大瀧詠一さんを偲んで
とにかく大瀧詠一がいなかったら、日本のポップミュージックは今とは違う姿になっていたことは間違いないわけで。そもそもはっぴいえんど自体がなかったことになるのだから。そして当然山下達郎もムーンライダーズもYMOもなかっただろう。
その業績は私が書くまでもないと思う。知らないことは何もないのではないかと思わせるほど博識で、しかもこの上もなく上品なセンスを持ち合わせていた。煌めくような音は巧緻さを追求する職人主義と、理屈を超越した直観主義の融合の産物だった。
小学校6年すぎから中学校へかけて、毎週のようにラジオ日本(その後TBSへ移ったが)で聞いていた「ゴーゴーナイアガラ」は、当時の自分が知らない(しかし今の自分から見れば定番というか、古典の)洋楽ポップスの教科書だった。大瀧さんに洋楽の知識の基礎を教えてもらったと言ってもいいくらい。
そして後追いで高校時代にのめり込んだはっぴいえんどから、今度は邦楽ロックの迷宮にハマり込む。1980年日本初のCDとなったソロアルバム「ア・ロング・ヴァケイション」は歴史に残る大傑作。
仕事に就いてから、萩原健太さんの番組でいよいよ大瀧さんをゲストに迎えた時は、まだ3年目のADだったのだが、大瀧さんにお茶を出すという栄誉?に浴して、いざ湯呑みを出す時に緊張して手が震えてしまって、笑われた思い出がある。
また大瀧さんが大の読売ファン、しかも松井ファン(ゴジラ)とあって、彼のプロ入り初ホームランの瞬間を、大瀧さんのコメントと共に使うために連日ニッポン放送のナイター中継を録音し、しかもそれを放送する許可をニッポン放送に頼み込んで取ったこともある。今から思えばLF(ニッポン放送)のスポーツ中継音源をFМ東京で放送するという、かなりあり得ない力技をやっていた。
その後毎年1回は出演してもらっていて、何か言葉をかけていただいた記憶はあるのだが、それがどんな言葉だったかが思い出せないのが実にもどかしく残念だ。素晴らしい音楽と時間をたくさんくれたことに感謝。自己満足のためだけにお礼を言わせてもらいたい。
70年代、80年代前半の日本の音楽の象徴的存在の1人。とにかく偉大な人であった。
大瀧さん個人の作品よりも、他者へ提供した曲の方が一般には知られているのかもしれない。有名なのはシリア・ポールの「夢で逢えたら」、太田裕美の「さらばシベリア鉄道」、松田聖子の大傑作「風たちぬ」、稲垣潤一の「バチェラーガール」(これは正しくは大瀧曲のカヴァー)、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭の「熱き心に」、ラッツ&スターの「Tシャツに口紅」、小泉今日子の「怪盗ルビィ」、薬師丸ひろ子の「探偵物語」・・・・自身の作品含め、80年以降は寡作ではあったが、とにかくどれもただただ美しい曲だった。
最後の発表作はトレンディードラマの主題歌にもなった自身のシングル「幸せな結末」だった。
紅白はサカナクションと泉谷だけ見て、あとは部屋にこもって大瀧さんのアルバムを流して過ごすことにしたい。あ、泉谷といえばはっぴいえんどの大ファンだったわけで・・・・今日の紅白、大瀧さんについて何か突然発言するかもしれない・・・。
※死因について、共同通信の第一報は「リンゴをノドに詰まらせた」となっていたが、その後、公式に事務所が「解離性動脈瘤」と発表した。リンゴを食べている最中の発症ということだったらしい。
はっぴいえんどの大瀧さん曲の中で一番好きな「空色のくれよん」
http://www.youtube.com/watch?v=oEuRbCKPP0E
お正月が来ればこの曲、これも大瀧さん曲、はっぴいえんどの「春よ来い」
http://www.youtube.com/watch?v=4MAtWyyo7JM
提供曲で一番好きだったのがこれ、薬師丸ひろ子の「探偵物語」
http://www.youtube.com/watch?v=97-RgjjalbI
書き残したことは他にありますが、大瀧さんのこと以外はもう書きたくありません。年内の更新はこれで最後です。すべては来年に回します。皆さん良いお年を。
| 固定リンク