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管理人様へ
先日、メールを遅らせて頂きました。新潟の倉知です。
掲示板へのサイトの紹介を許可いただきましたので、
書きこまさせていただきます。
タイトル:正しい教えの白蓮
URL:http://sky.geocities.jp/biyakuren_sutra
タイトルが「正しい教えの白蓮」ですが、法華経のサイト
ではありません。
本日はサイトのご紹介までで、失礼いたします。
尚、私は普段インターネット環境がある場所には
生活しておりませんので、あまり書き込みもできない
かもしれませんが、ご容赦願います。
また、掲示板を覗きにきます。それでは。
タグ:
倉知さま
こんばんは。さっそく、サイトご紹介いただいてありがとうございます。
相互リンクのご要望にお応えできず申し訳ありませんでした。
でも、ここに書いていただきますと、みなさま、ごらんになれますので、リンクとあまり変わらないかもしれませんね。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
> URL:http://sky.geocities.jp/biyakuren_sutra
>
> タイトルが「正しい教えの白蓮」ですが、法華経のサイト
> ではありません。
たくさんの経典が取り上げられていて、いろいろな人に合うようになっているところが、タイトルにふさわしいでしょうか。かっこいいタイトルですね。
> また、掲示板を覗きにきます。それでは。
どうぞ、また、書き込んでくださいね。
よろしくお願いいたします。
>>1
倉知 様
http://sky.geocities.jp/biyakuren_sutra/
金剛 般若 を知るものが、
法華経 を知るもので、
その横にある、顛倒について、ここに語る言葉を聞くことが叶います
*****
テキでくくると、適当 が生まれ、敵も生まれます
的にはずれているからです
マトは、中心にあり、ソコ(中心)を外れたところを、
“テキトウ” と 外れた思い を 正確に 指し示します
> 私の仏教の捉え方(=一人で行うもの、 原始仏教、小乗仏教的な発想)
この( )の中の、
“ 一人で行うもの ”
ということは、正しいことです
二人で行っても、ヒトリニ、カナラズ、行いがあるからです
“ 原始仏教、小乗仏教的な発想 ”
ここに、齟齬が生じています
原始仏教と、小乗仏教 の、
どちらをも、あなたが、捉えきれていない(迷誤している)からです
捉えられていなくて、理解もされていないことを、
さらに、適当に 「的」 でくるむから、
マトから遠く外れて、
“マトモ” を、得ることができなくなっているわけです
“ 出発点 で、顛倒に顛倒を重ね ていることになります ”
迷いに(迷いから始まって)迷いを重ねて、いくらそこを追求しても、
得るものは、真っ当な “ 迷い(=出発点 )” だけです
法華経を知るものは、仏教を知ります
仏教を知るものは、祇園で説かれた、 “ 阿含の言葉 ” を知ります
“ 阿含の言葉 ” を聞くものは、
是この如に、語られている言葉を聞いています ( 如是我聞 )
倉知様から 論理学教室あてに、メールが届きました
宛先 が、あったので、ここに写しておきます
********
論理学教室御中
新潟の倉地です。(前回私のタイプミスにて倉知になってました)
メールありがとうございます。
おっしゃられていることは的を得ています。
私の文章には私の心が出ています。
そこを見抜かれている点、頭がさがる思いです。
また、見知らぬ私にこのようなメール頂きとても
ありがたい思いです。
>テキでくくると、適当が生まれ、敵も生まれます的にはずれているからです
>マトは、中心にあり、ソコ(中心)を外れたところを、“テキトウ” と 外れた思い を 正確に 指し示します
ご指摘の点は、私は反省しなければいけないと考えております。
ご指摘の点は、私の心の奥にある、私の良くない部分であるのは、
なんとなく気づいております。
まがった心で物事を行っても良い結果・成果が上がらないのは、
如何ともしがたい人間となってしまいます。
私には、何故かその如何ともしがたい人間の部分があります。
その発端(生い立ち)がどこにあるのか私には思いつくことが
一つだけあります。
それは、仏教(もしくは人生)に関する考えの誤解があるの
だと思います。
そこの部分との対決としての意識が多分私の心の奥にある
だと思います。
心の誤りに対して、対決するのが一般的には普通の行為で
あるのでしょうが、宗教実践の動機には、その件無用と
心に刻み・道を誤らず歩んでいこうと思います。
何かまだわだかまりの部分があるようですが、少しずつ
直していけば良いと考えております。
>>2
>“ 原始仏教、小乗仏教的な発想 ”
>ここに、齟齬が生じています
>原始仏教と、小乗仏教 の、
>どちらをも、あなたが、捉えきれていない(迷誤している)からです
>捉えられていなくて、理解もされていないことを、
>さらに、適当に 「的」 でくるむから、
>マトから遠く外れて、
>“マトモ” を、得ることができなくなっているわけです
>“ 出発点 で、顛倒に顛倒を重ね ていることになります ”
>迷いに(迷いから始まって)迷いを重ねて、いくらそこを追求しても、
>得るものは、真っ当な “ 迷い(=出発点 )” だけです
HPの最初のこの表現にも私の心が現れているのだと思います。
この表現は確かにいただけない表現です。
どれだけ真剣に考えて表現したかは別として、このように表現
すること自体、私の心の齟齬があるのだと思います。
何故このように表現したのかは、私の至らなさだと思います。
HPのトップの内容ですので、その表現は削除致しました。
もしかしたら、このようなメールを頂きたく、わざと書いて
いるのかもしれません。
ここが先程の如何ともしがたい人間なのだと思います。
子供が叱られたくてわざと悪い事をするようなものです。
ここは、大変失礼をしております。
このようなお手数をおかけしたこと反省するのみです。
仏道の基本を外す思考が根底にあれば、良い華は咲かない
ので「正しい教え」とかけ離れる事認識いたしました。
>>3
>法華経を知るものは、仏教を知ります
>仏教を知るものは、祇園で説かれた、 “ 阿含の言葉 ” を知ります
>“ 阿含の言葉 ” を聞くものは、
>是この如に、語られている言葉を聞いています ( 如是我聞 )
手元に「雑阿含経」の書籍があり、今それを少しずつ読んで
おります。
初めて読むのですが、内容はとても良いものと思っております。
また、HPがほとんど書き下し状態で、誤字・脱字の修正と
日本語としての文章の推敲が完了しておりません。
読んだ人が気分を害さないようにしなければいけないと
考えております。
如何ともしがたい人間は私だけで十分なので、変な事を書いて
逆に如何ともしがたい人間を増やすようなことが無いよう
気をつけます。
メールを頂きとても感謝しております。
手元の「雑阿含経」を読み終わりましたら、「長阿含経」から一つ、
「中阿含経」から一つ経典を選び読んでみたいと考えております。
長い文章となってしまいましたが失礼します。
倉地様 からは
Mon, 2 May 2011 08:06:27
に、届いていました