鎌倉5 鶴岡八幡宮周辺2
鎌倉も5回目になりました。1/13(水)1/14(木)にお天気も良く暖かかったので八幡宮の周辺の寺社と頼朝墓をめぐりました。殆ど階段を上っていく所ばかり。約12000歩。
まず八幡宮の西側、ごくごく小さな神社で人は誰も見えません。
35.志一稲荷
筑紫の僧・志一は訴訟のため鎌倉へ来たが、証拠の文書を国に置き忘れた(筑紫から遠いのに何故ここまで気が付かないか!)。すると志一に仕えていた狐が一夜のうちに、往復して文書を持ってきてくれた。しかしその忠心な狐が過労のため息絶えてしまったので、狐を祀るためにこの稲荷社を建立した。
36.青梅聖天社
鎌倉将軍が病に臥し、青梅を欲しがった。ところが時期が違ったので、方々探し、ようやくこの小社で見付け、献上したら病が癒えた。そのことから青梅聖天社とよばれるようになった。
ともに内部まで閉ざされていて見えないが、将軍地蔵と歓喜天像が祀られているという。この木造の歓喜天像は男神と女神が抱き合って、おたがいの顔を見つめ合う立像だそうだ。最近拝見した方はいるのだろうか?
階段の両側は水仙が満開でありました
●鶴岡八幡宮 「神苑ぼたん庭園」の冬ぼたん
昭和55年に当宮創建八百年を記念して開園された、廻遊式の日本庭園。源氏池畔には景石と御簾垣や杉苔などが調和し、書院造の齋館では茶会が催されている。
神苑ぼたん庭園では、上野・東照宮ぼたん苑と同じく藁囲いの中で可憐に咲いていました。
「湖石の庭」の石は、中国江蘇省・太湖の底から掘り出された石灰岩です。わが国では古来、「牡丹には太湖石」を描いて親しまれてきた。現在中国では天然記念物として保護され、国外に持ち出し禁止となっていますが、ここの太湖石は日中友好を願って寄贈されたもの。上海の豫園でたくさん太湖石を見たことを思い出しました。
中国より贈られた石筍
何でしょう? 左義長神事でお焚き上げするものだそうです。ポージィさんありがとうございました。 (中に門松などが入れてありました)
源氏池には圧倒的にユリカモメが多い。向こうには旗上弁財天社が見える。
八幡宮の東側へ
セイヨウヒイラギ(クリスマスホーリー)の大木に実がびっしり
37.来迎寺 町名は雪ノ下から西御門へ
時宗一向派の寺で、鎌倉三十三観音霊場の5番。如意輪観音菩薩像を見ることができました。本尊の阿弥陀如来像も、地蔵菩薩坐像も立派であった。
38.八雲神社
西御門一体の鎮守社で、祭神は須佐男命で1832年の建造
39.白旗神社と頼朝の墓 北条義時・大江広元・島津忠久の墓 八幡宮内にも同じ名の白旗神社がありました。
階段を上っていくと頼朝墓があり、階段下左手が白旗神社
白旗神社 頼朝がこの地に住み、政子が亡くなるまでの46年間ここで政治が行われた。祭神は頼朝。江戸時代末まで寺院として法華堂があったが、神仏分離令で明治5年神社を設立した。
頼朝の墓 偉業の割には、後世の人気に乏しいと言われているが、墓も秀吉の豊国廟や家康の東照宮には比べるべくもなく質素である。
隣の小山には
この階段を上ると
北条義時の法華堂跡(墓石がないけれどもここを墓というらしい)の原っぱがある。義時は2代執権で北条時政の子供、政子の弟。義時のやぐらは今はもう確認できないようです。
この原っぱの左手のやぐらには、執権・北条家によって滅ぼされた三浦泰村一族の墓があります。(材木座の来迎寺には三浦義明と三浦一族の墓がありました)
ここからまた階段を上がるとやぐら式のお墓が3つ並んでいる。左から
大江広元の墓 はじめは朝廷に仕える下級貴族だったが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、幕府創設に貢献した人。
島津忠久の墓 鹿児島・島津家の祖で鎌倉幕府の御家人
毛利季光の墓 毛利家の祖。鎌倉幕府の御家人。大江広元の四男。父広元の相模の毛利荘を継いで、毛利姓を名乗り、唯一生き残った季光の四男経光が後の毛利元就につながる。
後の長州と薩摩の祖のお墓が並んでいるなんてびっくりです。そして大江広元の子供が毛利の祖になったなんて。
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コメント
ああ、鎌倉の何も知らなかったことがよくわかります。
温かくなったらぜひ、、行けるかなあ。
投稿: 佐平次 | 2016年1月18日 (月) 10:21
こんにちは
鎌倉巡りも早5回目になられましたか。
そうそう、鎖骨は長引かずに無事くっつかれたのですよね。
良かったです~ コルセットから開放されて伸びやかなお気持ちに
なられたことでしょうね(^^)
今回の鶴岡八幡宮の辺りは鎌倉の中でいちばん回数行ったはず
なのですが、やっぱり存在すら知らないものがいっぱいでした。
牡丹の花はちょうど見ごろだったようですね。綺麗です。
円錐形に組まれたものは、鶴岡八幡宮のどんど焼きにあたる
「左義長神事」で焚き上げるもののようです。毎年1/15に
行われるそうです。
やぐら式のお墓は中世のお墓の形なのですね。鎌倉で洞窟を
見かけても深く考えたこともありませんでした。
そのやぐら式のお墓の中で眠っている方の子孫が後の世で
薩摩・長州で名を成していったとはびっくりぽんです。
まさかそんなふうに繋がっていたとは! 不思議な気すらします。
投稿: ポージィ | 2016年1月18日 (月) 10:44
遅くなってしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
来迎寺、行かれましたか!観光コースからちょっとはずれていますが、鎌倉ならではの仏像の宝庫ですよね。如意輪観音像があまりにも有名ですが、おっしゃる通り、地蔵菩薩像も宋風な魅力にあふれた類まれな美仏だと思います。
大町、材木座の細かい寺社が終わって、これからはいよいよ有名寺院が登場ですね。
tonaさんならではの丁寧な記事、まるで自分が回っているような気分が味わえ、忘れていたことも思い出させてくれます。
今年も楽しみにしています!
投稿: Nora | 2016年1月18日 (月) 12:44
★佐平次さま ありがとうございます。
鎌倉時代の人、やっと10人くらいが頭に入った状態です。
歩いてみると意外な発見があって面白いです。
この頃歩いてなかったので12000歩がやっとです。
投稿: tona | 2016年1月18日 (月) 13:48
★ポージィさま
お陰様でコルセットが外れて10日余、包丁も持てるようになって幸せです。
それに出かけるのが好きな私、長時間外に出かけられ嬉しかったです。
「左義長神事」の焚き上げるものだったのですか。教えていただきありがとうございました。
新品で縄も丁寧に編んであって、翌日15日(行った日を一日間違えていました)にもう燃やしてしまうのですか。これを作るのも凄い技術だと思いました。
鎌倉にもぼたん庭園があったのですね。この日まで知りませんでした。茅ヶ崎にいた頃は八幡宮のお詣りしか念頭にありませんでしたもの。
鎌倉は土地が狭いため墓地をたくさん作れなかったので、やぐらを墓地にしたそうなのですね。今でも人が行けないところにたくさんあるらしいです。
薩長の祖のお墓が隣どうしで、あささんではないですが、その通りびっくりぽんですね。
今回は牡丹も良かったのですが、このことが一番でした。ありがとうございました。
投稿: tona | 2016年1月18日 (月) 14:02
★Noraさま
こちらこそよろしくお願いいたします。
またいろいろ教えてくださいね。
こちらの来迎寺は観音様を見る事が出来て行った甲斐がありました。
材木座の来迎寺は子育て観音様でしたか、見る事が出来ませんでした。その代り三浦一族のお墓が凄かったです。
これからがいよいよ行ったこともある有名なお寺がたくさん出てきます。私も楽しみに出かけます。またどうぞよろしく。
投稿: tona | 2016年1月18日 (月) 14:08