おはよう
大阪は晴れ、寒く、氷が張った。
昨日、センター入試の問題、国語を時間制限なしで解いた。年1回の頭の体操。200万点中154点だった。去年より少し上がったかな。文章力があがると国語はとれると思っているが、まだまだ。
共産党の薄汚い作戦--沖縄での党名隠し
宜野湾市長選挙で、テレビは、現職の佐喜真淳氏=自民など推薦と、志村恵一郎=沖縄県政与党推薦と、紹介していた。
「沖縄県政与党推薦」とは何? 共産党のことか? 大阪NHKだったかTBSだったか覚えてないが、共産党隠しのくだらない名を使うな。共産党推薦となぜ書けないのだろうか? それは沖縄県民に共産党嫌いが多いからだ。しかし、そんな共産党の選挙戦術に乗っかるような愚は、かの政党に脅されてもいない本土のメディアがしてはいけない。共産党が強くなっては困る民主党の方からは労働団体など特にこの件で強い圧力をかけてほしいものだ。
「慰安婦は売春婦でビジネス」と自民党員が言っても外交に影響なし
現在、売春は日本では禁止される。慰安婦は当時合法の売春で、ビジネスだった。この慰安婦の定義を発言した自民党議員に苦言を呈するのは頂けない。左翼の言論狩りを政府が認めていてはいけない。それがまかり通ると、同じ内容がある国語辞典もすべて、廃棄することになりかねないからだ。どこでも、慰安婦=売春婦の説明がある。それがないような辞書は、辞書ではない。日本語も近隣諸国からの批判が怖くて正しく語れない国は、日本ではない。
慰安婦合意に関する反対の声が、国民、自民党、政府内にあってよいのだ。全員が意志統一された共産国のような不気味な独裁国でなければ、反対論は党内に出るのが常だ。それをいちいち封じ込まなくて、政府は放置してよかった。
第一、日本国内での全員一致など、外国政府はそんなことを要求しない。外国は日本国内で反対はあってしかるべきだと考えている。自民党内でも。国内の意見が揃うのは不可能なことくらい民主的な国家では常識だからだ。
全員の意見の一致ほど、くだらないものはない。中国はもちろん全員の意見が一致する。それは、外国政府の機嫌を損ねるためにするものではない。反対意見など人民の大会議で言うと、抹殺されないからで、自らの議員の生命の安全などがかかっているからだ。意見の一致は独裁国家特有の不気味なことなのだ。
日本が外国政府の顔色を見て、国内の意見を統一させるようなそぶりを見せてはいけない。意見はばらばらでよい。リーダーはそこから最善を選べば良いので、意見の多様性は問題にならない。多数決の国では、多数さえ確保していればよい。
メディアがいちいちとりあげたからといって政府が過剰反応してはいけなかった。なぜなら、国内の反対の声がどうあろうとも、外交条約は一度決めたら、かわりないからだ。政府は締結したことを、その範囲で守ればよい。外国政府の手前、国内の反対意見を封じこめるような小者(ご機嫌取り)のごときことはしてはいけない。国内の反対論をわざと外交テーブルで持ち出し、利用するくらいのタフさを発揮しなくてはいけない。国内の反対意見を過度に封殺するなど、みっともない。
だから、首相が多少の苦言を呈することが情けなかった。
内閣の一致は、閣議の一致で制度上の必要なこと。が、与党として反対意見がなかったかのように演出するのは、意見の封殺だ。
政府や自民党内での意見の統一など、なんら美しくもない。日本的な和でもない。政治の過度な意志統一である。裏を返すと、大臣や議員、野党の貧弱さの現れである。
慰安婦は、韓国語でも、ほぼ売春婦で当時の卑猥なビジネスある。その定義を否定してはいけない。彼女たちが売春婦でもなく、当時、対価をもらっていなかったなら、慰安婦自体がいなくなる。彼女は何をした人物だ、という問題に逆戻る。
哲学の話-- 自分の好きなことを集団と一緒にすると、伸びる
私は保守的な意見を小学校から持っていたが、それが大きく開花しなかった。最近、ランキングに参加して、保守の中で鍛えているうちに、成長してきた。同じことが好きな仲間と切磋琢磨すると、人は成長する。
これは結構、大事である。特に、引っ越して地域となじめない人は。彼らが成長するには、同じことに興味をもてる友人を幾人かもち、その中で楽しむしかないからだ。
地域でなじめない人は、その同じ趣味というか志向の人がいない。が、趣味や宗教という扱いではいけない。そんな特別なものではなく、社会的にふつうの遊びや志向である。
枚方の子供や大人の志向と、ここ池田の人間はまったく違う。だから私は、なじめない。枚方は、まずは歴史史跡めぐりで、それら寺社などの歴史を覚えることは大人の常識である。いつ頃にどこに行事があり、そこにゆく、という話題に通じていないといけない。池田ではまず歴史文化がなく、行事そのものがなく、そんなことに関心がある大人はいない。ここに違和感が私にはある。
また枚方は京都に似て、妖怪や怪しげな歴史物語も好きである。そういう会話はできなくてはいけない。これも池田にはみられない。また京都の近郊の男は風流であらねばならない。庭つくりから、書など伝統的な趣味や実用は男がいくつかしなくてはならない。そういうことは池田の男に求められない。
というか、ここ池田の男たちは仕事以外、何もできないようである。そんな感じが強い。こういうことから、私には向かないのである。
また青年には青年の課題、社会人には社会に人に求められる能力がある。それが地域ごとにかなり異なるのである。すると、その年代で地域となじめなくなる。
というわけで、このままでは私は何もしないで老ける。それではいけないと思い、そういう趣味を大勢と楽しむことを決めた。私にはそっちのほうがあっている。
本日の被害
朝口の中が、何かからい感じ。体はだるくない。昨日は、ミルクキャラメルを食べると回復した。
以上