皆さんに伺いたい。
どうやったら自分の弱みを人にさらけ出せますか?
いつか勇気を出して弱みをさらさないと、本当の僕を知ってくれる人はこの先誰もいないまま生きていくことになる。そう感じます。
肩肘を張らずに、僕の悩みについて書きます。
去年、それなりの期間お付き合いしていた女性とお別れしました。それについては決定的な原因などはありませんでしたが、僕の環境の変化(どちらかといえば社会的に評価が低下したこと)とともに徐々に疎遠になり、さよならをしたのです。ここについては仕方のないことだと考えています。人間は面倒なことを自分から遠ざけるもの。僕の価値が相対的に下がれば、好きな気持ちも冷めてしまうのでしょう。別れ話をした当初は、「所詮はこの程度の愛だったのかな」などと相手に対して幻滅したものですが、自分の振る舞いを考えてみても、とても相手を責められるものではなかったのです。これは別れてちょっとしてから考え直した部分ですね。本当の意味で愛されるわけがないのです。だって、僕自身の弱みをほとんど見せていなかったのだから。
基本的に、他人に自分の弱点を晒すのが苦手です。とっても苦手。できれば、弱みなんて見せたくない。垣間見えようものなら、顔から火が出る思いで取り繕おうとする自分がいます。
どうしてこんなに弱点を見せたくないのだろう?自分でも良くわかってないのですが、おそらくは傷つくのが嫌だから。誰かが僕に期待をして、それに答えることで相手は笑顔になる。それはとても嬉しいけど、その反面、失敗したりして成果を出せなかった時の落胆の表情を見るのがたまらなく嫌で。だから常にだれかの期待に応えようと精いっぱい頑張って、求められているものよりも何倍もの成果を出して、自分の心を満たすレスポンスを糧にここまで生きてきたのです。
何事においても、ただひたすらに努力しました。誰よりも強く、誰よりも早く、誰よりも上へ。メンタルも、フィジカルも。ただひたすらに己を鍛え上げました。ひとえにそれは「弱いところを見られたくない」気持ちの反動なのだと思います。
最近、ふと考えるようになりました。「そういえば、僕の弱い部分をさらけ出せる人がいない」と。親にも出せない弱点。繊細で傷つきやすくて、負けず嫌いで子供っぽい、面倒くさがりな自分。これをずっと自分の奥底に押し込めて生きていることに、今更ながらに気が付いたのです。
思い返してみれば、それは恋愛や結婚生活において大きな歪を生み出していた要因だったなぁと感じます。異性に対しても良いところしか見せず、常に完璧を装う。始めは大きな評価を得るけど、結局「あなたの本当の姿が見えない」って、数年付き合った人に言われる始末。もうこれ、どうしたらいいんでしょう。
「弱みを見せればいいじゃん」っておっしゃられるかもしれないのですが、そうすることでネガティブなレスポンスがあった時に心が疲弊してしまうのです。だから弱みを見せることが怖い。見せ続けることで心が傷つき、いつか疲弊してダウンしてしまう自分の姿が目に浮かびます。怖くて怖くてしょうがないのです。
人の強い言葉は胸をえぐります。いつも周囲からは刃物が飛んできて、僕の胸に刺さります。そのたびに僕は「よくもそんなに強く人に当たれるね」って、怒りと悲しみの入り混じった複雑な感情が沸き上がって、長い修復作業に入るのです。本当にこの世は生きづらい。どうしてみんな、もっと優しくなれないのですか?
社会というのは常に摩擦があって、団体で行動する必要もあって、その中では歯を食いしばってお金を稼いで、自分の食い扶持を捻出しなければいけません。それは困難を伴うことですし、だからこそ僕は「仕事は辛いもの」として考えるのです。楽しくやれるとは思っていません。対人関係のストレスも給料のうち、歯を食いしばっても、生きるため!そう自分に言い聞かせて仕事をしてきました。
ここまでわかっているのに、やっぱり毎度思うことは「なんて生きづらい社会なんだろう」って、変えられない自分と変わらない周りに消耗して1日を終えることがほとんどです。
「こんなに壊れやすいのだから、大切に扱ってよ!」なんてダダをこねるつもりはないのです。ただ、「本当はこんなに弱いんだよ」って言える、共感できる人が一人でも欲しいだけなんです。現実世界では、まだ出会えてない。この世界に、僕と気持ちを分かち合える優しい人を見つけられていません。いったいどこにいるんだろうか。これも自分を出していかないと、見つけられないものなのだろうか?
僕はいつか、弱い自分を受け入れて、人に弱みをさらすことができるのでしょうか。
いつまでこんな強がりが続くのかな。
いったい、どうやったら弱い自分を出せるの?
正直、疲れました・・・