某月刊誌で揉め事(誤字修正あり)
去年に続き、お世話になっている月刊誌で、保守論客なるものの鼎談があったんですけれども、同じ保守主義でもいろんな見方があり、議論が紛糾するのは仕方がないとおもうんですよ。
簡単に言うと、先方大御所お二人は夫婦別姓は認めず、同性婚も望ましくないというお考えで、その根拠が憲法や日本の伝統が理由だということでして。
私個人は夫婦別姓も同性婚も社会がこれだけ開明的になってきたのだから日本社会も緩やかな変容を認めるべきだと思っていて、宗教観念上は同姓婚には個人的な心理抵抗はあるけれども本人同士がそれを求める限りにおいては、婚姻かそれに準ずる仕掛けを社会が用意してあげてもいいんじゃないかと思うわけです。
夫婦別姓も同様。あくまで戸籍上の問題であり、普通の生活においては結婚後も結婚前の苗字で仕事をされている女性もたくさんおられ、制度的に別姓にしたいのだというのであればそれは好きにすればいいんじゃないかと思うわけです。
ところが、それが理由で「日本的な伝統が」とか「家庭の崩壊が」などといわれると困ってしまいます。そもそも、明治維新前は日本人は苗字なんざ持ってない人が大半だったわけじゃないですか。社会の要請や、国際社会との関係のうえでいろんな制度が日本に入ってきて、日本社会が受容していった結果がいまであるわけで、さらに国際化され、その中の日本であるということが明確になっている以上、戸籍とか家族制度も日本人のニーズに合わせて柔軟に考えればいいんじゃないのと考えます。
その意味で、日本の保守主義というのは「家族、かくあるべし」と固定されるものではなくて、むしろ「日本社会を維持するために、世の流れに応じて柔軟に制度や価値観を変えていくのが保守的態度なのだ」ってことで良いのでは、という話をしていたんです。
そうこうしているうちに、全然関係の無い対米従属の問題やら安倍政権の立ち位置やらを認める認めないで鼎談相手の大御所同士が意見対立してしまい、私を置き去りにして鼎談が良い意味で壊滅してしまいました。ゲラが送られてきたんですが、きっとこの原稿は月刊誌に掲載されることなくお蔵入りになることでしょう。大御所とは怖いもの知らずの人たちのことで、であるからこそ好き放題にものをいう権利があり、喧嘩する資格があるということなのでしょうか。
逆にあのような大御所の方々の奔放さには魅力を感じつつも、自分があの年齢になったときにもう少し立ち居振る舞いを気をつけようと思ったのでした。
« まだ一行も書いていないのに来月出るらしい本が予約受付開始している恐怖 | Main | 【書評】『最強のコミュニケーション ツッコミ術』(村瀬健・著) »