美術やデザインには疎いので、本来こんな大家の本を紹介する資格は無いのだが、ご容赦頂きたい。
アップル社のデザイナー、ジョナサン・アイブについての上の本を読んで面白かったと話したため、その方面に関心のあるかたから薦められた本だ。
『デザインのデザイン Special Edition』 原 研哉 (2007)
B5版で470ページあまり。 厚さ5cm近い堂々たる装丁の1冊。
発行は2007年だが『デザインのデザイン』として岩波書店から2003年に上梓されたものを、中韓台の翻訳版の好評に続き、英語版として再編集。文章、図版を大幅に加筆して『DESIGNING DESIGN』としたものを、さらに日本語版にしたものが本書という経緯を辿っている (著者序文より)
評価が高かったため国際戦略車に格上げしたクルマを、逆輸入して右ハンドルにしたようなものか。
従って下のような2003年版も存在するのだが、
こちらには『Special Edition』には含まれる、
「建築家たちのマカロニ展」
「HAPTIC」「SENSE−WARE」「白」
「EXFORMATION」
の計5章が含まれないのでご注意を。
全8章のうち5章というボリュームもさることながら、内容的に本書の中核となる章を踏まえ、是非2007年刊行の『Special Edition』のほうをお勧めしたい。
私見だが「白」の章はどうしても外せないと考える。
高名なデザイナーであり、文書が本業ではないにも関わらず、その文章が緻密且つ端正なことには驚かされる。
「白」の章の序文など、評論でありながらまるで詩のように美しいのだが、全体を以って初めて完成される構成なので、バランスを壊すような抜粋は避けたい。名文とはこういうものかと嘆息すること必至。
注)「白」は原氏にとっての重要なテーマであり、下のような同名の著作もある。
『 Special Edition』
冒頭の「はじめに」から引いてみる。
デザインを言葉にすることはもうひとつのデザインである。本書を書きながらそれに気づいた。
何かを分かるということは、何かについて定義できたり記述できたりすることではない。むしろ知っていたはずのものを未知なるものとして、そのリアリティにおののいてみることが、何かをもう少し深く認識することにつながる。
たとえば、ここにコップがひとつあるとしよう。あなたはこのコップについて分かっているかもしれない。しかしひとたび「コップをデザインしてください」と言われたらどうだろう。デザインすべき対象としてコップがあなたに示されたとたん、どんなコップにしようかと、あなたはコップについて少し分からなくなる。
さらにコップから皿まで、微妙に深さの異なるガラスの容れ物が何十もあなたの目の前に一列に並べられる。グラデーションをなすその容器の中で、どこからがコップでどこからが皿であるか、その境界線を示すように言われたらどうだろうか。様々な深さの異なる容器の前であなたはとまどうだろう。こうしてあなたはコップについてまた少し分からなくなる。
しかしコップについて分からなくなったあなたは、以前よりコップに対する認識が後退したわけではない。むしろその逆である。何も意識しないでそれをただコップと呼んでいたときよりも、いっそう注意深くそれについて考えるようになった。よりリアルにコップを感じ取ることができるようになった。
(中略)
本書を読んでデザインというものが少し分からなくなったとしても、それは以前よりもデザインに対する認識が後退したわけではない。それはデザインの世界の奥行に一歩深く入り込んだ証拠なのである。
プラトンのイデア論に通じるようでもあるが、デザイン、特にインダストリアル・デザインと呼ばれる分野の本質を、鋭く突いた序文に圧倒される。
自分のデザイン思想の中核を、これほど正確に言語化出来る能力にも。
ちなみに原氏は2002年に無印良品のアドバイザリーボードのメンバーとなり、立ち上げ時のアートディレクションを務めている。
その際に無印良品のコンセプト•ビルディングの一環として、広告の形で文章も発表されており、上に引いた文章の巧みさも「さもありなん」と納得させられた。
この本をきっかけにデザインの本を少し読むようになったのだが、
◇原氏はご自身では「コミュニケーション・デザイナー」と名乗られていること
◇2004年には『デザインのデザイン』でサントリー学芸賞を受賞しており、文筆家としての評価も定まったかたであること
◇日本の若手デザイナーの本には、敬意を持って頻繁に原氏の名前が登場すること
を付記しておく。
以上 ふにやんま