1968 did not have children primarily because they believed motherhood was incompatible with pursuing a career.
Any government financial or social incentives could not compete against personal reasons for putting off having children, the paper said. *5
残念ですが、非戦を貫く社会が存続できないように、「個人の自由」を絶対視する社会も存続できないということなのです。*6
関連記事もご参考に。
学校の授業でダンスのために男女のペアを作らせることを想像してください。タイムリミットを設けずに「好みの相手を見つけてペアになれ」という指示を出せば、いつまでたっても相当数の男女がペアを作れずに残ることは容易に想像できるでしょう。全員をペアにするためには、教師が圧力をかけて生徒の希望を封印(妥協、我慢)させる必要があるわけです。