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本の紹介

2016/01/18

森林の仕事ガイダンス2016

森林の仕事ガイダンス事務局から連絡が来た。

森林の仕事ガイダンスを、また大阪で開くので来てください、とのことであった(^o^)。
そんなに私が林業に就業したがっているように見える……のではなく、取材しろという意味だろう。たしかに毎年顔を出している。
 
8 昨年の森林の仕事ガイダンス
 
 
1月 23 日(土)、 13 時から 17 時まで、大阪マーチャンダイズビル(OMMビル)Aホールである。とくに目立ったイベントは行わないようだが、これまでどおりの各県のブースと全森連の相談コーナーのほか、「緑研修生交流コーナー」や生活・暮らしについて語る「緑研修トークショー」、林業 道具展示などがあるらしい。
 
参加ブースの一覧を見ると、徳島県、愛媛県、高知県と四国勢が多くのブースを出すのは力を入れている証拠だろうか。福島県からも大勢くるように見えたが、県のブースはなくて緑の研修生ばかりのようである。(女性もいるらしい♪)
 
 
毎年顔を出しているだけに、この1年の変化を肌感覚で知るには悪くない。なんとか時間をつくって足を運んでみるか。
 
ただ一人で行くと、ざっと見て回るだけで終わって、そんなに面白くない(~_~;)。誰でもいいから、私に気づいたら声をかけてください。
 
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林業は若者の就業が大きく伸びている、と自慢するグラフ。

2016/01/17

「使わない資料にも意義がある」

昨日、古書市で大量の本を購入したことは、すでに記した。

 
こうした情報の仕入れは、古書に限らず定期的に行っていることだ。すでにある資料を吟味していらないものを選んで捨て、また新たな資料を入れる。いわば情報の新陳代謝である。
 
新しい資料とは、個人的に興味のある分野や、今手がけているテーマ、今後手がけるかもしれないテーマ……。もちろん単に楽しむための小説やら読み本だってある。選書は、勘としかいいようがない。
 
 
たとえば、もうすぐ刊行される『樹木葬という選択~緑の埋葬で森になる』の場合、元から樹木葬には興味を持っていて、その関連本は書棚にあった。
ある時に、少し詳しく調べてみるかと思いつき、樹木葬に限らず葬儀・埋葬・墓の民俗的資料を集めだした。それこそ古書店に行って、目に止まったものをまとめ買いすると、あっという間に数十冊集まる。手持ちの資料の中にも関連本を改めて取り出す。
 
書籍だけでなく雑誌や論文も含めてネット検索し、手に入るものを集める。樹木や里山、あるいは緑化に関する資料は、すでに大量にある。ドイツなどの森林を巡る人々の事情は、前著の執筆時に収集済だ。
 
さらに近隣の墓地を訪ねる。樹木葬を名乗っている墓地にも足を運ぶ。
 
 
ただ、この時点では、まだ樹木葬について本を書くかどうか決まっていない。むしろ、否定的な情報ばかり集まっていた。樹木葬とは名ばかりの墓が多いのだ。それこそ「木のない樹木葬」が日本の場合は主流と化している。
 
ここで諦めたら、集めた資料は全部無駄になっただろう。そうしたケースも実は結構ある。だが情報を探っていると、それなりに森をつくる樹木葬もないではないとわかってくる。海外情報も入ってくる。
 
ようやくゴーサインを出す。現場を訪ねる。取材する。
 
そして執筆する。ただし、収集した資料のうち、実際に参考になるものはごくわずかだった。ほとんどが無意味で役立たずだ。
 
 
では、大量購入した本は無駄だったのか。
いや、そうでもない。執筆に役立たなくても自らの知識になることで、実は執筆時の下支えになっている。多くの無駄に囲まれて核は育つ。
 
無駄を排除すると、核は見えなくなるのだ。
 
そういや「働かないアリに意義がある」という本もあった。通常、アリの巣にいるアリの7割は働いていないという知見があるが、働く3割のアリだけを集めたら、またそのうち7割は働かなくなる……というのだ。そこから無駄に見えるものにもある意義が見えて来る。
 
同じく、遺伝子の7~8割は働いていない、少なくても生命活動に有利にも不利にも働いていないという中立遺伝子説もあった。それでもいずれの遺伝子は必要なのだ。
 
もっと身近な例では、某有名スーパーが売れ筋商品に特化した品揃えをしたことがある。たとえば刺身売り場にはマグロばかりとか。その代わり価格はぐんと下げる戦略だ。
これなら人気を呼び売上もアップ……のはずが、一気に客離れを起こして売上は急降下をたどった。その後、幾度も立て直しを図るが、とうとう倒産。イオンに吸収される……。
 
売れない商品にも意味はあったのだ。
 
 
そんな無駄を積み重ねて完成させた本である。
 
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2016/01/16

掘り出し物in 古書市

今日はふらりと大阪の某古書市に。

 
何かよい本はないかな、と探してみる。
ときには、ズバリ見事に今自分が取り組んでいるテーマの本が見つかったり、長年探してもなかった本を発見したり、ということもあるのだが、そうそう期待通りにはいかない。
 
それでも中吉くらい?(笑)。
 
意外な内容で何か使えそうと思える本や、何か読んでみたくなる本や、いつか取り組むつもりでただいま資料収集中、のテーマの本。そしてこの内容にしては安い! というコスパの合う本などをン十冊買い込んでしまった。
 
重い……。
 
これで、ここ何日もかけて処分して空いたはずの本棚の空間が埋まるだろう。かくして断舎離は振り出しにもどるのである。
 
 
ちなみに、その中でもっとも掘り出し物ぽい本を選べば……これかな。
 
Dsc_0102  写真・吉田繁 文・蟹江節子
 
巨樹の写真集。定価は3800円のところ、500円v(^0^)。
多少傷んでいるが、気にしない。見応えたっぷりの巨樹がいっぱい紹介されている。
 
一つ発見。これまで世界一太い樹は、メキシコ、オアハカのトゥーレの樹と思っていた(多くの書物にそう書かれてある)が、アフリカ・ジンバブエにあるバオバブ〔ビッグツリー〕は、それを超えているらしい。(表紙の木)
 
実は各国で計測方法が微妙に違うらしいが、著者が両者を計測して比べた結果だ。
バオバブと聞くとマダガスカル島と思うが、実はアフリカなどにも生えているらしく、それらはちゃんと計測したりギネスに申請していないケースも多い。まだ未知の巨樹が見つかる可能性だってあるのだ。これこそ掘り出し物か?

2016/01/15

スキマ樹木

スキマ植物の中でも大物を見つけた。

 
某有名神社の裏手の駐車場脇にあったのだが……。
 
1
 
わりと大きいがフツーの木。幹の直径は20センチ以上ある。
しかし、その根元を見ると。
 
2
 
コンクリートのスキマから生えていた……。
 
3
 
向きを変えて見ると、こんな感じ。やっぱりコンクリートのスキマから生えたので薄い(笑)。幹も円というより押しつぶしたような薄い楕円になっている。根も、スキマに伸びているんだろうか。
 
頑張ったなあ……。コンクリートと戦っているんだ。

2016/01/14

ラップランドの森の民

ミニマリストめざして、溜まりに溜まった資料の削減作戦を決行している。

涙を流しつつ、資料類を処分しているのだ。よくぞ集めも集めたり、だ。
 
だいたい報告書とかパンフレットのような冊子類は分別を終えて、段ボール何箱分かはちり紙交換に出した。これだけで本棚の1割は減らしただろうか。もっとも全体の1%ぐらいなのだが。。。
次は紙類。とくに新聞や雑誌の切り抜きである。これは、一枚一枚内容をチェックすると大変な労力となる。時間をかけぬよう瞬時に判断するようにしているが、分けてから「待てよ……」とまた手に取り直すことも多く(~_~;)、進まないねえ。
 
面白いもので、これまでほとんど10年くらい手をつけなかった資料を、ちょうど今書いている原稿の内容に則しているものであったため、引っ張りだすことになった。こうなると、いよいよ捨てられない……(^^;)。 
 
今日は、「おっ?」と思うものを見つけた。
たとえば、今から24年前の切り抜きに、ラップランドにカナダの森の民がやってきた話が載っていた。ラップランドと言えば、フィンランド北部のサンタクロースの故郷みたいな土地で、トナカイの放牧をしているところてはなかったか。森とは縁遠いように思えるのだが……。
 
Img002_2_2  
 
イリアダマントと呼ばれるカナダ・インディアンの一族ということだが、彼らの森の智恵を北欧で活かして森の保護と活用法を探る試みだったらしい。
ここで四半世紀前の話を蒸し返す気はないが、驚いたのは、そこで語られる森の扱い方。
 
木材にする木は伐採してはダメで、根から掘り出すのだという。
「根を残すと、その水分が冬に凍って、周りの木の邪魔をするから」であるとか。
ほかにも病気の木なども引き抜く。そして跡地に作物を植えるのだそうだ。零下40度にもなる世界ならではの発想だろうか。
「森は人が住んでこそ生長する。我々は放置された森より三、四割も早く木を生長させる」
 
 
この作業法が、現代生物学、あるいは林学的にどうなのか私にはわからない。ただし、彼らは「森の民」とはいえ、生物学博士もいるほか、多くが緑化の専門家として国連で活躍している。決して伝統だけを唱えているわけではない。 
 
所変われば?智恵も技術も変わる。う~ん、北欧の森を見てみたいなあ。
 
 
 
ああ、こんな記事を発見してしまうと、いよいよ捨てられないなあ(泣)。。。

2016/01/13

スマホでKindle

スマホでもKindleを導入することを知り(いや、知っていたのだけど、やらなかっただけ)、スマホ用のKindleアプリをダウンロードしてみた。

 
すると、あっと言う間にパソコンのKindleと連動した。何も手間かからないのね。
 
当然ながら、この本を開く。
 
Kindle_002   Kindle_004
 
文字はこんなぐらい。まあ、読めます。ちょっと小さいけど。ただ句読点や鍵括弧などは少し位置がズレておる。
スマホだから、タッチでページが繰ることができる。その点はWindows7でスクロールするより楽。電子書籍リーダーやタブレットに近い感覚か。
 
Kindle_005  ページを飛ぶには、目次からリンクをクリック。
 
Kindle_006
 
横にしたら、文字もちゃんと横になった(~_~;)。こちらの方が読みやすい。相変わらす句読点等はズレておるが。
 
便利である。
が、電子書籍とは、そのデータそのものを手に入れるのではなくて、クラウドに置かれたデータにアクセスすることなんだなあ、と感じますな。
読むだけでなく、資料的な本は電子書籍として購入した方が、いつでもどこでも確認できてよいのかもしれない。
 
……といいつつ、正月には分厚い専門書を購入してしまった。重い。でかい。ついでに高かった(泣)。。おかげで、まだ序章しか読んでいない(;´д`)。。。。
無駄にしないよう、しっかり読まねば。
 

2016/01/12

魚種転換と樹種転換

近頃、水産関係の書物をひもといている。

 
いよいよ林業に見切りをつけて、水産業に転進か……いえ、海は森の恋人ですから(^o^)。
それに水産分野の専門家が林業分野にも進出して発言するなど、最近は垣根が低くなっているのだよ。私も負けずに幅を広げないと。
 
それはともかく、どうやら近年の水産業……さらに海洋そのものまで激変の模様だ。海の温暖化や酸性化、化学物質や放射性物質の汚染。外来種の跋扈。さまざまにある。
 
なかでも魚種転換(魚種交代)に目が向いた。これは、もともと資源としての魚が長い時間の中では増えたり減ったりすることを指すようだ。まあニシンが減ったりイワシが増えたり、サンマが不漁……などは問題になる。
ただ近年は、それに加えて水辺環境の変化による在来種の減少とか外来種の増加とか、海水温度の上昇による熱帯水域の魚種の回遊などの要因も加わっている。もちろん漁獲しすぎることによる問題もある。絶滅危惧種に追い込んだウナギやマグロなどは典型だろう。
 
 
話を広げすぎないようにすると、ここでは魚種転換によって、人類の食がどう変わるかということが気になる。
たとえばニホンウナギがとれなくなるとヨーロッパウナギに乗り換え、それも絶滅危惧になると、次は東南アジアのビカーラ種? そこまでウナギを食い散らしてどうする。というわけで、ウナギ味のナマズも登場しかけているわけだが……。
 
一方で、(日本の)ハマグリが減少すると、シナハマグリやミスハマグリ(東南アジア産)を輸入する。外来種のホンビノスガイもシロハマグリの名で出回る。
あるいは近海魚が獲れなくなると、深海魚を商品化する。
 
 
以前、漁業ベンチャーを始めた人に取材したところ、「魚の総量は減っていない。魚種が転換しただけだから、食べるものを変えれば大丈夫」という意見を聞いた。そして「これまで獲らなかったものを獲るか、漁獲していたが市場に出さずに捨てていたものを商品化する」ことを使命としていた。
それも一理あると思う。本当に総量が減っていないのかどうかはともかく、減少一途の魚種にこだわると、本当に絶滅させてしまう。価格も跳ね上がるだろう。資源としては、広く薄く得るのが持続の鉄則だ。
 
 
そこで思い出すのは、北海道で家具作家に、「300年もののミズナラ材がなくなった。どうすればよい?」という質問だ。
なくなりつつあるものを追いかけて、根こそぎ調達するとか輸入材に切り替えるのではなく、「今豊富にある木をいかに利用すべきか考えるべき」というのが私の答だった。その際に例にだしたのはコナラである。本州には大木がうじゃうじゃあるから。
 
もちろんコナラはミズナラより硬くて歪んで扱いづらい材質だし、調達ルートもあってなきがごとし。しかし、家具材としては悪くないという印象を持っている。私の手元にも切り片を長く持っているが、光沢のある木肌は魅力的だ。
 
長い眼で見ると、おそらく世界の森林、日本の森林も樹種の転換が起きるだろう。地球温暖化や乾燥化もあれば、伐りすぎの問題もある。外来種問題も、思わぬ害虫の大発生もある。
その点は水産業と同じだ。もちろん寿命が短く変化の早い水産生物に比べて、樹木は世代交代が遅いから目立たない。しかし、今ある樹種が将来もあると考えるのは危険なのではないか。
 
林業は100年後を考えるべきというが、500年後の変化も考えないとマズいかもしれない。スギの伐採跡地にスギを植えても育たないかもしれない。今はチップにしてしまう雑木の中に将来の宝の木が埋もれているかもしれない。高級ブナ材も、乾燥技術の未発達の頃は役立たずで「木で無い」と書いてブナだったように。
 
今ある木をいかに活かすか。今低品質扱いしている木材をいかに高品質化するか。ここに林業が水産業に学ぶものがあるのではないか。
 
あ、結局、林業につなげてしまったなあ。。。。
 
 
今の私は、「マグロのすべて」本に載っていた珍しいマグロ料理を試してみたくて仕方がないのだけどね。
 
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2016/01/11

朝日新聞の吉野記事

正月から朝日新聞の奈良版に「吉野悠久」というシリーズ記事が連載された。

 
7回続いたが、大台ヶ原の大台教会、十津川の瀞ホテル……と続いた。
 
第3回が、「造林王」
 
Img002
 
もちろん、土倉庄三郎と吉野林業のことを取り上げている。実は、私も取材を受けた一人。
完全に林業の素人に土倉翁や吉野林業の現在について伝えるのは難しい(^o^)。
 
ただ、この記事だけではないのだ。
たとえば第5回の吉野山の「千本桜」を紹介した回でも、明治初年度にサクラを伐ってスギやヒノキに植え替える計画があったことに触れて、土倉翁が金を出して止めたことに触れている。
 
また第1回の大台教会も、文中には触れていないが、初代の教会を建てたのは土倉庄三郎である。古川崇の計画に対して寄進したものである。ちょうど大杉谷開発をしている時で、その一部に大台ヶ原までの道と教会をつくったのだ。
記事には、その初代の教会の写真が掲載されている。この写真いいなあ。ぜひ、借りてきて土倉翁百回忌に展示したい。
 
ほかにも天川村の行者宿や、柿の葉寿司、移住者を取り上げているが、なんか知った人物が何人か(^o^)。。。
 
残念ながら、今年は土倉翁逝去99年目で百回忌であることに触れていない。まあ、少しずつ露出&告知していかないとね。

2016/01/10

『樹木葬という選択』のデザイン決定

東京オリンピックの出直しエンブレム、デザインの最終4案が決定したというニュースが流れていたが、こちらでも決定しました。

 
2月中旬に発行予定の私の新作『樹木葬という選択~緑の埋葬で森になる』の表紙デザインが。こんなんになりました。
 
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どうです? お墓本と聞くと、なにやら荘厳なデザインを想像しがち(事実、これまで発行されたものには、そうしたものが多い)だが、ちょっとポップな感じでしょう?
 
この表紙のイラストだけなら、森とか樹木の本とイメージしがちだろう。
実は、イメージだけでなく、本書は完全に森の本なのだ(^O^)。
 
その証拠に版元の築地書館は、もともと動植物、農業など自然系で森の本を多く出してきた。たとえば私の本棚にも、築地書館の本として、
「木材と文明」
「多種共存の森」
「世界の森林資源」
「日本人はどのように森をつくってきたか」
「熱帯雨林破壊と日本の木材貿易」……
など、森林系の本がたくさんある。ほかにも新刊なら、森のさんぽ図鑑」とか「公園・神社の樹木」「ナチスと自然保護」などもある。
 
ところが、出版が決まってから知ったのだが、同じく築地書館から出版されている本に、
「お墓づくりの本」
「おひとりさまの終の住みか」
など、意外な人の終末、老後・死後系の本がラインナップされていた。
 
そう考えると、拙著『樹木葬という選択』は、見事に版元の路線に乗っていることになる(笑)。
 
 
まあ、そんな出版社の得意分野と本のカテゴリーを考えながら手に取ると面白いよ(^o^)。
 

2016/01/09

ひょうご林業大学校……?

このところ全国で設置相次ぐ林業スクール。

 
今度は兵庫県でも動き出した。
 
まだ設置について検討を始めたばかりで、開校は平成29年4月、つまり2年後を予定しているそうだが、いよいよトレンドになってきたのだねえ。
 
実は、兵庫県も設立をめざしているという話は以前から聞いていた。関西圏で二つも林大ができることにちょっとした驚きを感じていた。
 
なんでも知事の集まりで、兵庫県知事が京都府知事が京都府立林業大学校を4年前に設立した話を持ち出して、
「うちの林業マンの養成も、京都で頼みますよ」。
ところが京都府知事は「
「やだよ。京都林大では、京都で働く林業人を養成するんだよ~」。
 
この拒否にムカっときた県知事は
「そんなら、うちはうちで設立するからな!」
そう啖呵を切った。
 
……あ、これは私の勝手な脚色だからね(~_~;)。
 
ともあれ、兵庫県でも林業大学校の設立に向けて動き出したわけだ。ほかにも大分県でも動きがあるらしい。
 
だいたい京都の林大の学生は、3分の2が他府県から来ているのだよ。なかには長野県からも来ているらしい。長野には林大があるのに……。もっとも長野の林大には、京都からの学生が在籍しているとも聞いた。
 
林業大学校は全国に増えているが、それ自体は結構なことだ。何より体系だった林業を教える場所は絶対に必要だ。これまでの徒弟制度か独学、自己流に近い林業技術の身のつけ方では、あまりに危険だし効率も悪いし、何よりどんどん変容する現代の林業についていけないだろう。
 
私は、日本の林業がいつまで経っても足腰強くならないのは、教育の問題ではないかとさえ思っている。また自伐の名の元に、短期間の研修だけで個人が林業を始めているが、そのうち大事故がおきるのではないかと心配になる。
いずれにしろ、林業教育は、焦眉の急だろう。
 
ただ、現代的な林業を教える人材も必要だ。古い考え方の人を講師に据えたら、学校で教える意味がなくなる。
それに林大に限らず林業スクールで学んだ人々をちゃんと受け入れる場もつくらないと。せっかく合理的な技術や考え方を身につけても、いざ勤めた林業事業体がそれを活かせないと元の木阿弥だ。
そもそも就職先の確保だって、本当に卒業生全員を受け入れられるだけあるのか。
 
まあ、そんな懸念を消せるような教育を行ってほしい。

2016/01/08

『ゴルフ場に自然はあるか?』99円セール!

Kindle版『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』が、いきなり99円になった!

 
 
この仰天情報は、なんとツイッターで知った。
 

ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実 (田中 淳夫) が、Kindleストアで193円値下げされて99円になりました。

 

 

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ほんま、びっくりぽんや。。。

 

なんでも販売元のごきげんビジネス出版が発行する書籍すべてである。マーケティングとして初めて仕掛けるものだそう。

 

期間は、本日(8日)~14日まで。Kindleでは全品99円セールなのだ。楽天は、まだ年末年始の半額セール(292円)のままである。

 

 

この際だから、電子書籍の裏側を紹介すると、書籍価格を変動させない再販制度は、紙の書籍にしか適応できない。電子書籍ならではの時節を捉えた価格変動(たいてい値下げ)ができるのだ。

 

ただし著者側からすると、価格が下がれば印税も減る。しかも、もっと重要なのは、紙の本なら出版時点で印刷部数=発行部数分が印税として一括支払われるが、電子書籍では売れた分だけなのである。

 

そう考えると、よぼど爆発的な売れ方でもしない限り、利潤は小さい。もちろん何年もかけて積み上げていくと、全体では結構な金額になる可能性も秘めているが……。

 

ある意味、電子書籍は、版元にとっても、著者にとってもまだ実験的な代物なのだ。 

 

 

とはいえ、99円セール。私もこの時に買えばよかった~と思わぬでもないが(~_~;)、お買い時ですよ。

※一時的にランキング1位になったようで……。

 

20160108

2016/01/07

「現代林業」16年分!

年末にKindleで本を購入したことを記した。

 
それは電子書籍ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実を自ら試すためだったが、そのためにダウンロードしたKindleアプリを最初に手に入れた本のことを覚えているだろうか。
 
そう『ぼくたちにもうモノは必要ない。』である。物を持たないミニマリストのススメ、みたいな内容だ。
 
一年の計は、この本にあり。私も、身の回りのモノを減らすことにしたのである。
手始めは、あふれる本だ。資料だ。私の仕事部屋には日に日に本や書類が増えていく。多少の整理では追いつかない。本棚をあふれて足元を埋めていく。
 
そこで、バッサリと処分することにした。半減……は無理でも1割2割は削減しなくては。
 
とはいえ、単なる本なら処分してもよいが、いわゆる書類や報告書的なものは一度捨てると取り返しがつかない。全部電子化するのも手間を考えると無理。
とはいえ、何年も見ることはなかったからと、捨てた途端に必要になったりするのが、この手の資料なのである。いつ、急に関連した情報を求めるときが来るか……。
 
とりあえず古いものを中心に処分することに。内容を忘れているものは、ようするに何年経っても思い出して探すこともない。
 
 
最初は心に引っかかるものも、捨て出すと快感に(^o^)。
ポンポン捨てます。段ボール箱に放り込むと、3箱4箱と増えていく。これ、ちり紙交換に出すしかないか……。
 
そこで悩んだのが、雑誌類。とくに「現代林業」がどっさりある。調べると、1995年3月から定期購読したらしい。でも、近年打ち切った。どうも役に立っていないと感じたから(~_~;)。
そこで処分することにした。
 
とりあえずここ数年分だけは残すことにして、16年分
 
1995年3月号~2011年3月号まで。
 
見れば、それなりに面白い特集もあるのだが……何より、知っている人は知っている、表紙となっている林業界の女性たち。これは貴重かもしれん(^o^)。きれいどころも多いよ。。。単純計算で200人ほど揃っているのだ。
ちょっと(無作為に)並べてみた。
 
 
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どうだろう。このなかには、私が会ったことある人も何人かいるよ。
知っている人、いませんか。もしかして、被写体になった人、このブログを読んでいませんか。
 
あっ、彼女がいるなあ……。彼女も……(@_@)。。。
 
 
さてさて。この16年分、欲しい人はいるだろうか。それなりに林業界の動きを俯瞰するのに役立つだろう。林業資料館みたいなところがあれば寄贈したいぐらいだが……。(吉野の川上村の林業資料館は、ぼや火事で閉鎖してしまったからなあ。)
 
売ることも考えたが、あまりにマニアックで扱う古本屋があるとも思えない。ネットでもどうか。専門書専門のネット古書店というのもあるのだが。。
 
それよりも、もし希望者がいたら、名乗りを上げてください。読みたい、資料として保存したい、表紙だけ破いてポートレートにする……どんな理由でも結構です。しかも無料。ただし送料のみ負担をお願いします。近くの方なら手渡ししますが。。。
 
 
 
 
 
※希望者多数の場合は、理由などを考慮の上で抽選させていただきます(~_~;)。

2016/01/06

岩と戦う植物。その行く末は?

詣は、毎年山を超えて森の中を抜けて宝山寺へ向かう。今年は雪がなくて楽なルートだったが……。

 
その途中で、こんな木を見かけた。
 
1
 
急斜面に立ち、背後に巨石を背負うコナラ。
 
なかなかたくましい。これを、もう少し観察してみることにした。
 
6  
 
これが真横から見た図。巨石の下には空間があって、文字通りコナラがささえていることがわかる。コナラの幹は横にへしゃげつつも頑張って岩を受け止めている感じ。
 
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岩との接触面に近づいてアップに見ると、樹皮が膨れ上がっていることがわかる。
 
これまで、厳しい環境で生育している植物を「ど根性植物」とか「虐待植物」「すきま植物」などと呼んで紹介してきたが、これは虐待されているわけでも、隙間に生えているわけでもないからなあ。
あえて呼ぶなら「戦う植物」。困難な状況に絶えて戦っているのだよ。
これ、新シリーズにしよう\(^o^)/。
 
 
……が、まてよ。。。よくよく幹を観察すると。。。
 
5
 
粉ふき芋のように点々と木屑を噴き出しているよ。。これって、ナラ枯れの症状。。
このコナラは、すでにナラ枯れにやられて枯れているのかもしれない。ということは、徐々に腐っていくだろうから、岩の重みに耐えられるだろうか。根も、数年で腐るだろう。その時、岩は転がり落ちるのではないか……。
 
この斜面の下にある遊歩道をつぶしてしまうかもしれない。あるいは遊歩道そのものをふさぐかも……。もし人が歩いていたら大事故になりかねないなあ。かといって、肝心のコナラを先に伐採するわけにも行くまい。
 
さて、どうする?

2016/01/05

明治神宮と伏見桃山陵の森。そして鳥居

また明治神宮の森が注目されているようだ。正月に、NHKスペシャルの「明治神宮不思議の森」が再放送(完全版)されたからだろうか。

 
神宮の森に植栽が始まったのは1915年だから102年目、1921年の完成から数えれば96年目に入る。
 
ところで明治神宮というのは、明治天皇(と、昭憲皇太后)を祭神とする。つまり両者の死後祀ったわけだが、これって言い換えるとお墓(天皇の墓だから陵)である。そこに森をつくったのだから、さしづめ樹木葬(^o^)。
 
とはいえ、故人の遺骨遺灰等を埋葬した場所を墓と定義付けるのなら、神宮は陵墓ではない。本当の明治天皇の陵墓は京都の伏見にある。
 
というわけで、へそ曲がり?の私は、明治天皇陵(伏見桃山陵)を訪れた。
 
002
 
想像以上に立派だ。隣の昭憲皇太后の伏見桃山東陵と合わせると、広大な敷地である。そして、その大部分が森になっている。
 
明治神宮の森は約70ヘクタールだが、こちらも負けぬほどの面積を誇る。しかも明治神宮のような喧騒はなく、静かだ。広い参道(というのか?)を歩くと、鳥の声が響き、非常に心地よい。参道脇には、伏見城建設時のものとおぼしき石材も見学できる。はっきり言って明治神宮より雰囲気あるぞ。穴場だ。
 
敷地は、豊臣秀吉の建てた伏見城の本丸跡に位置する。隣接して桓武天皇陵もある。
陵墓を造営する際にどれほどの木々があったのか私は知らない。何もないところから森をつくったのか、あるいはすでにある森を囲い込んだのか。ただ明治期は京都一円もはげ山だらけだったから、おそらく立派な森はなかったろう。陵墓になることで整備されたに違いない。
 
そして陵墓になれば立入禁止なのだから、100年以上人の手は入っていないことになる(一部、手入れはしているだろうが)。陵墓建設は明治神宮に先んじているから、明治神宮の森より古いのではないか。
 
 
004
 
ちょっと森の内部を覗くと、こんな感じ。かなりの大木もある。スギやヒノキも見かけるから、植栽したものもあるかもしれない。
 
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こちらが天皇の墳墓。基礎はコンクリートだそうだが、上円下方墳だ。こちらも鳥居があるから、神社扱いなのだろうか。
 
その周辺の木々には、落葉樹が目立つ。その点は、関東にある神宮の森は、照葉樹林となったとは対照的だ。しかし関西も潜在植生は照葉樹林帯に属するから、墳墓の回りに落葉樹が多いのは、人が手を加えているのかもしれない。参道周辺は照葉樹が目立つのだが。
 
 
 
ところで、明治神宮の一の鳥居が建て替えられることになったそうだ。現在の鳥居は、タイワンヒノキ製だが、直径1・2mもあるとかで、次に建て替えるのにそんなヒノキはもはや手に入らない。台湾でも、すでにタイワンヒノキの巨木は伐採禁止になっている。
 
そこで吉野杉を使うそうだ。すでに川上村から樹齢250年のスギが伐採されたそうである。もちろん人間が植えて育てた木だ。これまで神社仏閣に使われる巨木といえば天然木だったが、ついに植栽木を使うようになった。環境面から考えると、こちらの方が健全だ。そういえば、私の知っている川上村の巨木林が近年伐られていた。あそこの木ではないか……。
 
ヒノキでなくスギの鳥居となるとどのような加工をするのかわからないが、なんでも白い辺材部分を剥がして赤身部分を使うらしい。だから耐久性はヒノキに負けないのだとか。
いつ建て替え工事が始まるのか、私も詳しいことは知らない。改めて情報を待ちたい。
 

2016/01/04

私の「森林ジャーナリズム」

新年明けましておめでとうございます。

 
さて、昨年のYahoo!ニュース『新国立競技場の知られざる不安』に付いたコメント(ツイッター等も含む)の中には、森林ジャーナリストってなんだ?とか、日本唯一って林業界の記者がいるじゃないか……などの声が複数あった。せっかくだから、新年に向けて、私の肩書について語っておこう。
 
まず私の肩書は、ときとして林業ジャーナリスト、林業ライターなどと言われることもあるのだが、これは間違い。私は、あくまで「森林」ジャーナリストだ。そもそも、私自身がつけたのではなく、書評子が名付けたのである。
 
もっとも、この点に関しては拙著『日本人が知っておきたい森林の新常識』のあとがきでも触れている。ちょっと抜き出す。
 
 
(森林ジャーナリストという肩書は)誰が最初に付けたのか記憶にないのだが、これまでにない言葉だったから、私は新鮮に感じて、そのまま使わせていただくことにした。そこには「日本唯一」の森林ジャーナリストという位置づけを面白がった面もあった。
 
その後の私の興味は、日本の林業事情に深く踏み込んだり、里山地域のシステムを考察したり、日本人と木の文化にも向けられた。さらに割り箸やゴルフ場などピンポイントのテーマに絞って取り組んだこともある。
(中略) 
ただし森林ジャーナリストを名乗るためには、森林ジャーナリズムがなくてはならない。
あとづけになるが、森林ジャーナリズムとは、単に自然科学的な目で森林を見るだけではなく、かといって産業としての林業界の情報を追いかけるだけでもないはずだ。森林と、森林にかかわる人々の両方を見つめる視点を持つこと……と私なりに定義づけている。
 
思えば森林と林業は、切り離して別々に論じられることが多かった。学問としても、市民の意識としても、それぞれ別の領域になりがちだ。しかし、日本の森林のほとんどは人の手が入って成立していることや、持続的でなければ林業は成り立たないことを考えれば、両者は一体化して見るべきである。さらに近年は、新しい森林との関わり方を模索する人々も増えてきた。おそらく、森林ジャーナリズムの役割は、途切れがちなそれらを再びつなぐことだろう。
 
 
もともと私は、熱帯雨林に憧れたことをきっかけに、日本の森林にも眼を向け始めた。やがて林業抜きには日本の森林を語れないと知ったから、人が手を加えた森林にも足を踏み入れた。都市のような人工的な環境も加えると、建築にも目が向く。
今では森林に限定せず、草原や砂漠、海洋や湖沼のような環境も扱いたい。どんどん欲張りになっていく(~_~;)。
 
 
このように自己分析してみると、私が求めるのは未知の世界と多様性なのだと気づく。その象徴が森林だった。その点からすると、人工の一斉林は未知の部分や多様性に劣る。やはり複雑な構成の天然林~針広混交林が好きだ。
 
 
 
改めて、自らの仕事を振り返ると、どのような割合で行っているだろうか。(実際の仕事量というより、意識の上の配分である。)
 
まず直接森林に関係ない分野も手がけている。山村社会・文化、田舎暮らし、地域づくり、伝統工芸、歴史……。これらは20%
 
森林(自然科学系)は、残り80%の半分くらい……40%になる。動植物・微生物の生態系や生理、地質・地形、水文……加えて森林を巡る歴史や文化、哲学も入るかもしれない。政治・政策も入れるべきかな。
 
残った40%は森林産業(ビジネス)系だ。当然ながら木材生産を行う林業が大きいが、そうではない産業もある。樹皮、樹液、草本系資源。空間資源としては森林療法なども入る。そんな非木材系が10%
 
林業は30%。このうち森づくり(植林・造林)が半分の15%
伐採搬出・木材産業系も15%。この中に木工や木造建築も含む。
 
……こんなところかな。
 
今後を考えると、もっと分散させるべきと思う。仕事にも多様性を持たせるべきだ(^o^)。それに同じ分野ばかりでは未知の部分が減ってしまう。
 
まず林業以外の森林産業系を広げたい。樹液産業とか、樹皮・香り(アロマ)もある。樹木葬も森林空間ビジネスと言えるのではないか。
また木材系ではあるが、抜け落ちがちだった製紙業にもっと注目したい。
 
これで一年の計ができたな。。。。(⌒ー⌒)。
 
 
ちなみに今年の御神籤は、行く先々の神社で引いた。
最初が吉。次が大凶。次の次が大凶(°o °;)。。。さらに引くと小吉。さらにさらに引くと中吉であった。徐々に回復している(^o^)。ただ「願望」欄は、いずれも「遅い」「時機を待つべし」「後に叶う」「ゆるゆると進めるべし」なんだよね……。

2015/12/28

なぜ?に応える「森の理論武装」

2015年もあとわずか。

 
ここで1年を振り返ると、私にとって今年は、多くの林業女子と触れ合う(本当に触れたわけではない!)機会が多かったのが印象に残る。彼女らは、いずれも森林に、林業に非常な思い入れを持ち、また行動が軽やかだ。それは男子と比べ物にならない。
 
ただ、私が話したことの一つは「考えろ」である。
 
何を考えるか? それも考えろ(笑)。自分の感情をそのまま発露したり、他人の意見をそのまま受け売りするな。、と言いたい。これだけだと上から目線的だけど、実は自分にも降りかかってくるのだ。
 
森が好き。森は大切である。森を守りたい。林業が好き。林業に就きたい。林業を元気にするには。
 
それらは素敵なことであるが、その思いは他人に伝えて納得してもらわねば何も始まらない。さもないと賛同者は増えない。自分が好き、だけで止まらず、なぜ好きか。なぜ大切か。なぜ守らなくてはならないか。なぜ自分は林業に肩入れしているのか。
 
直感的に「好きだから」という感性は重要だと思っている。が、それをいかに他人に広げるか。……実は、私自身が立ち止まっているポイントだ。世間に森林とは何かを伝え、森林の大切さ、保全を訴える……その手前に、「なぜ」が横たわる。
 
一般には、森林は酸素を出す、二酸化炭素を吸収して地球温暖化を留める、水を溜める、水をや大気を浄化する、土壌流出を抑える、生物多様性を維持して遺伝子資源をもたらす、そして木材等を生産してくれる……といった知見が紹介されている。また森林を健全に育つには人の管理が必要で、それは林業によって成されるし、山村社会を経済的に支えるという言い方で林業振興も訴えられる。
 
が、私はその多くに反論しているし(^^;)。また代替素材や条件も多い。第一、こんな理屈を持ち出されたら引く人が一般には多いのではないか。地球温暖化を防ぐために、森を愛しましょう! と言われても……。
 
では、何か。
 
それを一般人が納得できるような理論武装をしなければならない。
 
 
さらに、なぜバイオマス発電なのか。
なぜ森を伐り開いてメガソーラー発電なのか。
本当に素材価格が安くなるCLTが木を活かすことなのか。
補助金ジャブジャブのバラマキが本当に地方創生なのか。
 
反射的にそれらを腐しても何も生まない。なぜそうした方向に進むか考えねばならない。
 
まだまだある。いくら皆伐が森を破壊して、環境にも景観にも悪いし、そもそも自分にも一時期の収入しかもたらさず持続的な森林経営が不可能になってしまうとしても、それを選択する山主が多いのはなぜか。それを止める発想はないのか。
 
木材価格を上げるにはどんな方法があるか。
そのための先行投資に必要な資金をいかに調達するか。
 
そういうことを考えねばならない。そして関係者に納得してもらわねばならない。
手間とリスクを負って、取り組む人を増やさなければならない。
 
森よ、武装せよ! 誰もが納得できる理論で。
 
 
 
……本年は、ここまでとしよう。
 

2015/12/27

『小説紙の消える日』を読んで

小説 紙の消える日~森林メジャーの謀略』という本を読んだ。

 
著者は、森山剛。版元は、廣済堂。
 
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出版年は1982年1月(初版)だ。私の手にしたのは5刷りだから、よく売れたことになる。もちろん、こんな古い本は書店では売っていなくて、たまたま古書市で見かけたのを手に入れたのである。
 
結構分厚い本なので、読み終えるのに時間がかかったが、一読、これは小説ではない(笑)。
実は著者自身が、あとがきで「小説と題するのは不見識」であり、展開に想像力が必要なのでやむなくとった方法だと記している。そして「啓蒙書」になれば、とある。
事実、著者は何者かわからないが、とても小説家、いや文筆を職としている人とは思えない。おそらく製紙業を管轄する(通産)官僚だろう。名前もペンネームだ。
 
 
内容は、森林メジャーズ(アメリカやカナダの巨大製紙会社&森林所有会社)が、木材資源(主に製紙チップ)の供給を牛耳る「陰謀」を延々と語っているだけで、たいしたストーリーはない。
 
ただ結果として、日本は為す術がないのだ。日本の製紙業は、多くが北米産チップに依存しており、価格をどんどん上げられたり輸出を絞られることで、ギブアップしてしまう。森林メジャーは世界中に手を延ばしているから、他者と取引を始めても、ほかの国に植林しても、環境保護運動に押されて身動きとれなくなってしまう。古紙利用率を高めるなどの手も限界に達する。(当時、国産材資源は底をついていて、はなから期待されていなかったよう。)
 
結果的にチップでなく、パルプ輸入や紙自体を海外に依存するようになるが、新聞や雑誌・書籍も、紙を牛耳られることでマスコミ支配を確立するのだ。
……そんな話をずっと書きつらねている。
 
正直、40年近く前の世界情勢でもあり、どこまで実際の動きだったのか、どこまで想像が入っているのか、よくわからない。ただ、かつての製紙業界の内実は伝わってくる。
 
 
さて、現在と比べると、どうだろう。少なくても現在の日本の製紙業界は、ここまで森林メジャーに牛耳られていないようだ。それどころか紙の需要が落ちて困っているはず。アメリカも、森林を保有管理しているのはREITなどファンドになってきた。
 
またマスコミが紙に支配される時代は終わりつつあり、テレビなど電波さえも黄昏ており、今やインターネットを通した電子メディアが席巻している。石油の値段も、本書にあるように上がりぱなしではなく、現在は暴落している。
 
それでも紙の重要性はまだまだ高い。森林=木材・チップ=紙資源・燃料に結びつき、それは世界経済を裏で支えている(だから森林を通じて世界を支配できる)という論理は、一理あるだろう。昔から木材は戦略物資であったし、今も決して無視できるわけではない。 
 
 
それとは別に、アメリカの森林業者の言葉として、「木を植えるのは、自分のためではなく、子供のためでもなく、孫のため」というのは唸る。長期戦略を持っている強みと言えようか。日本にそこまで言える林業家はどれほどいるだろうか。
 
 
製紙業界の勉強の第一歩としては、この本、なかなか役に立つ。
 
※著者の守山剛氏とは、元通産官僚の佐藤剛男氏(後、衆議院議員・故人)であることがわかった。
 
 
 
 

2015/12/26

丸太の寄木看板

年の瀬ですねえ~。

私も、今晩は“自分へのご褒美”のつもりで、某所にお出かけします。
 
だから本日は簡単に、先日の浜松で見かけた「丸太の寄木」看板を。
 
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角材でなく、丸太の断面を寄せるだけで、ちょっと違ったデザインの気分になるから不思議。
 

2015/12/25

ふるさと納税とふるさと投資

今や「ふるさと納税」が大はやりだそうである。

もちろん、納税した先の特産物をもらえるからだろう。

 
私は、大嫌い!なので、絶対にふるさと納税することはないだろう。何がイヤって、これが各地の地域振興に役立つとは思えないうえ、ふるさとでもなく、とくに愛着のある地方でもない自治体に納税することは、税金の本義を狂わせる気がするのだ。
 
当初、単純に自分が納める住民税の一部を気に入った自治体に移す、というだけなら、さして気にならなかった。そういう手もありかな、と思っていた。が、今や納税してくれた人に御礼の品を出すのが当たり前になり、それを目当てにするようになっている。
 
考えてみれば、納税額は同じなのだから、それをどこの地域に振り分けても金額が膨れるわけではない。つまり納めるところがあれば、その分納税額が削られる自治体がある。これはゼロサムゲームである。
 
しかも、そこから御礼の品という名目で地元の名産品などが贈られるとなると、その分は目減りするわけだ(郵送料とともに)。地元の産品をつくっている業者は儲かるかもしれないが、それは地域づくりとは少し違う。行政に買い上げてもらうのは公共事業のようなものだ。波及効果が薄いだけでなく、本当の消費者に顔を向けた商品づくりではなくなる。ようは、自治体の担当者を口説けばよいことになる。
 
地域づくりでは、地域の生産量(額)・純収益を増やす方向に誘導しなければならない。ふるさと納税にそうした効果は薄い。住民でもなく、地域の純粋なファンでもない人から税金を多く集める自治体は、長い眼で見れば衰退するのではないか。
 
 
さて、一方であまり知られていないものに「ふるさと投資」がある。これは、地域創生につながる事業に小口で投資してもらうものだ。いわばクラウドファンディングの一種だろう。
 
これは、あくまで事業への投資だ。株式投資と同じく、その事業を動かす資金の提供であり、事業の結果に対する配当がある。決して納税とか寄付金のようにお金を出したまま、というのではない。
 
私は、こちらの方が健全だと思う。事業が成功すれば収益を産み、地域の生産額(量)を増やすわけで、地域起こしに寄与するはずだ。
 
ふるさと納税による見返りと投資に対する配当は、金を払う人からすれば同じようであっても、意味が違う。
調べてみると(セキュリテという会社がやっているみたい)、お酒とか地元の特産品の生産のほか、太陽光発電所づくりとか、新しい交通インフラづくり、そして新しい商品開発の資金などもある。
 
正直、私の眼からするとくだらないものもあり(^^;)、すべて推薦できるものではないが、ともあれ事業として利益を生み出すことを一義に置いていることからは納得できた。
 
ただ、さらによく見ると、(クラウドファンディング全般にも言えるが)まともな配当でないものも多い。記念品レベルのものを渡すだけという投資もあるようだ。これって、投資じゃない。単に寄付金を集めるのと同じになってしまう。悪どい人がやれば、持ち逃げもできる。(ウケのよい事業を提案してお金を集め、記念品だけ配って事業を行わずに逃げてもバレないかもしれない。)
 
本来は、生み出した利益の中から配当すべきなのだ。そして成功すれは配当は大きく、失敗したら配当はなくなる形式であるべきだろう。
配当は、何も金銭だけではなくてもよい。出資者の満足感に訴えるものもありえる。たとえば地域の山林や土地の利用権を何年間進呈とか、事業でつくるものの命名権を与える、記念碑に名を刻むぐらいのことがあってもよい。
出資側も、その事業が成功するか否かを吟味し、成功の暁には株主になるぐらいの気合を持つべきではないか。
 
 
改めて思うのは……「もっと、真面目に地域づくりしようよ」である。
知恵を絞って、本当に地元に利益を生み出すようなシステム設計にしないと、目先の金のバラマキでは、返って衰退を助長するだろう。

2015/12/24

NHK「フランケンシュタインの誘惑」

クリスマスイブにふさわしい番組を見た。録画であるが……。
 

NHK BSプレミアムでフランケンシュタインの誘惑~科学史闇の事件簿というドキュメンタリーが不定期に放映されている。

「科学」の持つ魔力にとり憑かれ、人生を狂わされた科学者たちの闇の事件簿―。

輝かしい科学史の闇に埋もれた事件に光をあてる、新しい知的エンターテインメント番組

……だそうだ。

私は、気に入って自動録画を設定しているが、今夜は3作目を見た。

 

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初回は「不死の細胞狂想曲事件」
天才外科医アレクシル・カレルは、永遠に分裂を続ける不死の細胞をつくったというが……。STAP細胞を思わせる謎の事件である。
 
2回目は、「愛と憎しみの毒ガス」
農業に革命をもたらした空中窒素固定法を発明した化学者フリッツ・ハーバー。彼は、後に毒ガス開発に邁進する。
 
そして3回目は、「マリーが愛した光線」
二度のノーベル賞に輝く女性化学者マリー・キュリー。原子が変化するという物理学上のパラダイムを転換させたラジウムの発見だ。これは壮絶であり、恐怖のテーマだった。
 
夫ピエールとともにラジウムを発見し、その強力な放射線を利用したガン治療をめざした。だが、ラジウムは全世界に広がり、恐るべき放射線被害を引き起こす。なんと戦前から放射線は多くの人々を蝕んできたのだ。
 
その危険性を熟知していたはずのキュリー夫人は、そうした事態にもなんら警告を発することなく、「わが子のようなラジウム」の利点を強調し続けるが、やがて自らも倒れる……。
 
科学への愛が歪んでいく過程は、おぞましさと悲しみがないまぜになって襲ってくる。
 
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これは科学だけでなく、自らが夢中になって取り組んだ「もの」の明るい一面に固執するあまり、負の面に目をつぶってしまう危険性を問うているのではないか……。
 
 
 
私も、常に林業や森林を擁護しませんぜ。森林を破壊する林業なんぞ必要ないし、森林のない方がよい生態系社会だってあるだろう。ちょっと肝に銘じておこう。
 

2015/12/23

わからない!森林認証の実情

Yahoo!ニュースに書いた「新国立競技場の知られざる不安」の記事の反響が続いている。

 
すでに雑誌や新聞、そしてテレビ局の取材を受けた。「お会いして話を」というのだが、「私は奈良在住ですが……」と記すと、あっさり電話取材に変わる(^o^)。
 
それはいいのだが、いろいろ質問されると私もその場でスラスラ応えられるほど森林認証制度とオリンピックにまつわる事実関係には詳しくない。
 
とりあえず調べ直すと、まずFSCとSGECの認証を取った国内森林面積の統計が古かった。記事を書くときは2013年版を使ったのだが、今年の統計が出ていたのである。
 
SGECは、ぐっと増えて126万ヘクタールになっていた。FSCは、日本国内ではたいして変化はない模様だ。ただ、こちらは増えたり減ったりしている模様。
 
とりあえず記事の中の数字を修正しておいた。
 
※気になるのは、FSCの認証を取った森林の一覧がどうしても見つからないこと。FSCジャパンのHP内を探してもわからない。FSC本家の一覧に飛んで検索しても、具体的な森林の在り処が見つからない。ナンバーだけだったり……。誰か、教えてください。
 
 
 
ちなみに、「持続可能な森林経営のための勉強部屋」 に、世界と日本の認証森林面積などがアップされている。これが最新かな。
 
これによると日本の認証森林は、全森林面積の6,6%らしい。世界の認証森林の割合は11,27%であるから、半分程度しかないことになる。とくに欧米との差が大きい。中北米が3割を超えているとは思わなかった。SGECは、まだ国際的な認証とは認められていないのだから、それを外すと見るも無残になる。
 
そういやSGECがPEFCにちゃんと加盟できるのか、するとしたらいつなのか、誰か知りませんかぁ。
 
 
 
なお、記事は新国立競技場を前面に出したが、重要なのはオリンピック全体に使われる木材である。
正直、競技場で使われる木材ぐらい(A案に決まったが、提案書によると使用する木材の量は1800立米であった。)は、国内の認証材で賄えると思う。国の威信をかけて集めるだろうし、業者も協力するだろう。
ここは、私も飛ばして書いたところだが、では、そのほかの施設、たとえば選手村などでは、どの程度木材を使うのか、見当もつかない。
 
オリンピックの施設について詳しい人、誰か教えてください
 
 
また当初の記事では、木材のことばかり書いたが、オリンピックでは紙類も森林認証ペーパーを使うことが推奨される。この点を書き落としていたので少し記事に加えた。
ちなみにロンドン五輪では木材・紙ともに100%認証モノだったそうだ。となると、東京五輪でも……と考えるが、国産材の認証ペーパーなどほとんどないように思うが……?
日本国内の製紙工場でつくっていても、材料は認証外材を使っているのではないか。
 
認証の中でも製紙の部分は、よくわからない。誰か教えてください。
 
 
 
以上、質問コーナーでした(⌒ー⌒)。
 
 
 
 
 

2015/12/22

「重要里地里山」って?

境省がまた妙なことを。

 
「生物多様性上重要な里地里山」(略称・重要里地里山……もっと略せよ。。。)を選定したのだ。それも500か所も。
 
ようするに生物多様性に優れた里山(環境省は、それに里地をつけたがる)を選んだというのだが……とくに何かあるわけではない。まあ、名前を売る肩書みたいなものか。
 
ちゃんとHPもつくっている。
 
具体的な選定には、3つの基準を設けて、そのうち2つが該当すると合格としたという。
もっとも条件に満たない場合でも、動植物の生息生育状況や生物多様性保全の観点から重要性がある地域、さらに自然性の高い環境(二次自然ではないということか?)であっても、「地域住民にとって身近な自然」「手をかけて守り続けている自然」である場合は、選定の対象としたという。
なんとか選定地の数を増やしたかったらしい。
 
 
ちょっと基準を抜き出してみる。 
 
基準1:多様で優れた二次的自然環境を有する
 従来のくらし・生業、新たな活動等、人の適切な関与がなければ劣化、消失のおそれがある身近な自然(手入れの行き届いた社叢林などの残存林、ため池・自然水路、二次草原(半自然草原)、氾濫原・谷津田等の低地・湿地など)がある。
農地、ため池、二次林、草原などの環境がモザイク状に存在し、動的な土地利用が行われている。
基準2:里地里山に特有で多様な野生動植物が生息・生育する
 対象地において、里地里山に特徴的な種(里地里山的環境を好む種、里地里山的環境に依存性の高い種、複数の異なる環境を必要とする種など)、あるいは希少種についての生息・生育情報がある。(種名、種数など)
希少種、象徴種などの保全の取組によって、当該里地里山全体の保全、その他さまざまな種の保全につながっている。
基準3:生態系ネットワークの形成に寄与する
 豊かな里地里山生態系のシンボルであるオオタカ・サシバが確認されている。渡り鳥の生息地・中継地点として、国際的に重要な地域である。
生きものの視点から見たつながり、生態系の視点(森・里・川・海等)から見たつながりを確保している。
 
 
別に悪いことではない。選ばれた地域が文句言うことはなかろう。
 
しかし「選定により、地域の人々のくらし、農林業の営みや土地の利活用等に対し新たな制約や規制等を生じさせるものではありません。」とあるから、ようするに何もしないということだろう。選定してやったから、後は頑張れよ、ということか。
 
むしろ、すでにある「日本の棚田百選」やら「日本の里百選」 など官民さまざまな里山対象の百選など、同じようなものが並ぶことが気になる。ほかにも「ため池百選」とか「日本の美しい村景観百選」、「水の郷百選」……などもある。
 
この手の百選は、農水省などの選定が多いから、環境省も負けずにつくりたかったのだろうか。SATOYAMAイニシャアティブに引っ掛けて。
 
でも、「重要里地里山」というダサイ(^^;)命名だと盛り上がらねえ……。しかも数が多すぎる。
 
 
ちなみに奈良県では生駒市の高山地区が選ばれていた。誰が推薦したのだろうか。
 
ここ、以前はニュータウン計画があって、土地も多くがURが所有している。計画はすったもんだのあげく頓挫したのだが、その後は放置状態で多くが荒れている地域だ。それを重要と言われても……。
ただ、この高山の土地を、今は生駒市が買い上げようとしている。塩漬けの土地を公金で。何の利用計画もなしに。
 
ああ、今の市長は元環境省の役人だった。。。なんか裏が読めるなあ。

2015/12/21

Kindle版『ゴルフ場に自然はあるか?』購入

電子書籍『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』、発行されました!

 
さっそくダウンロードしました。
292円かかるはずだったけど、なんとAmazonポイントが使えて、実質ゼロ円に。こんなやり方もあったのか、と感心。電子書籍になることで出版界の再販制度から外れると、単に定価を変えられる(下げるのが一般的)だけでなく、購入にもメリットがあったか。
 
どんな画面かというと。
 
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序文と、新たに加筆した最終章。
 
写っている目次は隠すこともできる。改めて読み返すと、字がわりと大きい。これはパソコン画面に合わせたからだろうが、新書版より読みやすいかもしれない。
 
ちなみにスマホではどのように見えるかは、日を改めて挑戦してみよう。
また書面を見ながら「デジタル大辞泉」を立ち上げて(文字の上でクリックするだけ)、書かれた言葉の意味を調べることもできる。。。。まあ、自分の書いた本でそれをやったらバカだが。 
 
 
同時に版元よりチラシが送られてきた。
 
Photo
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下についたQRコードを使うとどのようになるか試してみる(スマホのICタグリーダーを起動させてかざすだけ)と、Amazonおよび楽天の書籍購入窓口に飛んだ。。思わずクリックしてしまいそうになった(^^;)。もちろん二度買いはしないよ。。。
 
なるほど、いろいろできるもんだなあ。
 
 

2015/12/20

スイスの高付加価値戦略を支える仕掛け

私は、数年前にスイス林業の視察に参加させていただいたほか、地元奈良がスイス人フォレスターを招いた研修を実施するなどしたおかげで、そこそこスイス林業について触れることができた。
 
そこで関心を持ったのは、スイス林業が高付加価値戦略を取っていることだった。つまり量ではなく質の木材生産だ。それは奈良県の吉野林業と通じるところもあり、大いに参考になるのだが、同時にスイスの林業はそれなりに黒字基調で展開しているのに、吉野林業は息も絶え絶え……という差も感じざるを得ない。
 
しかも、スイスは仰天するほどの高物価国家だ。商品も高ければ賃金も高い。感覚的には、日本の2倍3倍だ。だが、回りをEU諸国に取り囲まれ、陸上を通じて人や物資の流通は盛んだ。EUには加盟していないものの、何も鎖国しているわけではない。
特別な関税もない模様で、ようするに安い商品が、隣国から流れ込んでくる。国境付近の住民は、隣国に買い物に出るのは日常茶飯だろう。
木材だって例外ではない。それなのに、安い外国産にシェアを奪われず、経済が維持できるのか。そして生産者にとって理想とも言える開発と生産を続けられるのか。。。
 
なぜか? その疑問はずっとこびりついていた。
 
その理由を探ると、まず育林過程のコストダウンだろう。植林しない天然更新もその中に含まれるが、収穫(伐採)イコール育林という形態も重要だ。
さらに高品質の木材を、高付加価値商品に加工していることもある。「スイス・クオリティ」という言葉まであって、利益率が高いのだ。私が見たのは、木製サッシや家具だったが、高い品を買える国民がいる。また海外へも売れる。
そして、1本の木材から様々な商品を生み出して利益を出す「複業」体制。製材だけでなく集成材化、建築とも連携して、さらに樹皮や端材は肥料や燃料に、という「大林業化」を進めていた。
 
だが、それでも完全には納得できない。グローバル化の流れに、その程度の努力で乗り切れると、私は思わない。人は、易きに、安きに流れるものだ。
 
いくら国民性と言っても、絶対に大多数が安い商品に流れるはずだ。とくに昨今の木材価格では、林家(たいてい農業兼業)に十分な収益を与えない。それなのに……謎だ。
 
 
さて、たまたまスイスの農業事情を知る機会があった。
 
スイスと言えば、精密機械や金融産業が有名だが、実は農業国でもある。
農業も、EUから安い農作物が流入すれば、苦しいはずだ。しかし、有機無農薬栽培が非常に進んでおり、しかも地元産の愛好傾向が強いという。高くてもよいものを、という価値観が国民にも浸透しているらしい。
 
 
2  スイスのスーパーマーケット。
 
 
が、もっと端的に農家が高付加価値農業に挑戦できる理由を見つけた。
 
スイスの農林水産業の生産高は、国内総生産(GDP)の0,77%に過ぎないが、農業予算は連邦予算の約6%に当たる約37億スイスフラン(2013年・約4520億円)に上るのだ。そして、この予算のうち約8割が、農家への直接支払いなのである。
 
そう、農家へのデカップリング、直接支払いの所得保証制度で農家の生活を支えているのである。とくに有機農業のほか、景観維持や生物多様性の保護といった条件を満たす農家には、支払いが加算されるそうだ。
そして農家の多くが森林を所有しているから、農業収入(直接支払い分)も含めて森林経営ができる。
 
生活が保証されているから、「理想的な」農林業を展開できるわけか。食えなくなる心配がなければ、リスクのあるチャレンジもしやすくなる。100年後の森づくりを語れるはずだ。
 
莫大な補助金を支出するという点では、日本も同じ。……ただし、日本のような農作物(の価格)保護や労働対価でないところが大きな差となる。あくまで農林家の生活最低保証なのだ。 
 
日本の補助金は、決められた枠をはみ出したチャレンジを許さないシステム設計だ。そして所得保障どころか1回の失敗で人生を失いかねない負債を被る社会である。これではリスクのある挑戦などできなくなる。さらに所得格差を増大させる政策が取られている。
 
しかし、恒産なくして恒心なし、である。生活が安定しないと、ぶれない心で理想を追えない。森づくりという時間のかかる作業には、結果を求めない所得保証もありではないか。
 
 
ちょうどフィンランドでは、ベーシック・インカムを実施を検討することがニュースになっている。これは、何も福祉国家だからではない。
全国民一人一人の最低限の生活を保証する金額を出すことで、理想の人生に一歩でも踏み出すことができる社会をつくろうというのかもしれない。……国民の生活を安定させることで、社会不安が起こりにくくなり、治安コストが減る。さらに起業家が増えて、成功者が多額の税金を納める……といった 好循環を狙っているのだろう。

2015/12/19

ツリーシェルター林立!

先日訪ねた京丹波町。

 
帰り道、ふと車の窓の外に異様な光景を目にして、急ぎ進路を変更。幹線道路から逸れて田舎道に。そして、もっとも近づいたところから撮影したのが……。
 
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おおお、ツリーシェルターが林立しとる。低い山を皆伐した跡地は、何ヘクタールくらいかな。1~2ヘクタールはあるが、もしかして尾根の向こうにも広がっているかもしれない。
 
しかし、ツリーシェルターを立てるということは、苗木を植樹したというわけだ。それにしても、スゴイ本数。
 
で、さらに近づきアップにすると……。
 
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こんな感じであった。植えた場所まで直接入れたらよかったのだが、間に谷がある(^^;)。それに一応他人の敷地なんで諦めた。
 
しかし、なんか妙。ツリーシェルターの間隔がやけに狭い。相当な密植だ。ここで北山杉施業でもするんだろうか。それにしても、回りは雑木で、とても林業地には見えないのも不思議だ。間に残された立木は、マツだろう。一体、シェルターの中の樹種はなんだろう。本当に木の苗なのか、疑問になってきた。
 
広葉樹植林? それにツリーシェルターを被せたらものすごい経費がかかりそうだ。
もしかして実験林とか、研修林かも。ツリーシェルターの効果を調べるために……。
いやいや、流行りのメガソーラーを並べようと思って皆伐したけど、実は保全林だったりして、行政許可が下りずに再植林を命じられたとか……
 
いろいろ想像してしまう(~_~;)。
 
 
せっかくだからグーグルの航空写真でもチェック。
 
Photo_2
 
真ん中の白い裸地ではない。ここは建設重機が伐り開いたような場所だ。その下側の、どうみても雑木林部分である。航空写真で雑木林が写っているということは、伐採され(再植林し)たのは、そんなに昔ではなさそうだ。
 
誰か、事情を知っている人はいないかなあ。
私としては、見事なツリーシェルターの林を写真に納められたことで満足しているが(笑)。

2015/12/18

Kindleアプリに挑戦

来週、『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』が出版される。

 
すでに紹介したとおり、これは電子書籍だ。
キンドルのような専門の書籍リーダーだけでなく、タブレットでもスマホでも、普通のPCでも読める。……そうだ。
 
ただ著者である私も、とくに無料でダウンロードできないらしい(;_;)。通常、執筆者には版元から無料献本が何冊かあるものなのだが。自分で買えってか。
 
実は、私はこれまで電子書籍を読んだことがなくて(^^;)。書籍リーダーはおろか、タブレットも持っていない。だがパソコンでもOKとのことなので(スマホもOKだけど、あの小さな画面で読む気がしない)、挑戦してみることにした。自分の本を金出して買うのも釈然としないが……。
 
 
とりあえずAmazonのサイトに行く。
 
カテゴリーのタブを開いて「Kindle本&電子書籍リーダー」のコーナーに飛ぶ。
 
Kindleのコーナーをクリック。
ありゃ、これは電子書籍リーダーの購入コーナーであった。これじゃない。
 
サービスのコーナーの中のKindle無料アプリをクリック。この中にダウンロードのアイコンがあったので、クリック。ああ、。勝手にどんどんダウンロードしちゃうよ。
 
思わず二度押ししたら、2回もダウンロードしてしまった(;´д`)。
 
と、ともあれ、ダウンロードのファイルから立ち上げる。
 
これがKindleアプリか。。。
 
もちろん、空っぽ。何か書籍をダウンロードしなければわからない。
拙著は、まだ発売していないし(『森林異変』Kindle版もあるのだけど……)、何かその気になる本はあるだろうか。
 
Amazon、Kindle版の中をいろいろ探っているうちに、なんと無料本というのもあるんだね。漫画もある。意外と無料本が数多い。実験には、無料本で十分だろう。
 
なかには、エロティックな写真集?雑誌?もあったのだけど……激しく心は動いたが、記念すべきKindle最初の本がこれでは、と(泣く泣く)自制する。
 
よし、『ぼくたちに、もうモノは必要ない』(無料お試し版)というのを選んだ。ミニマリスト、つまり物を最低限しか持たない生活を送るススメだ。うん、私も身の回りのあふれるモノを整理しようと思っていたところだ。Kindleの最初にこれは、悪くない。
 
というわけで、Amazonのそのページに飛んで、クリック。もちろん価格はゼロ円を確認済み。
 
十数秒でダウンロード終わり。あっさりしたものだ。
 
それがKindleアプリ画面に表紙が表示された。こちらも簡単なもんだね。
さっそく開く……ええっと、まず目次をクリックすると一覧。最初から現れた。
続きはスクロールすることで読める。
私のパソコンはWindows7なのでスクロールになるが、Windows8以上とかタブレットなら、タッチパネルでページを繰るんだろうな。 
 
読むのは、とくに問題ない。書籍と同じ縦書きなのが新鮮に感じるぐらい。
 
驚くほど簡単でした。しかも、ここまではタダ。
 
よし、予行演習は済んだ。来週21日には、『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』をダウンロードしよう。年末年始は、半額セール。292円だよ。期間を過ぎると、583円(540円プラス税)になるはず。なお消費税8%の間である。
 
この金額で本1冊と考えると、愕然とする価格なんだけど……世の中、このようになってくるのかねえ。
ともあれ、私も電子書籍を食わず嫌いにならずに、そろそろと手を出していくかねえ。とりあえず無料本を漁ってみるか(⌒ー⌒)。。。
 
でも……やっぱりそのうち書籍リーダーか、タブレットを買ってしまうかも(^^;)。
 

2015/12/17

「新国立競技場の木材」で透ける世間の眼

先日、Yahoo!ニュースに執筆した新国立競技場の知られざる不安。デザイン案にある木材は調達できるのか?、結構な反響がある。ちょっとびっくりぽんや。

 
何が驚いたかって、単にアクセスが多いだけでなく、多くのコメントが付いたこと。Yahoo!ニュースだけでなく、ツイッターフェイスブック、さらにブロゴスにも転載されており、それぞれにコメントなどがついている。そして私のところへ直接メールも来ている。
 
また新聞や雑誌からの取材要請も入っており、もしかして、二次記事がそのうち紙・誌面になるかもしれない。
 
 
それらコメントに目を通して、まず思ったのは、案の定、目のつけどころがズレているでしょ♪ である。そして、ちゃんと読んでいないなあ、であった。だいたい私は、2案に反対しているわけではないし、木造でスタジアムは無理、と書いたわけでもない。あくまで下りッピック施設に国産の森林認証木材を使おうとすると、調達は大変だということだ。
 
私の書いた意図は、新国立競技場をネタにして、森林認証制度について世間に知らしめよう、であった。そう、眼目は森林認証なのである。事実、記事の後半は森林認証絡みのことばかり書いている。
 
それなのに、勝手に国産材全般に広げて解釈したり、本筋を放置して脇の小さな点にツッコミが入ったり。まあ、私もネット記事なもんで、筆が滑ったところはある(滑っているのを認識しつつ書いている)んだけど。
 
私は、基本書いたものをどのように曲解されてもいいや、という立場を取っている。人間、どんなにていねいに説明しようが、完全な記事を書いても、誤読・誤解釈されるものなのだ。これは私が取材を受ける側に回っても感じることだが、完全に理解してもらえることなんかわずかだ。だから、放置する。ただ根幹だけは理解してほしい……というのが本音。まあ、それさえも裏切られることが多いが。
そうした点は、以前「想定外を生まない防災科学」の書評 でも書いた通り。 
 
 
 
さて、愚痴?はここまで。私が今回の記事を書き、その反応に目を通して、もっとも興味深かったのは、実は、世間の林業や木造建築に向ける眼であった。
ちょっと抜き出してみよう。
 
本当にいいのか。木で
・木なんか使うなよ。強度もないし。木は日本らしいなんかやめてくれ!
・木材は支持したいが、耐久性や腐食性が問題。
・伊勢神宮の式年遷宮を見ても、数十年に一度の取替えが必要。
・耐久性考えろよ~!ばかーー 地震だってまたいつくるか分かんねんだぞ!!
・そんなでっかい木、国内に無いよ。。。落葉樹も針葉樹も巨木は伐採には反対者も多いからね。
・難しいでしょ・・・、どれだけの技術でも経年劣化で木が離れてしまうんじゃないのかな?
・杉と欅は伐採でお願いします。これ以上花粉症を悪化させたくない!
・この際だから、日本中の杉の木切って使ってくれればいいのにね。花粉症が楽になるかもしれないし。
・集成材って湿気に弱いんじゃなかった?耐久性は大丈夫なんだろうか?
・素人の考え方としてよ 競技場みたいな大きな会場の素材に『木』って ないわ~
・そもそも、木を使う、結局、保守で、後からコストが掛かるのでは?
 
 
実に多くの人が、木造の巨大建築物に否定的なのだ。多くは耐久性とか、耐震・耐火性などを心配しているようだが、森林を憎んでいる(苦笑)ような人も多い。
もちろん森林認証制度のことなんぞ、まるで知らないし、興味もないらしい。(なかには的確に木材と建築、そして森林認証について記したものもあるが。)
 
どうも木造に不信感を持っているような感じを受ける。木材イコール燃える、弱い、腐る、なのである。
現代の木材科学では燃えない木材もあれば、鉄より強い木材もある。もちろん腐らないようにすることも可能だ。そうしたことが知られていないのだ。
 
ここで、そうした「無知」を嘆くつもりはない。むしろ当たり前だ。考えるべきは、いかに木材に関する情報が伝わっていないか、関係者(そして私)の努力不足だろう。
 
だから、世間のこうした眼を十分に知ることが大切だ。木造なら日本的だとか、癒される、なんて勝手に喜んでいたら、世間の感性を見誤るよ、ということだ。林業木材関係者が思っている(望んでいる)ほど、日本人は木に興味を持っていないよ。。。
 
山側の人は、これらの「誤解」をいかに解くか。そうでないと、森林認証までは遠い。(取材を受けたら、思いっきり森林認証制度について吹くよ! )

2015/12/16

ナラ枯れ材と、自然の摂理?

いつも散歩している生駒山の森林公園。

 
この公園内には、大小さまざまな道があるが、あちこちに伐採跡がある。
伐られたのは、コナラの大木だ。伐採されたのは、ナラ枯れで枯れた木々である。
 
009 こんな感じ。直径40㎝前後はある。
 
だが、この切株をよく観察すると、面白いものが見えた。
 
020
わかるだろうか。断面に小さな穴が一面(と言っても辺材部が多い)に開いている。
これこそ、カシノナガキクイムシが潜り込んだ穿孔だろう。幼虫が穴を掘って、そこかしこにナラ菌をばらまいたから、枯れるのだと言われている。
 
これを見ると、ナラ枯れした木から木工用の材を伐りだすのは難しいかもしれない。
 
 
 
さて、ここの森には、若返りを図る計画があった。コナラ林で過熟化して照葉樹林化も進んでいるため、老木を伐採して林内を明るくする予定だった。ところがこの公園でスタートしてすぐ、当時の大阪府知事によって予算が半減されたために、ほとんど行えなくなった過去がある。
 
ところが、ナラ枯れが蔓延したために、さすがに放置できなくなったようだ。なにしろ遊歩道沿いのコナラが軒並み枯れているからだ。もし枯れたコナラの大木が倒れて、道行く人を傷つけることになったら大騒動になるだろう。
 
おかげで、今は伐採真っ盛り。期せずして、かつての若返り計画が進んでいるようだ(^^;)。
伐られた後は、巨大な樹冠が除かれることで空が広くなり、地面に光が射し込んでいる。
 
022
 
まあ、写真のように伐採して、そのまま幹を谷に落としてしまっているところが多いけどね。本来は燻蒸しなければならないのだけど。これでは放置した幹から、またカシナガが飛び立つだろう。当面、ナラ枯れは収まりそうにない。
 
 
ともあれ、コナラがあまりに太く育っところにナラ枯れが流行して枯らしてしまうというのは、自然の摂理と呼んでよいのだろうか。
 
 

2015/12/15

Yahoo!ニュース「新国立競技場の……」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「新国立競技場の知られざる不安。デザイン案にある木材は調達できるのか?」を書きました。

 
いやあ、長いタイトルだわ。。。
 
昨日発表になった2つのデザイン案。どちらも「杜のスタジアム」という名だというのは偶然だというのだが、木材を多用する点もよく似ている。
ただ、A案(と言っても、その図案やパースは手に入らないけど)は、鉄筋コンクリートづくりの内装・外装に木材を使うらしい。法隆寺五重塔のイメージなんだとか。
B案は、巨大柱が立ち並ぶのだから、構造材に木材を使うことになる。縄文のイメージというののだが。
 
スポーツ紙の見出しは、「法隆寺VS縄文遺跡 」なんだって(笑)。
この記事には、わりと両案の木の使い方について詳しく書かれている。
 
 
 
それはいいが、果たしてどこから木材の調達するのか楽しみだねえ。
今からFSCを取得しても、間に合うかな?
 
ちなみに先日訪れた天竜林業を抱える浜松市は、森林の35%で1FSCを取得したそうだが、オリンピック狙いなのだと聞いた。なかなか先見の明がある。
 
気になるのは、吉野の川上村の森は、SGECなのである。これ、厳密には欧米から森林認証だと認めてもらえるかなあ。ダメと言われたら。。。森林認証を取る際の選択眼が、問題になりそうだ。
 

2015/12/14

樽桶流通革命!

樽丸、そして樽や桶の話から、少し日本酒の話を。

 
 
かつて造り酒屋の取材を重ねていた際、ある主人は「お酒を木樽に入れるな」と言った。
私の目の前で、銘酒として人気のあったその蔵の酒を、祝い酒だから樽に詰めてほしいという注文が電話で来たのだが、断っていたのだ。
 
その理由として「せっかくの酒の香りや味を木樽に詰めたら木香が移って台無しになってしまうから」と説明した。
言われてみれば当たり前だ。酒の香りや味は、杜氏が精根傾けて最後の最後まで工夫を凝らして生み出すもの。それを完成後の容器のせいで変えられたらたまったもんじゃない。味を変えないためには、ガラスや陶器の瓶の方が良い。
 
樽酒を売るのは、二流酒を木の香りで誤魔化して美味しく感じさせるため、とまで言った(笑)。
 
別の蔵主は、「戦前の酒より、今の方が数倍美味くなっている」と言っていた。
たしかに戦中戦後、三増酒と呼ばれる3倍に薄めてアルコールと糖類を添加した偽物がはびこった(今もある)から、「昔の酒は全部純米で美味かった」という声が出るわけだが、時代は変わった。現在は純米どころか吟醸酒も出回り、各地の地酒が腕を磨き、日本酒の歴史上、もっとも美味くなっているのだ。
 
それなのに樽酒を喜ぶのは、本当の酒の味がわからない人(笑)。
2  美吉野酒造の吉野杉の桶。
仕込みに木桶を使うと、菌の繁殖が違って酒の味が変わるという(……が、それが酒を美味くするのかどうか?)。 
 
1  木桶の内側。
 
 
ところで酒の発祥は、もちろん奈良である。(なんでも日本初は奈良なのだ。)
 
しかし、当時の醸造のための容器は、陶器しかなかった。陶器は大きくつくるのは難しい。もっとも大きな壺でも、せいぜい直径1メートルくらいしかできない。そのため酒などの醸造も、量に限界があった。
そこに桶の製造技術が生まれ、4メートルの桶も可能になった。おかげで酒の大量生産が行われるようになる。発明されたのは、安土桃山時代だとされる。
 
さらに蓋をつけて密閉した樽が発明され、液体の輸送を可能にした。これが日本に流動物の流通革命を引き起こす。これまで小さな容器でしか運べなかった液体商品を、大量生産、大量輸送の時代を迎えるからだ。だから樽や桶が果たした役割は、日本産業史を買えるほど大きいのではないか。
 
 
そして江戸時代になると、上方から江戸に酒が運ばれた。これを下り酒という。江戸の町の飲み助を支えたのは、伊丹酒や池田酒、それに交野酒(生駒山地北辺の交野地方は、かつて酒の産地だった)だった。少し遅れて、灘の酒が登場、一世を風靡する。
 
だが、考えてみてほしい。江戸近辺でも酒はつくっていた。なぜ苦労して、危険な海を船で時間をかけて上方から運ばなくてはならなかったのか。
 
樽や桶は、全国に普及していた。吉野杉ほど性能は高くなかったが、醸造はできただろう。
 
……実は、火落ちが防げなかったのである。火落ちとは、簡単に言えば、酒の腐敗だ。醸造された酒は、すぐに雑菌が繁殖して白く濁り、味を落とした。江戸の近くでつくられた酒といえどもすぐに火落ちする。とくに夏を超すと、飲めなくなる。
 
ところが「下り酒」は火落ちしない。なぜか。上方の造り酒屋には、火入れの技術があったからだ。極めて微妙な温度で雑菌(主に乳酸菌)を殺すことで、長持ちさせる。この技術は、長く門外不出であり、関東の造り酒屋では真似できなかったのだ。温度を上げすぎたら、アルコールが飛んでしまう。菌を死滅させて味を変えない温度と時間を、勘で維持しないといけない。
 
とはいえ、完全に火落ちが防げたとは言えないだろう。なかには失敗作もある。
ただ酒を木の樽で運ぶと、木香の成分で雑菌が繁殖しにくくなる。しかも味を誤魔化す効果もあったのかもしれない……。
 
かくして上方が江戸の富を吸収するのに、樽による流通革命があった。ちなみに吉野林業が栄えたのも、江戸へ樽の形で木材を運んだからだ。酒樽は、江戸で味噌や醤油、漬け物樽として重宝されたらしい。
 
……こんな樽桶流通革命論、誰か展開してくれないかなあ。。。
 
 

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森と林業と田舎