高菜食べちゃったんですか!!?? とAKBには言えなかったラーメン屋

僕は基本、ずっと音楽雑誌を編集したり、創刊したり、そこでインタヴューしたり原稿を書いたりしてきているんですが、テレビに出て音楽のことを語ったりもしています。
 でも、テレビ出演のデビューは音楽じゃなかったんです。
「ご飯モノ」だったんです。
 昔、ワンダフルって深夜番組があったでしょ? そこで食い物担当していたこともあって。ちなみに当時、番組に出演していた釈由美子さんを、ハリセンで思いっきりぶん殴ったり、口を無理やりこじ開けて食べ物を詰め込んだりしてました。
今、同じことをやったら間違いなく殺されますね、僕。

今はWEBでもこうやっていろいろ書いたりしていたりします。
しかし、ネット界で僕の原稿が広まったのは、残念ながら音楽モノじゃなかったんです。
これまた「食い物」だったんです。

「高菜、食べてしまったんですか!!??」

知ってる人いますか? このコピペが一時期かなり広まったらしいのですが、実はこれ、僕が5年以上前に書いたブログの一節なんです。
ある九州のラーメン屋へ入ったら、店の中がピリピリしていて、「拘って作るのはいいけど、それを拘って喰えっていうのは高慢なことだなあ。音楽家でそういう姿勢を持っていても、それをリスナーに強要することはなかなかないよなぁ」とか思いながら、ラーメンが出てくる前にテーブルに置いてあった高菜をつまんでたら、ラーメンを持ってきたおばちゃんが、前述した一言をカッと見開きながら、それでも怯えたような目つきで叫ぶように言ったんですね。
そこで僕は「サービス業をなんだと思ってるんだ!」とやり合いになって――。

 みたいな話なんですが、自分の中では本気で頭に来た話をぶちまけたものが、その本気さ故に、こうやってエディットされて広まって行くのは面白いですよね。ほら、歌だってそうでしょ? 絞りに絞って出てきた4分間の曲だったりするけど、でも聴き手が口ずさむのはサビの8小節分だけだったりするじゃないですか。世の中に広まって行くのは、そういう「コピーライト感覚」で呵責されたものなんですよね。
しかも人というフィルターが通ると、大抵のことはギャグになる。僕は前述したラーメン屋では涙は流さなかったと思いますが、そのブログを書いている時に悔しくて悔しくて、泣きながら書いたのを覚えているんです。でも、というか、だからこそ、きっと読んでくれた人には面白くて、その面白いなぁという書いた僕には想像もできなかった感覚がミックスされて、ギャグとして広まったんですよね。
本気の怒りも、本気の斜め目線も、それが本気の中から生まれた感情ならば、誰かのリミックスやプロデュースを通して、何らかの形でエンターテイメントになったりする。それが今の世の中だと思うんです。

 だけど昨日の夜、ツイッターで「鹿野さん! 鹿野さんの高菜の店で、AKBが高菜を喰ってテレビ出てますよ!!??」というタレこみを頂きました。
 このツイットは――。
★俺の高菜じゃないし、俺の店じゃないし。
★AKBがテレビに出るの当たり前だし。
 などとツッコミどころは満載でしたが、でも勿論、言いたいことは伝わり、僕はそれはそれはもう、大きくうろたえたわけです。

 簡単に言えば、「ライバルよ、何故、突っ張らなかったんだ!」という、抗議に満ちた気持ちを覚えたわけですよ。
 その後You Tubeを観まして、AKBと共にいたお笑い芸人の方が店の10年来の知り合いで、東京で成功して戻ってきたら――という契りがあったりという裏ストーリーがあったりもしたんですが、やはり僕の怒りはおさまらないわけです。
「しらねーよ、そんな背景なんて。大切なのは浪花節よりプライドだ」ってね。

 あんな血走った眼で見つめながら「高菜、食べてしまったんですか!!??」とまで言って、作ったラーメンを一口も食わさずに僕を追い出すぐらいだったら、取材入れるな!だし、入れたとしてもAKBが高菜をまず喰ったら、その場で血走った眼で「高菜、食べてしまったんですか!!??」と叫び放ち、奴らを追い出すべきじゃないですか。
 それが人が生きていることを示す=「人生という名の表現」だと思うし、そんなに堅苦しく考えずとも、むしろそこでキレたほうがエンターテイメントとしても正しかったと僕は思うんですよ。
 でも、お店の人は、少なくともあのおばさんは、なーんもしなかったの。
 凄く嫌な意味で、この国だなぁと思いました。いつもは突っ張っていても芸能やメディアにはめっぽう弱い。その弱さが歪んだ形になって、2ちゃんねるなどのネットに表出する。だからどんどん普通の人が弱者になって、メディアやメディアに取り上げられる人が強者になってしまう。自分がメディア人だからこそ、この風習こそが最低だといつも感じています。

 実はあの店は家族経営で、その店主と奥さんの子供さんがあるバンドが大好きで、そのバンドが喰いに行った時に、それはもう大変なことになってサインはもらうわ、どんな喰い方でもニッコニコだったとかいうリアルな話を以前聞いて、とてもげんなりしたんだけど、でもその姿を自分で見たわけじゃないし、と思っていたけど……。

 今回の映像を見て僕は、ライバルが消えたことを諭されました。
 それは、ラーメン屋を追い出された時と同じぐらいの悔しさを感じる出来事でした。

 また新しい、面倒な店や人を見つけなきゃ。
 そうしないと、人生面白くないし、何より「腹が減りません」。

 当時のコラムはこちらから

RADWIMPS シングル“DADA” ディスクレヴュー

今回のコラムは、1月12日のリリースを記念し、MUSICAで書いたディスクレヴューを掲載させてもらいます。(RADWIMPSの最新ニュースはこちら

ではどうぞ!

RADWIMPS シングル“DADA” ディスクレヴュー

「最強最大の音楽テロ」

 野田洋次郎のあの声は、実は壮絶な圧力と声量を持ったものだと教えてくれた人がいる。声の表情からして、消え入りそうな繊細なものだと思うのが普通だし、それをPA処理で増幅してやっているかと思っていたら、実はあの地声に既にとても太いロウと圧が込められていて、とても珍しい声だということがレコーディングスタジオで判明し、なにしろ驚いたのだという。

 この話を、そのままラッドウィンプス論に還元すると、『アルトコロニーの定理』の2曲目に入っていた“おしゃかしゃま”になる。あの曲はアーティストからの賛辞が多かった。「新次元のミクスチャーだ」などという、ある種の発明を響かせた的な感嘆が、アーティストサイドからたくさん湧きあがった曲だった。

僕はあの曲からバンドは姿勢やオーラの出し方を変えたんじゃないかと思う。それまではナイフやフォークに武器を擬態させて闘っていた彼らが、自分らの槍や剣や盾を前面に掲げ果敢に攻めていった、ファンファーレのような曲が“おしゃかしゃま”だと思うのだ。そんな圧倒的な音像から伝わる「圧力」に、思いっきり横っ面を叩かれたような気持ちになった。

 その曲を彼らは今、超えた。

 “DADA”は、その“おしゃかしゃま”の覚醒感を明らかに超える強度と狂気をぶつけまくっては、さらに複雑勝つ豪快な音の乱反射をさせている。聴いてるだけでなんだか「怖くなってくる」ような曲だ。

 実際に同音同句を「ダダ叫ぶ」パートもある。しかしこのタイトル、明らかに「ダダイズム」から来ていると思う。シュールレアリズムの波が来るまでの1900年代初期を支えた革命思想による芸術運動「ダダイズム」。明確な意志をもって張り付いた常識にアンチテーゼを突きつける芸術運動は、この極端に破壊的な曲のモチーフとまさに同一のものだと思うからだ。

 この、圧縮爆弾のように詰め込まれた「負」を強迫観念に追い立てられるかのように激しく鳴らす曲は、勿論リリックもそういう類のものになっている。

<近道がしたいなら すぐそこにあるよ 壱、弐の、参で 線路へ>

<なんだっていいんだ エンヤコラ やんのかこら ハッケヨイ でさっさぁ>

 ここまでめちゃくちゃやってしまえば、そこには爽快さが生まれるし、そもそもこんなにもめちゃくちゃできるのは、地盤となっている曲の原形がとんでもなくしっかりしているからだ。しかし、この曲からはそういう批評的な物言いを跳ね返す、圧倒的な敵意が突き刺さって来る。そもそも「どんな曲でも最後には解放を促す」ポップミュージックの中で、そういう抜けが用意されていない。これは曲自体の発想に加え、アルバムへの先制打的な曲だからかもしれない。決着はまだ先にあるのだ。

 おごり、欺瞞、愚行、そんなもの全てに狂騒の限りを尽くしたサウンドとリズムとリリックを畳みかけることから生まれる、敵意を超えた殺意に近い感情。この曲のその強さと鋭利さからは、前述したように「暴かれた者としての恐怖」を覚える。なんにせよ誰もがこの曲を聴きながら楽観的にはなれないであろう、あらゆるものがシリアスに凝縮されている狂騒曲だ。

賀正2011☆新春特別号

NEXUS WEBに辿りついてくれたみんな、ありがとうございました。2010年からスタッフが集まってみんなでコロコロとアイディアを転がしてここまで来たポータルサイトです。来年はさらにいろいろ広がって行く展開を用意しているので、楽しみにしながら、出来れば毎日遊びに来てください。

 今、このコラムを新大阪→東京への新幹線の中で書いているのですが、京都から岐阜の辺りが、真っ白の雪景色だったんですね。でも名古屋が近づくにつれてカラーっと快晴。東京に戻る前には最高の富士山も拝めました。

 こんなにちっちゃい国は、それでもこんなにいろいろな景色を浮かべていて、その景色の中にはいつも「僕ら」がいます。そんな僕らが同じ時間を過ごしていることを教えてくれるのが、音楽だったり、カルチャーだったり、メディアだったりするんじゃないかなと思うんです。
今、この時、みんな違う街でいろいろなことをしていて、でもラジオやテレビをつけるとそこでは同じ音楽が流れたりしていて、このNEXUS WEBでも多くのア―ティストのコラムや、流れ続けるツイッタ―によって、音楽の「底」や「先」や「心」を一緒に知ることができます。
音楽で繋がることって、別に大袈裟なことでも何でもなくて、いたって普通な「音楽がある理由」みたいなものだと思うんです。

 実は、年を超えて新年を迎えた日に、ここ5年間、必ず聴く1曲があります。この曲を聴くのが僕にとっての初詣です。誰にもその曲名は明かしてなくて、でも僕が7年前に会社をやめて独立する、後押しをしてくれた曲です。
 みんなもいろいろなマイソングがあると思います。2011年、「聴き初め」を楽しんでみましたか? もし、まだだったら、あなたのマイソングが何なのかを考えながら、それを久しぶりに聴いてみたりしてください。楽しいよ、きっと。

 僕は音楽を聴いて、書いたり語ったりする仕事をしているけど、それでもいつも机に向かって聴いているばかりじゃありません。ご飯を食べながら好きな曲を聴き散らかすこともあるし、コンビニで聴こえて来た曲に反応して店員に曲名を訊ねることだってあるし、音楽が聴きたくない時だってあったりします。
 自分にとっての音楽の存在なんてなんだかわからないけど、でもわからないのにこれだけ一緒に付き合ったり寄り添ったりしているのって、きっと凄いものなんです。
音楽って、形のない「伴侶」のようなものかもしれないよ? だからこれからも音楽に我儘をぶつけ、そして同じぐらい愛してあげるのも、日々の営みだと思うんです。

 みんながもっと音楽のことを伴侶だと思うように、自分も、NEXUSも、さらに激しく強く、活動していこうと思います。
 2011年も、よろしくお願いします。

 鹿野 淳

いよいよLIVE NEXUS 2010 秋、来週開幕!!

来週の金曜日、1112日から、いよいよ「LIVE NEXUS 2010」が始まります。

今回は12日から14日まで新木場スタジオコーストで、21日はC.C.Lemonホールで。計4日、全5 公演のNEXUSとなります。

去年の秋のNEXUS2公演。今年の春は3公演。ライヴやイベントは数が多ければいいわけじゃないけど、それでも今回5公演を企画実現できて思うことは「音楽の中で遊べる可能性って無限なんだな」ということです。

僕は全体のスーパーヴァイザーも務めてますが、今回は2公演のプロデュースも手掛けさせてもらいました。

ひとつは12日(金)の深夜からのオールナイトのDJ&LIVEANNEXUS」。

KEN ISHII

これはライヴハウスやクラブ、アンダーグランドやメジャーシーンという垣根を飛び越えて、いろいろなアーティストがDJしたりライヴをしたりするパーティーです。今年の春のNEXUSでも開催し大好評だったイベントのVer.2です。たとえば、ケンイシイとダイノジ、そしてサカナクションの山口一郎が一緒にDJをする機会もなければ、そこにgroup_inouのライヴが絡むことも極めて珍しいことです。そんなアーティストそれぞれのルーツや今、感じている音楽を一気に浴びる機会もありません。そういう音楽を知る機会にもなるし、頭を真っ白にしても朝までずっと楽しめる、プレシャスな夜になると思います。

詳しいことは、NEXUS内のここへ飛んでみてください。

そしてもうひとつは13日(土)のロックの楽しさと苦しさ、そして時代や世代を超えた大切なものが何かが響くだろう「ロックの階段を昇ろう」。

これは10-FEETSION & The Cat cratch Combo、そしてPay money To my Pain

が一同に介し、熱いライヴをぶつけ合う1日です。

このライヴの発端は、MUSICAという雑誌の中で実現した、SION10-FEETTAKUMA対談からでした。

TAKUMAの音楽家としての精神的な支えにもなっているSIONの素晴らしいメロディと歌詞。その想いをSIONにぶつけ、SIONからも今のロック、10-FEETへの愛情をぶつけてもらった対談をきっかけに、いつか実現させたいと思っていたタッグライヴ。そこにPay money To my Painも賛同し、この企画が実演しました。

ロックの深遠なる世界を味わうもよし。今年25周年を迎え、なおも狂気と優しさの両方が高まっているSION、彼が何故、TAKUMAKEN YOKOYAMA、そしてブラフマンのTOSHI-LOWなど多くのロックアーティストから指示を得ているのか?を知るもよし。きっとメモリアルかつスピリチュアルなライヴを行うであろう10-FEETPay moneyのライヴで頭を真っ白にするもよし。

もちろん楽しみ方は自由です。どう転んでも盛り上がっても、天に昇るほどの楽しさを保障します!!

今書いた対談記事をただいま、ナタリーにて公開中です。是非、こちらへ飛んで、見てください!!

来週、NEXUSで会いましょう。絶対、会いましょう。僕らチームNEXUSは、あなたに会いたいんです。

待ってます。

USTREAM

皆さんご存じの、配信動画サイト「USTREAM」があるじゃないですか。

 ネクサスも新木場でのイベントや、毎週金曜22時からのインタヴュー番組「discord」でユーストリームを思いっきり活用しているのですが、あの動画サイトにはいろいろな可能性とリアルが潜んでいます。

 例えば先日、サカナクションのレコーディング風景がライヴ配信されました。これは彼らバンドが、島田大介というクリエイタ―の作った映像を観て、その後にディスカッションしながら楽曲を作っていく過程を観るという、今までにはなかなかない画期的な放送でした。

 通常はまず楽曲が完成し、それにミュージックビデオが付属されていくんですが、今回のプロセスはその間逆。バンドのイメージを映像にし、そこから音楽が生まれていくという新しい試みだったのです。

 

そんな新しい試みを、もったいぶることも隠すこともせずにユーストリームで「ダダ流し」するバンドの思い切りの良さとタフさに感動を覚えますが、そんなことをみんなに楽しんでもらえる、しかもTwitterでタイムラインに乗って感想や意見や励ましの言葉をつぶやいたりできるのは、本当に面白い時代だなあと思うんです。

 僕がパーソナリティを務める「discord」もそうです。

 「discord」は1時間から1時間半の間、「ただただインタヴューし続ける」という、音楽番組です。こんな「そっけない」音楽プログラムは今まで存在しなかったんですが、裏を返せば「ここまでアーティストの気持ちや人間っぷりや意外性」に触れられることもなくて、そういう意味では編成などというものが存在するテレビやラジオでは決して成り立たなかった音楽メディアとなっているのです。

 そんな「誰もが動画メディアを作れるユーストリーム」ですが、だからこそプロの音楽家として、プロのメディア人として気をつけなければいけないことがあります。

 それは――――。

「エンターテイメントにならねばいけない」

「観ている人が、画面の中で行われていることをやりたくなるようにさせねばならない」

 ということです。

 サカナクションのユーストリームも、「上手くいくかどうかわからない」じゃ実現できなかったものです。絶対に意味のあることになる。意味のあるプロセスの中で意味のある音楽が生まれる。その行動と楽曲自体が、シーンに深く刻まれ、影響を及ぼす。そう思えなければ、恥ずかしくて、不安で、実現できなかった企画でしょう。

 「discord」もそうです。

 1時間ひたすら話し続けるだけでも、みんなを飽きさせない。編集なしのトークライヴでもエモ―ショナルな気持ちを喚起させる。その語りだけで、音楽を聴きたくなったり、音楽を始めてみたくなる。それだけのことを絶対にやれるという自負をもって毎週オンエアしているプログラムです。

 ユーストリームだけじゃないと思うけど、「新しいメディア」が生まれ出ると、そこには必ず可能性に満ちたカオスが生まれます。そのカオス自体に人が集まり、いろいろな価値観が生まれ、やがてそれが一本化しブームになったりしていきます。その価値観が多様化される中で、素晴らしい選択に人を導いたり、いろいろな価値観の意味を唱えたり、何よりも「興味本位を超える感動」をもたらしたり、そういうことをできるのが、いや、しなくてはいけないのが、プロフェッショナルワークだと思うのです。

スペースシャワーTV「真夜中のNEXUS」!

皆さん! スペースシャワーTVを観れる方、いますかぁー? もし観れなかったら、今すぐ加入願います。

何故ならば、NEXUSがテレビをやってるんですよ。番組名は「真夜中のNEXUS」。毎週木曜の26時、つまり深夜の2時から。時間遅いけど、眠いかもしれないけど、でも観て欲しい。眠気を覚ますように、30分の中に企画を何個も何個も入れまくっているジェットコースター音楽バラエティ番組なんすよ。

例えば、「CD愛」と題してア―ティストのCDライブラリーを紹介してもらったり、「マネージャー・ミッション」と題してマネージャーに「ア―ティストにモノマネさせて来い!」などというムチャ振りの限りを尽くしたり、「ライヴハウスごはん」と題してそれぞれのライヴハウス近辺のお勧めご飯屋を紹介したり、「なう!」と題してレコーディングやライヴのバックステージなどの映像を紹介したり、「どんなお仕事?」と題して業界の達人や珍獣を紹介して、みんなを音楽業界に促したり、僕が毎週の音楽出来事の中からセレクトしたニュースを語ったり、このコラムでもお馴染みのサカナクション山口一郎の「釣りつぶやき」が覗けたり、ほんと毎回いろいろなコンテンツを矢継ぎ早に観せていく番組なんです。

一人のアーティスト、一つのバンドの中にも、笑いも哀しみも怒りも喜びもあるように、音楽の楽しみ方だっていろいろあるはずなんですよ。「真夜中のNEXUS」の中では、そんないろいろな角度から音楽を斬って斬って斬りまくって、一緒に遊べる番組にしようと思っています。是非観てやってください!!

11月12日から開催する「秋のライヴ祭典」NEXUSライヴも、かなり盛り上がってきました。これまた一夜として同じ企画がない、スペシャルな5夜。さあさあ皆さん、是非とも参加してくださいね。詳しくはコチラへ。

待ってますよ、ヨダレを垂らしながら――――。

NEXUSの、大きく新しいスタート!

 NEXUSは10月7日から、大きく新しいスタートを切ります。

 まず、「WEBサイトをリニューアル」します。
 NEXUSは、イベント開催からキックオフしたメディアです。アーティストの生のメッセージやアクションを、なるだけレアな状態でみんなに楽しんでもらい、音楽やシーンを活性化できればという願いと共に始まったのがNEXUSなのです。
 よって今回のリニューアルは、よりアーティストの声やメッセージなどをダイレクトかつクイックに楽しんでもらうことを考えました。
 具体的には、「アーティストのtwitter」をセレクトして24時間タイムライン状態でみんなにお届けし、毎週金曜22時からUSTREAMにてアーティストとの1時間以上にわたる脚本なしのインタヴューを生放送している音楽番組「discord」をNEXUS内で大々的に展開し、アーティスト自身によるコラムは勿論、「フェア・ミュージック・マニフェスト」と題し、音楽のあるべき楽しみ方や愛し方をアーティストと共に提案していこうと思います。
今後ともNEXUS WEBを、よろしくお願いします!
 
 もうひとつの大きなアクションは、NEXUSが「テレビ番組を始める」ことです。

 これはスペースシャワーTVにて毎週木曜日26時から30分間オンエアする「真夜中のNEXUS」という番組です。
 ここでは僕、鹿野が毎週セレクトする音楽トピックスや、アーティストの方のCDライブラリーや楽しみ方を教えてもらうコーナー。そしてアーティストに変なことをしてもらうべくマネージャーに指令を出して実行してもらうコーナーや、各ライヴハウスの近辺の「美味いお店」を紹介するコーナー。さらにはアーティストのレコーディングなどの模様をお伝えするレアな企画や、外人さんにヘッドフォンで日本の名曲を聴きながら路上で歌ってもらい、それがなんの曲なのかを当てるコーナーなど、深夜にふさわしい珍コンテンツを小気味よく観てもらう、深夜の音楽バラエティ番組です。

 平日木曜の26時と、むちゃくちゃ深い時間帯ですが、こんな時間に集まってくれる音楽好きな方の眠気をさまさせるようなプログラムを毎週おおくりしますので、なにしろ頑張って観てみてください!
 最近はこの番組を制作するのが、なにしろ楽しくてね。楽しみにしていてください!!

 WEBネクサス、真夜中のTVネクサス、NEXUSはここから一気に咲き誇り始めようと思います。みんなからの声を待ってますので、なんなりとメッセージをください!! メールならばコチラ。ツイッターならばsikappeという名前でつぶやいてます。よろしく!

次号のMUSICAより、僕は編集長を降りることにしました。

 今回のコラムは、一週間前に発売した、僕が編集長を務めて「いた」音楽雑誌MUSICAの編集長後記の一部を転載します。雑誌をめくってくれた人以外にも報告したいことがあるからです。
 それでは読んでください――。

 次号のMUSICAより、僕は編集長を降りることにしました。10月15日発売号からは、有泉智子が編集長を務め、寺田宏幸が副編集長を務めます。
 今までのMUSICAは僕のワンマン体制で作っていて、副編すら存在しませんでした。いろいろな意味でこの雑誌は次号から変わっていくことと思います。もちろん、すべては前向きな発想によるものです。僕はワクワクしながら、9月15日発売号をもって編集長を降りさせてもらいます。
 
 前にもこのコラムで書きましたが、当初から3年を目処に編集長を変わろうと思っていました。それはこの雑誌を創刊させた時からの、僕の「野望」でした。
 何故MUSICAを創刊したのか? 自分が読む音楽雑誌がほぼなくなってしまったからです。そしてスぺシャのチャート番組のパーソナリティをやらせてもらったりしていて、雑誌を出せる状況があったからです。そこで僕は考えました、「何故、僕はこの歳になってまだ、雑誌を創刊できたり、テレビやラジオでくっちゃべったりできるんだろうか?」と。
 そこで自分なりに得た答えは、「僕よりフレッシュで若い奴らが勝負できてないか、そういう奴らがまだ頭角を表わせてないからだ」と思ったのです。だったら、自分の会社でそういう奴らを生み出しちゃえばいいんだと。そのために、実りある新しい音楽雑誌を、卵達と一緒に作り始めようと始まったのが、このMUSICAでした。

  創刊して3年半。僕の編集長人生が順調だったかどうかはわかりません。実際、今年の春には編集長を降りると編集部内にも断言していたんですが、できませんでした。だけど思ったんだよね。こういうことって状況が揃うのを待つような話じゃないなって。子供が生まれて初めて人の親になるように、僕がこの座を降りて初めて動き出したり走り出すこともあるんじゃないかな?って。だからここで潔く降りることにしました。

 おかげさまで凄い楽しかったです。自分の裁量で始めたちっぽけなFACTという会社で、ここまで「闘える」雑誌に育て上げることができたのは、きっとあなた方のおかげです。
 毎月毎月身震いするほどの快感をもらいました。相変わらずたくさんの揉めごとを起こしたし、相変わらずたくさんのアンチを増やしたし、相変わらず他媒体との摩擦を起こしまくったけど、でもMUSICAという雑誌は僕の至らなさをすべて引き受けて、言いたいことを言い続け、素晴らしい音楽やアーティストの息吹と共に、駆け抜けてくれました。すべては、一緒に暮らすように作り続けてくれた仲間によるものです。有泉も寺田も、他の編集部員も、何年も前からこの雑誌と心中し続けている編集者です。奴らはきっとやってくれます。

 MUSICAの3年半は、まさにシーンの過渡期そのものでした。ポップは数字以外の力を迫られ、ロックは本当に言いたいことと鳴らすべきことが何かを示さねばならない時代を迎えたからです。そういう時期にこの雑誌を出せたことはラッキーだったし、ポップとロックと共に「生きる」ことによって、多くの読者やアーティストという同志を得ることができました。

 これからのMUSICAは、さらにハードな闘いと批評と座標軸を示していくと思います。何故ならば、それが今のポップやロックに一番必要なものだからです。新しいMUSICAにも、どうかあなたのリアルな声を投げてやってください。
 今まで、本当にどうもありがとう。

好きじゃなきゃ、やっていられない仕事

 どうなんだろうか? これを読んでくれている人の中に、「音楽雑誌を作ったり、メディアに携わってみたい」みたいな人っているんだろうか?

 僕が新卒でマスコミ業界に入った20年ほど前は、なにしろこれは「花形産業」だった。マスコミは、代理店や商社などに匹敵する「イケてる仕事」で、だからこそ夜学出身の自分が門を潜れたのはかなりのラッキーだとみんなから言われた。

 しかし、今って全然そんな仕事じゃないらしいじゃない。なんか、「好きじゃなきゃやっていられない仕事」らしいよね。

 でもそれって最高の職種ってことだと思う。嫌が応にも仕事ってやつは、自分の人生を侵食していく。つまり、好きじゃなきゃやっていられないし、好きじゃない仕事に明け暮れても、どうにも「生きにくい」と思うのだ。

 僕が編集長を務めているMUSICA編集部にも「好き者」がたくさんいる。そんな奴らでも「校了時期」という雑誌ができるまでの最終期間は、どっか狂ってしまう。例えば――――。

★ぱぴゅ〜んとか、急に奇声をあげる。これはよくあることだ。

★レコード会社から送ってもらったポスターを持って、タモさんのように、「おーい、誰か貼ってー!」と無駄に大声を出す。うーん、上手いね。

★社内をかかとでドスドス歩き続け、階下の人に迷惑をかけそうになる。意味がわからん。

★女子便所が混む。理由は朝にみんな化粧をそこでし直すため。大変だよね、女性は。

★給湯室みたいな場所が混む。何故ならば、朝にみんながシャンプーリンスをするから。泡が床に散らばって、足を滑らしてケガしちゃった奴までいます。

★会社全体がレッドブル臭くなる。一日で40本、空けたことあります。

 ――どう? 案外楽しそうでしょ? 雑誌編集部って。
 今、これを書いている今、まさにMUSIAは大校了期になってます。頭の先からつーんと、何かが抜けていきます。これ、何だろうね? 理性? 知性? 遁世?
 あなたもやってみませんか? 心配ないって、音楽「だけ」はいつも傍らにいますから(笑)。

最高に地獄な2日間、そしてNEXUSブース…「I LOVE MUSIC」!

今、僕は京都からの戻りの新幹線の中でこのコラムを書いてます。何故かと言えば、「地獄絵図」に参加していたからです。
なんじゃそりゃ!? と思った人に説明すると、これはマキシマム ザ ホルモンが主宰する一風変わった企画ライヴシリーズで、毎回死にそうにハードな企画を立てて、それを参加者に強いながらライヴとしてやり遂げるものです。過去には――「ダウンパーカーを着たままライヴに参加」、「にんにくを丸かじりして、そのまま酸欠ライヴで息をゼーゼーしながらライヴに参加」、「体重○○キロ以上限定ライヴ」、「年齢○○歳以上限定ライヴ」…………。いやあ、最高にどうしょうもなくて、だけど生きている実感を嫌というほど堪能できるライヴ、それが地獄絵図。
今回も敢えて「酸欠しそうなライヴハウス」を探し求め、滋賀県は浜大津にある「B♭(ビ―・フラット)」で、参加者220名によって開催されました。初日のテーマは「フルフェイスのヘルメット被ってライヴに参加」、2日目は「ペアでパンスト被って、そのままライヴに参加」……………これはもう、アホを通り越して危険な匂いのする域に達しつつある企画です。そんなライヴに「鹿野さんもメット被って、ストッキングも被って参加!」ということになり、行ってきました。そう、僕は生粋のM男なんです。

凄かったよ、マジで。ヘルメット被ると頭の中に音がドーンと残ってはグルグル回り、しかもヘルメットの中も体全体もビショビショ。
それ以上にハードだったのがストッキング地獄。ペアでいるから身動きがとても不自由で、しかも周りの人の顔が爆発的に「変」!!!!(笑)。しかもストッキングの中で汗が吹き出し、それが目に入っては染みたり、隣の人をみるとつけまつ毛が取れて、目の下に挟まれて、まるで目ん玉が二つあるような化け物のようになっていたりして!!!???(死笑)。もう、ほんとどうにかなっちゃいそうな最高に地獄な2日間でした。

詳しくは9月15日発売のMUSICAで。今回、表紙巻頭で9カ月ぶりに復活を果たしたホルモンに完全密着し、ドキュメントやインタヴュー、さらには10-FEETとの対談など、「それ以上、ニンニク盛らないで!」とストップ喰らうほどのてんこ盛りでおおくりします。お楽しみに!

NEXUSは先週末、山中湖で開催された「SWEET LOVE SHOWER 2010」にブースを出展する形で参加してきました。
ブースでは「I LOVE MUSIC」というテーマで音楽への愛や、自分にとって音楽とは何か? をブース内にメッセージとして落書きしてもらいました。

ほら、凄いでしょ、落書きだらけでしょ。これ、全部音楽やフェスへの愛だらけなんです。音楽愛に溢れた、みんなと一緒に作り描いたブース、素敵でしょ?
今、音楽は疲れてると思います。音楽を聴く人も疲れてるし、作る人も疲れてるし、違法ダウンロードやマーケットの弱体化によって、確実に音楽は疲れちゃってます。
でも本来そういう時こそ、音楽が時代や世代の疲れをバッサバサとり払っちゃうべきだと思うんです。だからこそ、今、僕らは音楽への愛や興味を表に出しまくって、音楽に元気や勇気を授けたいなあと思ったのが、このブースの目的です。

当日はフェスに参加した素晴らしいアーティストが、なんと23組も!? メッセージを描いてくれて、それをブース内に貼りつけました。中には直接描きに来てくれたこんな人も――――ありがとう、一郎!!

今後、このメッセージを何らかの形でNEXUS WEBで活用していきたいと思っています。音楽は今、きっとあなたの意志とメッセージを必要としていると思うからです。