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半径3メートルの社会

大学一年生の日々や、考えてることを発信します。

メディアクリエイター否定派のおっさんたちに聞いてほしい話

考えたこと
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きっかけは先日行われた、ブロガー新年会。ぼくも参加した。いろいろ話題になってるので知ってるひとも多いんじゃないだろうか。

で、騒ぎを起こしてるのは、「メディアクリエイター」という肩書きについて。簡単な構図としては、学生側はメディアクリエイターという肩書きを推してて、おっさんブロガーたちがそんなのだせえって言ってる感じ。ぼくは肩書きがどうこうよりも、この騒動がここまで大きくなってることに驚いてる。

ぼくも感覚的に、ブロガーって響きはダサいなって思ってた。なんか、字面もメディアクリエイターの方がいいよなあって。でも、ここまで事が大きくなってるのはそんな、感覚に訴えるようなレベルの話ではないからだ。この理由には、おっさんと学生の価値観の違いがある。

まず、はてな村。正直、この言葉は最近知った。ほとんどの学生は、はてなブログのことを文字を書ける媒体の一つくらいにしか思っていないはずだ。もちろん、はてなにいる学生たちは少なからずちゃんとブログをやろう、という意思があるわけで、何かしらの選択をしてはてなにたどり着いたため、媒体の一つというのは言い過ぎかもしれないが。とにかく、ブログという媒体に対する意識は低いし、はてなの空気というものを知らない。一方、長年はてなを利用してきたメディアクリエイター否定派のおっさんたちは、ユーザー文化やはてなはこうあるべきだ、など伝統を守ろうという発言が見受けられた。

ユーザー文化?伝統?さっぱり意味がわからない。なぜならぼくらはそんなこと、頭の隅くらいにはあったかもしれないが、気にしたことがないからだ。この発言を見たとき、少数の学生たちの動きだけでユーザー文化に影響するほど、はてなは脆いものなのかとびっくりしたくらいだ。はてな「村」と呼ばれるのもわかる。
この、価値観を共有できていないことが理由の一つだ。伝統がどうのこうのという価値観は理解できないし、ぼくたちの価値観もおっさんには理解できない。

次に、ブログの捉え方。学生がメディアクリエイターという肩書きを使う所以は、単にブロガーという響きがダサいからというわけじゃない。

おっさんたちの中には、学生がブログ飯や高知のプロブロガーを目指していると錯覚している人もいるようだが、ぼくはそんな学生ブロガーを1人も知らない。高知のプロブロガーはそもそも目指せるものなのか?という話は置いといて、学生たちは、ブログの先にあるものを見ている。ブログはきっかけとか、ツールの一つくらいに思ってるわけで、ブログの先がブログという人は中々いない。メディアクリエイターを名乗るのは、ブロガーとして見られたくないという否定的な気持ちがあるのだ。コンテンツを主役にしたい人とかそういうのだ。だから、学生たちは別にメディアクリエイターという肩書きである必要はなかった。想像するイメージに、ちょうど良かったのが今回はこれだったというのに過ぎないと思う。

余談だが、学生ブロガーたちがフリーを夢見ていることを批判するおっさんたちの発言もあった。これは、肩書きがどうこうよりも機会を見つけたから湧いて出てきたおっさんたちだが。事実、フリーになることは難しいこともわかる。だが、満員電車で死んだ魚の眼のようなサラリーマンたちを毎日見ている学生の気持ちにもなってほしい。あれのどこに憧れを持つことができるだろうか?
それに、「なれるわけない」と学生を批判するのは、おっさんたちがその環境に染まってしまったからではないだろうか。ブログをやってる学生を偉いとは言わないが、サークルやバイトに明け暮れている学生よりも自分のやりたいことに近づこうと、一歩でも前に踏み込もうとしていることを知っててほしい。